●リプレイ本文
ほとんどが片付けられているが、戦いの爪痕は残っている。
埃が立たないようにと、散水を願うラサ・ジェネシス(
gc2273)に、朧 幸乃(
ga3078)が快く頷く。もとより、散水をするつもりだからと、気を付けながら水を撒いて行く。
僅かな涼が起こり、埃っぽさが激減する。
(しろうさぎ‥‥何度か、お邪魔しましたっけ‥‥)
幸乃は、カフェの内装などは良いかと顔を出せば、内は片付いているので、外をお願いしますと微笑まれ、仲間達と共に作業に精を出す。
「よっこらせ、力仕事は能力者にお任セデス」
くるくると腕まくりをすると、やる気満々で瓦礫を持ち上げて運び始める。
「む‥‥重いな、ラサ嬢そっち持ってくれ」
ラサの近くで、エイミー・H・メイヤー(
gb5994)がえいやとばかりに瓦礫を運ぶ。大きなものは撤去済だ。覚醒をするまでもない。
「うーん、こういう時に役立つスキルが欲しいナァ」
細かい瓦礫はスコップで集め、地面に開いた穴やひび割れは誰かが通って怪我しないようにと、パイロンを立て、無い場所には注意を喚起する立札などを設置する。仕上げに箒で掃き清めれば、すっきりとした街角が現れる。
壊れた場所は、また作ればいい。ラサの目はただ前へと向いている。
「此処が無事で、よかったですね」
僅かに目を細めるのは叢雲(
ga2494)。襲撃時はこの場に不在だったから。
大きく頷くのは不知火真琴(
ga7201)。カフェが大変と聞いて、叢雲をひっぱってきたのだが、カフェというよりは周囲のようで、修繕修復は、今は大丈夫らしいと確認し、さてがんばろうかと動き始める。
そんな真琴を見て叢雲はくすりと笑った。
ひっぱられては来たが、ここは自分も気に入りの店である。早速作業を開始する。
「‥‥お手伝イ、サセテ、モライマス、ネ」
LHを見渡すのはムーグ・リード(
gc0402)。
故国アフリカの為にLHは戦禍にみまわれた。
それが、そうでもあり、そうでも無い事は知っている。
自分がアフリカに関わる全てを背負っているつもりは毛頭ない。だが、ここは第二の故郷。友人達の集う場所。
作業の手となるべく、動き始める。
表情こそ変わらないが、この惨状に心を痛めているであろうムーグを視界の端に入れ、杠葉 凛生(
gb6638)は、瓦礫撤去の中心にあるカフェを見た。初めてみるカフェだが、オーナーの心配りの助力となれるようにと作業を開始する。大きなモノを運んだあとは、ガラスの破片など、危険物を集め、丁寧に細かい金属片を磁石で拾い集め、箒で仕上げる。
「この程度で済んだのならむしろ御の字と考えるべきなのかしら?」
火のついていない煙草を銜えたまま、リン=アスターナ(
ga4615)は小さく嘆息する。
リンが選んだ戦域は、この島上空だった。何か助け手になれば良いと思っていた矢先の事、出来る事はしようと、きゅっと軍手をはめると作業へと向かう。
キラキラとした瞳で、鯨井昼寝(
ga0488)は作業を手伝う。
くず鉄コレクターとしての性がそうさせるのだろう。
(あの金属片、1つ欲しいです‥‥)
レーゲン・シュナイダー(
ga4458)は、同じような事をしている昼寝と目が合い、何か通じ会い、頷きつつ、作業に戻る。トラックの運転手に挨拶をすれば、そちらもがんばってと返事が戻る。
「これはダメこれもダメこれもこれもこれも‥‥ダメね」
昼寝は、ひとつふたつ、好みの瓦礫を手にしてハンカチで包み仕舞い込むと、ふと目に入るのは煉条トヲイ(
ga0236)。着物にたすき掛けのその姿は良いとしても、何処か心ここに非ずの姿である。
昼寝はきょとんと首を傾げる。
「大丈夫か?」
「あ、ああ、すまない。大丈夫だ」
危うく瓦礫と共にコケそうになったトヲイを、グロウランス(
gb6145)は引き戻すと、作業へと混ざる。
時折顔を上げ、【OR】【魂の一品】一眼レフカメラを取り出すと、傭兵等が働く姿と、街並みを遠景で映す。カフェもその一角に映り込んだ。こんなカフェがあったのかと認識を新たにするとともに、ここまで戦いが及んだという事実に僅かに眉を寄せる。
「この辺りはまだ、被害は少ない方か‥‥。綺麗にできるところは早めに直して、少しでも市民の憩いの場を増やさないとな」
(最後の希望も戦火に塗れ、それでも人は生き続ける、か‥‥戦いは、まだまだ続くな)
トラックに積み込みやすいようにと瓦礫を仕分けしつつ、ヘイル(
gc4085)は目を細める。
持ち主がわかるようならば、戻してあげたい。そう思いながらの作業中、ふと目を引くものがあった。
「‥‥これは、人形か?」
そっと汚れを拭うと、形あるものの中へとそっと座らせた。
「‥‥‥ごめんね。こうなる為に、生まれてきたんじゃないのにね‥‥」
瓦礫に優しく触れて呟くのはクラリア・レスタント(
gb4258)。
全てのモノに魂が宿ると信じるからだ。
(魂は空を巡り、大地に還る。星は、いずれあなたを生むでしょう。願わくば、来世があなたにとって優しい世界でありますように)
だから、本来の役目を全うできなかった瓦礫や、倒木の破片などへと、せめてもの手向けにと祈りを乗せて片付ける。
ウラキ(
gb4922)は、クラリアが怪我をしないか気を配りつつ、作業をしていた。クラリアと共に出かけるのは随分と久し振りだと、笑みが浮かぶ。
(‥‥初めてこういう事、するな‥‥)
ふと思い当たって顔を上げた。合金軍手をはめた手を軽く握り込む。
「瓦礫、増やす方が本職だからな‥‥無理もないか」
戦いは破壊と切っては切れない間柄だ。
けれども、その先を掴むために、今は誰しもが心に様々に秘めてバグアと戦っている。
(デートと言うには些か、埃っぽいが‥‥)
久し振りに二人でゆっくりと出来ると、カララク(
gb1394)は瓦礫撤去の作業を手伝う。巨大なモノは全て片付いており、共に覚醒をするまでもない事に気が付く。噴き出した血が冥姫=虚鐘=黒呂亜守(
ga4859)の腕を覆うのを、カララクは痛ましく見て首を横に振る。冥姫もそんなカララクを見て小さく謝意を告げる。
腕まくりで、作業にあたっていた九条院つばめ(
ga6530)は、顔なじみの老婦人を見つけて抱きつきそうな勢いでもって、駆け寄った。
「このお店もオーナーさんたちも‥‥本当に、無事でよかった‥‥!」
「ありがとう。貴女も無事でなによりです」
穏やかな返事に、頷くと、作業を開始する。
そんな二人を鐘依 透(
ga6282)は見る。
(強いな‥‥こんな事があっても、気丈に頑張れる人はいる)
僕も頑張らないとと、瓦礫を運ぶ。
「よーし、任せとけっ。張り切って片付けますか!」
澄み渡った青空を仰ぎ、那月 ケイ(
gc4469)はリアカーを引く。
少しでも早く『希望』につけられた傷を治してやりたいと。
ケイの近くで、ぱたぱたと働いているのはエスター・ウルフスタン(
gc3050)真っ赤な髪と共に、デニムのオーバーオールの腰にぶら下げた、ねこのマスコットが揺れる。
黙々と働くケイに、エスターはへの字にした口でじっと見る。が、それは束の間。
負けてたまるかとばかりに白いパフスリーブに汚れがつくのも構わずに働き始める。
(だって、ほっとけないじゃない。任せといて、おばあちゃん)
依頼を出した老婦人を思い出し、もうひと頑張り。
「早く、いつもの景色に戻してやろうな」
ケイの呟いた言葉に、エスターはぶんっ。と、大きく頷いた。
「こうして瓦礫をみると、先の戦いを思い出させられますね」
複雑な思いを抱えて、ノエル・アレノア(
ga0237)は呟く。ほんの少し届かなかった手の先は、何処も同じ景色が広がっているのだろう。ティリア=シルフィード(
gb4903)と顔を見合わせる。このカフェ辺りは、初デートの場所だ。少しでも元の姿に戻るようにと、二人仲よく作業にあたる。
「あ、やるよ」
「大丈夫ですよ。僕だって男の子なのですから」
「‥‥そうだけど」
にこりと笑うノエルへと、ティリアは、少し所在無げに手を伸ばしてはひっこめ、自分の出来る範囲を片付けに回る。
彼が比較的大きなものをもっていってくれるのは嬉しい。でも、自分でもできない事は無いので、悪いようにも思ってしまうのだ。
彼女が抱える密やかな罪悪感は、未だ優しさに慣れていないからなのかもしれない。
そんなティリアへと、ノエルは問題ないとばかりに何度も笑みを向けながら、着々と作業は進み。
お茶をどうぞと声がかかるまで、さしたる時間はかからなかった。
●
「ここがしろうさぎ‥‥英語で言うとホワイトウッサーダナ」
どや顔のラサに、エイミーが笑う。
「White rabbitだよ、ラサ嬢」
「お久しぶりデ寂しかっタ‥‥」
「あたしもだ‥‥今日会えてよかった」
ふあんとした、空間がカフェに広がる。
見知った顔の多さに、幸乃は笑みを浮かべる。
(すぐに以前のまま、とはいかないでしょうし、どこかでふと、傷痕を見つけて、思い出すこともあるでしょうけど‥‥変わらないモノがあるって、大事だと思うな‥‥)
また、あのおいしいコーヒーをと足を向ける。
「リン様っv」
きゃーとばかりに走り込んでくるティムを、何時もの様に抱き止めると、リンは微笑む。
「‥‥考えてみれば、LHで貴女に会うのは随分と久しぶりな気がするわ。相変わらず元気そうで何よりよ」
「ありがとうございますの。私は何時でも何処でも元気ですの」
「長旅お疲れ様なのデス、会いたかったデス。寂しい時はコレを我輩だと思って」
ラサは、ぶたクッションをティムにぎゅっと抱きしめさせる。
「くっ。愛らし過ぎますの」
「可愛いは正義だ」
うん、と頷き顔を出すエイミー。
「はっ! 当然ですのっ!」
きゃーとハグり合う女の子達を見て、リンは軽く肩を竦めて、穏やかに苦笑する。
(貸切にしたいところだけど‥‥難しそうね)
ふわふわの子犬は、望めば出来る限りの時間を割いてくれるだろう事は間違いが無いのだけれど、今は良いと、見送る。
「ティムさん、ちょっとお聞きしたい事が」
真琴の問いに、ティムは頷くと手招きする。
叢雲は何時もの様に挨拶を交わしつつ、そんな真琴とティムを目の端で追っていた。
女の子の輪の中から少し外れた場所で真琴は、聞きたかった真実を知った。
真琴を見かけた幸乃は、つい先ほどの大陸の依頼を思い出し、真琴と共に関わった少女の事を思い出した。
僅かに下を向く真琴へと声をかけようとして、ティムに止められる。
「‥‥彼女どうしたのでしょうか‥‥」
中国の依頼で真琴とは一緒だった。思い出話が出来ればと思ったのだけれど。
そう話す幸乃へと、ティムが真琴に話したのと同じ事実を告げた。
「‥‥そう」
幸乃は僅かに遠くを見た。
透かし見れるかのように。
リンは老婦人を見つけて会釈する。
「これだけの人たちがこのお店のために集まった‥‥かく言う私もその一人。慕われてますわね、オーナー?」
「人が集まっていただけなければ、ここはただの空間です。皆様が心地よく過ごしていただければ何よりです」
笑みを浮かべる老婦人に、リンはだからよねと心中で頷き、供されたお茶を口にした。
女の子達とハグをし他後、レーゲンへとキスをするエイミーは、ちらりと近くに居るデラードを見ると、レーゲンに気が付かれないようにこの上なく真面目な顔で言い放つ。
「あたしは貴方が大嫌いだ。死ぬほど羨ましくて妬ましいから」
「え、エイミーっ?」
「じゃあな、レグ。また」
「待てよ」
慌てるレーゲンに笑いかけ、何時もの様に、さらりと立ち去ろうとしたエイミーは、デラードに先に腕を掴まれた。
「っ?!」
「俺は、アンタときちんと挨拶をした事が無い。何時も駆けだす後姿しか見ていない。レグには幼馴染だと言われただけだ。なのに、何時も何時も捨て台詞を残されるのは心外でね。どういう奴だと、ずっと思っていた。レグの友達だからと我慢してきた。だが、もう一年も経つ。今日は、はっきり言わせてもらう。迷惑だ。俺に当たり続けて、その気持ちは昇華出来るのか? これからもずっと捨て台詞を俺に吐き続けるのか?」
静かだが、キツイ声に、エイミーは蒼白になった。
「アンタは、レグの前の彼氏にも、レグと仲の良い男友達にもおなじ事をした事があったか?! 俺は生憎総務課のわんこ程人間出来ちゃ居ないんでね、そろそろ限界だ」
何を言っているのかと、割って入るティムをも押しのけて、デラードは言い放った。
「誰が誰に見合ったものを着せたいだって? ふざけるな。俺はしがない軍曹だが、豪華な衣装を押し付けられる覚えは無い!」
何時も、誰にでも人当たり良く笑っている彼が真剣に怒っていた。
自分に対しての事ならば、のらりくらりとかわしただろう。だが、事は彼女にも関わる事だ。
このまま、良く知らない相手に、長期に渡り、敵意を抱きつづけられるのは我慢が出来なかった。
想像の範疇をいつも超える。
レーゲンはこの状況は予測しておらず、真っ青だ。
「幸せボケしましたかっ?」
ぱーんと、良い音が響いた。ティムがカフェの銀盆でデラードを思いっきり殴ったのだ。
やはり真っ青なエイミーをティムがぐいぐいと引っ張って行く。
「今日は積もるお話でも‥‥逃しませン」
何時もの様に、両脇をきゅっとラサとティムに抱しめられながら、エイミーはただ頷いた。
残されたレーゲンは、デラードにぎゅっと抱きしめられた。
「‥‥すまん‥‥あの服は彼女に返す‥‥」
「‥‥私‥‥私は‥‥」
言いたい事は沢山あった。会いたかった。怪我は無いか、元気でいたか。
少しでも‥‥会いたいと思ってくれただろうかと。
これから、また三番艦轟竜號だと、デラードが寂しそうに言う。
「今度は‥‥ちゃんと会おうな? レグの家へも行って良い?」
「‥‥はい。ドーナツ作っておきます」
「やった。砂糖コーティングの奴って出来る?」
「う‥‥が、がんばります」
握られた手が、するりと離れる。離れる瞬間、また抱きしめられて、息が止まるかと思う口付けが落とされて。
観衆が居たのだが、デラードは気にする風も無く、今度こそ踵を返して行く様をレーゲンは見送った。
カフェの外で真琴は暮れゆく空を見ていた。
追ってきた叢雲は、その真琴の近くを歩く。今までよりも、ほんの僅か近い場所。
(真琴さんの心が冷えてしまわないように)
真琴は、気持ちと同じように視線が下を向くのを感じていた。
けれども、瞼は熱いのに、喉も痛いのに、涙が出ない。泣きたいのに。泣けない。
歪んだその顔を叢雲は見ないようにと、ただ横に居る。
強化人間。
それは、人でなくなる事を意味する。
だが、多くはバグアの元で人類に戦いを挑むか、そうでなければ、死を向えるのを待っていた。
今までは。
今は、酷く細い道だけれど、人に還れる術が存在する。
その道を行く事が出来るのならば、良かったのだけれど。
(彼女は、最後まで彼女らしく生きたのならば)
真琴は、仏頂面の友達を思う。
生きる努力は精一杯したのだという。だが、強化人間は施したバグアによって、多岐に渡る。
彼女が死の扉を開けるのは、仕方のない事でもあった。
彼女が彼女らしかったと言う事は、僅かな救いでもあったのだけれど。
(もう、会えない。うちが、死んでも、生きてても。どんなに願っても。叶わない)
真琴は唇をかみしめる。
(寂しいよ‥‥)
逝った彼女の名を心の中で真琴は呼んだ。
呼びながら、横に居る影が不思議だった。こんな時でも、どうして彼は横に居てくれるのだろうかと。
叢雲は、暮れ行く夕日と橙の灯りが重なる空間を、真琴が気が済むまでただ見ていた。
ただ、静かに‥‥横に居て。
凛生とムーグは、灯を見て、向かい合わせに座っていた。
流れるのはもどかしさを孕む沈黙。
ムーグに疑念を抱かれているのを凛生は知っている。
全てを晒してきた自分が、僅かに隠した事がある。
負い目が、ムーグの動揺に理由をつける。
気になったのならば、その時に聞けばいいものを何故、今まで引きずるのかと。
答えるつもりは無かった当時の気持ちは棚上げだと気が付いて、首を横に振る。
心配を掛けてしまったのかという疑念が起こる。
(まさか、な)
思う所は他にもある。だが、それはあり得ないことだと、凛生は思う。
沈黙に耐えかねて、ムーグが口を開く。
何を聞いたのか、何を言ったのか。全てを知りたいと言う気持ちを押し殺し。
感情を乗せない静かな問いを口にした。
「‥‥アノ時、彼、ニ‥‥何ヲ‥‥?」
「今頃、どうした? 最近の中国情勢について、な」
そんな事かと言わんばかりに軽く明るく答える凛生。
そうですかと頷くムーグにそうだと頷く凛生は、先に行くと告げ彼をおいて行く。
車を走らせれば、自分の気は晴れるだろうか。
苦虫をかみつぶしたかのような顔で。
残されたムーグへと、お茶のおかわりはと尋ねる老婦人に、ムーグは所在無げな顔を向ける。
「幾ツモノ、戦場ヲ共ニシ、信頼シタ人ガ、私ニ語ッテクレナイ事トハ、何デショウカ」
全てをいつも見せてくれていたのにと、ムーグはため息を吐く。
「随分と欲張りでいらっしゃるのね」
「私ガ、欲張リ、デスカ」
「ええ、とても欲張りですよ」
老婦人は微笑みながらもきっぱりと言い切った。
「人はね、人の事を100%知る事などしないの。しなくてもいいの。してはいけないの」
「‥‥」
「まだ、お若いから分からないかもしれませんね」
「半分、知っていれば十分愛せるのですよ。全部知れば、まだないのか、もっと先は無いのかという心が湧きます。湧かない人も稀に居るかもしれませんね、でも、人はもともと欲張りな生き物なのですよ。だから、何時も満たされない。だから、最初から半分知っていれば十分と思えば、苦にならないんです」
老婦人の言葉に、ムーグは揺らぐ。
「知らない事があるのは幸せな事。いつかそれを知る事が出来るのですから」
そもそも、知る必要もないのですよと、老婦人は言った。
貴方がその人を信じていればと。
戦禍の後ですから、普通のものですがと、供されるのは、小豆味と抹茶味のチョコが、ビターチョコを包んだ、生チョコだった。
つばめと透は、何時も座る場所へと座る。
馴染んだ場所に、自然と笑みが浮かぶ。
「僕はLHを守る側、だったけど、いつも以上に必死だった‥‥気がする」
敵精鋭に対して、危険で普段の自分ならばとらない挑発。
「あの時は、必死だったけどね」
色々、麻痺していたのかなと、背筋を伝う悪寒を今更ながらに透は感じる。
「今回は‥‥いつかはそういうことが起こるとは覚悟していたものの、LHが戦場になったのはショックでした」
もしも、蹂躙されていたらと考えると、背筋が冷えると、つばめは小さくため息を吐く。
(それだけ‥‥大事、だと思ってたのかな‥‥)
透は思う。
つばめと過ごしてきた時間の大切さを。
「私はあの時別の戦場にいて‥‥」
僅かに眉間に皺を寄せて語るつばめを見て、透はひとつひとつ、丁寧に頷く。
どの戦場も疎かにはできない。けれども、LHへと向えない事で、歯がゆい思いをも抱えていたのだと。だからこそ、LHを守ってくれた人達へ、心からの感謝を向けたいと思うのだ。
透は透で、【ガーデン】の活躍を耳にしていたからこそ、しっかりと守りに向えたのだとつばめに笑い、可愛らしい恋人の戦い振りをも褒めた。
「お互い、頑張ろう。もうLHが傷つかなくても良いように。また何かあっても、守りきれるように」
「はい」
顔を見合わせる二人の間に、小さな誓いの沈黙が流れる。
その僅かな沈黙を破ったのはつばめ。
「功績上位に入るくらい頑張った透さんにご褒美です。はい、あーん」
「むぐ‥‥、ありがと」
えいとばかりに、透の口へとチョコを押し込んでつばめは笑う。
「‥‥ありがと」
透は、少々驚き、目を見開くが、すぐに、おどけた様子のつばめを見ると、目を細めて笑った。
愛し過ぎる彼女がいる事をとても幸せだと噛みしめながら。
少し冷たい、紅茶は爽やかな花の香りがした。チョコレートの甘さが心地良く溶ける。
多くの人々が、テラスで思い思いに過ごしている。静かな時間。
暖かな雰囲気だとティリアは思う。
僅かに花が開くかのように微笑むのはティリア。
かたりと立ち上がると、椅子をノエルの側にと持っていき、すとんと座った。
「‥‥こうして一緒に居られること。ボクにとってはそれが一番のご褒美、です‥‥」
「ご褒美だなんて‥‥光栄です、僕のお姫様」
ティリアが作業中に見せた、何処か所在無げな姿はもう無い事に安堵したノエルは、ティリアの言葉に、寄り添わされる温かさに、僅かに頬を染め、側に居る優しさに笑みを深くした。
エスターは、ケイの飲むお茶が、自分の父が好む茶葉だと気が付いて、問う。
「‥‥おいしい? それ」
「ん? すごくおいしいよ」
不可思議な顔をしているエスターを見て、ケイはくすりと笑う。気にいったお茶なのだから良いだろうと思いつつ。一生懸命作業をしたのだろうエスターの顔が、随分と汚れていることに、ようやく気が付くと、ハンカチを出すとエスターの顔を拭こうと手を伸ばす。
「あ、あんまり近づかないで。その、汗とか、きたな‥‥」
「いいからじっとしてー‥‥」
「‥‥やぁぅ」
きゅっとハンカチで拭うと、ケイは笑みを浮かべる。
「ほい、おっけー」
そして、以前エスターにあげたマスコットが揺れるのを見つけて、笑みが深くなる。
「‥‥あれ。そのマスコット、持っててくれたんだな‥‥ありがと」
「べ、別に。ほこり被らせとくのはこの子に悪いじゃない」
口を尖らすエスターが可愛い。
いつの間にか、好きになっていた。
それと踏み切るには自分の中でややこしい事が沢山あって。
けれども。
もう、難しく考えるのはやめにしたのだ。
「‥‥もし来年も帰省するなら、また一緒に行ってもいいかな?」
沢山貰ったエスターからの気持ち。今度は、自分の気持ちをエスターに知って欲しいとケイは思う。
「それでさ。今度はちゃんと『恋人』として紹介してもらえたらな、なんて‥‥ダメ、かな?」
少し照れた顔のケイに、その言葉に、エスターはとても驚いた。
「え、え、えあぅうあぁ?!」
口元がかくかくと動いて、そのまま、椅子から滑り落ち、へたりこんでしまった。
「ど、どうしよ‥‥ちからはいんない」
「仕方ないなぁ」
ぱくぱくと口を開く困り顔のエスターに、満面の笑みを浮かべたケイは手を差し出すと、よいしょと、エスターを椅子に座らせると、急に自分の言動が恥ずかしくなり、エスターを前に、ばたばたと。常になく。つい、紅茶を一気飲みして、厚さにしかめっ面をしてしまったり。
「‥‥ケイ」
そんな姿を、エスターは真っ直ぐと見て、滲んだ幸せな涙を拭った。
「だいすき」
周囲に気付かれないようにとケイの頬に、可愛いキスを送るエスター。
そして、ケイだけに見せる、極上の笑顔を浮かべた。
心からの幸せな、幸せな笑顔だった。
軽く伸びをするウラキ。依頼とは違う、胸に染みる穏やかさ。
「働いた‥‥感じがするな‥‥」
「こういうの‥‥少し久しぶりですね。最近一緒に行ったと言ったら‥‥大規模戦闘ばかりでしたから」
横に座ったクラリアは、甘いチョコを口にし、花の香りの紅茶を一口飲むと、ウラキの肩に、ことりと頭を乗せた。
「もっと‥‥‥こんな時間が続けばいいのに。あなたの傍に、あなたの剣としてじゃなく。あなたの人として居られる時間が」
さらりとクラリアの髪がウラキの頬を撫ぜる。
「‥‥少し目、瞑って」
「‥‥え?」
そっと目を閉じれば、ウラキはクラリアへと僅かにかがみこむ。
手にしているのはハンカチ。白い頬についていた作業の泥を、きゅっと落とす。
「ん、もう良いよ。泥が少し、ついていた」
「あ‥‥ありがとう‥‥」
クラリアの頬が僅かに染まる。
コーヒーを一口飲んでクラリアの密やかな重さを肩に感じながら、ウラキは目を細める。
(‥‥それでも、今更泣けないだろう。失った物と得た物がどれだけかなんて、どうしてそれを判断出来る?)
夕闇が近い。
揺れる橙の灯り。
「どこかで夕飯食べてから‥‥家に帰ろう。‥‥家に、な」
灯りを見て、ウラキが呟く。みじろぎするクラリアが、そっと口に乗せた言葉は。
「ごめんなさい‥‥‥もう少しだけ、このままで‥‥‥」
ウラキは、笑みを浮かべると頷いた。
家に‥‥かの上の元に戻れれば、それで、良いのだから。
トヲイは、昼寝へと謝った。
「‥‥今日は迷惑ばかり掛けてしまって、すまなかった‥‥」
「ん? 何かあったっけ? そういや、コケそうになってたね」
「いや、それだけじゃなくて、いろいろ」
特に気にしていない風にからりと笑う昼寝。
「――――良い風ね。夏もそろそろ終わりかしら」
良く風の通る一角を陣取り、ホットチョコレートを美味しそうに飲む。
綺麗になった街角を歩くのは気分が良いものだ。老婦人の気持ちに昼寝は同意の頷きを街角へと向ける。
調子のおかしなトヲイに首を傾げれば、トヲイが淡々と語り始めた。
「――友人が死んだ」
橙の灯を見ながら、トヲイはぽつぽつと話す。
昼寝には知ってもらいたかったから。わかってくれるような気がしたから。
友はバグアの戦士だった。友と呼ぶことも、能力者の立場からは、許される事ではないかもしれない。
けれども、それでも。
「俺にとっては、掛け替えのない存在だった‥‥」
手にかけたのは自分。
「──己の彼岸成就の為に」
悔いているのでも、迷っているのでもないのだけれど。
「俺の願いは屍山血河の先にあるから‥‥」
「いいんじゃないの?」
やはり、昼寝はからりと笑った。
強さの果てにあるモノを見てみたいのは昼寝も同じだからか、それとも。
傭兵の中でも桁違いの能力を保持する二人。
向かう先は果たして。
身ぎれいにして来たグロウランスは、さっぱりとした顔で、ミルクティーを口にする。
本格的に再開の後、ケーキも作りますと笑みを浮かべて出されたチョコを口にして、小説の頁をめくる。
読みかけの本だ。紙をめくるという行為は、何故か心が落ち着く。
大勢の仲間達が、他愛のない話をしているのが、心地よいBGMとなっている。
戦禍にさらされたとはいえ、LHの風景はさほど変わらず。
(いつか、この日々を懐かしむ時が来るのだろうか‥‥)
酷く貴重な時間に思え、頁をめくる手をふと止める。
(いや、きっと俺は何処かの戦場でくたばってるな)
自嘲めいた笑みを浮かべると、再び、本へと意識が落ちる。
ぽう。
橙の灯りが灯る。
「夕暮れ‥‥か」
グロウランスは、本を閉じると立ち上がった。
笑みを浮かべて見送る老婦人へと、会釈する。
「いい店だな、これからは暇な時に、寄らせてもらうよ」
「はい、何時でもお越しください。お待ちしております」
小さな兎が立ち上がるかのような彫像と老婦人が並んでいる様に、笑みを浮かべて外に出れば。
涼しさが僅かに交る夏の日の空気が揺らぐ。
揺らぎ事吸い込むと、暮れ行く空が目に飛び込んだ。
「ああ、今日は気持ちよく眠れそうだな‥‥」
隅の席に並んで座るのはカララクと冥姫。
本を広げて、静かに冷たいお茶を飲む。
共にあるだけで、良い。
言葉は特に必要では無い。
ゆるりとした大切な時間。
そっと、カララクが冥姫を引き寄せる。
冥姫は、自然とカララクへともたれかかり、ちらりと愛しい顔を見ると、また、本に目を落とす。
やはり、穏やかな笑みを浮かべたカララクは、冥姫の豊かな髪を、そっと撫ぜる。
しっとりとした感触が手に伝わる。
カララクは小さく息を吐く。
バグアとの戦いは、未だ続くだろう。自分も、彼女も、何度となく最前線に向かうだろう。
「ずっと、守り抜くから」
視線が絡む。
冥姫をさらに深く抱き寄せると、カララクは、優しく口付けた。
ヒーローの様に戦局を動かす事は出来ないけれど、この大切な人だけは、命に代えても守り抜こうと。
冥姫は、そんなカララクの気持ちを良く知っていた。どんなに厳しい道を歩くことになっても、共にと。
二人ならば、きっと明るく歩けるから。
「ん、私は‥‥貴方と共にあるから」
唇が離れる間際に零れる冥姫の言葉と、微笑。カララクは冥姫を強く抱しめた。
必ず‥‥。
「太古、空が落ちてくると憂いた誰かがいたというが‥‥。全く、先見があった、とでも言えばいいのかな」
ヘイルは、珈琲を口にして、空を見上げる。
先の大規模な戦いは、『想い』を武器にして戦った。これは、怖い事ではないだろうかと思う。
(今は未だ、すっちーを介してと言う状態だが、彼に出来るのならば‥‥)
バグアにも出来る者はいるのではないかと。
集めた想い。集まった想い。
懸念は消えない。けれども、バグアと人と決定的に違う事があるのをヘイルは思い至ってはいない。
(祈りが、何か他の何かを排除する事にはならなければいいが‥‥)
それは、煉獄。
ヘイルは首を横に振る。
この考えが杞憂であるようにと。
(『想い』は『想い』のままでいてくれるように、世界に祈るとしようか‥‥)
夏は終わりを告げ、秋の気配を風にはらむ。
戦いの帰趨は未だ見えなかった。
バグアとの戦いは新たな局面を迎えていた。
それが人類にもたらすものは‥‥。
綺麗に整地された街角に、変わる季節の風が吹き抜けて行った。