タイトル:MAT :Bloody Roadマスター:柏木雄馬

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/01/21 06:14

●オープニング本文


 2010年、秋冬。北米ユタ州、オグデン──
 周囲を『キメラの海』──キメラの跋扈する廃墟の危険地帯に囲まれて孤立するこの地の避難民キャンプにあって、唯一、大陸横断鉄道により西海岸との連絡を確保しているオグデン第1避難民キャンプには、この日も負傷した兵や避難民たちが続々と辿り着いていた。
 窓や装甲にひびを入れ、咽るように篭った人の、熱と、呻きと、嗚咽を荷室に抱えて、軍の高機動車とトラックの車列が、砂塵を巻き上げながらキャンプの外門へと滑り込む。遅れて続く殿軍のIFV(歩兵戦闘車)。それに追い縋り、群がる獣人型キメラへ向けて、キャンプの外縁陣地から援護の火線が乱れ飛ぶ。
 激しい銃声が轟く中、這々の体で陣内に辿り着いた高機動車から、車列を整える間もなく人々が転がり出でた。毛布や担架を手にそれを出迎える医療機関の職員たち。最後尾の車両が1両、自らの仕事の完遂を見届け、力尽き、火を噴いて爆発する‥‥
 その爆発の振動は、少し離れたオグデン救出部隊司令部にも届いた。医療支援団体『ダンデライオン財団』の車両班長、ラスター・リンケは、カタカタと揺れる窓ガラスにチラと目を向け、心中で嘆息した。
「‥‥もう一度、言って頂けますかな?」
 その声は、ラスターの目の前に座る恰幅の良い軍人──西方司令部から派遣されて来た救出部隊の隊長から発せられた。傍らに立つ副官がラスターを睨め付ける。ラスターは表情を消して正面に向き直った。
「何度でも。我がダンデライオン財団車両班は、軍の車両供出要請には応じることは出来ません」
 その返答に激昂したのは、大佐ではなくその副官だった。
「‥‥医療支援団体風情がつけ上がりおって! こちらで強制的に徴収してもよいのだぞっ!?」
「試してみますか?」
 副官は言葉に詰まった。非営利の医療支援団体『ダンデライオン財団』の会長、ロイド・クルースは、政財界を通じて軍の上層部に対しても太いパイプを持っている。下手を打って上層部に睨まれでもしたら、これまで順調に歩んできた出世コースから外れかねない。
 代わりに口を開いたのは、正面に座る大佐だった。
「‥‥これまでの救出作戦で、我が隊は少なからぬ損害を出している。未だ敵中に孤立する同胞を救い出す為にも、使える車両を遊ばせておくわけにはいかない」
「そうだ! 貴様のとこの財団はご大層な題目を掲げながら、いざとなれば人々を見捨てるのか!?」
 こちらには『民間人の救出』という大義名分があるのだぞ? と言外に滲ませる部隊長。ここまでだな、とラスターは見切った。それでも、軍の『消耗戦』に部下と機材を付き合わせるわけにはいかない。
「車両供給要請に応じる事はできません。が、元々、我々は、政府や軍が見放したような場所で医療支援を行うべく設立された集団です。我々は我々のやり方で、我々にしか救えぬ人々を救出します」

「ラスター」
 司令部を出て財団車両班MAT(Medical Assault Troopers 通称、『突撃医療騎兵隊』)の詰所に戻ってきたラスターを、隊員のダン・メイソンが呼び止めた。おう、と気軽に答えるラスター。ダンはラスターと同じく、財団の設立当初から車両班に属する最古参の古株だった。二人はそのまま並んで廊下を歩き続ける。
「どうだった、軍は?」
「救出作戦には協力する。だが、車両はあくまで我々の管理下とし、搭乗する人材もこちらの人間とする事は了承させた。‥‥この辺りが落とし所だろう」
「ちっ。軍の『素人』どもが。ここでの活動は俺たちの方が遥かに長いってのに」
「敵中で孤立した多数の非戦闘員を救出・輸送しなければならない‥‥あちらの事情も分かるがね。‥‥だが、我々は『騎兵』だ。装甲車で隊列を組んで移動する軍の『歩兵』の様なやり方にはなじまない」
 病み上がりのところ悪いがよろしく頼むぞ、との言葉に、ダンが「猫の手も借りたい、ってか」と苦笑する。
「ラスター。レナは救出作業中か?」
「元相棒としては気になるか? 大丈夫だ。あいつはもう一人前だ」


 どう控えめに表現しても、その空と大地は地獄だった。
 キメラと人と──血と肉片が乱雑に散らばる道には怨嗟の声が満ちている。或いは、救いを求める哀願の声だろうか。物言わぬその声は、アクセルを踏み込む度にがなり立てるエンジン音や、護衛の放つ雷鳴の如き銃声でも消せはしない。
 MATの新人、サム・ワイズナーは、装甲救急車の助手席で忙しくしながら、しかし、心の中ではそんな事を考えていた。
 時折現れるキメラを相手に急加速と急旋回を繰り返しながら、道に落ちた肉片を踏まぬよう──脂でタイヤが滑るからだ──危険地帯を疾走する救急車。それを操る先輩機関員、レナ・アンベールの腕前は流石の一言に尽きるが、慣れぬ身で自らの死を間近に感じながら重力に振り回される立場とあっては、やはり生きた心地がするものではない。空には空で、複雑にシュプールの軌跡を描くKVとHWの姿──人類側の制空権はすぐ上空まで押し返されていた──。その中から時々、ぽつり、ぽつりと火を噴き、黒煙を曳いて落ちていく。その内の一つが近くをまるで隕石の様に堕ちてゆき‥‥空中分解を始めた機体の中から、パイロットと思しき人影が飛び降りるのがサムには見えた。
「レナ先輩! 今、バグアが、バグアがいましたよっ!?」
「んなもん、放っておきなさい!」
 人類の仇敵を「んなもん」の一言で片付けるレナ。そんな事より、自分たちにはやるべき事がある。そう言いながらハンドルを切る。
「レナ。取り残された人々から救出要請よ。電波が微弱だけど‥‥第5キャンプへのルート上。ここから近いわ」
 医師のアイナ・スズハラが後席から顔を出してそう言った。他の医師たちと違って自ら装甲救急車に飛び乗って『往診』に出る剛毅な女医さんで、サムが最初に顔を覚えた医師でもある。
「人数は?」
「老夫婦に護衛の生き残り、学校の教師と子供たちに若夫婦‥‥合わせておよそ20といったところかしら」
「それなら収容できるわね‥‥ サム。目的地への最短ルートは?」
「はっ、はい! すぐに‥‥!」
 マップを手にもたつくサムを横目に、しかし、レナは既にルートを脳裏に描いていた。知らず、唇の端を小さく上げる。自分もまた今のサムと同様に、ダンに鍛えられてきたんだっけ‥‥
 やがて、とある建物の横に車列をつけた救急車隊から、護衛の能力者たちが真っ先に飛び出していった。周辺、および屋内の安全確認を待つのもそこそこに、アイナが車から飛び降りる。
「ダンデライオン財団よ。怪我人は‥‥?!」
 歓呼の声はなく、慌てて医師を呼ぶ声がアイナを出迎えた。レナは運転席から周囲を見渡しながら、無線機で能力者たちに呼びかけた。
「これより治療、および収容作業に入る。護衛の皆は、これより周辺の警戒を願います。周囲100m四方を確保。敵をこちらに近づけさせないで下さい」

●参加者一覧

鏑木 硯(ga0280
21歳・♂・PN
綾嶺・桜(ga3143
11歳・♀・PN
御影 柳樹(ga3326
27歳・♂・GD
響 愛華(ga4681
20歳・♀・JG
阿野次 のもじ(ga5480
16歳・♀・PN
龍深城・我斬(ga8283
21歳・♂・AA
秋月 愁矢(gc1971
20歳・♂・GD
空言 凛(gc4106
20歳・♀・AA

●リプレイ本文

「MATよ! 怪我人は‥‥」
「医者先生か?! 早く、早くこっちへ!」
 能力者たちと共にビル内部へと突入したアイナは、血相を変えて詰め寄る男たちに目を見張った。
 随分と長く財団の前線医をしているが、これほどまでに狼狽した出迎えを受けるのも珍しい。アイナはとりあえず落ち着く様に言い聞かせると、彼等に状況の説明を求めた。
「これが落ち着いていられるか!」
「若夫婦の奥さんが突然苦しみ出して‥‥わしらにはどうする事も‥‥!」
 男たちの言うことは、動転していてさっぱり要領を得なかった。とにかく、案内に従って奥へと進む。廊下の奥で心配そうに覗く子供たち── 室内へと入ったアイナの視界に、ソファに寝かされて苦しそうに喘ぐ若い女性と、それに付き添う老婆が映り‥‥

「妊婦ですってぇ!?」
 建物内の状況を無線で知らされたレナの素っ頓狂な叫び声に、サムと、そして、車両の護衛に当たっていた綾嶺・桜(ga3143)と響 愛華(ga4681)は、驚いてそちらを振り返った。
 と、自分の上げた大声に気づき、慌てて口元を押さえるレナ。桜と愛華は苦笑した。つい先ほど‥‥
「ふっ。知らぬ間にレナも立派になったのじゃな。うむ。良いことじゃ」
「先輩になったんだね。ダンさんと一緒に乗ってた頃が、ちょっと遠く感じるよ」
 ‥‥などと誉めたばかりだったのだが。
「わぅ?! 赤ちゃん!?」
 と、思わずスルーしかけていたその内容に気がついて、今度は愛華と桜が自らの口元を抑える羽目になった。妊婦は既に産気づき、陣痛も始まっているらしい。
「それならすぐに搬送しないと」
「‥‥そうするべきなんでしょうけどね」
 レナは天を仰いだ。避難民たちの中に負傷した兵隊がいて、こちらの方が重症なのだという。緊急の手術が必要らしい。
「つまり‥‥暫くここから動けない‥‥?」
 御影 柳樹(ga3326)が小声でそう囁いた。だとすれば、キメラの跋扈するこの危険地帯の只中で、多くの非戦闘員を抱えて持久しなければならない‥‥
 そう来たか、と呟く龍深城・我斬(ga8283)。それを聞いた空言 凛(gc4106)は「嫌なのか?」と微笑で尋ねた。
「まさか。ここでノーと言う奴なら、最初からこんな所まで出張ったりはしていねぇよ」
 ニヤリと笑い合う凛と我斬。それをやり遂げれるのは自分たちだけだ。まさに、能力者の本懐とも言うべきではないか。
「‥‥すぐに脱出できないんですか?」
 尋ねてきたのは、子供たちを引率する教師だった。子供たちの身の安全を考えれば、その心配も尤もではある。ざわつく避難民たち。老人が叱り飛ばすも、動揺は容易に収まらない‥‥
 子供たちに手品を見せて和ませていた阿野次 のもじ(ga5480)が、それに気づいて腰を上げた。子供たちに「もうお仕事にいかなくっちゃ」と告げ‥‥不満の声を上げる子供たちを宥めながら、避難民たちへと向き直る。
「じゃあ、私たちは『外』を回ってきますんで。子供たちの事は、ここの『大人たち』に任せますから、よろしく」
 のもじの言葉は、大人たちに年長者としての自覚を取り戻させた。弛緩していた緊張感が戻り、その表情が引き締まる。
 お見事、と微笑を浮かべる鏑木 硯(ga0280)。柳樹は心中で頷いた。
 拠るべき陣地もなく、我が身一つを守れば良いわけでもなく‥‥ 正直、キメラと長い間ドンパチしたくはない状況だけど、気張っていくさ。
「さぁ、もう一頑張りです。皆で無事にキャンプへ帰りましょう」
 ぱん、ぱん、と手を叩きながら、硯が皆に呼びかける。愛華は外へと歩きながら、自らの両の頬を叩いて気合を入れ直した。桜が驚いて愛華を見上げる。
「うん。レナさんに比べて自分は成長してるのかな、って。でも、今は迷うより行動あるべき、だよね!」
「‥‥‥‥まぁ、特に身体のごく一部分だけは、良く成長しておるようじゃが」
 その悩みに真面目に応じようとして。やっぱり照れた桜は、そう言って混ぜっ返した。


 絶え間なく響いてくる砲声も、慣れてしまえば日常の一部と化してしまうのかもしれない。
 遠くで光る弾着の煌き。遅れて届く爆音と振動──それを空から遠目に見やりながら。有翼キメラ『ハーピー』はゆっくりと翼を羽ばたかせ、今日もオグデンの空を飛んでいた。
 いつもの様に獲物を探して廃墟の町並みを見下ろし‥‥ふと常と異なる情景を発見する。とあるビルの周囲に集まる5台の車両──その変化は、看過するには大きすぎるものだった。
 翼を翻し、円を描くように滑空しながら高度を下げる。と、件のビルの屋上に佇む人影──それがこちらに弓を構えていると認識できた瞬間、ハーピーは計5本の矢衾に貫かれ、瓦礫の中へ墜落していった。
「弓を引くのは実家にいた頃以来‥‥もう何年ぶりだけど、意外と中ってくれるもんさぁ‥‥」
 ビルの近くの廃墟の陰から、両手に長弓を構えた柳樹が姿を現し、ホッとした様に息を吐いた。命中した5本の矢の内、2本は彼の放ったものだった。「やるじゃないか」と柳樹の背を叩いた凛が、手にした小石(といっても拳大の塊だが)を瓦礫へ放る。いざとなったらそれを投げつけ、こちらへ引き付けるつもりだったのだ。
 落ちたハーピーの死亡を確認した二人は、その旨を無線で報告する。ビルの屋上でそれを受けたのもじは、手に持った洋弓をくるりと仕舞うと再びビルの端へと腰掛けた。
「続く道〜、Bloody Load〜 私の生きる道〜、Bloom Flower〜♪」
 即興歌を鼻歌に、周辺警戒に散った仲間たちに状況確認の連絡を入れる。
「こちら桜・愛華組。敵影なし。今のところ、ここはまだ私たちの縄張りだよ」
 ビルから離れた外縁の一角。薙刀を構え、周囲へ警戒の視線を送る桜の背後で、手に弓、背にガトリング砲をよいしょと背負った愛華が、無線でそうのもじに答える。
 ビルを挿んで反対側の警戒線には、硯と秋月 愁矢(gc1971)の二人組みが位置していた。
「こちら秋月・鏑木組。警戒域内に侵入中の虎人1匹と遭遇した。現在、鏑木が戦闘中‥‥いや、心配ない。もう終わる」
 落ち着いて答える愁矢の視線の先では、硯が一気に敵へと肉薄していた。たん、と一歩踏み込み、上段に振り上げた直刀をコンパクトに振り抜く硯。分厚い胸板を裂かれながらも敵が反撃の鉤爪を振り下ろす。それを硯は髪をなびかせ掻い潜り‥‥そのまま刀を横薙ぎに振るいながら、敵の後ろへと払い抜ける。
 どぅ、と倒れた敵を振り返り、刀身から血糊を払って鞘へと戻す硯。愁矢は「今、終わった」と無線に告げてから、何事もなかったかのように硯へ手を上げた。
 のもじは無線機を屋上の床へと置くと、背後の我斬を振り返った。怪我人の治療を手伝い終えて、戻ってきたのだ。
「ん。中の様子はどう?」
「ああ‥‥妊婦さんは陣痛の間隔が短くなってきている。重体の兵士の方は‥‥開いて動脈の傷を塞いでいるが、正直、どうなるか分からない」
 我斬は嘆息しながら床に腰を下ろした。
「あの兵隊さんは、わしらを守って負傷したんじゃ。なんとか助けてやってくれんか」
 治療を手伝う際、老人に言われた言葉が脳裏を廻る。傷を診たアイナの絶句を、我斬は見逃していなかった。
「‥‥相変わらず、ここはひどい戦場だ。‥‥だが、何より酷いのは、こんな時に怪我を負って動けない自分自身だ」
 手品でも見せたげようか、と言うのもじに、流石にそんな子供じゃない、と言い返そうとして‥‥我斬はその言葉が自分に向けられたものではない事に気づいた。
 振り返る我斬。恐らく我斬について来てしまったのだろう。何人かの子供たちが扉からこちらをじっと眺めていた。
「どうした? ここは危ないぞ? ‥‥チョコ食うか?」


 日が落ちた。
 域内に入った敵はその悉くが外縁で撃退されていたが、その数は時の経過と共に増えつつあった。
「なるべく音や光が漏れないよう、窓や隙間を厚手のカーテンで塞いでおいたさ。匂いも怪しいけど‥‥」
 休憩の為、ビルへと戻ってきた硯に、交代相手の柳樹はそう言って頭を掻いた。見れば、老若男女が一体となって部屋にシールを施している。柳樹は休憩中も作業を統括していたらしい。
「妊婦さんや兵隊さんに比べたら、これ位なんでもないさ?」
 柳樹の言葉に、硯は廊下の奥へ視線を向ける。
「‥‥出産って、人体の神秘ですよね。男が女性に絶対勝てないなー、って、思っちゃう一瞬です」
「まぁ、こればっかりは逆立ちしても‥‥」
 そのまま暫し、佇む二人。外から爆音が聞こえてきたのは、その時だった。
 それは屋上から地上を監視していたのもじが放った弾頭矢の爆発だった。ブロークンアロー。つまり、こちらへ迫る敵の様子が危機レベルを越えた事を皆に警告するものだった。

 ビルから離れた場所──のもじの洋弓の最大射程付近で沸き起こった小爆発に、闇の中を迫りつつあった敵は一斉にそちらを振り返った。
 続けて矢を受けた虎人が爆発を受け地に倒れる。突然の襲撃に慌てる敵。そうこうしている内に、今度はまたビルから離れた別の場所で、激しい戦闘音が沸き起こった。外縁部に潜んでいた桜と愛華が敵をビルから引き離す為、沈黙を破って自らに敵を誘引し始めたのだ。
「砲撃するよ、桜さん。敵はどこ?」
「わしの薙刀の指す先、80‥‥ええい、大まかで構わん。ぶっ放すのじゃ!」
 瓦礫を三脚代わりに砲を据えた愛華は桜の指示に従って、敵の固まった方向へ向けガトリング砲を撃ち放った。砲身が高速回転し、砲口から炎の下が轟音と共に吐き出される。地と瓦礫に弾ける弾着。幾匹かの獣人が倒れ伏し‥‥残った敵は周囲へ跳んだ。
 弾薬を撃ち尽くした愛華が新たな弾薬箱を引っ張り出し、新たな弾帯を装填する。その愛華に迫る敵は桜が正面から迎え撃った。自らの身長に倍する薙刀を持って瓦礫の小山を走り下り、最後の一段を跳躍しながら薙刀を横に振り払う。鉤爪のリーチの外から斬られて倒れる獣人。桜は、自分に気づいて足を止めた敵の前から跳び退くと、愛華へ向かおうとする敵に横合いから切りかかる。そして、再び跳躍。そこへ愛華の砲撃が再開し、砲弾が砂塵を巻き上げる‥‥
「状況は?」
 一方、ビルの中から飛び出した能力者たちは、一足先に周囲を警戒していた愁矢と凛に声をかけた。
「お、来た来たヤッホぉい! って、もう叫んでもいいんだよな? んじゃ、いっちょ暴れるか! ィヤッホォオウ!」
 これまでの沈黙戦闘によほど鬱憤がたまっていたのだろう。鎖から解かれた獣の様な勢いで、凛が前線へと走っていった。近接戦用の杖を手にその後を追った柳樹は、或いはその足音に地響きを感じたかもしれない。
 闇の中、ひっそりと前進して来た敵は、突然、雄たけびを上げながら眼前に飛び出して来た凛に度肝を抜かれる羽目になった。一方、凛の方でもこの遭遇は不意打ちだった。夜の闇で視界が著しく狭いのだ。
 先手を取ったのは凛だった。
「シュッ──!」
 即座に取ったボクシングスタイルのファイティングポーズ。ジャブから右フック── 顎先を的確に捉えられた敵は、両膝から地面へと崩れ落ちた。天拳アリエルによる非物理の一撃。或いは脳を焼かれているかもしれない。
 敵が倒れるより早く、凛は新たな敵と渡り合っていた。円を描く様に回りながら、蝶のように舞い、タ○ソンの様にぶん殴る。当然、反撃は集中する。そうして自分に敵の注意を集めさせ‥‥
「オラ! 今だ、やっちまえ!」
 敵の背後を取った柳樹が、その杖で獣人の後頭部を殴りつけた。

「多数の敵が‥‥どうやら『明確に』こちらを目指して接近中のようだ。他班が敵を誘引しているが、とにかく闇で視界が悪い。抜けてくる敵もいるだろう」
 状況を尋ねられた愁矢が、硯に簡潔に現状を説明した。
 なぜ。野良であるはずの敵が示す行動の統一性に、レナが小首を傾げる。サムが遠慮がちに手を上げた。ここに来る途中、バグアを見た。或いはそれがキメラを仕切っているのではないか‥‥?
「可能性はあるわね」
 レナは無線を手に取ると、移動の是非をアイナに尋ねた。兵の手術は終わった。動脈の傷を塞いだが‥‥残念ながら、助かる見込みは殆どない。妊婦の方は最悪、救急車の中でも出産は出来る。
「避難民を車に移動します。もう少し現状を維持して下さい」
「了解。全力で守ります」
 と、レナと硯のやり取りを手で制する愁矢。どうしたのか、と尋ねた次の瞬間、闇の中から獣人型キメラの群れが湧き出すように現れる。
「敵襲!」
 飛び出した愁矢が、鉤爪を振り上げた虎人に向かって盾ごとその身を叩きつけた。立ち上がろうとした獣人の顔面に散弾小銃を突きつけ、発砲する。すんででそれを避ける虎人。愁矢を跳ね除け、飛び起きる。
 レナは硬直するサムを車内に引き込むと、アクセルを踏み込んで一気に後進した。追う獣人を横合いから硯が切り伏せる。
「バグアだ! バグアが出た!」
 屋上からその叫びが聞こえてきたのはそんな折。凛と柳樹が接敵を受けつつある。
「行って下さい!」
 硯に向かって愁矢が叫んだ。恐らく『瞬天速』なら間に合うだろう。
「行って下さい。ここは‥‥俺が通さない!」
 一瞬、逡巡を見せた硯は、頷くと反対側の戦場へと去っていった。愁矢は振るわれる鉤爪を銃身で受け凌ぎ‥‥曲がったそれを捨てて直刀を抜き放つ‥‥
「アイナ!」
 レナが無線に呼びかける。アイナは奥歯を軋ませながら‥‥「移動する!」と、皆に叫んだ。


「運べぇ!」
 アイナと男たちが声を合わせ、妊婦と、そして、手術を終えた兵とを乗せた担架を担いで救急車へとひた走る。
 迫る敵を撃ち払う能力者たち。それでも血塗れで抜けてくる敵を、我斬が銃で迎え撃つ。
「ち。今の俺じゃ倒せんか‥‥っ!」
 貫通弾にもひるまず迫る敵。そこへ屋上から両腕を組んで『降って来た』のもじが廃車をクッション代わりに突き刺さり‥‥砂塵が舞う中、とぅっ、と一回転して地におりる。
「更に再々再利用!」
 その廃車を『獣突』で吹き飛ばし、獣人ごと押し退けるのもじ。その隙に避難民たちは各車両へ向かう。我斬は避難民たちの殿に立って走った。ここまで来て最後の詰めは誤れねぇ。なんとしても、皆で生きて帰るんだ‥‥!
「よし、避難民は全員乗ったな!? では、さっさとこんな所はおさらばじゃ!」
 弓を構えた桜が、愛華が駆る高機動車の屋根へ飛び乗り、叫ぶ。我斬は高機動車の空の荷室に飛び乗ると、運転席の愁矢に合図した。走り出すキャラバン。愁矢は奮戦する硯と柳樹、凛とを拾い上げると、そのまま殿について脱出した。

「産まれた‥‥!」
 その救急車の車中で、若奥さんは無事に赤ん坊を出産した。男の子だった。母子共に健康。それを聞いた硯が涙を浮かべる。
 同じ頃。隣の担架で兵士が息を引き取った。皆が出産に湧く中、アイナは一人、瞑目し‥‥微笑を浮かべて亡くなった兵士の瞼を、掌でそっと閉じた。