タイトル:【奪還】見果てぬ夢マスター:藤山なないろ

シナリオ形態: ショート
難易度: 難しい
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/08/28 00:12

●オープニング本文


 たとえば。
 心を裂いたものが親や大人という名の刃であるのなら、傷口を塞ぐものがそれであるはずがない。
 そう、たとえば。
 この星を汚したものが人間という害悪であるのなら、その汚濁を清めるものがそれであるはずがないように。

●歪とは個性である

 ───苛烈に歪んだ精神と、異常なまでに精密作業に特化した繊細な指先、構造を脳裏に描き具体物に落とし込む創造性。
 この子供が持っていたのは、ただそれだけだった。

 この世界はゲームとさして変わらない。いや、ゲームが現実世界をまねたのだから似るのは至極当然のことだ。
 人間が元来持ちうる“能力”というのは、個々に特色があれど“総量”はさして変わらない。
 「あの人は勉強ができる」ともてはやされる人も居れば、そうでない人も居るのだが、結局それは「勉強」という項目のステータス値が多少ほかより高いか低いかである。
 高い者はほかのステータスに能力値の低い項目があるのだろうし(たとえばコミュニケーションがうまく取れないだとか、とんでもなく食べ物に嫌いなものが多いだとか、金遣いが荒いだとか)、勉強が苦手なものにはほかのステータス値にきっとより優れたものがあるはずなのだ。
 ここに初期パラメータがオールゼロの、まっさらな個体がある。そう、赤ん坊だ。
 赤ん坊は、神様から生まれてくるときに生誕ボーナスとして特別にポイントを割り振られる。それも、かなり身勝手かつ、ひどく適当な振り方で。
 この星すべての人間のパラーメータ分配をしているのだからいちいち一人ひとりのことを考えてもいられないし、とりあえずその時の気分で適当にしてみるのだろうが‥‥だからこそ、この世の中にはいろんな人間が居る。
 容姿にポイントを振りすぎた結果、どうも頭脳がおろそかになったり。
 運動性能に振りすぎて、感情表現が乏しくなったり。
 いろいろそこそこできるんだけど、特別秀でたものが無かったり。

 そうしてたまに、歪なものができる。

●回想

「なぁ、お前は俺が怖くないのか?」
 ULT軍に打ち落とされたワームは地中海沿岸のジュニアスクールに墜落。
 炎上する建物。中から出てきた竜人の姿に戦き逃げ惑う人間たちの中、こいつはただ一人、そこに居た。
 動けずに立ち竦んでいたんじゃない。たしかに、こいつはそこに“居た”んだ。
「怖い?」
「そうだ。ほかの連中はもう逃げちまったじゃねえか」
「だから?」
「‥‥お前、俺に殺されるんだぞ」
「そうかなぁ、ぜんぜん強そうになんか見えないね」
「なんだと」
「ほら、片方の翼がもげてるじゃない」
 撃ち落された際、衝撃で俺の体の半分が、肉の塊になっていた。翼は落ち、上半身の半分近くが崩れ、唯一シートに座っていた分無事であった両足が何とか歩行を可能にしていたくらいで。
「ねぇ、竜のおじさん」
 そういって。
「たとえばさ、機械の翼と生身の翼で、空を飛ぶことってできるのかな」
 こいつは、臆することなく俺に近づいた。
 こいつは、死というものを理解していなかったわけではない。
「僕が作ってあげようか?」

 こいつは‥‥そう、きっと少しだけ、歪んでいたんだ。

●AM11:00

 研究室には、俺がヨリシロとした少年の身体‥‥ノエルと同じ目の色をした男の体と、良く似た面立ちの金髪の女が横たわっていた。
 ‥‥正確に表現するのであれば、肉と機械の塊であって、命が宿っているわけではないが。
 俺は、手に入れた人間の中から求めているものに近い素材を切り分けて保管し、機械とを繋ぎ合わせ、理想的な「器」を作ろうとしていた。
 人間の技術で成し得ない部分をバグアの技術で補い、日々、夢を作り上げている。
 なぜか? それは‥‥不思議な感覚だった。こんな小さな少年に、俺が揺さぶられたが故のこと。
 だが、最後の最後で、立ち止まることになる。
「どうして‥‥動かない?」
 コンソールに叩きつけた手のひらは、小さい。
 奪い去り、吸収し、既にありもしない人格がグラグラと俺の表を覆う。
「どうして‥‥父さんと母さんだけ作れないんだ!!」
 父さん‥‥? 母さん??
 違う、何をしている。俺はもっと早く、見切りをつけてマダガスカルへ行くべきだった。
 研究の続きも、素体だけ運んでデータを移植して、環境なんてもう一度作り直せばよかっただけなんだ。
 でも、俺は、動けなかった。
 「急がなきゃならない」、と。なぜか頑なな心のままに。理由すら、わからぬままに。

●PM0:00

 ずしん、と重い揺れが基地を襲う。
「掃討作戦の連中だ‥‥」
 同時に走り出した赤いランプの緊急信号と、退避を知らせるアラートがなんとも煩わしい。
「ここに辿り着くまでそう時間が無い。素体だけもって、続きはマダガスカルで‥‥」
 頭では、そう理解している。なのに。
 どくん、と奇妙な鼓動がする。
 これはノエルの生前の記憶だろう。去ってゆく母親の姿。苛立たしげに机を叩く父親の姿。
 それを見たとき、理解した。
「いや‥‥だめだ、完成、させなくちゃ‥‥今日、中に‥‥」
 そのとき、扉の開く音がした。扉の向こうに見えるのは、武器を持った人間ども。
 それを把握した俺は、これが最後と認識し、出鱈目な信号を叩いて情報を飛ばす。
「お願いだよ‥‥僕のところに帰ってきてよ!!」
 ヨリシロとした器の記憶、それをそのまま再生したかのように、俺はそんな言葉を吐き出していた。
 その最後の叫びに呼応するように‥‥機械で強制的に動かされている肉塊が、ついに起動する。
「‥‥父さん‥‥母さん‥‥」
 ただ‥‥きっとそれは、少年の求めた父でも母でも、ないのだろうが。

「n‥‥o‥‥e‥‥」
 ゆらりと立ち上がる、男と女。
 2体のサイボーグは人間どもに向かって突撃を開始する。こちらの意思など、構いもしなかった。
「‥‥i‥‥aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」
 歪みは、歪みしか生み出さないのだろうか。
 人の意思も感情もない、ただ、人の形をしただけの“何か”が狂ったように暴れ始める。
 ただそれでも、「間に合ってよかった」と。心のどこかで安堵感を覚えたのは間違いなく。
「あは‥‥あははははははははははははっ!!!」
 小さな少年の亡骸を自らのものとした日から。
 その身体に入り込んで、記憶を、感情を、すべてを奪いつくした日から。
 俺は‥‥この少年の生き様に、心を奪われた。
 我慢して、傷ついて、報われないままにすべてが終わった彼の心に揺り動かされて、この身体で彼の願いを果たしてやりたいと。
「父さん、母さん、あのね」
 5年前の明日、ノエルの父と母が離縁した。
 この少年は、命がある最期の瞬間まで強く強く思い残した後悔があった。
 彼は、5年前の今日、両親がいた最後の日にどうしても帰りたかった。そして、たった一言、こう伝えたかったのだ。
「ねぇ、みんなで死のうよ」
 ‥‥そしたらもう喧嘩もしないし、ずっとずっと一緒にいられるもんね?

●参加者一覧

霧島 和哉(gb1893
14歳・♂・HD
杠葉 凛生(gb6638
50歳・♂・JG
ムーグ・リード(gc0402
21歳・♂・AA
シクル・ハーツ(gc1986
19歳・♀・PN
秦本 新(gc3832
21歳・♂・HD
リズィー・ヴェクサー(gc6599
14歳・♀・ER

●リプレイ本文

 ねぇ。もしも、天国が存在するのなら。キミは天国ってどんなところだと思う?


●馬鹿だ。アイツは、本物の馬鹿だ。

 殺したい、と強く願った対象がそこにいる。
「‥‥父さん‥‥母さん‥‥」
 その対象である少年が、虚ろな瞳でみつめる先。そこにあったのは、二つの人の姿をした“何か”。
 どこか少年の面影に重なるそれらは、いずれも人ではなく、狂気を孕んだ“モノ”。
 霧島 和哉(gb1893)は、憚ることなく嫌悪感を示し、そして溜息をついた。
 なるほど、僕があいつにかき乱される理由はそんなところにもあったのだ、と。呆れにも似た自嘲を心の底に投げ打った。少年・ノエルの虚ろな瞳に苛立ちを覚える。父さん、母さん、と。赤子が愛を請うような声に、言いようもない震えが来る。
(‥‥馬鹿だ。アイツは、本物の馬鹿だ)
 あいつが欲しがっているものは、望んでも得られるわけがない。それを僕は知っている。
 だからこそ、和哉はそこへ変わらぬ願いを上書きした。それは、偏に和哉自身が自らの逃げ道を断つための儀式的なものだろう。
「‥‥殺す。ここで」
 再確認したかったのだ。確実に願いを叶える為に。自分の心にケリをつける為に。
 もしかするとそれは、見果てぬ夢を夢のまま終わらせてやろうという、彼なりの歪な優しさかもしれなかったけれど。


●コミュニケーションの産んだもの

 ノエルの、両親を呼ぶ愛に飢えた声は、傭兵たちの鼓膜にどろりと張り付いた。決して気持ちの良いものではない。それは、秦本 新(gc3832)にとっても然り。
 これまで傭兵として在り続けた戦争という日々の中、言葉の通ぜぬ地球外生命体を相手取るだけなら、まだ“マシ”だっただろう。特に異形であればあるほど意識は遠くに押しやれたかもしれない。
 だが、この惑星に攻め入った赤き星からの侵略者たちは‥‥不幸なことにこの星の人間の身体を侵した。侵し、使い、コミュニケーションを図ることすらできた。
 コミュニケーションは様々なものを産む。「感情」を通わせてしまう。怒りは平静を揺らめかせる。憐憫は心をざわめかせる。いずれも戦いにとってマイナス要素でしかないうえに、ある時、新は恐ろしいことに気付いたのだ。
 バグアにも、心があるということを。
 知らずにいればよかった? そう思う人間も少なくはないだろう。だが、新は決してそのような考えを持たなかった。それを知ってなお、彼は武器を取り、前へ進んだ。なぜか? それは明確だった。『戦いを終わらせるため』だ。
 ではなぜ戦いを終わらせたいのか。これ以上の犠牲を増やさないため? ‥‥それも少し違う気がする。
 より正確に表すのであれば、きっと、今の彼には明確に守りたいものがあったからではないだろうか。
「あれは‥‥ヨリシロの少年の?」
 新の双眸は今、少年の前にゆらりと立ち上がる2つの影を見据えていた。その異様な光景に、思わず青年の眉が苦しげな形を描く。
(これが彼の、求めたもの‥‥なのか?)
 2つの人型から発せられる声。違う、もはやあれは『音』だ。
 人の声を模し、腹の底を冷やすような気持ちの悪さを纏う人型の叫びに遣り切れない思いを抱いた。
 その感情はきっと『憐憫』とかいう類の名をした、今この場に不要であろうシロモノだったけれど。
「こんな、歪な‥‥」
 アフリカの大地に初めて足を踏み入れてからどれくらいが経っただろう。幾つもの災禍を見てきた。見送るしかなかったものも、渦中に身をおいたものも、抵抗したものもあった。思い返せばこそ、揺るぎようがない。既に心は決めている。
「もう、これ以上は」
 ノエルの向こうに、アフリカの大地が、そしてこの惑星がまっさらになる光景を、新は見ていた。


●戦いを知らないオトナには、絶対にわからないこと

 以前、戦場でその姿を見たのはいつだっただろう。
 自分とさして変わらない年頃の少年が、機械と人とを繋ぎ合わせ、命をおもちゃのように玩んでいたのを憶えている。
 あの光景は、アフリカに注ぐ強い太陽光と共に強くリズィー・ヴェクサー(gc6599)の心に焼きついていた。
「‥‥ノエル、かぁ」
 ある日、少女は本部でまとめられたばかりの報告書を手に取っていた。それは無意識だったのかもしれない。興味本位だったのかもしれない。あるいは、悔いやその他何らかの感情だったかもしれない。
 リズィーの小さな指先が、紙の表をゆっくりなぞった。そこに描かれた、少年バグアの名を心に刻むように。

 あれから、少し時間が経った。
 人より長い年月を生きるバグアにとっては星の瞬きにも及ばない瞬間的なもので。人間にしても、人によっては「あっという間」であったり、「思いのほか長い間」であったりする時間。
 その間に、アフリカでの決戦は幕を下ろしていた。
 ───これからが、平和を作る時間。
 少なくとも少女はそう思っていたのだが、いざ目の前に『それ』が現れた途端、リズィーの胸に強い想いが蘇ってきた。アフリカの大地で散った多くの人々のこと。自らの参加した作戦の後、人が根絶した村のこと。そして‥‥ノエルのこと。圧倒的な、感情の波。
(でも‥‥前に遭遇した時と様子が違う気がする?)
 見えるのは虚ろな瞳。聞こえるのは壊れたような笑い。
 その全てが、リズィーには悲しかった。悲しくて、辛かった。思わず、その手を差し伸べてしまいそうな程に。
「‥‥ボクは人間だから救えない」
 ノエルの近くで、人の形をした何かが激しく咆哮している。場の何もかもが狂っていた。そんな中、少女の中の想いだけは揺るがなくて。リズィーは言い聞かせるように、お気に入りの人形を強く掻き抱く。
「それにね、この星の為に‥‥ノエル、貴方が邪魔なのよ」
 ドールのメリッサは、ともだちの言葉に頷くでもない。だが、決してリズィーを否定することもない。
 少女は、恐るべき速さで自分たちのもとへ人型が駆けてくるのに気付いた。もはや、躊躇などすることも許されない距離。接敵まで1秒‥‥以下。リズィーは小さな手に、どれほどの想いを籠めたのだろう?
 戦いを知らない大人には、絶対に解からない。
「ノエル、せめて逝って‥‥」
 少女は、食いしばって面を上げる。そして‥‥、
「安らぎを」
 倒す決意を拳に込めた。


●機械の温度

 傭兵たちのもとへと走り出した人型の何かは、驚異的な速度を誇った。
 奥にいるノエルがヨシリロであることは、この場の傭兵たちが皆理解していたところではあったが、“これら”が何であるかは認識の範疇外。さらに言えば、これまでの強化人間と比べて“これら”は随分速い。だが‥‥傭兵たちは、瞬時に散開。
「其方を頼みます‥‥気を付けて」
「‥‥お前も、死ぬなよ」
 新とシグマ・ヴァルツァーは、互いに目をくれるでもなく、ただ、言葉を交わした。
 男と女、1体ずつの何かは、どちらかといえば女の方が素早く出来ていた。それに相対するのは‥‥小さな光。室内の照明を受け、美しく輝く金と銀。
「シグマ! 支援を頼む!」
 シクル・ハーツ(gc1986)だった。
 少女の長い髪が、彼女の振るった如来荒神と相対する女の腕との衝撃で派手になびく。
「‥‥お前一人で戦わせねぇ」
 少女の戦いぶりに鼓舞されるように、シグマは後方から身をずらし、愛用のガトリングを掃射。
 シクルへ襲い掛かる連続攻撃を青年の制圧射撃が叩き潰すと、少女は小さく息をつく。
「少年に似すぎた強化人間‥‥自分のヨリシロの親まで、利用するのか‥‥」
「うん。何処となく‥‥作った人間に、似ているにゃね」
 シクルの呟きに応じるように、苦々しげにリズィーが頷く。目に映る歪さは、シクルの心に不穏をもたらした。
 機械の人間というキーワードだけで、既に逆撫でされたような居心地の悪さを感じるというのに、だ。
 それというのも、後方にいるシグマの左腕が機械であることも起因しているのだろう。
 以前触れた青年の腕は、ただの機械なんかじゃなかった。少なくともシクルにはそう思えたし、目の前にいる人と機械で出来た何らかが彼と同じであるはずなどないと断定していた。それでもシクルは、シグマがこの事態を気に病むのではないかと感じたのだろう。時折シグマに見られた左腕を擦る行為に、幻視痛の兆候を感じていたのは事実だったから。従来温和で優しい心根のシクルには、青年がこんなくだらないバグアの侵略遊戯に傷つけられ、振り回されるのが許せなかったのかもしれない。
 ‥‥けれど。後方から吐き出される大量の鉛弾と、その聞き慣れた銃声に、シクルの心にも徐々に平静が訪れてくるのがわかった。
「シグマ、確実に最後にしよう。二度とこんな事をさせないように」
 少女は、思わずそう告げていた。
 大丈夫だ。これまでと同じように、障害は乗り越えていける。シグマも‥‥そして、私も。
 そんな凪のような穏やかな気持ちは、戦いの渦中にあるはずもないもの。少女は、シグマと出会ったときとは比べ物にならないほど、強く、凛々しく、輝いていた。

 牽制され、動きを鈍らせた女へ放たれたリズィーの電磁波。威力こそさほどではないが、受けた一瞬のラグをついてシクルの大太刀が閃く。金色の剣閃。小さな少女の身体からは想像しにくい巨大な斬撃に、軽量化されていた女の身体が大きく吹き飛んだ。それはそのまま壁に激突し、壁面に置かれていた機械が崩れ、スパーク音が響く。そこをシグマの制圧射撃が畳み掛けようとしたところ。
(‥‥今までの強化人間は武器を持っていたのに、ここで素手? 何か隠してるのか‥‥?)
 シクルは瞬間的に、あの日のことを思い返した。そう、自分の目の前で強化人間の関節がパージし、中から現れたショットガンに自らの腹を食い破られたことを。
「気をつけて! きっと身体に銃器が仕込まれてると思うの!」
 刹那、上がったリズィーの声に、シクルの足の方角が変わる。言うが速いか、強化人間からシクルの声の方角へと銃撃が発せられた。
 間一髪それを回避し、慎重に距離をつめてゆくシクルの背を二人の銃撃が丁重に見送る。
 この後、金の髪をした女の身体は、物言わぬ鉄と肉の塊というあるべき姿に戻っていった。


●シロとクロ

 燻らせた煙の向こうに聞いたのは、父母を求める声だった。
(ヨリシロは、器の記憶に引き摺られているのか。強化人間も、父母の人格に洗脳されているのか‥‥)
 手前の人型をした何かも、少年の名を口にしようとしていた。ただ、それを最後まで紡ぐことなく狂った悲鳴を上げている様は、正直見るにも聞くにも耐えないが。
 ヨリシロというバグアの性質を、杠葉 凛生(gb6638)はその身で、心で、嫌というほどに味わっていた。あれは、まやかしの記憶と身体。断言してもいい。

 凛生は、表情を変えずにホルダーから銃を抜いた。
 その動作の滑らかな様は、戦いに慣れすぎた故の無駄のない美しさ。もはや当人は意識すらしていないだろう。
 無論、理性の欠片も感じさせずに此方へ特攻してくる“何か”も、それを理解はしていないだろう。
 人間ですらなく、機械ですらない存在に嫌悪する。これ以上、生命を弄ぶことは許されない。許すつもりも、毛頭ないのだが‥‥それにしたって手前のこれらは、何なんだ。
(喪われた命は戻らない‥‥同じ姿でもそれは偽りだと俺に知らしめたのはバグアだが)
 恐らく少年の父母を模して作られたものだろう。余りに似た面影が、痛々しいほどだ。なのに‥‥父母を模したらしき“もの”は、肝心の少年に目もくれずにいる。つまり、そういうことなのだろうが。
 引き付ける間も許さずに、凛生は引き金を引いた。一度に三つの銃声。ケルベロスの牙が、正確無比に男の膝に食らいつく。それでも、“何か”は凛生への進撃を止めない。
 奥の少年から、笑い声が聞こえた。恐らく霧島や秦本と対峙する間に何かあったのだろう。
「バグアにそれを忘れさせるほど‥‥器の思いが強かったのか」
 思いがけず、言葉が漏れた。同時にほんの僅かな時間だけ、凛生は金の髪の少年の心を慮る。バグアに対するものではないが、去来したそれは哀れみという感情にも似ている気がした。
(死と共に総ての可能性は断たれる。‥‥新たな希望との、邂逅も)
 それを思えば、死して未だ狂う少年の姿には摂理の改竄というよりなお性質の悪いものを感じた。悪寒、生理的嫌悪、具体的な言葉に収束せずとも、凛生はもう一度引き金を引く。余りに惨い仕打ちだ。
 しかし、その時。濁る思考をクリアに戻すような別の銃声が近くで鳴り響いて、凛生が狙っていた男の足が吹き飛んだのを確認した。
「‥‥ムーグ」
 呟きは、硝煙にのまれ。大きな背中が容赦なく“何か”を追い立てる様が、凛生の心に今辿るべき道の在り処を示してくれていた。

 ───遡ること少し。
 この歪の国の扉を開けた瞬間から、ムーグ・リード(gc0402)は忌避感に似た何かを感じていた。否、もっと前か。この国に足を踏み入れた瞬間から、かもしれない。今回アフリカの地で進行中の奪還作戦について、青年は「ここで戦い続ける以上、同胞たちの貶められた姿を嫌でも見続けるのだ」とばかり思っていた。
(‥‥今までの強化人間と違う。アフリカの民では、無い?)
 だが今目の前に立ちはだかるのは、予測されていたそれではなかった。それは、明らかに“白人のパーツ”を用いている。ただ、虚ろな顔や、人語ですらない音を発する口を見ていると、これまでにアフリカで対峙したいくつかの強化人間の例に重なるものが有った。
 しかし、そこへきて青年の胸に沸々とこみ上げるのは疑問だった。
 こんなにも絶望的な状況で、なぜあの少年はこの強化人間を用意してここにいたのだろうか?
 奇妙な引っかかりが胸に蟠る。だが‥‥事情など知るものか。
「‥‥アナタ、達、ノ、主、ハ、コノ地ヲ‥‥魂、ヲ、穢しタ」
 これ以上明確に武器を取る理由はない。許す理由なんて、ない。何一つとして。
 故に、ムーグはホルダーから躊躇いなく銃を抜く。しかしその時、自分より僅か先に、凛生が銃弾を放っていた。その銃声が、彼の存在こそが、ムーグの心に平静を齎してくれたような気がした。ただ怒りだとか憎しみとかいう単調な感情に身を預けて敵を蹂躙することなど容易い。それは自分にとって、この地が故国で、奪還すべき最愛の地だから。魂の在り処を奪われ、同胞を殺され貶められ、奪還という名の戦争に身をおかぬ理由を探すほうが難しいからだ。
 だが、“彼”にとっては? ‥‥そう思えばこそ、なおのこと、彼をこの戦いで傷つけることなど許されない。むしろそうなったとき、自分自身が耐えられない気がして、ムーグは冷静に前を目指した。
 凛生との間に立ちふさがるように盾を構え、撃つ。一撃だった。凛生が狙っていた足の関節に同様に照準を合わせると、それは2人の集中射撃で思いのほか呆気なく吹き飛んでゆく。
 しかし、それを厭わずに男は片足で立ち上がり(恐らくパーツがばらけた際にも片足で歩行できるよう立ち姿勢時の重心変更もプログラムに叩き込まれていたのだろう)、吹き飛んだ足の一部を切り離し、そこから一発限りのロケットランチャーを繰り出したかと思えば、さらに右手の肘から先も切り離して銃撃を繰り出してきた。だが、恐るべきことにムーグはそれを受けきった。勿論常に盾を構え続けていたからという点も大きいし、彼にダメージがないとも言わない。だが、正直なところ深刻なダメージを受けたともいえない。当のムーグは、着弾時に崩れた体勢を直ちに立て直し、再びトリガーを引いている。
 人ならざるものに奪われた故国。弱者には持つ権利すらなかった。アフリカを追われ、逃げるように別の大陸へと身を寄せた過去がじくじくと心を蝕む。
 あの当時、ここは簒奪され続けるだけの場所であった。自分自身も、簒奪され続けるだけの存在であった。なればこそ、それら人ならざるものから愛しいものを奪還するために、青年には“相応の力”が必要だったのだ。
 これまでどんな苦難を超えてきたかは言うに難いが、つまり、今のムーグは人ならざる存在となりかけていた。
「‥‥眠り、ナサイ」
 彼自身、それを認識しているかどうかはわからない。
 ただ、青年の鳶色の瞳に映る狂犬のような“人でない「何か」”は‥‥見るに耐えなかった。
 本当に、それだけだった。


●鏡写し

 ノエルの虚ろな瞳は、彼の前方に立つ男と女、その2つの影に向けられている。
 自らに注がれると覚悟した、あの焼け付く光線の出迎えもない。彼の意識が既に人間を認知していない。
 ‥‥まるで壊れかけた人形のようだ。
 和哉の手中のサザンクロスは、今再び少年の願いをのせて輝き、光はやがて刃の形に収束する。その光を受けながら、和哉は今になって彼への嫌悪感や、過剰なまでの拒絶感の理由を理解し受け入れていた。
 だからこそ、だ。
「ここで、終わらせてあげる」
 “終わらせてやりたい”と、願ってしまった。これは優しさじゃない。和哉のエゴだ。少年は、少年の存在が許せなかったのだ。‥‥余りに、自分に似すぎていたから。
 光刃が振りぬかれる。それに気付いたのか、ようやくノエルの焦点が和哉の像を結ぶ。
「終わらせるって、何を?」
 刃は案の定、ノエルの手に握りとめられた。しかし、掌からじわりと赤が垂れるのを、和哉は見逃さなかった。
「キミの命を」
「そう。でもさ‥‥ッ!?」
 しかし同時に、少年の背を新の槍が穿った。和哉に集中していた意識は、後ろにいる青年へと向けられる。
 鋭い視線。濃い琥珀色をした瞳が、ノエルを確かに捉えている。
「この地を、地球を返して貰う」
「‥‥返す? 僕はこの星なんかどうだっていい!」
 抵抗無く刺さった槍の穂先に小さな違和感を覚えながら、新はそれを引き抜き連撃を繰り出そうと槍を引く。
 しかし、瞬間的にノエルは翼を出現させた。その羽ばたきで新の身体が大きく後方へ吹き飛ばされた。壁面に衝撃するAU−KVの金属音が盛大に響く室内。だが、正面にいた和哉はぴたりと張り付いたまま。未だ握りとめられたままのサザンクロスを押し切ろうと全身の力を籠めている。そんな和哉を、ノエルは嗤った。
「終わらせる、って。カズヤに出来るの?」
 和哉や他の傭兵の行為に対してではない。和哉を、明確に嗤ったのだ。
「‥‥出来るか、じゃない。やる」
 強い瞳のまま、和哉は光刃を消失させる。ノエルはそれに驚くでもなく、その隙に白衣の中にしまっていた光線銃を2丁、ようやく取り出した。だが、ノエルはまた驚かされることになる。まるで自分自身の鏡のように‥‥和哉が、もう一振りサザンクロスを引き抜いたのだ。
 同類は同類の匂いを嗅ぎ分けるとはよく言ったもので、ノエルはこのとき、和哉に潜む空虚さや、自分に対する同属嫌悪に似た感情を嗅ぎ分けていたのだろう。
「無理だね」
 ノエルは言う。
「だって、僕とカズヤは“鏡”だもの」

 淡白色のAU−KVと、少年型ヨリシロが激突。サザンクロスが放たれた銃撃を弾き返し、残る手で切りつける刃をノエルの銃身が防ぐ。
 和哉は破竹の勢いではあったが、しかし、ノエルとの性能差を覆すまでには至らない。その身体をいくつもの穴が貫通し、焼き焦がれる痛みは少年が耐えうるものではないはずなのに、彼の願いが和哉の身体を床に預けてはくれなかった。だが、和哉は視界の端に確かな兆しを認めた。鏡ではないことの証。彼に無くて、今の自分にはあるもの。
「僕も、キミと同じだと、思ってたんだよね‥‥さっきまでは」
 ‥‥その時。
「伏せて!!」
 新の声が響いた。それは和哉の声に重なって、ノエルを惑わせる。
「僕は‥‥ひとりじゃない、から」
 手榴弾が、小さな部屋中に強烈な光を撒き散らした───。

『‥‥ぐ‥‥ぁ』
 目を覆い、ふらつく少年の姿。その表に見える赤・緑・青の光と模様。少年という光で編まれた外套が風で飛ばされるように。少年の姿をしていたノエルは‥‥その身体と同じくらい大きさの、小さな竜人へと変貌を遂げた。ありていに言えば「正体を表した」のだろう。だが、それを目の前で見届けた新の衝撃は、言い尽くせぬものがあった。
「まさか‥‥ロンドンで倒したあの竜人と‥‥似すぎている」
 聴覚の麻痺しているであろう竜人にその言葉は届かなかったのだろうが、シクルも、シグマも、この様子には言葉を失ったようだった。ただ、相手が何であっても、今この場でやるべきことには変わりはない。それが、傭兵という立場であることの宿命と言い換えてもさほど違和感はないだろう。
 和哉の身体から浮かぶ、赤き竜の紋章。それを合図に、新の身体から青き竜の紋章が浮かび上がった。
「人類を弄んだ許しがたい敵。だが‥‥だからこそ」
 新が再接近。再び鬼火が翼を穿つ。穂先が破壊した機械の翼からは細かな破片が飛び散り、翼の仕組みが脆く崩れてゆく。一撃、もう一撃と穿つごとに伝うその機械と肉の感触を、青年はきっと忘れはしないだろう。
 一方、正面に位置どった少年の手から伸びる二振りの光はかつてない輝きを放っていた。
「行くよ‥‥擁霧」
 それは、過去を清算する為に。それは、この願いを認める為に。


●歪な約束を胸に

 強化人間を討伐し終えた傭兵たちが、和哉と新に加わるようにノエルを囲み始めた。
 先ほど凛生の銃撃が逸らされたのを見て以降、後方で思案をめぐらせていたリズィーは懸命に分析を試みる。
 正直バグアの力の原理はわからないが、試してみたいことはあった。少女はメリッサを抱きしめると、祈るように声を発する。
「お願い‥‥効いてっ」
 リズィーから飛んだ妨害電波。しかし、その効果は発揮されなかった。以前竜の尾も効かなかったという報告があったが、恐らくこの力は無効化できないのだろう。しかし、それが判ったのなら銃撃以外で応戦するのみ。
「‥‥これで最後だ。もう逃さない」
 ついに間近に相対する竜人。堪え切れず発した言葉の向こうに、シクルはあの日のことを思い出していたのだろうか? あの、ロンドンでの出来事を。それでも、その手に握る大太刀の筋は、鈍ることはなかった。振りぬく剣閃には一部の濁りも無く、美しい金の光が竜人の身体に吸い込まれるように刻まれた。既にその竜鱗には、和哉による無数の焼け焦げた太刀筋が刻まれていたけれど、それでも竜人は‥‥ノエルは、倒れることはなかった。
 だが、そこに現れたのはムーグの姿。彼の手には、愛用の銃ではなく、見慣れぬ黒色の篭手が装着されていた。銀色タービンが唸りをあげ、熱を帯びて輝く業炎。その一撃が、ノエルの身体に叩き込まれる。大地をも割り砕くのではないかと思える凶悪な殴打。盛大な音を立てて床にめり込む小さな竜の身体を見下ろしたまま、ムーグが口を開く。
「‥‥何故、離れ、ナカッタ、ノ、デス、カ」
 この、絶望的な戦場から。そう、青年は問う。
 先の驚異的な一撃を目の当たりにした為かは定かではないが、先ほどまで続いていた傭兵たちの連続攻撃が嘘のようにぴたりと止み、室内に静寂が訪れていた。
 遠くで制圧作戦の攻防音が聞こえることが、まるで映画のスクリーンの向こうの出来事のように思える。
『急いで、たん‥‥だよ‥‥阿呆』
「‥‥何ノ、為ニ?」
『明日‥‥エルの、親が‥‥離縁、しちまっ‥‥から、な‥‥』
 吐き出される血の色が同じ赤であることを、どこか苦々しく思いながら。同時に、ムーグは既に敵から生きる意志が感じられないことに気付いていた。きっと今、彼の翼が動いても、この場から飛び立つことはないのだろう。そう悟ると、自然、青年の手は攻撃を途絶した。
「‥‥ソウ、デスカ」

 和哉は、行動不能に陥ったノエルの身体を複雑な表情で見下ろしていた。
「結局、キミの言う通り‥‥僕の力じゃ、キミを殺せなかった、ね」
 事実、和哉は新と二人でヨリシロを押さえ込んだが、致命傷を与えるに至らなかった。決定的にノエルに敗戦の色が濃くなったのは、ムーグがノエルへの攻撃に加わってからだ。
『馬鹿‥‥め』
 自らの無力さを呪いかけていたが、和哉はかけられた言葉に目を見開いた。
『お前が‥‥言ったん‥‥僕は、ひとりじゃ、ない、って‥‥』
 思いがけず、装甲ごと口元を覆う。僕は何に固執していた? 僕の望みは、何だった?
『も‥‥いいだろ‥‥』
 こいつは人類を蹂躙し続けたバグアで、言うことをきいてやる義理なんかない。ただ、人類のことを思えばこそ、生かしてやる理由も見当たらなくて。
 サザンクロスは、今日も美しく輝いている。あの日のままに。願いを叶えるために。
 あれだけ硬質だった皮膚が、力無く焼ききれて刃が埋まってゆく。初めて味わうその感触の先で、少年は、たった今、相手を殺害したことを認知した。つまり、願いは叶えられたのだ。
「‥‥おやすみ。その歪みは、僕が抱いて‥‥生きていくから」
 最後の最後の瞬間、耳元で“あの少年”の声が聞こえたような気がした。

 ははっ‥‥“生きる”って? カズヤがか? 面白い、それなら‥‥約束だ。


●さよなら世界

「これは、あの少年自身の意思だったのか?」
 死した竜人の姿は脆く砂のように崩れてなくなっていった。
 シクルはただの砂山と化したそれを見つめ、遣る瀬無い思いを華奢な手にこめる。
「散々、人の命を弄んで、最後は自分のヨリシロの意思で死ぬのか‥‥」
 許し難いと思う。これまでの所業を見てきただけに、尚のこと腑に落ちないのだ。
 硬く握り込まれた少女の拳。それを労わるように、シグマはシクルの手に触れた。
「あいつの意思かはわかんねぇけど、少なくとも俺たちはあいつを倒しに来た。‥‥そうだよな」
 ふわりと解けてゆく覚醒。シクルの瞳が、美しい銀色に収まってゆく。それを見届けると、青年は安煙草を1本感慨深げに唇に挟んだ。
「ただ、なんていうか‥‥さ」
 着火する音。生じる慣れた香り。その先の言葉を、見上げたシクルの視線が促す。
「‥‥お前が無事で良かった。それだけでいい。俺は、何でもいい」
 頷くでもなく、シクルは穏やかに微笑んだ。その日少女と共にいる間、青年は自らの左腕を擦ることはなかった。

「これでもう大丈夫☆ ホントに、お疲れさまなのよ〜」
 作戦後、リズィーはすべての傭兵の傷をみてまわり、一人ひとりに丁寧に練成治療を行っていた。
 少女は、たった今治療を施した青年の顔に視線を移す。そこには、戦いのときとは別人のような柔らかさを纏う鳶色の瞳があった───。

「何を考えていた」
 戦いで乱れた髪を片手で後ろに流しながら、凛生はムーグの隣に立つ。青年と同じ方角を見るように。
 ただ、青年は何も言わずに首を振った。感慨深そうな表情のムーグには、かつて先の見えぬ戦いに心を縛られた青年の姿など、重ならなかった。
「なぁ、憶えているか」
 そう言って、咥えた煙草に火をつける。口元に近い自らの手から香る硝煙を上塗りするように、凛生は煙に身を沈める。
「アルジェリアの、ブリーダの‥‥いや、何でもない」
 ふと、気付いた。口にしようとしていた。口にするつもりも無かったことを。差し伸べられた手の大きさと暖かさ。先の見えぬ闇に、突如差し込んだまばゆい光。あの日、あの時、迷いながらもその手をとったこと。そして‥‥ここまでただひたすらに駆けてきたこと。それらはすべて、目の前の青年と共にあったこと。あの日の光景が、今も凛生の胸を満たしているのだ。
 その時、青年の口から小さな笑みがこぼれた。
「‥‥感謝、シマス」
 ただ一言だけだったけれど、ムーグはそう言った。確かに、凛生の瞳を見て。
「俺こそ‥‥な」
 凛生が伝えたかった言葉は、恐らく、それではなかった。
 この戦いは、終わりではなく長い旅路の始まりである。取り戻したら終わり、ではない。失われた大地に生きる力を灯すことこそ、人間たちの課題だ。自分にとって大切な青年は、この奪還劇が終わってもなお、過去を背負い、戦い続けていくのだろう。そんなことくらい、解かる。今まで共に在ったのだから。そして、これからも共に在りたいと願っているのだから。そう、許されるのならば今すぐ発したい想いがある。これからの、彼の故国再興の行路を、ほかならぬ彼の傍で支えて生きたい、と。
「‥‥漸く」
 ムーグは、長い息をついた。漸く始める事が出来る、と呟いて。
 これは、彼らのリスタート。これから、長い長い復興への旅路が、始まってゆく。

 立ち去るムーグと凛生の背を目で追いながら、リズィーは最後の治療者の傍に寄り添った。
「怪我、治すのが先なのよ?」
 その青年‥‥新は、砂山の前に片膝を突いていた。
 AU−KVを解き、手で直に触れる砂の感触に眉を寄せたままの新に、リズィーはしばし言葉を躊躇う。青年は、余りに真っ直ぐすぎるのだ。
「‥‥ノエルのお墓、作ってあげよっか」
 ややあって、少女の口から出てきたのは少女らしい言葉だった。
 新が見上げた先には、小首を傾げて「ね?」とぎこちなく笑うリズィー。気安い気持ちで口にしたのではないことは、少女の強く大きな瞳から伝わってくる。
「そう、ですね。できれば、そこに眠っている‥‥強化人間たちと共に」
 新の表情から苦さだけは抜けぬまま、リズィーに丁重に頷く。
(せめて‥‥)
 掬った砂は、新の手指からするすると落ちてゆく。それでも、触れた思いは、決して嘘ではないはずだから。



 ───僕はさ、天国にはきっとこの世のものとは思えない綺麗な花がいっぱい咲いてて、お母さんみたいに優しい香りが漂ってて、それでね‥‥大好きな人たちとずっとずっと一緒にいられると思うんだよね。
 だから、僕はみんなで死にたかったんだ。お父さんと、お母さんと、僕と3人。いつまでもいつまでも、一緒に───。