●リプレイ本文
●腹ごしらえ
「もぐもぐ‥‥ん、美味い‥‥もぐもぐ‥‥確かに、虫歯になりそうな甘さではあるが‥‥ごくん」
キツネ色に焦げ目の付いたパンケーキにナイフを入れると、染みこんだシロップがじゅわっと溢れてきて、甘い匂いがたちこめる。ジュリは、この匂いが大好きで、どこにいても尻尾を振りながら駆け寄ってきたらしい。パワーマン(
ga0391)は昼食代わりに、そのケーキを頬張っていた。
「いっぱい食べてね。一日でも作るのを休むと、腕が鈍ってしまいそうで」
能力者が集まってくれたことに安心したのか、マリーの表情はいくぶん明るかった。それを更に後押しするように、シャロン・エイヴァリー(
ga1843)は、
「ジュリエットは必ず捜し出しますから、ご馳走を用意して待っていてあげてくださいっ!」
と胸を叩く。
「ええ、ええ! 頼りにしているわ。ケーキのおかわりはどう? ジャムもあるのよ」
これから大切な仕事をしてもらう彼女らに出来るこれが精一杯の餞だと、戸棚を開け、赤や黄色の瓶を次々出してきて皿にあけるマリー。これらもジュリが好きなのだと言うが、先ほどのパンケーキと一緒に食べると、目が覚めるほど甘い。
「手作りらしい、優しい味ですよ。しかし‥‥」
リディス(
ga0022)は鼻先にパンケーキを近づける。人間の自分でも強く感じる匂いだ、これを外で広げれば、嗅ぎつけて寄ってくるのは迷子の犬だけではないかもしれない。
「皆さーん、ケージが用意出来ましたー」
庭で作業をしていた麓みゆり(
ga2049)が汗を拭いながら入ってきた。指さす庭先に皆が視線をやると、そこには朝早くから作っていた、改造ケージがあった。
「といっても、台車の上にケージをくくりつけただけなんですけどね」
「なかなかどうして。器用ですよ」
お世辞でもなく、心底感心して源 一葉(
ga3118)は言った。聞けばジュリは太めの大型犬だそうだし、連れ帰るにはこのぐらいのものは必要だろう。あとはこの中に、大好物のパンケーキと、マリーの匂いがついた服のようなものを借りて入れておけば、とりあえず下準備は完了である。
「よし、それじゃ、がっつりサクサク片付けてくるかぁ!」
●寂れた町
三間坂京(
ga0094)が町の地図を広げ、マリーの家を探す。誰かに道を尋ねようにも、もうここには誰もいなかった。全ての窓は板が打ち付けられ、商店にはシャッターが降り、道路の脇には雑草が茂り放題だ。
「あっ!」
路地の向こうで、何かが動いた。
「あれは‥‥あの大きさは、普通のドブネズミだな」
一瞬、キメララットかと身構えた崎森 玲於奈(
ga2010)は緊張を解く。
犬の保護といえば一見は平和的な仕事であるが、場所はこんな、キメララットがどこにどれだけいるか分からないようなところだ。犬捜しだけで済めばよいのだが‥‥。
「あった、ここだ」
京が、高い塀でぐるりと囲まれた屋敷を指さした。正門は頑丈な鉄扉で閉じられていたが、裏門の扉は下部に大きな隙間がある。
「通れそう?」
「ええ、なんとか」
一番小柄なみゆりが腹這いになってくぐってみた。大丈夫、すんなりくぐれる。犬ならもっと簡単だろう。
みゆりは閂を抜き、皆を庭に入れた。それから、ざっと手分けして建物の周りを調べ、元の場所に集まった。
「何か見つけた?」
「庭が、掘ってありますね。それにフンも」
リディスが見つけたものを報告する。見たところ、古いものではないようだ。だが、肝心のジュリはどこにもいない。物置の周りにも、テラスの下にも、隠れられそうな場所にはいない。
「‥‥あのドアは、特注なんでしょうか。大きいですね」
と、一葉がテラスを指して言った。
犬用ドアが、そこには付けられていた。
●屋敷の中
京が、預かっていた鍵で玄関を開ける。
「入ってすぐが広間、左脇に階段、奥に台所と居間、らしい」
小さく隙間をあけて、まず覗き込む。おおかたの家具は部屋の端にどけ、上から布をかぶせてある。床にうっすら埃が積もっているのが見えた、が、それが踏み荒らされている部分がある。
(「足跡、か‥‥?」)
薄暗いのではっきりとは分からないが、何か生き物が上を通ると、おそらくこんな形になるだろう。
「何か聞こえる?」
シャロンも首を伸ばし、様子を伺う。鳴き声はしないかと。
「どこにいるんでしょうね、ジュリエットは‥‥」
どちらにしても、いつまでも隙間に雁首を突っ込んでいるわけにはいかない。一葉は静かに体を滑り込ませ、慎重に廊下を進む。ジュリがいるとすればどこだろうか? いつも寝ている場所? 飼い主の匂いが染みついた場所? それとも、得体の知れないキメラから逃れるために、普段は近寄らない場所? ‥‥色々と思いつくが、まずは寝室から捜してみようと、2階へ進む。
「物陰を見るときは、特に注意してくださいね。ジュリがいるかもしれませんが、キメララットもいるかもしれません」
リディスは廊下をまっすぐ進み、奥の居間へ向かう。老女がくつろいでいる側で、ジュリもいつも一緒に寝そべっていたらしい。
そんなふうに、全ての部屋を調べてみたが、ジュリはいない。警戒心の強い犬だというから、こうやって知らない人間がぞろぞろ現れたので、怯えているのかも知れない。
「ネズミが出てきたら、その時はその時だ」
時間だけが過ぎていくことに痺れを切らせたパワーマンが言った。いるかどうかハッキリしないキメララットに遠慮して、思い切った動きが出来ないのでは埒があかない。さっさと終わらせよう、出てきたらその時だ。
「みゆり」
「はい」
みゆりは、広間の真ん中にケージを置いた。中にはマリーの使っていた膝掛け。周りに、ジュリの食器を並べ、そこに甘い甘いパンケーキを乗せる。準備が整ったところで、シャロンは、これまたジュリ愛用の鈴のおもちゃを持って、チリンチリンと鳴らしはじめた。
「ジュリエットー。ごはんだよ、ジュリエットー」
‥‥‥‥クゥン。
聞こえた! 確かに、聞こえた!!
犬の声がした。どの方向からだ!?
振り返ったシャロンの、表情が強張った。
「ジュリの保護を優先、といきたいだろうがな」
玲於奈の眼光が鋭くなった。
肝心の保護すべき犬が出てくる前に、キメララットが姿を見せたのだ。
ジュリがこの広間のどこかにいるのは間違いない、しかしこのキメララットを追い払ってしまわなければ、ジュリはパンケーキに近づけない。玲於奈は刀を短く持ち、自分の間合いに入ってくるキメララットを斬る。
「ちょこまかと‥‥」
周囲の家具のことを考えれば、長い刀は扱いにくい。アーミーナイフに持ち替えて、確実にキメララットの息の根を止めていく。
「ええい、それに近寄るな!」
パンケーキを囓ろうとするキメララットに、パワーマンはロングスピアを突き刺す。
「ちっ、すばしっこいネズミだ!」
「こっちは任せてください」
黄金のオーラを纏った一葉が、パワーマンの槍を逃れて来たキメララットに、二本の刀を舞わせた。
大きく孤を描いた刀は、その風で家具にかかってある布を巻き上げた。
「‥‥ジュリエット!!」
●脱出
なんと、埃よけの布をかぶせていたソファの下に、ジュリはいた。何も食べてなかったのだろうか、やつれた犬は、逃げようとしなかった。
「早くケージに」
ジュリに襲いかかろうとするキメララットを京のファングが止める。今のうちに、ケージに入れて外に連れ出さなければ。
「よーしよし、この匂い分かるでしょ? ケージに入って、お願い」
シャロンは膝掛けを引っ張り出し、匂いを嗅がせてみる。が、ジュリは動こうとはしない、寧ろ後ずさっている。
「‥‥時間がありません」
悠長なことはしていられない。みゆりはシャロンと2人がかりでジュリをソファの下から引きずり出すと、弱々しくも暴れるジュリをケージに押し込んだ。
「先に逃げろ」
京は、ケージと玄関までの距離にいる全てのキメララットを追い払い、ジュリの通り道を開けた。
「皆も、ここから出ろ」
髪の色を漆黒に変えたリディスが促す。
今回の依頼は、キメララットの殲滅ではない、依頼主の愛娘を無事に送り届けることだ。庭ならまだしも、屋敷の中で、これ以上、キメララットの駆除に固執することは得策ではない。
全員が屋敷を出たのを確認して、リディスも疾風脚で素早くそこを抜け出した。
「あああああジュリエットおおおおお」
可愛い娘の無事な姿を見て、マリーは泣きに泣いた。当のジュリは、知らん顔をしてパンケーキにがっついている。
「おまえ、マリーが心配してたんだから、もうちょっと愛想良くしたらどうだ?」
言いながら京は、ジュリのもふもふした頭を撫でる。
やっぱりジュリはお構いなしで、シロップだらけの口の周りを舐めているのだった。