●リプレイ本文
●惑う海
何処となくざわついている港から、船を2艘借り受けて、能力者達は、静かなはずの海へと乗り出した。
囮を勤める先行する釣り船『うみねこ』の操舵を受け持つホアキン・デ・ラ・ロサ(
ga2416)は、僅かに目を眇める。海図に記されたのは、連絡を絶った船の位置。すなわち、沈んだと見られる位置である。
淡々と告げる三山に、ホアキンも特に何を言うでもなく、ひとつづ頷いていく。
(「再び現れた理由‥‥」)
人魚キメラは、以前にも壱岐海域に出現している。その時は、HWと共に現れたのだが。それ以来、人魚キメラ‥‥海域にキメラの影はめったに見るものでは無くなっていたようだ。
冷たい海風が、『うみねこ』に吹きつける。
「‥‥再侵攻の前触れかな?」
漁船のレーダーは、目視の範囲しかその役目を果たさないし、海中には効果が無い。海中ソナーがあれば、海中からの接近もわからないわけでは無いが、そこまでの装備は無かった。頼みの綱は魚群探知機だが、そもそも、一匹二匹の魚を確認するものでは無い。
解放されたといっても、福岡バグアは、先の戦いから守りを強固にしている。ジャミングは日常のもののようであり、双眼鏡を手にする。
「海を綺麗にお掃除しましょうか♪」
『玄界灘一本釣りクラブ』に、夏に面識の在る大泰司 慈海(
ga0173)は、暗い話しを吹き払うかのように笑顔で三山に話しかけていた。帰ってきたら、刺身と地酒で一杯やりましょうと約束をとりつけていた。
キメラだけど。そう思いつつ、慈海は人魚キメラを思い浮かべる。
「‥‥人魚って、いろっぽいのかなぁ〜?」
「人魚ですか? 見た目のわりに、やっかいのような気が、します」
その呟きに返すとも返さないとも言えぬ口振りで、榊 紫苑(
ga8258)がひとり頷く。
水中から上がってくる事は無いと思いますがと、小首を傾げるが、出会ってみなければわからない。
「そろそろ、海域ですか?」
紫苑が呟き、耳栓をつけ、ひとり心中で呟く。
(「無いより、まし程度の可能性です」)
人魚キメラの能力がどれほどのものかと考えるのだ。
(「来た」)
ホアキンの手が上がる。その手には、磔刑の釘痕のような痣が赤く光り、滲んで見える。覚醒だ。
簡単なハンドサインと、後続の船へ連絡するための手旗信号は、打ち合わせてある。万が一のシグナルミラーの合図もきちんと打ち合わせが出来ていた。
魚群探知機が反応を示す。確実ではないが、何か大きな影が近付いてきているのが、赤い幅となって画面に現れる。キメラと聞かされていなければ、ただの魚と思うような影だ。そして、その影は、近い。
(「潜りましょうか」)
(「よろしく」)
ダイビング装備に身を包んだ、辻村 仁(
ga9676)が、吾妻・コウ(
gb4331)と頷き合い、海中へと飛び込む為、船の縁へと移動する。
「気をつけてね〜☆」
ほんのりと酔ったように肌が赤みを帯びる慈海は、飛び込む2人に、練成超強化をかける。耳栓で聞こえては居ないが、その配慮に仁とコウは飛び込み様に小さく頷いていった。
(「浮かんで来ないね‥‥」)
波は、仁とコウが飛び込んだ揺れを、すぐに消し去り、何事も無いような水面を作っている。海中には、キメラが確認されているというのにだ。
慈海は慎重に波の変化を読み取ろうと海面を見ている。
ホアキンも僅かに眉を顰めつつ、魚群探知機と双眼鏡とで、周辺の警戒を怠らない。
(「役立たずになっていたら、申し訳ないですね」)
周辺を索敵するホアキンと慈海の間を陣取り、2人の動向に注意する紫苑は、船上に万が一キメラが上がって来る事を想定して、日本刀天照の柄を握り込む。
キメラ出現の知らせは、遠くに待機する、追撃船『はまゆう』へと送られるが、追撃船の魚群探知機にはまだ陰も形も無い。
「‥‥接近します‥‥耳栓の準備が必要ですね‥‥」
操舵を勤める、終夜・無月(
ga3084)が、船を動かしはじめる。エンジン音が、海上へと響いて行く。
耳栓の上にヘッドフォンをつけるのはアンジェラ・ディック(
gb3967)。因果関係がはっきりせず、申請もされなかった為、ヘッドフォンは持参したアンジェラのみがつける事になる。
表情を変えずに、アンジェラはアサルトライフルを片手に、前方の囮船を眺めて、貫通弾を装備する。金属の音が軽く響いた。
「コールサイン『Dame Angel』、ミッション開始」
冷たい風が、船上の女性2人に吹き付けた。オリガ(
ga4562)は、思った通り、風が強いなと、揺れる船の上でスナイパーライフルを抱え込む。
「浮かんできた所を狙い撃ち‥‥出来たら良いですね。一度の攻撃でそれなりのダメージを与えないと、面倒な事になりそうですし」
「そうね」
狙撃手の女性達は頷き合い、油断無く前方を眺める。
「皆にいと高き月の恩寵があらんことを‥‥」
無月がつぶやく。
人魚キメラの速度を、魚群探知機で確認しつつ、ホアキンはぎりぎりの速度で、船を動かす。
『うみねこ』の後ろから、コウと、仁は、離れないように海中を泳ぐ。
しかし、中々追いつけない『うみねこ』に、人魚キメラは、必死で追ってくるようだが、水面に顔を出す事は無かった。
(「簡単に誘い出てはくれないという事か‥‥ならば」)
ホアキンが、『うみねこ』を停船させた。
(「‥‥出て来ないと‥‥いう事ですね‥‥」)
無月が、それを見て、『はまゆう』を停船させ、手にする武器で応戦仕様かどうか、しばし考える。
月光のような金色の瞳が、冷静に状況を確認する。
(「魔創の弓で‥‥攻撃に参加する間も無い‥‥?」)
ホアキンの動かす『うみねこ』は微細な動きを要求する。何時また動き出すかわからないのならば、操舵に専念するのが良いだろう。
「嫌な‥‥感じですね‥‥」
釣っているのは、こちらだというのに、釣られているかのような嫌な感じも背に這い登る。
魚群探知機を、ホアキンが静かに見据える。
(「これなら、どうかな?」)
海中で迫る人魚キメラは、コウの試作型水中用拳銃『SPP−1P』の水弾に散開する。
慣れない武器と、たゆたう上下の感覚の無い海中で、コウは出来る事を全力で行うつもりだった。ざあっと別れ際に、もう一度水弾を撃つが、当たらない。
(「高い壁を乗り越えていかなければ、追いつけませんからね」)
目指す目標は遥か彼方。その場所を思い出し、僅かに、手に力が入る。しかし。
海底、4方向に別れて動く人魚のどれに最初に的を絞ったら良いのか。
海中の仁とコウは一瞬動きが止まる。
船に近寄らないのならば、無理に追いかける事はしないようにと、ハンドサインで仁とコウは伝え合う。
その間に、4方向に別れた人魚は、コウと仁が居ない方角から、漁船に迫り、船に取り付いた。
一方向から船を狙うわけでは無い。
ざばっと顔を上げる人魚は、ぬばたまの黒髪、白磁の表。切れ長の大きな目。あらわになった胸元は、何所までも白く。
その白い胸に、紅い花が咲く。銃弾が打ち込まれたのだ。
銃声が何発も響く。
狙い違わず打ち込まれて入るが、その弾丸の衝撃で、人魚キメラがとりついた船体がぐらりと揺れる。
ホアキンは、人魚の位置を確認しようと、魚群探知機を見るが、船体近くに寄られ過ぎ、はっきりとは確認出来ない。軽く舌打ちをすると、何所からとも無く、音が聞こえてくる。
耳栓だけでは、打ち消せないが、直接響くタイプでは無いようである。
(「くそっ!」)
首を強く振り、その束縛から逃れると、もう音は無い。
船体にとりついていた人魚達の2体は、ぷかりと浮かんでおり、残り1体は、深手を負い、逃走を開始していたが、あの傷では何処まで持つか。慈海の虚実空間が展開されていた。
(「スキあらば‥‥」)
コウは、銃と別に持っている試作型水中剣アロンダイトを確認する。
その少し前、船体にとりついた人魚を追おうと、仁とコウは一番近い人魚へと向かっていた。散開しても、船を沈めるのならば、寄ってくるのだから、待てばいいのだ。
青く暗い水中を泳ぐ。
(「ふぅ‥‥」)
途中、潜りすぎてはいないか、ダイバーウオッチで、仁は時間を確認する。酸素ボンベはまだ十分にある。試作型水陸両用槍蛟を構える。その背後から、コウのSPP−1Pが、3発目の水弾を人魚キメラへと撃ち込めば、それは僅かにうねる人魚の尾に当たり。水中へ潜って逃げようとする人魚に向かい、仁の槍が突き刺さる。
(「くっ!」)
気泡がふたりの周りから海面へと伝って行く。
ざばりと水飛沫を上げて船上へと上がった人魚1体を、紫苑が天照で屠っていた。
「まずいな? 避けやがる。これは、やりづらいな」
紫苑はあと1体、人魚が顔を引っ込めた海面を睨む。丁度居る場所に顔を出してもらわなくては、船の上を移動しなくてはならず、全体を眺めて居ない為、どうしても後手に回る。穏やかな微笑みは既に無く、酷薄な青い瞳が、漆黒の髪に縁取られて、冷たい言葉を言い放つ。
追撃船のアンジェラとオリガの銃弾は、狙い違わず、人魚キメラを屠っていた。
「あと何匹かしら」
「待ってもいられませんし」
耳栓をしたまま、2人は呟き、頷きあう。
追撃船に、ターゲットが変わった場合、引き合い、その中心に人魚キメラを誘い込む打ち合わせは万全だった。
だが、人魚キメラが本格的に逃走した場合は?
「援護するよ〜っ!」
やはり、声を振り払うように頭を振った慈海が、超機械ζで電磁波を発生させる。だが、それは海中何所まで届いただろうか。
(「私も海中へと潜ったほうが良いでしょうか」)
オリガは銃を抱えて、海中へと飛び込もうかと考える。とろりとした水銀のような右目を中心に、楔形の文字が絡みつくように肌に浮き上がっている。
だが。と、少し首を傾げる。また、顔を出す可能性もある。
(「こっちへ来ている風でも無い?」)
アンジェラと視線を合わせた無月が、首を横に振り、人魚が逃げた方向を指差す。
ホアキンは、巧みに船を動かして、人魚が寄って来易いようにと動くが、人魚キメラが寄ってくる気配が無い。オリガの推測通り、一度に全ての人魚に深手を負わせなければならなかったのだ。
一般人の攻撃で、キメラは余程の事が無ければ、傷つかない。その、ロストを確認する手はずのある相手が、背後にいるのならば、釣り船に居るのは能力者だと簡単に推測出来るはずである。
こちらが索敵哨戒をしているのと同じように、バグア軍も索敵哨戒の為に人魚キメラを出しているとしたら。
「‥‥何‥‥これはっ!」
無月が思わず声を上げる。
(「何っ!」)
同時に、魚群探知機に視線を戻していた、ホアキンは息を呑む。
その危険を想像する余地はあった。
●バグア軍迫る
人魚の逃走した方角の水面がごぼりと泡立ち。
「まずい」
HWと、無数のキメラ。
遠目に見えるそれは、逃走するには、ぎりぎりの距離だと解る。
「うっそー。一軍が居るって事なのっ?」
慈海が叫ぶ。
衝撃が、バグア軍に僅かに近かった『うみねこ』を襲う。
とっさに舵を切ったホアキンのおかげで、ミサイルは船尾を掠めて海中へと沈んでいき、爆発する。その爆発は、海中の仁とコウを巻き込み吹き飛ばし、『うみねこ』に乗っているホアキンと慈海、紫苑にもダメージを与える。
「練成治療は任せておいてよ〜っ!」
「船を沈めた敵は、人魚だけではなかったと言う事だな」
ホアキンは、船首を返し、全速力で、逃走を開始する。人魚キメラ以外の敵遭遇時に、海中の2人はとっさの行動がとれないでいた。
慈海と紫苑が引っ張り上げて、治療をするが、酷いダメージを受けている。
海面をバウンドするかのように、舵を切る。無月が船足を上げる。
「こちらは‥‥大丈夫‥‥。逃げ切ります」
「追い縋るのは、キメラだと思っていたけれど‥‥ね」
敵増援、追撃の危険をアンジェラも想定していた。届きそうで届かない、キメラ達を牽制する意味で、あらん限りの銃弾を撃ち込み。
「水中の2人、大丈夫でしょうか」
オリガが『うみねこ』を見れば、慈海から、大きな丸マークが返り、皆無事であると知れて、ひとつ息を吐く。
バグア軍は、ある程度逃走すれば、それ以上は、踏み込んで来ないようだ。
一線を越えれば、九州駐在UPC軍が出てくるからである。
ぐったりとした仁が唇を噛む。
「何が足らなかったかな」
海中は、四方八方、広いフィールドになる。相手のテリトリーといっても言い。予測のつかない攻撃や、もし重体になった場合、万が一の逃走方法が必要であるのかもしれない。
「でも、バグア軍‥‥確認出来ましたね」
コウが息を吐いて、首を横に振る。危険の度合いを軽視したつもりは無かったが。目指す高みを思い、次こそはと心に誓う。
「皆さん、お疲れ様でした。さすがに、今回は手こずりましたね?」
小さく溜息を吐く紫苑は、海で命を落とした人の無念を晴らす一端になれただろうかと、振り返る。願わくば、安らかな眠りが訪れますようとも思うが、どうやら、その願いは少し先になるようだ。
ふと見れば、港に黒煙が上がっている。
慈海が渋面を作る。
「三山さん達はっ?!」
どうやら、もう沈静化しているようだが、ひと揉めあったようだ。
九州UPC軍の小型哨戒船が近寄ってくる。
『出てきた港に戻るのは、危険です。バグア再侵攻に呼応するように、親バグア派が、活発化してきています。どうぞこちらへ移って下さい』
2艘の船はまだ動く。しかし、急いでこの海域を離れなくてはいけなくなったようだ。
九州戦線が再び活発化しはじめたのだった。
──壱岐対馬間にバグア軍来襲。
その報は速やかに、九州UPC軍へともたらされた。
東アジア軍中将。椿・治三郎以下幕僚達は、その報に眉を寄せた。