●リプレイ本文
その日、最後尾の護衛車両の助手席に座っていたのは、警備部に配属されてまだ3ヶ月の新人だった。
燃える朝日に染まった空の下、見渡す限りどこまでも続く赤茶けた広い荒野── 西海岸を出るのが初めての彼にとって、目にするもの全てが新鮮だった。行く手には、紅と藍色の空を頂くシエラネバダの山々。そして、砂塵を巻き上げて進むトレーラーの上に、一人立つ少女の姿──
「ん?」
違和感を感じて、新人は目を擦り‥‥改めて視線を上げた。その少女、阿野次 のもじ(
ga5480)は、先と変わらずそこに居た。
「あの、先輩‥‥なんですか、『アレ』?」
「‥‥いいか、ルーキー。世の中には、お前の常識を超越したものが山ほどある‥‥『アレ』はその一例だ」
なるほど、とルーキーは頷いた。この仕事は奥が深い。まだ、始めてから10分と経ってはいないけど。
一方、当ののもじは独特なポーズを決めながら、高所という視点の利を活かして、周囲へ警戒の視線を飛ばしていた。
「のもじより先行各車。状況はどんなもの?」
矢を番えた洋弓を左手で保持しながら、右手で無線機に呼びかける。それを受けたのは、須磨井 礼二(
gb2034)とリック・オルコット(
gc4548)の二人だった。二人は予定進路上を警戒する為、AU−KVで先行していた。
「こちらリック・オルコット。今のところ異常なし。‥‥のんびりとしたものだ」
「須磨井です。リックさんに同じく。見えるのはピューマくらいです」
気を張りつつも気負いのない声で、二人がそう返事をする。のもじは頷くと、今度は後方の守原有希(
ga8582)を呼び出した。IFVの上部ハッチから上半身を出した有希は、動くもの一つない荒野へ改めて視線をやった。
「‥‥問題なし。尾行車もありません。‥‥もっとも、ずっと一本道ですけどね」
一方、表の警護係ほど気を張る必要もないトレーラーのコンテナ内では、直衛についたクリア・サーレク(
ga4864)が困りきっていた。同乗する友人のヴェロニク・ヴァルタン(
gb2488)は朝から心ここにあらずといった態でなにかを考え込むばかり。右と左、ヘンリーとヴェロニクを交互に見やり‥‥クリアは、沈黙に耐え切れずに口を開いた。
「そ、そういえばヘンリーさん! 204、無事に完成しそうですね! ホント、一時はどうなることかと思ったよ!」
書類に目を落としていたヘンリーが顔を上げた。クリアの言う『一時』とは、『兄弟機』YF−205の開発が中止された際のごたごたの事だった。ちなみに、クリアは無線の回線を開いたままだったので、会話は全員に聞こえていた。AU−KVの上でそれを聞いていた礼二は、205に関してふと疑問を抱いた。
(そういえば‥‥205の機材を担当していた人たちは、あの後、どうしたんでしょう‥‥?)
ヘンリーの話では、開発中止が決まった直後にはあちこちへ色々と働きかけていたらしい。だが、最近ではその噂も聞かなくなったという。
(‥‥本当に?)
ドロームの各研究室・開発室にとって、予算の確保は死活問題のはずだ。なのに噂を聞かなくなったのは‥‥情報を隠しているから、とか‥‥?
「そういえば、以前、『スルト』の実験をした時、燃料を止めてもエンジンが回り続けた事があったよね? あれ、燃費改善の糸口にできないかな?」
トレーラーの中では、クリアとヘンリーの会話が続いていた。
「うーん、そうだね‥‥でも、KVとか戦闘機のエンジンって、戦闘中は全力運転が基本だから‥‥巡航時はともかく、戦闘時には厳しいかなぁ」
会話を続けながら、横目で友人を見やるクリア。
ヴェロニクは会話にも加わらず‥‥時折、ヘンリーへチラと視線を投げかけながら、ずっと何かを考え続けているようだった。
「こちらリック。本隊より12km前方に、故障車らしき車が停車中。これよりチェックをかける」
先頭を走っていたリックが隊列を離れ、代わりに礼二が前に出た。
「‥‥今日もまた暑い一日になりそうですねぇ」
一人、ハイウェイを走りながら、礼二は細い目を更に細めて空を見上げた。時刻は昼前。すっかりと高みに上った太陽が槍の様な日差しを投げかけている‥‥
やがて、車列はハイウェイを下りて、食事休憩の為に足を止めた。着いたのはこじんまりとした個人経営のスーパーで、なぜか商品は全てドローム資本のものだった。立地が悪いのか、駐車場には他に車がない。
のもじが裏口の検索に回り、有希が店内の安全を確認する。店主らしき男と警備部の黒服が何かの符丁を交わし、ようやくトレーラーは駐車場へと乗り入れた。
警備部は人員の半数を警護に残し、思い思いに休憩を取り始めた。ヘンリーや整備士たちも荷台から下りて大きく伸びをする。
クリアは持参した手作りおにぎりを広げると、借り受けたダッチオーブンに買い込んだ食材を放り込み、手早くスープを作り始めた。その後ろを、アイス売り場へダッシュしていく礼二。とりあえず、ありったけをドライアイスと共にダンボールに入れ、幸せそうな笑顔で外に出る。
「皆さ〜ん! スープ、一緒にどうですかー?」
「当たりが出ればもう一本! アイスも沢山ありますよー!」
ルーキーが喜んで受け取ろうとしたクリアと礼二の差し入れは、だが、警備部のベテランに謝絶された。全員が同じものを食べていっぺんに食中毒になるのを防ぐ為らしい。
「同感ですね。護衛たるもの、食べ物にも気をつけないと‥‥」
そう言う有希もまた、自らが、そして傭兵たちが食べる食材は自前で用意していた。
麦茶、浅漬、鮭等、塩気のあるものを中心にお握り各種、鶏のコンフィに桃のゼリー、塩分補給用の塩飴等‥‥
ドロームの社内では、常に派閥抗争がその影を曳いている。採用がほぼ決まった204にも何があるか分からない。護衛の人間が妨害者になる可能性だって捨てきれないのだ。
「いや、内部の競争自体は意外と健全だったりするんだよ?」
つまり、ほかのところの開発を妨害して『社の利益』に損害を与えた場合、その妨害者も日の目を見なくなる、という事らしい。‥‥もっとも、その妨害が結果として社の利益になる、と判断されれば、話は別かもしれないが。
「ドロームってのは‥‥ いや、また随分と開発が盛んなんだな」
どこか呆れたように呟いたのは、たまたま側を通ったリックだった。トレイには自前で持ち込んだロシア料理が盛られている。
「気がついたか? ご覧の通り、俺はプチロフ・ユーザーでね。今回の仕事も報酬目当てというわけだ」
言いながら、リックは皮肉気に笑って見せた。それに苦笑を返しながら、ヘンリーはリックに席を勧めた。一瞬、躊躇いつつも、ダッチオーブンを囲む椅子代わりの岩に座るリック。有希が大皿をそちらへ回す。
「まぁ、俺がプチロフ以外を愛機にするとは思えないが‥‥噂には聞いているよ。無理やり開発を早められたにしては、良い機体になりそうだって」
コンテナに視線を向けながらリックが言った。ドロームももう少しどーんと構えていればいいのに‥‥その言葉にヘンリーが苦笑する。
「それは、まぁ‥‥傭兵向けの売り上げは、正規軍向けのそれに比べると芳しいとは言えませんから‥‥」
貪欲なことだ、とリックは肩を竦めた。傭兵向けは殆ど販売していないプチロフに比べたら、開発が盛んな分だけマシだろうに。
「そういえば、ヘンリーさん。204の軍用向けはどうなっているんです?」
ふと思いついたように有希が尋ねる。その話題に、アイスの箱を抱えた礼二が食いついた。ちなみに、アイスはクーラーボックスに入れ替えた方がいいかもしれない。とてもじゃないが食べきれない。
「新機材‥‥空中変形の持続性と相まって軍としても使いやすくなったはず。そのままでも採用いけるんじゃないですか?」
そうできたらいいね、とヘンリーは頷いた。ただ、204はとにかく調達価格が高すぎる。量産効果でコストが下がるまでは、技術を転用するという形で201Cの性能向上を図るかもしれない。
「機体愛称は‥‥『ノートゥング』というのはどうです? 『ニーベルングの指輪』、英雄ジークムントの剣、砕かれた後に蘇る再生の象徴── どうです? 205系技術との合体という意味と、将来エンジン制御が完全になった際の改良を見据えたネーミングです」
「『インプルーブ・フェニックス』。『改良』と『運命を開拓する』って表現のダブルミーニングです。搭載した機材には『レーヴァティン』はどうでしょう? 万物切り裂く太陽に劣らぬ輝く剣── 縁起はいいかと‥‥」
「またヘンリーさんとルーシーさんの事を考えてるの?」
少し離れた場所で一人、食事を取っていたヴェロニクは、クリアの声にハッと顔を上げた。
ヴェロニクの隣に座り、持ってきたスープを分けるクリア。ヴェロニクは礼を言ってそれを受け取りながら‥‥手をつけずにまた嘆息する。
「この子達は、どんどん先に進んでいくね‥‥」
「え?」
ヴェロニクが顔を上げると、クリアはすぐ背後のトレーラーを‥‥204の入ったコンテナを見上げていた。
「でも、この子達を作って、乗るボクたちはどうなのかな? 先へ進めているのかな?」
呟くクリア。正直、ヘンリーさんとルーシーさんの間には、何か、私たちには分からないような繋がり、結びつきがある気がする。だけど、欲しい未来を掴む為には、ボクたちもまた先へ進むしかない。過ぎ去った過去に拘っていても、どうにもならないのだから。
「迷った時こそ踏み込まなきゃ。だってボクたちは、フェニックスでそうやって戦ってきたんじゃないか」
そうか、とヴェロニクは頷いた。以前、モリスが言っていた意味がやっと分かった。私は当事者でありながら、未だにヘンリーさんたちと同じ舞台に上がってもいなかった。
「ありがとう、クリアちゃん。‥‥私、いってくる!」
決意を秘めて走り去るヴェロニク。そんな友人に対して、クリアは小さく手を振った。
その手には、静かに光る婚約指輪。過去に拘っているのは私も同じか。そう呟く。メトロポリタンXを奪還するその日まで── その日まで、結婚できないと言ったのは自分だ。
「でも、有希さんは、ボクが過去を乗り越えるのを待っていてくれている。その優しさには安心して甘えていられるから‥‥」
プラチナのリングをキュッと握り締めて、クリアはヘンリーを連れ去るヴェロニクを見送った。
「ヘンリーさん! 新型機、AU−KVでの騎乗状態を確認したいので、セッティング手伝って貰えませんか!?」
「えっと‥‥じゃあ、整備士も‥‥」
「いいえ、整備士さんたちはお食事中です。ヘンリーさんだけで十分です!」
突然、直立不動で呼びかけてきたヴェロニクの大声に、男たちは思わず目を丸くした。
半ば強引に手を取り、そのままずんずんとトレーラーへと歩き出すヴェロニク。男たちは半ば呆然と顔を見合わせる‥‥
「‥‥こうなったら、もう温かく見守るしかないわね」
「わ」
突然、隣に現れたのもじに、礼二が驚いた。
のもじの手には聴診器。そのまま立ち去ろうとするのもじの肩を、礼二ががっしと掴んで止める。
「ダメですよ。馬に蹴られて死んじゃいますよ?」
「いや、完成した『ティロ・ドローム・ストロング・ジェット・ドローム・システム・ハイパーフィナーレ』の様子を見にね‥‥?」
「まだエンジン積んでないです。あと、ドロームって2回言いました」
一方、204のコクピットに収まったヴェロニクは、極度の緊張状態にあって目をグルグルと回していた。
後ろの予備シートで作業するヘンリー。カタリと物音が鳴る度にヴェロニクがビクゥッと身を震わせる。
「えっと、機材の接続は終わりましたけど‥‥」
「はっ、はいっ! 奉天の新型、宇宙用ですねっ! 次はドロームも宇宙ですよ!」
何を言っているのだろう、とヴェロニクは内心で頭を抱えた。そんなヴェロニクにもヘンリーは真面目に答える。
「そうだね。でも、3室には宇宙のノウハウはないから‥‥出るとしても、別の開発室が作ったものだろうね」
その言葉を聞きながら‥‥ヴェロニクはグッと覚悟を決めた。AU−KVの中から抜け出し、シート越しに間近でヘンリーをじっと見る。
「ヘンリーさん。私は、貴方の事が好きです」
ヘンリーの身体が固まった。互いに顔を見合わせたまま、ただ時間だけが静かに過ぎる‥‥
彼女の気持ちに気づいていなかった‥‥といえば嘘になる。ただ、彼女の様な若く美しい少女が自分のような中年男に本気になるわけはない。そう思っていた。
「‥‥なにもわざわざ、僕みたいなのを選ばなくても、君ならもっと‥‥」
「誤魔化さないで下さい。私が知りたいのは『貴方』の気持ちです」
僕の気持ち?
そんなものはこれまでずっと分からなかった。──ただ、その瞬間、脳裏に浮かんだ顔がある。
思えば、僕は、これまでずっと、あらゆる事から逃げてきたのではなかろうか。そう、分からない、気づかないふりをして。
大学時代、ずっと気のない振りをして、彼女の友人であり続けた。彼女が3年間、誰とも付き合わなかったのは、或いは自分の告白を待ってくれていたのかもしれない。だが、僕は、そんな都合のいい事があるわけがない、と思い込んだ。彼女の友人であるという、その特権を失いたくなかったから。
そう、僕はずっと逃げてきた。目の前にいるこの少女だって、覚悟を決めて自らの心に向き直ったというのに。
ヘンリーは顔を上げた。
「ごめん、僕は──」
遠景── 動くヘンリーの唇と、天を仰ぐヴェロニクと── 静寂と、沈黙の数分が過ぎて、ヴェロニクはさばさばとした表情で、こう笑った。
「気にしないで下さい、ヘンリーさん。‥‥これは、宣戦布告なんですから」
「?」
「これで私もようやく同じ舞台に立てた‥‥ そういう事です」
●
同日夕刻 サンフランシスコ、ドローム本社・屋内実験場──
ネバダの実験場から運び込まれた試作機は、待ち構えていたスタッフによって、すぐにエンジンシステムと特殊機材が搭載された。
「これがティロ・ドローム・ストロんがっんっぐっ」
「どうしました?」
「舌、噛んだ‥‥」
口を押さえるのもじと苦笑する礼二。有希とクリアが組み上げられた『花嫁衣裳』を見上げ、リックが「ほぅ」と息を吐く。
出迎えに出てきたルーシーに向かって、ヘンリーは開口一番、こう言った。
「やぁ、ルーシー。どうやら僕は君の事が好きみたいだ」
あまりに唐突で脈絡のない告白に、ルーシーは掌で口を押さえた。
「え? あ‥‥え‥‥?」
困惑し、数歩後退さり‥‥ごめんなさい、といって走り去るルーシー。ヘンリーはヴェロニクに向かって肩を竦めた。
「どうやら僕も振られたみたいだ」
「いいえ、ヘンリーさん。ヘンリーさんも、これでようやく同じ舞台に立ったんですよ」