タイトル:【7】車輪の行方マスター:藤山なないろ

シナリオ形態: シリーズ
難易度: 普通
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/03/18 01:38

●オープニング本文


 戦車【The Chariot】
 タロットの大アルカナに属する【7】番目のカード。

 このタロットの正位置は、勝利、援軍、積極力、突進力などを意味し、
 そして逆位置は暴走、不注意、焦り、挫折などを表す。

●フラッシュバック
「‥‥‥‥!!」
 時折、激しい動悸を伴って目覚める朝がある。
 真っ白なシーツが酷く歪み、何かにもがいていたような痕跡が感じられた。
 幾つもの汗の粒が額にまとわりついていて、強い不快感を覚える。
 呼吸を整えながら頭を冷やそうと洗面台に立てば、鏡に映る自分の顔に気付いて思わず目をそらす。
「‥‥くそ‥‥ッ」
 鏡の中の俺には、右目を両断するような一筋の赤い傷跡の様な光が浮かんでいた。
 覚醒の、証。
 こんな朝は、決まってある夢を見たあとだ。

●いつかの空の下
 どんな相手でも、表情1つ変えずにただ敵を切り払う。まるで機械のように、与えられた事を、忠実に。
 気付けば自分の通ってきた道には数えきれないバグア側の屍が転がっていた。
 同行する傭兵が嫌悪を感じる程、それは淡々としていたらしく、いつしか妙な陰口を叩かれるようになっていたが、他人の評価にも興味は無かった。
 全く、俺は、つまらない男だ。

 ───はじまりは、一つの依頼だった。
 偶然依頼に集ったメンバーたちは存外気の良い奴らばかりで、言葉を交そうとしない俺を気にする事もなく扱ってくれた。
 風評の悪い俺の事を、知らなかったのかもしれない。ただ、知っていても恐らく同じ様に接しただろうと今なら解かる。
 無愛想で笑う事も出来ない俺の、見えないフォースフィールドを取り払う力が、連中にはあった。
 きっとあいつらには特別な金属が入っていて、あいつらだからこそ、素の俺を見て、そして接してくれたのだろう。
 追いかけていた依頼が決着した時、俺は人生で最大級のプロポーズをした。
「俺と、小隊を組んでくれないか」
 今思えば、なんともそっけなく捻りもない、退屈な誘い文句だっただろう。
 相手の目を見て言う事もままならない俺を、連中は笑って受け入れてくれた。
 言いだしっぺが隊長をやれと、連中は言う。最年長だしな、と誰かが付け足す。
「そいえば、小隊の名前、決めてるんすか?」
 問われた言葉に、俺は思わず赤面した。
 この7人で小隊を組むことが出来たら、と考えていた名前があったのだ。
 断られる可能性の方が高かっただろうに、用意周到に名前まで用意していたのかと、揶揄されるのも照れくさい。
 けれど、こいつらの前でなら、それもいいかと‥‥思えるようになっていた。
 「感情」の意味を、教えてくれた、彼らとなら。

「我々は7人で1つの戦車となって、人々のため走り続ける力となろう」

 これが、小隊「Chariot」の、はじまりだった。

●「ジョエルの夢=遠い日の記憶」
「隊長? そんなで俺が殺せると思ってるンすか?」
 太刀筋の鈍り。
 明らかな戸惑い。
 それは、こいつらと出会うまで、俺に無かった感情だった。
 迷い。情け。怒り。悲しみ。たくさんの感情が複雑に渦巻く。
 こんな事は、初めてだった。
「そんな状態のアンタとヤり合っても、俺全然楽しくないっす」
 俺の目の前で、レイピアをバトンのように回しながら、その男は言う。
 周りには隊員達が意識を手放し、倒れている。
 俺がこの男を止めなければ、全員殺されるのだろうと脳は理解し、警鐘を鳴らしていた。
「つまんねぇ男」
 次の瞬間、俺は右目の辺りに焼けつくような熱を感じていた。
 右目を両断する傷跡。からかうようにつけられた、その傷は思いの外浅く。
「生かしといてヤるから、それまでにちっとは強くなっといて下さいね」
 消えていく男の背を、ただ地に膝をついて見ていた。
 追うことが出来たのに、追えなかった。
 戦うことが出来たのに、刃を向けることが出来なかった。

 男の名は、シャバト・ウルヌス。Chariotの、一員だった───。

●ある病院で
「‥‥まだ、目覚めませんか」
 ジョエル・S・ハーゲンは、依頼の合間を縫ってはある病院に足しげく通っていた。
 看護婦は否定も肯定もしないまま、病室を後にする。
 最善は尽くしているのだから、仕方のないことだ。期待を持たせる言葉を吐く事に、意味は無い。

 小隊の一員であるヴェルナス・フレイが意識不明の重体となって、どれくらいが経つだろうか。
 さほど長い期間では無いはずなのに、もうずっと、こうしているような錯覚に陥る。
 ヴェルナスがこんな状態になったのは、アルジェリアの首都アルジェでの依頼が原因だった。
 この傷を負ったのが俺だったらどんなに気持ちが楽だっただろうと、自分を責める事もある。
「隊長、変なこと考えてません?」
 ふと、後ろから声がすると思えば、隊員達がそこに立っていた。
 妙なことを考えていると、時折人の気配を感じることが出来なくなる。
 傭兵としてそれはどうなのだろうと、自分で苦笑いを浮かべてしまう程に。
「大したことじゃない」
 首を横に振るも、やはり彼らの目を誤魔化す事は出来ない。
 それと同時に、俺自身も彼らの気持ちの変化を察する事が出来る様になっていた。
「‥‥どうか、したのか?」
 彼らの表情から、不穏な気配を感じる。
「あの。‥‥さっき俺マルスと本部行ってきたんすけど‥‥受付で、こんなもん預かっちゃいました」
 ルーナスが手渡したのは、真っ赤な封筒。
 差出人は不明だが、「親愛なるジョエル・S・ハーゲンへ」と記載され、真っ黒い蝋印で封がされている。
 蝋印にはローマ字表記の7にあたる「VII」が刻まれていた。
 無言で受け取り、封を開けると中から出てきたものはカードと便箋が1枚ずつ。
「これ‥‥タロットカードの戦車‥‥」
 黙って事の成り行きを見ていたトールが、思わず口を開く。
 便せんに描かれていたもの、それは。

─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
 VII 【The Chariot】 逆位置  暴走
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

「んだよ、これッ! 嫌がらせにしちゃ趣味が悪すぎる‥‥」
 思わず悪態をつくオーディを静かに制しながら、便箋を裏返すと、そこに書かれていた文字を発見する。
「お前たちも、気付いているんだろう」
 俺は、思わず口を開いていた。
 静まり返る病室の中、ヴェルナスを生かすための装置だけが、ただただ力強く動いていた。
『From シャバト・ウルヌス』
 その人物こそ、小隊Chariotから欠けた唯一の車輪。
 この時が来る事を、想定していなかった訳ではない。
 だからと言って、突然このタイミングで届いた手紙は偶然と言うには出来過ぎている気がする。
 どこかで、自分達の事を見ていたのだろうかと考えを巡らせても今は仕方のないことだった。
「‥‥消印はドイツの首都ベルリンだ」

●参加者一覧

宗太郎=シルエイト(ga4261
22歳・♂・AA
トリシア・トールズソン(gb4346
14歳・♀・PN
夢姫(gb5094
19歳・♀・PN
エスター・ウルフスタン(gc3050
18歳・♀・HD
秦本 新(gc3832
21歳・♂・HD
空言 凛(gc4106
20歳・♀・AA

●リプレイ本文

●「戦車」 正位置:援軍
 そうして戦車は走り出す。
 誰に止められる事もなく。

「へぇ、あんたもイギリス人なんだ?」
 小さな身体で無愛想な男を精一杯見上げ、エスター・ウルフスタン(gc3050)は興味深げに尋ねた。
 あんたも、という事はつまりエスター自身もそうであると言う事。
 ジョエルは首肯した後、「面倒をかける」と、固い表情で頭を下げた。
「ま、任せときなさいよ。あんたの仲間、『2人とも』護ってあげるからさ」
 彼女の言う『2人』の意味。
 それに気付いて顔を上げたジョエルが見たものは、照れ隠しなのか、そっぽを向いて腕を組みをしているエスターだった。
 与えられる優しさをぎこちない表情で受け止めるジョエルの腕に、整った指先が触れる。
「あまり自分を責めないで‥‥思い詰めないでくださいね」
 向けられる控えめな笑み。
 夢姫(gb5094)が、ジョエルの心情を推し量る様に言葉をかけた。
「ヴェルナスさんが目を覚ました時、責任に感じてしまいますよ」
 余りに真っ直ぐで、思わずジョエルが逸らしたくなる濡羽色の瞳。
「信じて、待ちましょう。きっと大丈夫だから‥‥ね?」
 少女はジョエルの手をそっと包み込んだ。凍りかけた心を溶かす、陽の光のような笑みを湛えて。
「‥‥ありがとう、夢姫」
 自分達が信じなければ、誰が彼の目覚めを信じると言うのだろう。
 もはや施す手もない、彼の容体。機械の繋ぎとめる命が、帰る日を。
「大事な仲間だったのね、ほーんと、面白い顔しちゃって」
 茶化すように言うが、エスターの目にからかいの色は無い。
「行きましょ。調べたい事、山ほどあるのよね」

「ドイツは活気があっていいねぇ!」
 次いで高速艇を降りた空言 凛(gc4106)が、寝起きの猫の様にぐっと腕を伸ばす。
「さて、どっから調べるよ?」
 降り立った町の空気を全身で感じながら、続く同行者達を振り返る。
「怪しい奴って言ったら、ベルをボコった奴だよな。あいつならベルの状態をわかってるだろうし」
 凛は顎に指を絡めながら、首を傾げる。
 本件の情報を入手するに当たり、どうにもこの手紙の差し出し主がヴェルナスやChariotの様子を把握しているように感じたのだ。
 ひょっとしたら、既に接触している相手ではないかと凛は論じる。
 宗太郎=シルエイト(ga4261)も、先のアルジェでの戦いを記憶から引きずり出し、眉を寄せた。
「‥‥こういう時、ヨリシロならばと思わずにはいられません」
 ぽつりと、想いを馳せるように呟く宗太郎。
「混ざり物がない、かつて仲間だったままの彼が相手なら‥‥辛い戦いになります、ね」
 どうか、願わくば。それが、不謹慎な望みでも。
 宗太郎は、自然と拳に熱が篭っていくのを感じる。流れる血潮、想いと共に。
「ちなみに、ジョエルさんはどんな人なんですか」
 突然の問いにマルスはきょとんと宗太郎を見る。
「‥‥いや、少し気になったんです。昔の私に似てると言われたもので」
「似てる‥‥?」
 こうして接している宗太郎の柔和な一面を見ていると、あの無愛想を絵に描いたような隊長と似ても似つかない気がしたのだ。
「ジョエルさんをバイクで轢こうとした女性に、ね。言われたんです」
「‥‥なるほど。お噂は、かねがね」
 思わず肩を竦める宗太郎の言葉にピンと来たマルスは、思わず口元を緩めた。
「さってと。はっくんも気になってるみたいだし、警察でもいくか!」
 凛は早速地図を広げて警察署の場所を指でトントンと叩く。
「昔、よく世話になったなぁ。ん〜、いい思い出‥‥でもねぇか。ハッハッハ!」
 豪快に笑う凛の横。強張っていたマルスの表情が彼女につられて柔く緩んだ。

「思い出してもらうのは酷ですが‥‥」
 神妙な面持ちで律儀に断る秦本 新(gc3832)は、同行するトールとルナに問う。
「近辺にシャバトや小隊縁の土地は?」
 新の問いに対し、トールは逡巡した後、口を開いた。
「小隊としてはないっす。けど、シャバトはこの辺りの出身だったはず」
「となれば、見ておきたいのは実家‥‥」
 しかし、地図を取り出した新へルナが言いにくそうに切り出す。
「や、それが。シャバトは家が無いんす」
 どうやら、祖父母の代に離散し、後は、欧州各国を転々としていたらしい。
 今は、本件と離散について直接的な因果を感じる要素が手元になく、慧眼の龍は再び思案する。
「では、まず交通機関を当たりましょう」

●轍を追って
 車輪が回れば、轍が残る。
 轍の先には、「それ」がある。

「バニラさんから、情報が届きましたよ」
 車両の後部座席に居た夢姫は携帯を繰り、長い睫毛を伏せて画面を見つめていた。
『該当する外見の人物は特に本部にきていないみたい。けど、Chariotの依頼履歴にアクセスした人物が数人いたわ』
 データをジョエルに確認するも、いずれも知らない人物ばかりとの答えが返る。
 しかし、逆に夢姫はその事実こそが気にかかった。
「妙ですよね。知らない方が、わざわざ皆さんの履歴を確認したなんて」
 思考の糸が結びつく手前、エスターがジョエルへ声をかける。
「ありがと、ここで止めて」
 自身の真っ赤な髪に良く似た色の封筒を手に、エスターは眼前の建物を見上げた。
「消印の郵便局は‥‥ここ、ね」
 郵便局内に立ち入ると、エスターはそれを提示する。
「この手紙の差出人を探しているの。どこから投函されたものか、わかる?」
「LH宛てに仕分けしたのは俺だけど‥‥回収担当じゃないから、場所はわかんねえ」
 その場の職員達の中には、投函されたポストを把握していた者はいなかった。
「‥‥じゃ、質問変更。いつこの手紙を見たの?」
「確か3日前。そんな目立つ封筒、滅多に見ねえや」

 一方。新達が交通機関の次に訪れたのは、先刻エスター達が向かった郵便局。
 職員らから思うような情報が入手出来なかったが、この周辺に手掛かりがあるはずと新は踏んでいた。
 改めてこの付近で聞き込みを行おうとしたそこへ、運良く手紙の収集を終えて局へ戻る途中の1人の郵便局員を目撃する。
 当然、それを呼びとめた新はシャバトの名や特徴を伝えて問いかけた。
「あー、あの男‥‥」
 オッドアイという特徴はそう滅多に見かけるものではない。局員はすぐにピンときた様子だった。
「ご存じのようですね」
「まぁね。実はその男に、手紙の収集時に声かけられてさ」
「‥‥彼は、貴方に何と?」
「『今日投函した手紙はLHにいつ届くのか』って」
「出会ったのは、何処です?」
「この通りを4ブロック行った所のポスト。3日前の昼だ」
 局員がポストから集配物を回収する際、真っ赤な珍しい封筒が目に入ったらしい。
「あの男、なんかあるの? 傭兵が探してるってことは、バグア? 早くやっつけてくれよ」
 軽く身震いしながら忌々しげに呟く局員。あの瞳が、脳裏から消えないらしい。
「‥‥情報提供に、感謝します」
 複雑な表情を浮かべながら、律儀に礼を述べる新。
 しかし、ルナは苦い面持ちでアスファルトに視線を落としている。
 その瞬間、新は多くを悟った。
(気の良い彼らの事。もしかしたら今でも‥‥)
 心中で、巡らせる想い。
 恐らく、今でも彼らはシャバトを信じているのではないか?
 けれど、新は小さく首を振る。口にしたら、感情の歯車が狂いだしそうだった。
「3日前の昼前後の事を中心に付近の目撃情報を当たって足跡を辿りましょう」

●仕組まれた「暴走」
 【暴走】
 周囲の状況や他人の思惑を考えず、どんどん事を進めること。

 ──「これ」を「暴走」と、言うならば。

 エスター達が待機していたのは『Closed』の札のかかった古びた元精肉店前。
 埃だらけで、電気も通らず、入口の札が人間の侵入を強く拒む。
「尾行も監視もなし。ひょっとしたら‥‥」
 聞き込みからこの場所へ辿りついた新達も、周囲の警戒を終えて戻ってきた。
「もう、『彼』は居ないのかもしれない」
 新の表情が、曇る。
 一同は残された手掛かりからこの場に来た。まるで、誘導されたように。
「昨日から目撃情報がぱったりと途絶えてたしなー」
 入手した情報や資料を手に、凛たちが現場へ到着した。
 彼女の手の中には、恐らく、今後に欠かせない情報が詰まっている。
「それはさておき、だ。裏口、ってか搬入口が逆側にあったぜ。どーする?」
 凛は建物の逆側を指差す。
 チェックメイトの時は、近い──。

 ジョエル以外のChariotの面々は窓からの逃走防止にと、建物の外へ待機。
「準備はいい?」
 唯一動向する頼りなげなジョエルの腕を一度叩くと、エスターが先陣を切る。
「無理しちゃだめだからね‥‥全員、突入!」
 中に踏み入ると、埃をかぶった床の上についた複数の靴跡が目についた。
「ここ、やっぱり誰か居る‥‥!」
 ジョエルの無線をエスターが剥ぎ取り、突入した全員に通達。
 同時に、夢姫が上へと続く階段を発見する。階段の1段1段に、まだ新しい靴跡が見えた。
 夢姫の脳裏には、昼間の捜索時に散々焼き付けた写真にあったシャバトの笑顔が浮かんでいた。
(誘い出して‥‥見せたいものが、あるのかな)
 ここまでの経緯に何らかの意図を感じた夢姫は、そう考えていた。
 だが、暗中を手繰るも先は未だ見えず。
 なればこそ、踏み入る勇気を華奢な身体一杯に満たす。
 階上では、唯一の扉の隙間から小さな光が漏れていた。感じるのは、濃厚な人の気配‥‥。
 思わず腰の刀に手をかけたジョエルの手を、宗太郎が握りとめる。
 互いに息を顰めながら、宗太郎はただジョエルの瞳を捉えて離さなかった。
 大丈夫。皆が居る。誰かが傷付いても、必ず助けて見せる。
 視線から伝わる沢山の想いに、ジョエルは力を抜いて頷いた。

「‥‥誰かいるのか!?」
 ドアを開け放ったのは、凛だった。
 分厚い遮光カーテンに仕切られた部屋は、大量の本や資料で壁面を覆い尽くされていた。
「存外、早かったっスね」
 部屋の奥、机に向かっていた男が背を向けたまま万年筆を置く。小さな金属音が響いた。
「あなたが、シャバトさん‥‥ですか」
 凛に次いで踏み込んだ宗太郎が、威圧しない様、慎重に問う。
 すると、男はそっと立ち上がり、宗太郎たちへ振り返った。それは綺麗な笑みを浮かべて。
「遠路遥々、ようこそ。傭兵の皆さん」
 細められたオッドアイが、部屋のランプの灯りに揺らめく。
「アンタふざけてんの? これ、一体どういうつもり?」
 封筒を手に詰め寄るエスターを一瞥すると、シャバトは心底おかしそうに笑う。
「随分可愛らしい『援軍』じゃないスか、隊長?」
 カッとなる気持ちを抑え、エスターは強く拳を握る。
「ちょっと、ジョエル。何とか言いなさいよ!」
 しかしジョエルは無言のまま、苦々しい表情でシャバトを見ていた。
「相っ変わらず、つまんねぇ男っスね」
 けれど、浴びせる罵声を片手ではねのけるように、夢姫がジョエルの前に立つ。
「こんな手紙を寄越して‥‥私達に、何の御用ですか?」
 夢姫の強い視線を余裕そうに受け止めると、男は首を傾げて見せる。
 だが、はぐらかすシャバトの核心をつくように、新が口を開いた。
「仲間との誓いを捨てた理由は何ですか」
 まるで言葉を失ったジョエルを代弁するように、想い巡らせていた事を吐きだす。
「戦車の逆位置は、暴走と『挫折』。‥‥人間に絶望するような何かが‥‥」
「『捨てた』? 良く言う。俺は最初から何も『捨ててなんかいない』。折れちゃ、いないんだよ‥‥!」
 激昂した男の手が空を切る。同時に、唯一のランプが音を立てて割れた。
 台座が倒れ、灯っていた火が周囲の書類を巻き込み、赤々と大きな炎を召喚してゆく。
「精々、炎の中で悔い改めればいい」
「待て、逃がさねーぞ!」
 傭兵達とシャバトの間に炎の壁が立ちはだかるも、凛は果敢に男を捉えようと瞬天速で駆ける。
 炎を越えた凛。しかし、その手は熱気を掴むのみ。
「くそ‥‥っ!」
 空を切る凛の指先が、炎に焦がされるようにちりちりと痛んだ。

●「戦車」 逆位置:失敗
 もう1つの「戦車」は駆ける。
 真の目的を果たす為。
 しかし、目的は破られる。
 想定外の、出来事によって。

 一同がシャバトの潜伏場所へ突入したのと時を同じくして──。

 トリシア・トールズソン(gb4346)は、病室の窓から鈍色の空を仰いだ。
 LHにも、もうじき冷たい夜が訪れる。
 小さな溜息が、少女の唇から漏れた。
 便りのないのはよい便り、などと言う言葉もあるが‥‥トリシアの携帯は、鳴らなかった。
 空から視線を室内へ戻すと、トリシアは淡く笑む。
「私たちはお留守番だけど、役目をしっかり果たさなくちゃね」
 思うのは、本件の行方。願うのは、皆の無事‥‥。
「迷惑かけちゃって、申し訳ないす」
 ベッドの隣、椅子に座ったまま俯いたオーディが呟く。
 本来であれば、トリシアもオーディもベルリンでの調査に赴くはずだった。
 だが、彼女はここに残る事を選んだ。ヴェルナスの身を案じ、そして護る為に。
「謝る事ないよ。だって、もしヴェルナスに万一の事があったら‥‥きっと、ジョエルは自分を責める」
 出立前、不器用なりに精一杯の気持ちを込めて「後の事を頼む」と、トリシアに深く頭を下げたジョエルの赤い瞳を思い出す。
 その時。
「‥‥待って、静かに」
 トリシアが、制す。
 既に面会可能時間は過ぎていると言うのに、大きな車両の音が聞こえてくる。
 物資供給の車両かもしれない。けれど、思わず二人は息を顰めた。

 ──突如、病室の窓が弾けるように散った。
 次いで目出しのマスクで顔を覆った男が、部屋に飛び込んでくる。
 警戒していたトリシアの肌が瞬時に褐色に染まり、オーディも武器を構えた。
「な、誰だ‥‥!?」
 低い声。
 なぜか、飛び込んできた男が『トリシア達に驚いた様子』で奇妙な声を上げたのだ。
 トリシアは両手に疾風迅雷を構え、ぐっと態勢を低くして重心を移動。同時に、高まるSESの排気音。
 淡い光を放つトリシアは、高速機動をもって小さな病室を小さな体で無尽に駆ける。
 迅雷で容易く相手の後方へ身を滑り込ませ‥‥男の背を、捉えた。
 二つの小太刀の軌跡がクロスする。
 ‥‥しかし、逆に刀を握るトリシアの手が、反発した感触に震えた。
 服の下には全身鎧が顔を覗かせていた。
「これは骨が折れそう、だね」
 挑戦的なトリシアの呟きを鼓膜に焼き付け、男は瞬時に認識する。
 この娘を相手に、力で押し切ることは不可能である‥‥と。
「シャバトめ‥‥高くつくぞ」
 瞬間、放たれた強烈な音と光が、五感を急速に麻痺させる。
 次にトリシアが目を開けた時、男は姿を消していた。
「あの男‥‥っ」
 窓へ乗り出したトリシアの耳に、車両の発進音が届く。けれど、外を見渡すも、車を確認することは出来なかった。
「‥‥やっぱり狙ってきた。ヴェルナスを」
 彼はトリシア達が居た事に驚いていた。その状況証拠が指し示す事実は‥‥。
「皆に、知らせなくちゃ」