●リプレイ本文
エーリク家の玄関には、巌のような男が立っていた。
しばし無言で客人六名を睨んでいた男は、居間から顔を出した長女に向かって突然叫んだものである。
「シャルロット! どれがお前の婿だ!」
黙れ、という大尉の大喝が物凄い速さで返って来た。
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「もー、パパはねーさまの事になると、いっつもああなんだから」
溜息をついて父親を自室に追いやったリリーは、改めて客人たちを見上げた。
「いらっしゃいませっ。おやくそくのしなはおもちですか?」
意味が分かっていないのか、見事な棒読みである。
苦笑する客人達だったが、最初に彼女に歩み寄って花を差し出したのはラルス・フェルセン(
ga5133)だった。
「花言葉はー、『家族愛』らしいのでー、先日の、姉妹仲良しなーご様子からー、選んでみました〜」
ブルーサルビアを受け取ったリリーはぱっと顔を輝かせる。マーガレット、と片割れを大声で呼んで、ラルスの周りをくるくると回る。
「こらっ。お客様の前ではしゃがないの!」
制服のまま飛んできた次女に、音桐 奏(
gc6293)は穏やかな笑みを浮かべた。
「お久しぶりです、アイリスさん。皆さん変わりないようで安心しました」
そう言う彼の手には一輪の赤い薔薇がある。誰に渡すのか、聡いアイリスは見当がついた。
居間の方を向いて、長女を呼ぶ。
しばらくして、ようやく招待主が出てきた。
「全員、持っているな‥‥いや、待て。お前、約束のものは持っていないのか?」
「ああ、花? 目の前に居るじゃない。硝煙臭漂う花だけど」
「‥‥本気か?」
「勿論よ。シャルちゃんにとっては、これ以上無い花じゃない?」
「まったく‥‥らしいな」
けろっとして言った鷹代 由稀(
ga1601)に、大尉は肩を竦めた。
「‥‥シャルロット。俺からは、これを」
豪奢な真紅の薔薇を手渡したリヴァル・クロウ(
gb2337)の表情は、いつもと変わらない。
花言葉など、そういう洒落たものは持ちあわせていないのだ。
それは大尉も同じことなのだが。
「四国ではお疲れ様でした、エーリク大尉。お元気そうで何よりです」
続いて、奏が薔薇を渡した。鮮やかな赤の薔薇を受け取った大尉は流石に苦笑したものだ。
「なんだ、巷では薔薇が流行っているのか?」
花言葉を知っている客人もいただろうが、彼らは何も言わなかった。
リヴァルが知らない意味も、奏が気づいていないかもしれない意味も、勿論、大尉が分かっていない意味も、全て二輪の薔薇に込められている。
それくらい、かなり直接的な花だ。
「‥‥まあ、薔薇続きのところすまないが、俺からはこれを」
グラジオラスを差し出したヘイル(
gc4085) は口端を上げる。知られて困る花言葉を持つものではないが、やはり大尉は何も気づいていないようだった。
「良い花だな。どこに売っているんだ。今度買いに行く」
「ああ、後で場所を教える」
頷いたヘイルの横から、最後に大尉に花を渡したのはセラ・ヘイムダル(
gc6766) だった。
「なんでも、これの花言葉は調和や愛情だとか‥‥けれど、花言葉より何より、私の好きな花を大尉に贈りたかったのです♪」
「ありがとう、セラ。早速飾らせてもらおう」
赤いコスモスを手にした大尉がセラに微笑んだ。
笑みを返してから、セラはちらりと近くにいる青年の横顔を見上げた。
(お兄様‥‥)
自然と頬が紅潮する。
その表情の意味を、密かにもう一輪用意してきた花の意味を、彼はまだ気づいていない。
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通されたテラスは、綺麗に整理された庭と夜空が見える、緑と紺のコントラストが美しい場所だった。
「適当に座ってくれ。妹達も直に揃う」
大尉の言葉の後に、わらわらと同じような顔立ちの少女達が来た。
話せないベルは末っ子を抱っこしたまま、居間からの参加である。
「ではー、私はお二人の横に座りましょうか〜」
にこやかに言ったラルスが双子の間に座る。
「おにーさま、あれだわ! 服装が前と違う!」
「ラルスさん、服が違う。格好良いっ」
「カジュアルなー格好も、考えましたがー、イメチェンも、良いかとー思いまして〜」
きゃっきゃと会話する姿を見て、若干の緊張を覚えていた他の傭兵達も口元が緩んだ。
「そうそう、お菓子をー作ってきたのでした〜。盛付けにー、キッチンとー妹さん達をお借りしてもー、宜しいでしょうか〜?」
「構わないが、気を遣わせたか?」
「いいえ〜」
「行くわよ、リリー」
「リリーが手つないで行くのーっ」
すっかりラルスの双子である。わいわいと話ながら、三人は一度台所へ引っ込んだ。
「ああ、俺からも土産があるんだが」
「俺からも、妹達に」
そんな姿を見て思い出したヘイルとリヴァルが同時に口を開いた。
一瞬目を丸くした大尉が、短い声を発して笑う。
「随分と気の利いた客だな。花一輪で良いと言っただろうに」
紅茶やクッキー、妹達へのクッションやぬいぐるみを受け取った大尉が呆れたように微笑んだ。戦場では見せない表情に、隣に座った由稀の柳眉が少し上がる。
(なるほど、ね。そういう表情もできるんじゃない)
少しホッとして、煙草を一本出そうとして由稀の動きが止まった。
「‥‥っと、煙草、吸えるところはある?」
「端にある」
なるほど、横に長いテラスの隅っこに吸殻入れが鎮座している。風向きも距離も良い塩梅だ。
「んじゃ、ちょっと失礼して」
立ち上がって端へ移動した由稀を見送って、最初に口を開いたのは淹れたての紅茶を一口飲んだセラだった。
「それはともかく、四国での戦いお疲れ様でした」
「む‥‥そうか。今ここにいるのは、大体が四国戦で共に戦った者か」
良い茶葉だ、と付け加えたヘイルがはっとしたように言った。
「四国というのは、先日まで派遣されていた所ですか?」
「ああ、そうだ」
不思議そうに姉を見やる次女に大尉は答えた。
その言葉を継ぐように、リヴァルが言う。
「君のお姉さんは大変な無茶をしてくれたが」
「待て、それは聞き捨てならない」
「そうですよ、エーリク大尉は戦場でも勇ましいではないですか」
さり気なくフォローを入れた奏は、言って大尉を見つめた。
「軍服姿も凛々しいですが、今日の大尉は落ち着いた雰囲気で素敵ですね」
「そうだろうとも」
ふふん、と妙に自信を持って言った大尉に、紅茶を飲んでいたヘイルが変な声を出して咽そうになる。
「大丈夫ですか?」
「気持ちは分かる」
優しいセラの声と、笑いながら言う由稀の声が同時だった。
「いや‥‥確かに、某ロボと戦った際も勇ましかったな、と思ってな」
「そ、それ以上言うなっ」
途端に慌てだした大尉と、一瞬表情が固まったリヴァルである。
そうして、聞かれてもいないのにぺらぺらと墓穴を掘り出した。
「‥‥お姉様、らきすけって何?」
「聞くな聞くな。教育に悪い」
こねこのぬいぐるみの足をいじりながら聞いてきた次女に、大尉は大慌てで諭す。
「ち、違うのだ‥‥決して故意でらきすけなど‥‥っ」
「お兄様、らきすけなんて‥‥」
「違うのだ、セラ!」
「認めてしまえ。その方が楽になる」
「ま、待ってくれ。時間をくれ。説明する時間を‥‥!」
明らかにからかわれているリヴァルと、腹を抱えて笑う傭兵達と。
そういう光景を見ていると、奏は少し暗い笑みを浮かべてしまう。
その場に奏は居合わせなかったが、ひとつ分かるのは、その時リヴァルが大尉に何かをしたということだ。
「‥‥なるほど、これが嫉妬というモノですか」
聞き取れないほど小さな声で呟いた奏は、すぐにその表情を打ち消した。
自分だけに見える暗い影が場を満たそうとする前に、彼の後ろの窓が開き、ラルスと双子が戻ってきた。
「お待たせしました〜」
明るく言ったラルスは、色鮮やかな蒸しマフィンの乗った皿をテーブルに置いた。
「すごいの! 食べられるお花なんだって!」
「えでぃ‥‥なんだっけ?」
「エディブルフラワーですよ〜。お口にー合えばー、宜しいのですが〜」
にこりと笑ったラルスである。
ナデシコやマリーゴールド、パンジーが入ったマフィンは、この場の全員が初めて口にするものだっただろう。
一口含んだ大尉が、少し驚いたような顔になり、すぐに唇の端を綻ばせた。
「美味しいな。エディブルフラワーか‥‥覚えておく」
「はい〜。作り方もー、リリーとーマーガレットにー、教えておきました〜」
のんびりと言ったラルスに、マフィンを口にした奏も微笑んだ。
「‥‥ありがとうございます」
「? いいえ〜。美味しいならー、何よりです〜」
場を明るくしてくれたラルスに内心もう一度礼を言って、奏は紅茶をもう一口だけ、味わうようにしてゆっくりと飲み下した。
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「さあ、何をー描きましょうか〜?」
会話が一段落すると、妹達は夜風が寒いであろうと居間に戻っていた。
当然、双子に連行されたラルスも一緒である。
「じゃあ、今日のマフィンの絵!」
「良いですよ〜」
真剣そのものの表情で画用紙を見つめるラルスである。いっそ覚醒しているのではないかという気迫に、自然と双子の顔も強張る。
隣では我関せずと言わんばかりに、黙々と自分の絵を描くベルの姿がある。
「ちょっと、次はマーガレットの番よ」
「もう少しだけ待って」
トランプを持つアイリスが呆れたように息を吐いた。隣で苦笑するヘイルもトランプを持っている。
「代わりに、リリーが引くか?」
「うん、引く!」
「あ、待ってっ」
「もーっ、どっちかに絞らないと失礼でしょ!」
どちらも好きだからと、お絵かきとトランプを同時進行でやろうとしている双子は、しばらくてんてこ舞いの状態が続いていた。
その光景を面白く思うのか、傍で寝返りを打った六女が面白そうに小さく笑って、揺り籠の中で手足を伸ばして見せた。
「しっかしアレよね。『誤射などするものか』とか、随分私の腕買ってくれてたんだねぇ」
「勿論だ。お前の射撃はアテにしているからな」
子どもが去った後のテラスでは、日本酒を躱す由稀と大尉が話していた。
「まあ、でも、うん」
言葉を濁した由稀は、酒で緩んだ口元を引き締めた。傭兵にとって、その腕を信用されるのは有難い限りだ。
「それにしても、あいつら、どこに行ったのかしらねぇ‥‥」
「その内帰ってくるだろう」
由稀に酒を継いだ大尉は言った。
「ま、それはそれとして‥‥軍服姿見慣れてると、女の子らしい格好もが新鮮で良いわね。似合うじゃない。あ、わりと本気で言ってるからね?」
「ありがとう。それを言われると、結構嬉しいな」
さらっと言ったが、それが本音なのだろう。
杯を持って笑った大尉の姿が、由稀の目に初めて、お洒落に気を遣う年齢相応の女性に映った。
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お兄様に、と手渡された花は風船葛。
「『永遠にあなたとともに』という花言葉です」
「セラ‥‥」
「私、ずっと前からお兄様の事が‥‥好きでした」
鈍感な男でも、ここまで言われれば分かる。
リヴァルの胸を過ぎったのは、ずっと、という言葉だった。
ずっと、とは、いつからセラは想っていたのだろう。
どう思って、今、想いを言葉にしたのだろう。
ふわふわとして、胸の熱くなる思いに、リヴァルの思考が一瞬止まる。
「返事は生きて帰ってこられたら、で良いのです‥‥」
その声で、我に返った彼は、言葉を選ぶようにして口を開いた。
「俺にはまだ、やり残したことがある。そんな状態で‥‥セラの、真剣な気持ちに安易に答えるべきではない、と、思う」
「‥‥」
「だから、全てが終わったその時に、もう一度話をしよう」
セラが俯いた。
しまった、と思ったリヴァルは震えそうになる声で言った。
「それでは、駄目‥‥だろうか」
「‥‥」
首を横に振ったセラは、彼を見上げてにっこりと微笑んだ。
「やっぱり、お兄様はお兄様です。セラは‥‥満足です」
この愛くるしい少女を抱き寄せるべきか、否か。
数秒の間に散々悩んで、結局リヴァルはセラの頭を優しく撫でることしか出来なかった。
それだけで、今は十分な気がした。
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「エーリク大尉。あなたの事をシャルロットと呼んでも構わないでしょうか?」
散歩から帰ってきた奏が開口一番言った。
きょとんとした大尉は小首を傾げたものである。
「なるほど‥‥。男に名前で呼ばれるのを許可した覚えはなかったな」
「‥‥」
駄目か、と虚しさに駆られる奏は自嘲気味た笑みを浮かべた。
だが、大尉はそれに気づかず言った。
「気づけば、私をシャルロットと呼ぶ者もいないわけではないし、最近は特に不快感を覚えたこともない」
「許したのかと思ってたけど、気づいてなかったのね‥‥」
「そのようだ」
由稀のツッコミに苦笑した大尉は、奏の方を向いた。
「構わない。好きに呼んでくれ。友人に呼び名を強制するのは不躾だろう」
友人、という言葉が、奏の胸に刻まれる。
嬉しいような、悲しいような、そんな感情の入り混じった――けれども、一番穏やかな笑みを浮かべた奏は、これが今、自分の限界なのだろうと悟った。
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お土産のザッハトルテを受け取った客人達はそれぞれ挨拶をして、エーリク家を後にしようとしていた。
「また来てね!」
「そうですねー、また〜」
双子の声に相好を崩したラルスは、五女から次女まで頭を撫で回した。
「じゃね、シャルちゃん。今度は二人でお茶しましょ」
「食事の予約なら俺も一つ、お願いしよう」
煙草を咥える由稀とヘイルが互いに顔を見合わせて肩を竦めた。茶会の前と後では、競争率が高くなりそうだ。
「では、シャルロット。またの機会に」
「ああ。無理をするなよ」
頭を下げた奏に、大尉は労いの言葉をかける。
「お兄様、先に行きますね」
頬を赤く染めるセラが最後に出て、玄関には大尉とリヴァルだけが残った。
「‥‥君への土産を渡し忘れていた」
そう言って、彼は大尉にも秋桜のかんざしを手渡した。
不思議そうに箱を見る彼女に、彼は静かに続ける。
「日本のアクセサリーの様なものだ。君は容姿は整っている、似合うはずだ」
「そういう恥ずかしいことを真顔で言うな」
「すまない、だが‥‥もっと君は自分の為に生きて良い」
意味深に言ったリヴァルは背中を向けた。
四国は解放された。他の土地もこれに続くだろう。
だが、脅威が去っても、戻らないものは多い。
戻せないものの方が、多いこともある。
そんな風に、彼女にはなって欲しくなかった。
「お前も、もっと自分の為に生きろ」
背中に投げかけられた言葉に、リヴァルは振り返らなかった。
そのまま扉を締めた彼を、穏やかに煌めく満天の星空が優しく見つめていた。
了