タイトル:Sorrowマスター:あいざわ司

シナリオ形態: イベント
難易度: 易しい
参加人数: 10 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2009/11/09 05:28

●オープニング本文


 どうしても、アニーにはやっておかないとならない事があり、彼女はマヘリアと、サウサンプトン郊外の墓地へと向かっていた。
 車窓の風景は、ただ視線を向けているだけの彼女には映っていない。レールの継ぎ目を踏む音が同じリズムで聞こえ、それがぐるぐると、アニーをまた思考へと引きずり込む。
 身内とか、同僚とかを失った時の感覚とは少し違う、と思う。もう少し、怒りに近い。
 それと無力感。アニーがやった事と言えば、シートに座っていただけだ。
「どうする? ご実家には寄ってみる?」
 マヘリアの言葉に、アニーは現実に引き戻された。
「うん‥‥」
 振り向いて少し考えて、曖昧な返事をする。視線はすぐに、窓の外へと戻った。

 執務室のドアを開けると、アニーは居なかった。ドアに掛けられた行き先ボードは、この所「不在」ばかりで、それ以外の表示を見ていない。
「済まん」
 偶然通りかかった事務官を呼び止める。アニーより一回り程年上に見える彼女は、エドワードが何か聞く前に、「シリング少尉は夜まで戻りませんよ」と答えて見せた。
 愛想笑いを見せる彼女に、エドワードは左手を少しだけ挙げて礼を言い、そのまま部屋の中に入る。
 よく整理されたデスクは、幾つかの調度品と電話、それから液晶モニタがあるだけで、そこに無造作に資料の束を置いた。
 他愛も無い資料である。過去の作戦の評価であるとか、射撃訓練の報告であるとか。別段、エドワード本人がわざわざ持参する程の物ではない。
 ここまで足を運んだ訳は、彼の手元のファイルにある。
 一連の事件に関する調査は、最初に見つけた小さな穴が、徐々に大きな穴へと変わっている。しかし、壁の向こうにある全貌はまだ見えていない。
 エドワードは少し考えてから、その「中間報告」のファイルを置いてゆくのを止めた。
 ファイルを抱えたまま踵を返し、アニー・シリングのネームプレートが掛かったドアをゆっくり閉じる。
 左右に視線を動かすが、廊下はしんとして誰も居ない。さっきの事務官に、アニーは夜の何時頃に戻ってくるのか聞けばよかったと、少し後悔した。

 そのアニーは、列車を乗り継ぎ、サウサンプトンの郊外まで出た所で、失敗した、とマヘリアと額を寄せていた。
 何故車を出さなかったのか、こんな時に限って駅前にタクシーの類は1台も居ないし、路線バスは恐ろしく本数が少なく、まだまだ暫く待たされる。
「思ったより元気じゃない?」
 とマヘリアに声を掛けられたのは、移動方法を探して駅前を駆けずり回っていた時。
「そうでもないよ」
 とアニーは答えた。実際そうでもないのだが、別の事を考えている間は、それに没頭できた。今ならば、タクシーを探して通りをうろうろする間。
 どんな顔をして少女の名前が刻まれた真新しい墓石の前に立てばいいのか、少女の両親と対面して何を言えばいいのか、そもそも行くべきなのか。
 考えは尽きないが、アニーは取り敢えず移動の足を見つけてから考える事にした。

●参加者一覧

/ クラーク・エアハルト(ga4961) / 空閑 ハバキ(ga5172) / フォル=アヴィン(ga6258) / アンドレアス・ラーセン(ga6523) / 神撫(gb0167) / 遠倉 雨音(gb0338) / フェイス(gb2501) / マヘル・ハシバス(gb3207) / 鳴風 さらら(gb3539) / サンディ(gb4343

●リプレイ本文

 神撫(gb0167)が愛車と共に走り出したのを、アンドレアス・ラーセン(ga6523)は無言で見送った。彼は、アニーとマヘリアを追ってあの少女の墓参りに行くという。
 同行する気はなかった。まだその時期じゃ、ない。

(真実が知りたい)

 焼け付くように思う。ハイジャック事件。犠牲者を出し、その場に居合わせた者の胸に重石のような何かを残した、あの事件の裏に隠されている筈の真実が知りたい。
 それまでは、墓参りには行けない。
 だが何もかも明らかになったら、その時は――そう思い、見送った愛車の上では神撫が、飛ぶように後ろへと流れていく景色を置き去りに、頭の中で色々思いを巡らせている。

(とりあえずアニーさん、マヘリアさんにくっついていくか‥‥)

 無事、アンドレアスから車も借りられた。あの日、凶弾に倒れた少女の家は調べてある、かなり交通の便の悪い場所だ。アニーとマヘリアは電車で行ったらしいから、きっと駅で往生している。

「だったらまずは、2人を駅まで迎えに出ますか」

 そう呟いて、神撫はアクセルを踏み込んだ。あの辺りの地図は全部、頭の中に入っている。





 遠倉 雨音(gb0338)はたった1人で、駅から続く道を黙然と歩いていた。途中、何度か車に追い越されたのにすらため息を吐き、車道から少し離れた遊歩道にそれる。
 あの日からいつも彼女の中のどこかにある事件――綿密に作戦を練り、行動したつもりだったのに、結局犠牲者を出してしまった。それはふとした瞬間にすぐ、雨音の心を暗闇に沈みこませた。
 あれから多少時間がたった今はそれなりに、その感情を表に出さずには済んでいる。だがそれだけだ。
 アニー達が墓参りに行くと、聞いた。それで初めて、或いは気付かないフリをしていた選択肢を与えられたように、雨音も墓参りに行こうと思った。
 けれど――アニー達と一緒に行こうとは、思えなかった。1人で居たかった。誰かに会って話をする、ただそれだけの事が驚くほど苦痛だった。
 だから雨音は今、少女の墓へと続く遊歩道をただ1人、歩いている。
 だが、不意に前を行く人影に気付き、雨音は足を止めた。僅かに視線を落とす。
 同時にサンディ(gb4343)も背後の雨音に気付き、ピタリと足を止めた。と思うとクルリと振り返り、勢いよく近寄ってきて、吐息がかかりそうな至近距離で雨音を睨みつける。
 吐き出したのは、抑え切れず、また抑える気もない怒り。

「なんで助けられなかったんだ!?」

 今にも殴りかかりそうにぶつけられた責めを、雨音は受け止めた。サンディに会えば、あの日の事を責められるのは解っていたし。
 責められる義務があるとも、思っている。だってあの時、飛び出そうとした彼女を止めたのは他ならぬ自分自身。なのに何も出来ないまま、犠牲者は出てしまった。
 それに、責任がない訳ないと思う。だからサンディの責めを無言で受け止める雨音に苛立ち、サンディはますます顔を近付け、怒りを吐き散らした。

「アマネがいながら、どうして犠牲者を出したんだ!?」

 雨音ならきっと大丈夫だと信用していた。なのに結局、最悪の事態になった。それを、裏切りだと思った。
 衝動のままに激しく、思いのたけをぶつけ責め立てるサンディの言葉に、雨音は表情を変えなかった。





(軍属ならば、とりあえず及第点と割り切れたのでしょうか。それとも‥‥)

 あの日の事を思い返し、フェイス(gb2501)はハンドルを握る手に力を込めた。
 今日ここに来ると決めた時点で、フェイスは先日の事件について調べていた。といっても新聞記事を幾つも並べ、読み漁った程度。最終的に死傷者は何人出たのか。犯行声明はあったのか。遺族への補償はどうなったのか。エトセトラ、エトセトラ。
 特に芳しい内容ではなかった。新聞記事だから当然なのだが。死傷者は複数、犯行声明は便乗犯を含む幾つかが、遺族への補償は交渉中。
 それは結果として、フェイスに煙草の本数を加速度的に増加させる以上の意味は持たなかった。それが余計にやりきれない。
 フェイスは今、レンタカーを借り、クラーク・エアハルト(ga4961)と一緒に、とある場所に向かっている。『彼女』の墓参り。
 不意にクラークが言った。

「フェイスさん、運転を任せて申し訳ないです」
「ハンドルを握っていた方が、少し気が楽です」

 フェイスは応えた。それは掛け値なしの本音だった。ハンドルを握り、車を転がしていた方が意識が紛れ、物思いに沈まずに済む。
 だが助手席のクラークがハンドルを握っていたら、物思いに捕らわれて、安全運転もおぼつかなくなっていただろう。

(どうして失われなくて済む命が失われるのかな)

 軍部や傭兵のように、己の命を賭ける事を選んだ人間は、覚悟は出来ている。いつか戦いの中で命を失ったとしても、それは悲しく苦しく辛い事だとしても、選択して差し出された命だ。
 だが。あの日、テロリストの凶弾に打ち抜かれた少女は。選んだ自分達の目の前で、選ばなかった少女は短い命を『散らされた』。
 物思いにふけるクラークと、意識して運転に集中しようとするフェイスを乗せたレンタカーは、やがてとある町に入った。少女の墓の場所は、調べてある。
 不意に、どちらからともなく声を上げた。

「あれはアニー少尉?」

 少女の墓へと続く道を歩く女性の後姿は、確かに既知のものだった。ならば、その隣に居るのはマヘリアだろうか。
 どうやら今日は、誰も彼もが揃って墓参りをする日らしい。





 高速移動艇の発着場で、空閑 ハバキ(ga5172)は親友を待っていた。彼は直前まで依頼でフランスに居て、戻ってきたばかりだ。
 その発着場で、行き過ぎる人の中から、ハバキは親友のアンドレアスの姿を探す。
 この所、アンドレアスは沈んでいた。多分、否、確実にその原因は、先日のハイジャック事件だ。
 だが実際に現場に居合わせなかったハバキに判る事といえば、親友が飛行機の中で誕生日を迎え――だがハイジャックに巻き込まれたという以上にアンハッピーなバースデーを過ごした、という事実。後は親友の酷い顔と、ULTで参照出来る報告書と、想像力で補った。
 だったら、落ち込む親友にハバキは一体、何が出来るだろう?
 やがて、ようやくハバキが親友を見つけたのと同時に、アンドレアスもまた親友の姿を見つけた。当たり前だが、変わりない顔がアンドレアスをまっすぐに見ている。
 それに、ふと‥‥言葉に、詰まる。元気かとか向こうはどうだったとか疲れてないかとか、自分の身に起こった事件やもっとたくさんの迷いや悩みや愚痴や弱音や、そんな言葉が瞬間、頭の中から消える。

「‥‥アス?」
「うん」

 自分を呼ぶハバキの言葉に、頷きだけ返して抱きついた。多分、今、自分は泣きそうな顔をしている。
 それを判っているのか、ハバキはそれきり何も言わず、黙ってされるがままになっている。やがて、ポン、と背中に手が回った。ポン、ポン、とあやすように動く。
 きっと――ハバキだけは何があっても自分を拒否しないんだろう。アンドレアスはそう思い、顎の下にある親友の頭に顔を埋めた。甘えている自分を自覚して、でもそれで良いと思った。





 マヘル・ハシバス(gb3207)は連隊本部で、過去の作戦の評価資料を閲覧していた。自分で淹れたコーヒーを相棒に、過去の作戦の資料を読み漁っている。
 折々、今までの作戦で亡くなった者の名前が出てくるたび、マヘルはその名をブレーメンの箱に刻んだ。敵も、味方も、民間人も、テロリストも。それは感傷だと思い、そうじゃないと思い直す。それを繰り返している。

(あの時)

 テロリストに連れて行かれた少女がどうなるか、予想しながらマヘルは手を伸ばす事ができなかった。言い訳なら幾らでもつけられるだろう。でもそれは結局、言い訳に過ぎない。
 ため息を吐き、コーヒーを喉に流し込んだ。あの時からマヘルの頭を離れない思いがある。結局あの時、彼女は自分の安全のためにあの子を見捨てたのだろう、と。無力な少女の命より、自分を守ることを選んだのだと。

(そんな私がこれから何ができる‥‥)

 マヘルは深い想いに沈む。そうしてまた、思い出したように資料をめくり始める。





 雨音とサンディの様子を、フォル=アヴィン(ga6258)は少し見つめた。剣呑な雰囲気。サンディが一方的に雨音を責め立てている。
 しばらくしてからようやく、口を挟んだ。

「犠牲が出た件について、責められるべきは俺の方でしょうね。引き延しを進言したのは俺ですし。その結果、犯人にあの選択をさせてしまった訳ですから」

 その言葉をサンディがどう取るかは承知していた。雨音を庇う気でもない。ただ、サンディが怒り、その矛先が自分に向けば良いと思った。
 案の定、サンディは視線をフォルに向け、拳にグッと力を込めた。これはかなりきてるな、と冷静に考える。
 だがフォルに矛先を向ける前に、サンディはもう一度だけ雨音の顔を見る。雨音はやはり、表情を変えないままフォルを見て。グッ、とサンディはフォルを睨み据えた。

「なんで、彼女を助けられなかったんだ!?」
「後悔がないと言えば嘘になります‥‥ただ、間違っていたとは思っていません」

 最後に付け加えた一言に、サンディの瞳が怒りに燃え上がるのをフォルは見て、かすかに笑う。狙い通り、だ。
 ヒュッ、と風を切る平手をフォルは見切り、そして避けなかった。パンッ! 夏の空に、派手な音が響く。それはサンディが持ち、今の自分は持たない真っ直ぐな正義感を示していた。とても尊いものだとは、思えるけれど。
 たちまち熱を持ち始めた頬をかすかに歪め、すみません、と呟いた。何に対する謝罪なのかは彼自身にも不明だった。わざと怒らせ、殴らせた事かもしれないし、それ以前の事かもしれなかった。
 フォルは流れる仕草で時計を見、わざとらしく目を見開く。

「ああ‥‥用事があったのを忘れてました。それでは俺はこれで――貴女は、是非そのままでいて下さい」

 最後に囁いた言葉に、サンディはわずかに目を見張った。彼女は愚かな人ではない。それで、すべてが通じただろう。
 サンディは去っていくフォルを見、親友を振り返った。雨音は出会った当初から変わらぬ表情のまま、親友を見返した。それに、殺がれた筈の怒りがこみ上げる。
 視界が真っ赤に染まった。衝動に任せてサンディは再び平手を放った。パンッ! 小気味良い音が空高く響く、その音にはっと我に返る。
 雨音を見た。彼女が打った頬は、たちまち真っ赤に染まった。それを見て、後から後から沸き起こる後悔に苛まれるサンディに、ポツリ、雨音が呟いた。

「あれから‥‥毎日のように思うんです。あの時、何か逆転の一手はなかったのかって」
「‥‥‥?」
「私たちは能力者なんだから。武器がなくても、その気になれば映画のヒロインみたいに華麗に立ち回ることだってできるはずだって。――そして、そんな考えをする自分を、冷めた目で見ているもう一人の自分がいる。馬鹿ですよね、私。本当に」

 自虐とも、ただの独白とも取れる呟き。応える言葉を見失い、サンディは友人の顔をじっと見つめた。雨音は、視線を逸らさなかった。
 ガクガクと足が震えた。ポロポロポロと涙が流れ出し、拭う事を思いつかなかった。雨音が息を呑む。

「ごめん‥‥わかってるよ。あなた達が悪いんじゃない」

 サンディはそう、搾り出した。雨音の戸惑いが伝わってくる。
 あの時、少女が短い命を散らせた。それを思うたび、サンディの胸は怒りと悲しみに染め上げられる――けれども、その場に居た雨音達が精一杯頑張った事も、出てしまった犠牲に胸を痛めている事も、解っている。
 それでも怒りを吐き出さずには居られなかった、自分は。

「私、何でこんな馬鹿な事を‥‥ごめんなさい。私のほっぺたも叩いて」

 雨音の赤く染まった頬に手を当て、泣きながら謝り、そう言ったサンディに、雨音は首を振る。サンディは、謝るべきことは何一つしては居ない。
 だがサンディは引かず、雨音は少し困り顔になる。そうしなければ自分の気が済まないからと押し切られ、ならば、と平手を振り上げた。パンッ! 響く、乾いた音。
 そのまま、ふわりと親友の体を抱きしめた。肩に顔を埋める。

「ありがとう‥‥そして、ごめんなさい。今、相当酷い顔をしてると思いますから。少し、このままでいさせて下さい――」

 それきり、黙って動かなくなった親友の頭を抱いて、サンディはまた涙を零した。





 墓標立ち並ぶ墓地へと消えて行った4人を、フェイスは車に身体をもたれさせて見送った。4人、だ。アニー、マヘリア、クラーク、そして駅まで行ったもののアニーと会えず、墓地の入口で上手く合流出来た神撫。
 シガレットを取り出して火をつける。キツ、と吸い込んだ紫煙を吐き出し、夏の空を見上げた。
 傭兵稼業は仕事だと、完全に割り切れたらこんな、重い気持ちを抱えずに済んだのかも知れない。だが、そう出来ないからフェイスは残り、彼らは行った。そういう事だろう。

(今回の件は、出来る限り『次』に活かします)

 彼は能力者であってもスーパーマンではない。だからそう思い、次こそは、と誓うくらいしか出来ない。
 それを――少女の墓前でわざわざ伝える事でも、ない。だってそうだろう、彼女には関係のない話だ。
 『彼女』には、誓うべき『次』はもう、永遠に訪れはしない。
 それでも、それだからこそクラークは、少女の墓前に立たずにはおれなかった。

(‥‥スコープ越しに見えた光景は、忘れることはないでしょう)

 それは彼と同じく神妙な表情で真新しい墓標を見つめる3人も同じだろう。あの日、彼らが無力な存在に過ぎないのだと、突きつけられたのは皆、同じ。
 何も――ただ、その死を見つめるしか出来なかった。あの日も、それ以前、クラークが軍に居た頃も。
 アニーもまた無言で墓標を見つめていた。どう声をかけて良いものか、神撫はそんな彼女の固い横顔をチラ、と見て迷う。
 励ましたいと思いはしても、かけるべき言葉が見つからない。あの日、何も出来なかったのは神撫も同じだ。その彼に、一体何が言えるだろう?
 結果として、クラークが備えた花束の傍らに、神撫が黄菖蒲を添えながら「守ってあげられなくてごめん」と口の中で呟いたきり、彼らはただ無言だった。無言で少女の冥福を祈り、無言でその場を離れた。
 車に戻るとフェイスが紫煙を燻らせていて、静かな表情でクラークに軽く眉を上げた。軽く手を上げて応え、自分もくれ、と所望する。差し出される箱から一本抜き取り、銜えて火をつけた。
 キツ‥‥吸い込んだ紫煙に、眩暈がする。

「ああ、やっぱり自分の好みではないな‥‥煙が沁みて涙が出てきますよ」

 言い訳だと解っていたが、誰も何も言わなかった。





 アンドレアスとハバキが連隊本部に到着した時、ちょうど鳴風 さらら(gb3539)が入り口をくぐる所だった。こちらを振り返って、遅いじゃないの、とでも言いたげな表情になる。
 真実を幾許かでも握っているとしたら、それはエドワードだろう。そして間違いなく彼は、一筋縄では行かない相手だ。

「いつも通り腹芸はアンドレアス先生に任せるわよ」

 当然のように言い切るさららに、当然のように頷く。ふん、と鼻を鳴らしてつかつか歩く――墓参りも、後悔にひたるのもガラじゃない。
 だったら行動あるのみ、だ。
 幸い、エドワードは自室に居て、彼らの訪問をはなから知っていた様子で出迎えた。まぁ知っていたのだろう。本部には並以上のセキュリティはあるのだし。
 あからさまに不機嫌なさららと、最低限の友好的態度は保ったものの目が笑ってないアンドレアスと、ついてきたハバキをちろっと見て、エドワードは手にしていた書類をデスクに置いた。

「用件は何かね?」
「そちらも判ってる事だろう」

 やり取りを、苛々しながら聞く。今すぐにも爆発しそうな感情を抑えるのは大変な苦労が要った。何しろ彼女は最近、この一年ばかりで一番不機嫌だ。理由など、あえて口にするまでもない。
 それはエドワードにも判っている筈だった。いい加減、彼女達は短い付き合いではない。それでも簡単に情報を吐かない男は、軍人としては最高で、交渉相手としては最悪だった。
 知りたいのは、彼と軍部が現在掴んでいる情報。何故ハイジャック犯はアニー達があの機に乗り、能力者達が同行している事を知っていたのか。結局、彼らの真の要求、或いは目的は何だったのか。PMCとハイジャック犯に繋がりはあるのか。欧州開放同盟とエヴァンスの関係は掴めたのか。
 交渉は遅々として進まず、のらりくらりとかわすエドワードと、段々余裕を失う親友と、その後ろで今にも暴れ出しそうなさららを見比べて、ハバキはふと思う。

(‥‥十代、か。そりゃ、きつい‥‥よな)

 それが今の2人の行動原理になっている事は、疑う余地もない。そして、本当ならショックを受けて打ちひしがれても良い状況にあって、アンドレアスはそれでも自分を言いくるめ、顔を上げる為の理由の一つにしてしまったのだろう。
 少女の為と言いつつ、実は自分の為。それをきっと、親友は嫌悪しているにも違いなく。だが何を置いても守りたい物がある以上、彼は決して立ち止まらず、立ち止まらない為の理由を生み出し続けるのだろう。

(まったく、手間の掛かる大人だな)

 お互いに、とハバキは苦笑いし、交渉の行く末を見守った。





 フォルが姿を現したのは、4人がその場から離れ、それぞれの車が走り去ってしばらくしてからだった。まだ新しい墓標を見て、供えられた瑞々しい花を見る。
 墓地で煙草を吸う非常識は承知していた。承知していて、でも今この瞬間たまらなく紫煙を胸一杯吸い込みたかった。
 あの日の判断は正しかっただろうか。突入を遅らせ、交渉を引き延ばす事で犯人が苛立ち、乗客に犠牲が出る。それはまったく予想外だった訳ではなく、と言って早期決着を図れば軍部と能力者の動きがあちらに伝わり、それ以上の惨劇になったかも知れず。
 総ては想像で、その中で何かを得る為に、差し出す犠牲を選ばざるを得ない。総てを守り抜ける程に、この手は万能じゃない。
 だから、大切なのは何を優先するかで。友人なら、何を選ぶだろうと思う。そして、自分は‥‥?
 持って来た花を、先にあった花束の隣に置いた。

「すみませんでした。貴女を助けられなくて」

 新しい墓標に、囁く。

「そして、ありがとう。貴女のお陰で、多くの人が助かりました」

 総ては結果論と言え、彼女と言う犠牲があったからこそ、あの事件は僅かな犠牲を払っただけで解決したのだと、思う。僅か――それは残った者の身勝手な論理だと、少女は怒るだろうか。
 もし殴られるなら、その時は素直に殴られよう。もっとも、自分が天国に行けるとは思わないが。





 マヘルは資料の山の中で、勤めて冷静に情報を分析しようとした。

(おそらく私は自分自身を犠牲にして戦うことができない)

 味方、作戦、装備。それらが揃って初めて戦う事ができる、そんな人間なのだと思う。何を置いても、自分を捨てても戦う事が出来るなら、あの時手を伸ばせた筈だった。
 それは自己評価で、今更落ち込む事ではない。落ち込んでも良いが、そこで留まってはいけない。
 そして、敵――彼女の前に今まで立ちはだかってきた数々の犯人。こうして比較してみれば、それは所詮、信義なんて言葉に踊らされた本当の敵の駒に過ぎない、と感じられた。それはある意味、被害者だ。信じていたものに、最初から裏切られている事に気付かない道化。
 ならば、その後ろに居て人の心を利用し、自分の駒とする人間こそが、彼女が戦うべき本当の敵、と言う事だろう。どれ程甘い言葉を囁いても、結局は駒だ。役を揃えるのに必要なら、不要なカードはあっさり切られる。
 つまり、誰かがポーカーを楽しんでいる、その場の上で捨てられる哀れな駒と、彼女は今まで戦ってきた。それに気付いた瞬間、彼女は唇を噛み締める。

(そんな人間を、私は許したくない)

 この世に、不要なカードなど存在しないと言う事を、思い知らせてやりたい。





 その家の玄関の前でしばし、アニーは立ち竦んでいた。実際には何がしかの決意を固めていたのだろうが、傍から見れば立ち竦んでいるようだった。
 神撫が、勇気付けようと頭をぽふっと叩く。彼はここに居るから、と。
 少し振り返り、頷いたアニーはベルを鳴らした。出てきた、面やつれした女性に深々と頭を下げる。それに最初、疲れたように応対していた女性は、アニーが所属を名乗るや否や見る見る顔を強張らせ、青褪めさせた。

「あなた達の、せいで‥‥ッ! 一体うちの娘がどんな罪を犯したというの‥‥ッ!?」

 軍部は私達を守るのが仕事でしょうどうして娘が死んであなた達が娘がどんなに痛かったか輝く将来があったのにあの子を返して返して返して返して‥‥ッ!!
 息をするのも忘れたように罵声を浴びせる、少女の母親は、きっと彼女が生きていたらこんな風になったのだろう、と思わせる顔立ちだった。それを確かめる事は、永遠に出来ないが。
 何か言おうと息を吸うアニーの前に、神撫は庇うように立ちはだかった。はっとアニーが見上げ、いぶかしそうに女が睨む。

「予想が外れました。こちらの不手際です」

 深々と頭を下げる神撫に、女の顔が怒りに歪んだ。不手際。そんな言葉で、彼女の娘の死を片付けようと言うのか。
 女が神撫に、その傍らに無言で立っていたクラークに掴みかかった。綺麗に伸ばした爪が頬を切り裂き、引っかく。誰かの悲鳴が上がったが、それでも2人は動かなかった。
 ――きっと。母親もまた、ようやく存分に怒りを吐露出来る相手を見つけ、箍が外れている。まして相手が見るからに戦いを知っている男となれば、遠慮も吹っ飛ぶだろう。
 アニーでは存分に怒れない、それは彼らの役目だった。現場に居たのは彼らも同じだ。軍部に総ての責任を負わせるのは厚顔無恥が過ぎると言うもの。
 クラークが言った。

「何を言っても、現実は変わりません。自分は何も出来なかった。その事を変える事は出来ません」
「申し訳ありませんでした」

 神撫がもう一度頭を下げる。女の興奮はまだ冷めやらず、毛を逆立てる猫の様に訪問者たちを睨みつけている。
 そこに、新たな訪問者が現れた。仲直りした2人の少女――サンディと雨音だ。彼女達も、やはりご家族に謝罪をと、手を取り合ってやってきたのだけれど。
 申し訳ありませんでしたと、頭を下げる人々に、家の中から出てきた中年男性が静かな声色で言った。

「もう結構。これ以上の謝罪は不要です。娘は戻りませんし、妻は疲れている。お引取り下さい」

 静かだが、拒絶の響きを持つ言葉だった。ハッ、と顔を上げた彼らが見たのは、子供のように泣きじゃくり始めた妻の肩を抱く夫の、失望の眼差し。
 彼は一言も文句を口にせず、ただ娘を守れなかった軍部を、能力者達を一瞥して、家の中へと消えていった。それはどんな責めよりも胸を抉る。
 アニーが悄然と、固く閉ざされたドアを見つめた。ぽふ、とまた神撫が頭を撫で、マヘリアがしょうがないわとため息を吐く。

(自分は忘れません。少女の事を。昔、救えなかった少女の事を。亡くなった人達の事を)

 クラークは胸の中で呟いた。せめて彼に出来る事といえば、それ位しか思いつかない。忘れず、忘れず、忘れない事しか。
 これから本部に戻るという面々と別れ、雨音とサンディは彼らとは逆に、少女の眠る墓地へと足を向けた。まだ新しい墓標の前には、幾つかの花が供えられている。
 ひざまずき、祈りを捧げた。彼女の死を嘆く母親と、失望の眼差しを向けた父親を思った。あんなにも愛された少女は今、墓標の下で眠っている。
 ポツリと、雨音が呟いた。

「――あんな思いは‥‥もう二度と、したくありません‥‥」
「私も同じ思いだよ。もう二度と犠牲者は出させない」

 サンディが力強く応えた。自分の無力に打ちひしがれるのは、目の前で何も出来ずに誰かを死なせるのは、何も出来なかったと悔やむのは、もう嫌だ。
 だから。

「行こう、アマネ。私達の戦いは、まだ終わってはいないよ」

 促した親友に、雨音は頷いた。そして連隊本部へ戻るべく、花揺れる墓標に背を向けた。





 もういい加減、さららはぶち切れていた。

「私達傭兵に求められる役割があるなら言ってもらいたいんだけど。っていうか、言いたくないとは言わせない」
「ほう?」

 選択を突きつけるさららを見て、面白そうに両手を組む男にまた苛立ちが募る。この期に及んでもまだはぐらかす男に、純粋な怒りを覚えた。
 性格は好きじゃないけど、この男の腕は買っている。だが腕は買っているけれど、やっぱり性格は好きじゃない。
 未だになかなか表に出てこない相手を、掴んでいるならこの男以外には考えられない。奴らに一泡吹かせられるんならなんだって乗ってやるという気迫で臨んだにも拘らず、結局エドワードは有益な情報は吐かなかった。
 先ほどから幾人かが、エドワードを訪れては能力者達の気迫に回れ右をして去っていく。その中で、少しも動じた様子を見せない男はやはり、軍人としては最高で、交渉相手としては最悪だった。
 いい加減、頃合だ。何よりさららがもう持たない。
 次こそは有益な情報を引き出して見せると、さららとアンドレアスは気炎を吹き上げてエドワードを睨みつけ、男はやっぱり何でもないようにデスクを立って扉まで見送った。
 アンドレアスが睨みつける。

「俺はたぶん永久に、アンタみたいなプロにはなれねぇわ」

 エドワードは少し興味を惹かれたように眉を上げ、だがそのまま扉を閉めた。けれども、意味は伝わったのだろう。
 これは敗北宣言じゃない。宣戦布告だ。軍部は今後、素人の私怨を敵に回す事になるのだ。
 ふんっ! と盛大に顰めツラをして閉じた扉を睨みつけたさららは、だがそうしていても事態は進まないと思い、とりあえず組んだ腕は解いた。そうそう、とアンドレアスを振り返る。

「どーでもいいけどアスはあんま引き摺るんじゃないわよ。見ている私がイライラするわ‥‥忘れろとは言わないけどね。後悔しすぎてどっかで足を取られても知らないわよ」
「ああ、そうだな」

 気をつけよう、と頷いたアンドレアスに肩をすくめて、じゃあね、とさららは手を振り、本部を足早に出て行った。きっと、この場に居たらまた腹が立って仕方ないのだろう。
 実際自分もそうだし、と髪をかき上げる親友を、ハバキは見上げた。

「アス――誕生日、祝い損ねてたよね」

 ん? と意外そうな顔になった親友に、ハバキはハバキに出来る事をする。その場に居なかったハバキがアンドレアスのために出来る事は、多くはないけれど。

「今日は俺の奢り。たまには外で飲もう」

 努めていつもの調子で誘ったハバキに、アンドレアスはそうだな、と頷いた。それが親友形の気遣いだと理解出来ないほど、冷静さは失っていない。
 本部を出て、目に付いたショットバーに入る。あえてカウンター席で。メニューも見ずに、まずはお気に入りのアルコールをバーテンに告げた。
 放っておいてもきっと、アンドレアスは1人で立ち直れるのだろう。でも何が命取りになるか分からない時世だから、膿まない様に傷は早く治した方が良い。そして傷を舐め合うのは、弱さじゃない筈だ。
 アルコールはいつも以上に意識を酔わせ、らしからぬ愚痴もたやすく口の端に乗せる。

「手が届く全てを護るって誓った、のに」

 何を置いても守りたい彼の居る、この世界を何を置いても守るのだと。それだけがアンドレアスの戦う意味で、生きる意味で。
 それなのに、彼はあの時、何をしていた? やるだけをやった? 仕方なかった?

「できた事は山ほどあったハズだ‥‥畜生!」

 グラスをカウンターに叩きつける。至近距離で9mm食らって何ともない身体は、少女の盾になれはしなかったか。他にも多くの者を守る事は出来たはずじゃなかったのか。
 でも、何も出来なかった。そして少女は死んだ。殺された。アンドレアスは、守れなかった。

「誰か。それでも居ていいって、言ってくれよ‥‥」
「‥‥良いよ。アスは」

 ここに居て良いんだよ、とハバキは頷く。たやすい慰めではなかった。普通なら超人じみた身体を持っていて‥‥それでも悩む親友の人らしさが、嬉しかった。親友が親友である理由でもあった。
 アンドレアスが言いたいなら、愚痴は全部聞こう。まずい話なら聞き流そう。そうして彼だけは、親友の傍に居よう。

(はじまりの日が、最悪であればいい)

 そう甘くはないだろうけど、せめて、願う位は許して欲しいと思った。





 アニー達を基地まで送り届けたら、時間はもう夜だった。今日はありがとう、と気丈に笑う彼女に、こちらこそ、と神撫はおどけた礼をする。
 帰りの車の中で、つい、弱音を吐いた。
 最近、彼が依頼に出ると、誰かが死んでいくような気が、する。それはデルタの3人だったり、将来が楽しみな後輩だったり。
 それはまるで、自分が疫病神として、彼らを殺したかのような錯覚を神撫に与えた。だからつい、呟いた。きっと、アニーなら何か言ってくれるかもしれないという期待も持って。
 けれども、言葉はすぐには返ってこなかった。しばしの沈黙の後、「ごめん、今の忘れてっ」とおどけた彼に、アニーは困った顔で微笑んだ。

「神撫さんは疫病神なんかじゃないです。それ以上にもっとたくさんの人を救ってきたでしょう」
「それはそのままアニーさんにも当てはまるんじゃないかな?」

 アニーが首を傾げるように言った言葉に、そう切り返す。きっとアニー自身も今、そう言う錯覚にとらわれているのじゃないか、という気がした。だから彼女が自分に自信が持てるように、自分を見失わないようにで。
 アニーはしばし、目をしばたたかせて考えていた。だがやがて、ありがとうございます、と言った。





 レンタカーを返したフェイスは、時間を確認した。どうやらまだ大丈夫なようだ、と目に付いたパブに入る。
 アンドレアスやさららがエドワードを尋問に行ったことは知っていた。その結果を聞ければとも思ったが、彼らはすでに帰ったとの事だった。
 ならば仕方ない、と特に感慨もなく、パブの片隅でグラスを傾け、紫煙を燻らせる。約束はないし、誘っても居ないから、彼は今1人だ。
 これは、区切りの為の酒だった。次の一歩を踏み出す為に呑む、酒。
 生きている内は、踏み出す。踏み出し続ける。そう、この稼業を選んだ時から、決めている。
 だからこれは次に踏み出すための酒だと、呟いてグラスを傾けた。アルコールが喉を焼くのが、酷く心地よく感じられた。





 変わらなくてはいけないのだ、とマヘルは自分に言い聞かせた。同じ事を繰り返すわけにはいかない。起こってしまった事を悔やんでも、繰り返してはいけない。
 今でも、目を閉じれば脳裏に浮かぶ、あの子の絶望の顔。それを忘れることは、絶対にないだろう。手を差し伸べなかった自分を、忘れはしないだろう。
 だったら、マヘルができる唯一のことは、全部背負って無理やりにでも笑って生きる事だろう、と思う。ただの自己満足だとしても、マヘルにはそれしか出来ないのだから。
 だから少女の事は、何があっても忘れない。あの絶望を思い、飲み込んでなお、少女の分まで笑って見せるのだ。
 そう、マヘルは最後に結論付けて、資料の束をデスクに戻した。いつの間にか、月がさやかに輝いていた。

(代筆:蓮華 水無月)