●リプレイ本文
刃が肉を裂き、撃ちだされた銃弾が内臓をえぐる。
噴き出す血。
荒い呼吸、噴き出る汗。自らも血を流しなら敵を倒すために武器を取り、勇敢に戦う能力者たち。
これはなんだ?
俺はなにをやっている?
剣を振り回し、必死にキメラの突進をかわし、思うことはもう失った夢だった。
使いこなれた様子に適度に散らかった小部屋。
鼻につく匂いは鮮やかな色彩を放つ顔料の匂い。
小さいが自分だけのアトリエ。
まだ学生である自分がこんな部屋をもてる。それはとても恵まれていて、幸福なことだ。
学校から帰るとすぐにこの部屋にこもり、芸術の女神の声を聞こうと躍起になる。
美しい女性を描いた。
雄々しく戦う騎士を描いた。
どこまでも広がる生命力にあふれた自然を描いた。
まだまだ他人に認められるような出来ではない。欠点も多い。何よりも未熟であり、そしてなにかが不足していると感じていた。
それでも楽しかった。
一心不乱に線を引き、その線は思い描く姿となり、そこに筆を入れ、そこには心の中にあった人物が、風景が現れる。
技術は拙くとも情熱はもっていた。
そしていつか、心の中にしまわれた美しい景色や人物を完璧に、いや、より美しく生き生きと表現できる日が来ると信じていた。
そんな夢の中で戯れるような日々に奴らは突然やってきた。
能力者の適性がある。
世界をまもるために戦って欲しい。
そんなものに興味はなかった。
俺はただ、この胸の内にある美しさを、自らの手で表現したいという欲求しかなかった。
それでも気がつくともう断れない状況になっていた。
俺は夢のアトリエから連れ出され、そしてきっともう二度と戻ることはない。
能力者の才能などいらない。
俺は芸術の女神の声を聞き、その腕に抱かれ、導かれるままに夢の光景を描きたかった。
俺は決めた。
能力者にはなってやる。
けれど世界をまもってなどやらない。
ただ気の向くままに遊びほうけてやる。
夢のアトリエを失った俺に、もう執着すべきものなどありはしないのだから。
ジョン・マルケルスはその日以来、筆をとったことはない。
芸術の女神の声は聞こえない。
夢のアトリエに足を踏み入れることはない。
もうすべてが終わったのだと思っていた。
自分はもう美しさに焦がれることも、突き動かす衝動を感じることも、心をふるわせるものに出会うこともないのだ。
ある日であった小さな少女。
金色の髪が日の光に輝き、ふわりとした服装がまるで妖精がベールをまとっているようだった。
青い瞳に強い好奇心と憧憬の念を浮かべ、頬を赤く染めていた。
とても小さな女の子。
「小さな妖精さん、怪我はないかい?」
夢もなにもなくなった戦場に紛れ込んできた妖精。
ふとこの子を描きたいという欲求が浮かんだがすぐに打ち消した。
もう、すべては終わったのだ。
「なあ、ジョンさんよ。この嬢ちゃんとずーっと付き合えって言ってるわけじゃあないんだ。依頼が来ておたくのボスがそれを受けた。それなら任務を遂行するのがプロってもんだ」
ああまったくその通りだ。
目の前の男の言っていることはよくわかる。
マクシミリアン(
ga2943)といったか、今回のもめ事の後始末にかりだされたらしい能力者だ。
ジョンより年長で、ロバート大尉とほぼ同年代に見える。
身長が高めで、黒い髪を後ろになでつけたすっきりした容姿の男だ。
「あんなガキとデートしろっていうのか? 俺は女好きだの軽薄だのいわれるのは慣れている。だけどな、変態と呼ばれたらさすがに傷つくんだよ」
ああ、まるで聞こえてくるようだ。
『ジョンのやつ、ついに普通の女には飽きて子供に手を出したらしいぞ』
悪意ある陰口がいまにも聞こえてきそうだ。
しかしマクシミリアンは相手にしなかった。
「だいじょうぶだって、なあに傍目には兄貴と妹が連れ立って歩いているようにしか見えないから恥ずかしくないって」
全然似てないのに兄妹を連想させるのは無理がある気がするが。
「一日だけ、あの子にいい思い出をプレゼントしてやればいいんだよ。簡単だろう? 仕事だと割り切れよ」
確かに、簡単かもしれない。
けれどジョンにはいまいちあの子が何を望んでいるのかよくわからないでいた。
「そうはいっても俺、あのガキをたすけた憶えなんてないぞ。たまたまドンパチの現場に紛れ込んできたから声をかけただけだ。もちろん口説いてもいない」
不機嫌そうな女性が声を荒げた。
「ボクだって似たような経験あるんだけど、気を失いかけてたからその人の顔もなにも記憶に残ってなくて、今どこにいるかだって知らない」
柿原ミズキ(
ga9347)だったか、いまにも殴りかかってきそうだ。そばに立つ少年が必死になだめている。その少年はなぜだか怪我だらけだ。
たしかイスル・イェーガー(
gb0925)だったかな。
なにかの作戦で負傷したのだろうか。
それでもおさまらないらしく柿原は怒鳴り散らした。
どうでもいいが騒がしい女だ。
「あんたみたいな奴、ぶっ飛ばしてやりたいよ。でもそんなことをしたって何にもならない」
憤りをこらえるかのように拳を握り全身をふるわせる。
おっかない。
なにを怒っているのか知らないが、よほど我慢ならないらしい。
イスルは特に口を出す気はないらしく様子を見守りながら怒れる女をなだめている。
「仮に俺がオーケーしたとしても、あのお嬢ちゃんが会いたがるか? とっくに幻滅して顔も見たくないんじゃないの?」
ま、出会い五秒の別れって感じだったからなぁ。
「そっちはそっちで仲間が行っているところだ」
マクシミリアンが自信ありげに請け負う。
「へぇ、そうかい」
故意に情報を隠匿されたような詐欺まがいの仕事だが、仕事は仕事だ。
まぁ、つきあっても悪くないかもしれない。どうせヒマだ。
「会うのなら会ってもいい。ただ妙な期待はしないでくれよ。俺はガキをくどく趣味はない」
「なによその言いぐさは、もとはといえばあんたのせいでしょうが!」
柿原がまた怒鳴る。
俺はなにもしていない。
っていっても納得しそうにないな。この女は。
「まぁまぁ、そういわずに未来のべっぴんさんをしっかりエスコートしろよ、色男!」
「どうせなら十年後に逢いに来て欲しかったね」
きっと将来は美人になりそうなのは、俺も同意するところだ。
あのとき出会った男の人は、とても綺麗で優しくて。
もう一度会って、あのときご迷惑をかけたお詫びと、お礼を言いたかっただけなのに。
なのに、なのに。
‥きっとご迷惑だったんですね。
すっかり落ち込んでいる少女を囲んで、三人の能力者は元凶への憤りと少女への同情ですっかり親身になっていた。
門鞍将司(
ga4266)は近くの喫茶店でイレーヌ・エマールの話を聞いていた。
ケーキセットに口をつけながら細い糸目をますます細くして困ったようにイレーヌを見た。
さてどうしたものか。
少女の隣の席に着いた和服美人、木花咲耶(
ga5139)が少女に優しく問いかけた。
「もう一度会いたいと思っておりますか?」
イレーヌはしばらく迷ったが、「ご迷惑でないならお話がしたい」と答えた。
迷いながらも決断した少女にシァン・ツァイユン(
gb3581)は穏やかなほほえみを向けた。
引きこもっていると聞いたからもっと内向的で打たれ弱い子かと思ったが、案外しっかりした子らしい。
「わかりましたわ。頑張って会ってみましょう。レディーからお誘いしているのに断る殿方は私が許しませんわ」
咲耶が優しく微笑む。
笑顔の裏でもしもの時は叩ききる覚悟を固めていたりする。
「頑張ってください。恋をするほど女性は綺麗になるものです」
そういうとイレーヌは慌てたように手を振り、それだけでは足りないのか首を振り、さらに足をばたばたされて顔を真っ赤にした。
「こ、恋とかそういうのじゃないんです!」
「えっ、違うのですか? 私はてっきり‥」
門鞍が思わずつぶやくとイレーヌは小さな声で「そういうのじゃないんです」とつぶやいた。
ただ、なんとなく気になっただけなんです。
とても、つらそうで、悲しそうで。
どこかへ消えてしまいたがっているような、そんな悲しい人に見えたから。
OSAKA文化学術研究ミレニアム。
エイジア学園都市として親しまれる都市は、戦火も遠く、治安もよい、穏やかな日常が当たり前に約束されているような町だった。
約束の公園。
薄緑色のワンピースに白い上着を羽織り、手にはポーチをぎゅっと握って少女は待っていた。
多くの人たちが通り過ぎていく。
笑顔を浮かべ、無邪気なおしゃべりに熱中して歩いていく。
そしてその人の流れを自分には関係ないといった仏頂面でやってくる青年を見たとき、イレーヌの胸は高鳴った。
黒髪を肩に流し、琥珀色の目はどこか覚めたような周囲を突き放すような冷たさを持っていた。白のスラックスと黒のシャツが嫌みなく似合っているすらりとした姿。
彼だ。
ジョン・マルケルスはこちらの視線に気がつくと、表情を改めた。
穏やかで、優しげで、どこか蠱惑的な微笑に。
「やあ、この間は悪かったね」
イレーヌが知るはずもないが、これはジョンの女性を口説くとき専用の営業スマイルだ。
そんなことは知らない純情な少女は高鳴る鼓動に思考回路がどこかへ行ってしまいそうになりながらもなんとか平静を装った。
「いえ。お忙しいなか、すみません」
ふん、なんだか大人みたいなガキだな。
ジョンはそう感じ、そういう子供ならば普通に女性に対する態度で問題ないだろうと考えた。
見張りもずいぶんいるようだ。
イスルと柿原、後の三人はこの子を説得していた能力者だろう。あの男はいないのか?
周囲をそれとなく見渡しているとイレーヌが声をかけてきた。
「少し歩きませんか?」
「ああ、かまわないよ」
公園の中を目的もなく散策して、いろいろなことを話した。もっぱら話すのはイレーヌでジョンは聞き役だった。
学校の話、友達の話、将来の話。
いろいろな話を少女は夢見るように楽しそうに語った。
本当に楽しそうで、うれしそうな少女を見ているうちにジョンはふと思い出していた。
あのアトリエは、残してきたたくさんの絵画はまだあそこにあるだろうか?
「ジョンさんは世界をまもるために戦っているんですよね?」
「ちがうよ」
何気ない問いかけをジョンは笑って否定した。
「俺は戦いなんて嫌いだよ。世界なんて気にしたこともない。だってそうだろう、俺が戦わなくてもどこかで誰かが戦うだろう。なら俺が夢をあきらめてまで戦わなければならない理由はどこにある?」
イレーヌは言葉に詰まりながらもたずねた。
「ジョンさんの夢ってなんですか?」
ジョンは笑った。
誰にも見せたことのないような、すがすがしく、ただ夢を見続けていたあの頃の笑顔で言った。
「絵を描くこと。芸術の女神の導きのままに俺の信じる美しいものを表現することさ。それに比べたら戦いなんてくだらなすぎて真面目になんてとてもなれないな」
世界をまもる騎士の意外な本心。
けれどイレーヌはそれを特別意外だとは思わなかった。自分が必死に語りかけたような夢が、彼にもあったのだ。それはとても普通のことで、当たり前のことだった。
能力者にならなかったら、きっといまでも彼は夢を追い続けただろう。
でも能力者になったいまでは、そんなささやかな夢も叶えられないでいるのだろう。
「ちょっと待っていてもらえますか」
「どうしたの? 幻滅でもした?」
意地悪そうに問いかけるジョンにイレーヌは強い口調で言いはなった。
「絶対待っていてくださいよ!」
そうしてスカートの裾が乱れるのもかまわず走り去っていく。
なんなんだろうねぇ。やっぱガキはわからん。
自販機でコーヒーを購入し、その場で待つ。
香りが強く、ほのかな甘みのあるコーヒーだった。
ちびちびとなめるように飲んでいるとイレーヌがどこかの店の袋を抱えて戻ってきた。
「これ、お礼です! 今日はありがとうございました」
そういって差し出した袋の中身はスケッチブックとペンだった。
この小さな妖精は、この俺にこれで絵を描けと言っているのだろうか?
昔のようなアトリエはなくても、絵を描くだけならばできるとでも言うのだろうか?
必死に走ってきたのだろう、服にしわが寄り、息が上がり、頬を紅潮させて必死にこちらを見つめている。
これが芸術の女神の計らい、なのだろうか。
ジョンは小さく肩をすくめるとスケッチブックを広げた。
真っ白なスケッチブックの一枚目に描くべき絵はもう決まっているのかもしれない。
「こっちに来い、クソガキ。この間の詫びに一枚描いてやる。ありがたく思え」
乱暴な口調。けれどその目は温かくこちらを見つめ、口元は笑っていた。
一本のペンで紡がれたモノクロの絵。
その日の記念に、丁寧に額に入れられ飾られていた。
彼がおそらく久しぶりに描いただろう絵は、一人の少女が草原で小さな妖精たちと戯れ笑っている姿が描かれていた。
まるでいまにも踊り出しそうなような躍動感と妖精の国を信じさせるような繊細な筆致が特徴的なとても美しい少女の絵だった。
彼は夢を取りもどしただろうか。
きっともう一度夢を取りもどしたんだとイレーヌは信じた。
イレーヌの出会った騎士は、世界平和のために身を捨てる騎士ではなかったけど。
子供のように純粋な夢を見て、情熱を胸に秘めたとてもすばらしい男性だった。
たくさんの人の協力を得て、そんなすてきな男性に出逢えたことはきっと幸運だったんだ。
私もきっと、そんなすばらしい夢を見よう。
タバコに火をつけながらマクシミリアンは言った。
「いろいろあったが、結果オーライじゃないか。若いってエエもんだ」
同年代の門鞍が苦笑いする。
「私たちだって若いですよ?」
「違いないですね。私に比べればお二人はまだまだお若い」
シァンがそう微笑む。
「‥説得、うまくいって‥よかった」
イスルがそういうと柿原もうなずいた。
「最初はどうなるかと思ったけどね。案外悪い奴じゃなくてよかったよ」
「あの絵もよいものでしたね。これを機会に心を入れ替えてくれるとよいのですが」
咲耶たちもあの絵を見せてもらっていた。
そして不真面目なナンパ男ジョンの意外な一芸に意外さを感じたものだ。
しかし思えば、最初からジョンに詳しい事情を話していればこうもこじれずにすんだのではないだろうか?