●リプレイ本文
一行が旅館に辿り着いた時、時計は既に時針が1時を少し過ぎていた。
一度に全員チェックインするのは怪しまれる可能性を考慮して、それぞれグループ毎に旅館へと入っていく。
まずは篠崎 公司(
ga2413)と篠崎 美影(
ga2512)の夫婦が受付へ向かい、最初にチェックインを済ませる。
「少しお尋ねしたいのですが、葉瀬川 涼というご婦人は既に宿泊されていますか?」
公司が単刀直入に訊くと、受付をしていた中年女性はすぐには答えず、訝しげに彼の表情を見た。
「実は、おリョウさん──あ、葉瀬川さんとは親しい仲でして、ご挨拶をしておきたいな〜、と」
隣にいた美影が慌てて取り繕うように発言する。
「あんたら、おリョウさんの知り合いなのかい?」
どうやら涼と知り合いらしい中年女性は親しい人間のみが知る呼び名を聞いて、警戒心を緩めたようである。
2人は肯定し、中年女性はしばらく考えた後、
「おリョウさんなら既に部屋に入っているわ」
とだけ答えた。
詳しい部屋の位置を教えなかったのは、恐らく旅館に働く者としての守秘義務を守ったのだろう。
これ以上質問しても情報は貰えないと判断すると、2人は礼を述べてチェックインを終えた。
割り当てられた部屋は東館2階の北の隅、牡丹の間。
そこへ向けて移動しつつ、公司は表で待機する他のメンバーに携帯電話で連絡を入れた。
「旅館側も守秘義務があるようなので、詳しい部屋位置は教えてくれませんでした。
申し訳ありませんが以降は質問はせず、自力で目標を探して下さい」
「了解した」
連絡を受けたホアキン・デ・ラ・ロサ(
ga2416)は聞こえないように小さく溜め息を吐いた後、会話の旨を全員に通達した。
考えてみれば、宿泊客のリストなんて個人で入手できるはずはない。
どれだけ親しい間柄を装って聞き出そうとしても、むしろ親しければ何故知らないんだ、と逆に不審に思われてしまう。
調査は最初から難航であることを噛み締めつつ、ホアキンは再び溜め息をついた。
続いて、風代 律子(
ga7966)、ミスティ・K・ブランド(
gb2310)、吟羽・このは(
gb2735)の3人が仲良し3人組を演じてチェックインを行う。
中年女性は特に疑いの目を向けず、和やかな営業スマイルを浮かべて3人に応じた。
3人に割り当てられたのは牡丹の間の向かいの部屋、椿の間だった。
最後に、ホアキンと桔梗 澪(
gb2737)がチェックインを済ませに向かったのだが、中年女性は興味深そうに2人を見つめていた。
こんな山奥の旅館に、男性二人が宿泊に来たのである。
邪推とは思いつつも、中年女性は2人の関係についていらぬ妄想を内心で膨らませていた。
2人はそんな事など全く気付かず、何事も無く手続きを終えて渡された鍵を受け取る。
割り当てられた部屋は椿の間の隣、百合の間だった。
その途中で、再びホアキンに公司から電話が寄越される。
「もしもし?」
「もしもし、篠崎 公司です。
こちらの目標である葉瀬川 涼さんは既にチェックインしているとの事なので、先に探索と監視を始めさせて頂きます」
「了解した。また何かあったら連絡してくれ」
「では、失礼します」
公司が通話を切ると同時にホアキンも通話を切り、何気なく視線を向けた中庭に見知った人物を見つけた。
彼のターゲットであるビリー・ライジングが、腕を組んで中庭の池を眺めていたのである。
ホアキンはすぐに澪に伝えるべき事項のみを伝達すると、旅行バッグを押し付けて急いで1階へ降りる階段へ向かった。
「どうやら、あそこにいらっしゃったようです」
旅館を一通り探し回った後、美影が中庭を指差して公司に目標の存在を知らせた。
彼が視線を向けてみると、涼は中庭で自身の倍以上の背丈はある大男と何やら楽しそうに談笑していた。
「──おや、あの男性は」
公司は大男の横顔を見て、それがビリーだと気付くと意外そうな表情を浮かべた。
どうやら、涼とビリーは何かしらの縁があって親交を持っているようである。
「とりあえず、私達も向かいましょうか」
美影の提案を否定する要素などなく、2人は仲睦まじそうに中庭へ出る通路を歩き始めた。
「おや、今日は絵描きさんが他にもいらっしゃられるようですね」
涼の言葉を受けて、ビリーが彼女の視線を追う。
その先には、ホアキンがスケッチブックに中庭の木々を描いていた。
ビリーの表情が僅かに変化する。恐らく驚いているのだろう。
表面的にほとんど変化しない彼の表情だが、涼はその変化を鋭く発見した。
「声を掛けてみては如何ですか。
もしかすると、良いお友達になれるかもしれませんよ」
ビリーは少し困惑したように涼とホアキンを交互に見つめた後、最終的に涼に軽く頭を下げて彼女の元を去った。
涼は嬉しそうにホアキンに向かっていくビリーの背中を眺めた後、篠崎夫妻が自分を見ている事に気付いてゆっくりとお辞儀をした。
慌てて篠崎夫婦は礼を返し、そのまま去ったのでは居心地が悪いと悟ると、彼女に接触することを試みた。
「えっと‥‥。ひょっとして貴方が『おリョウさん』ですか?」
挨拶もそこそこに、美影が涼に確認するように尋ねる。
「ええ、確かにウチがおリョウで御座いますが‥‥。
はて、どこかでお会いしたことが在りましたかね?」
「いえ、実際に会うのは恐らくこれが初めてだと存じます。
最近眼を通した報告書にそれらしい人物が記載されていましたので」
涼の質問には公司が答え、涼は「そうですかそうですか」と朗らかな笑みを浮かべて言った。
「お二人は御夫婦ですかな?
とても仲良さそうに見えましたので」
涼の言葉に、公司と美影は少し恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた後、同時に首肯した。
その後、二人は涼としばしの談話を楽しんだ。
「お、やっと来たみたいだ」
時計の針が4時を指す少し前、玄関脇のソファで待機していたミスティは目的となる人物を発見した。
アタッシュケースのような旅行鞄を抱えたリー・ツァンがやっとチェックインを行ったのである。
散々旅館中を歩き回った結果、まだ目的の人物が到着していない事を悟った残りの一行は、こうして玄関脇の休息スペースで寛いでいた。
リーは何度も来ているためか受付の中年女性と親しそうにしばらく会話した後、渡された鍵を持って東館へ歩き始めた。
「それでは、私達は監視へ向かいます」
律子が腰を上げて任務開始を宣言し、ミスティも続いて椅子から立ち上がって残ったこのはと澪に挨拶をした。
リーが廊下の先に消える前に律子とミスティが追跡を始め、このはと澪は退屈そうにその後ろ姿を見送った。
「中々現れませんねぇ」
「だな」
その後、二人はアニスが現れる午後5時半までダラダラと時間を過ごしていた。
「話には聞いていたけど、これは大きいな」
脱衣所の扉を開けて開口一番、ミスティはそう感想を漏らした。
目の前に広がる大浴場はとても広大で、彼女の想像を遥かに凌駕していた。
並ぶ蛇口と鏡の群れは10や20ではなく、さらに平行に列を作っていた。
恐らくこの浴場で一番大きいと思われる壁際の大きな浴槽には100人は収容できそうなほどスペースが設けられている。
さらに彼女を驚かせたのが、これでもまだ温泉の半分にしか満たないという事実である。
各所には上階へ進むための階段が設けられており、この上に更なる温泉が存在していることを示している。
「ふふふ、その新鮮な反応もいいわね」
遅れて脱衣所の扉を開けたリーが、親しげに彼女に声を掛ける。
リーが温泉に到着する間に、ミスティは見事彼女と親交を深める事に成功していた。
2人が楽しそうに洗い場へ移動した後、頃合を見計らって律子が脱衣所の扉を開ける。
そして彼女もまた、ミスティと同じように目の前の光景に驚愕した。
「こんばんは。少し、お話相手になってもらえますか?」
夜の7時、夕食を終えたアニスがラウンジで寛いでいる所にこのはが声を掛けた。
結局夕方の5時半にチェックインを終えたアニスは、さきほどまで部屋に篭ったままだった。
やっと掴んだ機会を逃す訳もなく、このはは勇気を絞ってアニスに声を掛け、澪は離れた位置からその様子を見守っていた。
「ちょうど僕も退屈してたんだ〜☆ ほらほら、ここに座って☆」
無表情だった彼の顔が一変して、子供のように輝かしい笑顔になる。
このははその豹変っぷりに気圧されつつも、彼の隣に座って雑談を始めた。
「所で、このはさんは恋人さんとここに来られたんですか〜?」
その途中で不意にアニスが質問をして、このはの表情が崩れる。
「い、いえ、ここには女友達と来たのですけど‥‥」
「あちゃ〜☆ 読みが外れちゃった☆」
アニスはそう言って自分の頭をコツンと叩いておどけて見せたが、内心で不吉な笑みを浮かべていた。
「楽しかった。‥‥有難う」
「こっちこそ楽しい一時だった。また会おうな」
最後に硬い握手を交わした後、ホアキンとビリーは別れた。
無論、ホアキンはその場に止まる振りをして、密かにビリーの後ろを尾行するのだが。
中庭で長い長い談話を終えたホアキンが時計を見てみると、時針が7を、分針が16を指していた。
自分の記憶が正しければ、ビリーと会話を始めたのは午後2時過ぎ。
5時間もの間会話をしていたことを知ると、ホアキンは苦笑を浮かべずにいられなかった。
しかしビリーの姿が東館に消えそうになったのを見て、すぐさま東館の扉まで駆け出す。
ゆっくりと中の様子を窺ってみると、ビリーが階段を昇っていく所だった。
ホアキンも距離を保ちつつ階段を昇り、3階に向かっていない事を確認すると、2階廊下の様子を探った。
ビリーは牡丹の間の2つ隣、杜若の間へ入って行った。
ホアキンはしばらくそのまま様子を窺った後、百合の間に戻って監視した方がいい事に気付き、何食わぬ顔で部屋に戻った。
「おかえり」
「ただいま。監視はいいのか?」
ホアキンが部屋に戻ると、澪が部屋に運ばれていた夕食を食べている所だった。
澪は素早く、しかし丁寧に料理を平らげていく。
「監視対象が部屋に戻ってな。
向かいの菖蒲の間にいるみたいだからここで監視をしているんだ」
「なるほど。牡丹の間の隣がアニスの部屋なのか」
「そしてここに隣、藤の間がどうやらおリョウさんの部屋らしい」
「‥‥微妙に固まっているんだな」
ホアキンは何となく違和感を感じつつ、自分の分の食事を食べるために澪の隣に腰掛けた。
一方、ビリーは今日知り合った友の肖像画を部屋で静かに描き上げていた。
寡黙な彼は中々自分の思いを伝える事が出来ず、こうして絵に向けて表現することが多い。
このプレゼントを喜んでくれるか心配しつつ筆を握っていると、彼の携帯電話が突如として鳴り始めた。
友人の少ない彼の電話を鳴らす者はそう多くない。
ビリーは緊張した面持ちで携帯電話を取り上げた。
「これで、良かったのですかな?」
携帯電話に向けて、涼は緊迫した雰囲気で確認を行った。
その顔に穏やかな笑みは浮かべておらず、必死に電話の向こうの人物と話をしている様子が理解できる。
「ええ、向こうはこっちの正体には気付いていないと思います。
監視は相変わらずですが、悟られないように行動しているつもりです」
電話の向こうの人物の声は彼女にしか届かない。
涼はその言葉を聞き逃すまいと、真剣に耳を澄ませていた。
携帯電話の通話を切った後、リーは露骨に嫌そうな表情を浮かべていた。
その表情は電話の向こうの相手を恨み、同時に自責しているようにも見える。
しばらく彼女はぼんやりとテレビから流れる音楽を聴いていたが、ふいに立ち上がった。
そしてそのまま静かに扉を開けると、誰にも悟られぬようにどこかへ移動して行った。
「さてさて、これからどうなるのかな〜」
テレビもつけず、携帯電話をいじりながら、アニスは呑気に言葉を漏らしていた。
どうやら誰かに向けてメールを打っているらしいが、その内容は理解できない。
ただ、「裏切り」や「反逆」、「復讐」と言った単語を打っている事はその手元から判断出来た。
それぞれの思惑を抱えたまま時間は過ぎ、とうとう時刻深夜0時となってしまった。
一行は監視対象が一切部屋から出てこないことに安心しつつ、交代で様子を見張りながら就寝についた。
──2日目に続く