●リプレイ本文
●山腹に佇む
リラの修道院の周りは、全て山だ。
こんもりとした山々の合間の道を抜ければ、ようやく姿を現す、美しい建物。
タイル張り、石畳。細部に色分けされた、古い‥‥祈りの場所。
(「ワーウルフですか‥‥素早い敵はやり難いんですよ‥‥」)
眼鏡を軽く直すと、神無月 紫翠(
ga0243)が赤い屋根の回廊のひとつから姿を現す。
「今は居ないようですね‥‥」
長い紫の髪をかき上げて、Cerberus(
ga8178)は僅かに目を細める。屈みこんだその場所に落ちているのは動物の毛。
「犬と狼の戦いか‥‥悪くない」
モニタに映し出されたキメラの詳細を思い出す。ワーウルフ。狼と人が混ざったようなキメラ。自身を犬と称するCerberusの口元に薄い笑みが浮かぶ。
「‥‥獣でも人でもあらざる者か‥‥」
教会。それは、信仰の対象になる場所である。人々が祈りを捧げ、明日への活力を生み出す場所。ヨーロッパでは特に生活と信仰が密接している。エリアノーラ・カーゾン(
ga9802)は、戦の後が所々に残る教会を眺めて溜息を吐く。信心深い方では無いが、こういうのはやりきれない。不愉快だわと、僅かに眉を寄せる。
「‥‥よろしく」
右前髪で顔を半分隠しているキト・リィンカース(
gb1057)が言葉少なく挨拶をする。能力者となって、初めての戦いだ。所々壊れた修道院をちらりと見上げる。思う事は多い。
(「‥‥私でも‥‥役に立つ事が出来るのなら‥‥」)
僅かに目を伏せると、スコーピオンを確認する。足手まといにならないようにと、作戦を反芻する。
やはり、修道院を感慨深げに見ているのはジングルス・メル(
gb1062)だ。バグアが侵攻する前でも、修道院という場所は身寄りの無い子等を預かる施設になっている場所もあった。ジングルスの生まれ育った場所もそんな修道院で。炎に巻かれたその場所が過ぎる。
「消息が掴めてないって事は、何所から出てくるかわからないって事だな」
誰も掃除をする者が居ない。持ち込まれた砂や埃、様々な残骸が足元でじゃりじゃりと音をさせる。三間坂京(
ga0094)は、不意打ちを懸念し、覚醒を果たす。その覚醒はフライトジャケットの右腕にいつも隠され、見た目にはわからない。
「とりあえず、デラードくん達とは要連絡だよね?」
先に出発していったデラード達の探索方向を見ながら大泰司 慈海(
ga0173)が無線機の調子を確認する。1、2班と分かれて、東から北へと向かい、索敵を開始する手はずだ。
「頑張りましょう」
にっこりと微笑む不知火真琴(
ga7201)に空閑 ハバキ(
ga5172)が頷く。
「森の音、聞こえなくなったら要注意?」
「そうですね、木の上からという事も注意しておきましょう」
散乱する残骸の中、ワーウルフの足跡も、沢山ある。新居・やすかず(
ga1891)は、四方に散らばっていったワーウルフの足跡を確認して頷いた。痕跡は、比較的簡単に辿れそうだった。
班構成で、多少の齟齬はあったが、ほぼ全員が同じ見解であったため、2班に別れる事が出来た。
修道院寄りで北へ進む2班と、修道院から離れて進む1班。
「結構荒らしながら進んでいます‥‥」
エリアノーラの声が幾分か低くなる。覚醒だ。探査の目を活性した彼女のおかげもあり、問題無く、山を進む事が出来る。
京は、爪でえぐられたような木を撫ぜる。
踏みしだかれた草から、緑の匂いが強く香った。
「来るぞっ!」
木々が揺れる。
臭いも、動きも、隠す事もしないワーウルフが、1班へ襲い掛かった。
「簡単にはっ!」
「所詮獣かっ!」
やすかずとCerberusがペイント弾を打ち込む。衝撃が、ワーウルフを揺らがせる。流石に、顔には当たらなかったが、十分である。
「こっちもっ!」
2体目も、同時に攻撃をしかけていた。ハバキが叫び、ディフレクト・ウォールを活性化させた彼のリセルシールドが、爪をがっちりと受け止め弾き飛ばす。ハバキの視界には、彼だけに見える、蛍のような光りが乱舞する。覚醒だ。ハバキが止めた、その僅かな間に京のディガイアがワーウルフの腹をざっくりとえぐった。
「逃がすか。貴様とは違う牙を味わってみろ」
ペイント弾を喰らったワーウルフが体勢を立て直す間に、Cerberusは、その足を振るう。刹那の爪が、ワーウルフを襲った。右手の甲に、紫の紋章が浮かび上がる。覚醒だ。やすかずはスコーピオンで撃ち続ける。山の中に、銃弾の響が木霊した。その音は、1班のものだけでは無く。
同じ頃、1体のワーウルフに2班も襲われていた。
覚醒を時々行うのは、ジングルス。その度に、ふうわりと花の香りが辺りに漂っている。
花香に釣られたのかそうでないのかわからないが、ワーウルフが、現れる。その足は、速い。
「チッ!! すばやいな!! 逃がすかよ。流れ弾が当たっても自分の運のなさを恨め」
本当は弓の方が得意なんだがなと、紫翠が小銃シエルクラインを構える。綺麗な紫の双眸が、真紅に色を変え、1つに括られた髪紐がほどけて、絹糸の束のような金髪が、ざあと流れる。それに伴い、言葉使いが荒くなるのは覚醒の成せる技だ。
「っ!」
接近されていたキトが、ワーウルフの爪で僅かに怪我を負う。白銀の髪が、青銀色に変わり、淡く発光しつつ、ふわりと浮かぶ。真っ青な双眸が金茶色に色を変え、危機に伴い、覚醒が成される。怪我した腕を押さえるが。
「大丈夫、大丈夫〜☆」
慈海の練成治療がキトへ飛ぶ。
ほんのりと赤みのさす肌は酒を飲んだ後のようだが、覚醒を果たしているからだ。
「避けれるものならっ!」
「コケんなよっ!」
刹那の爪でワーウルフを蹴り上げるのは真琴だ。真っ白な髪と青い双眸に、赤い炎の色が映り、僅かに赤い残像を残して、刹那の爪がワーウルフを襲う。そんな真琴に声をかけて、紫翠がペイント弾を打ち込むのと同時に、ジングルスはファングをワーウルフの顔面鼻先へと叩き込む。流れる動きについて、花の香りが漂った。
無線で無事を連絡しあい、東から北への索敵を終えれば、入り込んだと見られる相当数のワーウルフが全て退治されたのが確認された。
●祈りの夜
月が出ていた。満月とはいかず、三日月ともいえない、欠けた月。
ワーウルフが退治されると、森に生物の気配が戻る。小さな動物や虫達は正直だ。
やすかずは、淡い蒼い陰影を地上に落とす月を見ながら、初めて能力者として戦いに出た日の事を思い出していた。
あの時も、月が出ていた。
(「‥‥気付けば、あれから8ヶ月か」)
傍らの銃、スコーピオンを見ると感慨深い。様々な戦いをくぐり抜けた。あっという間に過ぎた時間。
手に入れた力と、変わり行く戦局。世界は、どう変わっていくのだろうと、変わらない月の光りに一人問いかける。
「廃墟は、人気が無いと、寂しいものですね?」
仲間達の気配がかすかにする。最初に足を踏み入れた時に比べれば、少しだけ、息を吹き返したかに見える、修道院。
月の光りに目を細めて夜空を見上げる紫翠は、その蒼白く照らし出されるリラの修道院の中庭で溜息を吐く。
(「あの時みたいな思いは‥‥沢山です」)
背に負った傷が痛むような気がする。
辛い記憶に直結するのは、月の綺麗な夜。
長い影がリラ修道院の影に混じり。
「‥‥本当に居るのだとしたら‥‥」
神は意地悪では無いのかと、Cerberusは自嘲する。
軽い金属音が響く。ジッポライターの蓋を、何所を見るでも無く、眺めながら弄ぶ。
(「大切なものを失って、俺はこの道を進むことになった。過去を捨て、今を彷徨う犬になった。この姿をお前はどう思うのだろうな‥‥」)
ふっと、笑い、らしくないなと呟く。
感傷的になるのは、この場所が懺悔を聞く場所だからかもしれない。
昼の陽に晒されて暴かれる無残な姿も、夜の光りの中では、その静けさだけが追って来る。
聖なる──場。
どうも落ち着かないがと、Cerberusは苦笑しつつ、また、夜空を見上げる。
キトは、仲間達から離れた場所で、修道院を見て回る。聖堂を囲むように建てられた回廊。鮮やかな装飾。神の画。神の姿。青白く浮かび上がる様は、現世と隔絶されたかのような浮遊感を漂わせる。沢山の人々が、この回廊を行き来し、聖堂に祈りを捧げに来たのだろう。まるで、今も、朝日が昇れば、多くの参拝者が姿を現すかのようだ。
そう、とても多くの参拝者が居ただろうに。
この場所で祈りを捧げる人々に、神は何を与えてくれたのだろうかと。
(「‥‥バグア、か?」)
笑えない冗談だと、自分の考えに、キトは苦笑する。
神。
神を信じれば、心は安らかなのだろうか。
けれども、素直に神を信じる事が出来ない。
「ごめん‥‥」
聖堂へ‥‥いや、神を信じる人々へ、キトは謝った。死者の魂が安らかなる事をと、それだけの祈りも、捧げられないから。
死出の旅路の果ての先を知らない。
その場所に、神が居るのかもわからない。だから。ごめんと。
傷ついた修道院。
山が壁になり、山際すれすれに、聖堂を囲む回廊がある。外壁は駐車場だった場所ぐらいか、山腹からしか眺める事は出来ない。遥か昔には、責め難い要塞だった事だろう。
回廊の赤茶の屋根も夜の色に染まっている。
京は、紫煙をくゆらせた。
能力者として戦いの日々を送っていると、祈りの場所など、縁遠くなる。
真に不幸を体感すれば、人は祈りすら手放す。祈っても神は居ないと気が付いてしまうからでは無いかと。しかし、祈る気持ちがあれば、人は他人に優しくなれる。神は、そんな人の心の形ではないだろうかと、京は思う。
(「‥‥多分」)
煙草をもみ消し、携帯灰皿に押し込むと、京はくすりと笑った。
「さて、軍曹殿構いに行くか」
らしくない時は、誰でもあるもので、そうそう長くは続かないが。
「デラードくん」
静かで張り詰めた空間を、歩いてくるのは慈海だ。
慈海は揺るがない。
その人生経験故なのかもしれない。
見つけたと思ったデラードの姿が、すっと聖堂の闇に消える。
やれやれと、慈海は溜息を吐く。
人は神に祈る。
祈っても、叶うとは限らない。
だが、人は神に祈る。弱いから。
祈る事で、強くなれるから。
祈る先が神でなくても構わないと、慈海は思う。神の代わりに、自分の心だったり、信頼出来る仲間だったり。
「人生山あり谷あり、明けない夜は無いよ」
立ち去られた空間に、声をかけて、また、にこりと慈海は笑う。
飄々とした風情で、笑顔を絶やさない。何時もなら、その笑顔に、笑顔で返し、酒を飲みながら慈海の話を聞いて笑ったろう。良き友の1人であり、人生の先輩であると、デラードも思っている。けれども、どうも今日は勝手が違うようであった。
また。
置いていかれたら。
心を追い立てる、不安。それは恐怖に繋がって行く。
大切な人が出来ると、失う事の怖さに震える事がある。いつも側に居て、離れないで居る事など出来ない。だから、思うのだ。自分のかける心や行動が、たとえ今限りのものだとしても。今限りの事だから、なおの事。大切な人に出来る限り心を砕こうと。
がらんとした聖堂で、祈るのは、与えてもらった温もりと優しさを、同じように手渡す事。共に、今日を越えて行けるようにと。
失う事は怖いけど、手を差し伸べないままの方が、遥かに怖いから。震える心を抱きつつ、明日を望めるようにと。
ただ、祈る。
人の気配の少なさに、僅かに心細くなる。
静かに祈っている人が多いからかもしれない。仲間を探そうと、歩き出すと。
(「あ‥‥」)
見慣れた人影が、聖堂の影に見えた。
デラードだ。
軽口を叩き、女の子に甘く、何時も陽気な軍曹が、どこかを見据えて、ただ立っていた。話すきっかけに、煙草でも差し出そうと考えて、そういえば、煙草は酒の席でも吸ってなかったっけかと、逡巡しつつ、ハバキは声をかけようと近寄ろうとする。しかし、気配を察知されたのか、デラードは聖堂の闇に消えて行く。
「また‥‥ね?」
聞こえるようにと、声を出し。
「『お前は』何を祈るんだ?」
ジングルスは、暗闇の中で、デラードに小さく問いかけた。普段と違う顔らしいというのは見て取れる。そういうジングルスも、へらりと笑った何時もの姿とは違う。群れからはぐれた獣の気配。
ちらりと、ジングルスを見ると、デラードは口の端で笑った。
ジングルスは、煙草を吐き出す。
『軍曹』の考える事はわからない。けれども、冷めた目をした『獣』は何を祈るのだろうかと。
宗教を守るために要塞となっていた事のある修道院ではあるが、祈りの場所の面影は、何所の修道院でも同じものがある。紫煙がゆらりと闇に溶ける。
神に祈れば、神からもらえるモノがある。それは、神に対しての物乞いと同じだろうとジングルスは思う。欲しいモノがあるのなら、自分の力で踏み留まり、手に入れる。神がもし、居るのならば、その為の力を人に与えたのだろうと思うから。
くるりと踵を返し、片手を上げ、ひらひらと振るデラードを、何を言うでも無く見送った。
静かに祈りを捧げていたのはエリアノーラだ。
冷たい床が自身の体温で僅かに温まる。
胸に抱えるのは大切な思いの品。
窓から零れる、夜の光りが、エリアノーラの祈りを受ける。
死出の旅路へ向かう全ての魂が、無事に、主の御許へ召されるようにと。ただ、それだけを祈る。
祈りで得られるものは、自身の心の平穏だけ。
何も答えてはくれない十字架。偶像。神と言う名の象徴だと、今は思う。
(「寛容なる主も、子供の我侭にはお困りになったでしょうね」)
幼い頃は、教えをそのまま、信じて祈った。
今思えば、無理な祈りだった。
主に召された父親に会いたいと。
今はもう、それが無理な祈りと知っているけれど。
「かみさま、か‥‥」
真琴は壊れた柱をそっと撫ぜた。
祈りも、願いも、聞き届けてくれるのは神などでは無いと、真白き髪した少女は、夜の蒼さを双眸に写して呟く。投げやりな気持ちでは無く、彼女が身に染みた事実なのだろう。
本当に辛い時に手を差し伸べてくれるのは、近くに居る親しい人だという事を、十二分に知っている。
(「でもね‥‥」)
この場所は嫌いでは無い。
祈り、願う、その心の在り様は嫌いでは無いから。
誰も知らないからと、自暴自棄に生きるのでは無く、誰も知らなくても、神が見ているからと、行いを正す、その心の在り方が好ましいと思うのだ。
すぐには無理かもしれない。まだ、戦線は近い。
けれども、いずれまた、この場所で人々が祈りを捧げられるようにと、そう願う。
月光がリラの修道院を蒼白く照らす。
能力者達の祈りが、この場所での最後の祈りにならないように‥‥と。
PN。
ヨーロッパ大規模作戦のブルガリア南下戦線はひとまずの落ち着きを取り戻しつつあった。