舞台は広大〜城塞都市中東・アフリカ

種類 ショートEX
担当 龍河流
芸能 2Lv以上
獣人 1Lv以上
難度 やや難
報酬 4.9万円
参加人数 8人
サポート 0人
期間 03/31〜04/06

●本文

 イタリアのヴェネチアでモデル事務所を経営しているアレクサンダーにとって、ことの始まりはローマのホテルでのことだった。
 この日の彼は、先日の中東での教育支援活動の報告書を携えて、自身が所属する芸能関係者の慈善団体に出向いていた。ついでにWEAの支部にも顔を出し、表と裏の諸々の情報など仕入れ、寄付金の依頼を各所に出すのも忘れずに行ったうえで、ホテルに戻ったのだ。
 すると。
「久し振りだな、アレク。パナシェは元気かい?」
 古くからの知人が、ロビーで彼を待っていた。キールといい、歳はあちらのほうが一回りほどアレクより若い。ころころとした体型は妙に可愛らしいが、これでも一応は劇作家兼演出家だ。
「キールか。何をしに来たんだね」
 ただし、アレクは昔から彼と仲良くしたいとは思わない。はっきりきっぱり、どこか遠くに行ってくれたらいいのにと、顔を合わせるたびに思っていた。
 なぜなら。
「なにを? そんなのは決まっている。君がローマに来たと聞いて、我がミューズの顔が拝めると喜び勇んで馳せ参じたんじゃないか!」
「パナシェは先に自宅に帰ったからね、あいにくといないよ」
「伴侶を一人で家に帰すなんで、君はそれでも男か!」
 キールは少年時代、何を思ったのか知らないが、当時アレクが並み居る恋敵を廃してようやく結婚にこぎつけたパナシェに一目惚れし、以降四十年近く秋波を送り続けているのだ。もちろん未だに独身で、一度も結婚したことはない。浮名は随分と流しているようだが、パナシェのことは『我がミューズ』と公言してはばからなかった。
 アレクの妻のパナシェは、芸能人としてより遺跡発掘やナイトウォーカー狩りで名を馳せた人なので、キールの身辺では『なんであの人?』と不思議がられているが、キールの考えは変わらない。おかげでアレクからはずっと『遠くに行ってくれ』と思われている。
 とはいえ、アレクもキールの才能を認めるのはやぶさかではないし、成功した者の義務としての社会支援活動にも熱心なので、その点では意気投合している。ちなみにキールが支援しているのは、アフリカ地方の遺跡の保護とそれに関する啓蒙活動だ。これを口実に、時々自宅を訪ねてくるのをアレクは快く思っていないのだが。
 けれども、『我がミューズ』の不在にキールが意気消沈したのは一分足らず。さっさと気分を取り直して、アレクに相談があると言い出した。
「エジプトの遺跡に、城塞都市がたくさんあるのは知っているかい?」
「遺跡? 今でも人が住んでいる城塞都市があるのは知っているが、遺跡もあるのかい?」
「水が枯れたりして、人が住まなくなった都市のほうだよ。人がいなくなったのは最近でも、都市によっては建設が古いからね。十分遺跡なのだが、大抵は放置されている」
 人が住まなくなれば家は荒れるというが、街も同様で。防砂と防衛のための城砦に囲まれた石と煉瓦造りの街は、捨てられて後に砂に埋もれたり、壊れたりしている。保護活動も始まったが、まだまだこれからだ。
 そんな幾つかの都市のひとつを、キールの所属する組織は保護活動に資金を出すことを条件に五十年契約で借り受けたのだという。新しく灌漑された街まで車で一時間、割と交通の便が良い城塞都市だ。
「そちらに回す金はないよ」
「そんなことは知っているよ。アレクは最近あちらによく出向いているから、人を集める力添えをお願いしたいだけさ」
 何事かと思えば、こうである。
 キール達が借り受けた城塞都市はたいして大きくないが、中央に街の規模に比して大きな集会所がある。屋外だが演壇を兼ねた広い舞台があり、それを囲む客席も存在する。
 街そのものは大分砂に侵食され、城壁もところどころ壊れているので補修が必要だ。内部の住宅もほとんど全部に砂が入り込み、半数は膝丈以上の砂に埋もれているらしい。
 でも、舞台がある。
「活動費稼ぎに、そこで興行するのかね。しかし、舞台をするには設備が必要だろう。あちらの真昼間には、観劇など出来たものではないよ?」
「舞台なんて、そこまで大掛かりなものはまだ先だよ。宝探しをするだけさ」
 キールがいそいそと、抱えていた大きな鞄から出したのは綺麗な鏡である。ちょっとアンティークっぽい作りだが、あくまで模造品だ。大きさは横が二十五センチ、縦が三十五センチといったところ。額の厚みも十センチ近くあるだろう。
「水が枯れて捨てられた街を再生する。まずは水を探すのが最初だろう?」
 その『水』の象徴に用意したのが鏡と言うわけだ。これを街のどこかに隠して、街の中を観客と役者が巡り歩き、役者は観客に謎掛けやヒントを与え、時に試練を施し、その他諸々のあれやこれやをして、鏡を見付けさせるストーリーなのだろう。
 ただし。
「脚本は?」
「考えてない。そんな暇もない。だから、その辺の人材込みで紹介してほしい」
「君は相変わらず、肝心のところで手を抜く癖があるな。そんな相手に紹介は出来ないよ」
 アレクは冷たく突き放したつもりだったのだが、キールは一枚の書類を持っていた。こともあろうに、アレクの孫娘でモデルのシンデレラの事務所との契約書だ。
「あの子はウサギだろう? エジプトは狼男の神様がいるから、ウサギが懐中時計を持って歩いていても雰囲気が出ると思って、畑違いだけど手配させてもらったよ」
「アヌビスは狼じゃないと、何回言えば覚えるんだ。人の孫を勝手に使わないでくれ」
「でもさっき電話したら、面白そうって喜んでいたよ。あ、パナシェがいたならかわってもらえばよかった‥‥」
 こうなると何を言っても無駄なのがキールだが、せめてもの腹いせに人を集める手伝いはやめようと考えたアレクだった。けれども、そうするとキールにパナシェへ連絡する格好の理由が出来るのに気付いて、仕方なくエジプト国内で顔の利く芸能事務所や関係組織を教えてやることにした。

 城塞都市での観客参加型劇の骨子は以下の通り。
・基本スタイルは『水の恵み』なる宝探し。宝はアンティーフ風の鏡が用意されている。
・舞台はおよそ五キロ四方の城塞都市内。ただし三分の二は砂に埋もれて、まともに歩けない。
・役者、スタッフは都市の中を移動し、観客に情報などを与えて、宝の場所を探させる。
・宝を手に入れるには、なんらかの試練をクリアしなくてはならない。
・当日の観客は六十名ほどの予定。このため、役者以外に安全に気を配る者もいると適当。
・劇の時間は夕方から明け方までの一晩。期間中の五日目夕方から六日目朝に掛けて。

 ついでに砂を掘って、城壁外に搬出してくれるとありがたいとの注釈付き。

●今回の参加者

 fa0163 源真 雷羅(18歳・♀・虎)
 fa0914 キャンベル・公星(21歳・♀・ハムスター)
 fa1758 フゥト・ホル(31歳・♀・牛)
 fa1773 海斗(14歳・♂・小鳥)
 fa2249 甲斐 高雅(33歳・♂・亀)
 fa2617 リチャード高成(22歳・♂・猫)
 fa3136 穂積 彩子(25歳・♀・鷹)
 fa3233 金剛(23歳・♂・熊)

●リプレイ本文

 砂漠の一本道の傍らに、確かにその都市はあった。相当年代が古いらしく、城壁のあちらとこちらの作り方が違っているが大きく崩れているのは二箇所ほどだ。幸いにして、そこから更に崩れていく気配はない。
 崩れた所から見える内部は、人が住んでいたときの住居が立ち並び、遺跡と呼ぶには違和感を感じさせる。目が良ければ、内部のそこここに砂の山が出来ていて、徐々に侵食させていることに気付いただろうが、幌付きトラックに揺られてきた一同はそれどころではなかった。
「暑いですわね。夕方には、本当に涼しくなりますかしら」
「それが寒いくらいなんだよ。やんなっちゃう」
「大丈夫か? カイ君も、無理はしないように」
トラックの荷台で、一時間ほどの移動の間にすっかり元気がなくなったキャンベル・公星(fa0914)と海斗(fa1773)を、リチャード高成(fa2617)が労わりの言葉をかけている。けれども、そんな彼も相当に参っているのが他の面子には見て取れた。
「リチャードさんも、着いたら休んでください。荷物は僕たちで下ろしますから」
 俳優やアイドルと、今回の都市内演劇で重要な役どころの三人を心配して、金剛(fa3233)が任せてくださいと請け負った。でも自分の荷物くらいと遠慮したキャニーには、穂積 彩子(fa3136)が念押しする。
「いいから、任せておきなさい」
 ちなみに、城塞都市の入口では、胸を張った彩ではなく源真 雷羅(fa0163)とフゥト・ホル(fa1758)、甲斐 高雅(fa2249)に金剛の四人が荷物下ろしの主戦力だった。他の4人に比べれば、段違いで体力とこうした地域での経験があるからだ。ハトホルに至っては、エジプトは故郷である。一口にエジプトといっても広いけれど。
その間に彩は出迎えのシンデレラと慌しく握手して、小さいカイとキャニー、リチャードをつれて宿泊用に用意された家屋に向かっていた。この三人が喉を痛めたら、代わりに演技をする者はいないので体は大事にしてもらわねばならない。
「こんな真昼間に働けないじゃん? 荷物運んだらどうする?」
「地図があれば、演劇の場所や休憩所を決めて、準備の手順を考えないとね」
「試練には、ぜひとも『夢の碑文』の伝承を使いたいものね」
 それはいいねぇとハトホルの意見に頷いている、こちらは大きいカイ君はよいが、ライラは話がさっぱり分からない。『夢の碑文』ってなに? と言う顔をしていたら、ハトホルが教えてくれた。昔のエジプトの王様トトメス四世が、砂に埋もれたスフィンクスの足元でうたた寝をしていたら、夢のお告げで『私を掘り出したら王にしてやる』と言われて実行しめでたく王様になったというお話だ。今回の場合は、『街を掘り出したら、水が蘇る』あたりに変更だろう。試練としては、なかなか適当である。
 街までは遠くないので、今日のところは自分達の分の食料などだけで下ろす荷物もたいしてなく、金剛も含めた四人で担ぐと後は運転手の青年だけで手が足りてしまった。戻ってきた彩やシンデレラの出番はない。
 ただし。
「僕達のほうが、荷物が少ないみたいなんですけど」
「あの人達は力持ちだからね‥‥」
 女性二人のほうが大きな荷物を持っていたことに金剛が驚いていたが、大きなカイ君は乾いた笑いを返しただけだった。世の中には、不思議なことが色々あるのである。
 それはさておき。
 幸いにして、城塞都市内の地図はすでにあった。遺跡と呼ばれるくらいだから、多少の調査は入ったものらしく細かい道幅なども書き込まれている。ここの賃貸契約には、もちろん都市内の建物などを不要に破壊、変更することは禁じる条件が入っていた。さすがに今後の復興作業のために簡易トイレは建てられている。都市内の何箇所かに設営の予定もあり、それは専門の業者がやってくれるそうだ。
 衣装もエジプト古代王朝風のイメージのものが幾つか用意されていたが、小さいカイが着ると裾がずるずると砂を掃き集めてしまう。これは現地スタッフの一人に急ぎ裾上げをしてもらうことになった。あとキャニー向けの衣装も、腕がむき出しになると寒暖差に対応できないので別の衣装の上着を手直しして飾りをつけ、合わせることになった。
「お土産にビーズを持ってきましたのよ。一杯ありますから、使ってくださいな」
「あ、僕、小石のビーズで腕輪が作れたら使いたいなって思ったんだ」
 少し口調が丁寧になっている小さいカイにシンデレラが差し出したのは、残念ながら小石のビーズではなかった。ヴェネチアンビーズ、確かに実家がヴェネチアのシンデレラが土産にしても不自然ではないが‥‥
「お高くありません?」
「大丈夫ですわ。関税を取られないように、こっそり持ってきましたもの」
 エジプトがビーズの持込に制限をかけているかは不明ながら、気分は密輸品である。ざらりとキャリーの両手一杯になる一袋。全部衣装につけたら、動くのが大変そうだと彩とライラは互いに耳打ちしていた。ハトホルは大分雰囲気が違うと思っているようだが、キャニーと小さいカイとシンデレラが、青系のビーズを選り出し始めたのを見守っている。見た目が多少豪華なほうが、見ている側だって楽しかろうとの考えだろう。
 そして大きいカイ君はリチャードや金剛と夕方以降の掃除計画を立てていたが、参加者に記念品のようなものを渡したいよねと言うところで揃って悩んでいた。出来ればこの都市で使われていた古い硬貨や小物があればいいのだが、あいにくと遺跡調査の際に価値のありそうなものは持ち出されている。そこに出てきたのがビーズである。
「僕、紐編みでよければ腕輪くらいは編めますよ。簡単なものになりますけれど」
「キャニーさんは巫女役だから豪華にして、他は少し質素なくらいがバランスが取れるだろうな。カイ君どうだい?」
 金剛が道具係らしいことを申し出たのに、リチャードも妙案だと頷いた。が、カイ君と呼ぶと二人振り返るので、苦笑している。海斗君、甲斐さんとでも呼び分ければいいのだろうが、すでに現地スタッフまで両方とも『かい』で認識しているので、しばらくはこれが続きそうだ。なにしろ大きいカイ君からして、小さいカイを『カイ君』と呼んでいる。
「衣装に使う以外のビーズで、腕輪を編んでもらって記念品にしたら喜ばれるかな」
「自分で見付けたもんなら、なんだって楽しいんじゃねえの」
「私は、こっちが欲しいです〜」
 ライラがかなり大雑把に、でも非常に分かりやすいことを口にしたのだが、ちょうど隣に座っている彩はライラのガーネットスターに手を伸ばした。冗談ではあるが、なんとなく本気が見え隠れしている。
「アンティークなものが好きなんですよ」
 この言葉に嘘はないようで、その後も皆が持っているオーパーツ類から劇中アイテムの鏡までうっとりと眺めている姿が時々目撃された。ちゃっかりと、金剛が作った腕輪もしている。
 ちなみに腕輪については、現地スタッフまでほぼ全員が一つずつは貰っていたので、別に彼女が特別ではない。作る金剛が大変だったのだが、途中からシンデレラやキャニー、小さいカイが加わって、『いろんな』腕輪が完成していた。いろんな編み目の腕輪である。
 金剛が作るものは網目も揃って、ビーズの色合いもグラデーションや同系色、反対色などの色とりどりだが、キャニーや小さいカイは色合いはまあまあでも編み目がなかなか揃わない。シンデレラはひたすらビーズを睨んで、何を考えているのかよく分からなかった。
 いずれにしても、この四人に任せておけば腕輪は問題なく出来上がりそうだ。となれば、残った者は街中の砂の掃除なのである。
 都市内の地図は全体をほぼ記してあるが、それを全部使ったら観客がどこに行ったか把握できなくなってしまう。劇で使うところだけ、ある程度歩きやすいようになっていればよいのだ。多少のことは、『試練』である。
「とはいえ、子供やご高齢の方もいる可能性を考えると、いずれのルートにも歩きやすい場所が必要ね。わざと砂を盛り上げて、試練として運ばせるのも楽しいけれど」
「楽しいときたし。ハトホルさん、あんた、あのばあちゃんに似てきたよ」
 誰のことかと首を傾げた綾とリチャードに、大きいカイ君が『こんな人』と解説している。今回の依頼人キール氏の友人で、彼らに募集をかけた仲介者アレクサンダーの妻、現在ビーズとにらめっこ中のシンデレラの祖母だ。
「まあ、迫力のある女性だよ。ダイアナかヴァルキリーかってところかな」
「それはそれは。ところで、この作業は女性には厳しいと思うので、指示だけしてもらえばいいのだが」
 どういう女性を思い描いたか、リチャードが朗らかに笑ってから、スコップや手押し車に手を伸ばした女性陣に申し出た。物腰柔らかい彼が言うと、いかにも淑女扱いでよろしい。それに現地スタッフも合わせれば、男性はけっこうな人数なので力仕事には十分である。そのはずだが。
「本人がやると言うものを、止めなくてもいいと思うの」
 砂を掃き集める箒を手に、彩の忠告は多分控えめだった。リチャードは今の台詞で自分を引き立てようなんて思っていないし、根っからの善意だと分かっているからだ。これが単なるナンパ男の実のない発言だったら、劇前に主演男優再起不能の事態も起こりえたかもしれないが。
 なにしろ、先程はキャニーの付き添いで先に建物に入ってしまったリチャードは知らないが、ライラなど『これが今回の仕事』と思ってきている。要するに力仕事要員だと自分で思っているのだ。
「当日用の食べ物や飲み物はまた運んでくるって聞いたけど、そういやあたいらの晩飯はどうなるのかな。あのじいちゃんとばあちゃんの関係者だから期待してんだけどさ」
「あ、私、料理好きなのよ。珍しい食材ないかしら」
 何か珍しいものを食べたいで意見の一致を見たライラと彩を横目に、ハトホルは当日休憩して夜食にするならここと、いささか広めの家屋に目印の布をつけている。その中の砂を運び出すのは、主に大きいカイ君の仕事だった。彼が大雑把に砂を取り除けると、リチャードが隅々まで掃いて、残った砂を集めている。集めた砂を街の外に捨てに行くのは、こちらの気候に慣れた現地スタッフだ。ただし、袋に詰めてラクダの背に乗せてだが。
「足元の不安な方がいたら、あのラクダを使うのがいいかしら。それともそちらで使う?」
 ハトホルに尋ねられたリチャードは、額に汗しながら『とてもとても』と口にした。演出上必要ならともかく、今の予定では彼も他の俳優陣もラクダに乗る必要はない。なにしろ基本的に幽霊だ。
 神様役の彩やハトホルはともかく、幽霊役の彼らがラクダに乗っていてはおかしい。それにしたって、盗賊役のライラの様子を見るだに、彼女に斬り殺される役の小さいカイがかわいそうな気もするリチャードだった。それはそれは迫力のあるシーンが展開されることだろう。
「ご飯作ってきますねー」
「羊の脳みそとか出てきませんように」
 元気に宿泊所に戻って行った彩は、鷹獣人なのでエジプト神話の有名どころのホルス神、それを仏教式に拝んでいる大きいカイ君は呪われて『成仏』出来ない住人役。
 でも、彼の口にした『羊の脳みそ』のほうが、慣れない人には恐ろしい言葉である。そういうのも決して悪くないけれどと、豪快に笑い飛ばしているハトホルは、名前のままの女神様役である。今は現場監督だが。
 ところでこの頃。
「僕、砂運びのお手伝いしてきますから、後はよろしくお願いします」
 腕輪の作り方を丁寧に伝えて、自分でもずいぶん作った金剛は彩と入れ替わりで砂運びをしている皆と合流しようとしていたが、その前段階の『照明器具をもっと持っていく』でつまずいていた。懐中電灯や電池式のランタンも多数あるのだが、何故か一番揃っているのが油や蝋燭を入れて火を灯すタイプのランタンだったのだ。これを持っていくと危ないので、今まで使っていた電池式のランタンと蝋燭のものを取り替えて、明かりが十分になるように数を増やしてから出掛けていったので、けっこう時間がたっている。何事にも真面目な金剛だった。
 だが、残った一団の中のシンデレラはというと。
「もう、お姉さんなのにわがまま言うんだから」
「こだわりますのねぇ。素晴らしい集中力ですけれど」
 小さいカイが何気なく摘まんだビーズを使いたかったと、べそをかいていた。大量のビーズの中からようやく気に入るものを探し当てたのだろうが、その間にキャニーもカイも腕輪を十近く編んでいる。シンデレラはまだ一つ目だ。非常にこだわりの人らしいときゃニーは思い、今回出会うのが二度目のカイはこっそり『子供みたい』と考えていた。どちらも、けして間違ってはいないだろう。
 まあ、この場合は小さいカイがよほど大人だったので、ビースは譲ってあげて場が収まり、彼と彼女達はせっせと腕輪作りを再開した。劇で使う分はちょっと上等に、記念品にするのはビーズの数が偏らないように、でもいろんな色合いが揃うようにと気配りしつつ。
 問題は、一人作業がうんと遅いのが混じっていることだが、急かすほどには小さいカイもキャニーも人が悪くはなかった。

 そうして次の日からは、劇の練習と砂の搬出作業が平行して行われた。
 それはもう、延々と。

 観劇が行われる日。その日は幸いにも晴天、風はほとんどない絶好のコンディションだった。
 昼過ぎから徐々に集まってきた観客は、家族連れを含む六十一人。年齢層は七十代に手が届く人から、下は十歳まで様々だ。最も多いのは三十代から四十代である。遺跡保護活動に熱心なのか、単なる物好きかは一見しただけでは容易に判断できなかった。
 いずれにせよ、日中は建物の中で英気を養っていた人々は、夕暮れ近くから街路に出て現地スタッフと一緒に焚き火を起こしたり、班分けのくじを引いて仲間になった人々と挨拶したりと賑やかだ。家族連れを中心に、一グループ十人前後で六班、いずれも現地スタッフが灯り持ちとして付き添い、観劇中の世話や緊急時の対応、いざと言うときのストーリ誘導を行う手筈になっていた。
もちろん危険地域には印が出ているが、誰かが入り込まないように見張るのも付き添い現地スタッフの仕事である。観客に配られたオリエンテーリング風の地図にも、立ち入り禁止区域は記されているのだが。
彼らが少しは辞めの夕食を終えた頃合を見計らって、女性が一人、街の中央の舞台に立った。肌の色や顔立ちから、エジプトか近隣国の出身を思わせる。服装は白っぽいマントのようなものを肩から羽織っていてよく分からないが、手にはかなり大きな懐中時計を持っていた。
 朗々とした声は、マイクなど使わなくても観客に良く聞こえる。
「この街は、今から六十年ほど前に水が枯れてしまいました。その百年も前から、少しずつ水は減っていたのですが‥‥枯れてしまっては、人は住めません。この街が消えてしまったのは、水が枯れた六十年前になるのです。
 でも、今宵から少しずつ、その時間を巻き戻していきましょう」
 女性が手にした時計の針を逆回しにする。同時に舞台の周囲の灯りに覆いが掛けられ、舞台上のその姿が徐々に闇の中に沈んでいき‥‥
 観客の後方で、金属の打ち合わさる音がした。
「あっちで何かあるんだよ」
 灯りから離れれば真っ暗な街路もものともせず、元気のよい子供が走り出したがすぐに立ち止まった。交差点ごとに大きな篝火が焚かれているが、それ以外は本当に真っ暗だ。街灯のある生活に慣れた人には、とても歩けるものではない。付き添いのスタッフは松明を、観客もランタンや懐中電灯を持っているが、雰囲気は出ても足元が覚束ないのは一緒。
 先のほうでは誰かが走り去る音がしたが、駆けつけたい気分に反してゆっくりゆっくり、観客は進んでいく。
 やがて出逢ったのは、どこかで見たような姿の等身大のウサギだった。あわてて走るでもなく、手にした懐中時計を弄っている。見れば、時間を合わせようとしているようだ。針は時計回りに進められていた。
 いきなり出て来たウサギにぎょっとした人、よく出来ていると写真に収める人、一緒になって収まる人などいたが、ウサギは我関せず。せっせと時計の針を進めていく。と、誰かが気付いた。
 さっき、巻き戻すって言ってなかった?
 いやいやをするウサギを皆でなだめすかして、お菓子も差し出して、懐中時計を借り受けた人々はまずは時計を調べ始めた。宝探しの第一のヒントがこの時計そのものではないかと疑ったわけだ。けれども良く見たら中身は空っぽ。ぜんまいの一つも入っていない。
 それならと、時計の針を逆さに回す。
 もちろん、六十人以上でウサギを取り囲んでいたわけではない。他にも足音が向かった方角を確かめに行ったり、周辺に何か目立つものがないかと歩き回っている人々がいたのだ。そうした人々の前にも、『その人』は現れた。
「何かを忘れてしまったような気がします‥‥とても大切な何か」
「僕、何を探しているんだったかな」
「私は宝を探している。それが、彼女には必要なのだ」
 懐中時計を見ていた人々は漆黒の緩やかに波打つ髪をたらした女性、足音を確かめに行った人々は生成りのなにやら改まった雰囲気の服をまとった天使を思わせる少年、街路にヒントを求めていた人々は古代の戦士風の高貴な顔立ちの男性を見た。すぐ横や目の前にいる人々にはまるで気付かぬようで、それぞれが『探さなくてはならない』と口にする。
 何を探している? 貴方は誰? 宝って何?
 何度も問いかけられているうちに、それぞれの場所で女性と少年と男性は、観客がいることに気付いた。
「見慣れぬ服装だ‥‥旅人か? 私に力を貸してはくれないか?」
「ねえ、僕の腕輪を知らない? もっとたくさんあったのに、一緒に探してくれる?」
「時の大河を越えてきた旅人よ。どうか私に力を貸してください」
 観客達がふと気付くと、ウサギは懐中時計を持って走り出している。すると、力を貸してと願っていたはずの三人が、また茫洋とした顔付きでふらりと歩き出した。それももと来た方向に。色々話しかけても、一番最初の言葉を繰り返すばかりでどんどんと歩いていってしまう。
 その中の一グループが、作戦会議をしようと途中の焚き火で足を止めた。都市の中にはあちこちに休憩用の建物もあるし、簡単な飲食の用意もある。しっかり夜食を取りたかったら指定の建物まで行かなくてはならないが、それだってたいした距離ではない。
 彼らは焚き火が珍しいのでその近くで休憩を兼ねての作戦会議としゃれ込むつもりだったが、火の番をしている人がいるので情報収集をすることにした。すると。
「この街はね、宝物をなくしてしまったから呪われたのですよ」
 何人かが悲鳴を上げたほどに本物のような鱗と鉤爪の手をした青年が、頭からすっぽりと被っていた砂避けのマントの下から呟いた。顔はひげに覆われていて分かりづらい。声もいささかくぐもっていたが、彼は観客にこう告げた。
「宝を探しに、神様もやってきます。見付けて返せば、きっと呪いは解けるでしょう」
 この時、別の場所では二グループほどが自分の目で見たものをどう受け止めるべきか悩んでいた。服装から、勝手に『姫』『神官』『騎士』と名付けた三人を追うのは他の人々に任せ、街の中を巡っていたのである。人がいれば話を聞き、『この街は宝をなくして呪われ、滅んだ』ところは聞いている。
 直前にも前方に誰かがいるようなので、また話を聞こうと歩いていったら、懐中電灯の明かりの中に映った影には大きな翼があった。誰かが猛禽類ではないかと言い出す。
「エジプトの神様って、鷹じゃなかった?」
 他にもたくさんいるのだが、有名なホルスは確かに鷹の頭と翼を持っているとされることが多い。ウサギがいるかどうかは、この場の誰も知らなかった。
 ただ、『姫』『神官』『騎士』の三人の後ろを歩いていた人々も、他の人々からの情報を聞いて、歩きながらも考えた。やがて出た結論が、『ウサギの時計を逆さに回す』だ。最初の女性も、『時間を巻き戻していく』と言っていたことだし。
 六グループのうち、半分は『姫』達に張り付いている。残り三つの、子供や高齢者が少ないグループが街中を捜し歩いて、夜食を食べられる建物の中でウサギを見付けた。またなだめすかして時計を取り上げて、二回転ほど逆に回す。
「そうだ、僕はここに大事なものを埋めた気がする。巫女様のところから持ってきた、大事なもの。でもどうして、持ってきてしまったんだろう?」
「姫? いいえ、私は神に仕える者。人々の姿を、思いを写す宝を護り、祈りを捧げるための存在なのに」
「そうだ。私が探しているのは、砂漠の街に欠かせぬものを象徴した‥‥あれはどこだ? なぜ失われた?」
 『姫』改め『巫女』と『神官』『騎士』が、またそれぞれの蘇った記憶を辿っている間に、『神官』と一緒だった人々は街の中の広場の片隅に積もった砂を掻き分けていた。後で運び出せるように、袋詰めにする。時々、ビーズの付いた腕輪が出てくるが、『神官』はいずれも宝ではないと寂しそうに言うのだ。
 あちこちで合流し、また分かれたり一緒になったりするグループ毎に渡る程度に腕輪が出てきても、宝に繋がるものは見付からない。相変わらず三人は宝が何か分からないと言うし、ウサギは懐中時計を返せと身振りで騒いでは、返せばまた先に進めてしまう。それをまた取り上げて、逆さに回して‥‥
 焚き火のところにいた男性もあちこちに移動するのでなかなか見付からず、翼を持った影に至っては、もはや目の錯覚ではなかったかと思うような状態だ。
 けれども、懐中時計に掛かりきりになっていたグループが、ウサギにバーボンを出したらうるさいことを言われなくなった。乾杯用の酒を取られた観客は悔しそうだが、ウサギは香りをかいで悦に入っている。
 このグループが、まずは近くにいた『神官』のところで時計の針を逆さに回すと、少年はようやく自分の名前を『サフワ』だと思い出した。
「僕、巫女様のお手伝いがしたくて、宝を持ち出したんだ‥‥でも」
 あそこだと、突然走り出したサフワが、舞台のある広場のところまで来て、不意に見えなくなった。と言うのも、彼に飛び掛った影があるからだ。顔を布で覆った、頑強な体格の誰か。動きもあまりに速くて、観客の懐中電灯では追いきれない。
 その怪しげな影が、サフワを手にした曲刀で切り倒した。そうして広場の中央に逃げていく。そちらには仲間がいて、何か抱えているようだ。仲間のほうがより大きい体つきで、抱えている何かはとても小さく見える。
「「「ああ、あの宝がないと街が」」」
 それぞれに広場に来ていた三人が、観客の前で崩れ落ちるように膝をついた。サフワは斬られたところを押さえ、巫女と騎士は何かに祈りを捧げている。
 と、サーチライトのものらしい光が、街の端で瞬いた。懐中電灯以外の明かりとしばらく縁遠かった観客には、雷のようにも見える。
 なにより、その光に僅かな時間だが照らされた影は、人とは違う姿をしていた。角の形が観客の慣れ親しんだものとは違うが、牛のように見える。
『愚か者。護りを忘れて、賊に宝を奪われるとは』
 そして姿は見えないが、大きな鳥が羽ばたく音が確かにした。
『宝がなければ、この街は滅びる。お前達は宝を見付けるまで、冥界の門をくぐることを許されぬ』
 今もって互いの姿が見えない三人を残して、神々と思われる気配が消えると、観客達もしばらく脱力していた。単純な宝探しだと思っていた人もけっこういるのだが、なかなかどうして、凝ったものである。
 観客も、ここに来てようやく名前を思い出した巫女のアシラトと戦士のナセドが恋仲だったのは分かっている。そうでなくては面白くない。サフワが二人にためになると思ったのかどうか、宝物をどこかに移そうとして盗賊に襲われたのも分かった。盗賊の末路はなんとなく想像したが、その辺に死体で転がられていても怖いのでとりあえず無視。
 お互いの姿が見えていないのは困ると、予想外に一致団結した観客達だったが、さすがに深夜を回ってけっこう経つ。子供の中には、すでに親に抱かれて寝てしまった子もいるし、大人だって年齢に関わらず疲れている。三人は話しかけなければ応えないとも理解して、彼らは少し休むことにした。それから、宝探し再開である。
「はーい、夜食ですよー。あったかいコーヒーもお茶もありますからね」
「足が疲れたでしょう。これを塗るといいですから」
 休憩所では、朗らかな女性が身軽に動きつつ、皆の世話をしてくれた。大半の人が見上げるほどに大きな青年も、慣れた様子で皆を労わったり、明かりの点検をしてくれる。
やがて街の中に出た観客達は、あちこちに先程まではいなかった人々が働いているのを見付けた。多くが若い男女で、揃って砂を運んでいるのだ。何をしているのかと訊けば、『砂があるから』と言う。
「砂が来て、街が埋もれてしまいますのよ。外にどんどん出さなくては」
 よろよろしながら、同じ言葉を繰り返して砂を運んでいる少女を手伝っていた観客の何人かが、獅子のレリーフが掘られた壁の前に佇む女性を見付けた。こちらはどうやら、一番最初に舞台の開始を告げた女性らしい。
「宝物は、砂の中かな?」
「さて? ですが、トトメス四世はスフィンクスを掘り起こして王になりました。この街も、水が戻れば元の姿に戻れましょう」
 そんな話があったかもと考え込んでしまった観客達の前から、少しずつ『街の住人達』が消えていく。彼らは集めた砂をまた戻して、街の門がある方向に歩き去っていくのだ。こうなると話しかけても応えないのは、最初の頃の巫女達と同じ。
 過去の時間が、行きつ戻りつしているのだろう。
 水が戻れば、その言葉をヒントに、観客達が舞台があるのとは別の広場に辿り着いたのは夜明けも近い頃合だった。途中、慣れない気候に疲れて休んでいた人々も多かったが、広場に大きな泉を模した水汲み場の後があると確認した人々に呼ばれて、大半が揃っている。子供が一人、どうしてもしっかり歩けなくて体格のよい青年に背負われていた。青年は慣れた様子で、別の子供の手も引いている。
 もう、ここでなかったら他に水に関係するところは見付けていないと、若い観客がここだけ砂がこんもりと残った水汲み場の周囲を掘り始めた。何かを見付けたのは、案外とすぐのこと。
 この時、いつの間にか広場の端に、アシラト、ナセド、サフワの三人も揃っていた。いる場所は、まだ離れているが。
「これじゃないのかしら?」
 砂の中から見付け出された包みから、アンティーク風の鏡を取り出されて、サフワが最初に歓声をあげた。皆を掻き分けるように前に出て、鏡を受け取ると満面の笑みを浮かべた。そうして、広場の端にいる二人にも、ようやく気付いたらしい。
 観客達にも促されて、互いに近付いた三人は言葉少なに宝の発見を喜んだ。
 呪いを解かれて、牛と鷹の神に導かれて門へと向かう三人を見送ってしばらく、観客に託された鏡に夜明けの光が反射した。

 長い長い観劇の、それが終幕である。