タイトル:【共鳴】狂乱の白マスター:冬野泉水

シナリオ形態: ショート
難易度: 難しい
参加人数: 10 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/08/17 22:24

●オープニング本文


●歪んだ白
 丘を登ると、すぐに黒馬に寄り添うヘラが見えた。周りを充分に確認してから、シアは彼女を抱き寄せる。
「怪我は無いか?」
 頷いたヘラをしばらく見つめていたシアは、徐に彼女の髪にコサージュをつけた。ぼんやりとしていたヘラはそれに触れて、じっと兄の方を見る。
「貰い物だ。お前が持ってろ」
「‥‥お兄様。あの人達と仲良くなったの?」
「なってない。ただ貰っただけだ。あと、これもやる」
 飴袋を渡されたヘラはますます表情を曇らせた。
「あの人達と仲良くなったお兄様は、嫌い」
「ヘラ。聞いてくれ、俺は――」
「嫌っ! お兄様なんか大嫌いっ!」
 袖からナイフを出したヘラはシアの肩にそれを突き立てた。フォースフィールドの恩恵があるとはいえ、シアは苦痛に顔を歪めてその場に座り込む。
 血まみれのナイフを持ったヘラは、無表情のまま負傷した兄を見下ろして冷たく言い放ったのである。
「能力者と仲良くしてるお兄様なんか、死んじゃえば良いのに」
止める間もなく、ヘラは白玲の背に跨ってその場から走り去った。
 残されたシアは、出血が止まりつつある肩に手を当てて、力無く空を仰いだ。

―― ヘラさんはあんなにも良い子で、シアさんはこんなにも優しい人なんですから。

 その言葉を思い出して、シアは目を閉じた。
「だから言っただろ‥‥勘違いだって」
 優しさに甘えて妹を制御できないのなら、シアには人間を憎む以外の選択肢は用意されていないのである。


●ヘラの失踪 
 グリーンランドに存在するキメラ工場近くには、工場建設の際に潰した街がいくつかある。そのうちの廃墟となった街の一つを拠点とする二人は、街の周囲を警戒した後、ようやく人心地ついたようだった。
「お兄様‥‥ごめんなさい、ごめんなさい‥‥」
「良い。こんなものは直ぐに治るから、心配しないでお前は眠れ」
 シアの肩に触れたヘラは微笑して、ゆっくりと瞼を伏せる。
 妹が眠ったことを確認したシアは足音を立てずに廃屋の外へ出た。外は既に明るくなり始めている。
 別の廃屋へ入ったシアは、開きっぱなしの箪笥の中に無造作に置かれた医薬品を漁り始めた。適当に液体を剥き出しの肩にかけて、包帯できつく縛る。
「制服、替えないとな‥‥」
 所々破れた制服を脱いだシアは代わりに以前着ていた制服に袖を通した。着なくなって半年ほど経つが、やや小さく感じる。少し背が伸びたか。そう言えば、前髪も長くなった気がする。
 ひびの入った鏡で制服姿の自分を見たシアは苦笑した。妹が見たらまた怒りそうだ。
 手早く黒のマントを被り、フードで銀髪を隠したところで、シアは割れた窓の向こうに愛馬が佇んでいることに気づく。
「黒玲、どうした? ヘラを見ていろって言っただろ」
 命令以外の行動を取ることはないはずの黒玲は何かを訴えようと蹄で雪を掻き続けている。
 鼻を摺り寄せた黒馬の額を撫でて、異変を察知したシアはヘラの眠っているはずの廃屋へと駆け戻った。
「ヘラッ!」
 扉を蹴破るようにして中に入ったシアは舌打ちした。妹の寝台は蛻の殻で、代わりに破れたレースのカーテンが風に揺れているだけだった。
「黒玲。ヘラを探すぞ。まだ遠くに行っていないはずだ」
 身震いした黒馬にさっと跨ったシアは手綱を握り締めた。
 今の彼女から目を離すべきではなかったのだ。


●強襲
 白玲にまたがるシアは防寒用の外套に隠した小刀の感触を確かめた。
 普段はシアが抑えているが、ヘラは感情が高ぶると猛烈な殺人衝動――それも能力者や軍関係者に対して――に駆られることがあった。それを本人が洗脳だと自覚しているかは別問題として、兄のシアの興味が他へ向いたと思えば、誰かを殺したくて堪らなくなる。
 だからこそ、シアはヘラの傍を離れられず、ヘラはシアにますます依存することになる。
 シアが自分に殺人をさせまいとしていることは理解している。
 だが、それが一体、何だと言うのであろうか。


 グリーンランド北部。昨晩までの吹雪が止んだために、UPC軍は一日遅れで訓練を再開していた。
 四方を壁に囲まれた訓練場を見下ろせる指令室で訓練の様子を観察していた若い士官は、訓練場に近づいてくる人影を認めて首を傾げた。
 一人の少女だ。少女は真っ白な外套を羽織り、フードで顔を隠しているが、長い銀髪が風に揺れているのが確認できる。
 訓練場に真っ直ぐ向かってくるため、制止しようと何名かの兵士が彼女達に駆け寄った。彼女がフードを取って、赤い瞳で指令室をじっと見つめた刹那、彼女と目の合った兵士の目にそれは飛び込んできた。
 北米軍学校の制服と、仲間へと飛びかかる大きな白い虎の姿を。
「敵襲! 例の虎と‥‥ハーモニウムを確認しました!」
 悲鳴交じりに叫んだ兵士の声が訓練場に響き渡った。


 UPC軍はヘラと白玲を隔離する作戦を取った。常に行動を共にしていることは確認済みだったため、同じ場所に留めるのは得策ではないと判断したためである。
 入口で待機していた兵士達を薙ぎ倒したヘラは、事切れた兵士達の銃を奪って訓練場の中へと入って行った。四方を壁に囲まれた広い雪原である。
 閑散とした訓練場の中央付近へ来た時だった。危険を察知した白玲は、咄嗟に背負っていた剣を銜えて彼女の方に放り投げた。
 ヘラが剣を受け取った直後、さっと地面が割れたかと思うと、高い壁がヘラと白玲の間に伸びたのである。成す術なく、彼女は相棒と隔離されてしまった。
 壁を挟んで背中合わせに立つ彼女達を挟むように、訓練場にUPC軍が続々と到着した。ヘラと白玲に照準を合わせて、一斉射撃の構えを取る。
「‥‥」
 煩わしそうに敵を見まわしたヘラは小さく息を吐いた。
「‥‥みんな、キライ」
 そう呟いた少女に呼応するように、白玲が凄まじい咆哮を上げた。
 兵士達が怯んだ一瞬を突いて、ヘラは外套を手で払った。その右手にはいつの間にか自動小銃がある。
「みんなみんな、死んじゃえば良いのに‥‥」
 壮絶な笑みを浮かべたヘラは、躊躇うことなく引き金に置いた指に力を込めた。

●参加者一覧

ロジー・ビィ(ga1031
24歳・♀・AA
旭(ga6764
26歳・♂・AA
百地・悠季(ga8270
20歳・♀・ER
麻宮 光(ga9696
27歳・♂・PN
御沙霧 茉静(gb4448
19歳・♀・FC
小笠原 恋(gb4844
23歳・♀・EP
ゼンラー(gb8572
27歳・♂・ER
夢守 ルキア(gb9436
15歳・♀・SF
9A(gb9900
30歳・♀・FC
アクセル・ランパード(gc0052
18歳・♂・HD

●リプレイ本文

 銃撃戦開始から約一時間。
 白銀の少女は殆ど負傷することなく、銃声の止んだ兵士を横目に壁に凭れている。
 壁一枚隔てた向こうに相棒の息遣いを感じたヘラは、頬に落ちた雪に触れた。体温に溶かされた雪は、彼女の頬を返り血と共にゆっくり流れ落ちる。
 まるで――血の涙のように。
「‥‥来た」
 固く閉ざされた訓練場の扉が開くと同時に、ヘラは呟いた。入って来たのは、見覚えのある人を含めて六人。
 ヘラは雪の上に持っていた剣を突き立てた。
 ほんの一瞬胸が痛んだのは、どうしてなのだろう。


●白玲の敗北
「哀しい存在ですわね‥‥」
 ロジー・ビィ(ga1031)は紫煙を薫らせた。せめて言葉が通じれば良かったのに、と小さく付け加える。
 扉が開くと、硝煙の匂いと鼻を突く血の匂いがどっと押し寄せてきた。
「‥‥これは‥‥」
 思わず絶句した麻宮 光(ga9696)である。まだ数が居るとは言え、撤退戦のように扉側まで追い込まれていた兵士達の負傷具合は凄まじかった。まだ銃撃を続けていられるのが奇跡とも言える。
 そうした中で白玲は、主人と合流するべく壁の破壊を試みていたのである。返り血を浴びてこそいるが、銀色の毛並みが目を引く。
 途端に、黙っていたゼンラー(gb8572)が目を輝かせて叫んだ。
「なんと美しいホワイトタイガー‥‥! よし! お前さんをシロと名付けよぅ!」
 それもどうかと思うが、そんなことを突っ込んでいる余裕はない。図らずも、彼のこの言葉で彼らは行動を開始することとなった。
「こうなっちゃァ‥‥仕方ないよなッ?」
 超機械を手に嵌めた9A(gb9900)は白玲に相対して身構える。
 敵意を認識した白玲は壁に当たるのを止め、一声、強大な咆哮を上げた。耳を劈かんばかりの声量に、全員が耳を覆う。
 彼らが怯んだ瞬間に、白玲は地面を蹴った。巨躯に似合わない俊敏な動きで、あっと言う間に距離を詰める。
「させませんわ‥‥!」
 ロジーが動いた。構えていた照明銃を突進する白玲に向けて放つ。虎の足元に打ち込まれた銃弾が、目を焼き尽くす光を発した。
「怯んだ、行くぞっ!」
 走り出した麻宮は動きを止めた白玲の右に、ロジーは左側に回り込んだ。同時に、目をやられて首を振る白玲の鼻先を電磁波が掠めていく。本能的に前に突進した白玲を迅雷で躱したのは9Aだった。
 注意力が散った虎に、左右からの挟撃が襲う。
「少々痛い目を見て頂きますわよっ!」
 横からソニックブームを叩き込んだロジーは勢いが生きている間に武器を構えて白玲の胴を銃撃した。追い打ちをかけるように、ゼンラーの放った電磁波が右耳を強襲する。
 初めて食らったまともな攻撃に、白玲はやや体を傾けて後ろ足で雪を掻いた。一瞬怯んだ隙に、白玲はロジーに体ごとぶつかってくる。
「う‥‥っ」
「させるかっ!」
 大きくよろめいたロジーの代わりに麻宮が突っ込んだ。瞬天速を使い、背後から月詠で尾を斬りつける。真っ白な雪の上に鮮血が飛び散った。
 声を荒げた白玲だったが、ようやくそこで視界を確保したのか、俊敏さを取り戻して体を反転させ、斬りつけた直後の麻宮の肩を力任せに引っ掻いた。よろけた所を後ろ足で突き飛ばす。
「――っ!」
 刀で庇ったものの激しい衝撃に、彼が大きく後退る。
 攻撃の手が止むや否や、白玲は走り出した。
「シ・ビ・れろォォォォォッ!」
 攪乱しようと放った9Aの電磁波を食らいながらも、白玲は一直線に兵士達に向かって突進する。
「行ったよ、ゼンラー君っ!」
 兵士達を守るように立っていたゼンラーは俄然意気込み、体勢を低くして構えた。
「ほーれ。よちよち、おいでおいd‥‥ヌオオオオオオァッ!?」
 真正面から白玲の体当たりを受け止めたゼンラーが大きくよろめいた。振り上げた虎の爪が心臓を抉る前に距離を取る。
 飛び掛かろうとした虎を電磁波で追いやってから、間髪入れずに傷を癒した。ちょっとぶつかっただけだが、相当な痛みである。一般人なら即死だろう。
「ふぅ‥‥流石、シロだねぃ! 随分ノッてるじゃないかぃ!」
 一瞬首を傾げた白玲だったが、紅い瞳が物騒に煌めいた。鋭く尖った犬歯を剥き出しにして、全身の毛を逆立てながら威嚇する。『シロ』が相当腹に据えかねたようである。
 今にも飛び掛からんとしていた白玲の背に声がかかったのは、まさにその瞬間だった。
「――どこを見てるんだい?」
 いつの間にか背後に迫っていた9Aは振り返った白玲の顔に電磁波を直撃させた。不意打ちを食らった虎が唸り声を上げて前脚を振り抜く。
「‥‥っ、なかなか凶暴だね」
 左腕を躱しきれなかった9Aは迅雷で後ろに大きく退く。後を追って地面に爪を立てた白玲は、再び大きな咆哮を上げた。体当たりの前兆か。
 それなら好都合だ。
「さァ来い、こっちだ‥‥ボクはここだぞ。狙って来い‥‥!」
 後ろのロジーと麻宮に目配せをした9Aは敢えて丸腰のように両腕を広げてみせる。
 挑発に乗った白玲が目を眇めて地面を蹴った。負傷しているはずなのに、動きのキレは殆ど落ちていないようだ。
「‥‥今だっ!」
 白玲の体当たりを疾風で何とか躱した9Aが叫んだ。これに反応したロジーと麻宮が同時に地面を蹴る。
 向きを反転させて体勢を整えようとした白玲の足元に後方のゼンラーが放った電磁波が飛んだ。怯んだ虎は呻き声を上げて一歩後退る。
 出鼻を挫かれた白玲に先に肉薄した麻宮は身を屈めて敵の四肢を深く薙いだ。肉を断つ確かな感触と白玲の悲鳴が重なる。
「動きを封じますわ! 援護をっ!」
 体全体に紅蓮の光を纏ったロジーが声を上げた。白玲が牙を剥いて彼女に噛みつく前に、迅雷で距離を詰めた9Aがその鼻先を超機械を嵌めた腕で殴りつける。
 電磁波の影響で一時的に嗅覚を奪われた虎が呻いてバランスを崩した。それでも殺気は衰えることなく、長い尾を振り回して牽制を繰り返す。
 地面を蹴ったロジーは白玲の正面から刀を振るい、渾身の一撃を叩き込んだ。タイミング良く放たれた練成強化と紅蓮衝撃で底上げされた攻撃に、受け止め切れなかった白玲の長い牙が折れる。
 脚を奪われ、牙すら失った大きな白の虎は、そこでようやく体から力を抜いた。雪の大地に体を預けて能力者達に見下ろされながら紅い目を閉じる。最後に一声、細く長い声を上げて。
 それは敵ながらに、威厳すら感じさせる降伏宣言に他ならなかったのである。


●ヘラの処遇
「生存と情報収集を優先、敵の射程に入らない。後、休める部屋を用意、怪我人運んだりするから!」
 夢守 ルキア(gb9436)の指示が飛ぶ。生き残った兵士達が慌ただしく動き回る。
 時は遡り――ヘラと能力者達は熾烈な戦いを繰り広げていた。個々の戦闘力で見れば恐らくヘラに軍配が上がるが、多勢に無勢の状況では彼女が不利なのも明白であった。
 それでも能力者達が押されていたのは、彼らの行動に無意識の『躊躇い』が滲むからだろう。どれだけ抑え込んでも、思い切りがつかない。逃がすにしろ、捕縛するにしろ、そこには必ず『ヘラを傷つけること』がつきまとう。
「ヘラさん、一体どうしたと言うんですか!?」
 ベオウルフを振るうアクセル・ランパード(gc0052)もその一人だろう。巨大な武器を振り下ろしてヘラを威嚇した彼に、彼女は小首を傾げた。自分では至極正常のつもりだとその目が語っている。
 受け止め切れないと判断したのか、距離をとったヘラは地面に刺した剣を引き抜いて投げつけた。アクセルが躱したところを狙って、ミカエルを直接蹴り飛ばす。
「つ‥‥うっ!」
 ヘラの正面に対峙していたアクセルはAU−KV内に響いた衝撃に顔を歪めた。最も近くで彼女の攻撃を受け続けるため、ある程度のダメージは覚悟の上だが、見かけによらずヘラの一撃が重いのである。
 淡い光を纏うミカエルを装着したアクセルは一度竜の翼で距離を取った。代わって旭(ga6764)と御沙霧 茉静(gb4448)が距離を詰める。
「この身に代えても止めて見せる‥‥。人として、そして‥‥、貴女の友として‥‥!」
 至近距離から円閃を放った御沙霧の刀を銃身で受け止めたヘラは、空いた片方の袖口から小型の銃を滑り落とした。そのまま銃口を彼女の肩に向ける。
「御沙霧さんっ!」
 二人の間に割り込んだ旭が盾をヘラに押しつけた。狙いを失った銃が空に向けて轟音を響かせる。小柄な分衝撃には弱いのだろう、ヘラの体は簡単に後ろへ追いやられた。
 追撃で小笠原 恋(gb4844)が壁際に追い込まれたヘラに正面から詰め寄る。
「こんな事をしていてはヘラさんもシアさんも幸せになれませんよ!」
 だが、ヘラを傷つけることはしない。複数本の小刀を投げつけるヘラの←手から、銃を弾き飛ばした。
 刹那、身を反転させて彼女から離れる。その後方には百地・悠季(ga8270)が銃を構えてこちらを見据えていた。
「狂乱を装うなら、『激情の白』として振舞うわよ!」
 吼えた百地が、退いたヘラに弾幕を浴びせかける。あくまで動きを奪うためであって命を奪うつもりはない。時折照準を外しながら弾が無くなるまで撃ち続けた。
 一拍、硝煙の匂いが立ち籠める雪煙の向こうから発砲音が響く。全員その場で弾を防いだが、少しでも遅れていたら重傷は免れなかっただろう。
 煙が晴れると、両手に散弾銃を抱えたヘラの姿が見えた。右手に赤い血が流れている。弾幕で負傷したか。
「嫌い‥‥みんな、大嫌い‥‥」
 ぽつりと言ったヘラは銃を捨て、腰に下げていた剣を引き抜くや否や駆け出した。雪上でも全く衰えない運動能力は、流石は強化人間と言ったところか。
「私は自分もその他も全部好き、敵もね」
 本当に嫌いなら、わざわざ労力を費やして殺そうとしたりしない。
 最後方の夢守はヘラの言葉に一人返し、狙いを定めて彼女に練成弱体をかける。それを契機に、前衛のアクセルと御沙霧が再び突撃をかけた。
 三人の刃がぶつかる、まさにその瞬間だった。

「――――」

 壁の向こうから、白玲の声が届く。それを聞いたヘラはびくりと肩を震わせて、直前で足を止める。
 逆に、勢いを殺しきれなかったアクセルと御沙霧の刃が彼女の両肩を深く抉った。だが、痛がる素振りさえ見せずにヘラは壁の向こうを凝視している。あっという間に彼女の足元が赤く染まった。
「‥‥白玲を、殺したの‥‥?」
「殺しはしません。ただ、動けなくしただけです」
 時同じく、仲間から白玲を押さえたと通信が入った。武器を収めた小笠原がヘラにゆっくりと近づいていく。
「今ならまだ間に合います。シアさんの所に戻ってください!」
 出来れば退いて欲しかった。泣き崩れて武器を捨てて欲しかった。
 だが、ヘラは剣の柄を握って小笠原を睨みつける。
「どうして白玲を‥‥能力者なんて‥‥人間なんて大嫌いっ!」
 剣を振るったヘラを、小笠原は押さえつけるように抱き寄せた。深々と腹に剣が突き刺さる。想像以上の激痛に呻いた彼女だったが、それでもヘラをぎゅっと抱きしめた。
「‥‥っ!」
 あっさり刺された小笠原に、逆にヘラの方が呆気にとられたくらいだ。
「私は決してヘラさんを傷つけません。他の人にも手出しさせません。だからヘラさんも武器を捨てて下さい。そして私の手を取ってください。大丈夫です。何も、怖い事なんて‥‥ありませんよ‥‥」
 咳き込んだ小笠原が雪に鮮血を散らす。震える手で彼女を押したヘラは二、三歩後退って、動揺に赤い瞳を揺らしながら言葉を失った。支えを失った小笠原の体が雪に沈む。
 堰を切ったように彼らは地面を蹴った。夢守が小笠原に駆け寄り即座に拡張練成治療をかける。
「何て無茶を‥‥」
 自身障壁の恩恵がなければ死んでいたはずだ。
 一転、ヘラを取り押さえにかかった百地は機械爪で彼女の外套を引き裂いた。ごっそりと小銃類が地面に落ちる。
「恋の痛みを‥‥ヘラ、あんたは知るべきだわ!」
 怯んだヘラが別の武器を出す前に、百地は彼女を殴り飛ばした。拳以上に、心が軋みを上げて涙がこみ上げてくる。友を――少なくとも、そう信じたい友を殴るのは心が痛い。
 血を吐いたヘラは、尚も抵抗しようと脚に提げた鞘から剣を引き抜いた。
 折り畳んだガラスのような刃を広げ、彼女は地面を蹴って直近の旭を強襲した。
「く――っ!」
 盾で剣を受け止めた旭の足が雪を抉る。それでも、この剣は受け止めなければならなかった。
「‥‥分かりますよね」
 じりじりと押される中、旭はヘラに言った。
「人は傷つくと痛いんだ。人が傷つくのは悲しいんだ」
「違う‥‥私は‥‥私は悲しくなんかないっ!」
「悲しんでるよ。泣いてるじゃないか‥‥」
 事実、ヘラは泣いていた。能力者を殺せ、その洗脳の隙間を縫って零れた涙に違いない。
「違う‥‥泣いてなんかないっ!!」
 旭を突き飛ばしたヘラへ、間髪入れずに御沙霧が肉薄した。
 まだ彼女は泣けるのだ。だからこそ、御沙霧は彼女に訴えた。
「傷付く事の痛みを解って‥‥!」
 刃を返して空いた彼女の胴へ刹那を当てる。峰打ちを食らったヘラは剣を落として大きくよろけた。
「貴方自身は“どうしたい”んですか?」
 AU−KVの大きさを活かしてヘラを引き倒したアクセルは彼女に問いかけた。重いミカエルの下で、彼女は銀色の髪を振り乱して藻掻き続ける。
 それでも、動きは徐々に鈍くなっていった。それは恐らく、倒れたヘラの視界に夢守が必死に手当をする小笠原の姿が見えたからでもあるだろう。
「‥‥私は‥‥どうしたら良いの‥‥?」
 ぽつりとヘラが呟いた。ほんの少し、洗脳で固められた心の中に穿たれた穴から彼女の本心が零れてくる。
 一瞬見せたその感情を逃さないように、アクセルは温かく微笑んだ。
「一人で無理なら“誰か”を頼っても良いんですよ」
 マントを掴んでいたヘラの手が地面に滑り落ちる。
 最後に見た空の色は晴れ間の見えない灰色だった。


●捕縛の代価
「言ったね、怪我人を運ぶって」
 夢守の指示通り、ヘラは救護室に通された。出血の収まった小笠原も兵士達が丁重に運び入れる。
 強化人間でFFを持つとは言え、ヘラの怪我も相当なものだった。それ以上に、能力者達の傷も深い。
 肉体的にも、精神的にも。
「シロ‥‥白玲の処遇は軍で決めるらしいねぃ。強化人間ではなく、キメラだから殺処分になりそうだが」
 彼らに見えない所で話をしていたゼンラーが救護室に入ってくる。彼もなかなかの負傷っぷりだが、さっさと兵士達の傷の手当を始める。
「ヘラ‥‥」
 眠るヘラの手を握る百地は顔色が優れない。これが最善の道だったと、胸を張って言えないのだ。
「後味が良くないのは分かってたが‥‥何とも言えないな」
 壁に凭れる麻宮がそう呟いた。そう、誰もが同じ事を考えていたに違いない。

 これからどうなるのか。
 シアは、どう動くのか。他のハーモニウム達はどうするのか。

 今の彼らは、まだ終わりを予見出来ないでいた。

―END―