●リプレイ本文
現場へ急行する高速移動艇。
その中で能力者たちは現状の報告、そして今回の任務に関する内容を聞いていた。
「シーリアさん‥‥いや、目標は現在も街の上空を飛行中。街中に歌を響かせて、人とキメラを眠らせています」
そう告げるのは、オペレーターの山本総二郎だ。
彼は手元にある資料に目を通し、現在街中で目撃されているキメラの情報、逃げ遅れた住人が街の中に居る事などを報告して聞かせた。
「クソッタレ、なに人間止め――‥‥でも、ないか」
握り締めた拳に爪を喰い込ませ、寺島 楓理(
gc6635)は苦々しげに呟いた。
紅い翼を持つ生き物へと変じたシーリアは確かに人間ではない。それでも聞く話によれば、シーリアの歌声は人間だけではなく、キメラにも聞いていると言うではないか。
それはつまり――
「まだ、聞く耳は持ってるのかもな‥‥」
そうは言うが、気掛かりは多い。
「何が理由か知らないが、これは明確な裏切りだな」
「!」
――裏切り。
突如響いた声に、楓理とメシア・ローザリア(
gb6467)、そして御法川 沙雪華(
gb5322)の目が向かう。
その先に居たのは追儺(
gc5241)だ。
楓理やメシア、そして沙雪華は少なくとも1度はシーリアに関わっている。直接的でなくとも、間接的にでも。
だからこそ今回の事に思う事がある。
だが彼女のことを知らない人は? 彼女をただの強化人間と思う人には?
シーリアの行動や、彼女の姿は如何映る?
「報告を聞く限り裏切り以外の何がある。人類を裏切りバグアの元に行き、今は強化人間になって街に害を与えている。これが事実だ」
そう、如何なる理由があろうとも、シーリアが行ったことは人類に対する裏切り。
街に住む者達にとって、彼女は街を襲うキメラと同様に脅威でしかないだろう。
それを思うと、不用意な事は言えない。それでもシーリアと呼ばれる人物を知っている者は、別の思いがあるのも確かだ。
「まあ、これに関して、あたしは深く触れないよ」
エイミー・H・メイヤー(
gb5994)はそう口にすると静かに瞼を伏せた。
先程追儺がシーリアの行為を裏切りと称した時、何名かがその言葉に反応したのを見た。それはつまり、今回の依頼――否、シーリアに関して思い入れがある人物がいると言う事。
「強化人間については、今まで追って来た人に任せれば良いんじゃない?」
「ボクもそれで良いですよ。強化人間の退治の他にもすることはあるでしょうから」
エイミーの言葉に続き、柿原 錬(
gb1931)はそう口にするとキルト・ガング(gz0430)を見た。
高速移動艇に入ってから彼は一言も言葉を発していない。腕を組んで他人との接触を拒んでいるようにも見える。
「‥‥話しかけ辛いですよね。キルトさんにも色々と聞いておきたいんですが‥‥」
錬の呟きを耳に、沙雪華の視線が落ちる。
以前の依頼でキルトの過去を調べた際に取った行動。彼女は未だにその行為を悔やんでいた。
もしかすると、彼が口を閉ざす原因が、自分達にもあるのではないか、と。
「キルトさん‥‥」
沙雪華は意を決して近付くと、視線を向ける事のない相手に口を開いた。
「前回は、申し訳ありませんでした」
「‥‥」
「シーリアさんの件に関して、責任を感じたり、思う事がおありと存じます。ですが‥‥シーリアさんのように、弱さに負けてしまってはダメです」
キルトの眉がピクリと動いた。
それを視界に、沙雪華は言葉を続ける。
「向き合う事が辛くても、逃げてしまったら‥‥なお、取り返しのつかないことになります」
――後悔のなきように‥‥
そう口中で囁き視線を落とす。
もしかするとこのような事、口にしなくても分かっているのかもしれない。そう思うと、居た堪れず視線が落ちる。
そんな彼女にキルトの目が動くのだが、彼が言葉を発するよりも早く、別の声が響いてきた。
「ガング様、帰るなら今よ」
「!」
沙雪華の優しい言葉とは違い、確信を突くような強い声に、キルトの目が飛んだ。
その視線の先に居たのはメシアだ。
彼女は自分を見たキルトを見て、腰に手を添えると視線を強く彼を見据えた。
「尤も、逃げたツケが今なのでしょうが」
「結構きついこと言うんだな。でもまあ、メシアの言う通りだな」
きつい視線を送るメシアと、呆れた表情の楓理。だが彼女等が云う事は尤もで、キルトには返す言葉もない。
「なあ、キルト‥‥。苦手とか言ってらんねえぞ。これはてめぇの所為でも――」
「わかってる‥‥」
ボソッと零された声に、楓理やメシア、沙雪華の目が瞬かれる。
「ガキみてぇにヘソ曲げてた俺が悪いのはわかってんだよ。だから来たんだ‥‥けどな、俺はアイツを倒しに行くわけじゃねえぞ」
言って、眼光鋭く高速移動艇の中を見回す。
そうする事でこの中に居る全員を視界に留めると、最後に目を留められた追儺が、苦笑気味に前髪を掻き上げた。
「そんな仇を見るような目で見るな。あんたらが、あの強化人間の行為が裏切りだとわかってても、どうにかしたいと言うなら力は貸すさ」
彼とて絶対に強化人間を倒したい訳ではない。
何か事情があり、成したい事があると言うのなら、それを助けるくらいの器量は備えている。
「だが、中途半端にするな。やるからにはしっかりと説得して連れて来い」
「ああ、すまねぇ‥‥ん? あんた『ら』?」
キョトンと目を瞬いたキルトに、複数の咳払いが響く。
「てめぇ、楓理の事を忘れてやがんな」
「ガング様如きがわたくしを忘れるなど笑止千万。あなたには道案内を頼みたいのですから、しっかり着いて来なさい」
「‥‥メシア、言ってることが微妙に滅茶苦茶なんだが‥‥」
とは言え、キルトと同じ思いの人間が他にもいる。その事実は彼を安心させた。
それは表情にも表れており、先程までのピリピリした雰囲気が柔和している。
「ねえ、話がまとまったのなら、次の話を聞いてあげない?」
若干和やかになった艇の中。聞こえた声に目を向けると、情けない表情で書類を見詰める総二郎と、それを擁護するように小首を傾げるweiβ Hexe(
gc7498)の姿が目に飛び込んで来た。
「そろそろ到着するんで、情報の整理をさせてほしいんですが‥‥もう、良いかな?」
情けなく鼻を鳴らす彼に、皆が苦笑する。
そんな中、彼の近くにいた湊 獅子鷹(
gc0233)が彼の肩を叩いた。
「俺は聞いてたぞ。空には鳥人間‥‥地上にはキメラ。自殺にゃ易し、逃亡にゃ難し」
だろ?
そう言ってニッと笑った彼に、総二郎が縋る様な目で頷く。
「はい。現状、どれだけの人が逃げ遅れてるかわかりません。なので、十分注意してキメラの退治、住人の保護を行ってください」
「逃げ遅れてる住人の数が分からないってことは、被害状況も不明なのかしら」
weiβは腕を組んだ状態で問いかける。
これに総二郎が頷きを返した。
「そうですね‥‥現状では被害状況も不明です。ただ、もしかすると‥‥」
総二郎はそこまで言って言葉を切ると、緩く首を横に振って書類から顔を上げた。
「‥‥とにかく、皆さんには期待しています。住人の保護を最優先とし、キメラの排除を行ってください‥‥それと、強化人間も‥‥」
「あの、山本さん。今回も、お願いがあるのですけど‥‥」
若干表情を歪ませて皆に報告を終えた総二郎。そんな彼に近付くと、沙雪華は今回の捜索で必要と思われる事項を告げ、彼に追加の情報提供を求めたのだった。
●
彼方此方に広がる火の手。それを視界に沙雪華はエイミーから借りたジーザリオのハンドルを切っていた。
「‥‥想像と、違いますね」
そう零す彼女の目に映るのは、瓦礫や火に沈んだ街の姿。
一見すれば悲惨でしかない状況。にも拘わらず、街の中には其処彼処に違和感がある。
「この辺りがキメラの活動区域――とは言ったものの、キメラの反応は無し、か」
追儺はそう言って、車両が停車するのを待って外に出た。
そんな彼を真っ先に迎え入れたのは、辺りを焦がす火の匂いだ。
周囲に火の手があるのだから、そうした匂いがしても問題はない。だが本来ならそれに続いて火薬や、血の匂いなどもする筈なのだが、そうした物が一切しない。
「如何いう事だ‥‥それに、人の痕跡も一切ないんだが‥‥」
崩れかけた建物や、健在の建物の中は未確認なので仕方がないが、道路や路地、本来なら人が居るはずの場所に、人の痕跡が無い。
それは明らかにおかしい事で、どうにも違和感を覚えずにはいられない。
沙雪華も車を降りると、追儺と同様に周囲を見回した――と、彼女の目に僅かな光が入る。
夕日が輝く現在、光が何かに反射する事は珍しくない。しかし、光は建物の上から来ている様だった。
「追儺さん。この建物の上に逃げ遅れた人が居るかもしれません」
「建物の中か‥‥」
大人しく階段を昇るとしてルートは1つだけ。もし途中でキメラに発見されれば戦闘せざるを得ないだろう。
だがもし上階に逃げ遅れた住人が居るならば、行かない訳には行かない。
「御法川さんはここで見張りを頼む。車が襲われたら元も子もないからな」
この声に沙雪華は頷くと、建物に消える追儺の背を見送った。
そうしてキメラを警戒する為に周囲に目を向けたのだが、ふと彼女の目が空へと飛んだ。
「これは‥‥」
耳に響く歌声。
それを響かせるのは、夕日に染まる真っ赤な空を飛ぶ、深紅の翼を持つ鳥――シーリアだ。
彼女は広い街の一角で歌を歌い続けている。その歌声に耳を奪われていると、不意に視界が歪んだ。
「っ‥‥まさか‥‥シーリアさんは、キメラを眠らせて被害を抑えようと‥‥?」
眉を潜め、呟く。
あまり歌声に聞き入っていると眠ってしまいそうになる。
沙雪華は引き込まれそうになる意識を、頭を横に振る事で戻すと、僅かに視線を落とした。
「‥‥シーリアさん‥‥あなたは、このような悲劇は望まぬと、そう‥‥仰るのですか」
囁き手を握り締めようとした時だ。
バリンッ。
上空でガラスの割れる音がした。
「御法川さん!」
窓を割り、階下へ落ちてくる物体。それに沙雪華が素早く反応する。
「‥‥外しません!」
物体の重さと重力。その両方で加速してくるのは豹型のキメラだ。
キメラは上空で体を反転させると、真下に居る沙雪華に気付いた。そしてすぐさま狙いを彼女に定め、着地と同時に喰らい付こうと口を開く。
だが、そうした瞬間、キメラの頭が吹き飛んだ。
雨のように降る血。それを視界に納めつつ、沙雪華は新たな矢を番える。しかし、次のキメラが落ちてくる事は無かった。
「これで終いだ」
静かに囁かれる声。
その声に導かれる様に動いた蒼剣が、弧を描いて迫り来る豹を薙いだ。だがこれは牽制の為の一太刀。
先に階下へ落としたキメラは、今の一撃で窓の外に消えた。だが、このキメラは違う。
同じ豹型キメラでありながら、先の攻撃を見て追儺の動きに警戒を覚えたようだ。
「お兄ちゃん‥‥」
「大丈夫だ。お母さんをしっかり守っとけよ」
追儺は発見した親子にそう告げ、薙いだばかりの刃を構え直した。
緩やかに全身から立ち昇る炎の幻影が、窓の外の夕日に重なり陽炎のように揺らいでいる。
子供はそれを見ながら頷くと、夢の中に落ちた母の体をしっかりと抱き締めた。
「目、瞑ってろ!」
ザッと地を踏むのとほぼ同時にキメラも踏み込んで来た。
だが追儺の動きの方が僅かに早い。
彼は飛び込んでくる敵の懐に入り込むと、喉を掻き切る様にして刃を閃かせた。
直後、鮮血を上げながらキメラが崩れ落ちる。
彼はその光景を子供に見せないよう、自らを壁にして立ち塞がると、僅かに息を吐いて周囲に気を馳せた。
「もう、大丈夫か‥‥?」
先程部屋に入る際に感じた殺気はもうない。
きっと大丈夫と信じたいが、敵の修正を考えると難しい所だ。
「この建物に他にも逃げ遅れた人が居るかどうかわかるか?」
追儺はそう声を掛けると、子供を振り返り優しく笑んで見せた。
その頃、沙雪華や追儺とは別の方法でキメラ活動区域に足を踏み入れた者たちは、瓦礫の中に横たわる豹型キメラを前に何とも言えない表情を浮かべていた。
「シーリアさんみたいな、強化人間はいたけれど何かが違う‥‥」
人間もキメラも無差別に眠りにつかせる強化人間。正直、この場に立つ彼等とて、今すぐにでも眠りに落ちてしまいそうだ。
錬は複雑そうに呟き、幼く見える顔を歪めた。
そんな彼の肩を叩き、メシアがキルトを振り返る。
「ガング様。死者の眠る場所へ――いいえ、彼の人の意志の、在る場所へ」
――案内して下さい。
そう言葉を切った彼女の言う『死者の眠る場所』、基、『彼の人の意志の、在る場所』とは何処か。
キルトには何となく‥‥否、十分すぎる程わかっていた。
「ジョニーの死んだ場所か」
ポツリ零した声に、メシアが頷く。
ここが彼の地であるのなら、シーリアが向かうべき場所は1つしかない。
「覚悟決めて行くぞ」
楓理はそう言ってキルトの背を叩いて歩き出した。
その姿を見て、キルトの口角に苦笑が浮かぶ。
「私はあの歌を知らない、歌の意味も解らない。それでも彼女は歌っているの‥‥ダレかに何かを、伝えたくてね」
weiβは通り過ぎ様にキルトに告げると、思い出したように懐を探って何かを取り出した。
そうして何でもない物のようにそれを放って見せる。
「私は使わないからあげるわ。返す必要なんてないわよ」
「何――って、おい。こんなもん投げんな!」
慌てて受け取って驚いた。
weiβが投げたのは閃光手榴弾。彼女なりに強化人間に対峙する者への手向けなのだろうが、もし受け取り損ねて何かあった時には目も当てられない。
「まあ、そう簡単に如何こうなる代物でもないと思うが‥‥あー‥‥ありがとうな」
キルトはそう言うと、有り難く閃光手榴弾を受け取って、先を歩くメシアや楓理の後を追った。
後に残されたweiβや錬、それにエイミーや湊は、静まり返った街を振り返る。
「では、こちらもですね‥‥――狩りの開始」
錬はそう呟くと、先程まで中性的だった身体に女性身を帯びさせ、ふわりと風に髪を靡かせた。
その髪が金色に変わると、彼の雰囲気が一変する。
眼光鋭く見上げた空。そこに控えるのは未だ歌を歌い続ける鳥――シーリアだ。
「ったく、何がしたいんだよあいつは‥‥、キメラを止めてる様に見えないっての」
戦場の筈なのに静かなこの場所。それは人やキメラが眠りに落ちているから。
この行為は一見すればキメラを止めているようにも見える。だが、一般人からすれば街を襲う化け物でしかない。
「住民を餌にしてもいいってのかよ」
彼はそう零すと自らの機動性を生かし、行動を開始した。
AU―KVを纏い、出来るだけ静かに建物の間を駆け抜けてゆく。
そしてその姿を視界端に納め、エイミーは自らの腕に爪を喰い込ませ、僅かに眉を潜めていた。
「‥‥シスターの、子守唄か‥‥」
シーリアの歌の範囲は想像以上に広い。故に気を抜けば自らも眠りそうになってしまう。
彼女は自らを傷付ける事で眠りの効果を抑えると、小さく息を零した。
「戦場以外で聞きたかったな」
穏やかで優しい音色は、聞く場所で聞けば精神供に癒される物だっただろう。だが今はそのような気持ちで聞くことは出来ない。
彼女は総二郎から借り受けていた地図を広げると、メシアや楓理たちが向かった場所、沙雪華や追儺が活動を行う場所を確認し、次いで自らの位置を確認した。
「あたしはこっちに行くよ。何かあったら無線で連絡を」
そう言葉を残し、彼女は微かに火の燻る瓦礫へと足を進めた。
彼女が選んだのは救助班が要る場所とも、強化人間対策の班とも逆方向。ちょうど、彼女が進む事で三角形を描く事が出来る角度だ。
「見通しは悪くない。でも、こういう場所にも潜んでる可能性が‥‥言ってる傍から、発見」
言って目を向けた先。瓦礫の合間に崩れ落ちるキメラを発見した。
「――目が覚める前に」
囁いた瞳が金色に染まり、身の丈よりも僅かに低い刀身を掲げると、彼女は一気にそれを振り下ろした。
目の前で上がる飛沫。それに顎を引いた――その時だ。
「!」
頬を掠めた熱に、咄嗟に飛び退く。
そうして飛び退く際に大地に擦れた刃を引き寄せると、彼女から表情が消えた。
「‥‥傷の代償、高い」
ガッと大地を抉った剣。それが小石を弾いてキメラに向かう。敵も、この小石を受けて駆け出した。
元々の俊敏性を生かして一気に間合いに飛び込んだ敵に、エイミーの足が揺れる。
「ワンテンポ、遅い‥‥なら、ココです」
間合いに飛び込む敵に合わせて後方に退き、新たな間合いを作り出す。そこに敵が飛び込むと、彼女は用意しておいた小銃を額に添えた。
途端、唸るような叫び声が上がる。だがこれは序の口。
「――さよなら」
炎の軌跡を敷いて迫る刃。それに赤の光が纏わり付くと、炎は更なる大きさを増してキメラの喉を裂いた。
エイミーは鮮血を浴びながら、静かに剣を納める。そして元の青い瞳で空を見上げると、無線機を取り出してキメラ退治の報を告げた。
「――こっちは、応戦中だ!」
湊はそう叫び、無線機を口に咥えて眼前に迫るキメラの胴を叩き抜いた。
凄まじい勢いで上がる飛沫。だがそれに気を取られている場合では無い。
彼は急ぎ無線機を仕舞うと、片手に装備していた神々しいまでの太刀を振り抜いた。
「今ので起きたか‥‥けどまあ、これで五分五分ってとこか?」
ニイッと笑った瞬間、彼の体から黒い闘気が溢れ出す。それらは戦闘態勢を取るキメラにも迫り、彼はそれが付くか付かないか。そんな微妙な距離になって、キメラが先に動き出した。
風のように大地を蹴り、一直線に湊を目指す。しかし彼は慌てた様子もなく刃を構え直すと、先に倒したキメラの血で濡れた腕をひと舐めして、刃を引いた。
「‥‥今だ」
何が合図だったのか。
瞬時に飛び出した彼の足がキメラの足に重なる。そうしてキメラの牙が擦れ違い様に彼の喉を掻き切ろうとした瞬間、舌を覗かせた首が宙を舞った。
「次!」
仲間の一瞬の死。
その事で僅かに怯んだ敵の隙を見逃さず、間髪入れずに地面を蹴り直す。反転した体が、再びキメラの懐に入る。
だが、敵もそう易々と切らせてはくれなかった。
「ッ、‥‥何処かが切れたか」
痛覚は殆どない。それでも視界端で自らの血痕が飛ぶのが見えた。
彼は動きの鈍くなった腕を引き寄せて笑うと、大口を開けて第2波を見舞に来る敵の喉に刃を突き入れた。
嗚咽と唸り声。その双方を耳に、彼の目が周囲に落ちる。
「この辺りはこれで終わりか‥‥?」
呆気なかったな。そう零しながらも、だらりと下がった腕に苦笑する。そうして歩き出すと、仲間がまだ足を向けていない地区に向けて歩き出した。
そして、同じくキメラ退治に乗り出していたweiβもまた、敵の姿を発見し握り締めた小石を手の中で遊ばせていた。
「意外と見付けられるものね」
奇襲対策にと物陰に小石を投げて確認していた彼女は、今正にその方法で発見した敵を前に、小さな笑みを浮かべていた。
「アラドスティア一緒に踊りましょうか」
そう囁き構えるのは、断罪の女神の名を持つ斧。長身の我が身よりも更に高い背を持つ斧を手に、彼女は鈴を転がすように軽やかに笑う。
その声に、訝しむようにジリジリとキメラの足が動いている。
「さあ、私と遊びましょう!」
しなやかに美しい体が風を切る。同時に駆け出したキメラは、楽しげに微笑むその顔を目指す。
だが‥‥――グシャッ。
斧の重みに両断された頭が地面に崩れ落ちる。そうして紅い染みを作り出すと、彼女はニッコリ笑って小首を傾げた。
「もっと遊びましょうよ。これじゃつまらな――」
コロコロと笑っていたweiβの声が止まった。
凝視する先。そこに在るのは豹型のキメラだ。
身を低くして、窺う様に物陰から幼い子供を狙うそれに、weiβは大地に落ちていた相棒を拾い上げた。
そして――
「その子から離れなさい!」
見える子供は小刻みに動いている。それはつまり生きていると言う事。ならば自分が取るべき行動は決まっている。
「私は、あの時守れなかった。だから今度は私が死んでも守るの!」
重心を両足に掛け、一気に斧を振り抜く。
凄まじい勢いの風が駆け抜け、重力を借りたそれが子供を狙う胴を薙ぐ――否、掠めた。
「!」
一足先に動き出した敵は直撃を免れ駆け出している。それが向かうのは幼い子供の元。
「だ――」
ダメ。
そう叫ぼうとしたweiβの目が見開かれた。
何時の間に接近したのだろう。
キメラの側面に立ち、子の襟首を掴んで引き寄せた金色の髪が、力強く噴出された光の刃で敵の胴を射抜いている。
それは奇跡のような出来事で、weiβは思わずその場に座り込んだ。
「まだ座り込むには早い」
金糸の髪を靡かせ、錬はそう告げると子供をそっと地面に下した。
その上で周囲を探った彼の足が動く。
「かかってきなよ、獲物がここに居るぞ」
子供から離れ、出来るだけ距離を取り、そして自らの意識を向けさせる。当然敵は、戦闘能力が在る者よりも、無い者を獲物に選ぶのだが、その前にはweiβが立ち塞がっていた。
「残念だったな。お前は生かしておかない」
レーザーブレードとエネルギーガン。それらを手に握り締め、一気に駆け抜ける。
その姿はweiβにも、敵にも追いつく事が出来ない。
「喰らえ――フェンリルファング!」
キメラの後方に辿り着いた直後に繰り出された一撃。これに咄嗟に反応した敵だったが、気付くのが遅かった。
振り返ると同時に飛び散った血が、生命の終わりを物語る。そうして息途絶えたキメラが地面に伏すと、彼はweiβが護る子供に目を向けた。
●
街と呼べる佇まいから進んだ先。真新しい教会の直ぐ傍に、複数の墓が立ち並ぶ場所があった。
「ここが‥‥」
墓地自体も真新しく、まだ出来て日が浅いと見える。至る所に空き地が見えるのが、その証拠だろう。
「おい、シーリア!」
楓理は上空を飛び、歌を奏で続けるシーリアに呼びかけた。
その声に一瞬だけ視線が向く。
そしてメシアと楓理、キルトの姿を目にすると、彼女は飛翔して踵を返した。
「シーリア様。此れが、貴女の選択かしら?」
この場から逃げるように飛び去ろうとする存在に、メシアが叫ぶ。
生きる上で分岐点は当然ある。そしてどの選択肢を選ぶか、それは個人の自由だ。また、選んだ選択が正解かどうか、それも受け取る人によって幾重にも分かれている。
なら、この選択肢を選んだシーリアにも、彼女が正解だと言える言葉がある筈。
しかし、シーリアは去る動きは止めたものの、緩く首を横に振るだけで言葉を返さない。代わりに、彼等を退けようと眠りを誘う歌を奏でる。
これに別の音が重なった。
歌を遮る別の音。
音を奏でるというよりも、言葉を奏でる音色に、シーリアの音が崩れ始める。
「‥‥この、音は‥‥」
「漸く喋ったか。ったく、こんなの腕前披露することになるとはね」
やれやれと肩を竦めた楓理に、シーリアは困惑気な表情を向ける。
歌で歌を遮る。確かに出来ない訳ではないが、今聞いた音色はシーリアが聞いた事のない物。
「今のは詩吟だ。楓理にだって立ち向かうものがあるんだ。逃げたって仕方がないだろ。あんたに立ち向かうにはこれが良い‥‥そう思ったんだ」
まあ、当りだったな。
そう言って笑った彼女にシーリアの目が眩しそうに細められた。
それを見て、メシアが前に進み出る。
「嘗て、恋い慕う執事を失い、主人と言う誇りと、愛を失った。わかりまして?」
そう語るメシアは、過去、シーリアと同じように大事な人を亡くした。
本来であれば彼女も、シーリアと同じように過去に縛られ、別の道を選んでいたかもしれない。だが彼女は逃げる道ではなく、別の道を選んだ。
その理由は――
「生き恥を晒し、この場にいるのは、生きろと願うあの方の思いを、受け継ぐ為。愛に殉じるのもよいでしょう、たった二人で終わるなら。でも、あまりに自己的な愛ですわね」
メシアはそう言葉を切ると、指揮棒型の超機械を取出しその先端をシーリアに向けた。
「わたくし達を殺す事が貴女の試練。出来ないなら、問・答・無・用で、連れて帰ります。この行動に一点の大義も存在しない事は、解るわね?」
彼女の言いたい事はわかる。
そして彼女たちがここを訪れた本当の理由もわかる。
「されど‥‥それに甘える訳には――」
「酷い女だよな。男2人の思いを踏みにじってんだからな。だろ?」
楓理はシーリアの言葉を遮ってそう言葉を発すると、若干表情青くその場に立っているキルトを見た。
「いや、俺も人の事は‥‥ただ、シーリアは護んなきゃって思う。ジョニーがここで護ったのは、お前と俺の命で‥‥だから、もしコイツらが問答無用でお前を倒そうって言い出したら、俺は敵になろうって思ってた。でもコイツらは、お前の話を聞こうとしてくれてる」
言って肩を竦めたキルトは、ここに来る前、沙雪華が言っていた言葉を思い出してフッと目を細めた。
「お前の事を、嘘を吐くのが下手だって言ってた傭兵が居たぞ‥‥お前の行動からか、何からかは、わからねえけど‥‥んで、出来る事なら、逃げ遅れた人の所在を把握してたら教えてくれってさ」
如何なんだ?
そう問いかけるキルトに、シーリアは緩く首を横に振った。
彼女も逃げ遅れた住人の所在はわかっていないようだ。その事にキルトは「そうか」とだけ言葉を返す。
そしてその遣り取りを見ていた楓理が、ふと口を開いた。
「言っとくけど、シーリアの気持ちなんて知るかよ‥‥、楓理はシーリアじゃねえんでな」
ただ‥‥。
そう言葉を切って、楓理は己が頬を掻くとシーリアの顔を見上げた。
「あんたの歌声はまっすぐだ。でなけりゃキメラに響かないだろうよ。まあ、1つ暴れてスッキリするってんなら付き合うけど?」
言って取り出したのはスズランの絵が描かれた横笛だ。それを手の中に納めると、彼女の首が傾げられる。
どうする? そう伺う視線に、シーリアの瞳に戸惑いが覗いた。
「大義を棄て、命を賭します。愛と誇り、命にかけて、貴女を連れて帰る。貴女の意見、そんなもの知りませんわ」
問答無用。先にも言ったように、メシアはシーリアを連れ帰ると決めている。
その為に闘うと言うのであれば彼女は喜んで牙を剥くだろう。そしてその言葉通り、彼女の足が大地を蹴る。
そして間合いに飛び込んだ彼女は、いま一度大地を蹴ると足に取り付けた装甲でシーリアの胴を薙いだ。
これに対してシーリアも翼を羽ばたかせる。
ただそれは風を生み、彼女の体を飛翔させるだけの行為。攻撃でも、逃走でもなく、ただ回避するだけの行為だ。
だがその動きを見て、妙な違和感を覚えた。
翼があり、風を巻き起こすだけの力がある。にも拘らず、それは攻撃にはならず、ただ体を浮かせるだけ。
「まさか‥‥闘う術を持っていない? もしくは、歌だけが――っ、寺島様、危ない!」
「ッ!?」
シーリアの動きに完全に気を取られていた。
本来ならば事前に索敵し、敵の有無を確認する筈だったのだが、それも会話で追いついていなかった。
「っ、あっちに行け!」
楓理は急ぎダガーを掲げてキメラを牽制する。しかし行動が敵の速さに追いつかない。
「くそっ、間に合わねえ!」
キルトも接近を試みるも、彼の足が到達するよりも早く、キメラが楓理の喉笛を掻き切ろうとする動きの方が速かった。
「――」
駄目だ。そう思った時、赤い羽根が舞い上がった。
「シーリア!」
叫びながらキルトが刃を返す。
それに合わせてキメラの首が飛ぶと、彼はすぐさま楓理を振り返った。
その目に飛び込んで来たのは、楓理を羽根で包み込むシーリアの姿。彼女は無傷な楓理を見るとホッと息を吐き、彼女の体を抱き締めた。
「‥‥無事で、良かったです」
●
帰りの高速移動艇。
その中で沙雪華は捕獲されたシーリアについて、総二郎にある問いを向けていた。
「‥‥シーリアさんは、これからどうなるのでしょう?」
自分からバグアに接触し、進んで強化人間になり、そして襲われた街で人とキメラを眠らせた行為。
それらを踏まえた上で、状況は厳しいと言わざるを得ないだろう。
「たぶん、この後然るべき場所に移送されて、経過を見る事になると‥‥」
「経過って‥‥処刑とか、か?」
「あ、いや‥‥処刑はないと思うけど、色々踏まえて‥‥その‥‥」
総二郎が言いたい事はわかる。
シンッと静まり返ってしまった艇内。その中で、ふとキルトの目が追儺を捉えた。
「なあ、去り際に、アイツに何を言ったんだ?」
追儺はシーリアを捕獲した後、彼女に何か言っている様だった。
そしてその言葉を聞いたシーリアは、何か考え込んでいる様子で、だから聞いたのだが‥‥。
「ああ、簡単だ。お前にどんな理由があろうとお前が取った行動は裏切りだ‥‥だが、それでもお前を助けたい奴がいるんだ。過去ばかりじゃなく、お前の周りも見ろ――そう言ったんだ」
今のシーリアには耳に痛い言葉だろう。
そしてその遣り取りを耳に、メシアは胸元のロザリオに手を添えた。
「‥‥これで、終止符を打てたのでしょうか」
僅かな疑問が胸を打ち、その疑問を問い質す間もなく、高速移動艇は来た時と同じ速度で帰路へと着いたのだった。