●リプレイ本文
「おーし、飲むぞー食うぞーナンパするぞー」
傍迷惑な宣言をしたヘンリーに最初からジャックは項垂れる。ちらほらと浴衣姿の人が会場入りを始めた。はっぴを着ているのは夜店を出す人だろうか。
うんざりしている同僚を振り返って前髪を掻き上げたヘンリーは、にやりと笑って後ろに一歩退いた。
「ま。後は夫婦水入らずでゆっくりしろよ。じゃーな!」
「は? おい、ヘンリー?」
唖然としたジャックの背中を、誰かがとんとんと叩く。振り返って視線を落として、彼は咄嗟に言葉を呑み込んだ。そして、腰を屈めて苦笑する。
「参ったな‥‥まさかこんなに浴衣が似合うなんて思わなかったぞ‥‥」
「あらあら。しっかり堪能して下さいね、ジャックさん?」
微笑した妻のフリージアは夫の手を取った。
「あの‥‥ど、どうでしょう、か‥‥?」
折角だから着替えます、と贈られた浴衣に装いを変えたまつりが出てきた。上から下までしげしげと眺めて、須佐 武流(
ga1461)は一度頷く。
「よく似合ってる」
一言だが、まつりは恐縮して掲げられている旗の後ろに隠れた。本当はもっと見て欲しいという女心も持っているのだが、視線に耐えられる自信がないわけである。
付け加えると、怖がっているわけではなく、単純に須佐の装いが普段と違うために、あまり直視していられないというのもある。
大体まつりの反応に関しては予想していたので、彼は息を吐いて言った。
「隠れてないで、行くぞ」
「は、はい‥‥頑張りますっ」
何をどう頑張るのか非常に聞きたかった須佐だが、それは追々聞くとして、ひとまず二人は肩を並べて歩き始めた。
「よし‥‥これで準備完了かな‥‥?」
夜店を出せることになった龍乃 陽一(
gc4336)はお祭りのはっぴに袖を通した。予め運ばれていた焼きそばの麺や野菜の状態を確認して、鉄板にかかっていた布を取る。
一度焼きそばを作ってみて、龍乃は味を見るために一人前を皿に取り分けた。良い味だ。何杯でもいけそうなので、もう一人分食べてみる。
「〜♪」
結局三人前を平らげた龍乃は、そこでやっと我に返って、いそいそと準備を再開した。
「あれ? 今のって‥‥」
捻り鉢巻きを巻いた龍乃は夜店からひょっこり顔を覗かせた。幼馴染みが通うカンパネラ学園のジャージが見えた気がしたのだ。
もうちょっと身を乗り出してみると、赤い髪の少年の後ろ姿が見えた。
「ごめんね〜少し遅くなっちゃった」
すると彼の前から茶髪で、淡い紫陽花色の浴衣を着た少女が掛けてくる。
「俺も今来た所だから気にすんな!」
入口で待っていたガル・ゼーガイア(
gc1478)はシャーミィ・マクシミリ(
gb5241)に明るく言った。
「それじゃ、行くか?」
「うん」
差し出された手を握って二人は続々と開店する夜店の中へと歩いて行った。
暗くなり始めた空には一番星、天気は快晴。
絶好の天候に恵まれた、七夕祭りが始まろうとしていた。
◆
『無駄!』の漢らしい文字が躍る浴衣という名の戦闘服に身を包んだ最上 憐 (
gb0002)は猛然と夜店の攻略を開始した。夜店の数は多い、食い潰し甲斐があるというものだ。
「‥‥ん。全力で。店を。食べ滅ぼして。来る」
滅ぼされては困るのだが、生憎今の最上にそんな理屈は通らない。夜店が開くと同時に瞬天速を使い、最も遠くのたこ焼き屋に突撃し、片っ端から食い始めたのである。
「お嬢ちゃん、えっらい食うなぁ!」
林檎飴を売っているおじさんが感心して言った。代金を請求してこないのは、予め夜店を取り仕切る団体にジャックがお金を払っているからだ。流石金持ちの家に嫁いだ男は違う。(無理矢理払わされているだけだが)
途中で浜辺に運ばれる予定の笹を見つけた最上は、ついでに短冊をつけてかき氷屋に向かう。願い事はずばり『カレー食べ放題』である。
その最上と相賀翡翠(
gb6789) 、沢渡 深鈴(
gb8044)の二人がすれ違った。青い水玉柄の浴衣を着た沢渡に、凄まじい勢いで駆け抜けた人の背中を見ていた相賀は視線を戻して笑いかける。
「似合う似合う。青もよく合うな」
「髪型も変えたのですけれど‥‥に、似合いますか?」
「勿論」
嬉しそうに微笑んだ沢渡に、お祭りの関係者らしい女性が短冊を二人分渡してくれた。受け取った彼女に小さく耳打ちする。
「一応名目上は、短冊をつけるのは浜辺に着いてからだけど、彼氏に見られたくなかったら早めにね?」
「‥‥は、はい」
赤面した沢渡はそれを悟られないように、視線を逸らして短冊を相賀に渡した。
「今の内に食えるだけ食って、飲めるだけ飲んでおかなければ‥‥!」
綿飴を両手に持つジョシュア・キルストン(
gc4215)は、一人でお祭りに来ていそうな人を探しながら夜店の中をぶらぶらしていた。
「宜しければ、ご一緒しませんか?」
一人でいるところを見つけたらすかさず声を掛けてみる。大半は失敗に終わってしまうのだが、まだ祭りは始まったばかりなのでめげるわけにはいかない。
ようやく一人、同じように食べ物を買いに買う浮世 初(
gc4353)の勧誘に成功した彼は、二人で夜店の食べ物を片っ端から食べ歩くことにした。
「いやあ、珍しくて美味な物があちこちにあって‥‥つい食べすぎちゃいますねえ。タダだし」
「‥‥そ‥‥すね」
焼きトウモロコシに齧り付いた浮世は途切れ途切れに言った。日頃の疲れを取るべく、休む間もなく食べ続ける。
同じく食べられるだけのフランクフルトを買い込んだジョシュアは、浮世を連れ、引き続きナンパ――といえば聞こえは悪いが、一緒に祭りを楽しむ相手を求めて雑踏の中にふらりと入っていった。
準備が整ったのか、笹を持った人々が祭りの会場を入っていく。一時間近くかけて、これを浜辺に運ぶのだが、気の早い参加者は移動中の笹に短冊をつけていた。
「さすがに賑わっているな‥‥どうせならあの人も誘えばよかったかな」
両親の墓参を済ませた帰りに立ち寄った神棟星嵐(
gc1022)は、臨時駐車場にバイクを止め、祭りの賑わいぶりを見て呟いた。階段を降りて会場に入るなり、顔見知りの教官と鉢合わせする。夫婦揃って片手にお猪口を持っているので、既に酒は入っているようだ。
「おう、神棟。今着いたのか?」
「はい。友人の話ではまつりが浴衣を着ると言うし、花火の見物も兼ねて顔くらい出そうかな、と思いまして」
「それならついでにヘンリーの暴走も止めてくれ‥‥まあ、それは良いとして、三枝なら射的の方に居ると思うぞ。さっき通ったからな、男連れで」
「そうですか。それなら何よりです」
最後の一言で状況が容易に想像できた神棟は、一度礼をしてその場を後にした。
◆
「あらあら‥‥」
慣れない草履のせいか、おっとりすぎる声を上げて前に転んだフリージアは、前から来る浴衣を着崩して艶やかに装ったソウマ(
gc0505)にぶつかって倒れ込んだ。
「ごめんなさいね‥‥怪我はありませんか?」
「大丈夫です‥‥‥‥ご馳走様でした」
最後の件は小声で相手に聞こえなかっただろう。女性――しかも人妻――に押し倒されるのも悪くない。柔らかいものも当たっているし。
束の間の幸運を楽しんでいたソウマだったが、正面に立つ教官の只ならぬ殺気を感じてさっと表情を変えた。必死に守ったお土産の袋を掲げて、絶世の美女も裸足で逃げ出すほどの微笑を浮かべる。
「あ、ジャック教官、ありがとうございます。おかげで良いお土産が沢山できました」
毒気を抜かれた教官は溜息をついて妻を立ち上がらせる。
「‥‥まあ今日は無礼講だからな‥‥何も言わん。楽しんでこい」
「はい。ありがとうございます」
手を振るソウマを見送ったジャックは少し凹んでいるように見えたが、妬いているようには見せないあたりが大人の余裕というやつか。
「あれ? ジャック先生だー。ジャック先生も楽しみに来たの?」
「ああ、ユウか。林檎飴でも食うか?」
「うんっ」
どんよりとしたジャックの後ろから、背の低い――彼と並ぶから更に小さく見えるのだが――女性を見つけて、ユウ・ターナー(
gc2715)は少し背筋を伸ばした。
「‥‥っと、今日は奥さんと一緒なんだね☆こんにちは、なの」
「夫がお世話になっています。お祭り、楽しんで下さいね」
「はいっ」
にっこりと笑ったユウは林檎飴を受け取って、くるりと背を向けて射的の方へ走って行った。
「やはり祭りに浴衣は必須じゃ。買っておいてよかった‥‥おや、これはジャック先生」
入れ違いに通りかかった明智 和也(
gc0891)は既にフランクフルトを持っている。
学園からの参加者は頭に入っているので、ジャックは彼にも気さくに返した。
「おう、明智か。いつでも訓練に来いよ‥‥っと、まあ、今は祭りを楽しめ」
「先生も奥方とよしなに。拙者はこれより金魚すくいに向かう故」
「あ、ああ‥‥善処する。頑張って来い」
遊びも戦いも全力で、とは同僚の信条だが、ジャックは何となくこの言葉の意味を理解しながら明智の背中を見送った。
「先生―、ジャック先生と奥さんー!」
程なく後ろから声を掛けられた夫妻は振り返った。苺クレープを持ったティナ・アブソリュート(
gc4189)がこちらに来るのが見える。
「今回は先生さんがお金出してくれるそうなんですね、ありがとうございます♪」
「ああ、まあ‥‥完全に自腹を切っているな、確かに」
「ところで、こちらが奥さんですか? すごく綺麗です! 浴衣とか似合ってるし、先生とも似合ってるし、二人はどうやって出会ったんですか?」
さりげなく目的の情報を聞き出そうとティナが言う。一気に誉められたフリージアは首を傾げつつもにこり微笑んで言った。
「ジャックさんはね、私の家に住み込みで――」
「うわ、待てっ!」
慌てて手を彼女の口を塞いだジャックである。彼も若干酔ってはいるのだが、流石に見過ごすほど思考が鈍っているわけではなさそうだ。
「あー‥‥悪いな、ティナ。馴れ初めの話はまた今度ということで頼む。今されたら変なことを言いそうだ‥‥」
「はい、構いません。では、私はまた夜店を巡るので」
「おう、行って来い」
ぱたぱたと走っていくティナの後ろ姿を見つめるジャックをフリージアは小さく笑う。言われて困るわけではないのに、やはりやんちゃばかりしていた昔話は照れくさいのだろう。
一息ついたゴルディ夫妻だったが、そこへ再び声がかかった。
「こんばんは、先生」
「やれ、今日は千客万来だな‥‥石動と新条か」
続いて通りかかった石動 小夜子(
ga0121)と新条 拓那(
ga1294)は彼の妻にも軽く会釈をする。
二、三言話していると、微酔い気分のフリージアがジャックの袖を引っ張った。
「慕い合う織姫と彦星の邪魔をしてはいけませんね、ジャックさん?」
「‥‥そうだな。邪魔者は退散するか」
二人が慌てて弁明しようとしたが、その前に夫婦は雑踏の中に消えていく。
向かい合う石動と新条は何を言って良いものか迷っていたが、しばらくして新条が何か思いついたらしく、いつものように明るい笑みを浮かべた。
「さてさて、私の織姫殿は何処かご所望の場所がありましょうや?」
驚いた石動の手を取って、彼は彼女の顔を覗き込んだ。
「なーんてね♪」
「拓那さんたら‥‥」
つられて微笑んだ石動の髪が、さらさらと音を立てて揺れた。
◆
射的の店も盛大に賑わっていた。
「ともちゃん、射的ってこうやるんだよ♪」
知世(
gb9614)が何度やっても失敗するので、見かねた桜夜(
gc4344)が代わりに一発で熊のぬいぐるみを撃ち落とした。景品を渡された知世は嬉しそうにそれを抱きしめる。
「わぁ‥‥ありがとうございます」
その隣では、付き添いの綾河 零音(
gb9784)がガンガン景品を撃ち落としては店主の顔を青ざめさせていた。
「私の名に狂いはないから〜!」
たんまり景品を受け取った綾河は知世と桜夜に分け与えた。
懐の心配をしなくて良い能力者達は、射的を開いた人々にとっては驚異でしかないのである。
「絶対に落とす! そして‥‥」
多分キメラ退治とそう変わらない気迫で熊のぬいぐるみを狙うのは巳沢 涼(
gc3648)である。これを撃ち落としたら笹に短冊をつけて幼馴染みの店に行こうと思ったのに、意外と時間がかかっている。
だが、神社で引いたおみくじには『贈り物すべし』と書いてあったのだ。ここで落とさなければ男ではない。
微調整を続けて、巳沢は十発目くらいに何とか撃ち落とした。自腹じゃなくて良かったと心底思う。
その傍を、大きなぬいぐるみを抱えたシャーミィの手を引くガルが通りかかった。だが、ガルの顔がやや冴えない。
「あ‥‥頭が‥‥いてぇ‥‥かき氷恐るべし‥‥」
「さすが、王道なリアクションするねぇ〜」
射的の前で立ち止まったシャーミィが言う。籤で当てたぬいぐるみを置き、既に銃を構えて景品を狙う体勢だ。
二人を見つけた巳沢はそれとなく近づいてガルに言った。
「ようガル、デートの首尾はどうだ?」
「すこぶる順調だぜ‥‥って、やっぱこれってデートなのか!?」
無自覚も怖いなと思ったが巳沢は敢えて何も言わなかった。頑張れ、と付け加えて、通りかかった笹に短冊をつける。
もっと凄いことを書いたが塗り潰し、『沙羅さんとの仲が進展しますように』で落ち着いた彼の短冊が、笹の葉に上手く隠れるようにして揺れていた。
「に、兄ちゃん、何でそんなに弾が当たるんだよっ!?」
「さあ、何故でしょう?」
別の射的を出す夜店の店主が悲鳴を上げる。にこりと微笑みながら銃を放ったソウマが驚異的幸運を発揮して景品を一気にかっ攫ったのだ。ただし、狙いはでたらめなので周りにも被害が続出している。人だかりのできた店は大盛り上がりだ。
一方で、金魚すくいの夜店も負けないくらい賑わっていた。
「はい、セシリア。ささやかなプレゼント、ですの!」
ピコピコとピコハンを打ち鳴らしてはしゃぎながら、こちらでは金魚すくいに挑んでいたロジー・ビィ(
ga1031)は連れのセシリア・ディールス(
ga0475)に掬った赤い金魚を渡した。
「‥‥有り難う御座います‥‥大切に、育てますね‥‥」
ロジーの豪快ながら繊細な掬いっぷりに見惚れていたセシリアは、突然の贈り物に驚きながらも、新しい家族が増えたような気がして、表情には出さなかった彼女は嬉しそうに金魚を受け取った。
次の店に向かおうとロジーが振り返ると、顔見知りが何人か視界に入った。きゃいきゃいとはしゃいでいる彼女は、早速そこへとセシリアを連れて向かった。
「その辺が狙い目だ、明智」
「承知した、神棟さん。拙者は金魚すくいの限界も超える‥‥!」
一匹の黒い金魚を狙って殺気すら滲ませる明智を見守っていた神棟は、ロジーがこちらに向かってくるのを見て軽く手を挙げた。
談笑していると、そこへ更にネオ・グランデ(
gc2626)が集団に加わる。神社で引いてきたらしいおみくじを片手に、通れずに立ち止まった――とはいえ、もう浜辺にかなり近いので皆短冊をつけているのだが――笹に短冊をつけている。
「海の家にでも行く前に短冊でもつけようと思ってな。予定より笹の動きが鈍いらしい」
「なるほど。それなら自分もここでつけますか」
『new KV 購入!!』とちゃっかり書いたネオの短冊が笹の高い所へ着けられる。
反対に低い位置には神棟の『いつか静香とデイジーの三人で幸せな日々を迎えられますように』という願いが託された。
「ふっ‥‥願掛けなんて、らしくないかな」
「たまには良いと思うがな」
「そうですわ。この機会を逃せば、次に願うのは一年後ですわよ!」
二人の間にロジーが割って入る。いやに説得力のある言葉に神棟は苦笑した。
そうしている内に、彼らは射的の夜店からこちらに来る須佐とまつりを見つけた。彼らを見たまつりは、はにかみながら彼らにお辞儀をした。
「あら、まつり。今日はまた素敵な装いですわね」
「あ、ありがとうございます‥‥頂き物なので、そう言って下さると嬉しいです」
ロジーが誉めれば横からネオが突っ込んだ。
「ふむ、似合ってるじゃないか。これが日本で言うところの『馬子にも衣装』ってやつか?」
「ほ、褒めてないですよ、それっ! 分かってて言ってますねっ!?」
本日二度目の『馬子にも衣装』にまつりは慌てて反論した。ネオは素知らぬふりで何も答えないでいる。
「‥‥身に着けるの嫌がってた割には随分と似合っているじゃないか。十分可愛いと思うよ」
微笑んで言った神棟に怒っていたまつりがしゅんと縮こまる。正面から誉められるのに慣れていないようで、そそくさと須佐の後ろに隠れた。
「‥‥悪い。そろそろ良いか?」
今まで黙っていた須佐が口を開いたのはそんな時だった。ぐい、とまつりの手を引いて彼女を連れて行こうとする。
「ふぁっ!? ちょ‥‥あ、あのっ、ごめんなさい! また後で‥‥!」
力で押し負けたまつりは半ば引き摺られるようにして、慌てて足を動かしながら背後の彼らを振り返って叫ぶ。
彼らは唖然としながらも、事情を知っている人は良い傾向だと思いつつ二人を見送った。
◆
「いらっしゃいませ〜♪」
所変わって龍乃の焼きそば屋。場所に恵まれたからか、それとも彼の腕のおかげか、なかなかの繁盛振りである。元より味見という名の摘み食いにより、儲けは出ないのだが。
そろそろ在庫が切れるかという時に、『無駄!』と書かれている豪快な浴衣を着た少女――最上が店に来た。ここの焼きそばの味を覚えていたので戻ってきたのだ。
注文した一皿の焼きそばを平然と平らげた最上は言った。
「‥‥ん。おかわり。大盛り。特盛りで。いっその事。直接。口に入れても。良いよ?」
「あはは‥‥毎度あり?」
在庫が切れると言っても、優に十人前はあった焼きそばを一人で完食した最上に、龍乃も苦笑を禁じ得ない。
余談だが、最上はこれまで一人で五軒の夜店を食い潰している。それでも足りない彼女は、再び食い荒らしの旅に突撃して行った。
すごい大食漢――女の子だったが――もいるんだなあ、と龍乃はただ感心している。
「おう陽一、儲かったかぁ?」
龍乃が店仕舞いを終え、店の裏で着替えた浴衣姿になった頃に、熊のぬいぐるみを抱えた巳沢が合流した。
「儲けは出てないよ。僕が食べ過ぎちゃったから」
「そうか。まあ、それじゃあ行くか」
どう見ても女性にしか見えない龍乃に綿飴を渡した巳沢が言い、いざ浜辺へ、という時だった。
綺麗なお姉さん――龍乃である――を発見したヘンリーが近づいてきた。酒が入って更にテンションの上がった全戦全敗中の教官である。
「そこのお姉さん。この俺と一緒に花火を見ながら愛について語り合わないか? ああ、勿論、欲しい物は何でも買ってあげるからさ」
この言葉に固まったのは巳沢の方である。
『お姉さん』とはまさか‥‥いや、まさかでなくとも確実に龍乃のことか。
「あはは、ごめんなさい」
当の龍乃は微笑を浮かべながら即行断った。こんな外見だが、流石に下心ありの男のナンパに付き合う趣味はない。
「いやいや。恥ずかしがらなくても良いんだぜ? ほら、満天の星が俺達を見下ろしてるじゃないか。勿論、天の河よりお姉さんの方が綺麗だよ」
意味不明である。見かねた巳沢が非常に言い辛そうに、けれども哀れみの視線をヘンリーに向けて口を開いた。
「先生、そいつ『付いて』ますよ‥‥」
その言葉を聞いたヘンリーの反応については、彼のなけなしの名誉のために敢えて触れないでおく。
◆
縁結びの神社も今日は人影がちらほらある。
「おみくじのよくない結果って、本当は「そうなるから気をつけて」って意味で、別に額面どおりの意味じゃないらしいね」
うっかり小吉を引いてしまった石動にそう言うのは新条である。
二人は笹が浜辺に到着するまでの間、ここに夕涼みに来ていた。予め用意していた招き猫を象った揃いの短冊に願い事を書いている。
「拓那さんはどの様なお願いをされましたか?」
『皆さんがこれからの一年、幸せでありますように』と書いた石動が尋ねる。新条は彼女に『小夜ちゃんが笑っていられますように』と書いた短冊を見せた。文字を追っていた彼女の頬が少しずつ朱に染まっていく。
どう言えば良いのか言葉を探す石動に、新条は苦笑して言った。
「はは、他人の幸せをお願いするっておかしいかな。でもホント、小夜ちゃんの笑顔以外思いつかないんだ。願い事」
新条は自分が引いたおみくじに視線を落とす。大吉のおみくじにはこう書かれていた。
――願い事、成就する、恐れず進め。
「うぎぎぎぎ‥‥なんのこれし‥‥うがががが‥‥こいつぁ今までで一番厄介な敵だな、おい」
知世と桜夜を待たせている綾河が震える手を押さえつつおみくじを引いた。おみくじだけさっと引いてくると言った手前、あまり時間はかけられないのだ。
配布された短冊に『今年こそ自分の誕生日を忘れないでいられますように』と書き殴って、気合いを入れた綾河はおみくじを広げた。
「‥‥中吉か」
確率的に最も多そうなやつだ。待ち人探し人、見つかる、と淡々と書かれている。つまりおみくじ曰く、自分は誰かを待っている状態ということらしい。
空を見上げた綾河の目に、満天の星空と天の河が飛び込んでくる。織姫と彦星は、今日を待ち続け、そして文句も言わずにまた別れて一年を過ごすらしい。
そんなのごめんだ。おみくじを握った綾河は、自分にも言い聞かせるように空に向かって声を張り上げた。
「天の河があるから会いに行けないなんて、ふざけてるよ。私が織姫ならそういうヘタレ男の嫁にはなりたかないね! 好きなんだったら川ぐらい泳いで渡って逢いに行けってんだ!」
同じく縁結びの神社に来たリゼット・ランドルフ(
ga5171)は、綱を振って手を合わせた。
浴衣も着てきたのだが、見せたい人が今日は居ない。少し残念だが、せめて想いだけは届けようと、鈴が鳴っている時間を一杯まで使って念入りにお願いした。
時間もあるので試しにおみくじを引いてみる。中吉、まあ悪くはない。『待ち人来る、失せ物見つかる、ただし油断する事勿れ』と書かれていた。
待ち人――遠距離恋愛中の彼に近く会えるのだろうか。おみくじの結果はそんな期待をリゼットに抱かせる。
その足で浜辺に向かうと、丁度笹が到着していた。既に大量の短冊がついているが、まだ場所に余裕はありそうだ。
――大好きな人とずっと一緒にいられますように。
あまり会えないし、傭兵をやっていると危険な仕事を受けることもある。危ないことはしないでとも言えないし、自分もそれは同じことなので言うつもりもない。
だからこそ、尚更好きな人の無事を祈ってしまうのだろう。
短冊を吊したリゼットは、満足そうに頷いて花火が始まるまでの間、林檎飴でも食べようと人の波が落ち着いた夜店に向かった。
戻ってきた綾河も混ぜ、浜辺で花火をしていた知世と桜夜は、笹が到着したことを聞いて短冊をつけに向かった。二人とも背が低いので、笹の下の方に短冊をつける。
『背があと7センチ伸びますように』と切実な願いを書いた短冊を吊した知世は、ふと気になって桜夜の短冊を見た。彼女は『背が伸びますように』と刻みつけるように書いていた。
「あ‥‥桜夜さんも同じ‥‥ですね」
「うん。君と‥‥同じだね」
顔を見合わせた二人は小さく微笑んだ。
同じ頃、『もっと強くなれますように‥‥』と書いた短冊を持ったユウは笹の上の方を見つめていた。ちょっと身長的に無理があるので、通りがかった長身の人につけて貰う。
「んー‥‥こういうの雅って言うんだっけ?」
ひらひら揺れる短冊を見ながらユウは呟いた。もっと強くなって、一杯皆の役に立てますようにと願を掛けて、彼女は花火を貰うべく海岸を歩くゴルディ夫妻に手を振って走って行った。
「まだ、花火に間に合うから、ね?」
草履の鼻緒が切れて立ち往生していた少女の足を膝から降ろしたUNKNOWN(
ga4276)は言った。折角のお祭りだ、鼻緒が切れたくらいで楽しみを奪われてはならない。
てきぱきと鼻緒を直した彼は、少女の足を軽く叩いた。
「うむ、これで暫く大丈夫だろう」
彼は鋭い瞳を少し和らげ、優しい微笑を浮かべた。
祭りではあまり見かけない風貌の男性に、少女は目をぱちくりとさせながらも無邪気な笑みを返す。
「ありがとっ! おじちゃん!」
「あっ、いたいた! おーい、行くぞー!」
遠くから少年が声を張り上げる。片膝をついたままのUNKNOWNに一度小さく頭を下げて、少女はぱたぱたと走り去って行った。
「今年は無事に逢えただろう、か?」
薄闇色の空を見上げた彼はぽつりと呟いた。
星の散らばった夜空には豪奢な天の河が横たわっている。今頃二人は、あの河を渡っているのだろうか。
今日という日が終われば、また二人は離れてしまうというのに。
気づけばすっかり日は沈み、会場には赤い提灯の明かりが灯されていた。
UNKNOWNは夜店が出す日本酒のお猪口を片手に、静かに雑踏の中を抜けて砂浜へと向かう。
手に入れた地酒はほんのり甘いが、後味は悪くない。今年は出来が良いんですよ、と教えてくれた夜店の女性の言葉を思い出す。
煙草を銜え、紫煙を薫らせてUNKNOWNは砂の上を歩く。花火が見えそうな静かな場所を求めて。浜辺の外れなんて、きっと穴場に違いない。
懐中時計へ繋がる金鎖が音を立てる。海岸に打ち寄せる波の音に反応しているような感覚を覚えた彼は、どこのものだったか、古い詩を思い出しながら時計を手にした。
良い頃合いだろうか。浜辺にある海の家に人が集まっているのが遠目に見える。
もうすぐ、花火が始まるようだ。
◆
「す、須佐さん‥‥!」
人気の消えた神社までまつりの手を引いて走った須佐は、ようやく彼女の手を離した。名残惜しそうに手にぬくもりが一瞬掌に残る。
胸を押さえたまつりは咳き込んで、須佐の背中に言った。
「あの‥‥何です、か‥‥?」
「‥‥」
須佐は答えなかった。
言えるだろうか。他の連中にこれ以上二人の時間を奪われたくなかったなどと。言えばきっと、彼女は困って言葉を失ってしまう。
だから彼は代わりに、神社の鈴から垂れる赤と白の綱を指さした。息を切らすまつりの方を見て、須佐は静かに言う。
「‥‥もう一度、結ぼう」
結んだ分だけ想いは強くなる。離れたくないと、傍に居たいと願うのならば、その想いの分だけ縁を結べば良い。
そうすれば、いつかここに根を張る大樹のように太く、強くなる。
須佐の顔を見つめていたまつりは頷いて、縄をそっと握った。からからと鳴る鈴の音が、周りの木々に染み込んでいく。
綱を振り終えたまつりは、恐る恐る須佐の方に向き直った。
何か言わなければと彼女が視線を泳がせていると、先に彼の方が口を開いた。
「まつり‥‥俺が、お前を守る」
それだけはもう一度伝えたかった。いや、何度でも言うつもりだった。
おそらく気持ちは同じであろうが、反射的に答えを返せなかったまつりの腕を引いて、須佐は彼女を抱き寄せる。普段なら悲鳴の一つでも上げて逃げ出そうとするのだろうが、今のまつりはそんなことをするつもりはなかった。
否、そんなことをする理由が無い。
言葉の代わりにぎゅう、と彼の浴衣を掴んだまつりに、須佐は耳元で囁いた。
「だから‥‥俺の傍にいてくれ」
胸に顔を埋めて動かなかったまつりが少し顔を上げた。何をどう表現すれば良いのか分らず、必死に堪えて潤んだ黒の瞳が幽かに揺れる。
不意に、浜辺から歓声が上がった。花火が始まろうとしているのだ。
その歓声に消されてもおかしくないほどの小さな声だったが、まつりは微笑んで確かに声を発した。
「‥‥はい、武流さん」
一発目の花火が晴れやかな夜空に舞い上がる。一際歓声が大きくなる。
「ずっと‥‥傍に、居させてください‥‥」
震える声で言ったまつりはぎこちなく須佐の背に手を回して、ゆっくりと瞼を伏せた。
浜辺の声も、打ちあがった花火の音も今は不思議と聞こえない。
天の河に赤と黄の花が咲く頃には、二人は静かに唇を重ねていた。
◆
今年の花火は例年よりも多めに打ち上げるらしい。
浜辺に設けられた海の家には、大人数が詰めかけていた。というのは、単純に浮世とジョシュアがティナを見つけ、大人数で楽しむという目的が一致したため、二人で暇そうな人をかき集めて連れて来たからである。
「夜空はこんなに綺麗なのにな〜」
花火が終わればまた戦いの日々に戻ってしまうのか、と呟いたティナに浮世が無言でかき氷を差し出す。
「飲めよー食えよーお前等ー! いちゃついてる奴らに負けるんじゃねぇぞぉ!」
全戦全敗で心に傷っぽい何かを負っているところを拾われたヘンリーが麦酒を煽っている。
「飲みすぎですよ」
と言いつつ、自分に絡んでこないためか酒を注いだ浮世である。明日、この人はきっと二日酔いと壮絶な戦いをするのだろうなと思ったが、別に止める理由もないのでそのまま飲ませている。
「いやあ、それにしても凄い音ですね」
程々に麦酒を飲んでいるジョシュアは花火が爆発する音に少し眉を顰める。直に慣れてしまうのだが、パラパラと音を立て続けるスターマインだけは割と長く耳に残った。
「夏といえばビールに枝豆だよな」
浴衣の袖から扇子で風を送るネオは、空になったジョッキに新たに麦酒を注いで貰う。飲めそうな神棟も誘ったが、どうやら帰るらしく連れては来ていない。まあ、性格はアレだが笑い上古で結構笊なヘンリーが居るし、他にもジョシュアが居るので飲み仲間には困らないのだが。
海岸線を走って行くミカエルを一度見やったネオは、仲間が花火を見ていることを確認して、再び空に視線を戻した。
◆
花火大会が始まった頃、一足遅れて笹に『此処で出会った人達が健康で過ごせますように』と書いた短冊をつけたシャーミィの背中に声がかかった。
「何してんだ!?」
「わっ! 何だ、ガルか‥‥」
胸を撫で下ろしたシャーミィはガルのジャージ姿を見た。浜辺にジャージとはムードが足りないと思いつつも、それが彼らしいとも思う。
「短冊を付けようと思ってよ! さっきつけ損ねたからな!」
「そう。何て書いたの?」
何気なく聞いたシャーミィにガルは途端に何かごにょごにょと言った後、きっぱりと言った。
「リア充が爆発しますようにって書いたぜ!」
ガルは慌てて笹に短冊をつけた。まさか表には『綺麗な彼女が出来ますように』と書いたとは、口が裂けても言えない。何か別のことまで口走ってしまいそうだ。
「そそそそんなことは良いから、花火を見に行こうぜ! さっき良い場所を見つけたからよ!」
「あっ! ち、ちょっと、ガルってば‥‥!」
手を強引に繋いでガルは砂浜を歩き始めた。既に花火は上がり始めて、耳を劈く大きな音が何度も鳴り響いているが、彼はそれどころではなかったのである。
振り返れば浴衣を着たシャーミィが居る。愛らしく着飾った彼女をまともな精神状態で直視できないガルは、説明しようのない動悸の激しさに襲われていた。
「(何で緊張してんだ俺‥‥! まさかこれが恋って奴なのか!?)」
いつも他愛のない会話をしている奴だろ! と言い聞かせても収まらない。
「(うおおお‥‥! 静まれ、俺の心臓!)」
せめてもの救いは呼吸が比較的落ち着いていたことだ。これで息が荒かったらただの変態ではないか。
人の少ない場所までシャーミィを連れて行ったガルは、なおも目を合わせずに花火を指さした。
しっかりと手を握られたままのシャーミィはガルの横顔を見ながらそっと息を吐く。
嫌いじゃないし、どちらかと言えば好き。自分はガルを友達以上恋人未満の人だと思っている。
「(もう少し信頼が上がれば‥‥)」
シャーミィは疎らに散っていく花火の光を見上げながら思う。
そうすればきっと、何かが変わるかもしれないのに。
◆
神様は残酷なことをする。慕い合う者同士を引き離して、一年に一度しか逢えなくしてしまうなんて。
『彼』に逢えなくなって随分経つ。寂しさに慣れてしまったと言ったら、それは嘘になってしまう。
せめて思い出だけは手放したくなくて、何度も何度もロジーは二人だけの記憶を手繰り寄せる。けれども、時間が経てばやはりどこか遠く感じてしまって、尚更切なくなってしまう。
深い藍色の夜空で儚げに散る淡い光を見つめていたロジーは、知らず知らずの間に『彼』を想って零していた。お祭りなのだから、楽しまなくてはと思っても何故か頬を伝う雫は止まってくれない。
無意識に、隣に座るセシリアの手を取っていた。
「‥‥ロジーさん‥‥涙‥‥」
「大丈夫ですわ‥‥大丈夫‥‥」
気丈に振る舞っても彼女の声に力は無く。
セシリアはロジーが迷わず短冊に書いていた願い事を思い出す。
――あの方に逢えます様に‥‥
もし、願いが二つまで許されるのならば、セシリア自身もそう書きたかった。姿を見たくて、声を聞きたくて、帰りをずっと待っている人がいるのは彼女も同じなのだ。
けれども、どうしてだろう、それが一番の願いではない気がして、セシリアは短冊にこう書いた。
――皆が無事で在りますように。
その願いの先が『あの人』に繋がりそうで。それだけが、今の自分の願いの全てでありそうで。
声を殺して涙する大切な人の手を強く握ったセシリアは、せめて自分だけは泣くまいと震えそうな声を抑えた。
「‥‥ロジーさんの願い‥‥叶うと良いです‥‥」
せめて、この人だけは笑っていて欲しい。
この人の笑顔を守り続けようと、セシリアは空に散りばめられた星の河に密やかに誓いを立てた。
◆
対岸に並べられた花火群が、火花の河を海面近くに作り出している。勢い良く飛び上がった花火の音が夜空に木霊した。
「小夜ちゃん」
海岸近くに設けられた長椅子に座って、空を見上げていた石動は首を傾げて新条の方を見た。彼は少し照れくさそうに彼女に小さな箱を渡す。
中を開けた石動は思わず感嘆の声を上げた。箱には、彼女にと新条が選んだ、天の河の星々のように輝石を鏤めた簪が入っていたのである。
「ありがとうございます。とても‥‥嬉しいです」
そう言って石動は艶やかな黒髪に簪を指してみる。予想以上に似合う彼女の姿に、新条は声を失って彼女の顔をじっと見つめた。
硬直する彼に石動は再び首を傾げた。
「え、と‥‥私の顔に何かついてますか?」
「え!? あ、ああ、ごめんっ。似合うよ、すごく!」
力説した新条をきょとんとして見た石動は、しばらくしてくすくすと声を漏らして微笑んだ。そこで更に慌てた新条がおろおろとフォローを入れる。
そんな問答が続いた末に、新条が先に話題を変えた。
「と‥‥とにかく、花火を見ようか!」
「そうですね。折角の綺麗な花火ですもの」
丁度、一際大きな花火が夜空に散った。流星群のように残った火花が空を流れていく。色とりどりの光が四方にぱらぱらと散った。
じっと空を見上げていた新条は、無意識に石動の肩を抱いていた。気づいた彼女の体が震えたが、それも一瞬のことで、数拍置いて彼女の髪が肩に触れる。
ゆっくりと新条の肩に凭れかかった石動は少しはにかんだような微笑みを浮かべていた。
流れ星のような火花が小さくなって消えていく。
何となく、願い事が叶ったような気がした。
◆
「こんな祭も久しぶりだ。子供の頃、あんま思い出らしい思い出ねぇから‥‥」
人混みから少し離れた場所で、椅子に座り遠くに見える花火を見ていた相賀が言った。
遊び終わった花火が水を張ったバケツに入れられて足元にある。小さな花は咲き終えてしまったが、夜空にはまだ大輪の花が咲き誇っていた。
「深鈴、楽しかったか?」
相賀の隣に座っていた沢渡は頷いた。
「楽しかったです。夜店も、花火も‥‥」
そう呟いた沢渡は、射的で取って貰った仔猫のぬいぐるみを抱きかかえて、彼の方を見る。今日はとても嬉しくて、楽しくて、だからこれ以上どう言えば分からなくて、彼女は言葉の先を敢えて言わなかった。
だが、それでも気持ちは相賀に伝わったはずだ。
いよいよ最後になりました、というアナウンスが海岸に流れる。
短い轟音を立てて、勢い良く飛んだ花火の玉に込められた『星』が一斉に夜空に飛び散った。提灯の明かりだけに頼っていた海岸がぱっと明るくなる。
「‥‥花火、綺麗だな」
相賀がぽつりと言った。そして、沢渡がこちらを向く前に彼女の肩に手を置いて、耳元に口を近づける。
「 」
彼の言葉は花火の音に掻き消されて、彼女の元には届かなかった。
「翡翠、さん‥‥?」
ほんのりと頬を染めながら聞き返した沢渡に、相賀はにこりと微笑んで彼女に線香花火を手渡した。
本日の花火大会は終了となりました。そんなアナウンスが海岸を通り過ぎる。ぞろぞろと立ち上がって帰って行く人々の中で、相賀は沢渡の手に自分の手を重ねて言った。
「また今度話す」
様々な想いが交錯する中、半月遅れの七夕祭りはしめやかに終わりを告げた。
―了―