●リプレイ本文
●復讐と言う名の“喜”劇
国会議事堂上空まであと僅か。
一向に言葉を発さぬまま、父の形見であった剣を握りしめる少女の様子に黒木 敬介(
gc5024)が息を吐く。
結局のところ、この戦いにおいて彼女の父の努力と結果を形にしなければ、その命が危ないことは嫌と言うほど理解していた。
だからこそあれほど少女は物憂げなのだろうし、この場の空気が異様に張りつめているのだろう。青年は苦々しく少女の心境に想いを致す。
「‥‥俺達に相応の戦果があれば、まだ目はあるはず」
見当たる言葉はどれも月並みで、悩んだ果てに出てきた言葉がこれだった。
別に“何が”とは言わなかったし、この期に及んで言うつもりも無かった。それでも、その言葉にジルが瞳をあげて頷く。
「何にせよ、ここが分水嶺ですね。必ず勝ちましょう!」
黒羽 風香(
gc7712)は敢えて「必ず勝つ」と言って微笑んだ。それは願掛けにも似ていたのかもしれない。
それでも、相反するように言葉にできない思いがあったのは事実。
(そして、どうか‥‥誰も泣かずに済む結末になりますように)
喉の奥まで出かかった言葉を呑み込み、ジルの強張った手に自らのそれを重ねた。
体温に気付いたジルが俄かに口元を緩め、それに小さく安堵する少女。
風香はもう、誰の涙も見たくはなかった。
滞留する重苦しさを紛らわせようと、夢姫(
gb5094)は窓の外に目を向けた。見下ろせば、そこには陽の高いうちから寝静まったような街がある。
(メイナードさんは、ジルさんの傭兵としての力を信じて、ヨリシロ討伐を託したんだろうな)
着陸態勢移行を知らせる放送が響く中、夢姫はそんなことに思いを馳せた。
‥‥きっと、最初は復讐のつもりだったんだろう。
ジルの口から彼女の母親の最期をきかされた時、彼女の父親の激情を想った。
もしも自分の大切な人がバグアに殺されたとしたら。私なら‥‥どうしただろう。
ただ、本件はそれだけでは説明のつかないことがある。
これまでの事柄を正しく繋げる1つの鍵。それはきっと、彼が“この計画”を知ってしまったことにあるのではないだろうか。
(家族や故国を救うため、こうして戦ってるのかな。でも‥‥)
思い描くのは、在りし日の記憶。夢姫の家族が、今よりもずっと“家族の形”をしていた頃だ。
自分がいて、妹がいて、そして、父が───‥‥‥
思考を遮るようにかぶりを振り、夢姫はそっと瞳を閉じた。
◇
議事堂に近づく機影に気付かぬ訳もなく、迎撃装置を作動させようとした際、事が発覚した。
「どういうことだ?」
堂内のシステムがユリウスの指示を一切受け付けないのだ。
その時、議事堂内の別の場所から激しい音が聞こえてきた。
作動しないシステム。起こるはずのない衝撃音。短い思案の後、ユリウスは音の方角へと恐るべき速さで駆け出した。
そして、それを見送る一つの影───
「始まりましたね」
───這い寄る影は、嗤う。手掛けた喜劇を眺め下ろして。
中央に設えたメンテナンスルームに突入するなり、ユリウスの首元に剣の切っ先が突きつけられた。
室内の機器から響くスパーク音と、昇る煙に焦げた匂い。なにより剣の主を見るなり、男は全てに合点がいった。
「メイナード、貴様‥‥」
湧き立つ怒りがユリウスの容姿を変貌させる。口から鋭利な牙が覗き、頭から角が、背から翼が生え始め、それは異形の魔と化した。
「その爪、その角、その翼‥‥決して違えるものか」
男は強烈な感情を露わにしながらも、鈍ることなく太刀筋を閃かせる。
「‥‥貴様の目的は何だ」
ユリウスは狂わんばかりの怒りに震え、相対するメイナードは過大な憎しみを滲ませながら毅然と言い放った。
「お前の命だ」
◇
『報告! 議事堂2階中央部より白煙が発生!』
『今だ、突入しろ!』
『総員に告ぐ。本件協力者であるメイナード・ソーヤについてのみ、此方への攻撃行動が見られない限り対処を見送れ! 被害が発生した場合は殺しても構わん、以上だ』
飛び交う通信の中、最後尾のエピメーテウスから降り立ったジルは秦本 新(
gc3832)の言葉に耳を傾けていた。
「‥‥この国を追い詰めているのは虐げられてきた人々の怒りでもある」
長い戦いを経て、新が触れたのは国中に拡がる不安や恐怖、絶望や怒りや憎しみ。
人の持つ凡そ思いつく限りの負の感情が歪に結びついて、この国が蝕まれ、堕ちていった。
結局、バグアはただの切欠でしかなかったと、そう言えるかもしれない。ただ‥‥
「それでも、私にも譲れないものがある」
そう言って、青年は少女の瞳に視線を重ねる。
「新の、譲れないもの?」
「ええ」
それは、少女にとっては故国の平和であったり、家族の笑顔であったりするもので。
青年にとってのそれも、実のところ少女とよく似たものであった。
(ジルさんの、彼女の故国の力になりたい)
───その想いを遂げる為なら、迷いなど無い。
遠い、はじまりの日を思う。
青年と少女の最初の出会いは、正直彼にとって『我ながら最悪だった』と言わしめるものだったけれど。
今は、心から言える。嘘でも世事でもない。本当の思いが、そこにあった。
「ジルさん‥‥貴女の唄を、貴女自身を信じている」
「あたしもね、新を‥‥皆を信じてるから、大丈夫だよ」
(この中に、ジルさんの父親が‥‥いるんだ)
たった数ヶ月前の自分なら、そんなことは無視できただろうに。
それが今、『霧島 和哉(
gb1893)という少年の中で確かな変化が起こっているという紛れもない事実』をこの場になって改めて自覚させられたことに、彼自身苦笑いを浮かべた。
救いを求めて頭を下げた、少女の姿が今も脳裏を過る。
正直、彼女の根幹に親子の絆だとかいうモノが絡んでいるのだと聞いて、少年の頭の奥はちりちりと焦がれた。恐らくそれは拒否反応とかいう類のものだったのかもしれない。
自分は血の繋がりの暖かさなど知らないし、きっと一生理解できないモノだ。ただ、それでも人にとってそれが大切なモノである事くらいは理解しているつもりで。
だからきっと、この導火線に火がついたような奇妙な焦燥感は、イヤなものじゃないんだと思った。思うことにした。
目を閉じる。呼吸をする。肩に当たる相棒の拳を感じる。
大丈夫だ、こんなにもやるべきことは明確じゃないか。
滞る思考を吐き出すようにして、口ずさむのは調子はずれの鼻歌。‥‥もう、迷うことはない。
「‥‥行くよ、相棒」
「――行くぜ、相棒!」
2機のAU−KVを先頭に、傭兵達は議事堂裏口から突入を果たしたのだった。
●再会は血臭の中で
傭兵達は、其処此処で繰り広げられる死闘を横目に2階中央目指して走り抜けた。
最初こそ確証は無かった。けれどジルの見せた動揺が、明らかなイレギュラーを発している。
「ULTの誰も辿りついてない所から交戦音がする‥‥」
間違いなく、そこに居るのは目的の人物だろう。
2階に到達した傭兵達の前には、さらに強力な強化人間達が往く手を阻んだが、それをHD3機が持ち前の機動力と装甲の厚さで撥ね退ける。
龍の咆哮で吹き飛ばし、同じく2階へ突入した他班にそれらを預けると、それでも先を目指した。
これは偏に、彼らがこの場で重視すべきものが何であるかを貫き通した結果でもある。
だからこそ“間に合った”のだ。これが、走り続けた彼らが出した“唯一の答え”だ。
敷かれた赤絨毯を車輪の摩擦で焦がしながら、龍の翼で扉の前につけるとアレックス(
gb3735)はそれを勢いよく蹴破った。
破られた扉から廊下へ向けてじわりと漏れ広がる濃厚な血臭。果たしてそれは誰のものだろうか?
アレックス達が辿りついたのは、無数の機材が置かれた冷たい部屋。
そこには、剣を支えに肩で息をする血塗れの男の姿と、そして‥‥
「ユリウス‥‥ッ!!」
今まさに、高い天井から血塗れの男へ急降下をかける悪魔の姿が捉えられた。
瞬間、アレックスの金色の双眸が焼き付き、全身の血が沸騰。ここまで冷静であろうとした、少年の想いが終ぞ弾けた。
脚部から火花が散り、甲高い駆動音が性能限界を訴えるほど早く奔る。
───衝突。
業炎が悪魔の顔面に叩き込まれると同時に、驚異的な降下速度で威力を倍増した魔爪が少年の肩を装甲ごと貫いた。
肩から先が吹き飛んだのではないかと思える程の衝撃と苦痛がアレックスを蝕む。
流れる血に冷える頭。心臓の音が耳元で煩いほどに鳴り響いている。
その音の中で、少年は確信した。
(今、この時、この場において。俺達の意志が、力が、バグアに負けるはずがない)
痛みなど、まるで障害にもならなかったのだ。それほどに揺るぎない確かな意思が、彼の心を奮い立たせる。
(‥‥こいつを、叩き潰す)
立ち上がり、拳を握る。逆の手の握力は十全。まだまだ戦える。戦いは、これからだ。
この隙に、和哉がユリウスを挟んでアレックスと逆側に陣取り、迅雷で駆けた敬介が両者の支援に銃を放つ。
そしてこの時、夢姫と新が失血に立つことすらままならない男‥‥メイナード・ソーヤを確保した。
「酷い怪我‥‥歩けますか? すぐにここを‥‥」
「待ってくれ、まだ‥‥」
身体を支える夢姫に離脱を促されるも、男は必死に首を振る。
男がどんな思いでどんな手段を使ってどんなに長い時間をかけて耐えて堪えて悩んで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんでここまで辿りついたのか。
ここまで辿りついた彼女たちだからこそ、その想いの一端を察することは出来たのだが、果たして“命を引き換えにしてまで為すべきこと”など、この世に在るのだろうか?
「もう、潜入は終わったはずです。貴方が犠牲になる必要は‥‥」
「はは。‥‥私の目的は、この手で、奴を殺すこと‥‥その為に、邪魔な取り巻きの相手を‥‥本部や君達に、放り投げただけ。買い被りは、止めてくれ」
切れ切れの言葉を精神力のみで繋いでいる。
この状態で未だ平静を装おうとする頑固さ、いや、“強がり”は娘に余りによく似ている。否、娘が彼に似たのだろう。
「奴を殺す為なら、私は‥‥」
「メイナードさん!」
その時、夢姫が強く会話を遮った。
温和な物腰の彼女から発せられる珍しくも厳しい声色は、もしかすると彼女自身が父親に対して向けたかったはずの感情なのかもしれない。
ただ、それでも夢姫はぐっと喉奥に呑み込んで、唇を噛み締め声を絞り出す。
「父親が犠牲になったら、素直に喜べないよ‥‥。だから、一人で抱えないで‥‥生きて下さい」
故に、この場に在り続けることを許容できないと、夢姫は強く申し伝えた。
移動スキル持ちから遅れて前線に辿りついたジルは、そこで苦い判断を吐き出した。
「どうやってこの場を離れよう? あたしたちはこの部屋まで“真直ぐ”来た。‥‥このまま廊下に出て、他の道に潜んでた敵が現れたら? きっと、あたしは庇いきれない」
メイナード一人で離脱させることが困難なことは明白で、もしその補助にジルを付けたとしてもリスクは高いまま。それに、皆戦闘に注力する様子である。
結局、メイナードはその場に留まる事を余儀なくされたのだ。
●フォールン・エンパイア
淡白色のAU−KVから繰り出された剣閃が、まさか自らの体を吹き飛ばすとは夢にも思わなかった。
ユリウスは一瞬の虚を突かれ、その先に構えていたアレックスから渾身の一撃を叩き込まれる。
その拳の余りの重さに、ヨリシロの背に戦慄が奔る。だが、続く追撃を拒むようにユリウスの翼は彼を天井高くへ飛び去らせた。
しかしそれを許さないとばかりに、風香から放たれた矢が正確無比に蝙蝠の如き翼を撃ち、爆ぜる。
弾頭矢の炸裂に穴のあいた翼。それを確認しながらも、風香は手を緩めずに次の弾頭矢を番えた。
予期せぬ衝撃に呻くユリウスを無視し、新が、敬介が、夢姫が上空へ次々に銃撃を見舞う。
「小賢しい‥‥!」
悪魔の翼が、一際大きく羽ばたく。瞬間、激しい衝撃波が放たれた。
───自分達より高い場所に位置取る敵に対し、前衛・後衛の差は無いに等しく。如何に“前衛の後方”に身を寄せたとはいえ、上から見ればフラットである、と。
そういえば、遠い昔にそれを悔いる戦いがあったことを風香は今にして思い返していた。
ユリウスより放たれた衝撃波は射程内に居た全てを巻き込んで、崩壊の序曲を奏で始める。
床に叩きつけられ、或いはガードしたものの直上から食らったが為に膝に強烈な負荷がかかって動きが鈍っている傭兵達の上空を容易に抜き去ると、ユリウスは再び地上向けて急降下。
その狙いは、自らの計画を狂わせた張本人へ。そしてそれに気付いたジルは、身動きの取れない父親の身を庇うように覆い被さる。
‥‥今足が動かないのなら、力でねじ伏せ言う事をきかせるまで。
青年は龍の翼による強制加速で“装甲を走らせた”。足が動かずとも、後は車輪が激しい火花を散らして目的の場所へと滑り込んでくれる。
床の上を滑る車輪が一回りする度、軋む足が悲鳴を上げた。だが、今ここでそうしなければ、間違いなく後悔する。
「新っ!!」
突然少女の前に割り入ったハイドラグーンに、ユリウスの一撃がジルの代わりにまともに直撃し、後方へ吹き飛ばされた。
駆け寄ろうとする少女を無言で制し、青年は再び立ち上がる。
彼の腹部を装甲ごと貫いた苛烈な一撃。青年の足元に溜まりゆく“赤”に気付いたジルは、思わず唇を噛んだ。
それでもユリウスは更なる連撃に腕を振り上げ、それを阻止すべく新が防戦に入る。
「なぜ強化人間を守る? この国と引換えに奴を贄として差し出したことへの罪滅ぼしか?」
「違う‥‥私が、守りたいものは‥‥っ」
傭兵となって様々な出来事があった。
バグアとの戦争は、単に外敵から地球を守るという“大義”のもとに収まらない戦いだったし、傷つく事も傷つける事もあった。
なぜ自分は戦っている? 何の為に?
答えを求めるうちに、次第に気付かされたのだ。自分は、この手が届く範囲の“人の心”を守りたいのだ、と。
新が構えた盾は最初の数撃でものの役に立たなくなり、最後に盾となったのは彼の身体以外の何物でもなく。
それでも青年が一歩も引かなかったのは、“譲れないもの”があったから。それに‥‥仲間もいる。
銃撃が、矢が、ユリウスの背を撃ち抜き。それとは別にスパーク音が接近してくるのが解った。
2機のAU−KVが双子星のようにユリウスの対岸に位置取り、同時に距離を詰めてくる。
「‥‥そこまで、だよ」
再び、陣形が整った。
和哉が高速移動により生じた残像を霧のように纏わせ、接近。射程にヨリシロを捉える。
サザンクロスの一振りが光の筋を残してユリウスの身体へ叩き込まれると、新の眼前からその威容は瞬時に消し飛んだ。
膝から崩れる新の耳に聞こえたのは、身を包む柔らかな歌声だった。
先の一撃によって和哉からアレックスに向けて一直線にユリウスが吹き飛ばされる‥‥はずだった。
だが、2度も同じ手を敢えて食らうことも無い。
“翼を羽ばたかせることで、アレックスの手前で衝撃の軌道を捻子曲げた”ユリウスは、和哉の意図した場所からそれた位置へと吹き飛んだのだ。‥‥前衛であるアレックスよりやや後方から、ユリウスに向かって矢を放っていた風香の方角へと。
想定外のことだった。風香はヨリシロの接近前に回避を試みるも、衝撃を利用したまま低空飛行へ移行し狙いを定めたユリウスは余りに速く。
「‥‥ユリ、ウス‥‥」
途端に鋭利なミサイルの如き爪が風香の身体を貫いた。
迸る鮮血。まるで赤い花が咲いたかのように、美しくも残酷な一撃が少女の意識を奪おうとしている。
思わぬ一撃が、風香の腹部を貫いた。少女は混濁してゆく意識の中、腹につき立った悪魔の腕に手を回し、それを握り締める。
「なぜ‥‥こんな、事を‥‥?」
少女の指がしなやかな筋肉を纏う悪魔の腕に食い込む。倒れる直前のそれと思えぬほどに、強く。
だが、答える暇も無く、アレックスの追撃が悪魔を襲い、それを回避するべくユリウスは風香の身体をアレックスに叩きつけるように放り投げた。
そこへ再び翼で加速した和哉が間合いに入った。
悪魔の横っ腹へ突きたてられようとした剣を、ユリウスの五本爪が留め、空いた片手で少年の身体を串刺す。
和哉へと繰り出した攻撃の手応えは正直芳しくない。しかし忌々しさを感じている間もなく、今度は態勢を整えたアレックスが再接近。
業炎の熱気に空気が揺らぐ。その威力を身をもって知っているからこそ、ユリウスは少年の一撃を全力でかわそうと身を翻す。
けれど、それを許さないとばかりに敬介の銃が回避方向へ鉛の雨を降らせて退路を潰した。
飛べば銃撃、回避しようにも逆側には間近に迫った和哉がいる。
───ユリウスへ再び業炎が衝撃。アレックスはそのまま大地に叩きつけるように拳を振りおろした。
噴き出す血液。平衡感覚を手放した頭。翼は銃撃の嵐に曝され襤褸布のよう。
「くそ‥‥業深い‥‥猿どもが‥‥」
その呻きに、最も間近で拳を交えたアレックスが密やかに眉を寄せる。
(業、ね‥‥)
年齢に不相応な憂いの面持ちは、装甲に隠れて見えることはなかったけれど。
ただ‥‥眼前のヨリシロを、そして、後方に控えるメイナードを思うと、自然、少年の唇が動いた。
「さるべき業縁のもよおさば‥‥」
その時。
「‥‥いかなる振る舞いもすべし、かな」
声がした。
それは、少年らの頭上、高みから。
‥‥そう言えば。本件に絡んでいたヨリシロが、後一人、いたのではなかっただろうか?
●さるべき業縁のもよおさばいかなる振る舞いもすべし
突如降ってきた聞き覚えのある声に、アレックスが、敬介が身を固くし、重傷を負ってジルの後方で朦朧としていた風香の意識が現実に引き戻される。
咄嗟に見上げたそこには‥‥“奴”がいた。
神経質そうな面持ちに銀縁の眼鏡をかけ、壁面の高所‥‥天井間近に飾られた双頭の大鷲の紋章に足を組んで座っている。
忘れもしない。あの日、自らの手に突き立てられたメスの痛みが、ちり、とアレックスの脳を痺れさせる。
「あれが‥‥“彼”?」
同時に夢姫が息をのんだ。この日、この戦いに“この男”が現れる可能性を懸念したのは、アレックスと夢姫のみ。
「遅い! お前は早くこのガキを‥‥」
床に叩き伏せられていたユリウスは狂わんばかりの殺気で身を起こし、今し方現れた新たなヨリシロへ指示を飛ばす。
場の傭兵達の緊張がピークに達しようとした時‥‥男は酷く柔らかい笑みを浮かべながら、ユリウスの指示に、こう応えた。
「なぜ私がそのような事をしなければならないのです?」
絶句するユリウス。同時にかつて耳にしたことが無い程の高笑が、煩いくらい室内に木霊する。
「長い時を共にしたけれど、まさかそんな表情を拝める日がくるとは。メイナード、貴方のお陰ですよ!」
ジルは茫然と新たなヨリシロを見上げ、父親を抱きかかえていた腕に力を込める。
「ほら、君は彼の娘なのでしょう? 早くお父さんを動けるようにしてさしあげなさい。メイナードが全てを捨てて突き進んだ復讐劇は、今がクライマックスですよ。彼にとって、ユリウスを殺すことこそが悲願なのだから、娘の貴方が手を貸さずしてどうするのですか!」
観客が待ち望んでいる瞬間だと、男は高みの見物を決め込んで、さも愉快そうに言い放つ。
「やはり‥‥貴方は、知っていてメイナードさんを強化人間に‥‥」
夢姫の瞳が、真直ぐに、笑い狂う男を捉えた。
「クラウスが“彼”と言っていたバグア‥‥ノイエルライヒも、計画も“彼”が中心だとしたら、ユリウスも“彼”の記録対象なのかもしれないと。そんなことに気付いたんです。道理で、これまでがユリウスと繋がらないはずですね」
高みから箱庭を見下ろす男は、眼下の光景を歪んだ口元のまま眺めながら夢姫の言論に耳を傾け、称賛を込めて拍手を贈る。
「この場の‥‥いや、この国の誰もが辿りつけなかった真実を、貴女はただ一人見通した」
拍手の音が余りに耳触りで、遮るように敬介が射撃をしかけるも、男は瞬時に光の粒子へと変わり‥‥
「その気付きに、心からの礼賛を贈ろうではないですか」
‥‥今度は部屋の真逆にある壁面の立体紋章へと同じポーズのまま現れる。
まるで道化師のような男の動きを、夢姫は冷ややかな視線で見送っていた。
「国防大臣の噂を流したのはクラウス。それを指示したのは貴方。つまり、本当の敵は‥‥貴方、だったんですね」
「この件に関してのみ言うならば、傀儡は兄で、繰り手は私、と言うことになりましょう。本当の敵、と言われれば“どちらもあなた方の敵”でしょうけれどね」
そこまで“弟”が喋ったのを確認すると、ユリウスが漸く口を開く。
「この事態を、生んだのは‥‥貴様、なんだな。私を、売ったのか。人間如き、下等な、生物に‥‥」
「滅相もない。私は、ある“強化人間”に手を貸しただけですよ。それが、たまたま貴方を殺そうという計画だっただけで」
高笑が、響いた。
瞬間‥‥ユリウスという理性を繋ぎとめていた細い糸のようなものが、音を立てて切れた。
張りつめていた分だけ糸は勢いよく切れ飛び、その場に居た全ての者がユリウスの絶望と悲嘆、そして怒りを真正面から受け止めることとなる。
「─────!!!」
───それは、限界を突破する、と言うことだった。
言い表すことのできない怨嗟の叫びが、議事堂全てを揺るがす。
悪魔の全身が激しく脈打ち、細胞がぶくぶくと弾ける泡のように膨らみ、爆ぜ、身体が隆起する。
翼も、角も、爪も、瞬く間により硬質に、鋭利に、そして強大になり変わり‥‥
「‥‥やれやれ、プライドを捨てましたか。限界突破など、負け犬の無様な遠吠えでしょう。死出の花道? 死にゆく者に誉れなどありませんよ」
『ロキ、貴様ぁーーーーーッ!!!』
ユリウスの慟哭も、それが最後だった。
限界を超えた彼は、その意識も全てが限界の先に在る闇の中に呑まれたのだろう。
彼は“弟”へ報復を果たそうとしていたに違いないのだが‥‥思考する個体としての尊厳を失ったユリウスは、その最期の想いすら遂げることなく、本意に反して手近な対象から無差別に蹂躙を開始する。
後衛が一斉に銃撃を放ち、アレックスが、和哉がバケモノへと迫った。
だが、先程と比較にならない圧倒的な速さとパワーが傭兵達に襲いかかる。
和哉の刃は易々握りとめられ、そのまま少年は頭部を掴まれると途方もない力で床に叩きつけられ、床にどろりと赤が広がる。
その隙にヨリシロの側面へ滑り込んだアレックスだが、放つ拳が相手の身体に激突する鈍い感触を知覚した途端、腕を掴まれ、その装甲を無理矢理引き剥がされた。
剥き出しになったアレックスの腕へ、その肉を噛みちぎろうと異形の牙が喰らいつき、少年の口から憚る事のない絶叫が漏れる。
その捕食を阻む様に今度は夢姫が背後からヨリシロの片翼を攻撃。そのまま同一個所へ連撃を叩き込んで切断すると、体勢を崩した所へ戦線復帰した新が接近しその足を払う。
「全く、最後まで愚かでしたね」
銀のフレームに指を添えると、眼鏡の位置を正しながら“ロキ”と呼ばれた男は光の粒子を纏い始める。
「おい、何処行くんだよ」
ふとロキが視線を下げると、真下には黒髪の青年がこちらに銃口を向けて構えている姿があった。
ロキは敬介に向けて艶笑を浮かべる。しかしその頃には男の輪郭は消え失せていて。
消えゆく光の中から、敬介は「遠くない日にまた会うでしょう」などという聴きたくもない言葉を聞かされたような気がした。
結局、後に残されたのは限界突破し余命幾許もないヨリシロが1体と‥‥
『地下の制圧完了! 全ての要人を確保した。要人護衛対応以外の戦力を直ちに地上に回す。もう少し耐えてくれ!』
直に訪れる、何十人という能力者。つまり、結果は言うまでも無い。人類の勝利は約束されたのだ。
怨嗟の叫びが国の中枢を揺らした。
異形の魔は、血のように赤い涙を流し、砂のように脆く崩れ去る。
「こんな形で報復するんじゃなく‥‥政治の力で、クラウスさんのような人を生み出さない国を作ってほしかった」
砂と化した悪魔の残骸に手を触れながら、夢姫はただ祈るように瞳を閉じた。
●人の心と、バグアの体
駆け付けた別班の能力者や事後処理に訪れた後発隊によって、傭兵達は事後、適切な治療を施されていた。
しかしそんな中、ある少女の声が議事堂前広場に木霊する。
「待って! お父さん何処に行くの‥‥!?」
ジルの父メイナードは、感情の見えない顔で少女に背を向け、歩き去ろうとしていた。
「待ってくれよ。俺も親の都合が解らない歳でもない、けど‥‥」
少女の涙声に表情を曇らせながら、敬介が咄嗟に駆け寄ってメイナードの腕を掴んだ。
「それでも、子供には親が必要なんだ。解るだろ?」
「‥‥もう彼女は子供じゃない。自分で考え、未来を切り拓けるんだ」
優しく、穏やかに。しかし、メイナードは明確な意思でその手を振り解いた。
ただ、敬介もそこで引くことなどできなかったし、したくはなくて、より強固に掴みかかる。
「過酷な道だっていい。共に歩ませてくれよ。俺も‥‥置き去られる辛さは身に沁みて知っているから」
メイナードは観念した様子で振り返り、青年を見つめる。
「俺は、あんたがジルと一緒に帰ることだけを考えて、ここに‥‥この、戦いに‥‥」
敬介が今纏う武装も、身に付けた武技も。全ての理由が“その向こう”にあった。
望んでも得られなかった愛。望むほど遠ざかるそれを掴もうとして足掻いた過去。
彼の必死な形相は、自身の背景をジルのそれに重ねた故だろう。男には、敬介が泣いているように見えた。
「辛い人生を、歩んできたんだな」
敬介の頭に、今、強化人間の大きく武骨な手が触れた。親が子をあやすような、慈しみの温度が敬介の心に伝う。
思いがけず言葉を切らした敬介。彼に代わって、風香が青年の傍に寄り添い、こう告げる。
「確かにロキは逃走しました。この騒動が真に決着していない事も理解しています。それでも‥‥」
少女の漆黒の髪が春の風に揺れた。風に僅かに混じる血臭が、生生しい戦の痕を感じさせる。
それでも今、匂いを感じられる以上は生きている。その実感だけが少女の背を強く押した。
「今、生きて互いにここに立っていることは違えようのない事実です。‥‥貴方を待っている人がいることを、忘れないでください」
この少女の青い戯言に惑わされるのは、自らの心がまだ“人”のままであるからなのだろう。
願いにも似た風香の訴えに、男は苦い表情で笑う。
何を言えるはずもない。自分がここに居ることで、この少女たちをも危険に曝してしまう恐れがあるのだ。
言い聞かせるように首を横に振り、再び彼らに背を向けようとしたメイナードを、引きとめたのは‥‥
「強化人間のメンテ施設、確保したぜ」
松葉杖と相棒に支えられるようにして議事堂から出てきた赤毛の少年だった。
「‥‥一部、損壊してた、けど‥‥何とか、なりそうだよ」
ボロボロの相棒を支えながら、和哉も珍しく柔らかい表情を浮かべる。
彼は今、先の戦いから確たる証を得たのだろう。
自らの弱さも認めたうえでなお、この場に立ち、剣を手に一歩も引かず戦い抜いたこと。
『自分達が、そしてその意思がバグアに勝らぬはずがなかったのだ』、と言う事を少年は実証してみせたのだ。
それを、メイナードは何か強い光のように感じ、目を眇める。
「まぁ‥‥“上”に交渉するのは、これからだけど‥‥ね」
交渉、という言葉の意味を測りかねていたジルは、唇を震わせたまま身じろぎもせずにいる。
そんな少女の無言の問いかけに答えたのは、何より心強い言葉だった。
「ジルの為にも、親父さんは死なせない。その為にできることはなんだってする」
「例えそれが‥‥強化巻き戻しっていう、高いハードルであったとしても‥‥」
そこで、遂に思い至った。ジルが静かに瞳を閉じるとぱたりと両目から大粒の雫が落ち、かたやメイナードが息をのんだ。
「巻き戻し、だと? どういうことだ」
本部に適時接触していたメイナードだが、強化された人間がエミタの力で元の人間に戻れる可能性があるなどと言う事は知らなかったのだろう。
涙に濡れながら身体を震わすジルの肩に触れ、それを宥めていた新は確かにそれに頷く。
「‥‥帰りませんか」
青年が、空いたもう片方の手を差し伸べる。
これまで、長い戦いだった。そしてまだ高い壁が立ちはだかっていることも解っている。
それは安易に乗り越えられるものではなく、ともすれば消えてしまいそうなほど小さく弱い光だけれど。
「貴方には、生きて欲しいんです。いけませんか」
漸く、新の顔に穏やかな光が戻った。
「‥‥娘は、随分恵まれた場所にいるんだな」
メイナードは鳩尾の辺りに手を当てて瞳を閉じる。身体の中に蠢くバグアの証を感じながら、それでもまだ引きずっている人の心が鬩ぎ合う。
傭兵達はこの時気付かされた。男の目が諦観の念に暗く濁っていることに。
「既にメイナードという人間は死した存在だ。君達の好きなようにしてくれていい。私は‥‥いつでも償いの為に死ぬ覚悟がある」
男は罪を犯した人間が大人しく裁きを受け入れるようにして、傭兵達に両手首を差し出す。
「お父‥‥さん‥‥」
それは、父と娘の会話というには、余りに不出来なやり取りであった。
死んだユリウス。消えたロキ。そして、捕えたメイナード。
永きに渡るオーストリアの戦いは、今、ここに一つの決着を迎えようとしていた───。