●リプレイ本文
●感謝の気持ちを形に
無骨で飾り気など一切ない広い空間に、不釣合いな明るく無邪気な声が反響した。
「わ〜、ひろ〜い!」
胸にパンダのプリントがされたエプロンを着た愛紗・ブランネル(
ga1001)が、エプロンとスカートの裾を翻し、はしゃいでいる。小さな背中では、何故か巨大ハリセンが揺れていた。
「格納庫って広いから、なんだか走り回りたくなるんだよな」
既に走り回っている愛紗に『先』を越された作業着姿の空閑 ハバキ(
ga5172)は、無邪気な様子を眺めている。
「見渡す限りの、ナイトフォーゲルか。壮観だな」
並んで待機している数々の機体に、ジュエル・ヴァレンタイン(
ga1634)は視線を巡らせた。
格納庫には鉄や油などの匂いが混ざり、独特の空気が漂っている。足を踏み入れた八人へ、事務所から出てきた整備スタッフが帽子を取り、ぺこぺこ頭を下げた。
「お疲れ様っす。お手数かけるっす」
「いつも、世話になっているものね。整備スタッフ居ずして、完璧な傭兵仕事はないもの」
「はい。今日はお手伝いで伺いましたから、何なりと遠慮なくお申し付け下さい」
淡々と答えるケイ・リヒャルト(
ga0598)に続いて、丁寧に一礼した聖 海音(
ga4759)がにっこり微笑む。女性二人の言葉に、整備スタッフは手の中でよれた帽子をこねた。
「いや、来ていただけるだけで有難いっすよ。ホントに助かるっす」
何故か赤くなりつつ恐縮する整備スタッフの肩へ、ごつい手が軽く置かれる。置いただけでなく、掴んだ手は次第に力が込められて。
「暢気におしゃべりも構わねぇが、『仕事』にかからねぇか?」
笑顔っぽい表情で、小田切レオン(
ga4730)が整備スタッフを促した。
「もしかして‥‥妬いてます?」
一連の整備スタッフとレオンの反応に、『状況』を見ていたルシフェル・ヴァティス(
ga5140)がぽつりと呟き。ソレを聞きとめた愛紗は、小首を傾げる。
「お正月だから、日本の人は焼き餅〜?」
「べっ、別に妬いてるわけじゃ‥‥時間がもったいねぇだろ、時間がっ。な!」
肩から離した手で、レオンは整備スタッフの背中をバンバン叩いた。
「彼の心情はともかくとして、確かに時間は惜しいですし、緊急事態でも起きれば掃除どころではなくなりますからね」
苦笑しながらも促すキーラン・ジェラルディ(
ga0477)に、背を叩かれてむせていた整備スタッフが帽子を被り直す。
「わ、判りましたっす。じゃあ事務所の方で、お願いしたい場所と段取りを説明させてもらうっす」
整備スタッフが事務所の扉を開けると、案内された八人は中の状況を目にして一瞬あっけに取られた。確かに何かと多忙だった事もあるだろうが、机の上には書類や工具などの物が乱雑に置かれ、椅子や床も機械油や煙草のヤニで汚れている。
事務所の掃除を担当する二人は、おもむろに顔を見合わせ。
「忙しいのは判るけど、壮絶、ね」
「お掃除のし甲斐が、ありそうです‥‥触られたり見られたりしては拙いものは、今の間に隠しておいて下さいね」
海音が微笑みかけると、事務所にいた整備スタッフ達はぺこぺこと軽く何度も頭を下げ、自分の机を確認し始めた。
●『任務』開始
「それじゃ、メンバー割りを確認するわね」
掃除を始める前に、整備スタッフへの紹介を兼ねてケイが担当を確認する。
依頼された掃除場所は、三箇所だ。
そのうち広い格納庫には、愛紗とジュエル、そしてハバキが三人であたり。事務所を、海音とケイの女性二人が。残る資材室がキーランとルシフェルの担当とあり、レオンは手が足らない場所を手伝う事となっている。
「んと、愛紗はジュエルお兄ちゃん、ハバキお兄ちゃんと一緒に『格納庫』のお掃除だねっ」
見上げる愛紗にジュエルが白い歯を見せてにっと笑い、人差し指を左右に振った。
「おっと、大事なメンバーを忘れてるぜ」
「あれ? 三人じゃ‥‥」
愛紗が不思議そうな顔で尋ねれば、振った人差し指でジュエルは彼女の抱いたパンダのぬいぐるみを指差し。
「はっちーも、一緒だぜ」
「うん!」
二人のやり取りに、思わずハバキがくっくと笑う。
「なんだか、賑やか楽しく掃除が出来そうだね」
「せっかくだしな。だが、掃除の手も抜かないぜ?」
笑顔と共に、ジュエルはハバキへ胸を張った。
「負けずにこちらも、頑張りますか」
「そうですね」
資材室組のキーランとルシフェルも声を掛け合い、事務所を出て各自の担当場所へ向かう。
「じゃあ、やるとすっかね。とりあえず蛍光灯の交換とか、高い場所の雑用から手伝うか! 細々とした掃除って方は‥‥超苦手だがな」
肩を回して気合を入れるレオンに、動きやすいようジャージを着用してきたケイが乱雑な事務所内を見回した。
「そうね。掃除の定石は、『奥から、上から始める』が基本だから」
「頼りにしています、レオンさま、ケイさま。必要でしたら、マスクも用意してきましたので」
微笑むエプロン姿の海音は、白い手拭いで束ねた長い黒髪を覆い、首筋で布の端を結ぶ。
「こちらは掃除の邪魔にならないよう仕事するっすね。掃除道具は‥‥」
整備スタッフから道具や水回りの説明を受け、事務所の三人も掃除に取り掛かった。
「しかし、こうして改めて見ると‥‥」
物珍しそうに眺めたルシフェルが、微妙に語尾を濁す。
彼の視線は数々の部品が納められた棚ではなく、エプロンをつけた長身の男に向けられていた。
「何か言いたげですね」
「いえ。あまり見る機会がなさそうな光景ですから、つい」
几帳面に袖を折りながらキーランが苦笑すれば、ルシフェルは一つ咳払いをする。
「ここのパーツが集まってナイトフォーゲルを構成していると考えると、不思議なものです」
話題をそらすようにルシフェルは棚に並んだ部品の数々へ視線を移し、箱のラベルと棚のラベルを確認した。白いラベルは汚れ、黒い字で書かれた区分けはよく見ないと読めない。慣れたスタッフならともかく、このままでは部品を間違いかねない。
「これを書き直す前に、棚自体を綺麗にした方がよさそうですか。ラベルを貼りかえるだけでは、また汚れてしまいます」
横から同じ様に現状をチェックしていたキーランは、てきぱきと雑巾や洗剤を用意し、『作業』にとりかかる。どこか手馴れた感のある彼の手際に、ルシフェルもまた用意した新聞紙を広げた。
「まずは、部屋全体の掃除。それから、ラベルの書き換えですか」
「せっかくの機会です。ついでに、模様替えをしてしまうのもいいかもしれませんね。もちろん、整備の人達が仕事をやりやすいように、ですけど。レオンに頼んで男手三人なら、棚の移動もできるでしょう」
おおよその段取りを立ててから、二人は資材室の掃除を始めた。
「第一回ラスト・ホープ杯格納庫モップがけレース! レディー・ゴー!」
ジュエルの合図で、四つのモップが一斉に床の上を滑り出した。
「それーっ」
「どりゃあぁぁ〜っ!」
「うわ、本気出し過だってーっ!」
気合と笑い声に走る足音が混じって、格納庫は賑やかだった。
スタートラインは年齢、体格に応じてのハンデをつけ、フィニッシュラインは反対側の壁まで。
半分は遊び、そして残り半分は本気気味で、ジュエルとハバキ、そして愛紗に手伝いのレオンを加えた四人のモップがけ競争が、繰り広げられている。
「よっしゃ、誰が早いか競走だっ」
きっかけは、そんなジュエルの言葉。
そこから格納庫の掃除は、どことなく運動会ちっくなノリで進んでいた。
「いっちばーんっ!」
真っ先に『ゴール』へ着いたのは、グラップラーながらもハンデをもらった愛紗。続いて、二位と三位がほぼ同着でゴールする。
「よっしゃ、二番いただきっ!」
「だぁーっ、僅差だったのに!」
ガッツポーズのレオンに、ジュエルが悔しがる。
そして、最後にハバキが到着した。
「はぁ‥‥皆、早いな〜。ちゃんとモップがけもしてる?」
「そりゃあ、ちゃんと力の限り拭いてるぜ」
息を整えつつ、笑いながら尋ねるハバキへ、胸を張ってレオンが主張した。
広く寒々とした格納庫だが、こうして思いっきり動き回っているせいか、身体も温まってくる。大きく深呼吸をして鼓動を落ち着かせると、ハバキは顔をあげ‥‥目に入ったナイトフォーゲルを、しばし見上げる。
「よーし、今度は負けないからな」
その間にも、気合十分のジュエルがレオンと愛紗へ『宣言』し。
「何度でも受けて立つぜ」
「愛紗も、負けないもんっ」
対する二人もまた、リベンジを受けて立つ気満々だ。
「クガは、どーする?」
ジュエルに名を呼ばれ、機体をじっと眺めていたハバキは我に返る。
「うん。じゃあ、今度は僕がスターターをやるね」
四人はまた床をモップで擦りながら、それぞれの『位置』につき。
「準備いいかな? じゃあ、よーい‥‥どん!」
再び、ナイトフォーゲルの間で楽しげな声が響いた。
事務所にまで聞こえてくる歓声に、雑巾を絞るケイが顔を上げ、格納庫の方を見やった。
「楽しそうね。ちゃんと、掃除してるといいんだけど」
呟く言葉に咎めるニュアンスはなく、むしろ微笑ましさが含まれている。
「でもあの様子なら、手は足りているようね」
雑巾をたたみ直すと、彼女は念入りに窓枠を吹き始めた。先に手がけたドアノブなどは、手垢や油も落ちて金属本来の輝きを取り戻している。
一度水拭きしたデスクを乾拭きする海音が、何かを思いついたのか、ふと掃除の手を止めた。
「そうですね。休憩スペースが片付きましたら、皆さまに声をかけて一休みしますか? 格納庫は寒そうですし、疲れが少しでも和らぐよう、温かいお汁粉を作ってポットに入れてきました」
「いいわね、それ。疲れた時には、甘いものがいいって言うし」
海音の提案に、手を休めないままケイが賛同する。それから緑の瞳を動かし、ちらりと横目で時計を確認すれば、短針は3の数字に迫っていた。
「三時を過ぎる頃には、休憩スペースもひと段落つくかしら。レオンに干してもらった仮眠用の毛布も、取りに行かないと」
「はい。では、それまでに片付けますね」
答える海音は、綺麗に拭いた机の上へ書類入れやペン立てを戻していく。
「にしても‥‥ここで銃器類を扱ってなくて、よかったわ」
淡々と掃除をしていたケイはふっと小さく呟くと、淡白な表情に安堵とも、残念がるような風にもとれる色を、微かに浮かべた。
特に銃器類を目にすると、我を忘れて鑑賞してしまう癖のようなものが彼女にはある。だが、一種混沌とした事務所を綺麗にするには、そういった物に心奪われている暇もない。
惜しいような気もするが、一つ息を吐いて気持ちを切り替えると、再びケイは窓枠を吹き始めた。
休息の機会は、他の者達も考えていたらしい。
頃合いを見て二人が声をかければ、資材室で細かい作業をしていた者達も、格納庫を縦横無尽に動き回っていた者達も、すぐ掃除に一区切りをつけた。
「時期柄、お餅の代わりに白玉団子入りのお汁粉にしてみました。お口に合うと、いいのですが」
「これは、温まりそうですね。ありがとうございます」
海音に礼を述べつつ、ルシフェルは汁粉の椀を受け取る。
「はい、レオンさまの分もありますから、どうぞ」
「ありがとな、海音。腹が減っては、戦も出来ねーし、海音の料理は最高だからな」
笑顔を返すレオンに、海音ははにかむ。そんな二人の様子に、ジュエルは短く口笛を吹いた。
「仲がいいね、お二人さん。おかげでコッチも、温まってきたぜ」
「お兄ちゃんとお姉ちゃんって、恋人なんだ?」
膝の上にパンダぬいを置いた愛紗が、紫の瞳をくりんとさせてレオンと海音を見比べる。
「あ〜、まぁ、そういうこった」
改めて聞かれると気恥ずかしさが先に立つのか、レオンが照れ笑いで誤魔化しつつ答えた。そんな彼の傍らでは、海音もまた頬を朱に染めている。
「じゃあ、レオンに手伝っていただいたのは、かえってお邪魔をしてしまいましたか」
椀をすすりつつキーランが真面目なのか、冷やかしているのか、微妙に判りづらい口調でレオンに尋ねた。
「いや、そんなヤボな気ぃ遣うなって。それに細かい掃除は苦手で、ここで手伝っても邪魔にしかならねぇよ」
「それでも、さっきのモップ競争だとレオンは早かったんだよ」
失笑するレオンに、ハバキがフォローらしきものを入れる。
「そっちは、随分と面白い掃除方法なんですね‥‥ああ、紅茶もありますので、よければどうぞ」
くすりと笑いながらルシフェルが淹れた紅茶をすすめ、「愛紗が一番で、レオンお兄ちゃんは二番だったんだよ」と愛紗が説明を付け加えた。
「あと、愛紗もポットに、コーヒーと緑茶も持ってきたの」
「ありがとう。皆でいただくわね」
愛紗が差し出すポットを、ケイが受け取る。
温かい飲み物と話題が交わされる中、ハバキは手にした一枚の券をじっと見つめていた。
それは新年早々に巡り合わせた、思いがけないお年玉‥‥新しい機体の引換券だ。それをどうするか、不意の出来事に彼は悩んでいた。
「そろそろ、再開するか」
ジュエルが腰をあげると、残りの者達も彼に続き、ハバキは券をポケットに捻じ込む。
適度に休んだ者達は、残りの掃除を片付けるべく、誰ともなく再び『持ち場』へと戻った。
●新年といえば
「ん。やっぱり綺麗だと気持ち良いわね」
綺麗になった事務所を眺め、ケイは僅かに目を細めた。
一日をかけて掃除を終えた者達は、不備や問題がないか整備スタッフに『最終チェック』を依頼する。
それが終わった頃、事務所に60代前半の男が現れた。
「ほう。こりゃあ随分と、綺麗になったもんだな」
「あ、おやっさん」
深い皺が刻まれた渋い顔で見回す相手に、整備スタッフ達は慌てて居住まいを正す。
微妙な沈黙の中、検分するような老整備士の視線が、机の上で止まった。スタッフ各人の机には、一本ずつ造花が飾られている。仕事の合間に、花で心が安らげば−−という、海音の気遣いだ。
「お邪魔でしたでしょうか」
恐る恐る尋ねる海音に、部署のチーフは「いや」と短く答える。
「本来なら、こいつらがやらなきゃならん仕事だ。手間と迷惑をかけちまったな」
「いえ。日頃、お世話になっているのはこちらですし」
ルシフェルの言葉に、キーランやハバキも頷いた。そんな彼らを、老齢の男はじろりと見やり。おもむろに、上着のポケットに手を突っ込んだ。
「ほら」
皺だらけの手で無造作に突き出された小さな袋を、ジュエルは不思議そうに受け取る。
「‥‥これ?」
「日本にはな。正月に年長者が年若い者にやる、年玉って風習がある」
「お年玉、貰う年でもねぇけど‥‥ありがとな」
「わ〜い、お年玉〜!」
レオンは一礼し、愛紗は飛び跳ねて喜んだ。
事務所から兵舎へ戻る道すがら。
通りがかった資材室には、『資材室は綺麗に使いましょう』と書かれたキーラン手製のミニポスターが貼られていた。