●リプレイ本文
「では、我々は2階の窓から周囲の索敵と、本隊との連絡を取ればいいのだな」
「うんっ、お願いするよ」
兵士たちの確認に、クラウディア・マリウス(
ga6559)が元気よくうなずいた。
先ほどは老医師と兵士が話をしていた産院の受付で、今度は傭兵たちと二人の兵士が打ち合わせをしている。
「特に包囲網から逃げてきたキメラのことを教えてもらえると嬉しいかな」
「戦闘はほぼ全て任せきってしまうことになってしまうのが、こちらとしては心苦しいのだが。しかし、能力者たちの近接戦に我々が出しゃばると、足を引っ張ってしまうことになりかねないからな」
「もちろん、援護射撃程度なら喜んでやらせてもらうが」
「その申し出は大変ありがたいのですが、それよりは周囲の警戒を重視して頂けると助かります。今回はこちらの編成も偏っているもので」
「そうですね。何しろ急なお話でしたから」
白鐘剣一郎(
ga0184)の言葉に、石動小夜子(
ga0121)が同意を示す。
実際、参加する傭兵たちの顔ぶれと言えば、クラウディア以外は白鐘に石動を含めて近接戦のスペシャリストばかりだ。攻撃的なミッションならそれも悪くないのだが、今回のように受け身にならざるを得ない状況では、あまり良い編成とは言えない。
「確かに急な話で御座った。しかしそんな中で、これだけの戦力がそろったのは僥倖と言うもの」
オットー・メララ(
ga7255)が神妙な面持ちで院内に目を向けた。
奥にある分娩室では、もうすでにお産が始まっていた。クラウディアたちが到着した時には、民間人4人は分娩室にこもっていてその顔を見ることもできなかった。ただ、扉の奥から響いてくる声を聞いただけで、彼らは彼らなりの戦いを始めているのだと全員が理解した。
「うんっ、そうだよね。生まれてくる赤ちゃんのためにも、私たちもがんばらなくっちゃ」
「クラウディア殿のおっしゃる通り。人の世がどう変わろうとも、子こそ真の宝。それを守ることこそ、武士(もののふ)の本懐に御座る」
オットーが自分の言葉に大きくうなずく。兵士たちは複雑そうな顔でそれを見ていた。
「了解した。それでは、作戦の終了までよろしく頼む」
「うんっ、こちらこそ!」
夜十字信人(
ga8235)の背後に、翼を持つ少女のような影が揺らめいている。輪郭はぼやけていて、表情も判然としない。陽炎のような少女を従えて、夜十字は一心不乱に穴を掘っていた。
産院の裏口に位置するこの場所で、レイアーティ(
ga7618)はあきれた表情でそれを見ていた。
「夜十字君はいったい何をやっているんですか」
「落とし穴」
当然だろう、と言わんばかりに、夜十字は手を止めず、振り返りもせずに答える。
「そんなことは見ればわかります。私が聞いているのは、なぜ覚醒をしているのかと言うことです」
「作業がはかどる」
レイアーティはこれ見よがしに大きくため息をついた。それでようやく、夜十字は手を止めてレイアーティに目を向けた。気分を害したのかと一瞬心配したが、夜十字は無表情のままで感情を読むことができなかった。
「キメラがいくつ来るかもわからないのに、ずっと覚醒しているわけにもいかないでしょう。1時間や2時間で終わる任務ではないのですよ」
作業に戻りかけていた夜十字が、驚いたような顔で振り向く。レイアーティはここに来てから初めて夜十字の顔に表情らしいものを見た気がした。
「なんです、その今気づいた、みたいな顔は」
「今気づいた」
夜十字の背後に寄り添っていた少女の影が、溶けるようにして消え失せた。
それからまた、夜十字は落とし穴を掘る作業に戻る。覚醒時に比べて、確かに効率は悪くなっているようだ。シャベルでかき出される土に、勢いが感じられない。それでも、普通の人がするより遙かに効率的ではあるのだが。
レイアーティは、そんな夜十字の様子に一抹の不安を覚えてしまう。しかしこれ以上のことを言うのも、なんとなくはばかられる。結局、そのまま建物の窓に目張りする作業に戻るしかなかった。
夜十字は、離れていくレイアーティには目もくれず、ひたすら穴を掘り続けている。
「さて、そろそろこれでいいだろう。あまり完璧にやると、今度は終わってからが大変だ」
「うむ、そうだな」
窓に目張りを打ち付けていたザン・エフティング(
ga5141)と漸王零(
ga2930)がうなずきあう。
実際には、目張りと言うよりは侵入防止柵程度のものだった。窓枠に木の棒を数本、等間隔に並べて打ち付けただけの簡易なものだ。それでもキメラがよほど小さなサイズのものでない限り、そうやすやすと入り込むことはできないだろう。無論、それなりの大きさになったキメラだと、力任せに押し入ることはできる。しかし、それを少しの間足止めできればいいのだ。遊撃担当の自分たちが駆けつけられる時間を稼ぐことさえできれば。
「では、我は周囲の巡回に向かうとしよう。鳴子の用意もせねばならぬしな」
「ナルコ、ってなんだ?」
「罠の一種で警報器のようなものだ。敵が引っかかれば、音で知らせてくれる」
「用意が良いんだな」
「これから作るのだ。ロープと木材で、簡単なものをな」
「へぇ、器用なもんだ」
「とにかく、建物周辺の警戒は汝に任せるぞ」
「任せろ。この銃と刀で、この世に無用の悪は斬ってみせるさ」
ザンが指先でテンガロンハットのつばを押し上げると、陽光を反射して歯がきらりと光った。
「良い天気だね〜」
緊張感のない声がクラウディアの口から漏れる。
産院の屋上にオットーと二人で陣取ったは良いものの、それから数時間経っても状況はまったく変わっていない。春の陽気と心地よい風に揺られて、のどかな空気を追い払えない。この空の下、そう遠くない場所で激しい戦闘が行われているはずなのだが、その想像も優しく吹き払われてしまう。
やわらかな空気に負けまいと、クラウディアは双眼鏡を使ったり額に手をかざしたりして周囲に視線を飛ばしていた。そしてオットーは、そんなクラウディアの横顔に見とれていた。
「うん? どうしたの、オットーさん」
「い、いや。どうもしないで御座るよ」
反射的に顔を背けるオットーに、クラウディアは不思議そうな顔をする。
「す、少し暑いで御座るな! もう夏も近いで御座る!」
手で扇ぐようにして顔に風を送る。オットーの顔が少し赤くなっていた。
「うーん? そんなに暑いかな?」
クラウディアは空を見上げる。青く澄み渡った空に白い雲、輝く太陽。確かに夏を予感させる要素は多かったが、オットーの言うような暑さはあまり感じられなかった。
オットーが口を開きかけたとき、通信機から声が漏れてきた。
『本隊より入電』
ゆるんでいた表情が瞬時に引き締まる。穏やかな空気が一瞬にして吹き飛んだ。
『包囲網を突破したキメラ有り。3体の4足獣型が市街方面へ逃走。市街に侵入するのはおよそ20分後と推測される。以上』
クラウディアが大きく息をつく。オットーは本隊が作戦を展開させていると言う山の方面へ厳しい目を向ける。
「ついに来るで御座るか」
「うん。できればこのまま、何事もなく終わってくれればよかったんだけど」
「そうで御座るな。しかしそううまく行かないのも世の常というもの」
そうだね、とつぶやいてクラウディアは再び空を見上げる。相変わらず太陽が輝いている。その光には神々しささえ感じるほどだ。その一方で、巨大な遊星が浮かんでいる。その禍々しい姿には、いつになっても見慣れることがなかった。
産院敷地の表口に陣取っていた白鐘が、腰の刀をすらりと引き抜く。刃が陽光を反射して鈍い光を放った。
「ようやく来るか、招かれざる客が」
前方に鋭い視線を投げかける。その先にはキメラの姿があった。犬型の動物をベースにしているらしく、走り方もそれとよく似ていた。ただし、その大きさが異様だった。大柄な人ほどもありそうだ。猫科ならば虎やライオンといった例もあるが、犬型でそれほどの大きさの動物は自然界で見たことがない。
そうして待ちかまえる白鐘の横で、石動がおもしろそうにくすくすと笑いを漏らした。
「どうした、石動」
「ごめんなさい。白鐘さんの言い方がおもしろかったんです。招かれざる客を、待ってたみたいで」
石動の指摘に、白鐘は苦笑を漏らした。確かにその通りだ。まるっきり変化を見せなかった状況に退屈をもてあましかけていた部分もあったが、それ以上に自分は戦いを望んでいる節がある。改めなければならない部分だ、とひとりごちた。
「さぁいくぞ、石動。準備はいいか?」
「はいっ、大丈夫です!」
3体の巨大な犬型キメラは、もう目前に迫っていた。
「始まったようですね」
産院敷地の裏口に陣取っていたレイアーティと夜十字が、表玄関の方に視線を向ける。建物の影になって見通しは立たないが、戦闘の気配は十分に感じ取ることができた。気を抜くと、すぐにでも応援に駆けつけたくなる。だが、二人はどうにかしてその衝動を抑え込んだ。
キメラには知能がない。その認識はほとんどの場合において間違ってはいない。先の五大湖解放作戦のような大規模戦闘ならまだしも、今回のような地方での散発的な戦闘に高度の知能を備えているようなキメラがいるとは考えにくい。よしんばいたとしても、そもそもその程度の戦闘から逃走してくることなどまずないだろう。つまり、表口での戦闘が陽動であるとは考えられないのだ。
「陽動じゃないにしても、数にものを言わせて多方向から押し寄せてくることもありますからね」
自分に言い聞かせるようにつぶやく。レイアーティの言葉に夜十字もうなずいてみせる。
表に現れた3匹のキメラの逃走以降、本隊からは新たな状況の変化は伝えられていない。それでも、持ち場を離れるわけにはいかなかった。いつ何時、どのような変化が起こるとも限らない。それが戦場というものだ。
『裏口班! その場に待機しているか!』
通信機から飛び出した漸の声に、二人は思わず顔を見合わせた。
「もちろんです。どうかしましたか」
『キメラが現れた! かなりの数だ!』
「それはおかしいですね。軍の本隊からはまだ何も」
『しかし現に迫っている! 我一人では捌ききれぬ!』
「わかりました。そちらへ援護へ向かいますか」
『いや、その場で待機だ! キメラどもをおびき寄せてそちらへ誘導する!』
「了解です。お気をつけて」
通信機から声が途絶えると、レイアーティと夜十字はうなずき合う。
二人は漸がキメラを引きつけて来るであろう方角に、厳しい視線を向けた。その姿はまだ見えない。しかし首筋があわ立つような感覚がわきたつ。
それぞれがそれぞれの武器を確かめるように、手に構えた。
「どういうこと?」
クラウディアが通信機を通して、本隊と連絡を取っているはずの兵士たちに問い合わせる。本隊から連絡が入ったのは最初の3匹だけ。しかし実際現れているのは、それを遙かに上回る数だ。いくらなんでも見落とせる数ではない。
だが通信機から返ってきたのは、要領を得ないものばかりだった。
『こちらでも本隊に問い合わせているが、向こうも混乱しているようだ。どうも想定していた以上のキメラが山に潜んでいたとかで、包囲線の維持も難しくなってきているらしい』
よほどの事態が発生しているらしい。答えた兵士の声質にもその混乱ぶりが伺えるようだ。
「でも、さっきの3匹以降は連絡がないってことは、まだ包囲線は維持されていると考えていいのね?」
『多分。向こうの参謀が言うには、包囲線の外側にもキメラが潜んでいた可能性があるとのことだ』
「それが包囲線に向かわず、こっちへ来たということ?」
『おそらくは』
つまり、これ以上は本隊からの連絡はあまり当てにしない方がいいということだ。信用しないというわけではなく、それ以外にも攻めてくるものがあるということだ。
「大変なことになっちゃったな」
裏口ではもうすでに戦闘が始まっている。表口の方でも、例の3匹以外にも新たなキメラが現れたらしい。
いったいどれだけのキメラが付近に潜んでいたというのか。その全てがこの産院に向かっているのだろうか。市民は全て避難していて、キメラの襲撃対象となりうる人間は、今はこの産院にしかいない。
次の瞬間の状況を想像して、クラウディアは思わず身震いしていた。
「クラウディア殿! 危ない!」
「きゃっ」
腕を捕まれたと思ったら、力任せに引っ張られた。次の瞬間には、クラウディアの小柄な体はオットーの腕の中に収まっていた。何があったのかわからずに、クラウディアはオットーの顔を見上げる。その顔は、空中のある一点をにらみつけていた。
キメラがいた。昆虫型、それも蜂の姿をしているキメラだった。昆虫とは言え、その姿はそら恐ろしくなるほどの大きさだった。尾の先から針を飛ばしてくるらしく、威嚇するかのように尻部を突き出している。
先ほどまでクラウディアが立っていた場所には、巨大な針が突き立てられていた。
「どうやら、ここが正念場のようで御座るな」
オットーの軽口を叩くかのような口ぶりに、クラウディアは別人を見るかのような錯覚を覚えた。先ほどまでのオットーとはまさしく別人だった。優しげに微笑む顔はそこになく、戦を望み、そしてそれを楽しむ修羅のような顔があった。
「クラウディア殿、立てるで御座るか」
「う、うん」
クラウディアは、あたりのあまりに変わり果てた様子に、悲しみさえ覚えた。
穏やかな空気はすでになく。
あたりに響くのは剣戟と銃声。
そして獣の咆吼。
そこはまさしく、戦場だった。
音が、途絶えた。
あたりに響いていた剣戟も銃声も、獣の声さえも途絶えた。
聞こえてくるのは、荒く息をつく声だけ。
日はすでに落ち、あたりは暗闇に包まれていた。
産院からかすかに漏れてくる電気の光と、空に輝く星だけが、あたりを照らす明かりだった。
おびただしいキメラの死体に埋もれるようにして、傭兵たちは疲労にまみれて荒い息をつく。
その耳に、かすかな声が届いた。
その日、初めて聞く声。
死に埋もれた中で聞くには、異質とも言える声。
ただただ無邪気に、存在を主張するかのような声。
それは、未来を信じて疑わない、聞く者全ての心に透き通る声だった。
喜びにむせび泣く者と胸を貸す者。
顔を見合わせて微笑みを交わす者。
拳を付き合わせる者。
うなずきあう者。
そう、未来は生まれるのだ。
どんなに世界が変わろうとも。
未来とは、新しい命が紡ぐのだ。