タイトル:【J】ある一つの決意マスター:冬野泉水

シナリオ形態: ショート
難易度: やや易
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/08/21 00:11

●オープニング本文


●ゴルディ家の婿養子
 グリーンランド東部のある街に到着したジャック・ゴルディ(gz0333)は車を降りて、複雑な表情を浮かべて歩き始めた。
 同僚がうるさいので生まれて初めて受けてみたエミタの適性検査が陽性だった。今までどうして受けなかった、と検査官にぼやかれたが、ジャックは自分に適性が無いと信じてきたので受けなかっただけである。
 まさか生まれて二十八年目でこんなことがあろうとは、夢にも思っていなかった。
 何より検査を避けてきた理由は、ゴルディ家の存在にある。
 六歳で戦災孤児となったジャックの後見人を引き受け、十八歳で婿養子となった家である。妻のフリージアの生家でもある。
 質素ながらに細やかな細工の施された白い門をくぐったジャックは、重々しい溜息をついた。
「こういう時こそ神頼みだな‥‥胃薬を飲んでおくべきだったな‥‥」


●天敵
「‥‥で、言いたいことはそれだけか?」
 事情を話し終えたジャックの向かいに座った初老の男性の冷たい声がしんとした室内に響く。義理の父、つまり妻の父親にあたるゴルディ家の家長は息を一つ吐いて、神妙な顔つきのジャックを睨んだ。
「嘗て、あれほど確認したであろうが。本当に能力者の素質は無いのだろうな、と」
「それに関しては、俺も完全に想定外でした。まさか今になって分かるとは‥‥」
「しかもお前と来たら、フリージアを戦闘訓練に参加させたというではないか。十年連れ添って、何という様だ」
「も‥‥申し訳ありません」
 何故同僚の分まで俺が謝っているのだろうか。少し腹が立ったが、ここで言っても仕方がない。
 素直に頭を下げた婿養子に、家長は相変わらずの冷めた声で言った。
「お前‥‥わしらを謀ったのではあるまいな?」
「そんなまさか――」
 慌てて顔を上げたジャックの目の前に空のグラスが飛んでくる。反射的にそれを受け止めた彼は、しまったという顔になった。
 今、正しい選択は、このグラスを頭にぶつけることだったのに。これでは火に油だ。
 むっつりとした義理の父を見やったジャックが何か言う前に、男性は立ち上がってはっきりと言った。
「出て行け。能力者にやる娘は我が家にはおらん。今後一切、フリージアに近づくことを禁ずる」
「お義父さん‥‥っ!」
「義父などと呼ぶでないわっ!!」
 大喝されたジャックは言葉を失った。杖に置いた手をがくがくと震わせながら男性は続ける。
「貴様はまた、わしらにあの中身の無い棺桶を見ろと言うかっ!」
 室内が振動するほどの音を立てて扉が閉まる。受け止めたグラスを握るジャックは、苦々しい表情を浮かべて義父の座っていた席を見つめていた。


●ゴルディ家の傷
 ゴルディ家には長女のフリージアを含め、三人の子どもがいる。長男と次女も既に結婚して家を出て行ったが、三年程前に伴侶を失い戻ってきていた。
 二人の伴侶は能力者であり、軍人であった。数々の戦場を渡る中で命を落としたのである。遺体すら見つからなかったため、彼らは空の棺桶を墓地に埋めることしか出来なかった。
 これを受けて、ゴルディ家の家長は軍と能力者を嫌うようになった。ただ、最も憎んでいるのは戦争そのものであることも事実であった。
 同時に、長女の婿であり当時UPC軍に所属していたジャックにも疑惑の目が向けられた。
 ジャック自身は当時、自分が能力者などと考えもしていなかったのでこれを否定したが、子ども達の不幸を思う義父は納得しなかった。
 一時は軍も退役するべきという話にまでなったが、しばらくして、ジャックがカンパネラ学園に配属となったため、話はそこで途切れてしまったのである。
 現在もなお、この問題は解決していない。
 身軽に大木の枝に登ったジャックはガラスの窓をそっと叩いた。気配に気づいたフリージアがこちらに寄ってくる。昔から誰かに邪魔をされると、ジャックはこうやって彼女と会っていたのだ。
「‥‥あらあら。それはまた、見事にお父様の逆鱗に触れてしまったのですね」
 話を聞かされたフリージアは苦笑して言った。能力者、という言葉に、彼女も一瞬表情を曇らせる。
「‥‥能力者になるおつもりですか?」
「決めていないな。ただ俺は、お前が嫌がるなら手術を断ろうと思っている」
「私は嫌がりませんわ‥‥でも、お父様を説得するのは難しそうですね」
「口喧嘩で勝てたことがないからな‥‥お義父さんの歳を考えると、殴り合うわけにもいかんだろうし」
 きょとんとしたフリージアはくすくすと笑う。
「相変わらずお父様に弱いですね。まだ遠慮なさっているんですか?」
「恩もあるしな。お前に言いたいこともあったんだが」
「あら。今、仰れば良いじゃないですか」
「一応、雰囲気というやつがだな‥‥ああ、まあ今日は良い」
 溜息をついた夫に苦笑したフリージアは、精一杯背伸びして彼の頭を撫でた。

●先生、大丈夫?
 翌日、カンパネラ学園職員室にて。
「ゴルディ先生、大丈夫ですか?」
 同僚の教員から声を掛けられたジャックはふらふらと立ち上がった。結局あれから一睡もしていない。
 嫁の実家から帰った彼の姿に、同僚達は口を挟んで良いものかどうかとひたすら様子を窺っている。明らかに落ち込んでいるのだが、どの理由で落ち込んでいるのか分からないのだ。
 いっそ離婚を迫られたとかなら喜んで相談に乗ってやるのだが、それはまずあり得ないだろうし。
 しばらく目頭を押さえていたジャックは、小さく頭を振った。
「大丈夫だ‥‥仕事をしてくる」
「危なくなったら保健室に行って下さい――って、先生! そっちは窓です! ドアはあっち!」
「‥‥ああ、そうか。何か、今なら空も飛べそうだったんだが」
 大丈夫か、この人。
 ジャックの発言を耳にした人々は同時に思った。普段ならばこんなことを口走る人間ではないのだが。
 何か実家で揉めたんだな、と心の中で同情した同僚や上司達は、よろめきながら授業へ向かう彼の背中を見送った。


 昼休み。
 君、ちょっと休みなさい、と言われた時のジャックは見物だった。妙な顔になって、体調が悪いわけでも火急の用事があるわけでも無いのだが、と返すと上司は首を横に振った。
「そんなふらふらな状態で訓練をされても生徒が危ないだろう。午後は休みにしといたから、どっかで息抜きして来なさい」
「はあ‥‥」
 そんな簡単に休めと言われても困る。
 一番付き合ってくれそうなのはヘンリーだが、彼も今は仕事中だろうから誘っても来ないだろう。
 午後を休むことになったが、どうすれば良い? とメールだけ送ってみると、即座に『そこら辺にいる奴を捕まえて遊んでこいよ。夜なら付き合うぜ』と返ってきた。
「そこら辺って‥‥生徒と聴講生しか居ないんだが‥‥」
 生徒を巻き込むのもなあ‥‥と頭を抱えながら歩くジャックの後ろ姿は、更に疲れているように見えた。
 さて、いきなり転がり込んできた休日。
 一体どうしたものか。

●参加者一覧

夜十字・信人(ga8235
25歳・♂・GD
最上 憐 (gb0002
10歳・♀・PN
如月・菫(gb1886
18歳・♀・HD
黒瀬 レオ(gb9668
20歳・♂・AA
吹雪 蒼牙(gc0781
18歳・♂・FC
有村隼人(gc1736
18歳・♂・DF
和泉譜琶(gc1967
14歳・♀・JG
和泉 恭也(gc3978
16歳・♂・GD

●リプレイ本文

 最初に会ったのは、学園に遊びに来ていた黒瀬 レオ(gb9668)だった。
「ジャックせんせ!」
 ふらふらと歩いていたジャックに駆け寄った黒瀬は心配そうに顔を見上げた。
「どうしたんです?」
「いや‥‥午後の授業が休みでな‥‥」
「午後の授業‥‥休み?」
 首を傾げた黒瀬である。学園の授業にはそれほど詳しいわけではないが、そんなお知らせはあっただろうか。
 これは何かありそうだ。
「先生、僕で良ければ付き合いますよっ」
 若さ溢れる黒瀬の明るい笑みに、ジャックは力無く微笑みを返した。
「何だ何だ、元気ないじゃないですか」
 遠くから何かを察知したのか、廊下を走って近づいて来たのは如月・菫(gb1886)である。覇気に欠ける教官の背中を半ば飛び跳ねながら叩いた。
「なんか、今の先生なら私でも倒せ‥‥あ、嘘です、はい、サーセン」
 軽口を叩きながらも心配なので後ろをちょこちょこと着いてくる。
「ジャック教官、おはようございます」
「おう、有村か‥‥」
 偶然彼らを見かけて会釈した有村隼人(gc1736)は、顔を上げてジャックの何とも言えない表情を見た。
(やっぱり、ちょっと元気ない気が‥‥)
 近くに居る黒瀬や如月に目をやると、二人とも苦笑して首を横に振った。
 相当悩んでいるのは間違いなさそうだった。


「ツーリング?」
 その提案に、ジャックは広場の一角で足を止めた。
「別に構わないが‥‥」
 丁度そこへ、彼らを見つけた和泉 恭也(gc3978)が駆け寄ってくる。
「先生。どこかへ行くのですか?」
「おう、和泉か‥‥‥‥お前、カンパネラの生徒だったか?」
「あ、これは借り物です」
 制服を着た恭也は微笑んだ。とはいえ、彼も心配そうにすぐ眉を寄せたのだが。
 それほどジャックの様子は異常だったとも言える。
「あっ! 先生!」
 更に小さな女子がぴょこぴょこ駆けてくる。和泉譜琶(gc1967)である。
 実に五十センチ以上の身長差がある教官をぐいと見上げて、譜琶も例に漏れず首を傾げた。
「むむ? 噂で聞いていた感じと違いますねー、元気ないですよー?」
「そうか? まあ‥‥そうだな」
 続いて、駐車場付近の自販機前で彼らは夜十字・信人(ga8235)に出くわした。経営学の講義を聴きに来たのだと説明した彼は、ジャックに気づいて敬礼をする。
「おや? 貴方が愛妻家で噂の教官殿ですね。自分は傭兵の夜十字です」
 普段の彼なら「そんな噂が広がっているのか」と笑うところだが、今回は無言で敬礼を返す。
 随分噂と違う教官だな、とやはり夜十字もジャックの様子を疑問に感じた。
(‥‥何か、問題か?)
 自分に近い悩みだろうか。そんなことを殆ど直感的に思った。
「夜十字さんもツーリングに行きませんかー? 今日はジャック先生に付き合うんですよー」
 そんな話になっているのか、とちょっと驚いたジャックが口を出す前に黒瀬が彼の肩に手を置いて苦笑する。まあまあ、と顔が語っていた。
 だが、夜十字は少し残念そうに首を横に振った。
「講義の続きも気になるので、後で合流させて貰うよ」
 夜に会おうと約束して、夜十字は一旦その場から離れた。


 駐車場では、最上 憐 (gb0002)と吹雪 蒼牙(gc0781)が偶然居合わせていた。ツーリングの話になると二人ともこれを快諾、一行は早速ジャックの自宅までバイクで向かうことになった。
 用事があるから、と残った黒瀬を置いて彼らはバイクを走らせる。
 学園からジャックの自宅までは、バイクで十五分ほどだ。時折遠くに海岸線が見えるので、ツーリングにはうってつけだろう。
「いい景色ですね‥‥」
 覚えず有村は言った。降り注ぐ真夏の太陽の光が建物の間から見える海に反射している。
「わー、はやーい、きもちいい〜!!」
 如月の後ろに乗せて貰った譜琶は大はしゃぎで頬を撫でる風を楽しんでいる。
「やはりついていくだけで精一杯ですね‥‥ってジャック先生大丈夫ですか!?」
 転びそうになったジャックに恭也は慌てて距離を縮めた。
「教官、大丈夫ですか?」
 横につけた吹雪が言う。流石に肝が冷えた、と呟いたジャックはヘルメット越しに溜息をついた。
 その後もふらふらとますますもって危なっかしい運転をしつつも、彼らは何とか自宅へと辿り着いたのだった。


 一方、夜十字は職員室前で黒瀬とヘンリー教官にばったり出会った。
「丁度良いところに。自分は傭兵の夜十字です」
「ヘンリー・ベルナドットだ。何だ、黒瀬と同じ用件か?」
 頷いた夜十字と並んだ黒瀬は矢継ぎ早に質問を投げかけた。
「ジャックせんせがあの調子だと、学園的にも困ります?」
「よくは知らないが、支障が出るなら対応した方が良いのでは?」
「‥‥だよなぁ」
 学園のこともあるが、それ以上に『家族』の学園生活に支障が出ることを良しとしない黒瀬は、ここで意を決して口を開いた。
「ヘンリー先生。可能でしたらフリージアさんに電話させて下さい」
「‥‥や、待て。あいつの奥さんに連絡を入れろと?」
「お願いしますっ!」
「まぁ‥‥事態が事態だかんなぁ‥‥待ってろ」
 一旦職員室に引っ込んだヘンリーは、しらばくして子機を持って戻ってきた。ほら、と黒瀬にそれを渡す。
 どうやらもう繋がっているらしい。
「先日は訓練、ありがとうございましたっ」
 相手はこの場にいないが、ぺこりと頭を下げた黒瀬は単刀直入に斬り込んだ。
「フリージアさんは、先生が今、へろへろ状態なの、ご存じですか?」
 恐らく先生は貴女の為に悩んでいるのではないか。詳しい事情は分からないけれども、もし、今の状態を好ましく思わないのであれば、どうか力を貸して欲しい。
 きっと、貴女にしか出来ないことがあるはずだ。
 そこまで一気に言った黒瀬は言葉を切った。
「僕は、先生があの状態なのは‥‥イヤ、ですから」
『‥‥ありがとう。あの人は、良い方々に恵まれましたね』
 通話を終えた黒瀬は子機を返して一度だけ大きく息を吐く。その様子を見ていた教官は感心したように頷いて尋ねた。
「良いねぇ‥‥で、何でお前等、そこまでするわけ?」
「同じシュテルン乗りだからな」
「大事な家族の通う学園の先生ですし、それにこういうのって、理屈とか要らないと思いますから」 
 全く方向性が違いながらも確固たる意思を持って、夜十字と黒瀬は即答した。


 自宅ではジャックがお玉杓子と編み針を持ってあちこちうろついている。
「‥‥ん。とりあえず。大きくて。食べ応えの。あるの。希望。ウェディングケーキとか」
「流石それは‥‥」
「‥‥ん。なら。お菓子の家」
「それも厳しいな‥‥」
 片っ端から味見と称して菓子を大量消費していく最上に苦笑しつつも、教官は手際良くケーキを焼いている。
「ほらほら、じゃんじゃん持ってくるのですよー‥‥って嘘嘘、太る太る」
 フォークとナイフを両手に持って催促する如月の前にもクッキーやら何やらが運ばれる。だが、早いところ食べないと最上が攫っていってしまいそうだ。運んでくる吹雪も道中摘むので、最初の分量が少ないから尚更である。
 蜂蜜を冷蔵庫から出した譜琶が尋ねた。
「美味しく作るコツは、やっぱり愛情ですか?」
「愛情に関しては否定しないが、まずは正確な分量と素材の吟味だな」
 こと料理に関して妥協しないジャックは断言した。


 他方で、彼は編み物班の指導も行っていた。
「自分も趣味で編み物をしているのですけれども、出来を見ていただけませんか?」
 恭也が編んでいる途中のマフラーを見たジャックは頷いて言った。
「編む力が強いな。少し力を抜いたくらいが丁度良い目になるはずだ」
 見本を見せたジャックは、そこでふと思い出したように言った。
「俺が言うのも何だが‥‥お前達も奇特だな。編み物は楽しいか?」
「やはり、色々こなせるようになりたいですので」
 編み物の教本を格闘している有村が言った。料理もそうだが、習得しておいて損はない。
「なるほどな。編み仲間が増えるのは俺も嬉しい」
 そう言ったジャックは手早く編み終えたコースターを二人の前に置いてキッチンへ戻っていく。いつの間にか二色の毛糸で柄までつけていたようだ。
「さすがの腕前ですね、勉強になります」
「一朝一夕では追いつけないレベルですね」
 まじまじと完成品を見つめていた有村と恭也は猛然と編み物を再開した。


 次に彼らは外に出て、LH内の店を物色することにした。
「‥‥ん。ウサ耳は。良い物だよ?。ジャックも着用しない?。きっと。幸福になるよ?」
「いや、俺は‥‥」
「‥‥ん。ウサ耳。フリージアに。プレゼントしてみない?。きっと。似合うよ?」
「そ、それはちょっと見たい‥‥いやいやっ」
 最上にうさ耳コーナーを巡らされているジャックを置いて、彼らもそれぞれ店を巡る。
「お、良い服がー‥‥うぎぎ、高い‥‥」
 歯軋りしながらショーウィンドウの服を見つめる如月である。
「こんないいお店が‥‥ここはチェックですね」
 中の品揃えを見て回った有村は頷いた。時間が作れたらいつか来よう、としっかり場所を記憶する。
「あ‥‥この反物値段のわりに風合いがいいな」
 手持ちが手持ちなので今はぐっと我慢した恭也は、せめてしばらく店頭に残っていますように、と堅く祈っておいた。
「少し元気になったかな?」
 外で待つ吹雪と譜琶は、ウサ耳の装着を必死に拒んでいる教官の姿を遠目に見ながらベンチに座っていた。
「ちょっと笑うようになりましたねー」
 このまま元気になってくれると良いな、と付け加えて、足をぶらぶらとさせながら譜琶が微笑んだ。


 未成年でも入りやすいよう配慮したのだろう、その店の中はお酒の匂いもしないし、酔っぱらった客もいない。ただ食事をしているだけの人も居た。
「‥‥ん。カレーは飲み物。飲む物。ジャックも。飲んでみる?。コツを教えるよ?」
 席に着くなりカレーを大盛りで注文した最上は既に食べ始めていた。カレーとはこうやって『飲む』ものなのだ、とジャックに言い聞かせている。
「牛乳をお願いします〜」
 譜琶はウェイターにメニューを指差しながら頼む。
「僕ってなかなか酔わない体質なんだ〜♪」
 早くも一杯目の酒を空けた吹雪が二杯目を頼んだ。ウェイターは不思議そうな視線を寄越したが、こう見えて二十三歳なので問題はない。
 その向かいではジャックがやっと一杯目を頼んだ。いきなりウォッカのロックである。
 隣に座った有村は、氷が溶けて酒を薄める前に飲み始めた教官の長話を辛抱強く聞いていた。
「やはり、学生さんも個性が強いのですね‥‥」
「強いとかいう次元じゃないぞ‥‥」
 項垂れた教官である。そこで、紅茶を頼んだ恭也が話題を少し変えてみた。
「ずっと気になっていたのですが奥様とはどういった馴れ初めでしょうか。此処に到るまで大変だったのでしょう?」
「ああ‥‥昔、俺は妻の家に居候をさせて貰っていてな。それが縁というか何というか‥‥気がついたら結婚していたな」
 詳しく話すと惚気になると思ったのか、ジャックは強い酒を飲み下した。
「妻に縁談話が来て、やばいと思って、見合いの席に飛び込んで「娘さんを俺に下さい」と義父に言ったら椅子を投げられたな」
 容易に想像できる光景に恭也は少し同情した。怖い義父だ。
「だが、結婚して良かったと思う‥‥」
「はぁ、こんなに思われる恋人さんがいるっていいですね〜」
 ぽつりと言ったジャックの言葉に譜琶がにこにこしながら返す。
 夜十字と黒瀬がヘンリーを連れ立って到着したのは、そんな時だった。


「遅くなったな」
「お待たせっ! ヘンリー先生連れてきましたよっと」
 最後に顔を覗かせたヘンリーは同僚の方を真っ先に見た。
「何だ。深刻な話してんのか?」
「いや‥‥お前が居なくて本当に良かったと思う話だ」
 適当に飲み物を頼んだヘンリーは苦笑して前の二人に席を勧める。
 そこへ席を夜十字に譲った有村が寄ってきた。一応挨拶をしておこうと思ったのである。
「中国以来ですね、あれから評判はどうでしょう?」
「んー。すこぶる良いぜー?」
 ‥‥何だろう、この敗北感。
 負けるか、と有村が改めて決意した瞬間に最上のファインプレーが滑り込んだ。
「‥‥ん。料金は。あそこの。ヘンリーに。学園の方に。ツケて。おいて」
「ちょっと待てえええっ! お嬢ちゃん、お前どんだけ食ってんだ!?」
 別の机に移動していた最上はカレーだけで十皿以上は軽く平らげていたのである。
「あ。じゃあ僕の日本酒代もお願いします〜結構飲んだけどね」
「ベルナドット先生っ、この一番高いケーキを食べても良いですかっ?」
「あ、私もっ! がっつり食べますっ!」
 吹雪と譜琶の追撃と如月のトドメにヘンリーは頭を抱えた。


 一方、麦酒の炭酸に咳き込みながら夜十字がジャックに言った。
「能力者になって二年ですよ。何度辞めたいと思ったことか。それでも、覚悟も能力も一人前なれど、子供が戦っているのを見ているとね」
 意図的に能力者の話題を出したのは、ここに来る途中で事情を聞いていたからだ。酒を飲んでいたジャックの表情がほんの少し硬くなった。
 それでも、夜十字は構わずに続ける。
「子供の一歩だけ前で戦う。それくらいしか出来ない。馬鹿な男です」
「戦う決意を持てるのは、素晴らしいことだ。俺も、そうあるべきなのだろうな‥‥」
「教官がどんな選択をしても、後悔しないことが大切じゃないかなと思います」
 苦笑した教官に、戻って来た有村がやんわりと言った。
「教官は教官であることに変わりはありませんから」
「‥‥そうだろうか」
「俺の話になりますが‥‥」
 夜十字が水を飲んで一拍置いてから言う。
「この戦争が終わったら、今いる隊の連中を抱える為に、会社作りたいと思いましてね。なに、まだまだですが」
 能力者になったら全てが決まってしまうわけではない。
 そういう『未来』もきっと持てるはずだ。
 後にジャック本人は、この時ほど情けない顔をしていたことはないだろうな、回想している。
 周りの人々――それは図らずも、全員が能力者――を見回したジャックは、何か込み上げるものを感じながら深々と頭を下げた。
「‥‥すまない。ありがとう」


「そうそう、先生のことですから方針はもう決まっているのでしょう? 先生はよい方ですけれども偶には我を通すのも悪くないと思いますよ」
 その後、盛大に泥酔したヘンリーに肩を貸す恭也は別れ際に言った。
「そうだな、貫くのも悪くはないな」
「そうですよっ」
 伸びをした黒瀬が言う。好きなだけ飲めーと言われたので好きなだけ飲んだが、ほんのり気分が高揚しているようだ。
「きっと、上手くいきますって!」
 センセもお疲れ様っ、と声を大にして言った黒瀬は元気に手を振って走って行く。
 前を行く同僚と生徒達の背中を見つめていたジャックは、ふと真夏の夜空を見上げた。満天の星々が穏やかに輝いているのが見える。
「能力者、か‥‥」
 一歩、踏み出せるような気がした。