●リプレイ本文
●老婆との出会い
「大きいお屋敷ですね」
リディス(
ga0022)の言葉に、煙草を燻らせながらホアキン・デ・ラ・ロサ(
ga2416)が頷く。
「ヴェネツィアでこれだけの規模の屋敷をお持ちとは。よほど高貴なお家柄なんだろう」
その横で、何故かハラハラと周囲を見回しているのは、今回初めて依頼を受ける事になったキド・レンカ(
ga8863)だ。
「とてもふ、不安です‥‥お、御伽噺でもあるまいし、空に咲く花なんてき、聞いた事ありませんよ‥‥? ど、どうやってみつけるんですか?」
「‥‥というか、何で泣きそうなのか分からないんだけど。空に咲く花っていうのは例え。花火の事よ」
オドオドしているレンカに淡々と告げて、アズメリア・カンス(
ga8233)は目の前に建つ屋敷へと視線を戻した。
すると、屋敷の中から一人の青年が姿を現した。
「あぁ、依頼を受けて下さった方々ですね。どうぞ。大奥様が中でお待ちです」
4人の姿を確認すると、小さく笑って礼儀正しく腰を折った。
「それじゃあ、細かい打ち合わせをさせて頂きますね」
リディスと、煙草の火を消したホアキン、未だにオドオドしているレンカとそれを見て小さく溜息をつくアズメリア。
4人は青年の後に続いて、屋敷の中へと入っていった。
この屋敷の主――青年は大奥様と呼んでいたその老婆は、リクライニングチェアにゆったりと腰掛けていた。その膝の上には、年老いた猫が丸まっている。
「はじめましてmatrona。お目にかかれて光栄です」
予め青年から大きな声で話す様に言われていた為、ホアキンは自身が普段話すよりも大きめの声で老婆へと挨拶の言葉を告げた。静かな屋敷に、低い声が良く響いた。
「お上手ね。私の様な老婆に『マトローナ』だなんてもったいないわ。精々『カランパーナ』でしょう」
上品に笑う老婆とホアキンを交互に見やって、レンカがリディスの服を軽く引っ張る。
「あの‥‥『マトローナ』とか『カランパーナ』って、どういう意味なんですか?」
レンカの問い掛けに、リディスが微笑みながら小さな声で答える。
「イタリアの言葉で『マトローナ』は女主人、とか、高貴な家の女性、という意味があるんですよ。『カランパーナ』は醜い老婆という意味があるんですけど、ホアキンさんは敬意を表して『マトローナ』とお呼びしたのね」
そこまで言って、今度はリディスが老婆の下へと歩み寄った。
腰を折って、老婆よりも自分の視線を低くする。そして、驚かせない様にそっと老婆の手へと自分の手を重ねる。
「ご挨拶が遅れまして申し訳有りません、大奥様。今回ご依頼を承りましたリディスと申します。先程大奥様へお声をかけたのは‥‥」
「失礼。ホアキン・デ・ラ・ロサです」
「私はアズメリア・カンス。ご希望に答えられる様、全力を尽くすわ」
「あ、あのえっと、キド・レンカです。大奥様のお気持ち、必ず届けますから!」
其々名前を名乗って、頭を下げる。
その様子を見た老婆が、品良く微笑を返す。
「こんな状態でごめんなさいね。年のせいか、体が悪くて。依頼を受けて下さった事、とても嬉しく思っています。私の事はお好きに呼んで頂けるかしら」
そう言って、老婆が「カルロス」と声を上げた。その言葉に、姿を現したのは先程の青年だ。
「彼が私の代わりに依頼を出してくれた子です。私は見ての通り動けませんから、何かあれば、カルロスへ言いつけて下さいね」
深々と礼をするカルロスへ、全員が同じ様に会釈する。
「カルロス、皆様にお飲物を用意して頂戴」
「畏まりました」
もう一度頭を下げて部屋を出て行く青年を見送って、老婆は4人へと視線を戻した。
「ここイタリアは、ついこの間まで侵略を受けておりましたから、今回私のお願いした依頼は、少し難しいのかもしれませんね」
「と、いうと?」
アズメリアの言葉に、老婆は悲しそうに目を伏せた。
「戦争には火薬が必要でしょう? 花火の元はご存知の通り火薬。もしかしたらこのヴェネツィアには、もう火薬があまり無いかもしれませんから」
「それでも、私達は大奥様のご依頼を受けました。必ず、空に花を咲かせて、息子さんや旦那様への花束にしてみせます」
リディスは老婆の手を握って、微笑んだ。
「具体的に、どういう花火がいいのかは?」
アズメリアの問いに、老婆は悲しみを含んだ微笑で首をゆっくりと横に振った。
「いえ。我が侭はこれ以上言えませんわ。ただ、カルロスがお願いした通り、空に花を咲かせて下されば、それだけで」
その言葉の直後、部屋の扉がノックされ、青年が人数分の飲物を手に戻ってきた。
「どうぞ、お出かけの前に」
青年はそう言って、部屋にある机へと紅茶の入ったカップを置く。
「大奥様のお庭で採れたハーブを使った紅茶です。気を落ち着ける効果がありますから」
「あ、ありがとうございます」
レンカがカップから漂う香りに表情を緩める。
一行は捜索前の一息として、其々ハーブティーを口に運んだのだった。
●水の都と呼ばれた街
老婆の屋敷を出た4人は、ヴェネツィアにある大きな広場へとやって来た。
「ヴェネツィアといえば、7月にレデントーレ教会の花火大会があったけれど‥‥時期的にもう終わってしまってますね」
リディスの言葉に、ホアキンが煙草に火をつけながら小さく付け加える。
「イタリアはバグアとの競合地域だった。祭りを行なう事も出来なかっただろう」
「そもそも花火は素人が作ったり出来る物ではないから、職人に依頼しないとならないわね」
「火薬が残っていればいいんですけど‥‥」
アズメリアの後に、不安そうにそう告げたのはレンカだ。
「とりあえず、花火師を探す所から始めましょう。細かい話はその後ですね」
そう言ったリディスに、全員が頷いた。
水の都ヴェネツィア。
かつて、この街はそう呼ばれていた。
バグアの侵略を受け、美しかった街並みも場所によっては姿を変えてしまっていはいたが、それでもなおヴェネツィアはその特殊性を失ってはいなかった。
移動に車や自転車は使えない。交通手段は徒歩かゴンドラ、水上バス。
運河の迷路をあちらこちらと彷徨いながら、4人は住民に話を聞いていく。
「今でも打ち上げをしてくれそうな花火師、ねぇ‥‥」
ようやく重要な手掛かりを掴めそうになったのは、屋敷を出てからかなり時間の経った頃だった。
「ここから東へ2本先の運河を登った所に、一人いる事はいるよ」
その情報をくれた恰幅のいい女性にお辞儀をして、4人は女性の言った通りの場所へと向かう事にした。
●今も昔も
辿り着いた場所には、古びた家があった。
「失礼、誰かいないだろうか」
ホアキンが声を上げて扉をノックするが、声は返ってこない。
「いないのかしら」
アズメリアが呟く。
「も、もう一回呼んでみませんか?」
レンカの言葉に、リディスが頷いてホアキンを見やる。
視線を受けたホアキンが、先程よりも若干強めにドアをノックする。
「失礼、ここに花火師がいると聞いて来たのだが」
ホアキンの言葉の少し後。
家の奥からギシギシと音が近づき。
「何だ」
初老の男が、扉から姿を現した。
「申し訳有りません。私達、ある方のご依頼で花火を打ち上げたいと思っていまして。貴方なら花火を打ち上げて下さると聞いて来たんですが」
リディスが微笑みながらそう言うと、男は小さく鼻を鳴らした。
「今時分、花火なんざ打ち上げてどうすんだ? 火薬が戦争に徴収されて、殆どの職人が仕事を失っちまってんだ」
「それは分かってる。だけど、死んだ旦那と息子の為にどうしても空に咲く花を届けたい人が居るの。その人の願いをきいてもらえないかしら」
「もちろん、お金は払います。どうかお願いします。体が不自由で、お墓参りが出来ないご夫人なんです」
アズメリアとリディスの言葉に、男が口を噤む。
「体の不自由な老婦人にとっては、墓へ手向ける花束なんだ。戦争中に打ち上げられなかった花火が、残っていないだろうか」
「お、お願いします! どうしても、どうしても花火を打ち上げて、空に花を咲かせたいんです!」
ホアキンとレンカも一生懸命に気持ちを伝えようと言葉を紡ぐ。
4人其々の言葉を聞いて、男は暫くの間俯いていたが。
「うちに残ってんのはたった4発分の火薬だ。それでいいってんなら、やってやらん事もない」
ぶっきら棒にそう言った男を、全員が見やる。
初老の男は、皮肉気に鼻で笑って、ただし、と言葉を続ける。
「今日は無理だ。調合なんざしてないからな。明日の夜しか打ち上げは出来んぞ」
「それでも構いません。有難う御座います」
丁寧に頭を下げたリディスに、男はもう一度小さく鼻で笑った。ただ、今度は少し寂しさの含まれた笑いだった。
「依頼した奴の気も、少しは分かるさ。俺だって、亡くしちまったからな‥‥大事な奴を」
「‥‥え?」
レンカが表情を曇らせたのを見て、男は今度こそ皮肉気に表情を変えて言い放った。
「そら、さっさと出て行け! 準備に素人は邪魔なだけだ!」
●空に咲く花
翌日の天気は晴れ。花火の打ち上げには絶好の天候となった。
「この分なら、上手く屋敷からでも見えるだろう」
ホアキンの言葉に、アズメリアが頷く。
「ホアキンさーん、アズメリアさーん!」
遠くから走ってきたのはレンカだ。その後ろからゆっくりと歩み寄って来るのはリディス。
「大奥様とカルロスさんに、打ち上げ時間と場所を連絡してきました」
「お、大奥様とカルロスさんは、お庭からご覧になるそうです」
「そう。じゃあ後は、打ち上げ時間まで待機ね」
2人の報告を聞いてアズメリアがそう答えると、ホアキンが小さく指でゴンドラを指差す。
「なら、俺達は水上から見守るというのはどうだろう」
「そうですね。あの職人さんは、素人がいると邪魔だって、お手伝いをさせてはくれませんから」
「う、上手く打ち上がるといいんですけど‥‥」
「大丈夫でしょう。きっと」
夜。約束の時間になった、その瞬間。
大きな破裂音と、鮮やかな光がヴェネツィアの空に広がった。
「うわぁ!」
見事に空に咲いた1輪目の花に、レンカが嬉しそうに手を叩いた。
未成年のレンカ以外の手には、ホアキンから配られたワインがある。
「咲くのはほんの一瞬。ぱっと散る、命の花、か」
煙草を燻らせながら呟いて、ホアキンはもう片方の手に持っていたワイングラスを口に運ぶ。一瞬、目を伏せ、静かに哀悼の意を表しながら。
続く破裂音と、鮮やかな光。
空に咲く鮮やかな花を見て、リディスはそっと目を伏せた。
(「‥‥あなた、見えていますか? 随分遠くへ来てしまったけれど、私達の心はずっと一緒です‥‥」)
脳裏に蘇る幸福な日々を胸に、もうずっと先でしか会えない夫へと思いを綴る。
「花火は久しぶりに見るけど‥‥やっぱり、良いものね‥‥」
ポツリと呟いて、アズメリアはワインを片手に打ち上がる花火を眺める。
「どうか、お母さんの思い。あなたにと届きますように」
手を組んで、目を伏せて祈るレンカ。
たった4輪。けれども、其々が思いを込めた空に咲く花は、ヴェネツィア上空で見事に咲き誇ったのだった。
●老婆からの贈り物
「有難う。本当に、いくら感謝しても足りない程に、貴方方には感謝しています」
リクライニングチェアに腰掛けた老婆が、涙ぐみながら微笑む。
花火の打ち上げが無事に終わった翌日の昼。青年に呼ばれて屋敷へと訪れた4人に、老婆は丁寧に感謝の言葉を陳べた。
「いいえ、大奥様。私達は、大奥様の優しいお気持ちを、ほんの少しだけお手伝いさせて頂いただけです」
リディスの言葉に、老婆は目尻に溜まった涙をそっと拭うと、側に立っていた青年へと声をかける。
「カルロス、『あれ』の準備は?」
「こちらに」
青年の手には、上品なデザインのアンティークボックスがあった。
「これは、私からのささやかな感謝の気持ち」
微笑んで、老婆はゆったりと声を紡ぐ。
「リディスさん。貴方にはこれを」
アンティークボックスから一つ何かを取り出して、老婆はリディスへと差し出す。
そっと手を差し出して受け取れば、それはロケットキーホルダーだった。
「貴方が私にして下さった様に、貴方の思いを、どうぞこれに入れて下さいね」
「‥‥有難う御座います」
リディスがそっと老婆の手を握って感謝の言葉を述べる。
「ホアキンさん。貴方にはこれを」
同じ様に手を差し出したホアキンに、渡されたのは古びた懐中時計。
「夫が使っていた物なの。私には不要ですし、使ってもらえる方が、時計も喜ぶわ」
「思い出の詰まった大事な品。大切にさせて頂きます」
呟いて、深く頭を下げる。
「アズメリアさん。貴方にはこれを」
アズメリアに手渡されたのは、十字架のついたチョーカー。
「息子の物だったの。どうか、神が貴方の身を守って下さいます様に」
「大切な形見‥‥有難う御座います」
老婆の手をしっかりと握って、アズメリアが呟く。
「そしてレンカさんには、これを」
少しおっかなびっくりしながらも歩み寄ったレンカに手渡されたのは、小さな花飾り。
「実は、私のお古なの。もうこの年の老婆がつけるのも可笑しいでしょう? 貰ってくれるかしら」
「綺麗‥‥有難う御座います、大切にします」
笑顔でレンカはそう言って、大切に花飾りを抱きしめる様に胸元へと寄せた。
空に咲いた花は、其々の思いを乗せて。
高く、どこまでも高く。
きっと、届く。
END