●オープニング本文
前回のリプレイを見る●熱力学【thermodynamics】
物理学の一分野で、熱現象を物質の巨視的性質から扱う学問のこと。
熱力学の第一法則をご存じだろうか。
「エネルギー保存則」というもので、曰く、“宇宙のエネルギーは、形は変われど常に一定である”というのだ。
これがどういう事かと言うと、中学校理科的に例えれば「締め切った部屋の中で温めたお湯はやがて冷えてしまうが、これは熱が無くなったのではなく周りに拡散しただけで全体のエネルギーの総量は変わっていない」ということだ。
非常に教科書的な表現である。今度は別の例え方をしてみよう。
食事をしていた貴方は途中でお腹が一杯になってしまった。まだ料理が残っているが、満腹でこれ以上食べられない。
さて、ここからが本題だ。
残った料理は何処へゆくのだろう?
大方、そのまま捨てられるか、或いは誰かが代わりにそれを食べるかだろう。
仮に捨てられたとして。それは生ごみとなり、ゴミ袋に包まれたそれをカラスが啄ばむかもしれない。或いは腐り果ていつか大地に還るかもしれない。
誰かに食べてもらうのであれば、それはその人の中で血肉となり生き続けるだろうが、どちらに転んでも結局エネルギーの総量は変わらない。無論、貴方が頑張って食べきったとしても、だ。
これを少し発展・応用し、極論を言えば‥‥こうなる。
「貴方や私が生きていていようが死んでいようが、この世界は何一つ変わらない」のだ。
誰かがやるべき仕事を放り投げても、会社はその仕事を為さねばならない。被害が出てしまうからだ。
無論、その会社は選択として仕事をこなさなかったことによる被害を被っても良いだろう。だが、そうなったとき、大体はその社の別の誰かがその仕事を片付けるのである。
誰かが役目を放棄したら、他の誰かがその役を負う事になる。日々何かが生まれて何かが死にゆく。誰かが生き存えたのなら、誰かが代わりに死ぬだろう。
ならば、誰かが幸せになったのなら、その分他の誰かが不幸になるのではないか‥‥?
さて、話を“今”に戻そう。
時は現代、場所は‥‥そう、英国首都ロンドンだ。
●失墜した星
「“王家の星”とは、笑わせてくれるな‥‥この、馬鹿者どもが!!」
カイル・S・ハーゲンは、リハビリを終えた後、特殊部隊の活動を存続させている本国のある極秘機関へと報告の為に訪れていた。
「身内からヨリシロを出したばかりではなく、小隊をまるごと1つを乗っ取られただと? はっ、それだけでも笑い話だが‥‥バグア化した連中を落とすに当たり、宿舎を“奇襲”した。にもかかわらず隊内には重軽傷問わず多数の負傷者。さらに隊員2名がバグアに連れ去られ、元凶であるアンタレスは取り逃がしたなどとどの口がほざく!」
浴びせられる怒りは当然のもの。カイルはただただ唇を噛み、頭を下げたままでいる。
「ふん、問題はこの後だ。救急車両2台が損壊、1台が盗難。それら3台に乗車していた一般人医療関係者12名が全員死亡。遺体すら親族に渡せないものもあるときた。この大惨事をどうするつもりだ!!」
「‥‥‥‥」
「謝って済む問題ではないことくらい、承知しているようだな。だが、何の為にお前たちが居るのか、解っているのか? 民を守る為だ!! 我々が我々の手でこの国の安寧を作り出す為だ!! お前たち隊内の不祥事に一般人を巻き込むなど、言語道断。気でも触れたか、カイル!!」
「‥‥」
「もういい。カイル以下、全隊員の懲罰を覚悟しておけ。それと‥‥直ちに奴を見つけ出し、今度こそ確実に殺せ」
「‥‥はい」
国により、先の事件の詳細は操作され、関係者に通達された。
巻き込まれた一般人死傷者へは国から手厚い“フォロー”が入り、訴訟沙汰にはならなかったが、多数の民間人を犠牲にした事件となったことは間違いない。
UPC本部としても対応に当たった傭兵へ懲罰を科す可能性も否定できない状況だった。
そもそもRS隊の不祥事とされてはいるが、彼らこそが一番の被害者だ。
なぜ仲間がヨリシロになってしまったのか? それすらも解らないと言うのに。元凶はバグアで、責めるべき“悪”もそこに在るはずだ。
仲間を失ったことへの喪失感や悲しみ、バグアへの怒りや憎しみだけで相当なものであっただろうが、そこへ重なる重責や焦りは、隊の空気をより悪化させてゆく。
「アンタレス‥‥いや、エレインの捜索状況はどうだ」
「はい。今年の初めにブラックパークにて黒色HWを先に潰しておいた成果が出たのかもしれません。宇宙へ帰還するための足が無いのか、奴は未だ国内に潜伏しています」
「‥‥この島から出られなくなったか」
「ええ。先の事件以降調査を続けてきましたが、逃走車両の痕跡を得て以降調査範囲は確実に絞られており、拠点の割り出しまで後わずかでしょう。ですが‥‥」
「こちらがもたついている間に怪我も癒えている頃だろうが‥‥あれから二月だよ、フォーマルハウト」
「その通りです。隊員を連れ去ったと言うことは強化人間にする用意があったのでしょうし、強化したのならメンテナンスが必要な時期でしょう。もしくはヨリシロにするつもりで連れ去り、未だ生かしたままである可能性もゼロではありませんが」
「強化改造だのメンテだのと考えると、つまりは、ブラックパーク以外にも以前よりバグア施設があった、という見解で間違いなさそうだ」
「恐らくは。そうなると不思議なことが幾つか‥‥その上“エレインの足を潰せていた”かの確証も取れなくなりましょう。そういった施設にワームが無いのは少々不自然だ」
「‥‥となると。何らか目的があって潜伏している、という見方を強めた方がよさそうだね」
「ええ」
RS隊大隊長のカイルと、副長の役を担うフォーマルハウトは思案気に頷き合う。
しばしの後、カイルはデスクの横に立て掛けてあった一振りの刀を携えると、赤い瞳に強い闘気を滲ませて経ちあがった。
「引き続き、調査に当たってくれ。‥‥僕も、出よう」
●等価交換
『大隊長、応答願います』
「カイルだ。どうした、フォーマルハウト」
『マンチェスター郊外で、ショルトとゾスマ、2名の目撃情報を掴みました』
「場所は?」
『ピークディストリクト国立公園内で間違いな‥‥お待ち下さい。たった今、ゾスマに非常によく似た男を発見。やはり、森へ向かっています。現在スネークロードへ入っていく所を後方より確認』
「解った。直ぐに向かう、深追いはするな」
『はい。この方角は‥‥なるほど、人造の湖か。これより先は危険でしょう、直ぐに戻‥‥』
その時、通信の強烈なノイズが男の声を遮断する。
「‥‥フォーマルハウト? 応答しろ、フォーマルハウト!」
最悪の事態が過る。
だが、もうこれ以上犠牲を出すことはできない。したくは無い。
「くそ‥‥ッ! 全隊員、ピークディストリクト国立公園のスネークロードを辿れ! 敵の拠点は‥‥レディバワー貯水池周辺だ!」
●リプレイ本文
もしも自分の愛した人が、そのままの姿で目の前にバグアとして現れたなら。
あなたは、その手でそれを切り殺せますか?
●少し遅れて見えた線
「エレインと親しかった人物?」
問われたカイルは、自分を見上げる夢姫(
gb5094)の瞳に濁りがない事を確認すると、改めて言葉を繋いだ。
「‥‥かつて彼女と恋仲にあった男がいる。ただ、蛇足かもしれないが‥‥隊内にバグアはいないよ」
今贈られた言葉は、一度彼らが仲間を疑ったことを現わしている。それ故か、男は苦々しい表情で俯き、その顔を黒髪が覆い隠した。
夢姫は、重い呟きに男の心情を慮り、「はい」と小さく応えるに留める。だが、それでも少女の心から霞が消えることはなかった。
(彼女は、わらしべのように縁者から手繰り寄せていく。ならば、一番身近だった“彼”は‥‥)
奇しくも彼‥‥“アルデバラン”はB班で夢姫と同行することになっている。
止む事のない胸騒ぎを落ち着けるように、夢姫は抜けるような青空を見上げた。
●グランドクロス
「‥‥きっと、まだ間に合います」
宗太郎=シルエイト(
ga4261)に背を押されるようにして、隣を往くレグルスが小さく息を吐いた。
「それに、私よりも隊の皆さんの方が彼らの強さを知っているでしょう? だからきっと、大丈夫」
「今回くらい‥‥お前の“大丈夫”を、信じてやる」
素っ気無い返答に頷きながら、その実、宗太郎は黒い狂気が自身を侵してゆく様をリアルに感じ、拳を強く握り締めていた。
一際重厚な扉の手前でエスター・ウルフスタン(
gc3050)が瞳を閉じると、体中から幾つもの感覚が蜘蛛の巣のようにあらゆる壁面を巡り、伝う。
‥‥捉えた。
音がする。かかったそれを手繰り寄せ、振動を心と共鳴。
「気をつけて! この扉の奥‥‥っ」
言うが早いか、身を引いた傭兵達が一瞬前まで居たはずの場所を蜂の巣にするような銃撃が繰り出された。
弾丸と共に弾け飛んだ扉の奥には3人の人型。恐らく給水塔の職員だろう。
飛び出してきた男の刃を受け、宗太郎は誰より早く事態を理解した。この重さは、この早さは、断じて人間の“それ”ではない。
気付いた時、既に青年の身体は動いていた。
手にしたナイフを人の形をしたイキモノのガラ空きの胴部へひと思いに突き立てる。
得たのは柔らかな感触。散るのは鮮烈な赤。一撃にぐらつく強化人間の様子に、燻る欲が煽られる。
口元が歪んでいたかもしれない。舞い散る体液の暖かさや戦いへの高揚が周囲に悟られたかもしれない。
それでも、宗太郎は鬼人の如くにナイフを振るった。
「一気に攻める。時間はねえぞ!」
残る人型もみな動きが人とはかけ離れ過ぎた。ならば、やるべきことは一つであると、エスターも駆ける。
手にしたランスの重みは、自分が未だ軍人であり、傭兵であり、戦うものとしてあることの重み。
同時に、この場に立つことを認めてくれた大切な人の想いの重み。
‥‥なればこそ、貫かねばならない。
「ごめんなさい。けど、うち‥‥やらなきゃいけないから」
例え目の前の“敵”が人の形をしていても。
それが元はただの一般人で、家族もあるのだと言うことを認識していても。
◇
地下へ繋がる扉の奥には、既にC班が処理したらしき3体の遺体が転がっていた。
「ショルトとゾスマじゃない、ね」
先の療養の際、隊全員の顔と名を記憶していたトリシア・トールズソン(
gb4346)がそう呟く。
(きっと、宗太郎たちより先にこの人達に出会っていても、私は迷わず彼らを斬っただろうな)
遺体の脇をすり抜ける小さな少女は、彼らにそんな感慨を手向けて先を急いだ。
正直、迷いも後悔もあった。あって当然だ。“あの時”もっと上手く動けていれば‥‥何かが違ったはずだから。
だがそれは今この場にまで引きずる事ではないと、誰より少女が理解していた。
命を奪われた者の為にも、これ以上の犠牲を出さないこと。そして一刻も早く原因を破壊し再発を防ぐこと。
きっと、それこそが弔いの花束になる。
「トリシア、突入の先導は僕がやろう。これでも多少頑丈なつもりだからね」
突如肩を引く暖かな手。見上げれば、眼鏡の奥に自分とよく似た紅玉石の双眸があった。
少女の能力を理解し、認めた上で、適材適所に則った提案をしているのだろう。
「‥‥気をつけて、カイル」
この場に居る全ての人間が、奪われた全ての無念を、悲しみを、そして怒りを背負って戦っている。
だからこそトリシアも、この道を最後まで往こうと決意したのだった。
地下2階に踏み入った途端、響いた女声に誰もが武器を構える。
彼らは今、ようやくエレインという名の女を捉えた。同時に、彼女の両隣を固める様に光線銃を握るショルトとゾスマの姿をも‥‥
(どうやら洗脳済み、か‥‥)
秦本 新(
gc3832)は表に出さず、苦い思いに胸を浸した。
初めてこの女と出会い、Chariotの車輪が一つ壊れてしまったあの日から1年が経った。
追い掛けては迫り、迫っては逃げられ、歩んだ道に幾つの死骸が積み上がっただろう?
ただそれでも“間違い”などなかったはずだ。それだけは、ここに共に立つ仲間の存在が教えてくれている。
「‥‥決着をつけさせてもらう。これ以上、お前を生かしてはおけない」
新が銃を構え、それに呼応するようにトリシアが動いた。
トリシアの速度に追いすがるものはなく、少女の独断場と思われた戦場だが、しかし。
疾風迅雷の斬撃がショルトの身体に触れる瞬間、少女はあることに気付く。
振り抜いた刃は、そのまま相手の身体を抵抗なく裂いたのだ。
「FFが出なかった、のか」
新の呟きに少女が頷くと、青年の瞳はより一層鋭さを増した。
恐らくあの女は隊員2人を肉の壁にして、攻撃の手が鈍る能力者に対し有利に戦おうとしているのだろう。
それだけならまだしも、今のトリシアへの銃撃の精度を見るに、あれは先の蠍隊宿舎での時と同等の能力と見ていい。
(つまり‥‥ここで彼女を倒したとして、“後の3体”を防がなければまた逃げられる)
しかし、その時。
──突如、新達の眼前よりエレインが消失した。
◇
エレインは、彼らが必ず2階を調べると踏んでいた。
彼らには捜すべきものがあったし、1秒でも早く施設を捜索するには班を分ち同時攻略にかかるだろうことも見通していた。
だからこそ、向かう先々に“布陣”を完了させていたのだ。
B班が向かった2階には、2体の強化人間を侍らせた女が、待ち受けていた。
「洗脳されてるみてぇだけど、遠慮はしないぜ」
仲間の制圧射撃で敵が足をとめた隙に、空言 凛(
gc4106)が追撃に拳を繰り出し敵の顎を砕く。
そのまま拳を振り下ろして強化人間を床に叩きつけると、凛はその奥に居るヨリシロへと視線をやって不敵に笑った。
「なぁ、今度は逃げずにちゃんと決着つけようぜ」
「決着をつける必要があるのは貴方がただけでしょう」
「じゃあ、アンタは何でここに居るんだ」
しなやかな身を屈め、瞬天足。加速した凛は瞬時に女の懐へ入り込むと、拳を大きく振りかぶった。
腹部へ叩き込んだ拳の先から、骨の軋む音がする。しかし‥‥
「だって、手ぶらで帰るなんて惜しいじゃない」
手ごたえに反して女はそれを受けきった。
直後、無防備な凛に女の照準が定められるも、放たれた光線は凛の身体を貫く前にオーディによって阻まれる。
それを見た夢姫が、眉を顰めた。
(‥‥“アレ”は、分身後だ)
ドイツで出遭った彼女の攻撃はもっと苛烈だったはず。
(やっぱり誘き寄せられたんだ。恐らく生存のため、彼女の分裂体がどこかに保険として潜伏している可能性が高い)
敵が4体に別れることは知っていた。だが、今回分けた班は3つ。
夢姫はかぶりを振ると、いち早くアルデバランの手を引き、彼にだけ届くように唇を寄せる。
「彼女は分身してる。どうしてもそれを破りたいんです」
囁くように、しかし強く訴えられた願いに、掴んだ男の腕の筋肉が強張りを見せた。
その時、頭の回転の速い少女は気がついてしまった。この男が、確実に動揺していることを。
それでも、男の面持ちは悪意に染まってなどいないし、確かに彼は人間で。
「もうこんなループを続ける訳にはいきません。私達が今成すべきことは、これ以上の犠牲を出さないことです。もう、誰も失う痛みを味わうことのないように。だから‥‥!」
瞬間、夢姫の唇から鮮烈な赤が漏れた。光線に貫かれ、焼かれた痛みに苦悶の表情を浮かべる少女。
だが、その瞬間‥‥
「3秒でいい、連中の足を止めてくれ」
男が、動いた。
小隊を預かるアルデバランの虚実空間の効力は、隊員クラスのERと比較にならなかった。
放たれた青白い光は稲妻の如くスパークを散らし、目を焼く眩さでエレインへ衝撃。女は、それを弾けなかったのだ。
部屋を満たす発光。まるで‥‥時間が止まったようだった。
◇
文字通りエレインが消失した瞬間、トリシアは既に地を蹴っていた。
ショルトの握る銃を蹴り落とし、着地と同時にゾスマに足払いをかけ、体勢を崩した瞬間を狙って疾風迅雷で光線銃を弾き飛ばすと、他の能力者達が一斉に両名を押さえにかかる。
まさに少女の動きは神速の如き鋭さで、洗脳者2名の制圧などものの10秒もかからなかった。
「彼女は‥‥本当に、“消えた”ようですね」
新は周囲を注意深く見渡すものの、女の気配が完全に消失していることに思案を巡らせる。
「分身が、解除されたのか?」
青年の呟きに弾かれたように反応したのは、ジョエル。だが、新は確証を得るべく冷静に無線に問いかけた。
「こちらA班。応答して下さい、各班の状況を聞きたい」
『こちらC班。未だHWは見当たらないが‥‥エレインは居た。さっきまで、な』
最後まで聴く必要もない。応答した宗太郎の声色からその場の全員が現状を察した。
恐らくB班の元で何かが起きたのだろう。
エレインを倒したか、分身を破ったか。ただ今、応答できない状態にあるということは‥‥
「ジョエルさん、待って下さい!」
新が無線を切るより早く、ジョエルは地下階の探索を切り上げ、2階へと走り出していた。
「ヨリシロの分身が解除されたとなれば、分身前の‥‥個としての完全な状態のエレインが存在している。夢姫さんたちが危険だ」
●急速な快進撃の向こう
夢姫の唱えた策は、これ以上ないほどの成功を収めた。
先程までの余裕ぶりが掻き消えた女の表情を見れば、虚実空間が分身を打ち破ったことが一目で解かる。
つまり、今この場に居る彼女さえ倒せば、全ての悪夢を終えることができるだろう。
だが、女の視線はある一点に注がれている。その先には、虚実空間を放った男の姿。
「俺は、もう隊の誰かが傷つく姿など見たくはない。あの日もそう。襲撃を教えることでお前を予め逃がそうとした、それだけだ」
「バカな男。私は“アンタの愛したエレイン”じゃないのよ?」
「知っている。それでも‥‥」
女は二挺の光線銃を構えると、苦い苦い表情を浮かべる。
「人間て、つくづくオカシイ生き物だわ」
「なぁ、そんなにオカシイか?」
真っ先に前へ出たのは凛だった。
「ええ。エレインの皮を被っただけの異星人を変わらずに愛する者。血の繋がりがあっても憎み合う兄弟。バグアが来る前からずっと争いが絶えた事のない星。これのどこが可笑しくないの?」
「なんにも可笑しかねぇな。誰も彼も一生懸命生きてんだよ。だからこそぶつかるし、間違うし、通じ合うんだろ。過ちなく最後まで生きられる人間なんかいねぇよ!」
後衛の援護射撃の隙に女の脇に滑り込んだ凛は、無数の針が埋め込まれた拳を思うさま女の腹へ突き立てる。
だが、凛の一撃の隙を狙うエレインの銃撃。それを阻止するように、再びオーディが割り入って凛を庇い、それをヴェルナスの弾幕が支援。
それでも全てを破壊しつくすようにして乱射される光線銃が、能力者たちの命を着実に削った。
ここまでで3人の能力者が倒れ、凛も夢姫も既に後がない。だが‥‥戦いに勝利したのは彼女たちだった。
聞こえてくる階下からの足音。
それが瞬く間に場に躍り出ると、ジョエルがエレインの腕めがけ渾身の力で剣を振り抜いた。
同時に新が逆サイドからスパーク音を散らして肉薄。稲妻の如き一撃を閃かせて腹部を貫く。
‥‥その断末魔に、男はどんな感情を抱いただろうか。
それは、かつて愛した女の身体。発せられる叫びも、まるで全てが同じで‥‥
「一つだけ‥‥教えて、下さい」
傷だらけの身体をおしてなお女に接近すると、夢姫は床に倒れたエレインの傍に膝をついた。
「なぜ、貴方は一番近しい“彼”を‥‥バグアに、しなかったんですか?」
その問いに、女は至極美しい笑みを浮かべて息絶えた。そして。
「俺は、軍人にはなれなかった。ただの‥‥男だった」
それを静かに見送った男は、搾り出すように言葉を発する。
「惨事の全責任は俺にある。恩を仇で返すこと、本当に、すまなかった」
ジョエルが斬り落とした方の腕に残っていたエレインの光線銃。それを手にしたアルデバランは、涙の痕を残したまま自らの頭に銃口を宛がい、躊躇いなく、撃ち抜いた。
●女の描いた策は
建物内の格納庫は既に空。フォーマルハウトも建物の中をくまなく探したが、何処にも見つからない。
誘き寄せられた理由はここに有ったのだと、新はいち早く気付いた。
元々エレインは分身3体を建物に残し、戦わせている間に1体をHWへ向かわせ脱出を図る気であったのだろう。
それはまるで、あの日誘き出されたベルリンでの出来事のようだった。
メルカバー全隊は捜索範囲を拡大。そして、給水塔から少し離れた森の中に、1機のHWを発見する。
「ヴィル!」
宗太郎が一撃のもとに破壊したHWの搭乗口を駆けると、巨大な試験管の中に眠るフォーマルハウトの姿があった。
見るなりに酷い損傷ではあったが、培養液のようなものに浸された彼の体が少しずつ再生しているのが解る。
「‥‥まだ、生きて」
思わず吐き出した長い息。宗太郎の胸を今、安堵と僅かな疼きが支配していた。
だが、その答えを得ぬまま、宗太郎の脇を赤毛の少女が抜けてゆく。
「よか‥‥った」
エスターは吸い寄せられるように透明な管に近づき、その手のひらを冷たい強化ガラスへ触れさせた。
少女の脳裏に蘇るのは、男の言葉。父のような、先生のような‥‥自分に厳しくしてくれる、人。
「目を覚まさないんですか?」
ガラスを叩く。小さな拳で、何度も、何度も。
「早く起きて下さい。訊きたい事、たくさん‥‥たくさん、あるんだから」
例えば、貴方が普段何を考えてるんだろう、とか。うちのことどう思ってるのよ、とか。
余りにも強気そうでいて今にも砕けそうな少女の瞳は、ただ男を見上げている。
そんな少女に苦笑するかのように、巨大な試験管の中、こぽこぽと気泡が弾けた。