●リプレイ本文
むせかえるような植物の臭いだった。青臭い葉と腐葉土の臭いに花のような甘い香りと糞尿にも似た悪臭が入り交じって、臭覚が麻痺してしまいそうになる。そしてこの暑さだ。生い茂る木々のおかげで直射日光は避けられるが、高すぎる湿度のせいで数字以上の温度を感じる。じっとりと吹き出す汗が乾燥せずに衣服を不快に湿らせる。動かずにいるだけでも、体力がじわじわと削り取られていくようだった。
「うへぇ、すごいところだね、ここは」
白鴉(
ga1240)が長槍を杖のように地面につき、顎の先から滴となってしたたり落ちる汗を腕でぬぐう。
「お前さん、ジャングルは初めてかね」
ルフト・サンドマン(
ga7712)が行く手を遮るように茂るシダ類を切り払いながら、背後の白鴉に声をかけた。皆と同じように汗が噴き出しているようだが、それほど苦にしている様子がない。
「ボウズにゃこの任務は荷が重かったかもしれねぇな」
ブレイズ・S・イーグル(
ga7498)が底意地の悪そうな笑みを浮かべて白鴉をからかう。ルフトに並んで下生えを切り払う手つきは、実に慣れた様子だ。
「子供扱いすんなよな! 俺だってあんたらと同じ傭兵なんだ」
「へっ、言うじゃねぇか。だったら、もう少し周りに気を配るんだな」
「わかってるよ!」
今まで静観していたゼシュト・ユラファス(
ga8555)が、右手を挙げて全員の注意を集める。
「見たまえ」
ゼシュトは前方の1点を指し示す。
絡み合うようにして立ち並ぶ木々の隙間に、倒れかかった樹木のようにヘリの尾翼が突き立っていた。
全員の足が自然と速くなる。程なくして、その場にたどり着いた。
変わり果てたヘリの姿に、それぞれがそれぞれの反応を見せた。息を呑む者、ため息をつく者、舌打ちする者、胸の前で十字を切る者。
不時着と呼べるのかどうか。ヘリの後方は数十メートルにわたって木々がなぎ倒され、地面には大きくえぐられた跡が残っていた。回転翼は折れ曲がり、その根元には何かがからみついている。コクピットは大きくひしゃげて、半ばまで泥に埋まっていた。
濃い緑の臭いに混じって、すえた臭いが鼻をつく。
ブレイズとルフトが顔を見合わせる。
「なんだよ」
事情を飲み込めない白鴉が、わかったふうな2人に不満の声を上げる。
「死臭、ですね」
「ああ」
アルヴァイム(
ga5051)の沈んだ声に、ゼラス(
ga2924)がため息をつくようにうなずいた。
暁・N・リトヴァク(
ga6931)が、開け放たれていた後部デッキに顔をつっこんだ。ティーダ(
ga7172)とゼシュトが、その後ろからのぞき込む。好奇心につられた白鴉がさらに追随した。
顔を背けたくなるような光景だった。
人間の死体がふたつ、折り重なるように倒れていた。
ヘリがここに墜落してから、すでに数日が経っている。その間、ずっとここでさらされていたらしい。死体はすでに腐敗が始まっており、大量の蝿がたかっていた。死体そのものも綺麗な状態ではなかった。虫か動物か、あるいはその両方か、それに加えてキメラもだろう。肉という肉が食い破られていた。闇の溜まった眼窩が空をにらみ、むき出しになった歯の並ぶ口は大きく開かれて、断末魔を上げているように見えた。
「ヒデェな、こいつは」
「さぞかしつらかったじゃろうて」
白鴉と入れ替わるようにして中をのぞいたブレイズとルフトが嘆息する。
「どうやら、ヘリのパイロットの1人と前線で収容した負傷兵の1人のようだな」
ゼシュトは遺体の首元に転がっていた認識タグを取り上げて、要救助者リストと付き合わせて確認する。それから、アルヴァイムに指示を出して遺体収納袋をふたつ用意させた。
「遺体はこの袋に収容して、この場に置いていこう」
「そんな! ふたりをこのまま放っていくんですか!?」
ティーダが涙をたたえた目でゼシュトをにらみつける。
「仕方あるまい。彼らを抱えたままでは、私たちが危険にさらされることになる」
「で、でも!」
「落ち着きたまえ、ティーダ君。何もこのまま放置していくわけではない。残りの要救助者を確保してから、回収ヘリとの合流までにピックアップすればいいことだろう」
「ゼシュト様のご提案は合理的です。私たちの方が遭難してしまうようでは元も子もありません。それに、皆様の気持ちはティーダ様と同じなんです。きっと彼らも連れて帰れますよ」
そんなやりとりを、白鴉はひとり離れた位置で見ていた。
遺体を袋に収容し終えたブレイズとルフトが白鴉に近づく。
「どうしたボウズ、ショボくれたツラして」
「ショックだったんじゃろう。あんな状態の遺体を見るのはわしらでもキツイからの」
「そ、そんなこと!」
「頭を切り換えろ。戦場じゃ、いつまでも引きずってるヤツからまっ先におっ死ぬんだ。この先も傭兵をやっていくんなら、さっさと慣れるんだな」
言い捨てるようにしてブレイズは背中を向ける。
白鴉は、視線を落として長槍の柄を握りしめた。
「乱暴な言い方じゃが、あやつの言う事は間違っておらん。それに、あのふたりには間に合わなんだが、わしらの救助を待ってる者がまだおるんじゃ。気落ちしてるヒマはないぞい」
ルフトの大きな手が、白鴉の華奢な肩を叩く。白鴉は顔を上げて、ひとつうなずいて見せた。
墜落現場から先は、2班に分かれて捜索を続けることになった。
ティーダは周囲に気を配るが、今のところそれらしい気配は感じられない。近くに感じるのは、ゼシュトとアルヴァイム、ゼラスの息づかい。そして少し離れた位置にいる別動班のものだけだ。
うねるように曲がりくねった樹木の数々、からみつく蔓やツタ、足下を覆い隠すほどのシダやコケ類で、見通しがまるで立たない。この様子では、墜落現場で焚いた発煙筒もあまり意味をなさなかったかもしれない。密林に降り立ってからずっと無線機に呼びかけ続けていたが、反応は一度も返ってきていない。墜落の衝撃で故障したのか、あるいはキメラに襲われて持ち出すヒマもなかったのか。どちらにしろ、無線機への呼びかけはこれ以上続けても無意味だろう。
「むこうは派手にやってるな」
ゼラスが独り言のようにつぶやく。
別動班のいる方から、要救助者たちの名を呼ぶ声が聞こえてくる。草をかき分けたり切り払ったりするのも、むやみに大きな音を出していた。キメラに対する牽制の意味を含んでいるのだ。彼らがキメラを誘い出すことによって、こちらの班は危険から離れた位置で要救助者たちの痕跡を見つけることに集中できるという寸法だ。
森がふるえた。
ゼラスが皆の動きを制するように、右腕で合図を送る。しかしそうするまでもなく、全員が動きを止めて息を潜めていた。
別動班のいるあたりから怒号が上がる。もくろみ通り、キメラをおびき寄せることに成功したようだ。剣戟に銃声、耳障りなキメラの鳴き声が聞こえてきた。
キメラたちが別動班へ集中しつつあるのを確認して、ゼラスたちは前進を再開した。
程なくして、小さな水の流れに行き当たった。それほど大きな流れではないが、少なくとも今日明日にでも流れが消え失せるということはなさそうだ。
「このあたりにいてくれればいいのだけど」
ティーダが周囲をぐるりと見渡す。墜落現場からはそれほど離れていなかった。
キメラに襲われることを考慮すれば、ヘリからはなるべく離れておきたいところだ。しかし、負傷者を抱えた足ではそれほど遠くまで移動できないだろう。加えて水場の確保が絶対条件。となれば、このあたりで野営している可能性が非常に高いと言える。
「正解のようですよ」
アルヴァイムの指差した先に、缶詰のフタのようなものが泥に埋もれるようにして落ちていた。真新しいもので、サビひとつ無く光沢を保っている。その周りには、いくつかの足跡を見つけることもできた。
「急ぐとするか。予定時間を過ぎれば、俺たちまで野営するはめになっちまう」
回収用ヘリの燃料のことを言っているのだ。現在は上空で待機中だが、時間になっても傭兵たちからの連絡がなければ、1度帰投することになっていた。
「こちらのようです」
いくつかの足跡が、水場とは反対方向へ向いている。彼らの野営地はそちらの方にあるのだろう。注意深く歩を進めると、それらしき場所はすぐに見つかった。
下生えを払って踏み固めた土の上に、たき火の跡がくすぶっている。すぐそばには大きめの岩がいくつか寄り添うように固まっており、その岩を覆うようにして大きな枝葉がいくつもかぶせられていた。お世辞にもテントと言えるほど上等なものではないが、どうにか夜露がしのげるようには作られてあった。
「おい、誰かいるのか?」
「ミレイユさん? ミレイユ・コーナーさん?」
墜落現場にいなかった要救助者の名を順に呼びかけていくが、返事はひとつも返ってこなかった。最悪の結末が頭をよぎる。ティーダは警戒も忘れて、足を踏み出した。
乾いた破裂音が響いた。
ティーダの背後に垂れ下がっていた木の枝が弾け飛ぶ。銃声だと気づくのに時間は必要なかった。
「待て! 俺たちは味方だ! UPCの傭兵だ!」
「救助に来ました! どうか落ち着いて私たちを見てください!」
ティーダは銃撃されたにもかかわらず、身を隠そうともしない。それにならうようにして、アルヴァイムとゼラスが姿を見せる。それからゼシュトが、木の陰から出てきた。
銃を撃った者は、岩の陰に身を隠しているようだ。
ティーダは両腕を広げて害意が無いことを示しつつ、1歩ずつゆっくりと歩を進める。
「どうか安心してください。私たちは軍からの要請で、あなた達の救助に来たんです」
「ケガ人もいるんだろう? 応急用だが、エマージェンシーキットも用意してきた」
「上空には回収用のヘリも待機しています。私たちと一緒に帰りましょう」
3者が思い思いの言葉を投げかける。ゼシュトは1人、黙ったまま周囲への警戒を続けていた。
しばらくそのままの状態が続いたが、ようやく岩陰から1人の兵士が姿を現した。
ひどい格好だった。外傷こそ見あたらないものの、全身垢と泥にまみれている。顔色は、これが生きた人間かと疑いたくなるほど青ざめていた。頬はこけて髪は振り乱し、一目でわかるほど憔悴しきっている様子の中で、目だけが獣じみた光をたたえてぎらぎらと輝いている。両腕は前に突き出して、いまだに拳銃を構えていた。
「ミレイユさんね?」
ティーダに名を呼ばれて、女性の兵士がぴくりと反応する。獣のようだった目に、少しずつ知性が戻り始めていた。
「さぁ、もう大丈夫。銃を下ろして。ね?」
ティーダが構えられた銃に手を添えて、ゆっくりと下ろしていく。ミレイユの体から、次第に力が抜け落ちていった。ひざが砕けたように、その場にへたり込む。ティーダは、ミレイユを優しく抱きしめた。
ミレイユの口から、ああ、と吐息が漏れる。
「わ、私、助けたかった! だけど、だけどあいつらが、キメラが襲って来てどうしようもなかった!」
傭兵たちの間の空気が、ギシリと軋む。
ゼラスが、岩にかけられた枝葉を払いのけた。
草を敷き詰めた地面の上に、3人の兵士が寝かされていた。
息は、あった。多少の汚れはあるものの衣服に乱れはなく、そこかしこに巻かれた包帯も、数日間の野営の後ということを考えれば清潔に保たれていると言って良かった。
「こんな小さな銃ひとつでは、キメラなんかどうしようもなかったのよ!」
ゼシュトがミレイユに歩み寄り、その肩に手を乗せる。
「見たまえ、目の前にいる彼らを。彼らはまだ生きている。私たちがここへ来るまで、生きていられたのだ。それができたのは、ミレイユ君。君の力があったからだ」
「そうよ、ミレイユ。あなたはよくやったわ。誰もあなたを責めたりしない」
「でも、でも!」
「さぁ、もう休みたまえ。後のことは、私たちに任せるがいい」
ゼシュトはエマージェンシーキットから取り出した鎮静剤をミレイユに投与する。ミレイユはなおも言いつのろうとしていたが、それ以上の言葉を発することなく眠りに落ちた。
「急ぐ必要がある。あの3人の容態も安定しているわけではないし、ミレイユ君は何らかの感染症にかかっている可能性が高い」
ティーダもそれを心配していた。抱きかかえたミレイユの体温が高すぎるように感じられたのだ。悪寒を感じているのか、体の震えが止まる様子もなかった。
ヘリの帰投時間を考えると、あまり猶予がない。傭兵たちは、回収地点に向かうため、素早く行動を開始した。
「お前で最後か?」
「うん、間違いないと思う」
ブレイズの確認に、暁がうなずいて答える。ヘリの貨物室には、到着したときと同じく傭兵が8名、そして収容袋に入れられた遺体が2体と、生存者が4名。間違いなく乗っていることを確認する。
「良いだろう。離陸してくれたまえ」
パイロットの了解とともに、ローターのうなりがにわかに高まる。風圧に圧されて周囲の木々がたわむ。広場に転がっていた虫型キメラの死骸が、何の抵抗もなく転がって密林の下生えに埋もれた。
ある程度の高度を得ると、ヘリはゆっくりと前進を開始する。機体を前傾させるとさらに加速されて、足下に広がる緑が、川のように流れ始めた。
「ああ、やっぱりヘリは良いなぁ」
貨物室の壁に身を預けて、暁がつぶやく。
「ま、ジャングルではいずってることに比べりゃ、どこだって天国みたいなモンだ」
「確かにのぅ」
「キメラさえいなければ、ですが」
アルヴァイムがヘリの後方に鋭い視線を投げかける。緑の絨毯からわき上がるように、いくつもの影が飛び出してくる。
「ヤレヤレ。まだいやがったのか」
「だが、どうする。こんな場所じゃ、剣を振ることもできないぜ」
ゼラスの指摘に、傭兵たちの顔に緊張が戻る。その指摘に答えるようにして、安心しろ、と言ったのはヘリのパイロットだった。
「生存者を発見した時点で、援護を要請しておいた。そろそろ機影が見えるはずだ」
白鴉が、身を乗り出して前方を注視する。機影が二つ、高速で近づいてくるのが見えた。
「あれは、S−01、かな?」
「そのようだな」
空戦能力が非常に高い機体だ。KVとしてはポピュラーな機体だが、それだけ信頼性が高いとも言える。
「うーん、でも、このままただ逃げるだけってのもなんか悔しいよね」
言いつつ、暁はおもむろにアサルトライフルを構える。
まだ距離はあるものの、それでも一番近くまで迫っていた虫型のキメラに、一斉射した。
「あ、クリティカルヒット?」
撃ち出した弾丸のほとんどが命中したらしい。キメラの体は爆発するかのようにいくつもの破片をまき散らして樹海に墜ちた。
「やるじゃねぇか」
ブレイズがそう言うのとほぼ同時に、ヘリとKVがすれ違う。
ヘリは基地へとまっすぐ飛翔する。
緑の樹海が傾いた陽に照らされて、黄金に輝いているように見えた。