●リプレイ本文
その日、まひる(
ga9244)は怒りに煮え滾っていた。
対象は複数存在したが、それもまた彼女の怒りの炎を大きくした原因でもあった。
様々な思いが胸中で渦を巻き、混沌を成し、それを苦と感じる自分すらも腹立たしくあった。
そんな彼女を、カララク(
gb1394)とシア・エルミナール(
ga2453)が心配そうに見つめる。
2人はまひると親密な関係にあり、今回の彼女の動向に不安を募らせていた。
だが、空気が重く感じるのは彼らだけではない。
任務地へと向かう高速移動艇の中では、誰一人口を開けることはなかった。
聖・真琴(
ga1622)と月影・透夜(
ga1806)は身を寄せ合うようにして隣接して座り、お互いの手を強く握り締めている。
漸 王零(
ga2930)は黙って窓の外を眺め、冥姫=虚鐘=黒呂亜守(
ga4859)は読書に集中していて無言だった。
ルーシー・クリムゾン(
gb1439)も同じように口を噤んでいたが、その手には一枚の写真が握られていた。
彼女は哀愁の瞳でその写真を見つめ、堪え切れずに逸らすように窓の外へ視線を移した。
時刻がもうすぐ日付変更に迫る中、一行を乗せた高速移動艇は目的地へと到着した。
「シア、約束の物だ」
透夜が言いながら暗視スコープを差し出し、シアは礼を述べて受け取る。
現在一行は村の入り口に集結し、各自装備の確認と最終調整を行っていた。
何故か冥姫は無言でプリンを頬張っていたが、誰もそれには触れなかった。
ちなみに村の入り口とは言っても大きな看板がある訳ではなく、ただ麓からの道を辿って村の建物群が見え始めた辺りに集まっているだけである。
事前に地図でも確認しているが、村自体はそれほど大きくない。
村民も100人に満たない本当に小さな村だ。
深夜という理由だけにしては静か過ぎる村を目前にして、一行はそれぞれ決意と覚悟を固めた。
いつどこから奇襲を受けても対処できるように、円陣を組むような隊形でゆっくりと移動を始めた。
目標は意外と簡単に発見できた。
一行が戦闘の際に都合が良いと考えていた村のほぼ中央に位置する広場の真ん中に、月を見上げる人影が在った。
情報ではこの村の住人は老若男女関係なく全員殺害されているはずである。
つまり、その人影は目標以外の何者でもなかった。
蒼月に煌く様に腰まである露草色の髪を風に揺らす、女性の美しさに少女の可憐さを残した整った顔立ちの女性だった。
全身を黒いドレスで包み、両手には肘まである巨大な手甲を装備し、手甲の先からは30センチほどの4本の爪が生えていた。
彼女の名前はネネ。
今回の依頼のターゲットであり、元は一行と同じ能力者であった人間である。
誰かが唾を飲み込む音が周囲に響き渡った。
彼女が、広場に来る道中で目にした肉塊を生み出したものであると認識したせいだった。
とても落ち着いた表情をしているが、目に生気はなく、その頬には返り血と思われる血化粧が施されていた。
まるでこちらの事を捉えていないような虚ろな瞳に動揺する一行だったが、まひるはこれをチャンスだと考えた。
これから戦闘が始まるにせよ、いきなり奇襲を掛けられなかった事で会話を行う機会を得たからである。
心配そうにする他の者達を片手で制し、彼女にゆっくりと近付く。
その間ネネはまひるをじっと見据えるのみで、全く何も動作を行わなかった。
まひるは自分の距離まで移動すると、そこで止まり、口を開く。
「あんたがどれだけ悲惨な目に遭ったかなんて私には分からないけど、だからってこんな事をして許される訳がない。
それに、それが悪い事だとも気付かせずに死なせるなんて、こんな不条理、黙って許すものかよ‥‥!」
怒りの炎が、まるで口から漏れ出したかのような声だった。
その炎に焼かれたのか、僅かにネネの表情が揺らぎ、身動ぎさせる。
「あんたには生きてもらうよ。そして、自分のした過ちを思い知らせてやる。
その後あんたがどうするかは勝手だけど、今ここで死なせる訳にはいかない」
ネネは何も言わず、無言のままでまひるに体の正面を向けた。
後ろに控える他の者達はいつでも戦闘が開始できるように事前に話し合った通りの隊列を組む。
大きな蒼い月の下、ひどく冷めた瞳の女と、ひどく熱い瞳の女が睨み合っていた。
無限に続くように思えた沈黙は、掠れた女性の声で断ち切られた。
「アタシには、もう何も分からないわ。
大切な何か失って、アタシの何かは壊れてしまった。
もう一体何を失ったのかという記憶すらも失ってしまったわ」
初めて聞いたネネの声は小さく、強く風が吹けば飛ばされてしまいそうなほど弱々しいものだった。
ネネは血塗られた両手の武器と自分の手を見て、苦しそうな表情を浮かべる。
「失ったものを取り戻すには、あとどれだけ殺せばいいの‥‥?
アタシの失ったものを、貴女は持っているの‥‥?」
まひるは奥歯を噛み締めると、身の危険など頭から追い出して、ずかずかと容赦なくネネに歩み寄った。
仲間達が突然の行動に驚きと不安を表すが、ネネは自分の手に目を落としていてまひるのことなど気に掛けていないようだった。
行動を起こすべきか否か、何人かが葛藤するが、誰も足を踏み出す者はいなかった。
そこには、あるいはまひるなら‥‥という思いが込められていたのかもしれない。
目の前まで迫って、ネネはやっとまひるに気付いた様子だった。
その無表情な綺麗な顔を、まひるが思いっきり平手で叩く。
パァン、という小気味良い音が周囲に響き、仲間達を驚愕させ、さらにはネネにまで驚きが浮かぶ。
「忘れちまうようなものなら、それは大切なものじゃない。
あんたが本当になくしたくなかったものは何なのか、思い出せ!」
まひるの気迫に圧倒されたのか、ネネが全身を震わせ、戸惑い始める。
そして何かを必死で思い出そうとするが、その度に脳が激痛を起こし、彼女に頭を抱えさせた。
「あ‥あ‥‥あっ‥‥」
頭を抱えたまま膝をつき、ネネがまるでまひるに土下座をするような格好になる。
訳も分からず彼女の瞳からは涙が溢れ始め、次第に彼女は小さな声で泣き始めた。
まひるは静かに屈み、彼女の頭を撫でる。
「自分に負けちゃ駄目。どんなに辛くても受け止めて。
それが、あんたが愛した人に最高の手向けになるわ」
ネネは泣き顔でまひるを見上げた後、その胸に頭をうずめてさらに泣いた。
まひるはそれを優しく抱きしめ、仲間達は予想外の展開に相変わらず仰天の連続だった。
こうして事件は一件落着。
ネネは正気を取り戻して普通の人間に戻りましたとさ。
めでたしめでたし。
ザク、と感動的な風景には似合わない、とても嫌な音が聞こえた。
一行はすっかり気を弛めていて、しばらくそれが何の音であるか分からなかった。
「う‥‥あ?」
まひるの奇妙な声が響き、彼女の体から金属の爪が飛び出している事にやっと何人かが気付く。
残りの者が異常事態の発生を認識した時には既にまひるから爪は抜かれ、彼女は地面に伏していた。
さっきまで泣いていたはずのネネはすっかり落ち着いて、つい一瞬前にまひるを貫いた自分の武器を眺めていた。
地面に倒れたまま、まひるはピクリとも動かない。
刹那が数時間とも捉えられるゆっくりとした時間の流れを全員が体感した後、一斉に彼らは行動を開始した。
各々の武器を構え、ネネとの距離を詰めていく。
ネネはニタリ、と不気味な笑みを浮かべると、真っ向から一行に挑んでいった。
先ずは先頭を飛び出した王零が名刀「国士無双」で斬り掛かり、ネネはそれを眼前で両爪を使用して受け止めた。
「汝を許すわけにはいかない‥たとえ『無名』の力を借りようと‥‥形成『狂鬼王』‥‥我が前に立塞がった事を呪うがいい」
互いの武器を擦り合わせながら、王零は覚醒に続いて自己の内に存在する力を呼び出そうとする。
ネネはとても殺し合いをしているようには思えない晴れやかな笑顔を突然浮かべ、王零は不意を突かれた。
その腹に、ネネの膝蹴りが食い込み、王零は口から内蔵を吐き出すような衝撃を感じた。
素早く爪が振り払われ、その場に膝をつきそうになる王零目掛けてさらに爪による攻撃が行われそうになる。
「させないっ!」
2人の間に素早く真琴が割って入り、間一髪の所でネネの攻撃を弾いた。
そのまま無防備なネネへ真琴がルベウスを突き出すが、ネネは体を大きく後方へ逸らしてブリッジする形で攻撃を回避した。
ネネはブリッジの体勢から両腕に力を集中させ、サマーソルトのように真琴の顔を蹴り上げようとする。
真琴は慌ててこれを避け、ネネはそのまま着地して追撃の機会を得た。
「させるかっ!」
真琴をカバーするように、透夜がセリアティスを構えてネネに攻撃を行う。
ネネはこれを後方宙返りで逃れると、さきほどと同じように追撃の機会を得る。
瞬間、ほぼ同時に2発の銃声が響いた。
2つの弾丸は見事着地を終えたばかりのネネの右足を捉え、確かに命中した。
「やはり‥‥やるしかないんですね」
1発目の射手カララクは無言のまま、2発目の撃ち手であるシアは苦々しそうな表情で呟いた。
ネネは不思議そうに自分の足を見た後、何事もなかったように普通に立ち上がった。
「やはり、生半可な攻撃では行動に支障を及ぼさない、か」
その正面に、冥姫が巨大なハンターアクスを2本、それぞれ両手に構えて立ち塞がった。
ネネは冥姫の瞳を覗いて何かに気付いた後、再びニタリ、と不気味な笑みを浮かべる。
その顔を叩き潰すように、冥姫が片方のハンターアクスを振り落とす。
ネネはまるで蝶が舞うように大袈裟に回避行動を取ると、改めて一行を見渡した。
力はそれぞれ差があるが、3人以上同時に仕掛けてこなければ余裕だとネネは判断した。
唯一人、まだ攻撃を行っていないルーシーにネネが視線を向けると、ルーシーは悲しそうな瞳で彼女を見つめていた。
ゆっくりとした動作で、ルーシーは先ほど高速移動艇の中で握り締めていた写真をネネに突き出した。
そこには、失われたネネの『家族』が映っていた。
『家族』と言っても、それは血縁関係を持つ本当の家族のことではない。
彼女が愛する夫と一緒に作り上げた、傭兵仲間との集合写真だった。
それを視認した瞬間、彼女の瞳孔が急激に収束する。
そして、全ての動きが停止した。
だがそんな事など構う余裕もなく、一行は武器を構えて同時に彼女に攻撃を行ったのであった。
「やっと‥‥やっと、思い出せた」
月を見上げて、ネネは嬉しそうな声を出した。
その表情は凍り付いていたような今までのものと違い、心の底から晴れやかな微笑だった。
先ほどのように嘘の演技ではなく、本物の歓喜の言葉。
「ご迷惑をお掛けして、本当に‥‥申し訳、ありません」
次に彼女の口から零れたのは、謝罪の言葉だった。
最も迷惑を掛けられたであろうまひるは、幸い脇腹を刺し貫かれた程度で、内蔵は傷付けられていないようだった。
それでも、多量の出血と刺されたショックでかなり命が危なかったが。
「死ななかっただけでもめっけもんだよ」
蒼褪めた顔で、まひるが強がりの言葉を吐いた。
今はカララクに肩を支えられ、彼女の傍らに移動している。
反対側ではシアが傷の具合を心配そうにしていた。
あの後、避ける事もなく、受け止める事も無く、全員の攻撃を受け止めたネネは、ボロボロになって仰向けに倒れた。
左腕は切断され、右足はほとんどが弾丸で消し飛んでいる。
彼女が今も尚狂気に侵されていたならば、それでも一行を攻撃しようとしたであろう。
しかし、今の彼女には戦意など微塵も存在しなかった。
ただ、忘れてはいけない悲しみを思い出した喜びで、哀しい笑みを浮かべていた。
このままならば彼女は死を迎えるだろう。
だが、まだ今なら彼女の命は助かる。
幸いにもまひるの治療のためにUPC軍の救命班がこちらに向かっているという情報をシアが受けた。
彼女も一緒に搬送されれば、助かる可能性はある。
「最後に、確認させて下さい」
ルーシーがネネの傍らに座り、真剣な表情で彼女の顔を覗き込んだ。
「ネネさんはこれから、どうしたいですか?」
ルーシーはネネが口を開くまで、じっとその両目を見続けた。
ネネが視線を他に向けると、王零が黙って武器を構え、冥姫が本を読んでいた目をこちらに向けた。
ネネは迷っているというより、選択を許されるのか、という表情で全員を見回す。
それに答えるように真琴が笑顔を浮かべたのを見て、ネネは安堵の笑みを無意識の内に漏らした。
「彼のお墓、作りたいわ───」
その直後、彼女の頭はトマトを握り潰したように弾けた。
バグアは今回の『ルナティック』を実験と考えていた。
人間の精神を残したまま、それを利用した兵器の開発。
それはあまりに漠然とした構想で、実際に兵器としての価値があるか不明であった。
だから、バグアは保険をかけた。
肉体強化の際に彼女の脳に小さな爆弾を埋め込み、その戦意が完全に失われたのを感知すると爆発するように。
これは用済みとなった実験体の後始末であると同時に、死体をULTに回収されても問題ないようにするための工夫でもあった。
結果、バグアは今回の事件でそれなりの成果を得た。
ネネの死を引き換えにして。