●リプレイ本文
●ティガンスール・フルフ
無線中継基地をかねたトラックの中は無音で暗い。
僕はその中で着替えをする。
スーツのソデを右手に通す。ターンして左手にも通す。襟をぴんとのばして、ネクタイを結ぶ。
結び目が五角形になってなくて、やりなおし。
デスクの上のタイピンを取って口にくわえる。腕時計を顔の前でつける。タイピンをとめてから、首のうしろを指でちょっと掻いた。
忘れ物を思い出した。壁の隅に立てかけてあったアタッシュケースを開く。中にはつや消しの黒い9mmオートマ。
脇のホルダーにしまう。
僕は気楽な事務屋さんだから、銃を持たなくちゃならない作戦なんてめったにない。
ま、今回も使わずに済まそう。
軍学校のころ熱中した探偵小説があったんだけど、その中で私立探偵の主人公は、いちども銃を使わなかった。
彼は言った。銃に頼っちゃいけない。他人に頼っちゃいけない。あらゆるものが相対化される不毛な世界で、ゆいいつ頼れるのは、誰にも何も求めないという自分の心だけ。
カッコいいよなあ。
けれど、僕はそんなふうには生きられないだろう。
ホルダーのいやな重みを確かめる。
歩き出そうとしてふと自分の手のひらを見ると、うっすら濡れていた。
そこではじめて気づく。
僕は緊張している。
●遠石 一千風(
ga3970)
小さな会議室では、プロジェクトチームの定期ミーティングが行われていた。
「ではコルテスは説明会資料を上げてくれ。ベローチカとチャンは私とこれから常務報告会だ」プロジェクトリーダーがてきぱきと言う。「それから、イチカは‥‥」
「はい」
私は返事をした。
「ルータメンテナンスのほうに手が足りないそうだから、そっちに回ってほしい」
「分かりました」私は言う。
「それからクライアントから質問が来ている」ふいにリーダーが言った。「先方、社内イントラネット用のIOSが不安定らしくてな。ブートルーダがおかしいことは分かったのだが、買いかえる懐の余裕はないそうだ。利便性を考えてSDM接続からパケット管理でしのぐらしいが、わが社として提案できることはあるか?」
「‥‥それは」
リーダーがじっとこちらを見る。
試されている、と私は思った。
「妥当な判断だと思います」私は表情をかえずに言った。「ただSDMは仮想コンソールポートを使うため、セキュリティ面で不安が残ります。シェルを使ったリモートログイン方式にするか、直接ロールオーバーケーブルで接続するのが良いのではないでしょうか。公開鍵のメンテナンスがあるため、長期的な取引にもなるでしょうし」
リーダーはしばらく無表情でわたしを見ていた。
息を吐いて笑顔になる。
「それで行こう。さっそくコンタクトをとってくれ。以上だ。各自仕事に戻れ」
「はい」
めいめいがミーティングルームを出ていく。私はいちばん最後尾について部屋を出た。
誰にも聞かれないように、ふうっと息をつく。
私は今、ターゲットとなる企業に新人プログラマとして潜入している。
作戦前に、もしもの時を思っていろいろと勉強しておいたのが役に立った。
まるで本物のスパイみたいだと思って、ちょっと可笑しかった。
ひょっとして、彼女に感化されたのだろうか?
NoWhere Woman、誰でもないまま死んだ、あの女スパイに。
それにしても、プロジェクトリーダーのあの口ぶり。
私を試しているみたいだったわ。
単に新入りの腕のほどを知りたかっただけなのか、それとも‥‥
デスクに戻って時計を確かめる。
午後3時5分。
作戦決行まで、あと1時間50分。
●蛇穴・シュウ(
ga8426)
「ええい、社長を出せ!」
と怒鳴ったのは誰かというと、私。
「とにかく座って、お願いですから」
事業開発課課長、と名札にかかれたビジネスマンが、あせって私に言う。
「これが座っていられるかい。いいから社長を出せ! あるいはそれに類する何かを出せ! さあ今!」
私がいるのは、スカイツ社の商談ブース。ほかのブースにいる連中が、なにごとかと顔をあげてくる。
どうして私が叫んでいるかというと、私は今、飛び込み営業ウーマンとして、ターゲットに潜入しているからなのだ。
「いいか課長さん、私はねえ、アジアの田舎から一旗あげるためにこの国にやってきたのですよ! 父も母も戦争でなくし、田舎は焼け野原。ゆいいつ残ったのがコレ!」
ばしんと机をたたいて、私は白い箱を見せる。
「技師だった父が作り出した、超高性能な記憶素子、その名も『まるあんきくん』! 手のひらサイズの箱の中に、なんと800ペタバイトの容量をセーブできるんです! こいつの特許権と製造権がほしくないなんて、三千世界の阿弥陀さんだって仰らないでしょうよ!」
「いやだからですね」課長は必死に汗をふく。「そんな技術が現代にあったら、まっさきに軍が買い上げてるはずでしょう。というか、技術的に不可能」
「そんな三下根性だからアンタは課長どまりなんだよ!」やばい。だんだん楽しくなってきた。「何のために私がこんなに怒鳴ってると思う? 健康にいいからか? いいから社長を出せ!」
あ。
弁解しておくと。
私がこんなドン引き営業をかましているのは、べつに私がサディストだからじゃない。陽動のためと、もっと中枢の人間に接触するためだ。
立派な諜報活動なのよ、これ。
1時間前に平社員にアタック営業かまして、そこから先輩→係長→副課長→課長とひっぱりだりだすことに成功した。
それにしてもこの仕事。なんて私向きなんだろう! こんなんばっかりだったらいいなあ。
「申し訳ありません、私の権限ではご返答いたしかねますので、部長を読んでまいります」
そらきた。「部長ねえ。もっと上の人間はいないんですか? それとも重役の方は宇宙人と仲良くするので忙しい?」
と。
「失礼だぞ蛇穴くん」
げっ。
この声は‥‥まさか。
「どうした、自分の会社の社長の顔も忘れたのか、蛇穴くん?」
「ティガ少尉? いや、ええと‥‥」卑怯だ。そんなん聞いてない。「社長」
「は、社長さんですか!」課長の背筋がいきなり伸びた。「応接室へどうぞ! こちらです!」
課長がそそくさと歩いていく。
「我慢できずに来てしまいました」こっそりと耳打ちする少尉。
「ちぇっ。おいしいとこだけ持ってく気ですね?」
「その通り」にっこり笑う少尉。「あと、その記憶素子。作戦用に渡しましたけど、ホントに軍で考案中のSES記憶筐体のモデルですからね。落としたりしないでくださいよ?」
そう言って、すたすたと歩いていった。
やれやれ。
私は白い箱をぽーんと上に投げて、キャッチした。それから少尉の後を追った。
●鬼非鬼 ふー(
gb3760)
ビルの5階では、私と瞳 豹雅(
ga4592)が清掃員に化けて潜入していた。
夕方のコスタリカはとても良い天気。太陽がほかの国より近いんじゃないかと思える。
「見て見てふーたん、戦う美少女清掃員だぞ!」
グリーンのエプロンをはためかせて、豹雅がくるりとターンした。
「あるときは清掃員、あるときはベビーシッター、しかしてその正体は!」ホウキをギターにしてぐわーんと鳴らす豹雅。「やたらと正義の美少女忍者、瞳豹雅ここに推参!」
「この窓からだと狙撃ポイントは、仰角38度で距離300、あるいは仰角12で距離780ね。放物線弾道だから、相手の腕前次第ってところかしら」
「ちょっとふーたん! ほったらかしにしないの! こっち見て、ちょっとでいいから見て!」
私は振りかえって豹雅を見た。そして言った。「‥‥‥‥‥‥‥‥‥美少女?」
「ぎゅわっ! 傷ついた、ナイフのように傷つけたよ、自分の、何かやわらかい部分を!」
豹雅は今日も元気だ。
「作戦開始までは?」
「えーと、あと45分。です、はい」
というわけで、私たちは掃除をしているふうに見せつつ、決行時間を待つことにした。
まず窓ふき。バケツに水をため、薬品をまぜて手を洗う。それから乾いたタオルをしぼって、窓にむかう。
「‥‥ちょいとふーちゃん。乾タオルで窓をふくなら、どうして水をためたの?」
「うん? 手を洗うため」
「なるほど」2秒ほど沈黙。「あのねふーたん。タオルは水につけてしぼってから使うんだよ? そうじゃないと汚れが落ちないでしょう?」
「えっ、バケツの水は手を洗うためのものじゃないの?」
「ちゃうわ! あと今バケツに入れた薬品は床用ワックス。窓用はまた別」
「ええ、どうして窓用と床用でべつべつの薬を使うの!?」
「『!?』じゃなくって。普通だからそれが。ひょっとしてふーたん、掃除したことない?」
「使用人がやってくれてたから、屋敷はいつもピカピカ」
「おおジーザス」豹雅が天をあおぐ。「自分の育ったところは、新人はいつも指紋が消えるくらいまで床みがきをさせられてたのに」
「では、異文化交流だと思ってがんばりましょう。では私はこっちの窓から。豹雅はあっちの窓からね」
「オーケー。ところでふーたん、窓に手、とどくの?」
「‥‥」
●風代 律子(
ga7966)
腕時計を見る。
16時35分。
作戦の時間まで、あと15分。
今までの長い仕込みも、UPCの工作も、すべて今日のためにあった。
失敗は許されない。
「どしたのリツコ、そんなに時計見て。故障?」
同僚の声。話しかけられる前から気配で分かっていたけれど、驚いた演技をする。
「ううん、別に。秒針を見てたの」
「なんで?」
「たいした意味はないわ。動く秒針を見てると、なんだか時間が自分の周囲を、たしかな重みをもって流れてるんだ、って感じしない?」
「そうかなあ。あたしバカだから分かんないや。リツコって、その年でずいぶん年季のはいったこと言うよね」
「そうかしら?」
「うん。まるですごいいろんな経験をした人みたい」
私は微笑んで返事をしなかった。
そうかもしれない。
私だって、お気に入りの服のことを考えたり、ケーキとダイエットのどちらをとるかで悩んだり、そんな生き方にあこがれたことが、ないではない。
けれど私は、そんなふうには生きられないだろう。
「怖い世の中だなー。バグア側に能力者が出たって話、知ってるか?」
同僚の社員が新聞を広げながら誰にともなく言った。
「え、それって何?」同僚の女性社員が顔をあげる。「バグアが能力者になったってこと? 能力者がバグアに寝がえったってこと?」
「さあ。よく分かんね。リツコさんなにか知ってる?」
「ごめんなさい。よく知らないわ」
微笑んではぐらかした。
やれやれ。
コスタリカときたら、驚かされることばかりね。
バグアが強化人間として人類を使うことなんて、今や常識なのに。
「バグアとUPCってさ、最後はどっちが勝つんだろうね?」
「さーね。やっぱりバグアかな? 衛星軌道押さえてるし。冷戦のときだって、より高い場所を押さえたほうが勝つってんで、どの国も躍起になってたもんだよ。そこへいくと、バグアのあのおっかない赤い星だ。本気になったら人類なんて一発でドカンさ」
「UPCも大変だね」
「そこへいくとコスタリカは平和だよなー。やっぱりね、武力つかって平和を勝ち取る、だなんておかしーよ。危険思想だよ。平和はやっぱり、みんなが『戦争はよくない』って思うところからはじめないと。レイチェルもそう思うだろ?」
「どうかなあ。あたしバカだからそういうの分かんないや」
私は腕時計を見る。16時46分。
このまま聞き役でもいいけど、ちょっと茶々を入れてみたくなった。
「ガンジズムも結構だけど、実際問題として、バグアが攻めてきたらどうするの? UPCに助けてって言うの?」
「そん時はそん時だね。人間、自分の手にあまる話ってあると思うんだよ。世界には毎年何人か、隕石が頭にあたって死ぬ奴がいるんだって。それと同じさ」
「けどあたしちょっと怖いなあ」と別の同僚。「バグアって人間になりすますことだってできるんでしょう? 確か、ヨリクロか何とかって」
「ヨリシロ」と私は指摘する。
「そう、それ。で、外見も記憶も、そっくりもとの人間のふりができるんだって。あたし時々思うんだ。人間にもバグアにもいい顔してるコスタリカの人って、実はもう半分くらい人じゃなくてバグアなんじゃないか、って」
「考えすぎだろー、それは。ねえリツコさん」
もう一度時計を見る。
16時49分。
「可能性としてはあるわね」
「ほら! 怖いよやっぱり。この会社の人の誰かがバグアで、すごい爆弾を地下に隠してたりして、それである日突然、町ごとふっとんだりして」
「このビルに地下はないだろ」
「だから、たとえば、でさぁ」
「大丈夫よ、だっていざとなったら」
私はしゃべりながら、すばやくPCを操作する。
部門共通フォルダ→ソフトウェア管理→その他→閲覧厳禁(パスワード入力)→禁操作(パスワード入力)→Bへの取引情報→フォルダ削除→OK
そこまで一気に操作してから、私は微笑む。
「いざとなったら、私が守るもの」
同僚たちはぽかんとしている。
PCの画面に、『ファイルを完全に削除しました』の文字が点滅している。
●瞳 豹雅
無線機から情報が入ってきた。
『回転木馬が動きはじめた。アニーによって、ホールデンは消された。繰り返す。ホールデンは消去された』
来た来た。
「作戦開始といきますか」
カートをがらがら引きずりながら、自分とふーたんは移動をはじめた。
にしても。
少尉もずいぶん乱暴な作戦立てるよなあ。ファイルを消去しても、敵が食いついてこなかったらどうするつもりなんだろう?
あの少尉殿なんか臭うんだよね。
案外あの人が裏切り者なんじゃないだろうか?
後でいろいろ質問しようか、とちょっと考えたけど、やっぱりやめておくことにする。
もしクロだったら、疑いを持ってること自体秘密にしといたほうが今は有利だ。
そのくらい考えた時だろうか。
無線で『接触者あり』との報告が流れてきた。
すげえ、本当に接触あったんだ。
ますます怪しいな、ティガ少尉。
これが普通に作戦立案の結果だとしたら、あんた優秀すぎるよ。
どうも彼女、上司に連れられて別の部屋に向かっているらしい。
見つからないように、かつ通り過ぎる人に怪しまれないように、曲がり角をはさんで追いかける。
私は知覚力を眼に集中した。
窓枠の桟、ドアノブの映りこみ、通行人の眼球に映る姿。
能力者ともなれば、たとえ死角にいる人物だって、いろんな鏡の代用物を使って『視る』ことは十分可能だ。現代忍術の初歩。
律たんの前に立って歩いてるのは、一千風たんのプロジェクトリーダーだな。
リーダーと一千風たんはすたすたと廊下を歩いていく。
しばらく後をつけていくと、リーダーは社長室の前まで来て立ち止まった。
「社長、連れてまいりました」
「ああ。君はもう下がって良い」
「はい」
そう言ってリーダー、帰ってしまった。
律たんは「失礼します」と言って部屋に入った。
電動ロックの降りる音。
‥‥やべ。
これじゃ援護できない。
ともかく、報告だ。
報告。
ティガ少尉に?
‥‥ええい、迷っててもしょうがない。
無線機のスイッチを入れる。
●風代 律子
社長室は暗くて無音だった。
ひとつきりの窓からはビル群が見える。その上に落ちかけた中米の太陽がかかっていて、部屋の中にオレンジ色の火を落としている。
ひと払いをしたのだろう。秘書の姿は見えない。
執務机のむこうに、社長が座っていた。
逆行で表情が見えない。
「座りたまえ」と社長は言った。
私はじっと社長を見つめた。
「座りたまえ」もういちど、社長は言った。
私は社長と向かい合わせのソファに座る。
まだ表情は見えない。
「新人プログラマか。なるほど見事な手際だな」
「お言葉ですが社長、何の話をされているのか分かりません」
「鮮やかな手際のきみたちの正体は何だろう、という話さ。君たちが先刻に消去したデータがどれほどの価値を持つものなのか、君は分かっているのかね? 数十億ドルの取引が一瞬で消えたのだ。私は破滅だよ。まるで『真夏の夜の夢』だ」
「話が見えません」
「おいおい、お互い腹芸はよそう。きみたちが前回データファイルを盗み出した連中だということは、手管を見れば分かる」
「では、あなたが殺したのですね」
「ほう。誰を?」
「彼女を、です。ディスクの情報を盗まれないために、大使館で彼女を撃ち殺した」
「君の言葉ではないが、話が見えない」
「とぼけるな!」思わず大声が出た。「人の命を何だと思ってるんです!」
「そのくらいにしておきましょう、風代さん。彼の言うことはおそらく本当です。彼は何も知らない」
●蛇穴・シュウ
社長室の鍵を合鍵で開けて、少尉が入っていった。
「社長室もいつのまにかイージー・カミングになったな」と社長は言った。「君がこいつらの親玉か?」
「いえ。僕はただの実行部隊長ですよ」ティガ少尉はにっこり笑った。「あなたと同じです」
「何?」
「この会社について調べさせてもらいました。あなたには会社と、流通品を横流しする商品を持っている。けど、それだけだ。あなたには黒服の私兵を雇うだけの黒社会とのつながりはない。大使館に誰にもとがめられず入る社会的地位もないし、我々の作戦を盗み聞きする情報網もない」
「黒服の私兵? 大使館? 何の話だ?」
「分からないでしょう。おそらく、あなたをいくら締め上げてもバグアとのつながりは出ないでしょうね。すべての糸はあなたのところでぷっつりと切れるようにできている。実に巧妙だ」
「バグアとの取引のことまで知られているのか。もはやこれまでのようだな‥‥私は近いうち消されるだろう。取引データを外部の人間に見られたのだ。バグアは私を生かしてはおかないだろう。そういう連中だ」
「たぶん、どちらにしても用済みになれば殺されていましたよ。あなたはそういう配役なんだ」
「うすうす感じてはいた。私は利用されている、とな。連中のほうから、いきなり取引を持ちかけてきたんだ。法外な金額で。人の道に外れることは分かっていた‥‥だが、私は金が欲しかった」
「そして、我々への当て馬にされた」
「私はスラム街の生まれだ。白人の連中に足蹴にされ、唾をはきかけられて育った。私はただ、誰からもまともに、人間らしく扱われるだけの金が欲しかっただけなんだよ。教えてくれ。私は殺されて当然の人間だろうか?」
「人の命というのは、自分が思うほどには高くないものです」
社長はゆっくりと頭をかかえた。
少尉は窓の向こうをちらっと見た。それから私に耳打ちした。
「たぶん狙撃があります。狙撃地点をよく見ておいてください」
ほとんど同時に、チカリ、と白い粒のような何か窓の外で光った。
少尉の警告がなかったら間に合わなかっただろう。
それでも、私と私のエミタは反応した。
私の足は地面を蹴った。
どうしてだろう?
どうして反応なんかしたんだろう?
よく分からない。
とにかく、跳んでから、しまったって思った。
どうすんだよ、それから?
なるようになるしかなかった。
窓ガラスが内側にはじけとぶ。
指ほどもあるライフル弾が部屋に侵入する。
着弾する場所は分かってたから、そこに手を伸ばす。
社長さんのこめかみ。
私の手には白い箱。
金属でできた筐体に弾丸が着弾。
回転する銃弾は箱を紙束みたいにえぐりとりながら貫通。
私の手のひらに弾丸が突き刺さる。
弾頭が回転して、手のひらを食い破ろうとする。
肉が焦げるにおい。
長い時間をかけて、弾丸の回転はしゅるしゅると止まった。
弾丸は手のひらの半分くらいにまで埋まっていた。
「‥‥」
「‥‥」
こなごなに砕け散った白い箱を見る。
「ごめん少尉、こわした」
少尉の顔が地獄の悪鬼になる。
「サーーラーーギーーィィィ」
●鬼非鬼 ふー
「狙撃地点、見えたわ」指でコンパスを作って角度を測る。「かなり近いわ。3つ向こうの通りのビル屋上。伏射から逃走。観測手はなし。今から追えば間に合うかも」
「突然ですが皆さん、この作戦の本当の目的をお教えします」ティガ少尉が言った。「それは『やつら』をおびき出すことです。狙撃をした連中です。『やつら』が表に出てくることは、二度とないでしょう。‥‥この機会をのがせば」
「あんた、こうなることを知ってたな!」豹雅が叫ぶ。
「読んでたんですよ。僕、プロの事務屋ですから」
「とにかく追うしかないわ」私はエプロンと三角巾をぬぎ捨てて言う。「みんな武器を持って。いちばん近い下り階段は西側‥‥」
「そんなことしてたら連中、家に帰ってティーブレイクしちまうよ」と豹雅。「よし、ふーたん、しっかりつかまっとれよ!」
「へ?」
振り向こうと思ったときには、足の裏から床が消えていた。
景色がくるりと回る。
「え? え?」
気がつくと豹雅が私を小脇にかかえて、割れた窓に足をかけていた。
「待っ、自分で行けるからちょっと」
「しゅわーーーーっち!」
豹雅が窓枠を蹴って空中に飛び出す!
空中で地面と空が交互に交互に交互に見える。
いきなりのことで着地体勢がとれない!
落ちている豹雅が、落ちている私を見てにんまり笑う。私の体を持って、さらに上に投げる!
私は下降運動から上昇運動に変化。一瞬だけ空中に停止。
「はあ」
空中に止まったとき、私はそっとため息をついた。
再び下降運動に変化。
先に地上に着いた豹雅は爪先から膝、肩、背中と転がって衝撃を逃がす。
それから振り返って、「おいで姫君」私を見上げる。
私はあやまたず豹雅の腕の中に、すぽんと飛び込んだ。
「おやおや、空から少女が降ってきた」
「‥‥いつか絶対仕返しするわ」
横の道路に、青いセダンが突っ込んでくる。ターンして急ブレーキ。
ドアが開き、声が叫ぶ。
「早く乗って!」
●レールズ(
ga5293)
やっと出番だ!
六気筒エンジンが爆縮する。
クラッチがギアを噛む。油圧が弁を押し上げる。
タイヤが魔物の歯軋りみたいな音をたててアスファルトをこすり、車は走り出した。
速度無視のまま1、2分ほど走ったとき。
「あの車は? 緑のピックアップトラック!」
「あいつだ‥‥!」鬼非鬼が指差した。「大使館の前にいたスナイパー! 追って、追って!」
「よおし」と俺は言った。「少し揺れますよっ!」
俺は大きくハンドルを左に切る。片輪を歩道に乗り上げた状態で、道路の脇を無理やりに走っていく!
ピックアップトラックとの距離が5メートルほどに縮まったとき、たたたん、と乾いた音が車をたたいた。
「撃ってきた!」
「助手席の下にSMGがあります! 使ってください!」
敵の車が俺たちの正面につける。助手席の男が、小銃を撃ってくる。タイヤをやられたら終わりだ!
俺は蛇行運転で銃弾をかわす。距離が開く。その隙をついて、敵の車が交差点を強引に曲がろうとする。
「逃がすかっ!」
俺はハンドルを限界まで切って直角に曲がる。一瞬タイヤが浮く。強烈な横G。
曲がりきった、と思った瞬間、視界の隅になにか白いものが通り過ぎた。
反射的に振り返る。
そこには道路脇の広告看板。黒い縁めがねをかけたラテン系のおじさんが麦わら帽子をかぶって、白い歯をむきだしにして笑っている。親指をつきだし、どこでもない所を見ている。おじさんの周囲には、ブロンド美女がもたれかかって、うっとりとおじさんを見つめていた。その横には『運命と戦うことをあきらめるな! 1100ドルであなたもモテモテ! 全身整形のサンペテロ病院』の白い文字。
なんて怪しい看板、そしてなんて中途半端な金額。
いや、そうじゃなくて。
「1100の看板!」
ラテンおじさんはあっという間に小さくなって後ろに消えた。
引き返して確かめたかったけれど、今はそれどころじゃない。
あきらめて前に向きなおる。
その瞬間、ぼっ、という低い音。
白い光のかけらが視界いっぱいに広がった。
右のウインドウがすべて、一瞬で砕け散ったのだ。
「敵のスナイプガンはSES仕様よ! かすっただけで衝撃波が車体をえぐりとるわ!」
「くそっ、前が見えない!」
白いヒビの入った車のガラスを拳で叩き割る。
手が切れるのもかまわず、ガラスの破片を払う。
ガラスの雨のむこうで、助手席の男が狙撃中を構えるのが見えた。
ふたたび低い狙撃音。
車体を横にすべらせてなんとか避ける。
「このままでは射的ゲームの的ですね‥‥少し距離を取りますよ!」
「あきらめるの!?」
「大丈夫、この先は一本道の丘陵地帯です。それにあいつのエンジン音をおぼえました。能力者の知覚力からは逃れられません」
音と車影をたよりに追跡すること十数分後。音がとぎれた地点に行ってみると、乗り捨てられた緑のピックアップトラックを見つけた。
「徒歩で逃げたようですね」
背後からのエンジン音に振りかえると、少尉、遠石さん、蛇穴さん、風代さんたち後続隊がトラックで追いついてきたところだった。
「乗り捨てたのは1分ほど前です。そう遠くは行けないでしょう」
俺たちは安全のため全員で索敵することにした。
「さしものスナイパーさんも、こんだけいりゃあ勝てるでしょう」
「そうかしら。油断は禁物よ」
と。
「見て、あの木の向こう。‥‥奴よ」
蛇穴さんが指差した暗がり。そこには誰かが、背を向けて立っていた。こちらに背を向けて、何かを見ている。
「動くなっ!」
銃を持つ全員が男に銃口を向けた。
「両手を頭のうしろにつけて、ゆっくり振り返りなさい」
「いいだろう」
男の低い声がした。
両手を挙げて、振り返る。そこには先ほどのスナイパーの姿があった。
「さあ、両手を挙げなさい!」
男は両手を挙げる。そして言う。
「ホールド・アップか。昔なつかしい習慣というやつかな。能力者ともなれば、両手を上げた状態から百の攻撃が可能だ。それでもこういう状況だと、人は言ってしまうものだ‥‥『両手を上げろ』と」
「仲間の運転手役はどこです!」と俺は叫ぶ。
「仲間? それはこいつらのことだろうか」
次の瞬間。
山がうごめいた。
信じられない。
これは悪い夢か?
山肌のいたるところに、黒い人影が出現していた。
黒いヘルメットに防弾ライダースーツ。
全員が小銃をこちらに向けている。
その数、20人近く。
赤いレーザーポイントが、俺たち7人の全身に残らず灯っている。
動けない。
最悪なのは、彼らが気配なく隠れていたということ。
そして、彼らの持っている小銃だ。
見慣れた機関部のエアー・インテークは、SES機構を内装している証拠。
「古い慣習の言葉だが、たまには懐古主義も良いかもしれんな。諸君‥‥両手を上げろ」
俺は敵の数を数えた。18人。
全員が能力者。
全員が能力者?
やばすぎる。
「さて、質問の時間だ」スナイパーの男は悠々と言った。「指揮官はどなたかな?」
「誰が言うか!」瞳さんが言う。
彼女は戦う気だ。敵の隙を探している。
「自分たちの置かれている状況が分かってないようだな」男が冷血の声で言う。「別に指揮官がどうしても必要というわけじゃない。いざとなれば1人を拷問用に生かして、あとは殺すだけだ‥‥さあ、指揮官は?」
「はーい」
ティガ少尉が前に出た。
「少尉。殺されますよ!」と風代さん。
「まあまあ。丸くおさめるには、どうやらこれしかないようですし」
「どう甘く見積もっても死の危機ですよ?」
「大丈夫。僕が死んでも、代わりの局員はいくらでもいます」
「‥‥!」
「話し合いは終わったかな? では質問だ。指揮官どの、お前たちはUPC軍か?」
「‥‥」ティガ少尉はしばらく考えて答えた。「ノー」
「なるほど」男はにやりとした。「本当かどうか、後でゆっくり確かめさせてもらうとしよう。拘束しろ」
男たちの一人が少尉に手錠をかける。
「ひとつ頼みがあります」少尉が男に言った。「僕以外の6人はただの雇われた人間です。見逃してもらえませんか? 彼らには恣意的に情報を隠してあるんですよ。だから拷問しても何も出ません」
「そうか」男は笑った。「断る」
「そうですか。‥‥残念だなあ。こんなことなら、ちゃんとぬいぐるみ探しておけばよかったなあ。はあ」
ティガ少尉はそう言って、俺たち全員のほうをちらっと見た。
ある瞬間に何の前触れもなしに、少尉は男に体当たりした。
男は驚いて一瞬だけバランスを崩す。
ほかの能力者たちも、何事かと銃口をほんの少しだけずらした。
「今です!」
鬼非鬼さんが閃光手榴弾を投擲。
夕闇の山肌が、一瞬だけ真っ白に染められる。
同時に俺たちは覚醒し、それぞれ別の方向へと疾走した。
タタタタン、タタタタンという銃声を背後に聞きながら。
俺たちは、力の続く限り、敗走した。
逃げ切った後、数日後に、俺は1100の看板のところへ行ってみた。
看板の裏側に、小さな汚い灰色の猫のぬいぐるみが落ちていた。
縫い目があらくて、ところどころ中身がはみだしている。
ずいぶん古いぬいぐるみだ。首の裏のところに、刺繍で「息子へ」と書かれてあった。
しばらく眺めていたら、縫い目から紙切れが少しはみだしているのを見つけた。
俺はそれを取り出して読んでみた。
そこにはこう書かれてあった。
『こんな仕事だから、自分が明日生きてるかどうかなんて分かったもんじゃない。
だからもしもの時、ここに書かれたことは法的拘束力を持つとします。
僕が死んだ場合、財産400万ドルは、田舎の母親にその全額の相続権があります。
母さん、生んでくれてありがとう。
本当は僕だって、死にたくない』
俺はそれを何度も読んだ。
言葉ひとつひとつを、確認するように読んだ。
読んでいるうちに、なんだかわけのわからない気持ちになって、看板を力まかせに殴りつけた。
看板のラテンおじさんは相変わらずどこでもない所を見ながら笑っていて、その横には『運命と戦うことをあきらめるな』と書かれている。
つづく