●リプレイ本文
●遠石 一千風(
ga3970)
写真を撮ってみた。
コスタリカの朝はどこかけだるい。通勤する人たちが、私のカメラを無視して歩いていく。
観光姿の人間には見飽きているんだろう。
「ほんとうに観光で来ればよかったかな」
「平和だねえ、ここは」
タクシーに乗ったドライバー姿のアンドレアス・ラーセン(
ga6523)が煙草をくわえて言う。
道ではスーツ姿の男があくびをしながら職場に向かう。黒人の少年がサッカーボールで遊んでいる。おじいさんが道端で幸せそうに寝ている。
コスタリカの首都サン・ホセは世界のどことも似ていない。
UPCの保護を受けていないせいで、街には軍車両も、KVも、対バグアのキャンペーンポスターもない。
その代わりに地球のあらゆる場所からやって来た観光客と、避難移民と、濡れ手に粟を狙った外資企業の看板がある。
「コスタリカの人間ががこの国を何て呼んでるか知ってるか、イチカ?」
「何?」
「ウルティモ・パライーソ」煙草の煙を吐き出しながらラーセンが言う。「スペイン語で『最後の楽園』だとさ。この国は世界で唯一、誰の血も流さずに平和を勝ち取った国で、世界のあるべきロールモデルなんだと」
「なるほど。面白い意見ね」
「俺たちが死ぬ気でバグアと切った貼ったしてる隣でそーゆー事言われると、ちょっと傷つくよな」
私は肩をすくめて、肯定も否定もしなかった。
時計を見る。待ち合わせの企業ビルの前で姿を探すけど、合流予定のスパイはまだ来ない。
合い言葉の練習でもしようかしら。
コホン。
「赤巻紙青巻紙きまきまみっ」
間違えた。もう一回。
「赤巻紙青巻紙黄巻紙っ、なまむぎなまごめなまなまっ」
間違えた。もう一回。
「赤巻紙青巻紙黄巻紙っ、生麦生米生卵がたけがきにタテタテタテタッッ」
‥‥。
「ね、ねえラーセン、合い言葉、言えるようになった?」
「ああ、あれね。アカマギカミアオマキカミキマキカミナマムギナマゴメナマタマゴガタケガキニタケタテカケタ」
すらすらと言われた。
「なに、うまいね日本語」
「うそ、これ日本語なの? エスペラント語だと思ってた」
なるほど。
日本語だと思わなければいいのか。
「よし、もう一回」
と。
「そこのタクシー? ここは駐車禁止だ。許可証を見せて」
帽子をかぶった、若い男性警官だ。
こちらに近づいてくる。
どうする? 私とラーセンは一瞬目を合わせる。
動いたのはラーセン。
「ヴエノス・ディアス」事前に用意していた偽造免許を見せて、ラーセンが陽気に挨拶した。「すぐ動かしますよ。お客さんが風景を撮りたいって言うんで」
「ええ」私は慌てて話を合わせる。「コスタリカはいい国ですね。つい写真を撮りすぎてしまいますよ」
「なるほど」警官は許可証を確認して返す。「お嬢さん、ひとり旅?」
「え? ええ、まあ」
「女のひとり旅なら気をつけるんだね。コスタリカにはキメラは居ないが、人間の犯罪者が居ないわけじゃない。No hay peor cuna que la de la misma madela」
「どういう意味です?」
その時、私は気づいた。
駐車禁止? そんなわけない。
張り込みを始める時、確かに駐車できる場所だと確認したはず。
警官は言う。
「『同じ木材のくさびほど悪いくさびはない』という意味のことわざだ。私の好きな言葉だよ」
「なるほど」と私は言った。
「お嬢さんの好きな言葉は何だい?」
「へ?」
一瞬頭が空白になった。
好きな言葉?
「イチカ、好きな言葉だ」ラーセンがささやく。
好きな言葉‥‥。
合い言葉!
「赤巻ま゛いっ!」
‥‥。
やってしまった‥‥。
最初のフレーズで、いきなりやってしまった‥‥。
私は頭を抱えたけど。
「はっはっは、まさか本気であんな合い言葉を言おうとしてたなんてねー」
警官は帽子を脱いだ。
「君たちの外見は事前に詳しく聞いてるわ。ていうか、合い言葉を早口言葉にするメリットないじゃない。君たち、かつがれたのよ。少尉に」
帽子に隠れて分からなかったが、スパイは黒髪の女性だった。
「行きましょう。そろそろセキュリティ課がデータを盗み出した痕跡に気づく頃だわ」
スパイはタクシーに乗り込んで、出して、と言う。
「この格好でね、ビルの正門を出たわけ。堂々と、ディスクを持ってね」
わけがわからなかった。
ついさっきまで警官は男性の立ち振る舞いをしてた。体格も男性だったし、声の低さ、腰への手の置き方、言葉の選び方まで男性そのものだったのに。
私がそれを訊ねると、スパイの女性は笑った。
「私もこの仕事長いからねー。色んな演技ができるんだよ。科学者、キャスター、政治家から娼婦までね。オホン、『諸君! サンディニスタ革命への介入はラテンアメリカにおける米ソ代理戦争である!』なーんてね、似てるでしょう?」
「すごい」テレビ討論会の政治家の喋り方。声まで老人そのものだった。
「実はね、今喋ってるこの喋り方も地じゃないんだよ。ていうかどれがホントの喋り方だったか、自分でも忘れちゃってるの。それで、ついたあだ名がNowhere Woman。いや参っわね。はっはっは」
‥‥人類にはいろんな人がいる。能力者じゃなくても、貴重な能力を持つ人はたくさんいるようだった。
タクシーは私たちを乗せ、大通りを走り抜けていく。
●瞳 豹雅(
ga4592)
ああ。
見張り、張り込み、監視活動。
何と言ってもいいけど、そういう「じーっと座ってる」系はあんまり得意じゃないのよ。
なんでって、退屈だからね。
「ポテトたべます?」
「結構です」
ちかくのバーガーショップで買ったポテトをつまみながら、監視用の車に戻る。
運転席では風代 律子(
ga7966)さんがサングラスごしに、2ブロックほど離れたビルをにらんでいる。
風代さんは金髪ロングヘアのカツラにサングラスで、ブロンド美人に変装している。
空は快晴。雲ひとつない。ラテンアメリカ特有の埃っぽい風が、カーウインドウの隙間から入ってくる。
自分たちはいま、企業ビルから100mほど離れた場所から監視している。脱出したスパイを追ってくる奴らがいないかどうかチェックするためだ。
しかしねえ。
昔はよく『忍者とは忍ぶ者なり』なんて教えられたけど、警戒もせずただ見てるだけって退屈。
みんな知らないみたいだけど、退屈は毒だ。
ひそやかに人を殺す。
世界の偉人たちの8割はこの毒を解毒するために走り回ってただけだと、自分なんかは見るね。
ハンバーガーを食べながら、地図を眺める。
「大使館までは車で20分。前半10分は大通りだから、襲撃の心配はないと見ていいでしょう」ハンバーガーを食べる。もぐもぐ。「そこから道路が一時郊外に出ます。襲撃されるとしたらそこが危ない」もぐもぐ。「だから自分たちはビルをしばらく監視した後、ぐるっと先回り」ごっくん。むしゃむしゃ。「近道で追いつき、後方支援しましょう」もぐもぐもぐ。
指についたソースをなめながら、風代さんを見る。
「豹雅さん」
「はい?」
「すいません、もぐもぐとむしゃむしゃで何を言っていたのか分からなかったので、もう一回言ってもらえます?」
「‥‥」
もう一回言おうとした時、目の端が違和感をとらえた。
「おや」
例の企業ビルから、5人ほどスーツ姿の男が出てきた。アタッシュケースを持った、ごく普通の若いビジネスマンたち。だが動きが妙だ。
「さりげない風を装ってはいるけど、えらく周りを警戒してるな。しかも動きからして、全員150kg以上の重さがありそうだ。スーツの下に武装してるな、ありゃあ」
「そのようですね。おそらく火器と防弾ジャケット」風代さんが目を細める。「それにあのアタッシュケース、見覚えがあります。中に短機関銃が入っている隠し火器。裏世界ではよく見るタイプです」
スーツ姿の一団は路上にとめてあった黒塗りの車に乗り込み、あっという間に走りさった。
「都心ど真ん中で短機関銃ご一行とは、穏やかじゃーないじゃないの」
「追いましょう」
自分はエンジンをかける。車体がふるえる。喜ぶみたいに。
軽快な動きで、車は走り出す。
サン・ホセの街並みを、自分たちは行く。
タイヤが軽やかに路面をたたく。風がびゅうびゅう通りすぎてゆく。
自分はハンドルを片手で軽くにぎり、サングラスをかけている。カーラジオからは、ひたすら陽気なラテン音楽が流れてくる。
自分は音楽にあわせてミアモーレ! とかテキエーロ! とか適当な合いの手を入れながら運転する。
とりたてて努力しなくても、任務中に見えないところが自分のいいところだ。
「豹雅さん、もっと距離をとりましょう。近すぎます。尾行に気づかれるかもしれません」と風代さん。
「オーケー」
車の速度を落とす。2、3台はさんだ向こうに追っ手の車が見えるようにする。
「連中をどう見ますか?」風代さんが訊ねてくる。
「そーね、企業側の追っ手だとして、スパイの現在地までは掴んでいないみたいね。ルート的に見て、まっすぐ米大使館に向かってるみたいだ」
「私たちの目的地がばれている?」
「多分。少尉殿に連絡してみましょう」
ポケットに隠してある無線のスイッチを入れる。
「ふぁい」ティガンスール少尉の声がした。
「こちら追跡班。目的地を変更したほうがよくないですか? 追っ手はまっすぐ大使館に向かってる」
「えー、いま起きまひた」ろれつの回っていない声。「10秒まってくらはい‥‥目をさましまふから」
「了解」
自分は待った。
10秒、20秒、30秒。
「‥‥お待たせしました」1分以上して、少尉の声がした。「それで、何でしたっけ?」
「目的地の変更です」
「うーん、それは難しいでしょうねえ」少尉は言う。「コスタリカはUPCの戦力を持ち込めないせいで、安全な場所がほとんどないんです。コスタリカ国軍の代わりである治安警察部隊なら武力としてはそこらの軍にひけをとりませんが、こっちはUPCだからコスタリカ政府を頼れません。米大使館なら、UPCともコスタリカとも無関係な警備部隊が駐屯しています」
「では到着時間をずらしては? 深夜まで待つとか」
「もっと簡単な手があります。そいつらを足止めしといてください」
「足止め‥‥ですか」
「今から作戦時間の変更はリスクが大きいですからね」ティガ少尉は楽しそうに言う。「こういう時のために皆さんを雇ったんです。ここはひとついい仕事見せて、僕を惚れさせてください!」
おいおい。
「少尉は今からどうするんですか?」
「二度寝します」
そう言うと、無線は切れた。
自分は10秒ほど考えてから、車のウインドウを閉じて、シートベルトを外した。
サングラスを外す。陽光がまぶしくて、目を細める。
「やれやれ」
と自分は言った。
結局いつも通りだ。最後は荒事になるんじゃないか。
「どこが『ひっそり・こっそり・ばれないように』なんだか」
「無関係な人に被害を出さないようにしてくださいね」風代さんが念を押すように言う。
「オーケー」
追っ手たちの車が、人通りがなく、車の往来もないのない郊外の道に入っていく。
車のスピードを上げて、追っ手たちの後ろにつける。
周囲に車や人がいないことを確かめ、ドアを開ける。車内に猛風が吹き込む。
道路が直線に入る。自分はさらにアクセルを踏み込む。
「カウント3でいきます。‥‥1、2、3!」
自分と風代さんが瞬間的に覚醒。同時に<瞬天速>を発動。車から飛び出す。
直後、車同士が衝突。
追っ手の車のバンパーに、自分たちの車が斜めから殴りつけるように衝突。
ふたつの車体が跳ね上がる。
●鬼非鬼 ふー(
gb3760)
スパイが合流する、2時間ほど前。
「これが狙撃ポイント候補?」
私は、事前に少尉にもらった地図を見て、ぶるぶると震えた。
「お‥‥鬼のように多いじゃないの!」
おみやげ屋で売っているようなサン・ホセ地図の上には、黄色いマーカーで300点近くの点が打たれている。
地図のすみっこには、『スーパーがんばって下さい ティガンスール』という言葉。そのとなりには軍服らしきものを着た丸いなにかが、力いっぱい敬礼していた。
しかもその絵が、
「うわお、むっちゃへたくそ。何か切ない」
上から地図をのぞいていた蛇穴・シュウ(
ga8426)が言った。
「ぬう。あの少尉はほんとうにやる気があるのかしら?」と私はうなった。
ティガ少尉は優秀な情報局員だといううわさをUPCで聞いてたけれど、かなり信じられなくなってきたわ。
今回、私たちは敵が狙撃してくることを考えて、サン・ホセ市内の狙撃ポイントを見ていくことになっていた。
それにしても。
「こんだけ狙撃ポイント候補があると、全部探し終わる頃には日が暮れますねー」
「しかたない。しぼり込むわ」
私は地図を1、2分のあいだ、じっくり眺めた。
「ここと、ここと、ここ」私は地図の上を指さす。「今日は東側は風が強いわ。狙撃のプロなら避けるでしょう。こっちの住宅街はこの時間、主婦が家にいるから狙撃音を聞きつけられるかもしれない。それから北側の丘だと道路との気温差があるはず。温度が変わると揚力が変わって弾道が安定しないの」
「なあるほど。さすがふーちゃん、プロのスナイパー」
「ありがとう。でも頭をナデナデするのはやめてほしいんだけど」
蛇穴が私の頭をなでてくるので、後ろに下がって避ける。
外見がちびっこいせいか、あるいは他に何か理由でもあるのか、私はよく人に頭をなでられる。これでも鬼非鬼家当主なのに、コケンにかかわるわ。いっそ角でも生やそうかしら。
「ともかく移動ですね。時間もないですし」
「今日も仕事のはじまりというわけね」と私は言った。「さてさて、鬼が出るか、蛇が出るか」
蛇穴の運転するレンタカー(私ではアクセルに足が届かない!)に乗って、狙撃ポイントまで移動した。
最初の狙撃ポイント候補は、ショッピングモールの屋上。けれどこれは誰もおらず、収穫なし。
続いては道路脇の駐車場。
ここもハズレ。
思うように探せず、イライラがつのってくる。
やはり今日だけで市内のすべてをカバーするなど、ムリだったのだろうか。
狙撃にはあらかじめの準備が欠かせない。動く標的を狙うとなれば、カモフラージュ、逃走経路確保などを考えて少なくとも1、2時間前から準備しなくてはならないはず。
そう考えて早めに行動してきたのだけれど、はたしてそれは正しい判断だったのだろうか?
仮に今日のこの時間にスパイがデータを盗み出すことを、敵がなにかの方法で知ったとする。
それでも、敵の立場になって考えてみると、彼らは逃げるスパイを狙撃するために多くの問題をクリアーしなければならない。
まず移動手段はなにか? 目的地はどこか? 変装はしてるのかしてないのか? 狙撃を警戒していないか?
さらに仲間はいるのか? 仲間がいれば、たとえスパイを射殺してもディスクデータを持っていかれる。
敵からすれば、狙撃はあまりに不確定要素が多い。
『市内のそこらじゅうに狙撃手を配置する』という手もある。あくまで狙撃にこだわるなら、の話だけれど。
市街地狙撃のできる上級スナイパーを何十人も配置するというのは、暗殺の方法としては俊敏さ確実さに欠ける。
私だから分かる。狙撃は何でもできる魔法ではない。
3番目の狙撃ポイント候補は、大使館から1kmほど離れた丘だ。
市街地から離れていて、散立した木立が狙撃手を隠してくれる。人が踏みいるような場所ではない。
大使館の正門を直接狙える、絶好の狙撃ポイントだ。
私たちは車から降り、徒歩で近づいた。
知らないうちに早足になっていた。
「そんなに急いじゃ駄目です」背後から蛇穴の声が聞こえるけど、速度は落とせない。
正直に言って、焦っていたわ。
体の奥が焦りの炎でじかに灼かれる。
思い浮かぶのは、青い火のイメージ。
人類がバグアに部品を売っているという。
今回見つかったのは部品だけれど、それがもし技術だったら?
それも軍用セキュリティソフトや、ミサイル誘導システムや、暗号通信装置だったら?
ひとたまりもない。
UPCはたちまちのうちに滅ぼされ、兵器は破壊され、街は灼かれるだろう。
そして人類は青い火に焼き尽くされる。
私たちが失敗するということは、そういうことなのだ。
人の絶えた土地を焼き尽くす幻の炎のイメージ。
鬼火のイメージだ。
「待ちなさい!」
肩をつかまれて立ち止まる。
蛇穴が私を見つめる。肩で息をしていた。
私の息も上がっていることに、そのとき気づいた。
知らない間に走っていたらしい。
「気持ちは分かりますが、走って見つかったりしたら目も当てられませんよ。cool as a cucumber(キュウリみたいに冷静に)です」
しばらく呆然としていた。
「‥‥ごめん」
「なんのなんの」
そう言って蛇穴は私のあたまをくしゃくしゃとなでた。
「でも頭はなでるなっ!」
バックステップで逃げる。
「ふはは、よいではないか」
蛇穴が追ってくる。
さらに逃げようとしたとき、300メートルほど離れた遠くの地面に、何か黒い塊があるのが目に入った。
一瞬岩かな、とも思ったけれど、長年の勘がなにかを感じ取った。
殺気だ。
皮膚が粟立つ。
「蛇穴‥‥いた。狙撃手よ」
●風代 律子
甘いと言われるかもしれない。
だから口に出しては言わなかった。
けれど、そのとき私が本心のところで最初に心配したのは、『追っ手の人たちは重傷を負わなかっただろうか』ということだった。
私たちの乗っていた車は大破していた。ガードレールに突っ込んで、フロントがぐしゃぐしゃに潰れている。
追っ手たちのほうの車はそれほどでもなく、リアバンパーがつぶれてタイヤが外れた程度。
私と豹雅さんは瞬天速で物陰にかくれて、様子をうかがった。
車の中から、スーツ姿の追っ手たちがよろよろと出てくる。
足を骨折したらしく動けない人もいたけれど、命に関わる怪我の人はいないようだ。
ほっと胸をなでおろす。
「さて、どうしますか? 捕まえて締め上げます?」豹雅さんがこちらを見て言う。
「いえ、もう少し様子を見ましょう」
「オーケー」豹雅さんがうなずく。
‥‥私が『傭兵でよかった』と思うのは、こういう時だ。
傭兵はいい。
嫌なら断れる。
不本意なら代案を出せばいい。
もしこれが潜入捜査の任務中だったら、こうはいかなかっただろう。
3、4人殺してから、残ったターゲットを拷問にかけて情報を引き出す。今回のケースであれば、たいていの組織はそうさせる。
『任務の成功はあらゆる人命に先んずる』‥‥吐き気がするほど何度も聞かされてきたセリフだ。
だけど、今の私は組織の一部ではない。
自分で考え、決めて行動できる独立した戦力‥‥それが傭兵だ。
だから、私は私のやりかたで結果を出す。
しばらく私たちはスーツ姿の男たちの様子を見ていた。
彼らは追突してきた車に誰も乗っていないのを確認すると、車内を調べはじめた。
もちろん脱出時に足がつきそうなものはすべて持ち出したから、何も出てこない。
次に中の一人が電話をかけた。しばらく話してから切ると、密集隊形になり周囲を警戒する態勢になった。
3分ほど待ったが、何か行動をはじめる様子はない。
「何かを待っている‥‥?」
「何のつもりだろう」豹雅さんが首をひねる。
「まさか」ある考えがひらめいた。「ひょっとして、足止めされているのは、私たちのほうでは?」
「何だって?」
しばらく考える。
「郊外の道であることを考えても、ここまで車通りの少ない道に入るのはおかしいと、最初から感じていたんです。わざと人気のないところに入って、私たちを誘ったんだとしたら説明がつきます」
「追突を仕掛けるよう誘われた? 足止めのために? そこまでしますか?」
「普通ならしないでしょうね」言葉にしながら思考を進めていく。「もし相手が普通の人間だったら、の話ですが。‥‥あれを見てください。どの方向から攻撃されても反撃できるよう、密集隊形をとっています。普通ならあそこまでガチガチに固まらず、周囲を索敵するものじゃないでしょうか? 彼らは知っているんです。相手は‥‥つまり私たちは、短機関銃なんかで太刀打ちできる相手じゃない、と」
「だとすると‥‥私にも分かってきましたよ。そいつはヤバい」
「ええ、ヤバいですよ。彼らは相手が能力者であると知っている。おそらくUPCの作戦であることも見抜いているでしょう。それを知ったうえで私たちを誘い込んでいる」
「すぐに脱出しよう!」
「ええ」
私たちは急いでその場を離れた。その途中、似たようなスーツ姿の男たちの車が何台も衝突現場に向かっているのを見た。もう少し長く現場にいたら、前面衝突は避けられなかっただろう。
「それにしても、大したもんですね」脱出して人混みにまぎれたころ、豹雅さんが言った。「いわば罠に誘い込まれたあの状況から、誰ひとり傷つけず、しかもこちらの姿を一度もさらさずに、あれだけの情報を引き出してみせた。誰にでもできることじゃない」
「『ミッションはスマートに』がモットーですから」私は笑った。「それより、早く護衛組に合流しましょう。嫌な予感がするんです」
「嫌な予感って何です?」
「ええ。私たちを足止めしようとした理由のひとつが、大使館に行かせないため、とは考えられないでしょうか? 大使館にたどり着く能力者の数をできるだけ減らしたい、というのが足止めの理由だとしたら」
豹雅さんの顔色が変わります。
「大使館の前に、待ち伏せがある?」
●蛇穴・シュウ
木立の陰に、狙撃手がいた。
黒い迷彩服が地面にとけ込んでる。
腹這いになり、スコープを覗き込んでいる。
黒く長いスナイパーライフルは、真っ直ぐに大使館の正門を狙っている。ぴくりとも動かない。
ザ・スナイパーって感じだ。全身からたちのぼる殺気をひしひしと感じる。
私は手信号でふーちゃんに合図をした。まずは周囲に仲間がいないかの確認が先。
ふーちゃんが<隠密潜行>で周囲を探る。結果は敵ナシ。
さて、どうするかね。
「私が背後から近寄って気絶させるわ」
ふーちゃんは銃を取り出すと銃身を握って持ち、ブラックジャックがわりにする。いやあ、殺る気まんまんだね。頼もしいよ。
私は背後で見守ることにする。
ふーちゃんが<隠密潜行>で近づいていく。私は木陰に隠れてそれを見守る。
もう少しでスナイパーに手が届く、ってくらいまでふーちゃんが近づいたとき‥‥頭の後ろの方に妙な重さがあることに気づいた。
例のあの感じ。『あ、なんか忘れてる』っていう時の、薄い漆の匂いに少しだけ似た、あの独特の感覚。
なにか見落としてる。
ほとんど意識せずに覚醒してた。
同時に猛ダッシュ。
一瞬で追いつき、ふーちゃんの服のえりをつかんで引き倒す。
ほとんど同じタイミングで、ぼっ、という低い振動があった。
左の肩口に衝撃。
続いて、冷たい痛み。
肉の匂い。
狙撃銃を至近距離で受けて、肩の肉が弾け飛んでいた。
衝撃波で脳が揺さぶられる。意識が飛びそうになるのを、エミタの力でこらえる。
撃たれた、どうしよう、と思うより先に、手はナイフを抜いてた。
スナイパーはとっくにこっちに気づいてたんだ。
気づかないふりをして、こっちが近づいてくるのを待ってた。
さっき感じた違和感の正体は、最初に相手のスナイパーライフルを見たとき。
見たことある気がしたんだ。どこかで。
あるはずだよ。そいつが持ってたのはSES搭載兵器。
能力者用のスナイパーライフルだったんだ。
スナイパーが後退する。私は必死にかじりつく。
距離をとられたら負けだ、なんて考えてられる状態じゃなかったから、単に闘争本能のなせるわざだね。
ナイフを逆手に持って攻撃する。敵はライフルで防御する。
それだけでも凄いのに、防御しながら排莢、再装填の動作をする。能力者のランクは私より上かもしんない。
後方からふーちゃんが拳銃で援護をしてくれる。銃弾が相手の胸に着弾、でも狙撃手の男は涼しい顔。防弾ジャケットかい。
狙撃手の男が標的を変え、ふーちゃんに銃口を向けた。
銃の引き金が引かれるより一瞬早く、私はナイフで銃身を跳ね上げる。空中に発砲。
直後に男が何か投げてくる。拳大のなにか黒いものだ。エミタの超反応でそれを見るけど、あんまり目の前だからピントがあわない。
黒くて丸い何か。ええと。
パイナップル?
うわ、うわわわわわ!
<流し斬り>を発動。
上体をうしろに反らしながら、ナイフで斬り上げる。
爆発を起こす前に信管が両断される。
両断された手榴弾が左右に落ちていく。
バランスを取り戻すと、狙撃手の男はもう手の届かない位置にまで後退していた。
「若いがいい腕だ。また会おう。じゃあな」
そう言うと、丘の向こうに跳び去った。
何か建設的なことを考える暇なんてない、あっという間の出来事だった。
●アンドレアス・ラーセン(
ga6523)
今回、俺はタクシードライバー役として、運転と護衛の仕事の担当だったわけだけれども。
結局、最後まで何も起きなかった。誰も襲ってきやしなかったし、狙撃とか爆発とか消音銃とか、そういうのも一切出てこなかった。
だから、俺の仕事というと、「そういえばもうすぐクリスマスですね」なんてスパイのねーさんと世間話をしながら、街をゆるゆる運転しただけ。
無線で入ってくる報告では、車が追突したとか能力者のスナイパーが出たとか、ずいぶんやんちゃな話になってたけど。
べつに「つまんねぇ」なんて思っちゃいないよ。
誰も死なずに仕事が終わることほど嬉しいことはないもんな。
大使館の駐車場に停めると、文官が慇懃に迎えてくれた。
俺とイチカとスパイのねーさんは、大使館の正面から堂々と入った。
ロビーには我らがティガンスール少尉がいて、携帯電話でどこかに電話をかけていた。
声をかけたら、「あ、もう着いたの? 早いね」なんて言ってた。
スパイのねーさんがディスクを取り出して、「任務完了しましたよ少尉、給料上げてね」と言った。
応接室のコンピュータでデータ解析をするよう指示されると、スパイのねーさんは大使館の奥に消えた。
その時になって、ようやく俺は肩の力が抜けた。
はあ。すっげ緊張した。
少尉にこれからの進め方について訊ねる。
「大使館前を狙ってたっていう能力者スナイパーが問題ですね」とティガ少尉は言った。「さっき本部に問い合わせたんですけど、今この地域には能力者はいないそうです。もちろん皆さんを除いてですが。傭兵については今どこの国にいるかはUPCがデータベース管理してるので、襲ってきた男は傭兵じゃない、ってことになります。うーん、そうすると引退した元能力者か、UPC管轄外の企業付き能力者ってことになりますが、UPCに逆らってまで仕事する企業能力者が、果たしているのかなあ」
どう思います? とティガ少尉が訊くので、分からない、と答えておいた。
分かるわけないだろ。自分以外の人がどういう生き方を望むかなんて。
どんな生き方を望んでも、それが心の底からの思いだったら正解になっちまうんだから。
ディスクのデータを見せてもらいに応接室に行くことにした。
応接室のドアをノックする。
「アンドレアス運転手です。入るぜー」
返事はなかった。鍵はかかってなかったので、入らせてもらうことにした。
応接室に入り、部屋を見渡した。
スパイのねーさんは死んでた。
椅子の背もたれに深く腰かけて、スパイのねーさんは上をむいてた。目は軽く閉じられてて、リラックスして寝てるみたいだった。両手の指は赤ん坊みたいに軽く閉じられてた。
逆側に回り込むと、弾丸が飛び出した額の上あたりの傷口から、砕けた頭蓋骨が見えた。ホローポイントの弾丸が頭蓋骨をぶち破って、肉を引き裂いたんだ。床の上は血の水たまりができていた。
PCの画面には『ディスクが挿入されていません』のエラーメッセージ。
俺はPCをひととおり操作してデータがどこにも残っていないことを確かめると、少尉を呼びに行った。
「そういうことか」
ぽつりとティガ少尉は言った。
「そういうことって?」
「彼女がここで殺されたということが、犯人を探り出す何よりの証拠となります。おおよそ犯人の目星はつきました。これから証拠固めに入りますよ。数奇なことですが、彼女は最後に死ぬことで、ディスクのデータなんかより100倍も重要な情報を僕たちに与えてくれたことになるのです」そして言った。「これからまた徹夜の日々だ」
そう言って部屋を出て行った。
俺は何も言わなかった。
黙ったまま、ティガ少尉を追いかけて殴ろうかどうしようかしばらく考えていた。
けど結局なにもせず、ただ部屋にひとりずっと立ちつくしていた。
つづく