タイトル:【D3】Contactマスター:あいざわ司

シナリオ形態: イベント
難易度: 難しい
参加人数: 29 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/07/21 02:33

●オープニング本文


 ジュニアにとって、父の職場はいつでもおもちゃ箱のようだった。見た事の無いKVに見た事の無い車が並び、ジュニアの男の子である部分をくすぐる。
 目を輝かせて歩くジュニアは、それでも闇雲に駆け出したりはしなかった。彼の後ろをとことこ着いて歩くシャーリーの為で、ジュニアは兄としての自覚を芽生えさせていた。
 おもちゃ箱を前にしたジュニアに、アニーはいささか慎重でお姉さん過ぎて、ジュニアと同じ目線に降りてきてくれるマヘリアがお供に選ばれたが、当のマヘリアは時折うんざりした視線をアニーに投げてくる。
 彼らの母親は、展示されるKVに見入るジュニア達から少し遅れて、アニーと並んで歩いていた。
「わざわざ済みません、お休みなのに」
「いえ、とんでもないです」
 所謂基地祭、と云うやつだ。装備品を展示したり、訓練風景をデモンストレーションしたり、そこへ地元の住民だとか関係者の家族を招待する、よくある点数稼ぎ。
 ウッドラムの職場だが、当のウッドラムは居ない。招待されているのは彼の家族だけだ。
 来るな、と云われた訳ではないが、居ないのはエドワードの判断で、代わりにアニーとマヘリアがここに居る。
 虎口に飛び込むには、ウッドラム本人は目立ちすぎ、かと云って家族だけでは無用心すぎた。
「ウッドラム夫人ですか?」
 不意に声を掛けられ、アニーは振り向く。知らない男の顔。夫人と目が合って、彼女は首を横に振った。夫人も、目の前の男を知らないらしい。
「ああ、大尉の部下です。いつもお世話になっています」
 不審そうな二人に気づいたのか、男は名乗りもせずにウッドラムの部下だと告げた。
「別室でお茶を用意しています、よろしければどうです? 一息吐かれては」
 男は無遠慮に二人を眺めた後、展示されたKVの前ではしゃぐジュニアに視線を移す。
「そちらのお子さん方と、それから‥‥少尉殿も、ご一緒に」
 言うだけ言って返事をする暇も与えず、男は背中を向けて歩き出す。
 アニーが軍人である事を知られていた。振り向いて、こちらの様子を窺っていたマヘリアと目が合う。
「大丈夫ですよ、行きましょう」
 酷く不安げな夫人を促してから、アニーは歩き始めた。大丈夫な訳が無い。嫌な予感しかしない。

 ドアノブに手を掛けた時に感じた妙な違和感の正体は、室内からだった。ドア越しに、微かに物音がする。
 ロベルトがこのセーフハウスを使っていたのはここ数日だ。尾行されている気配は無かった。となれば、場所は全て割れていて、手当たり次第に探りを入れられているのか。
 懐から四十五口径のダブルアクションを取り出す。それから左手で、ゆっくりとドアを開ける。
 コソ泥の類であればどれ程良かったか。デスクを探っていた男と目が合う。ロベルトと、同じ目つきをしていた。
 トリガーを引いた重い衝撃が右手を走り、男の体がぐらりと揺れる。
 一発目が胸を穿ったのを見て、立て続けに三発放ち、ドアの陰に身を潜めた。男の体が崩れ落ちる音と、部屋の奥からもう一人、駆けてくる音を聞いた。
 男は倒れた仲間の息が無いのを確認すると、腰から拳銃を抜いて、デスクの陰に体を入れた。そのまま、どこかに潜んでいるであろうロベルトへ向けて、声を張り上げる。
「同志ルバノフ! 落ち着いてくれ、我々は君に害意は無い!」
 なるほどそういう事か、とロベルトは理解した。本名を知られている。恐らくヴォルコフの手引きだろう。諜報官時代からずっと使ってきたセーフハウスも何もかも、今や筒抜けなのだ。
 害意は無いとほざいて本当に無かったケースを、ロベルトは知らない。ドアの陰から廊下へ素早く転がり出ると、半開きのままのドアを勢い良く閉めた。
 ドアは大きな音を立てた後、反動でゆっくりと開いてきた。蝶番が小さく軋むのに合わせて、室内から足音が近づく。
 銃口をドアに向けて、ロベルトはノブを見つめる。やがて大きくなった足音が止まり、ノブが微かに動いた。
 間髪を入れずトリガーを引く。四十五口径は合板のドアを破り、男の体に刺さる。
 空になったマガジンを抜いて、穴の開いたドアを動かす。横たわる男の顔は、ロベルトの記憶には無かった。
 荒らされた室内に入り、現金と予備のマガジン、それから身元が割れそうなカード類をかき集める。
 もうヨーロッパ中見渡しても、安全に使えるセーフハウスは無いだろう。警察の手配も回っている筈で、恐らく空港も港も駅も、全てのターミナルは危険と看做すべきだ。
 となれば。

「はい、ウッドラムですが」
 返事は無い。
「もしもし?」
 時計を見る。午後二時。愛する妻と子供達が帰って来るには、まだ少し早い。
『ウッドラムさん?』
「そうですけど、どなた?」
 声に聞き覚えがある気がして、ウッドラムは記憶を探る。が、次の言葉で思考は途切れた。
『グレン・エヴァンスについての重大な情報を提供したい』
「どういう事だ? 誰だ貴様?」
『ロベルト・サンティーニと名乗っておく』
 思わず取り落としそうになる受話器を押さえる。
『取引をしたい。情報を提供する代わりに、こちらの要求を受け入れて欲しい』
 ウッドラムは一度深呼吸をする。電話の相手がロベルト本人かどうかは分からない。が、悪戯にしては手が込んでいる。
 もう一度深呼吸をする。だいぶ落ち着いてきた。相手のペースに、乗せられる訳にはいかない。
「何が目的か知らんが、取引などには応じられない」
『ウッドラム、君には選択肢は無い。今君の家族は、君の職場に居るだろう。それから永年君が相手にしてきた連中が、交渉を始める時にはもうトリガーを引いた後である連中なのを、君はよく知っている筈だ』
 また、受話器を取り落としそうになる。
「俺の家族は関係無い、どうする気だ!」
『私がどうこうする訳ではないよ。ただ危険な状況にあるのは確かだ。それを含めて、情報を提供したい‥‥その為の取引だ。いいな?』
 受話器を抱えたまま、ウッドラムは電話口の声を、黙って聞いている。
『セーフハウスを用意して欲しい。君の元職場で使っているものを。そこで話そう。話し終えたら、海外へ脱出したい。安全が保障される住まいと、そこまでの移動手段だ』
 ウッドラムに何か言う隙を与えず、声の主は喋り続ける。
『場所の選定は任せよう。こちらからは時間だけ指定させて貰う。それから、警察を介されては困る。全て、君の元職場で手配してくれ。‥‥三十分後に、また電話する。それまでにセーフハウスが用意出来なかったり、或いは要求そのものが受け入れられない場合は、取引はナシだ。いいな?』
 そこまで一気に告げると、電話は切れた。
 通話の切れた受話器を置くと、ウッドラムはそれをもう一度上げた。妻と、子供達の顔が、彼の脳裏に過ぎる。

●参加者一覧

/ エマ・フリーデン(ga3078) / 藤村 瑠亥(ga3862) / OZ(ga4015) / UNKNOWN(ga4276) / クラーク・エアハルト(ga4961) / 劉・宵月(ga5163) / 空閑 ハバキ(ga5172) / 緋沼 京夜(ga6138) / アンドレアス・ラーセン(ga6523) / クラウディア・マリウス(ga6559) / ロジャー・藤原(ga8212) / 植松・カルマ(ga8288) / 鈍名 レイジ(ga8428) / 優(ga8480) / リュドレイク(ga8720) / 神撫(gb0167) / 遠倉 雨音(gb0338) / ティル・エーメスト(gb0476) / フェイス(gb2501) / マヘル・ハシバス(gb3207) / 鳴風 さらら(gb3539) / シァン・ツァイユン(gb3581) / レオン・マクタビッシュ(gb3673) / サンディ(gb4343) / 犬彦・綬陀矢(gb4825) / 杠葉 凛生(gb6638) / 楽(gb8064) / ムーグ・リード(gc0402) / アローン(gc0432

●リプレイ本文

 眼前に現れた、ずっと追い続け、ずっと翻弄されて来た男の顔を見て、一同はどう思ったろうか。
 悪役と評するには余りに普通で、冴えない初老の男でしか無いこの男に、どんな印象を抱いたろうか。
 やや後退した額と、線の細い体の作りと、「ロベルト・サンティーニ」の片鱗を想起させるものは、殆ど無い。
 唯一の例外は眼だ。視線は鋭くぎらぎらと光り、何物をも見逃さない狡猾さが、そこにはあった。



「突然申し訳ありません少尉殿、実は司令がぜひお会いしたいと」
 事務官らしき男が喋るのを、アニーは黙って聞いている。
「何せ、少尉殿もご存知の通り、親バグアだとかいろいろ――」
 つい先日統合があったばかりのこの企業は、一度親バグアであるとして事件になった。それはアニーもよく知っているが、どうやらその弁明をしたいらしい。
 妙な事をするものだ、とアニーは思う。今の所、子供達は無事だが、気は抜けない。

 退路を確保するため、駐車場に残る瑠亥と別れて、他の面々は会場へ散った。
「それ、一つ貰えますか」
 売店に立ち寄ったフェイスが、声を掛ける。行楽日和、というのだろう。陽射しは強く、飲み物はよく売れていた。
「ちょっと、人を探してるんですが」
 フェイスの横に立ったクラークが、代金を受け取る店員に尋ねる。
「身長はこのくらい、眼鏡で、銀色の髪をお下げにしてるんですが――」
「済まんね、お客の顔まで覚えてられなくて」
 身振りを交えるクラークに、にべも無い答え。顔を見合わせ、次に向かおうと歩き出した二人を、別の客が呼び止めた。
「小さい子連れてたでしょ? 滑走路の向こうで――」
 初老の婦人が喋り終わる前に、クラークは駆け出していた。フェイスは婦人が言葉を切るのを待って、「ありがとう、感謝します」と告げ、クラークの後を追う。

 呼び出し音が三回。電話に出た事に、神撫は少々面食らった。
「大丈夫?」
『私達は平気。何もされてなくて――』
「今どこ?」
 電話口のアニーより、神撫の方が焦っているように、ロジャーには見える。
『えっと、事務棟みたいなとこだと思うんだけど――』
「窓から見えるもの、だな」
 ロジャーが呟いて、神撫はすぐ反応した。
「近くに何か見える?」
『あ、窓の外はすぐ滑走路で――』
 電話を持ったまま、二人は走り出した。滑走路が見える、となれば、範囲はだいぶ特定できる。

 ティルはずっと、サンディの手を握っている。
 歩いていても分かるくらい、その手は震えていて、それはきっと、大切なものを踏み付けられる事への怒りなんだと思う。
 ティルは真っ直ぐなサンディが好きだ。けれど真っ直ぐ過ぎて、時々不安になる。ティルが幾ら手を伸ばしても届かない所まで、走って行ってしまいそうなのだ。
 サンディはサンディで、ティルの掌の暖かさにだいぶ落ち着いていた。
 エヴァンスの後をつけた時の事が思い出される。あの時は、自分が傷つくだけで済んだが、今度はそうは行かない。アニーは兎も角、ウッドラムの家族は何も関係無いのだ。彼らの命が危険に晒されるのは耐え難く、恐ろしい。
 だから、小さなナイトの左手の暖かさが、彼女にはとても頼もしく感じられる。

 クラウが物怖じせず、持ち前の明るさで、誰からも警戒されず情報を引き出してしまう姿は、ハバキには微笑ましくて頼もしくて、少し危なっかしい。
「このくらいの、男の子なんです――」
 クラウの姿を少し離れて見ながら、ハバキは幾つかメモを取りながら、携帯電話と格闘していた。
 同じく聞き込みに走るフェイスとクラークから、情報はあった。それから神撫とロジャー。アニーは電話に出た。まだ無事。
 そろそろ、探索範囲は狭まりつつある。
「くがさん!」
 と、クラウの声を聞いて、顔を上げる。表情からすると、新しい情報があったらしい。アスの番号を探して、通話ボタンを押す。格闘は、まだ終われないらしい。

 ハバキ達の情報は、セーフハウスのリュドが受け取り、彼からそこに居る全員、勿論OZにも伝わり、OZから幸乃と楽に伝わる。
 一般客を装って敷地内を歩く二人も、情報に沿って確実に、アニーらの居場所へ向かう。
 途中一度ハバキと目が合った。お互いがお互いを認識した筈だが、声は掛けていないし、掛けられてもいない。
 同じ小隊に居ても、ハバキはアス側の人間で、幸乃と楽はOZ側の人間で、目的が違っている。



 マヘルは、過去このワーナーという男に会った事がある。随分と器の小さい男だった印象だ。そしてそれは、今も変わらないらしい。
「なるほど、ではずっと、ロベルト・サンティーニに関わる事件を追っている、と」
「そうなんです。ただ私達個人では限界がありますし、警視は何かご存知ではないかと」
 持ち上げると喜色満面に変わる。分かりやすい人だ、とマヘルは思う。
「大した情報は無いがね。産業スパイの容疑で、通報があった」
「どこからです?」
「マーブル・トイズ・カンパニー。知っているか?」
 知っているどころではない。それをずっと、追い駆けているのだ。
 少し考えてから、マヘルは切り出す。
「実は、グレン・エヴァンスが、何らかのテロを画策しているのではないか、と思っています。確証はありませんが」
「テロ‥‥」
 ワーナーはちょっと驚いた表情を見せ、しばらく考え込む。
「その話、詳しく聞かせてくれないか」
 ワーナーの眼つきが変わる。こんな小男でも、警察官としての矜持はあるらしい。



「お待たせして済みません、少々問題が発生しまして」
 現れたヴォルコフは、アニーに愛想笑いを見せると、また出て行った。
 どうも、PMCとして行う活動と、現状についてを説明したいらしい。母体になった会社は、以前親バグアとして活動をしていたとされて、それはアニーもよく知っている。
 ここに彼女が現れたのは、まだあらぬ嫌疑が掛けられていて、実態調査に来たのではないかと思ったらしい。だから、健全な今の企業活動を説明し、理解を得たい、とヴォルコフは言っていた。
 もしかして、身構えるほどには、危険は無いのかも知れない。

 アニーを残して、ヴォルコフは兵舎の一室に入る。そこには「問題」の元凶が居た。
「こいつは?」
 近づいて、一番若く見える男の顔を持ち上げる。レイジは、額が大きく割れて出血しているのをそのままに、ヴォルコフを睨み付ける。
「事務棟で、下士官の制服を奪っていました」
 副官らしき男が答える。
 レイジは事務棟に侵入すると、目に付いた下士官を羽交い絞めにして、資料室の背の高い棚の間に引きずり込んだ。
 男に大人しくするよう脅し、制服を奪うと、次にロベルトについて、男に聞き始めた。
 知らないを繰り返す男に痺れを切らし、刃物を持ち出し脅迫を始めたところで、巡回の守衛に見つかる。
 元々派手な立ち回りをする気も無かったし、レイジはすぐさま撤退するつもりでいた。ところが。
 資料室は狭く書棚は高く、思うように動けずにいたレイジの足に、焼け付くような痛みが走り、彼はがくりと膝をついた。
 すぐさま反撃を試みようとナイフを持ち替え、顔を上げた所で視界に入ったのは、振り下ろされるストックだった。
「ロベルト・サンティーニか。貴様、奴とどういう関係だ? 奴の何を追っている?」
 レイジは黙ったまま、ヴォルコフの顔を見据える。少しして、ヴォルコフは立ち上がると、レイジの顔を蹴り上げた。
「コソ泥にしちゃ、度胸が据わっている。‥‥次、こいつは?」
 ツァイユンは、タイル貼りの床に姿勢良く座っていた。但し肩には新しい銃創があり、手当てはされていない。
「それが、隣の男を尋問してまして‥‥止めに入ったら、抵抗しました」
 ツァイユンの隣にもう一人、男が転がされている。この男は一般人であるようで、怪我の状態が酷い。
 ティルのやや後ろを、ツァイユンは歩いていた。そしてティルとサンディの様子を窺っているらしい、この男を発見する。
 人目を避けて男に接触し、男の目的を問い質したが、何も喋らない。さらに尋問を続けていると、その様子をたまたま見掛けた一般客が「喧嘩が起きている」と通報した。
 ツァイユンと男は警備所に連行されるが、今度はそこで二人共、何も喋らなくなり、現在に至る。
「ロベルトの息が掛かっているかも知れん。吐くまで続けろ」
 ヴォルコフが指示し、ツァイユンは両脇から立ち上がらせられる。
 ツァイユンの見つけた男は、まさにロベルトの手の間諜なのだが、その事実はまだ知らされていない。

「‥‥どう?」
「連絡取れないねぃ」
 幸乃と楽の二人には、レイジが襲われたらしい、という情報が伝わっていた。何度かレイジに連絡を試みているが、反応は無い。
「‥‥建物の中も、見たほうがいいかも」
「その前に、向こうにも」
 幸乃に頷いて、楽はまた携帯を開く。
 電話を耳に当てたまま歩き出す楽を、恐らくOZに連絡を取っているのだろう、とUNKNOWNは見ていた。
 彼の座っているテラスからは、滑走路の向こうの格納庫と、それに続く兵舎がよく見えた。どこも一般客でごった返している。
 煙草を消して、読みかけのペーパーバックを閉じ、席を立つ。
 兵舎の方へと向かった二人の様子だと、何か探しているようだった。
 場所を移さないとならない。ここに居ては、何が起きているのか、見えてこない。

 屋台が並ぶ一角に、KVの模型を目敏く見つけたカルマは、それを買い求め、手提げ袋に入れると、周囲をきょろきょろとしだす。
 人目に付かない所、なんてのはそうそう無いのだ。けれど、トイレの個室に思い当たって、今度はトイレを探し始めた。
 彼にはこの模型を分解する作業が待っている。後は、作業中に当たりを引いて、命の危険が迫らない事を祈るばかりである。



 OZに宵月が耳打ちするのを、アスは苦々しく見ていた。
 恐らくOZは何か動かしていて、それは今も進行している。そしてその情報を共有する気は無いのだ。
 こちらの情報は混乱が無いように、全てリュドが受け全員に伝えていた。勿論、OZもその中に含まれる。
 神撫の電話に、アニーは出た。フェイスらの聞き込みで、囚われた建物も特定できそうだ。それから、ツァイユンが襲われた事も。
 全て知っていて、OZは何か動いている。利害は一致しそうだとアスは思っていたが、それも危ういかも知れない。
「本題に入ろうぜ? 向こうは何とかなりそうだしな」
 そのOZが喋り、アスの思考は途切れる。OZはOZで、レイジが襲われた事が耳に入ってはいたが、状況が悪化したとは思っていない。それよりも、基地で得られる情報が重要だった。
「グレンって男は、どんな宗教観なんだ?」
「そうね、ホントにタダのエコテロリストの類なの?」
 OZの質問にさららが乗る。彼女はまだ、それ程OZの行動に疑問を感じてはいない。
「言ってみれば、奴自身が宗教家みたいなものだ。別に宗派を興しちゃいないがね」
「宗教家ね。革命でも起こそうってのか?」
 会話を転がすアスの機微は、ロベルトの気に入る所であるらしい。ただアス自身は、性質の悪いエドワードと話しているようで、楽しくは無い。
「革命か、近いかも知れん。奴が妙な宗教にはまってたのは、知っているだろう?」
 黙って話を聞いているウッドラムの横で、リュドが資料を捲る。
「何度も言うが、エヴァンスは酔狂な馬鹿者だ。だから馬鹿正直に同志を募った。ヴォルコフは軍属の頃から、筋金入りのベジタリアンでエコロジストだ」
 そこまで喋って、一息ついてグラスに注がれた水を一口含む。
「妻と息子を殺されたのはバグアのせいだ。では何故バグアが侵攻して来たのか。地球環境を省みない人類に対する罰として、神が遣わされた。奴はそう考えている」
「そのバグアと、何か繋がりはねぇのか?」
 OZだ。
「無い。もっと言えば、奴は親バグアでもない」
「どういう事よ?」
 全員が思った疑問を、さららが口にする。
「人類のせいで環境が駄目になりそうだ。だから統治者を変えてみよう、って事だ。‥‥まるで子供の発想だよ。だから酔狂な馬鹿だと言うんだ。もし、地球がバグアに占領されて、それでも何の改善も見せなかったら、エヴァンスは同じ事をするだろう」
「ここに来て、急に動き始めたのは、ロブの差し金か?」
 今度はアスが聞く。
「時期が来た、って事だろう。準備が整った、と。ロブはロブだ。可哀想な息子だが、それ以上でもそれ以下でもない」
「もう一つ、聞きたい事がある」
「なんなりと」
 OZに答えて、ロベルトは柔らかく笑顔を作って見せた。
「貴様の目的は?」
「目的なんぞ無いさ」
 少し俯き加減のまま、ロベルトは語り始める。
「私はこの戦争は、人類が負けると踏んだ。だから親バグアとして活動してきた。全て自分で判断した事で、誰に唆された訳でもない」
「その為に、罪の無い人を何人も巻き込んで?」
 やや語気を強めるさららを見て、一呼吸置いてから、ロベルトは続けた。
「私にだって、人並みに信心くらいあるのでね、申し訳ないとは思う」
 黙って聞いていたアスが、「よく言うぜ」と小さく呟く。
「だがエヴァンスのやろうとしている事はどうだ」
 喋りながら立ち上がり、デスクの周りをゆっくり歩き始める。
「環境保護などと謳ってはいるが、一人の人間が審判を下さんと策動している。これは神を冒涜する行為ではないか? 少なくとも、私の正義にはもとる」
「あんたが正義なんて、言えた義理かよ」
 呆れ顔のアスが吐き捨てると、ロベルトはアスの正面に立って、彼の目を見据えた。
「それはお互い様だ。戦争に正義など無い」
「暴力的な侵略から守るのも、正義じゃないってか?」
 アスもロベルトから視線を切らず、反論する。
「私はバグアの生態なんぞ知らないがね、もし彼らが人並みの感情を抱えて生きていたらどうする? 妻に子供、恋人に親友、ペットだって居るかも知れない」
 次第にアスの表情が怒りに歪んでゆく。
「もっと分かりやすく言おう。君らのやっている戦争は、二十年前までは、人間相手に行われていた」
 肩を震わせるアスの横に、さららがそれとなく近づく。
「ラーセン、君の撃墜スコアは幾つだ? 想像してみるといい。あの赤い星に、残された妻子が居る家がある。君が粉々に砕いたコックピットに、恋人の写真が――」
「てめぇ、いい加減に――」
 アスが激昂して振り上げかけた右手は、さららにしっかりと押さえられた。動きを止めたアスに代わり、さららが落ち着いた調子で話し始める。
「テロリスト崩れが、エラそうに言うわよネ。あんたのそれ、詭弁って言うのよ」
 さららに制され、ロベルトはやや黙ってから、「レディ、あなたの言う通りだ」と答え、椅子に戻る。
「あーあ、ちょっと休憩、休憩にしましょ。外の空気でも吸って」
「そうだな、落ち着いてゆっくり、話すのがいい」
 さららの言葉に何とは無しに応えたロベルトを、彼女はあからさまに怒りの表情で見下ろしていた。
「あんたの顔見てると、ぶん殴りたくなるから休憩って言ってんの!」



 ロッカールームから拝借した作業着は、アローンには致命的に似合っていない。しかしその作業着のお陰で、アローンは稼動中のラインに紛れ込み、部品を一つくすねていた。
 完成品では無い。どこかの部品のようで、筒状の金属製で蓋ができて、煙草の箱程の大きさ。これは製造物を調べている京夜に託すとして、アローンは敷地内の探索を続ける。倉庫が整然と立ち並び、背の低いビルが幾つか見えて、なるほど敵の本拠地には相応しい。
 何個目かの倉庫を抜けて、奥の区画へ向かおうとした所で、アローンは立ち止まった。
 視線の先には例の低いビル。入り口に警備員二人。肩から小銃。
 肩から提げられた小銃は、アローンに強烈な違和感を抱かせた。
「よお、にいちゃん」
 背後から突然声を掛けられる。振り返ると、ここの従業員らしい男が、人懐こい笑顔で立っている。
「休憩か? あんまり向こうの区画は行くなよ、怒られる」
「そうなのか? なんで?」
 自然に切り返せた、と思う。知りたかった事を向こうから切り出してくれたのは僥倖だ。
「産業スパイとか何とかで、研究棟には近づくなって‥‥聞いてないのか?」
 返事の代わりに、曖昧な笑顔を返す。研究棟と言うからには、普段は新製品の開発でもしているのだろう。今は恐らく、喉から手が出る程欲しい「モノ」が、そこにあるに違いない。
「おい、それ、どこから――」
 男の声色が変わり、アローンはその視線を追った。右手に抱えたままの、例の金属製の筒を、男は見ている。
「ああこれ、間違って持ってきて、今戻してくる」
 早口に捲し立て、歩き始める。勿論素直に戻す気も、巧い言い訳をして誤魔化す事も考えていない。ここに留まってはまずい、と、アラートが鳴っている。
「おい待てって! どこのラインだ? おい! 誰か!」
 男の声が遠くなる。倉庫を抜けて、角を曲がった所で、アローンは走り始めた。不思議そうな顔の従業員と何度か擦れ違う。
 また貧乏くじを引いたかも知れない。

『うちの生徒は全員ですよ。それから、見学させて貰ったのは工場じゃなくて、PMCのほうです』
「そうなんですか、ではこちらの勘違いだ」
『ええ‥‥でも、子供達にお菓子のおまけに付くような、KVの人形を頂きましたよ』
「それも、全員にですか?」
『そうです‥‥直接問い合わせてみてはどうです? 連絡先をお教えしますよ』
「ああ、ちょっと待ってください」
 凛生は左手を伸ばし、グローブボックスから小さいメモ帳を探る。と、正面からアローンが駆けてくるのを見た。
「済みません、こちらから掛け直します」
 メモ帳を諦め、シートを立てる。同時にアローンが助手席に飛び込んだ。
「こりゃ逃げた方がいいかもしんないぜ?」
 どんな状況なのか、アローンの言葉で察し、凛生は車のキーを回し、ルームミラーに手を掛ける。
「撒いたか?」
「多分な。ただ広すぎて――」
 全ては確認できていない。致し方ないだろう。敷地全部を一人でカバー出来るほど、能力者は万能ではない。
「シートベルト締めろ。それから、緋沼に連絡してくれ」
 ルームミラーに、白いワンボックスが三台映る。凛生はアクセルを踏み込もうとして、止めた。正面の角から現れた同じワンボックスが、二人の車の正面に着ける。
「ホント、貧乏くじだったわ」
 前後を囲まれ、アローンが小さく零す。既に二人は、幾つかの銃口に狙われていた。



 ムーグは、乗用車の運転席に収まり窮屈そうにしながら、かれこれ一時間程、刑務所の入り口を見張っている。妙な車の出入りも無く、実に平和なものだ。
 ここに収容されている人物を狙って、攻撃があるかも知れない、らしい。
 ムーグはその程度の理解でいるのだが、不審を見逃すようなマネはしていない。誠実に真剣に、監視を続けている。
 不意に入り口が騒がしくなり、ムーグは目を凝らす。ざわざわと守衛が動き、車が数台集まってきた所で、ムーグは駆けて来る犬彦の姿を見た。
 咄嗟にアクセルを踏み込み、タイヤが白煙を上げて加速を始める。犬彦と目が合う。ムーグが急停車させると、犬彦は助手席に飛び乗った。
「何カ、あったノデスカ?」
「襲撃の気配なんてない、ロベルト・サンティーニに対する警戒だってよ」
 答えながら、犬彦はシートベルトを締める。ムーグは理解したのか、曖昧な返事を寄越した。
 数台のパトカーが彼らを追い、ムーグはさらにアクセルを踏み込む。
「全く、これじゃこっちが襲撃画策したみたいだな」
 追い駆けるパトカーをミラー越しに見ながら、犬彦は呟く。
 内部の警備は普通の刑務所にしては厳重だった。守衛を一人捕まえて聞き出したところ、ロベルト・サンティーニに対する警戒だと云う。ロブ・エヴァンスに接触する可能性がある、と見ていたらしい。
 碌な情報を得られなかった、と犬彦は思う。
 加速する車のシートに押し付けられながら、彼はOZと連絡を取るため、携帯を取り出した。



 がたがたと振動が伝わる。もうどのくらい走っただろうか。
 目隠しをされて、外の様子はおろか、どこを走っているのかも分からない。手足は拘束されて、身じろぎもままならない。
「もう一度聞くぞ、何が目的だ?」
 男の声。アローンはだんまりを貫いていて、凛生がのらりくらりと答えていた。
「知らんな」
 殴られたのか、鈍い音がして、アローンが小さく呻く。
「殺しはしないさ。ここで開放してやる。いいか、二度と妙な真似はするな。これは警告だ」
 振動が止まって、男の声を聞きながら、二人は車から降ろされた。目隠しを外され、恐らくどこか郊外の山中に連れて来られたらしい。
 男の顔を見上げる。凛生とそう変わらない、四十絡みに見える。
「足だけ、外してやれ」
 部下に指示を与えて、男は先に車へと戻る。二人の足は、金属製の足枷で拘束され、道端に無造作に転がされていた。
 バラクラバで顔を覆った男達が動き、口径の大きなライフルと、幾つかのマガジンを運ぶ。
 二人は状況を理解した。恐らく鍵などは使われず、あのライフルで拘束を外すのだろう。となれば、枷が外れた後で、二人が普通に歩ける保障は無い。
 どうする事も出来ないまま、二人はトリガーが引かれるのを待った。

 マーブル・トイズ・カンパニーの主力製品は、男児向けのKV模型、女児向けの人形、それから火薬と固形燃料を使ったラジコンの類、さらにテレビゲーム。
 このうち、人形とテレビゲームは別に工場があり、模型とラジコンなどはこの工場で生産されている。
 バイオ兵器でも仕込むか、或いは何時かのグラナダのカッシングのように、洗脳装置でも仕込むのかとも思ったが、そんな様子も無い。
 取引相手にもグループ企業にも、バイオ技術や精密電子機器を扱うような企業は無く、そんな技術はノウハウも無い門外漢が完成させられる類の物でも無く、京夜の予想は空振りに終わった。
 ところが、そこまで調べた所で、アローンと凛生に連絡が取れなくなった。
 目的地を探す風を装って、工場の周りに車を走らせる。二人の乗っていた車は、すぐに見つかった。横をゆっくりと通り過ぎ、誰も乗っていないのを確認する。
 もう一度工場をぐるりと廻って、周囲に人の気配が無いのを確認すると、車をすぐ後ろに着けた。車内を覗き込む。荒らされたな形跡も細工をされた様子も無い。
 念には念を。道路に這いつくばって、シャーシを覗き込み何も無いのを確認して、またドアの横に立つ。
 ゆっくりドアノブに手を掛け、それを引く。イギリス製のやや型落ちの大衆車は、頼りなさげな軽い音を立てて、ドアは開いた。
 と、小さな金属音がして、開けたドアから何かが落ちた。それがグレネードのピンであると確認するより早く、京夜は飛び退いて身を伏せる。
 間髪入れず頭上で爆発音がして、車だったものの破片が幾つも京夜に降り注ぐ。
 そのまま数十秒。破片の雨が収まってから、ゆっくりと体を起こした。
 直撃は避けた。四肢は動く。二人はどこに消えたのかは分からないが、恐らく無事ではないだろう。



 電話のある隣室に、リュドとウッドラム以外の面々が集まる。電話口のエドワードの相手は、アスが請け負っていた。
『飛行機は用意したが、まだ行き先は指示していない』
 エドワードの声は、スピーカーを介して部屋全体に届く。
「やっぱり、逃がすのは有り得ねぇ。エドワードに管理してもらうんがいいと思う」
 言ってから、アスはさららの顔を見る。「そうね」と頷くのを見てから、OZへ。「好きにしろ」と云わんばかりに、OZは両手を大袈裟に広げる。
「デルタの管理下に置いてくれ、海外行きは無しだ」
『‥‥妥当な線だな。了解した』

「あんたの望みのものは用意したぜ、ヒースローに待機させてある」
 ロベルトはアスの声を聞くと、「よろしい」と呟いて、足元のバッグをごそごそと探り始めた。
「さて、肝心なとこを教えてもらいましょうか?」
 さららが言う。が、ロベルトは意に介さず、鞄から取り出した封筒を、机の上に置いた。
「取引では、私の安全の保証と引き換えに、情報を提供する事になっている」
 そう言って、ロベルトは身支度を始めた。
「おい話さねぇってのか? どういうことだ!」
「その封筒に、私が掴んだ証拠に至る情報が書かれている」
 デスクの横に居たリュドが封筒を取り上げ、さららに渡す。中の様子を探っている所で、ロベルトに制された。
「私の安全と引き換えだ。私が海外の新居に着く頃に開封してくれれば、全て上手くいく」
 言い置いてさっさと部屋を出るロベルトに、レオンが着いて行く。



 驚いた事に、ヴォルコフは一時間半も掛けて、企業説明会でやるようなそれを見せて、いかにクリーンな体制に変わり正常な活動をしているか語った。
 聞いてもいないのにべらべら喋るのは嘘を吐いているからだ。けど、これはそんな次元を超えている。聞いているこちらが情けなく同情的にさせられる程、必死で滑稽であった。
 警戒はアニーの杞憂に終わり、神撫やフェイスが訪ねて来た時も、ヴォルコフは快く通した。
「済みません、うちの部下は不躾で」
 通用口に集まった面々を対応するヴォルコフは、どこを押しても普通の司令官に見える。
「それにしても、何故皆さん‥‥?」
 何で来たのかと聞きたいのだろう、アニーが慌てて取り繕う。神撫の手を掴んで、きゅっと横に引き寄せる。
「彼と一緒に、見に来ることになってたんです。大尉のご家族も来るので‥‥そしたら」
「ああ」
 ヴォルコフはわざとらしく、手をぽん、と打つ。
 クラークが、隣のフェイスを小さく肘打ちする。ちらりとクラークの顔を見ると、フェイスは小さく首を振った。こちらから何か手を出すような隙は無い。なにしろアニーは妙な弁明を受けただけで、家族はこうして無事なのだ。
「そういえば、妙な鼠が入り込んだようでして、何かご存知ですか?」
 ツァイユンの事だ、とサンディとティルが気付き、何か言いそうになった所で、クラウが二人の前に立つ。
「ちょっと、外で待ってよっか」
 二人を子供扱いした訳でもなく、二人もそうされた意識は無く、ただその場の空気を敏感に感じ取ったクラウに促されて、三人は外へ出た。
「じゃあジュニア大尉殿、我々も」
「おう!」
 ジュニアは元気良く応えて、クラウの後を追う。ハバキは夫人とシャーリーを促して、また外へ出た。

 UNKNOWNの視界に、クラウを伴って通用口から出るサンディとティルが映る。すぐ後を、ハバキが家族を連れ出すのを見て、彼は携帯を取り出す。
「ご家族は無事だ‥‥今、確認した、よ」
 吸いさしの煙草を、左手で灰皿に押し付ける。
「私の拳銃が活躍する機会も無かった。上々だよ、使わないに越したことは無いんだから、ね」

「それで、謝ってきたのか?」
 車の下を瑠亥が覗き込む。爆発物でも仕掛けられていたらたまらない。
「向こうがね。お手数をかけました、だと」
 瑠亥の声にロジャーが答える。ドアは大丈夫そうだ。キーを差し込み、廻す。そのままドアノブを引くと、何事も無くドアは開いた。
「よし、安全だ。皆乗ってくれ」
 瑠亥が促し、各々ばたばたとドアを開く。
「何事も無かった‥‥訳でもないが」
 呟いて、後部座席に乗り込むジュニアの姿を目で追う。
「兎も角、良かった」

 ようやくトイレから出たカルマは、ぐるりと周囲を見回す。基地祭は変わらず続けられていて、何か事件が発生したかには見えない。
 彼の懐には、KVの模型だったものの残骸が押し込まれている。
 彼はトイレの個室でそれを開封し、ナイフを使い器用にプラスチックを分解した。ぱちんぱちんと小気味良い音を立てて外れる部品は、ただの模型の部品で、妙な点は見当たらない。
 携帯を取り出し、分解中に幾つか収めた部品の映像を、OZに送る。
 後は実物を、OZに届けなくてはならない。



 デスクの上には、封筒が残された。
 A4用紙が入る大きさの封筒は一センチ程の厚みがあり、ロベルトの話では、集めた資料がこの中にある。
 ただ、ロベルトが国外に脱出するまで、開けるなと言い含められている。
「手の込んだ事、してくれるわよね」
 さららが言う。一同はこの封筒を取り囲み、その扱いを思案していた。今ここで、開けてしまうべきか。
「確認すべきだと思います」
 外から戻った雨音が、最初に意見を主張した。
「フェイクの可能性もありますしね」
「国外に脱出される事は無いですが、要求が受け入れられてないと気付かれてからではまずい事になりかねません」
 雨音にリュドが同調するのを、OZは黙って見ていた。彼はこの顛末について、どうなろうと口を出さないつもりでいた。
「じゃあ、開けて確認する。それでいいか?」
 アスがぐるりと一同を見回して、さららとウッディが頷くのを確認してから、封筒を手に取った。もとより、今開けるしかない。ロベルトの乗る飛行機は、国外のセーフハウスになど向かわないのだ。
 ロベルトと云う男は、冴えない見た目の割には相当に用心深い男だ、とOZは思う。
 フェイクかも知れないと言ったのはリュドだ。OZも、これはフェイクだと考えている。今ここの主導権は、封筒たった一つ残しただけで、ロベルトのものだ。そして恐らく、こちらが欲しい情報は、もう手に入らない。
「いいのかい?」
 耳打ちをする宵月に、「構わないさ」とだけ答えて、煙草に火を点ける。
 OZの視線の先で、アスが封筒から紙束を広げた。それは白紙ばかりで、たった一枚、「向こうへ着いた頃に掛けろ」と、電話番号が記してあった。
 苛立たしげな面々とは裏腹に、OZは笑いを堪えている。

 ヒースロー空港、ターミナルビルの裏手の、ひっそりとした通用口に、ロベルトは降ろされた。
 デルタが寄越した警護は軽装で、乗務員は空港職員だろう。そこまで確認して、左胸の銃を意識する。
「そのまま、真っ直ぐ着いて行け」
 声を掛けたのはレオンだ。彼だけは能力者だが、巧く人質でも取れれば何とかなる、と踏んでいた。
 と、携帯電話が鳴り、ロベルトは立ち止まった。釣られて乗務員も止まり、怪訝そうな顔でロベルトを見る。
 国外に着いて電話が鳴れば、取引通り知っている全てを話すつもりでいた。もし電話が鳴らなかった場合。飛行機の行き先は国外か、収容所か。どちらにせよ、鳴らないのは有り得ない。
 では、予想より早く電話が鳴った場合。
 それはもう封筒を開けていて、取引に応じる気など無く、国外に脱出させる気など無いという事で、この小型機に乗るべきではない事を示している。
「失礼、電話が」
 周囲に告げて、内ポケットに手を入れる。乗務員も警護も、立ち止まったまま。
「おい!」
 銃の存在に真っ先に気付いたのはレオンで、声を掛けて制する。警護の二人も、慌ててロベルトを照準した。
 ロベルトは怯む事無く、乗務員の背後を取ると、その首を押さえ、頭に銃口を突きつける。
「銃を降ろせ!」
 もう一度レオンが制すると、ロベルトは銃口を下げ、乗務員の右腿へ向けると、トリガーを引いた。
 破裂音が響き、痛みに呻く声。
「動くなよ、次は頭だ」
 手をこまねいた訳ではない。だが、レオンでなくとも、この状況では成す術が無い。
 人質となった乗務員をずるずる引き摺って、通用口へ向かうロベルトを見送っていた。説得に応じるような相手では無い事は、レオンの経験がよく知っている。
「取引に応じる気が無いのなら、こちらも情報を提供する訳にはいかない。すまんが、この話は無しだ」
 そう告げてから、ロベルトは人質を放し、通用口の中へ消える。
「救護を!」
 咄嗟にレオンが叫び、負傷した乗務員に駆け寄る。止めを刺さなかったのは、ここで時間を使う事を考慮しているのだ。分かってはいるが、どうしようも無い。

 人の波でごった返すターミナルビルを、ロベルトはやや早足で歩く。
 人の気配の無い場所に身を隠すのは、かくれんぼのしたい子供か阿呆のする事で、雑踏に紛れて存在を消してしまうのに、人の波はうってつけだった。
 何度か周囲を確認する。追われてはいるのだろうが、この人込みの中で発見されてはいない。
 列車を使い陸路で国外へ出るルートを考えつつ、エントランスを出た。丁度、目の前に止まったブラックキャブに駆け寄る。
 ドアが開き、そそくさと乗り込む。尾行が無いか、周囲を見回すと、ドアが閉まる前に、見知らぬ男が乗り込んで来た。
 ぎょっとして、何か言葉を発する前に、見知らぬ男の口が動く。
「こんにちは、同志ルバノフ。気分はどうだね?」
 脇腹に、硬く冷たい銃口の感触があって、ロベルトは、自分の視界が暗転する音を聞いた。



『――首相は、午後の定例記者会見で、法人税率の引き上げは無いと改めて明言しました。これは先日、財務大臣の談話を――』

 キャスターが読み上げるニュース原稿の、抑揚の無い声が部屋に響く。
 ハバキはテレビの光をぼうっと眺めている。シャワーの水音は、止まってからしばらく経っていた。

『――二ポイント下げ、支持率は続落しています。‥‥次のニュースです。先日、アフリカ方面への大規模な作戦行動により奪還した――』

「それで」
 シャワーで濡れた髪をバスタオルでくしゃくしゃにしながら、アスはハバキに声を掛けた。
「OZは何しようとしてんだ?」
 真実を探る、という点では、利害が一致するラインに居るだろう。けれど、目的はどこにあるのか。どうも、引っ掛かる。
「わかんない」
 テレビに視線を預けたまま、ハバキは答える。
「わかんないけど‥‥多分、アスの不利益になるから、俺は――」
 喋りかけて止まるハバキに、アスは怪訝な顔を向ける。
「アス‥‥これって」
 釣られてテレビを覗き込むアスの表情が、驚きに変わる。
「どういう事だよ‥‥」
 ぱさり、と、彼の頭上のバスタオルが落ちた。

『――通りかかった女性が発見し、通報しました。男性は五十歳台と見られ、頭部を拳銃で撃った跡があり、自殺の可能性があるとして調べています。市警察によると、指名手配中のテロリスト、ロベルト・サンティーニ、本名ヨシフ・ワレリエヴィチ・ルバノフである事を示す身分証が見つかっており――』

 資料を捲る手が止まる。マヘルは振り向いて、テレビからの声に聞き入っている。
「まさか、そんな‥‥」
 乱暴に椅子を引く音があって、さららが立ち上った。
「自殺って‥‥」
 キャスターが淡々と読み上げる内容は、二人に衝撃を与えた。セーフハウスに居たのがまだ数時間前。その数時間前まで、ニュースの男は、目の前に居たのだ。
「ままならないものですね‥‥」
 メモを取っていたノートを閉じて、マヘルは体ごとテレビに向き直り、キャスターの喋る内容に聞き入る。
「そんな訳無いでしょ‥‥」
 さららの声に振り返る。彼女の表情から、苛立っているのがありありと見て取れる。
「わざわざ、敵である私達に接触してきたのよ。身の危険を避けて妙な手段選んだんでしょうに。それが自殺とか‥‥」
 ロベルトは保身のためにこちらに接触したのだ。それが突然自殺などとは、マヘルにも到底考えられない。
「どこまで、私達コケにされれば済むのかしらネ」

『――ロベルト・サンティーニは、過去幾つかのテロ事件への関与が疑われており、捜査当局では――』

「本名とは、恐れ入ったものです。‥‥市警察にそんな情報源があったとは」
「どうもタレ込みがあったらしい」
 呟いて、ベックウィズは葉巻を銜える。
「報道管制は、敷かれなかったのですね」
「手を回せる程、いい状況ではない」
 銜えた葉巻を指で弄びながら、執務室の端のテレビに顔を向ける。

『――基地祭の最中でしたが、来場した一般客に被害はありませんでした。また、同じ時刻に刑務所に侵入者があり、警官隊が出動している事から、大規模なテロ未遂事件の可能性もあるとして、当局は捜査を進めています。遺体で発見された、ロベルト・サンティーニと思われる男性との関連は分かっていませんが、事件が失敗した事による自殺の――』

 一連の事件は、まるでロベルトが仕組み、失敗した計画であるかのような論調で報道されている。
「我々が噛んでる、と報道されなかっただけマシだ」
 銜えていた葉巻を持ち替え、指の上でくるくると回す。次にベックウィズから出てくるであろう言葉は、予想が付く。
「エド、上がお怒りでな。勝手な事をされて、面子を潰されるとこだったと」
 そう切り出すベックウィズに、やや同情的な感情を抱く。現場は政治を気にしてなんぞ、動けないのだ。
「処分は何も無い。ただ、我々は一連の調査から一切手を引く」
「エヴァンスに、随分政治力があったんですね」
「いや、間が悪かったな。警察に先手を打たれた。それから、世論だ」
 ニュース映像が脳裏に浮かぶ。加害者だった筈が被害者に何時の間にか摩り替わった。
 ベックウィズが、葉巻を無造作にデスクの上に放る。
 追いかけ続けていた標的は、あっさりとシーカーから逃れ、雲の中へと消えた。

『――見本市では、およそ三百のメーカーが、趣向を凝らした数々の新作おもちゃを展示しました。KVの模型でシェアの拡大を狙うあるメーカーは、来月末に発売予定の新作模型を大々的に展示し――』