●リプレイ本文
雲ひとつない青空。視界の限りに広がる、真っ白な塩の湖。ここはかつて速さに魅せられたものの集う地であった、ユタ州ソルトレイク、ボンネヴィル・ソルトフラッツ。整備基地を出て丸三日、はるばるとやってきた一行を載せたトレーラーは、一通りのコース視察を終え、平滑な塩湖のただ中に停車していた。現時点では、特に障害は見つかっていない。今が戦争中であるのが嘘のように、ここは静かだった。
「広いわねえ‥‥」
トレーラーから降り立った中松百合子(
ga4861)が感極まったように呟く。
「うわあっ、しょっぺえ!」
おそらく誰でもやるであろう、足元から塩をすくって舐めてみたリチャード・ガーランド(
ga1631)が、顔をしかめてそれを吐き出した。
「あんまり舐めると腹下すぞ。あと湖面を長く見るな、雪原と同じで目えやられるぞ。照り返しも酷いから日射病とか用心しろよ」
言いながら貨物の梱包を解いている坂本は、既に濃い黒色のサングラスをかけている。暑いほどの陽気なのにきっちり長袖というところが、この地での彼の経験を伝えていた。「よーし、降ろすぞ!シゲ、ハッチ開けろ!」
坂本の指示のもと、シゲと呼ばれた「自称坂本の一番弟子」がてきぱきと作業する。上下に分割して大きく口を開いたコンテナから、まずは現地での移動用にと積んできた4輪のATVを2台、次は資材や工具の入ったカートとテント、そしてシゲと坂本が二人がかりで慎重にランプウェイを降ろしてゆくのが、今回SESタービンのテストを行う試作車だ。
流線型のカウリングをまとったその姿は、聖・真琴(
ga1622)曰く、
「青くてでっかいロブスター!」‥‥らしい。
前に二輪を配し、駆動される後輪は二輪の幅を極端に詰めているので三輪にも見える。青を基調にカラーリングされたその車体には、「Spirits」の文字が刻まれていた。
「魂、か。いい名だ」
風巻 美澄(
ga0932)が車体をひと撫でし、指にかすかな引っかかりも感じないのを敬服しながら、呟く。磨きこまれた車体には、太陽のまん丸い光点がきらめいていた。
「いいなあコレ、欲しいなあ!」
諫早 清見(
ga4915)とヴィス・Y・エーン(
ga0087)はATVに興味津々だ。
対照的にオリガ(
ga4562)は地平線の果てに目を凝らし、湿度と風を皮膚で感じながら矢をつがえずに弓を引き絞っては緩め、弦をこまめに調整していた。
スピリッツの整備の間、一行はトレーラーが作る日陰で地図を広げて警備の計画を練る。一旦スピリッツが加速を始めれば、ATVはとても追いつけない。そこでATVをスタート地域の警護を受け持つメンバーに預け、残りはトレーラーで一気に回収ポイントまで行き待ち構えることにした。スピリッツ自身も自力でのタービン始動は一回しかできないから、往復を走らせる必要もない、という結論に坂本も同意した。
「それじゃあ、シャンパンを冷やしてお待ちしていますわ。グッドラック!」
微笑む百合子がトレーラーのハンドルを握り、女性陣を乗せて陽炎の揺らめく彼方へと消えていった。それから数分後、
「イグニッション!」
澄んだ高音を響かせて、SESタービンが産声を上げた。今回のテストコースは、直線で約5キロ。元来のスピード・チャレンジはもう少し長いコースを走り、平均速度を記録とするのだが、坂本は皆に説明していた。
「今回は競技じゃないんでな。ゼロ発進から全開まで回して、減速停止で1サイクルだ」
目標速度は時速700キロ。これはレシプロエンジン搭載車の最高速記録をやや上回る。だがここではロケットカーが音速以上の記録を持っているのだ。それに対しても坂本の答は明快だった。
「そりゃあ、アレは速いさ。でも翼をもいだ飛行機じゃ意味がねえ。大体それならナイトフォーゲルがあれば済むしな。自力でタイヤを回してこそ、だ」
シゲがOKサインを出す。防火繊維のスーツに身をかため、バラクラバと呼ばれるやはり耐火繊維のマスクで顔を覆い、鍔を外したジェット型のヘルメットにゴーグルという坂本の出で立ちは、かつてのフォーミュラ・レーサーを彷彿とさせた。
「二人乗りじゃないんですね?」
コクピット後部の空間を指差した、坂上 孝平(
ga5809)の言葉に坂本が頷く。
「ああ、計測器を積むためにスペースは取ってあるけどな。それに」
「それに?」
「‥‥そこに乗った奴なあ、そりゃあ気持ちいいくらいに酔うんだわ。なあ、シゲ?」
死ぬかと思いました、と苦笑しながらシゲが片手を上げて応えた。
「ザッ‥‥こちらゴール班、配置につきました。いつでもどうぞ」
めいめいの腰に提げたトランシーバーに連絡が入る。軍用無線機に比べると玩具同然だが、さすがにこれだけ見通しがいいとよく通じるようだ。
坂本がスピリッツのキャノピーを戦闘機のように押し開けて乗り込む。
「スタンバイ!」
シゲがスピリッツの傍に立ち、スターターよろしく帽子を取って高く掲げる。高まる緊張に、武器を構えて周囲を見張るガーランド・清見・孝平も固唾を飲んだ。
「GO!!」
帽子が舞った瞬間、枷を解かれたスピリッツが、塩の大地を荒々しく削りながら発進する。若干車体が振られたものの綺麗に立てなおし、タービンの長い残響を残して視界から消え去った。
「ふえー‥‥すっげえなあ、アレ」
ガーランドが呆けたように呟く。
「さってと、俺たちも行きますか!」
孝平がガーランドを、清見がシゲを後に乗せてATVを発進させる。ゴールではキンキンに冷えたシャンパンが、坂本をもてなしているだろう。皆そう思っていた。
しかし最悪の結果となった。「それ」は真っ白い大地からまるで生えたように盛り上がり、スピリッツの進路を塞ごうとしたのだ。とっさにオリガが矢を放ち、「それ」をコースからわずかに逸らせはしたが、挙動を崩したスピリッツは減速を続けながらも横転してしまった。それにかまけて追撃もかなわなかった。坂本は救出されたが腕を骨折、スピリッツも各部に深刻なダメージを負ってしまったのだ。
「駆動系とボディはなんとかいけますが、制御関係をかなりやられました。自力始動も無理ですね。あとは一回バラしてみないと」
「‥‥」
「申し訳ありません。私がもっと早く気づいていれば」
頭を垂れるオリガに、簡易ベッドに横たわる坂本は優しい声で答えた。
「いや、あんたの判断は正しかったよ。あいつを逸らしてくれなければ、スピリッツは正面から激突していた。横転したのは俺がヘボだったからさ」
練成治療を受けたとはいえ傷が痛むのか、ひきつった笑いを浮かべ坂本が立ち上がった。
「スピリッツの操作系を手動に切り替える。シゲ、準備しろ」
「無理ですよ大将! 腕が折れてるのに!」
それはその場にいた人間の一致した意見だった。美澄にも真琴にも、もちろんガーランドにもわかっているほど、スピリッツの損傷は激しい。坂本の怪我がむしろ軽いのが幸運だった。
だが坂本はいつもの怒声を発せず、諭すような声で言葉を続けた。
「なあ、シゲよ。おまえ何年、俺の一番弟子を名乗ってる? 俺がやると言って、やらなかったことが、一度でもあるか?」
「そ、それは‥‥」
「俺ぁ、諦めねえぞ。最後に残るのは、技術でも、知識でも、経験でもねえ。諦めない心、それだけだ。諦めちまえば何も見えねえし、残らねえんだよ」
坂本は目を見開いた。その目に灯る意思の光は、決して誰にも変えようがないことを悟らせた。
「あの‥‥」
同じく決意した真琴が、そっと手を上げた。
「‥‥私を、スピリッツに機関士として乗せてください」
坂本が珍しく、本当に珍しく、驚いた顔をした。
「乗るって、嬢ちゃん‥‥なぜだ?」
「私だってタービンの制御くらいはできます! 坂本さんの左腕になってみせます! それにあのキメラが現れたら、一番近くでガードできます!それが私達の任務なんですから」
「そ、そりゃまあ、そうだけどよ‥‥」
シゲすらも、こんなにも狼狽した坂本は見たことがない。皆がはらはらして経緯を見守る中、軽く首を振って坂本が笑った。
「嬢ちゃん、車は酔うほうかい?」
「全然!」
「よし、決まりだ。シゲ、やるぞ!」
「私も手伝う。坂本さんのテクニックを見られるなんて貴重なことだしな」
「俺も俺も俺も!」
美澄とガーランドが手を上げ、スイッチが入ったように場が熱を帯びてきた。
「へへ、賑やかになってきたな。おじさんは頑張っちゃうぜ!」
トレーラーから照明を当て、真夜中の大整備が始まった。
「6でトルクレンチ! その次は14のスパナだ、感覚で確かめろ!」
シゲと三人が忙しくスピリッツの周りを巡る。照明が眩しいテントをぐるりと囲んで護衛しながら、清見がくすくす笑って話を始めた。
「まったく、ああいう熱血オヤジは絶滅保護種だね」
隣のポジションにいた百合子も、柔らかな笑みを浮かべる。
「そうかもね。でも、ああいう人って好きよ。不器用だけど格好いいじゃない?」
「それにしても、どうしてあのキメラはあそこに出たんだろ?」
ヴィスの疑問ももっともだった。塩湖に埋まっているかトンネルを掘るかして、獲物を待ち構えているのかもしれないが、それにしても目標のない場所でかなり正確にスピリッツの進路を予測していたのだ。
「加速の時には現れなかったから、減速する時の振動か音に反応したのかも」
鋭敏な感覚で一番早くキメラを見つけたオリガの私見に、一同は納得した。
「だとすると、やっぱりゴール手前だな。今度は不意打ちなんかさせないぞ!」
孝平がやる気全開で拳を打ち鳴らす。
「同感! 先手必勝だね!」
清見もまたやる気満々だ。遮蔽物のない塩湖の上で、急激に下がった気温をものともせず、一同の士気は高かった。
そして、鮮やかなオレンジの燭光が白い地平を染める頃。
「コンタクト!」
「コンタークト!」
ボディの傷を朝陽にきらめかせ、スピリッツは復活の咆哮を上げた。SESタービンは昨日に増して、澄んだ作動音を空へ打ち放っている。トレーラーを運転するシゲと、その護衛で残ったヴィスを残して、一同はATVに無理矢理6人乗りを果たし、先だってゴール先へと向かった。ありあわせに毛布やクッションでこしらえた即席コクピットに詰めこまれ、真琴は忙しく計器をチェックしていた。
「いいか、たぶん長くは保たねえ。油温と油圧のゲージから目を離すな!」
「はいっ!」
「発進する! 3‥‥2‥‥1‥‥ゼロ!」
車輪止めとブレーキロックを使って、ぎりぎりまで車体を抑えていたスピリッツは、拘束を解放されると昨日以上の暴れっぷりで、地平の果てへと駆け出していった。
「速度、660! 680! 685! ‥‥」
「油温上昇! まだいけます!」
振動と轟音の渦巻くコクピット内で、坂本と真琴は懸命にスピリッツを制御する。真琴は飛び退る外の景色には目もくれない。そんな余裕はないのだ。
「速度、690! ‥‥95‥‥97‥‥7‥‥」
坂本の声が止んだ。次に真琴が耳にした言葉は、
「蒼い‥‥蒼いなあ‥‥」
どこか遠いような、それは坂本の声だった。
だが次の瞬間、警告ブザーよりも早くタービンが悲鳴を上げた。
「オイルバイパス破損しました! 油圧下がります、駆動軸カット!」
「わかった! もう少しこらえてくれ!」
エアブレーキとパラシュートを開き、車体から白煙を吹き上げて懸命にスピリッツが減速する。機械もまた、最後の力を振絞って人間に応えようとしていた。
「出るぞ!」
意識を集中していた分、今回は皆がほぼ一斉にキメラを見つけた。塩湖から頭をもたげた一瞬を狙い、オリガの弓が牽制の一撃を放つ。絶妙のタイミングでキメラを逸らしたその場所を、傷だらけのスピリッツは無事に駆け抜けた。
「よーっし! これで思いっきり戦えるぞ!」
孝平と清見が連携して、全身に装甲よろしく塩の層をまとわりつかせたリザードキメラに挑む。百合子も覚醒してその尻尾を掴み、
「おいたはここまでよ!」
叫びざま豪快にぶん投げて地面に叩きつける。一方真琴はなんとか停車したスピリッツからキャノピーを蹴り開け、
「こンのやろーっ!」
瞬天速で一気に距離を詰めると猛烈な蹴撃を立て続けに放った。
「キィィィエエン!」
雄叫びを上げてリザードキメラが塩の地平へ潜ろうとする。奴らのホームグラウンドに戻す訳にはいかない。
「ガーランド、撃てーっ! 穴ごとぶっ飛ばせ!」
「おっしゃあ!」
隠す余裕もなく潜り込んだ塩湖の穴に、ガーランドはエネルギーガンを突っ込むと引鉄を絞った。ちょっとしたスペクタクル映像を見せながら、直撃を食ったリザードキメラが吹き上げられ、空中で爆発四散する‥‥
それから数日が過ぎた。無事に整備基地へ戻った一行は、早くも現場復帰した坂本を訪ねた。まだギプスの取れない身ではあったが、吹っ切れた清々しさがそこにはあった。
「本当に、ありがとうよ。データも取れたし目標もクリアだ」
坂本は丁寧に頭を下げた。
「坂本さん。最後に蒼いって言ってたのは‥‥なんですか?」
真琴の問いに坂本が、
「ああ、あれか」
どこか遠い目をして説明した。
「俺ぁよ、地平線は灰色だって思ってた。ホリゾンタル・グレイだって信じてたよ。でもな、700キロを出した瞬間はそんな色じゃなかった。蒼かったのさとても‥‥まだ戦争なんて思いもしねえ、レースに明け暮れていた時に見た、ソルトレイクの空のように蒼かったんだ。ホリゾンタル・ブルーってな。それが解っただけでも、俺は満足だよ」
一人づつと握手をした坂本は、「じゃあな、仕事があるから」と踵を返そうとした。その瞬間、KVを収めているハンガーから凄まじい音が聞こえた。
「バッカ野郎! バランサー入れずに整備ベッドから降ろすんじゃねえ! てめえ、機体を戻したらメシ抜きで滑走路20周だーっ!」
怒声を張り上げながら駆けてゆく、「鬼のサカモト」の復活に、一同は微笑んだ。