●リプレイ本文
●囮の餌
果たしてキメラは、池にいるのが「ウナギだから」狙うのか、ただ「食いでのあるものだから」狙うのか。ともあれ、まずは池に泳がせてある大切な商品の避難から始めなければならない。まだ出荷のピークより早いが、早すぎるということもない。フィー(
gb6429)やアーヴァス・レイン(
gb6961)が周辺を警戒する中、ウナギの汲み上げが始められた。
「‥‥‥‥今のとこ、は、‥‥‥‥大丈‥‥」
つぎはぎのなされた簾の隙間から、上空を窺うフィー。目撃されたキメラはドラゴンに似たものが1体だという、それらしき姿も気配も感じられない。
「けっこう大変そうだな」
大きな機械がごうんごうんと音を立て、池のウナギをどんどん吸い込んでいくのを見て、アーヴァスは言った。機械任せかと思っていても、所員達は不安定な池の桟橋の上を、あっちこっちと走り回る。
「あとどのくらいで終わりそうだ?」
「もう、10分とかかんないよ」
機械から伸びるホースは、池と、隣接するスレートの倉庫とを繋げていた。倉庫の中には、大きな水槽があり、丸々としたウナギはそこへどんどん投げ込まれていく。作業が終わって、あとは倉庫の扉をきっちり閉めれば、所員もウナギもキメラに見つかることはない。
「ところで所長さん。例の、お願いしていた件なんですが」
言い難そうに、望月 美汐(
gb6693)が切り出した。例の件とは、ウナギを分けて欲しい、ということだった。キメラを誘き寄せるためとはいえ、けっして安くはないだろう負担を頼むことは、何とも心苦しい。
「がうー! いっぱい欲しいのら〜。いっぱいあったら、罠もいっぱい張れるのら〜!」
だというのに熊王丸 リュノ(
ga9019)は無邪気なことを言う。美汐は、この世間知らずの娘の首根っこをひっ掴み、自分の後ろに隠すように下げさせた。
(「ね、もうすぐ丑の日でこちらも大変なんですから、あんまり図々しいお願いは出来ないんですのよ」)
小声でそっとたしなめるが、リュノはきょとんとして、続けた。
「うしの日? 何で牛の日とウナギが関係あるのら?」
「えーい、情けないな!」
それまで黙っていた所長が、大げさな身振りで、自分の頭を叩いた。
「丑の日が知られてないとは、ウナギ屋の名折れ! お嬢ちゃん、外のみんなも呼んで、ちょっと来い!」
所長は、倉庫の奥へ進み入った。
●ウナギ
倉庫の中は広い。池から揚げたウナギを洗浄するための水槽が半分を占め、よく分からない制御装置と、梱包機械らしきものと、魚籠(びく)やスチロール容器やらが大ざっぱに積み上げられている。
「何事だ?」
「いったいどうしたんです?」
外で囮ウナギの到着を待っていたユウ・エメルスン(
ga7691)と赤霧・連(
ga0668)も、事態が分からず困惑している。
「ちょうどいいところに来た。そこの兄ちゃん、これ持ってろ」
と、落ちていたスチロール容器をユウに持たせた所長は、一番小さい水槽から十数匹のウナギを網ですくって、容器めがけて投げ入れた。
「えっ、うわっ、ちょっと‥‥!!」
「この辺のは傷物で売物にならないヤツだからな」
「ああ、それはありがたい‥‥って、そんなに取ったら、箱に入らないし! こぼれてるし!」
「落ちたのは拾っとけ」
脚立から降りた所長は、6人をさらに奥へ招き入れた。一番奥は、従業員の休憩所だろうか、やや広いスペースがあり、そこにはステンレスの流し台とグリルが置かれてあった。
「あの、いったい何事でしょう?」
「いやな、そこの嬢ちゃんが、丑の日を知らんというから、みっちり教えてやらんとイカンと思ってな」
所長はそう言うと、先ほどの容器からウナギを一匹掴み取った。見れば、流し台の上には専用の道具がずらりと並んでいる。
「所長さん、さばけるんですか?」
「そりゃあ、自分が作ってるモンを自分が扱えなくてどうするよ」
聞けば、企業の買付担当者に商品説明をする際に、いちばん手っ取り早い方法として食べさせることが多々あり、自然に上達したのだという。
つまり。
所長は。
今からウナギを食べさせてくれるのだ。
「ウナギですって!?」
これを聞いて目を輝かせたのは連だった。
「ウナギは素晴らしい食材なんですよ。まず栄養価が高いですから、夏ばて防止になるのは有名な話ですネ。『丑の日』は、「ウ」の付く食べ物なら何でもいいから、リュノさんの言うとおり、ビーフでもいいんですが、やはりウナギの濃厚な味の方がパワーが湧いてきますわね。脂が多いですから、蒸したり茹でたりしても味が素っ気なくなることはありませんわ。蒲焼きを乗せた鰻丼、鰻重が一番好まれる調理法ですが、卵焼きの芯にするう巻きもお勧めですネ。食べ慣れた卵焼きの味が格段に変わります。キュウリの酢の物と合わせる料理もありますね。この時には茗荷を忘れないでください、薄切りにした細いやつですよ。彩りも綺麗ですしね、小鉢じゃなくてボウルいっぱい食べてしまいたくなります。海外でもよく使われる食材ですよ。キッシュやパイのフィリングとして‥‥」
「れんおねえちゃん‥‥‥‥語り‥‥過ぎ」
●罠
まあ、仕事が終わった暁に、この現場ならではのご褒美を期待していたのが正直なところ。順序が逆になってしまったが、せっかく所長も興が乗ってきたようなので、ここは有り難く、出陣前の腹ごしらえとさせて頂くことにする。
グリルはご丁寧に、炭火が敷き詰められている。これに火を付けるのは時間がかかるので、その間に囮のウナギを池の周囲に置いてくる。屋根も、代わる陰もない丸見えのところに、目立つように。売物にするには痩せすぎのウナギらしいが、なかなかどうして元気に暴れ回っているではないか。
「俺には、十分太ってるように見えるけどな」
「キメラの目にも、そう見えるといいですね」
この囮は、キメラを誘き寄せるのに足る囮となりえているだろうか? もし、見向きもされなかったら‥‥?
「考えても仕方ない、やるべきことはやったんだ」
「そうだな」
ユウとアーヴァスは、池の周囲を回っている間も、常に上空を気にかけていた。未だ見ていないキメラの習性など知らない。どこをねぐらにし、どこからこの池を見ているのか。ユウの言うとおり、今は待つしかない。
倉庫に戻ると、他の4人も丁度戻ってきたところらしい。
「おかえりなさい、もう焼いてるわよ」
「がうー。いい匂いなのら〜♪」
4人は、これ以上ないほどいい笑顔で食卓に着いている。
「あのなあ‥‥ウナギが楽しみなのは分かるけど」
「はしゃぎすぎかしら?」
と、美汐は双眼鏡をテーブルの上に置いた。
「テーブルは動かさせて貰いましたわ。こっちの窓から、池が見えるのよ。ほら、あの白いのが、さっきお二人が置いた容器ですわ」
どうやら美味に気を取られて仕事を忘れていると思ったのは杞憂だったようだ。そうだ、彼女たちも幾度もキメラと戦った能力者なのだ。
「おい、手ェ空いたなら、米研ぎな。6合な」
「飯? ってことは、鰻丼? 鰻丼ですかー!」
まだ実物を見ていないのによだれが出てきた。炊きたてご飯に、焼きたてウナギ、ウナギから出た脂がタレにコクを足し、それがご飯に絡まって‥‥。それを想像するだけで、米を研ぐ手が早くなる。
「待てません! ごはんが炊けるまで待てませんよ!」
「じゃ、これで腹ふさいでろ」
所長の手には、ほっこりと湯気を立てる白焼の皿。それを机の上に人数分並べ、冷蔵庫から醤油を出してくる。
「料亭じゃ、漬物を囓りながら待つらしいけどな、おっさんは粋なんて、知んねえからな」
「私も知りません!」
「俺も知んねーや、そんなの!!」
「‥‥‥‥しらない」
皆の箸が今にも伸びようとした、その時だ。
「キメラです!!」
双眼鏡を覗いていた美汐が叫んだ。
何というタイミングなのだ!!
●キメラ
皆が泣いていた。
あの、焼きたての、真っ白い身にあと少しで齧り付けたというのに。生姜を乗せ、醤油を垂らし、その3色を崩しながら身を摘み上げようとしていたのに。
「全員、準備はできたか?」
髪を漆黒に塗り替えたアーヴァスのスコーピオンが、キメラを狙っている。人の子ぐらいの大きさだ、翼を広げるともっと大きいかもしれない。ドラゴンと言うほど幻想的な風貌ではなく、ぬるりとした腹の辺りなど、昔に見た恐竜の想像図のようだ。
ウナギがそんなに気に入っているのか、いつもと違う発泡スチロールの容器に入っていようがお構いなしに、がつがつと食べ散らかしている。
小銃の弾は、その容器に当たった。衝撃で容器が倒れ、中に入っていた残りのウナギは池に滑り落ちていく。
キメラは。
逃げもしなかった。
せっかくのランチタイムを邪魔しようとした者を睨み付けた。
「こっちだ‥‥来い」
その怒りに満ちた視線を更に挑発するように、もう一発。今度はキメラの足下に。
飛び上がったキメラは、まっすぐアーヴァスに向かってくる。
「伏せて!」
アーヴァスが地面に突っ伏したと同時に、美汐の槍が飛び出す。
そして凄まじい咆吼。
『竜の咆吼』をまともに喰らったキメラは体勢を崩し、土手に叩きつけられた。
そして、そちら側の土手には、ユウが立っている。『雲隠』を握りしめて。
蒼い光に包まれた右腕にある刀は、ただキメラの翼だけを狙って振り下ろされた。この程度では、バグアの造った生命体は死にはしない。だが、空という退路を断つには十分だ。
「‥‥‥‥ぼっこ‥‥ぼこ♪」
フィーは、連の顔を見た。腹の虫をきゅうきゅう鳴かせている最愛の姉様のためにも、最後まで油断してはならない、己に課せられた使命を全うせねば。
所長が、所員達が、再びの平和に拍手をした。
●鰻丼
「う〜。まだですかぁ?」
能力者であれ、傭兵であれ、つまりは彼女たちも人の子だ。キメラには強いが、食欲にはとことん弱い。先ほど、あんなにも死闘を繰り広げた能力者が、今は白旗を揚げている。
「炊飯器が‥‥あと1分‥‥30秒‥‥」
ああ、ついにその時が。
丼にご飯がよそわれる。琥珀色のタレが絡まったウナギが乗せられる。そして、山椒の実ががりがりと削られ、香ばしい匂いを更に馥郁たるものへと昇華させる。
誰もが無口だった。
今の感動を、陳腐な言葉で汚したくない。
この野生児を除いて。
「養殖より天然物がいいけど、文句は言わないのらー」