硝子の夢、砂上の現アジア・オセアニア

種類 ショート
担当 やなぎきいち
芸能 フリー
獣人 フリー
難度 難しい
報酬 不明
参加人数 8人
サポート 0人
期間 02/06〜02/10

●本文

●都内某所──黎明。
 それは、細かった冬の日差しも徐々に力強さを増す──けれども気温は未だに下限を知らぬ午後。
「これが最後のチャンスなのよ。死ぬ気で頑張りなさい‥‥」
 鏡台に写る自分の姿に化粧をする手を止め、激励を送る。切羽詰った眼差しは彼女の境遇故のものだ。
「‥‥‥」
 無言で転じた視線の先には写真立てがあった。彼女と似た面立ちの中年というには少々若い男女の色あせた写真。
 それから、真新しい黒縁の写真盾に年老いた女性のモノクロ写真が飾られ、隣には色鮮やかな好々爺の写真が飾られている。
 男女の写真は、彼女が幼い頃に事故で亡くなった両親。少女は両親亡き後、祖父母に引き取られ‥‥深い愛情を以って育てられた。
「‥‥‥」
 真新しいモノクロ写真は祖母を写したものだ。夢を追うことを、苦労を掛け続けることを許し、それを終の仕事となせるよう、全力でサポートしてくれた祖母は先月その生涯を終えた。
 祖母が亡くなってすぐ、精神的なものから祖父は病床に伏せってしまい‥‥病状は芳しくない。言ってしまえば、昨日だって今日だって明日だって常に祖父に付き添っていなければならないような、そんな状態なのだ。
「‥‥‥」
 零れ落ちた溜息が空気を揺らす。

 ──TRRRRRR‥‥

 電子音が鳴り響いた。
「‥‥何かしら」


●都内某所──黄昏。
 風が長い髪を煽る。

 ──きゃははは、おかあさーん。

 屋上を走り回る子供の、独特の幼く高い声。それを嗜める母の穏やかな声。
 夕刻の街には雑踏が溢れ、たった1つの現実は屋上の片隅に押し流されて埋もれゆく。
「‥‥‥疲れちゃったなぁ‥‥」
 虚ろな瞳の女は、壊れた笑みを浮かべた。
『鈴川か? また落ちたぞ、本当にやる気があるのか!?』
 オーディション落選の連絡が入ったのは数分前。これで終わりにしようと全てを投げ打って人生を掛けた彼女の労力は露と消えた。携帯の向こうで怒鳴るマネージャーの声が酷く遠くに聞こえた。

 ──カシャン。

 それは携帯が転がった音であり、
 同時に彼女の手がフェンスに掛かった音でもあった。

「ちょっと、あれ‥‥」
「──きゃあああ!!」

 黄昏に染まる街へ、混乱の引き金が引かれた。
 一滴の混乱は瞬く間に伝播していく。

 人々の視線は一様にデパートの屋上‥‥そのフェンスの外に佇む女性へと注がれていた。
 鈴川緋鶴(すずかわ・ひづる)、29歳。彼女のひび割れた硝子の夢と崩れ去った砂上の現実‥‥その危うい境界に居合わせた者が、いた。


■留意点
1)偶然居合わせただけなので、落下の衝撃を和らげるマットや手頃なロープなど、都合の良い品物は皆無に近いです。所持アイテム以外の物品は保管されていそうな場所を探す等のプレイングが必要になります。また、警察や消防への通報はまだなされていません。
2)現場は人通りの多い場所です。獣化、半獣化には多大なリスクが伴いますので、ご使用の際には何らかの対策を講じてください。
3)鈴川緋鶴は屋上のフェンスの外に居ます。貴方が近付くよりも早く、彼女は宙に身を躍らせることができるということをお忘れなく。
4)『黎明』に関してはPL情報となります。やみくもにプレイングに織り込まれても説得の手段とはなり得ません。
5)鈴川緋鶴はオーディションを受けまくっていたので、同年代で役者・女優等を選択している女性に限り面識があることにしても構いません。その場合はどんなオーディションだったのか明記してください。
6)鈴川は良くも悪くも女性です。理屈・感情の両面から納得させることが必要になります。

●今回の参加者

 fa0430 伝ノ助(19歳・♂・狸)
 fa0606 涼原 水樹(16歳・♂・竜)
 fa1032 羽曳野ハツ子(26歳・♀・パンダ)
 fa1526 フィアリス・クリスト(20歳・♀・狼)
 fa2294 禁野 小竹(15歳・♀・鷹)
 fa2744 橘 遠見(25歳・♂・狐)
 fa2814 月影 愛(15歳・♀・兎)
 fa2882 ユスカ(10歳・♂・狼)

●リプレイ本文

●張り詰めた琴線
 芸能界は華やかで煌びやかな世界。多くの人の目にはそう映る。
 手を伸ばしても届くことはない──そう思い端から手を伸ばさない者も多い、それはWEAにとって、獣人にとって、都合の良い‥‥けれど事実。
 ただし、それは決して『多くない』だけで、芸能界へ足を踏み入れるものもまた、皆無ではない。

 ──鈴川緋鶴もまた、そんな一握りの人間であった。

 周囲のどこか遠巻きなざわめきに気付いたユスカ(fa2882)は、フェンスの外に立つ女性に気付いた。
「お、おねーさん、何やってんの? そんな所いたら、危ないよ」
 震える声は自分のものとは思えないが、ユスカの耳に無意識に漏れた自分の声は届いていないようだ。
「ね、ねえ、おねーさん‥‥?」
 耳元を煽るビル風の合間から繰り返し自分を呼ぶ幼い声に気付き、鈴川はゆっくりと振り返った。スカートが、コートが、ビルを抜けて勢いを増した風にはためく。フェンスを掴む細い指が生きる意志を手放した瞬間に彼女は無機物同然に落下するだろう。
「け、警察っ、じゃなくて消防!? この場合は両方だっけ!?」
 人々の波に沈んだまま、涼原 水樹(fa0606)は携帯を取り出し、震える指でボタンを押す。しかし、いかに優秀な日本の警察や消防といえども夕刻の街中ともなれば数分で到着するのは難しいはず。万一の時に備え、できる限りのことをしなければ。

 ──カシャッ。

 機械的なシャッター音と引き換えに鈴川の姿を携帯電話に収め、建物内へと身を翻した。同時に遊戯コーナーの店員へ駆け出したのは禁野 小竹(fa2294)だ。
「フェンスを乗り越えた人がいる。詳しいことはわからないけど、飛び降りたり、何かの拍子に落ちたりするかもしれない! 消防や警察に連絡と、万が一に備えて、クッションのようなものをこちらで用意できないだろうか?!」
 真摯な表情で詰め寄る小竹は余計にパニックを広げることを嫌い、声のトーンを低めに抑えながら告げる。視線で示された方向を確認し愕然とした店員は、急ぎ内線で警備員へ通報をする。店内の騒動はまず警備員に通報するのがシステムなのだろう。歯軋りし、人込みを掻き分けて進む。目指す場所はユスカと同じ──他人があてにならないのなら、自分が動くまでだ。
 一方、WEAへ連絡を入れたのは橘 遠見(fa2744)である。非常時ゆえに公衆の面前で獣化──はないだろうが半獣化をする者はいるかもしれない。これだけの衆目に晒されてしまえば、事後処理はWEAでなければ無理だと判断したのだ。とはいえ、こちらも実際にフォローが入るのはもう少し時間が経ってからとなるだろう。
「できるだけ早くお願いします。人の命がかかっているのですから」
 限界があることを感じながら、橘はそう言って電話を切った。
 ──組織が巨大になればなるほど迅速さには欠けてしまう。
 それはどんな組織にも共通して言えることだと知っているから。だからこそ、橘も自分にできることをしようと思った。
 自分達のエゴイズムの犠牲とも言える、鈴川のために。


●罅の入った硝子
 警察やレスキューが到着するまでの時間稼ぎに乗り出した者もいた。
 ともすれば自身の精神に癒える事のない傷を負う重要な役目であるが‥‥‥そもそも獣人という存在が追い詰めているのだとしたら。それは伝ノ助(fa0430)のせいではないが、負い目を感じずにはいられない現実だ。
「そんなところで何をしてるでやすか、危ないっすよ」
「人生に終止符を打つ方法について考えていたの」
「そんな簡単に‥‥っと、名前を教えてくれないっスか? こんな場面に立ち会ったのも何かの縁でやすよ」
「‥‥緋鶴、鈴川緋鶴よ」
 人生の淵でそう名乗った鈴川に、人の群れから一歩進み出たフィアリス・クリスト(fa1526)が鍛えられた声を張り上げる。
「ねぇ、何があったか知らないけど自殺なんかしちゃ駄目だよ。そんなのもったいないよ」
「私の人生の価値は私自身が決めるわ。そして、家族を皆殺しにした私に価値なんて残っていないの。だから棄てるのよ」
「駄目だよ。せっかく両親からもらったもの、そんなに簡単に捨てないで」
「家族は皆、向こう側で手招いているわ」
 フィアリスの言葉に虚ろな瞳を伏せる鈴川。命を惜しんでくれる家族は、もう誰もいないのだ。伝ノ助とフィアリスは思わず視線を交わした。この絶望から彼女を救い出す道程は、果てしなく遠いもののように感じられたから。
「まったく、馬鹿なんだから!」
 路上で騒ぎに気付きエスカレーターを駆け上った羽曳野ハツ子(fa1032)が屋上に着くと‥‥野次馬が示し合わせたかのような円を描いていた。無責任な野次を飛ばす彼らを、乱れた息を整える間もなく一喝する!
「静かにしなさい!」
 鍛えられた腹筋から力強く発された声が響き渡り、野次馬達が思わず静止する。聞き覚えのある声に鈴川が振り返った。
「‥‥羽曳野さん」
「久しぶり、いつぞやのオーディション以来ね。そちら側にいるということは、女優は諦めるということかしら? それともお祖父様の介護疲れ?」
「今朝、死んだわ」
「‥‥そう」
 伝ノ助にもフィアリスにも、事情が飲み込めた。鈴川は女優を目指していたが獣人の牙城に食い込むことができなかったのだろう。その失意と、最後の家族すら失った失意とが心を絶望に染め上げたのだ。
「話を詳しく聞かせてもらえやせんか? 無理にとはいわないっすけど、出来れば、野次馬のいないところでゆっくり話せればありがたいでやんす」
 衆人環視の中では落ち着かないと居心地の悪そうな伝ノ助、実は演技である。事情は飲み込めた、同情の余地もある。けれど‥‥伝ノ助はいち獣人として気安く応援の言葉を吐くことができず、自分を誤魔化すように演じざるを得なかったのだ。
「‥‥放っておいて」
 一瞥した鈴川の眼差しに伝ノ助は演技を見破られているような感覚に囚われ、反射的に口を噤んだ。
「嫌だよ! だって、だって、俺‥‥人が死んじゃうのは嫌だよ‥‥っ。ねえ、何があったの?」
「時間稼ぎ? けど、そうね‥‥ここでなら話さないこともないわ」
 ユスカの必死な訴えに気を変えたのか、フェンスに指を這わせながら鈴川はぽつりぽつりと絶望を語り始めた──‥‥


●危ういバランスの上で
 誰かが言葉を交わしているのだろう、髪を押さえ屋上の隅に立ち続ける鈴川。
「翼を使えば、助けることなんて簡単なのに‥‥。人一人の命がかかっていて、打算でそれが出来ない私は嫌な奴だ」
 フェンスの外に立つ鈴川を見上げ、小竹は唇を噛んだ。両手で抱えた布団がとても冷たく、そして重く感じられ、両の腕でぎゅっと抱き直す。
「そんなの、俺だって同じだよ。でも、見て見ぬふりはできないから、できることをしたいんだ。あなたもだよね?」
 小竹の言葉を耳にし、マットレスを引きずる水樹はすれ違いざまに小さく言葉を投げかけた。そして野次馬たちに怒声を浴びせる。
「そっちの人たちも、見てるだけじゃなくて、消防来るまででもいいから手伝ってくれよ、早くっ! ほら、そっち持って!」
 悩むことはいつでもできる。だからこそ今しかできないことをしたかった。迷いを抱きつつも、小竹も足を速めた。
「ぼーっと見てないで手伝ってくれ、何もする気がないなら離れろ!」
 マットレスを敷き、布団を重ね、落下のショックを和らげさせる為のシーツを数人でピンと張り──一向に到着しない警察や消防の代わりに、一人の女性を救うべく人間たちが奔走していた。
 そしていつしか屋上の一角は夜の闇と静寂が支配していた。鈴川の、獣人たちの抱える闇のように。
「‥‥人間は皆ある程度自分の役割を演じて生きてるんじゃないでしょうか」
 沈黙を破るように、伝ノ助がポツリと呟いた。
 女優を諦めさせ、生きる希望を持たせる──詭弁だと思いながらも、橘は伝ノ助の言葉を継いだ。
「私もそう思います。‥‥演じる事が好きなら、いっそ、自分の人生を演じてみては如何でしょうか。恋人の役、花嫁の役、妻の役、母親の役、祖母の役‥‥死者の役をするその日まで、自分自身を」
「職業だって色々ありやす。様々な自分を演じて──その役が合っていたらなら演じ続ければ良いわけですし、また女優を目指すにしても無駄にはならない‥‥あっしはそう思うっす」
「それは私や私を応援してくれていた祖父母の、今までの人生を否定しろということと同じよ。私が今しようとしていることと全く、何も変わらないじゃない?」
 自嘲の笑みを浮かべた鈴川は、僅かにフェンスから離れた。話を聞きながらじりじりと距離を詰めていた伝ノ助やユスカ、橘らから距離を取ろうとするかのように‥‥
「演じることは好きよ。けれど、あなた達が言っていることは自分を偽って生きることだわ。それくらいなら私は、死んだ方がマシなの!」
 長年の夢を手放し生き方を変えるには、彼女は年を取りすぎていた。
「そうね、その程度は想像力で補えるようにならなければ女優として名を馳せることはできないでしょうし」
 鈴川の想いを肯定したのは、羽曳野だった。腰に巻いたジャンパーと深くかぶった帽子が耳と尻尾を隠している。
「だからこそ、想像力を働かせられないとは言わせない。あなたが自殺したら、誰がどういう顔をするのかしっかりと考えて欲しいわ」
 周囲のことなど考えられないほどに追い詰められていた鈴川が‥‥提起され、始めて沈黙した。
 再び静寂が一同の上に覆い被さる中、遠くに聞こえていた緊急車両のサイレンが足元で消えた。
「‥‥通報したのね」
 やや敵意を滲ませた鈴川は、腰からベルトを抜き取りながら獣人たちを睨む。
 その表情に気圧されることなく、強く共感したフィアリスは鈴川に語りかけた。
「気持ちは何となくわかるけど‥‥それならなおさら死ぬのはよくないと思うな。これからどうするかはあなた次第だと思うけど‥‥なんとかして、今まで自分を蹴落としてきた人たちを見返してあげよう?」
 見返すほどに頭角を現すことが言うほど簡単なことでないのは、芸能界に関わる獣人たちが一番良く知っていた。獣人のためにも人間のためにも、人間は芸能界に踏み込むべきではない──WEAの主張は、確かに正しいのだ。理性では判断できる局面に於いては。
 けれどフィアリスは、理性でコントロールできない感情面でどうしても彼女を応援したかったのだ。
 それは水樹も同じことだった。警察官の下へ状況を伝える無線に聞き耳を立てていた水樹は‥‥警察の手から拡声器を奪い取った!
「馬鹿野郎っ、お姉さんが立つ舞台はそんな所じゃないだろう? 表現することで誰かが喜んでくれる舞台は必ずあるんだよ!」
 ──キミ、勝手なことをするな!
 ──返しなさい!!
 拡声器を取り返そうと伸びてくる腕から必死に逃れながら、拡声器を通じて頭上遠くの鈴川に訴えかける。
「子供や病院で読み聞かせたりとかさ、食べて行くには物足りないかもしれない。俺だって下っ端で華々しい仕事なんて貰った事ないよ。でも着ぐるみ劇団の人と一緒に子供に喜んで貰えたら嬉しかったんだよ」
 公務執行妨害だと実力行使にでる警察官の腕に抗いながら、勢いで鈴川を押し返そうとするかのように、声の限りに想いのたけをぶちまける!
「お姉さん、綺麗なのにこんなとこから落ちてぐちゃぐちゃになんてなるなよ。女優なんだろ? 飛び降りるんならちゃんとした役でやれよ! 辞めるんなら綺麗な花道辿って降りろよ!!」
 それが限界だった。数人がかりで取り押さえられては、流石の水樹も手も足も出ない。せめて邪魔にならぬように、促されるままに隅へと場所を移し、祈るように鈴川の姿を見上げた。
「女優として‥‥」
「あなたにとってはどうでも良いことかもしれないけれど、もしあなたが死んだら私は悲しい。それだけは覚えておいて」
 羽曳野の言葉が静かに鈴川を満たし、彼女は駆け寄った伝ノ助とユスカ、フィアリスの手を借りながら再びフェンスを乗り越えた。

 ──結局のところ、彼女は背中を押してくれる人が、自分を想ってくれる人が欲しかったのだろう。

 抱きしめた羽曳野の平心霊光を受け済まなさそうに頭を下げて人並みに消えていく鈴川の背を見送りながら、橘はそんなことを思う。
「私と彼女の生まれた場所が逆であったら‥‥いや、私に彼女ほどの強さがあれば、か‥‥」
 握った手に力が篭る。やり方は間違っていたかもしれないが、鈴川の心情を誰よりも理解できるのは小竹であったに違いない。
「私達も芸能界っていう世界でしか生きていけないから、そこで生きてるけど‥‥それは他の人を蹴落として生きてるんだよね。弱肉強食の世界って言ってしまえばそれまでだけど‥‥」
 複雑な色を浮かべたフィアリスに、羽曳野は小さく笑う。
「でも、芸能界で生きている人間も‥‥ほんの一握りとはいえ、存在することは確かよ」
「文字通り命懸けになってしまいやすけど、でも──鈴川さんならきっと、這い上がっていくんでしょうねぇ」
 伝ノ助もまた複雑な表情を浮かべた。応援はできない、できないが‥‥どうせ芸能界で生きる人間がいるのなら、彼女のような人間に生きて欲しい。
「この事件が切っ掛けで、色んなこと、吹っ切れると良いね‥‥文字通り生まれ変わって、さ」
 ユスカの言葉に水樹が頷いた。

 しかし‥‥関係者の胸に投じられた現実という名の一石は、それぞれの心に小さな波紋を残したのだった。