●リプレイ本文
●彫刻家・三毛嵐
果たして三毛嵐とはどのような人物なのか。ヒューイ・焔(
ga8434)は気になって、少し調べてみることにした。
創作年数は長く、そこそこの賞も取ったことがあるようで、作品の写真集やインタビュー記事が残っていた。妥協無く本質を追い求める作家の気性がそのまま込められたような、生命力の溢れるものが多いと評されている。
歳は70をとうに過ぎているはずだ。しかし、手足は筋肉ががっしりとついており、背筋も伸びている。後ろ姿だけなら、壮年に間違われてもおかしくないだろう。毎日巨木を相手に彫刻刀をふるっていた結果だそうだ。
アトリエの中にもいくつか作品が残っていたので見せてもらった。部屋の隅にあった彫りかけの龍も、同じように雄々しい作品だと思うのだが、三毛嵐は気に入らないらしい。誰かの産み出したイメージそっくりには彫れる、しかしそこに全く己の精神が注がれないのだという。
この現状を打破するために、老彫刻家は大胆な策に出た‥‥宇宙生物という、この上ない異形の存在を、五感全てで感じてやるのだ‥‥屋上に立つ彼はそう言った。
妥協無く、本質を追い求めたゆえの結論か‥‥ヒューイは複雑な気分だった。
(「根性があるというのか、なんというのか‥‥」)
危険な区域にひとり留まり、キメラを見たいと言い張る偏屈な老人の姿に、カルマ・シュタット(
ga6302)がため息を漏らすのも当然だろう。脇に立つアリス・L・イーグル(
gb0667)に目を遣ると、彼女も同じように眉間にしわを寄せていた。
「ホンット、頑固なジジイはいつの時代でもいるもんね〜」
一応は、声をかけてみたのだ。キメラに近づくのは危険だから逃げろと。しかし三毛嵐は耳を貸す様子はまったく無い。アリスは頭を掻く。単に、このアトリエ付近に出没する猿キメラ退治というだけなら、話は簡単なのだ。近所住人は皆、とうに避難をしているし、アトリエの周りはだだっ広く、被害は多少の庭木を折る程度で済むだろう。しかし、屋上という剥き出しの場所に、この、決して俊敏とは言えない老人が居残るとなれば話は違う。息子夫婦は三毛嵐を引きずりおろそうとした。だが、すっかり異世界の生物に魅入られてしまった彫刻家を説得することは出来なかった。
「その根性は嫌いじゃない、でも‥‥」
それで死んだら終わりじゃないか。エリアノーラ・カーゾン(
ga9802)も呆れた様子だ。それほどまでに三毛嵐の策は無謀なのだ。キメラにとって地球人は皆殺しにする対象、それに進んで近付こうだなんて、殺してくれと言っているようなものだ。
「それは分かってるの、三毛嵐?」
「わしが死ぬわけないだろう。納得の行く作品が出来るまで、どうして死ねようか!」
ああ、ダメだ、これは分かっていない‥‥、エリアノーラは額を押さえ、頭を振った。
「意地があるんだろうよ」
と、伊佐美 希明(
ga0214)が呟く。
「意地?」
「私にゃ、芸術とかよく分かんねぇけどさ、このぐらいの執念が無きゃ、芸術家なんてやってらんねぇんだろ」
希明は長弓を取りだし、それを撫でさすった。
「爺さん、アンタの邪魔はしねえ。好きなだけ目に焼き付けな」
三毛嵐は満足そうに、綺麗に残っている歯を見せて笑った。
「希明、爺さんに手荒なまねはするなよ」
何を察知したのか、ヒューイが釘を刺す。
「手荒なまね? まさか」
希明は庭を見下ろした。
●警戒
アズメリア・カンス(
ga8233)は、最後の施錠の確認に回っていた。勝手口やベランダはもちろん、トイレの小さな窓までしっかりと閉める。目撃された猿の大きさではくぐれないだろうが、念には念を入れてだ。
廊下の途中で、真田 音夢(
ga8265)が立ち止まっていたので近付いた。音夢は、壁に掛けられていたレリーフを見ていた。やはりそれも三毛嵐の作だろう。
「これは、蝉ね? 脱皮しているところみたいね」
アズメリアが声をかけると、音夢は初めて彼女の存在に気が付いたかのように振り返った。アズメリアは構わず続ける。
「芸術に、文字通り命を賭けるなんて、すごいと言えばすごいわね」
音夢はコクコクと小さく頷いて、同意した。
おそらく三毛嵐にとって『生きる』とは、魂を現世に掘り出すことなのであろう。ただ呼吸をしているだけでは死んでいるのと同じこと。自分の信じたものを全うし、貫かねば、生に価値はない、だから‥‥。
「だから彼の思いは、大切にしてあげたいね」
続けたかった言葉と同じ言葉をアズメリアが言ってくれたので、音夢は嬉しかった。
「それで御家族に心配をかけさせる所は、少々いただけないですけど」
風呂場の施錠を終えた文月(
gb2039)が通りがかり、会話に加わった。
「今に始まった事じゃないみたいよ。ヒューイが評判を聞いていたけど、無茶をしていたのは昔からみたい」
「そしてその度に、同じように息子さん達は胃を痛めていたのかしら」
「こちらとしては、きっちりキメラを退治するだけだけどね」
「同感」
さあ、いよいよそのキメラ退治だ、と3人は残りの施錠確認を終わらせ、所定の場所へ戻った。
人数はちょうど偶数だったので、同数で二手に分かれる。
屋上には三毛嵐を取り囲むように、希明と音夢、エリアノーラ、それと文月が。
庭に降りたのはカルマ、アズメリア、ヒューイ、アリスだ。
彼らもまた、敢えて姿は隠さない。
キメラは飢えているはずだ。
今、この町の人間は消えている。『地球人の殺戮』という作られた本能は満たされてはいまい。
来い、この広い屋敷に、おまえ達の狙っている地球人がこんなにも集まっているぞ‥‥。
‥‥8人は、待った。
●4匹の猿
最初に気が付いたのは、屋上にいたエリアノーラだった。門扉に近いところにあった茂みの陰に、黒い大きな塊が蠢いていた。
スケッチブックを持って近付こうとする三毛嵐を、エリアノーラは制した。
「動かないで」
その声は、先刻までとはうって変わって低かった。覚醒したエリアノーラは、塊に向かってショットガン20を撃つ。屋上から撃った弾は、道路のアスファルトに当たり、キィンと鋭い音を立てた。
それと同時に塊は動いた。
数は、聞いていたとおり4つ。かなり大きい。そいつらは狙撃に怯むどころか益々興奮し、軽々と塀を跳び越えて建物に近付きだした。
猿は、動物園で見るようなサルやチンパンジーとはまた違った形をしていた。手足がやけに長く、先に太く尖った爪が付いていた。口からは牙がはみだし、それを伝ってよだれが垂れている。
「まっすぐ向かってきてくれるのってのは有り難いね〜」
瞳を黄色く変えたアリスはたじろぐことなく、アサルトライフルを構えた。
「あんまり狙撃に向いてないんだけどなぁ‥‥コレ」
言いながらアリスは、猿が射程距離に入ったのを見計らって引き金を引いた。
「‥‥ほら、ね」
弾は外れ、1体の猿の腕を掠り毛を飛ばしただけだ。しかしそれでも一瞬、そいつの動きが止まった。カルマはその隙を見逃さない。
手の甲が赤く光り、何やら不思議な模様が浮かび上がった。その手に握られた『朱鳳』もほのかに赤く揺らめいている。それを振り下ろすと、フォースフィールドの向こうにある猿の胸を切り裂いた。
キメラ同士には、仲間の安否を気遣う感情など無いのだろう。背後でどんな状況になっているか振り返りもせず、3体の猿が更に向かってくる。
『オラ、来いよ、エテ公!』
そんな挑発の意味を込めて、ヒューイはシグナルミラーの光を猿の瞳孔に当てる。
『どうした、怖じ気づいたか、人間が怖いのか』
やはり思考もサル並なのか。キメラはより近い位置にある獲物に目標を定め直した。眩しい光を当ててくる鬱陶しい地球人たちを先に殺さんと、そのキメラは向かってきた。
「屋上には行かせないわ。ここで終わりよ」
黒い炎の模様が浮き上がった手で『月詠』を握るアズメリア。ヒューイに誘導された猿を目で追い、間合いを測る。
「同時に行きましょうか?」
ヒューイも『フロスティア』に持ち替える。
「そうね。さっさと片付けて、他の人らの応援に行かないと」
2人の会話には、余裕すら感じられた。
なにしろはっきりと、キメラの動きを捉えていたのだから。
「おっと、出番ですねッ!」
屋上で今か今かと待っていた文月は、舌なめずりをして『月詠』を握りしめた。大胆にも、向かってくる猿たちを目指して屋上から飛び降りた。覚醒した文月は、見た目は全く変化はないが、かなり感情が高ぶっているらしい。もしかすると恐怖や惑いといった感情は忘れてしまっているのかも知れない。
(「まるで猫みたいですね‥‥」)
文月の動きを見て音夢は、自分の脇に生まれた猫型のオーラをちらりと見た。覚醒によって生まれたそれは、音夢の足下に寄り添っている。
(「ええ‥‥猫は大好きだわ」)
だから文月の援護をすることは厭わない。単身駆ける文月と同じ目標に向かって矢を番えた。
「さて、あと1匹か‥‥」
屋上から弓を引き続けてきた希明にも、そろそろ疲れが見え始めた。しかし、彼女らのそんな奮闘の甲斐あって、猿キメラはどれも屋上まで到達していない。
「スケッチは進んでるか、爺さん?」
希明は振り返って、驚いた。
三毛嵐は、猿ではなく、希明の姿をスケッチしていたのだ。
左頬に鬼の顔を浮かび上がらせた、醜く歪んだ希明の顔を。
いや、彼女だけではない。カルマも、アズメリアも、音夢も、ヒューイも、エリアノーラも、アリスも、文月も。
全員の覚醒した姿が、三毛嵐のスケッチブックに収められていた。
「どうした、わしに構わず、ほれ、早よぅあの猿を」
最後の猿も、地に伏した。
しかし三毛嵐の鉛筆の動きは、なかなか止まらなかった。
●壁を越えて
この短時間でよくもまあ、と能力者達は感心した。スケッチブックは、もう何冊も埋まっていたのだ。
「で、実物を見てみた感想はどうだったんですか?」
カルマが尋ねると、三毛嵐は意味ありげににやりと笑う。
「作品の構想が練れたと捉えたのでいいのかな?」
「まあな」
ようやく一区切り付いたのか、スケッチブックを畳み、腰を伸ばす三毛嵐。
「それはそうと、お爺さん、約束してくれない? もう二度とこんな危険な真似はしないって」
アリスは怒っていた。頑固ジジイのわがままで呼び出されるのは、これきりにしてもらいたい。
「さあて、それはどうかのう」
「何だと、このジジイ!」
「まあまあまあ」
のらりくらりとした返事をする三毛嵐に掴みかかりかねない勢いのアリスをエリアノーラがなだめる。
「そうじゃのう、あんたらが、ちょくちょくここへ来てくれると言わなければ、約束は出きんのう」
一瞬、何を言っているのか理解出来なかった。
だが、山のように積み上がったスケッチブックと、殻が破れたかのように晴れ晴れした表情をした老彫刻家の顔を交互に見て、ようやくその意味が理解出来た。
「ま、茶ぐらいは出せるぞ」
三毛嵐はやっぱり、綺麗に揃った歯を見せて笑うのだった。