●リプレイ本文
研究所に妙な客人が来た。
長身の男で、細身の身体をスーツに包み、革靴をきっちり履いて背筋を伸ばして歩く。
まるでやり手のビジネスマンのようにも見えなくもないが、なぜか屋内でもサングラスを外さない。
面会申し込みを受けて応接室へやってきたケビンに男は礼儀正しく一礼して挨拶した。
「僕は翠の肥満と申します、初めまして。まず伺いたいのですが、あなたがストーカーというオチではないですよね?」
翠の肥満(
ga2348)の唐突な言葉にケビンは面食らったが、すぐに相手の素性に気がついた。
「君かい、依頼を受けた能力者は?」
「はい。他にも仲間がいますが、僕もその一人です」
「そうか。で、僕が容疑者筆頭なのかい?」
気分を害した様子もなくケビンは肩をすくめた。
「だとしたら失礼な話だ。君たちを彼女に紹介したのは僕なのに」
正確には面倒ごとをロバート大尉に押しつけただけなのだが。
翠の肥満と名乗った男はクックと含み笑いを漏らした。
「失礼、男性相手だとからかいたくなるんです‥‥では真面目に。もしやストーカーに心当たりがおありでは?」
ケビンはやれやれといいたげに首を振った。
「確証のない話だが、かまわないかな?」
「ええ、かまいませんよ」
「ジョン・ブロウという男がいてね。悪い奴ではない。むしろ人が良すぎるくらいの奴だ。そいつがここ最近様子がおかしい」
研究所を妙にうろつき、特にある女性がいる場所によく居合わせると噂になっているという。
「それでいて声をかけるでもなく、無視するでもなく。ものいいたげにじっと見ているんだ。さては惚れやがったなと評判だよ」
わかりやすい男でねと笑った。
「うわさ話に過ぎないが。あれは真面目で面倒見も良いし、なにより心根が優しい。ただし根性がない。好きな女ができても声一つかけられないのではないかと心配しているところへちょうど、意中の女性から相談を受けてね」
聞いてびっくりストーカーとおびえられていたのさとため息をつく。
「タイミングが合いすぎている。疑うのはむしろ当然だ。まったく、どうせなら食事の一つにでも誘えば面倒がないのにな」
そして不意に真面目な顔をして翠の肥満を見つめた。
「ここから先は僕の個人的な願望なんだが、もしあれが犯人なら、穏便に片をつけて欲しい。いやできればあれにとっていいようにしてやって欲しい。あれは悪い男ではない」
「ずいぶんかばいますね?」
翠の肥満はちょんとサングラスをつついて笑った。そんな彼にケビンは少しばかりめんどくさそうな、それでいて見捨てることもできないで苛立っているような口調で言い捨てた。
「あれは友人だ‥他に理由がいるか?」
必要な助力はする。そういってケビンは立ち上がった。
「よろしく頼む」
早速ケビンに頼み事をして、ラピス・ヴェーラ(
ga8928)は研究所の職員扱いでサラのそばにいた。
研究所の内部を女性用のスーツに白衣を引っかけてラピスはサラの助手としてそば近くで護衛していた。
すぐ近くでねいと(
ga9396)とオブライエン(
ga9542)が様子をうかがっているはずだ。
護衛といってもいまサラに深刻な脅威はないといっていい。
自分の役目はこの女性を不安にさせないことだと考えていた。
「先輩、この書類はこちらでよろしいかしら?」
「ええ、ごめんなさいね。こんな雑用までさせて」
「いえ、かまいませんわ」
書類整理を手伝いながら気軽に会話する。
サラは人当たりが良く初対面のラピスにもすぐに親しく接してきた。おだやかで優しげで、なんというか可愛らしい女性だった。
書類を抱えて歩きながらつまずいたり、うっかり書類を取り違えたりとミスも多いが、なぜか深刻に責める気にはなれないのは本人なりに一生懸命やっていることが伝わってくるからだろう。
ストーカー被害にあっているかもしれないのに、少しも暗い表情を見せないで明るく柔らかい存在感のままがんばっていた。
「サラさんって可愛いなぁ。あれってやっぱり天然系だよね」
物陰から様子を見ていたねいとは密かにため息をついた。この女性ならばストーカーの一匹や二匹よってくるかもしれない。
「魅力的ではあるの」
そっと寄ってきたオブライエンが同意する。
「親御さんはさぞ心配しているだろうの。悪い虫がつかぬかと」
年頃の子供を持つ身として、彼女の両親も心配しているだろうと思った。
「しかし女性の警護かぁ、緊張するなぁ」
「心配するな。しっかりやっておればだいじょうぶじゃ」
表情をわずかにこわばらせたねいとにオブライエンはそう笑いかけると離れていった。
「ねぇねぇ、サラって人につきまとってる奴知らない?」
レジーノ・クリオテラス(
ga9186)はにこにこと愛想良く研究所内で聞き込みをしていた。
こうたずねるとたいていはジョン・ブロウの名が返ってくる。
そう答えた男性職員は一様にどこか心配げでそれでいておもしろがっているような様子だった。
「いつあいつがコクるか、賭けてるんだ。ここじゃ有名だよ。知らないのは本人たちぐらいじゃないか?」
「ストーカー? あいつにそんな根性はないよ。サラを前にしたら挨拶一つできないんだから」
それにあいつはいい奴だと口をそろえる。ついでのようにいい奴過ぎて損をする奴だとも言っていた。
「ストーカーってのに興味があったんだけどな〜」
どうもうわさ話を聞くと単なる片思いのようにしか聞こえない。
ま、いいか。
仲間に最有力候補としてジョン・ブロウの名を伝えると、レジーノはこれからどうなるだろうかとわくわくしながら様子を見守ることにした。
「お話をお伺いしたいのですけど、よろしいですか?」
穏やかな口調で声をかけられてジョン・ブロウは慌てて席を譲った。
自販機の置かれた休息所は清潔で開放的な空間で、どこか心の落ち着く場所だった。
「私はイリアスといいます。あなたは?」
「ジョンです。失礼ですがあなたはここの方ではないですよね?」
イリアス・ニーベルング(
ga6358)はにっこりと微笑んだ。
「実は仕事でここに来ているんです」
「仕事、ですか」
ジョンはどこか緊張したように下を向いた。
「どんなお仕事か、お聞きしていいですか?」
「ほんの少しの調べ物と、後はお節介でしょうか?」
「お節介?」
不思議そうに聞き返してからふと気がついたように慌ててコーヒーを購入してきてイリアスに渡した。
「よ、よかったらどうぞ」
「ありがとう、いただきます」
一口、ミルクの甘みの広がるコーヒーを飲んでイリアスはゆっくりと話しはじめた。
「お節介というのは、もしも困っていて悩んでいる人がいたら、その人の相談に乗ってあげることです」
ジョンは少し当惑したようにイリアスを見た。穏やかな微笑にはなんの底意もないように見えた。
「もし、僕が相談しても聞いてもらえますか?」
「もちろん」
優しくうなずかれてジョンはぽつりぽつりと話しはじめた。
「僕はとても好きな人がいるんです。どうしても好きで、でもどうしたらいいかわからなくて、とにかく夢中で行動していたら、気がつくと僕は彼女を困らせていたんです」
視線を落として話しはじめたジョンをイリアスは優しい眼差しで見つめた。
やはりこの人には、悪意はない。
翠の肥満やレジーノが尾行していたが、ときおり思いたったようにサラのいる場所に向かったと思ったらしばらく悩んだようにうろうろしてはまた戻ってくるということを繰り返していた。
「僕はそんなつもりはなかったのに、だからちゃんと謝ろうと思って、迷惑ならもうやめようと思って。けれどもしそのとき彼女に嫌われたらと思うと会いにいくこともできなくて」
どうやら謝ろうと行動しては怖じ気づいてかえってくるのを繰り返していたらしい。
「だいじょうぶ」
イリアスはそういってすっかりしょげかえったジョンの肩に触れた。
「だいじょうぶ、私たちがちゃんとお節介を焼きますから」
そう笑いかけて席を立った。
「コーヒー、ごちそうさまでした」
残されたジョンはぽかんと彼女の後ろ姿を見送っていた。
翌日、ラピスはサラを喫茶店に誘った。
一緒にコーヒーを飲みながらラピスは切り出した。
「サラちゃんのことがすごく好きだっていう人に会ってみる気、ありませんか?」
「みつかったんですか?」
「ええ、でもとても引っ込み思案な方で、いま仲間がサラちゃんに直接会うように説得しているのですけど。サラちゃんはどうしたいですか?」
サラはしばらく考え込んだが、やがて口を開いた。
「会ってみたいです」
さすが女は度胸、穏やかに見えても男よりよほど根性があった。
こっちはこれで決まりですね。
ラピスは説得完了の連絡を仲間に送った。
ジョンはイリアスに呼ばれて二人の能力者と会っていた。
「き、君たちが、ケビンさんが呼んだ能力者かい?」
「はい、私はレーゲン、彼は久志です。今回ストーカートラブルの対処のために呼ばれました」
レーゲン・シュナイダー(
ga4458)はまっすぐにジョンの目を見つめてはっきりと言った。
ジョンは動揺した。そして激しく緊張した。
このままだと自分はストーカーのレッテルを貼られて彼女につきだされてしまう。
そうなったらきっと嫌われる。
二度とあの笑顔が自分に向けられることがなくなってしまう!
すぐ隣にいた狭間 久志(
ga9021)は緊張するジョンにもっていた飲み物をすすめてみた。
「コーヒーか紅茶、水もありますけど、とりあえず何か飲んで落ち着いて下さい。僕たちはけしてあなたに悪いようにしに来た訳じゃありませんから」
ポットセットを取りだしていまにもお茶を入れだしそうな久志を意外な思いで見つめジョンは問いかけた。
「じゃあ、なにをしにきたと?」
「強いていうならお節介でしょうか? できることならあなたの力になりたいと思っているの」
ジョンの正面から彼の目を見つめてレーゲンが優しく語りかける。
「私たちはあなたが悪い人ではないと思っています。だからできることならきちんと想いを伝えられるお手伝いをしたいと思います」
「想いを伝える‥‥?」
「想うだけでは気持ちは届きません。例えば‥後ろを向いている人に何かを伝える時、どうします? 想うだけではだめですよね。まず声をかけませんか? それと同じなのです。僕は此処にいるよ、って気付いて貰わないと、言葉も気持ちも相手には届かないのです」
優しく語りかけられる言葉がどうやら自分にある行為をうながすものだと気がついたときジョンは正面の女性から目をそらせた。
「僕は、もう彼女に嫌われてしまったかもしれない。ろくな考えもない行動で彼女に迷惑をかけて、もうきっと嫌われているかもしれない。僕は彼女に嫌われたら、もうきっと生きていられない」
泣き言をもらすジョンに困ったような顔をしてから久志は思い切って口を開いた。
「僕にも大事な人が居ます。けど、たった一回の間違いで、今は彼女とは遠い関係になってしまいました。壊れた関係をもう一度はじめるのは難しいですけど‥‥ジョンさんは、まだこれから始める事ができるじゃないですか。だから、勇気を出して下さい‥‥同じ男性として、僕の願いです」
久志はポットからコーヒーを入れるとジョンに手渡した。
「これを飲んで、もう一度挑戦してみましょうよ。もし怒られたら謝って、許してもらって、それからはじめることだってできるんですから」
ジョンは手渡されたコーヒーをじっと見ていたが、やがて涙をこぼした。
「僕は、嫌われるのが怖い。許してもらえなかったらと思うと怖くて仕方がない」
「でもこのままだと怖いままですよ。きっと、いつまでも。一歩進めばもっとちがうものがあるかもしれないのに、怖いままで終わるつもりですか?」
ジョンは思いきったようにコーヒーを一息で飲み干した。
「僕は、嫌われても、許してもらえなくても、彼女のことが好きなんです!」
叫ぶように言った後で、はっと振り返った。
そこには彼のもっとも愛する女性がいた。
いつものような優しい笑顔で笑っていた。
そばには彼女をここまで連れてきたラピスが興味深そうな顔でジョンとサラを見比べていた。
「怖かったんですよ。差出人不明のラブレターに贈り物、いったい何事かと思いました」
「ご、ごめんなさい」
「おまけに帰り道でつけられるし、あれってすごく怖いんですよ?」
「え、えっと送ろうと思ったんだけど、声をかけられなくて、食事に誘おうとかも思ったんだけど、なんて言っていいかわからなくて」
しどろもどろに言い訳する。
「本当に私なんかが好きなんですか? いっておきますけどもっと美人はいくらでもいるし、もっとしっかりした人なんてそこら中にいますよ?」
「あ、あなたが好きなんです! 暖かくて優しくて、あの笑顔を見た瞬間から、あなただけを愛しているんです‥」
必死になって、言葉もつっかえつっかえで、とてもかっこいいとはいえない告白だったけれど、サラはなんとなく胸の奥ですとんと納得するものを感じた。
言葉を飾る余裕もなくて、でも必死になって、必死になったあげくとんちんかんなことをして、どうしようもない人だと思うけれどなぜか憎めない。
「だったらもう少ししっかりしてください。自分の名前を書き忘れるようなドジは私でもそうはしませんよ?」
「ごめんなさい‥」
「仕方のない人ですね‥まだ私も愛していますなんてお返事はできないけれど、今度からはもっと声をかけてください。誘ってください。ちゃんと話しますし、無視したりしませんからだいじょうぶです。わかりましたか?」
「はい」
まるでいたずらした子供を叱るような少し困ったような笑顔でサラは優しく微笑んだ。
この笑顔が、僕はずっと欲しかったんだ。
僕はずっとこの人と一緒にいたいと強く想う。
そのためならもっとがんばる、しっかりする。彼女が認めてくれる、愛してくれる男になってみせる。
ジョン・ブロウは誓いを込めて彼女を抱き寄せ、その頬に軽く口づけをした。
「きっと、君に愛してもらえる男になるから、必ずなるから。約束するから‥」
突然のことにサラはびっくりした顔でしばらくジョンの顔を凝視していたがやがてはにかみながら言った。
「やっぱり男の子だね」
その瞬間のジョンは、情けない男などではなく。すべてを任せても安心しきっていられそうな頼もしい男性の顔をしていた。
「良かったですね。僕みたいにならなくて‥」
そんな二人を見守って、久志たちはその場を去っていった。
二人がこれからどうなるのか、それはあの二人が行動し決めることだが、できればしあわせになって欲しいと思う。
とんでもない行き違いからはじまった恋だけれども、それでもしあわせにはなれる。
きっと、なれる。