●リプレイ本文
グリーンランドの基地、ナルサルスアーク。
ハーモニウムと戦うのは、関われば関わるほど胸の奥が痛んでいく気がする。
それは何も、『人間』に限ったことではない。
「‥‥うむ。‥‥すまんねぃ。シロ。人間の都合で‥‥」
処刑場の中央に置かれている檻に収められた白い虎――白玲の巨体を豪快に抱きしめたゼンラー(
gb8572)は呟いた。
それにしても、だ。たかがキメラ一匹の処刑を何故ここまで大がかりにするのか。
「‥‥ふむん。餌に使われちゃったのかねぃ?」
抱きしめながら白い体を調べていたゼンラーは、そこで白玲の下腹部に違和感を覚えて手を引っ込めた。
「‥‥何かの、縫合痕‥‥かねぃ」
白玲が牙を剥いて威嚇するので、それ以上検分することは出来ない。
ただ分かるのは、そうまでして白玲の守りたい『何か』が、その体内にあるということだ。
◆
「シアさん!」
基地に近づこうとするシアに真っ先に噛みついたのは小笠原 恋(
gb4844)だった。見知った彼女の声に、シアは表情こそ動かさなかったが、歩みを一度止める。
「どうしてヘラさんを自分で助けにいかないんですか! ヘラさんはきっとシアさんが来てくれるって信じて待ってるはずなのに、何やってるんですか!! ヘラさんが可哀想ですよ!」
いきなり恋に叱り飛ばされたシアは、一度目を丸くして、それから苦笑して肩を竦めて見せたものだ。
「ヘラの方には俺の先生が向かってる。万に一も失敗はない」
断言したシアは槍を構えた。必要以上に喋るつもりはないらしい。
「恋ちゃん、下がって。私の後ろから動かないでね」
何か言いたげな恋を制して、彼女の前に出たのは風代 律子(
ga7966)である。無防備の仲間を前線に出すわけにもいかない。
「ねえ、シア君。いつまでこんな事を繰り返すつもりなの」
代わって淡々と語りかけた律子にシアの紅い目が瞬いた。相手が動かないのを確認して、彼女は言葉を重ねる。
「貴方が人を殺めれば、他の人が貴方と、貴方の愛する者達を殺そうとするわ。憎しみの連鎖は、いずれ取り返しのつかない悲劇を貴方達にもたらす。以前に聞いた事があるはずよ」
「‥‥それが何だ? 俺がヘラの分まで憎しみを背負えば良い。そうすれば、あいつはずっと幸せでいられるだろ?」
地面を蹴ったシアが律子達に肉薄する。聞く耳を持たないつもりか。
「速い‥‥っ」
以前、シアと直接ぶつかったことのあるアクセル・ランパード(
gc0052)は思わず呻いた。まるで羽根のように、シアは鮮やかに彼らとの距離を一足飛びで縮めたのである。
「下がれ! 俺が引き付けるっ!」
麻宮 光(
ga9696)は爪を構えると真正面からシアとぶつかった。相手は大型の武器だ。近接戦闘ならばこちらに分がある。
「悪いが、お前をこの先へ行かせるわけにはいかない。俺がここで止める!」
「邪魔をするなっ!」
吼えたシアが身を屈めた。刹那、光はシアの両腕を覆う小手が淡いスパークを生じさせるのをはっきりと見たのである。
まるで、ドラグーンが能力を使う時のようだ。
「く‥‥っ!」
咄嗟に退いた光の判断は正しかった。至近距離から槍を振り抜いたシアの周辺の雪が、凄まじい熱量に負けて蒸発する。水滴を浴びながらも、シアは勢いを殺さずに光に突進した。
「麻宮さんっ!」
射程一杯からソニックブームを放ったアクセルである。死角からの衝撃波を食らって、シアの体が大きく後退する。
代わって、律子の叫び声が二人に届いた。
「二人とも、前よ!!」
瞬間、光とアクセルの真正面にプロトン砲が炸裂したのである。
「――――っ!?」
爆発に巻き込まれた二人の姿が、真っ白な煙に飲み込まれた。
唇に滲む血を袖で拭って体勢を立て直したシアは、ただただ無表情に、爆煙の向こうの二人を見つめていた。
「‥‥話し合い程度でケリがつくなら‥‥誰も死なないだろう」
いずれは力で制し合う時が来るはずだ、と呟いたウラキ(
gb4922)は気配を殺し、基地内に侵入しようとするキメラをライフルで撃ち抜いた。
シアの抑止も重要だが、基地の人々を生かし白玲の奪還を阻止することも重要な任務なのだ。
とはいえ、やはり数が多い。
「‥‥これで何匹やった? ‥‥くそ、まだ居る‥‥」
「でも、一匹も逃すわけにはいかないしさ」
肩を竦めた9A(
gb9900)は忍刀でキメラを斬り飛ばすと仲間の方を振り返った。
「よーへー、そっちは大丈夫!?」
「大丈夫だ、アン姉の方こそ大丈夫かっ!?」
キメラの頭蓋を小銃で撃ち抜いた石田 陽兵(
gb5628)は9Aと背中合わせに立った。二人を囲むようにキメラが距離を詰めてくる。
「こちら9A、キメラは基地の外へ‥‥ボクの仲間達のところへは流れていないね?」
『基地の外には確認できません』
通信は未だ途絶えていない。司令室と無線で短く会話した9Aは陽兵とウラキを見た。
二人は無言で意図を察して深く頷いた。
「‥‥こいつでどうだ」
呟いたウラキは手にしていた閃光手榴弾をキメラの群れの中へ放り投げた。
赤に染まる瞳が見つめる中で、キメラの目を焼くほどの強烈な光が炸裂した。
「アン姉、連携だ!」
「分かった、合わせる! 行くよ、よーへーッ!」
援護射撃を放った陽兵の銃撃が止む前に9Aが迅雷でキメラの群れへ突っ込んだ。懐に潜り込み、正面からナイフを獣の目に突き立てる。即座に身を捻って忍刀で足に斬り込んだ彼女は、間髪入れずにその場から退いた。
「トドメっ!」
後方で構えていたのは陽兵である。二丁の銃をキメラ群に向かって斉射したのだ。閃光で目を焼かれて身動きの取れないキメラは格好の的だろう。
最後方で陽兵の猛攻が止むのを待っていたウラキが動いた。
「仕舞いだ‥‥」
ライフルを構えたウラキが引き金を絞った。銃声を轟かせて、銃弾が生き残ったキメラの胴を貫通する。
「生き残りはいないか‥‥仲間の援護に向かおう」
銃身を担いだウラキが淡々と言う。
処刑場に殆ど近づけさせることなく、キメラを掃討し終えた彼らは、息をつく間もその足で仲間達の援護に向かったのだった。
「む‥‥? 聞いてたより、強いような‥‥気がするねぃ‥‥?」
シアの槍を弾いたゼンラーは首を傾げた。
ハーモニウムの騎士と対峙していた彼らは、その強さが明確に違っているのを少しずつだが、確実に感じ取っていた。
「‥‥っ、面倒な奴らだな」
一方のシアも無傷というわけではなかった。SSの援護があるとは言え、傷を癒せないという一点が長期戦ではシアを不利にする。
それでも能力者五人相手に互角以上の戦いを見せていたのである。
「シアさん、聞いて下さいっ!」
恋の声に、シアは構えていた槍を下ろして、彼女の方をじっと見つめた。
相手が聞く体勢になったのを見届けてから、恋は一気に言った。
「シアさんの望みはヘラさんが幸せになる事ですよね。私達が死ねばヘラさんは幸せになれますか? 白玲が戻れば幸せになれますか? ――私は違うと思います。それではただ元に戻るだけです。今まで血に塗れた生活をして二人は幸せでしたか? シアさん、ヘラさんと一緒に私と暮しましょう。私が二人を幸せにできるか分かりませんけど、きっと楽しいですよ」
――私と暮らしましょう、ヘラも一緒よ。
シアの脳裏に幼い頃の記憶が蘇ってくる。あの最悪の事件が。
「シアさん、だから――」
「黙れっ!!」
恋の言葉を大喝で遮ったシアは黒衣を乱暴に脱ぎ捨てた。激しい怒りの炎が紅い瞳に散る。
古い、時代遅れの軍服を晒したシアは、激情のままに吼えた。
「お前達の価値観を押し付けるな、お前達の幸せを俺に押し付けるな! 俺は‥‥『私』は、ただあの子と二人だけで生きていたいのにっ!!」
言うや否や、シアの姿が彼らの視界から消えたのだ。
動揺の走る彼らに、軍からの情報を受けてウラキが声を強めて言った。
「奴が北西に動く‥‥注意しろっ」
彼の言葉通り、SSが僅かに移動したのだ。その射線から自ずと、シアの位置は明らかになる。
そこまで考えたアクセルは咄嗟に叫んだ。
「石田さん、9Aさんっ! シアさんはそっちですっ!!」
彼の声と殆ど同時だった。陽兵の視界の端に銀色の何かが映った。
「アン姉さん、下がれっ!!」
声を上げた陽兵は反射的に9Aを突き飛ばした。瞬間、腹部に激痛と異物の感触が走る。
「よーへーっ!?」
「や、っべぇ‥‥」
大量の血を吐いて陽兵はその場に崩れ落ちた。
腹から剣を引き抜いたシアは無表情に彼を見下ろしていたが、一拍置いて身を翻し、今度は光の方へ突進したのである。
「させるかっ!」
初手を高速機動で凌ぎ、光は即座に反撃に出た。爪で槍を持つ手を引っ掻き、身を捻ってシアの頭部を蹴り飛ばす。一撃で昏倒させるつもりの力で、感触も確かにあった。
だが――、
「遅い」
背中からシアの落ち着きを払った声。
戦慄し、反射的に一歩踏み出した光に律子が叫んだ。
「いけない!」
「しま――っ」
彼女の声で気付いた光だったが、一歩遅かった。シアに気を取られている間にSSが彼の背後を取っていたのである。容赦無くプロトン砲が発射される。
だが、光が回避することをシアは最初から読んでいた。
間一髪で砲撃を躱した光の脇腹を、シアは槍の石突きで力一杯殴りつけのである。
「つ‥‥ぅっ!」
地面に叩きつけられた光にはそれ以上の興味を示さず、シアは恋に突進した。彼女を守るように立っていた律子がシアの槍を受け止める。
まともにシアの姿を見た律子と恋は思わず息を呑んだ。
「ヘラ‥‥さん?」
まるで妹のヘラかと思うほど伸びた髪を揺らし、鮮やかさを増した紅の瞳には、何の感情もない。
シアとヘラの融合体、そんな表現がしっくりと来る。
「く‥‥恋ちゃん、今のうちに――」
力で押し負ける律子の声が途切れた。代わりに、シアに縋りつくようにしてゆっくりと地面に倒れる。油断していたわけではないが、シアの隠し持っていた剣で脇腹を刺されたのである。
律子の血に濡れたシアは、自分を見下ろす恋に冷たい声で尋ねた。
「仲間がこうなっても‥‥まだ私を説得するつもりか?」
背筋に冷たいものを感じた恋である。嘗て彼女の言葉に動揺を見せていたシアの姿は、今はどこにも感じられなかった。
槍を振り降ろそうとしたシアだったが、一瞬、かすかに動きが鈍ったのだ。次いで、口元を押さえてその場に蹲る。
「――っ」
「シアさんっ!?」
恋の差し伸べた手を振り払って、シアは大きく咳き込んだ。白い雪を鮮血が赤く染め上げる。
そこが、シアの見せた大きな隙だった。
「その体‥‥無理のしすぎだねぃ」
倒れた光や傭兵に練成治療を施していたゼンラーが、異変に気づいてシアと対峙する。
立ち上る雪煙の中からシアがこちらに向かって突進してくるのを確認したゼンラーは超機械を構えた。
外見は殆ど無傷だが、恐らくシアの体内はぼろぼろに違いない。
「‥‥だがまぁ、そうやって無茶をするのは、嫌いじゃないがねぃ!」
シアが横に薙いだ槍を逞しい腕で受け止めたゼンラーは、虚実空間を発動させた。青白い電波がシアの体を這う。
「そんなもので‥‥っ!」
電波を振り切ったシアがゼンラーの腹を蹴りつける。小柄な子どもの攻撃だがとてつもない威力である。
「ぬぅ‥‥!」
不意を突かれて思わず呻いたゼンラーが後ろに下がる。
追撃を加えようと踏み出したシアの右腿を銃弾が強襲したのは、まさにその瞬間だった。
「――っ!」
声を上げてよろけたシアの背後では、ウラキがライフルを構えて佇んでいた。気配を殺しての狙撃は、流石にシアも読み切れなかったのだ。
間髪入れずに、ウラキはもう片方の足を正確に撃ち抜いた。
「取り押さえるなら今だ‥‥っ」
ウラキの合図で残った9Aとアクセルが挟撃の体勢を取った。
「よーへーの礼をさせて貰うよ!」
迅雷で詰め寄った9Aは忍刀とナイフを交差させてシアの槍を受け止めた。あくまで武器の動きを止めることだけを念頭に彼女は槍を抑え込む。
「流石に今回は看過できませんね‥‥」
死角に潜り込んだアクセルがシアの胸を大剣の柄で強襲する。両腕を封じられていたシアはこれをまともに食らい、雪の上に仰向けに倒れた。骨の一本や二本は折れただろうか。
「‥‥?」
だが、剣を地面に突き立てたアクセルは、不思議そうに右手を見下ろした。
殴った瞬間に違和感があったのだ。
「まさか、シアさんは‥‥」
アクセルが後の言葉を呟く前に、我に返った恋が倒れたシアに近づいた。髪が伸びたままのシアが目を閉じると、本当にヘラにそっくりだ。
「シアさんの、分からず屋‥‥」
助けたい人に仲間を傷つけられ、それでも手を出せなかったことに対する複雑な感情が涙となって恋の瞳から零れ落ちる。
後方のSSが動いたのは、そんな時だった。
恋とシアの間に鋭い指先を食い込ませて、地面ごとシアを掴んだのである。
『仲間に触るな。これ以上、シアに触れたら許さない』
冷めたウィルカの声が響く。
静かな怒りを燃やすウィルカに声をかけたのは、武器を収めたアクセルだった。胸にかけたロザリオに手を添えて小さく祈りを呟くと、SSを見上げて口を開く。
「もう良いでしょう? ‥‥これ以上は互いに全滅を覚悟しないといけません。この場は折衷案として、『処刑の中止を交換条件に撤退する』事を提案します」
無意味な殺戮をこの場だけでも抑えるならば、最早それしか手はない。こちらの戦力を大幅に削られた今、これが最大の譲歩だった。
「この条件が飲めない、又は破った場合、互いにヘラさん、白玲の身柄の安全と一般人への最低限度の安全は保証しかねます」
『‥‥分かった。ただし、シアは回収する。人間は信じない‥‥信じるのは、これきりだ』
シアを抱えたSSが地面を蹴って飛び上がった。最後まで攻撃を警戒しながらゆっくりと後退を始める。
藍色の機体が視界から消えてしまうまで、彼らはその場から一歩も動けなかった。
◆
負傷した三人は即座に救護室に運ばれた。ゼンラーの練成治療が功を奏したのか、誰一人危機的な状態ではないようである。
状況を報告したウラキの話を聞いていたヘンリーは画面越しに難しい顔で考え込んだ。向こうも一応の決着はついていたようだ。
「軍ではなく、カンパネラ学園にヘラ達の身柄を移送するのはどうかねぃ」
情報を交換している内にゼンラーはそう提案した。少なくとも、そうすればデメリットは僅かに減るはずだ。
他の傭兵達も同じ意見であることを伝えると、ヘンリーは一度頷き、その方向で交渉を進めることを約束して通信を切った。
「交渉、ですか‥‥前進、と受け取って良いのでしょうね」
前髪を掻き上げたアクセルは息を一つ吐いた。
新たな力を手にしたシアのこと、白玲のこと、捕らえられているヘラの今後。そして、現れた『教師』の存在。
何かが、確実に動く気がした。