●リプレイ本文
●仮想現実世界へようこそ!
寝転がるように実験室のシートに座り、目を閉じてそう間もなくのことだった。
ふいに自身の体が浮いているような感覚を覚えて、傭兵達は驚いて瞳を開けた。
するとそこは、先ほどまでの無機質な機材の並ぶ実験室ではなく、淡い空色に彩られたまるで海中のような空間だった。
海中ではないと判断させたのは、呼吸が出来ることと、重力を一切感じさせないことだった。
呆然と周囲の景色を眺め、傭兵達は仮想現実世界に入ったことをゆっくりと実感していく。
そしていつの間にか目の前に現れていた鏡を見つけた時、その感覚は確信へと変化した。
現実の自分とは逆の性別の自身の姿が、そこには映し出されていた。
佐藤 潤(
gb5555)は男性用のUPC軍服を着たままだったが、全体的に丸みを帯び、肉体は確実に女性のものになっていた。
身長はほとんど変わらず、大人の雰囲気を漂わせている。
一方、冴木氷狩(
gb6236)は元の趣を多く残し、細身ながら女性的な体へと変貌していた。
身長は男性時よりも少し縮み、百五十七センチとなっている。
唯一の女性参加者、樋口 舞奈(
gb4568)は逞しい男性的な肉体と、美少年と呼ぶに相応しい精悍な顔立ちを手に入れた。
最初は違和感を覚えていた舞奈だが、よく観察すれば髪形や顔は元の印象を残しており、慣れるのにそう時間は必要なかった。
自身の変わり様に驚きと感動を覚えていると、しばらくして世界が眩い光を放ち始め、傭兵達は再び瞼を閉じた。
●夢の一時の始まり
再度傭兵達が目を開けた時、世界はまたしても一変していた。
煩わしさを覚えない程度の人数と、騒がしさ。華やかな景色と陽気な雰囲気。
行き交う老若男女様々な人々は笑顔を浮かべ、それぞれの目的のために歩いている。
遠くで爆発音を聞いて視線を向けてみると、北にある巨大な城から花火が上がっていた。
そのまま視線を手前に戻すと、『ミラクルランドへようこそ!』の文字が凝った装飾の門に描かれている。
そこが今回の舞台となる仮想遊園地だと把握すると、傭兵達は時間を惜しむように行動を開始した。
氷狩と舞奈はお互いの格好を確認すると、それぞれの感想を述べた。
「おー、これは‥‥あれ? 意図してなかったけど微妙に兄君に似てる?」
遊園地入り口の噴水で水面に映る自分の顔を改めて確認して、舞奈は苦笑を浮かべる。
ちなみに今はTシャツの上にジャケット、下はジーンズと比較的ラフな格好をしていた。
「ウチ、ちょっと背ぇ小さくなったくらいで、やっぱり普段と何も変わらへんね」
隣で同じように自分の姿を再確認して、氷狩は代わり映えのなさを照れるように笑った。
元々氷狩は女性的な格好をしているため女性の服に違和感がなく、むしろ本当に女性となったことでより一層の魅力を醸し出していた。
その頃、潤は自分の体に手を触れて感触を確かめると、いきなり傍を通りかかった男性に抱きついた。
しっかりとしたプログラムが組んであるらしく、抱きつかれた男性は慌てつつも嬉しそうな表情をしている。
だが潤は冷静に自身の状態を分析し、事前に考えていた確認項目の結論を脳内で導き出していた。
肉体の変化に伴い思考や趣向が変化する可能性を考えていたが、それは杞憂だったらしい。
感じ方や考え方はやはり本来の男性的なものであり、特別な感情は一切感じられなかった。
早々に男性から離れ、詫びを告げて歩き出す潤。
最初は他の傭兵達と合流するつもりだったが、仲良さそうに歩く舞奈と氷狩の後ろ姿を見て、潤は野暮な真似はするべきではないと合流を諦めた。
ならば、と潤は自身の目的を遂行するため、一先ず女性服を手に入れようと貸し衣装屋へ足を運び始めるのであった。
その道中で、潤は新たな疑問を誕生させた。
「長期間このままだとどうなるんだろう?」
●『仮想現実世界』の可能性
例えるならば、それは処刑台への階段を昇る罪人の気持ちに酷似していた。
一歩、また一歩、『死』という終点に向けて進んでいく。
無論、彼らは罪人ではないし、本当の罪人の心情など全く知らない。
それに彼らの向かう先は終点ではなく、むしろ始点と呼ぶ方が相応しかった。
だが、彼らと罪人は『緊張している』という点では共通していた。
分かりやすく説明するならば、彼らはジェットコースターに乗り、まさに今、最初の上り坂を終えようとしていた。
「き‥‥」
気の早い女性の声がどこからか聞こえる。
だがその正体を見つけ出す暇もなく、ジョットコースターは突然の加速と共に地面への垂直降下を開始した。
「きぃぃぃやぁぁぁぁ‥‥」
女性の叫び声は後ろに流れ、加速を止めずジェットコースターは螺旋の線路を高速で駆け登る。
その後、ジェットコースターは再び急降下を開始し、大きな円を描いて初めて速度を緩めた。
涙と絶叫と数名の失神者を乗せたジェットコースターが初期位置に戻ったのは、発進してから僅か五分のことだった。
「け、結構スリル満点やったな」
余裕の発言に若干の余裕のなさを含めながら、氷狩は舞奈の腕にしがみ付いていた。
ちなみに、これは演技である。
決してアトラクションが予想以上の出来だったり、性別転換に伴う身体の変化に付いて行けずに恐怖心を抱いた訳ではない。
足が震えているように見えるのは気のせいである。
一方の舞奈は、終始無口だった。
こちらは氷狩と同じ理由もあるが、少し緊張しているせいもあった。
舞奈は男性の体になったことで紳士的なリードを試みているのだが、内面に変化がないため、先ほどから四苦八苦しているのだ。
そんな舞奈の内心を悟ってか、それまで多くのアトラクションを希望していた氷狩が突然休憩を申し出た。
ちょうど近くに蔦の絡まる木造のカフェがあったので、二人で中に入る。
メイド服を着こなす女性店員に従って店内を歩くと、窓際の風通しの良い席に案内された。
メニューの最後に書かれていた『ドリームスペシャルDX』というパフェを二つ頼み、しばし雑談を楽しむ。
「そういえば、この世界って『お金』がないんやね?」
急に不安を覚えて、氷狩は疑問を口にした。
舞奈は氷狩を安心させるように微笑んで、
「たしか、全部無料らしいよ」
と、教えてあげた。
事前に説明があったはずだが、恐らく性別転換の感動や遊園地で楽しんでいる内に忘れてしまったのだろう。
事実、舞奈も半分以上当たり前のようになって忘れてかけていたが、リードをせねばという義務感が最後の鎖を繋ぎ止めていた。
忘れていた事を恥じつつも覚えていた舞奈に素直に感服し、褒め言葉を告げる氷狩。
その言葉を聞いて、舞奈はやっとリードができそうな予感がしていた。
頃合を見計らったように、席に案内した女性店員がパフェを運んできて二人の前に並べる。
メニューには写真が載っていたが、その明確な大きさについては一切記述がなかった。
だから、二人は目の前に置かれた山のように巨大なパフェを見て、思わず笑うしかなかったのだ。
ちなみに中身は、バニラアイス、チョコアイス、ストロベリーアイス、抹茶アイス、マロンアイスの五種類。
それにプリンや生クリーム、チョコスティックやクレープ、数種類のフルーツに、様々な味と色のシロップ等で豪華に盛り付けされている。
高さ一メートルを超えるこのパフェは、通称『甘味の霊峰』と呼ばれていたりする。
●好奇心をそそるもの
「これは‥‥初めて着るとゆうことを考慮しても、もの凄い違和感がありますね」
貸し衣裳屋を出て、改めて自身の姿を眺めるなり潤はそう呟いた。
貸し衣装屋ではお姫様が着るようなドレスを着たりしてみたが、結局は動きやすさを優先して普通のワンピースを選んだ。
本人は不服なようだが、傍から見れば悪くない──むしろ、かなり良いと言える可愛さだった。
長身のおかげか長く引き締まった足が目立ち、それにワンピースという選択によって、より美しさを際立たせている。
現にコンピュータ制御の男性が数名、潤の姿に目が釘付けとなっていた。
──というか、プログラムの出来が良過ぎだ。
そんなことなど夢にも思っていない潤は、視線に気付くことなく次なる確認のために近くの飲食店に入った。
こちらは舞奈と氷狩の入ったカフェと違い、やや中華風味な内装となっている。
何故中華料理屋は全体的に赤色が多いのか潤が疑問に思っていると、注文した品が運ばれてきた。
潤が注文したのは、苦味のあるお茶と胡麻団子だった。
確認事項その二は、感覚変化の確認。
潤はまず熱いお茶に軽く息を吹き掛け、一口飲んでみた。
ほどよい温かさと茶葉の香りが口の中に広がり、一瞬だけ舌が苦味を感じると、次の瞬間には心地よい喉越しで食道を下っていく。
これは実際の味と変わらない気がしたが、そもそもよく飲むお茶ではないので、確信は持てなかった。
次に、潤は胡麻団子をテーブルに置かれた箸で一つ抓み、口の中に放り込んだ。
胡麻の風味と砂糖の甘味の塩梅はちょうど良く、出来立ての温かさが一層の味と触感を演出していた。
こちらも記憶している味と変わらない。むしろ、こっちの方がおいしいと潤は考えていた。
その後、夢中になって胡麻団子を平らげてから、潤は結論を下した。
味覚に変化は見られない、と。
最後にゆっくりとお茶を飲み干し、しばし園内地図を見た後、潤は感覚調査の延長と自分に言い訳して、とあるアトラクションに向けて歩き出した。
目指す先はジェットコースター乗り場。
失神者続出という売り文句のこのアトラクションに、潤は期待を隠し切れなかった。
●楽しい時間は刹那の如く
絶叫系アトラクションをほぼ制覇した潤がベンチで寛いでいると、独特なチャイム音に続いて園内放送が流れた。
「只今から十分後、中央広場で特別イベントを開催します」
美しい女性の声で、終了間際に行われるという催しの開始時間と場所が告げられる。
潤は近くに設置された時計を見た後、中央広場への道順を思い出しながら腰を上げた。
流れる人の波が案内役をしているのは、現実も仮想現実も変わらない。
むしろ、現実に似せて作られている仮想現実の欠陥かもしれない、とぼんやり潤は考えていた。
時折道を間違えたり、その度に地図を確認していたせいか、潤が中央広場に到着した時には既に最後のイベントが始まっていた。
間に合わなかったことに少しだけ苛立ちを覚えつつ、仲間の姿を求めて視線を泳がせる潤。
イベントは中央広場北にあるステージで行われ、それを囲むように客達は弧を描いていた。
その弧の南西にいた潤が、弧の東側にいた舞奈と氷狩を発見出来たのは奇跡と言っても差し支えないだろう。
偶然にも二人の近くで花火が上がったおかげで、見つからないという事態を回避できた。
二人は腕を組んでおり、氷狩は舞奈に肩に頭を寄せていた。
恐らく、「綺麗やね。また来ようね」と氷狩が舞奈に告げているに違いない。
その様子を見て苦笑を浮かべた後、潤は目の前で行われているイベントに意識を集中させた。
遊園地のキャラクター達が、まるで競うように花火を上げるというイベントだった。
ストーリー仕立てらしく、キャラクターの個性がよく分かる様々な花火が上がっていく。
最後にメインキャラクターが登場すると、一番大きな花火を上げて勝利を掴み取った。
その後は、全員で協力して綺麗な花火を次々と上げる。
それもいよいよ佳境に迫った時、遊園地の色々な場所から一斉に花火が上がり始めた。
一瞬にして周辺は騒音と歓声に包まれ、イベント会場は眩いばかりの大量の花火に彩られた。
余りの煌びやかさに傭兵達が思わず目を閉じると、まるで夢から覚めるように遊園地が遠くなっていく感覚を覚えた。