タイトル:Last Hope−42195マスター:風華弓弦

シナリオ形態: イベント
難易度: やや易
参加人数: 22 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/11/06 00:41

●オープニング本文


●いわゆる一つの身体測定
 昨今、バグアとの戦いは激化の一途を辿り、それに伴うかの如く能力者達の能力向上もまた目覚しいものがあった。だが反撃の旗印たる能力者も、エミタに対する拒絶反応がないというだけで、元は普通の人間である。
 そこで「身体的なデータや、エミタによる影響を調べる」という意味合いも含め、未来科学研究所は能力者達の身体能力を計る事にした。
 単に身長体重の計測や、体力測定を行うのではなく、能力者の協力を得やすいだろうという方式を採って――。

●L.H.42195
「『ラスト・ホープ』で、マラソンが開催されるそうです」
 カウンターを訪れた能力者へ、にこやかにオペレーターが告げた。
「何でも、能力者の皆さんの身体能力を計測する為だそうで‥‥エントリーには、年齢や男女混合を問いません。
 競技は覚醒しない状態で行う事となりますので、気を付けて下さいね。
 説明をするオペレーターは、ラストホープの地図を広げた。

 コースは居住地区の中にある競技場を出発し、緑豊かな居住地区を駆け抜け、商業地区まで走るもので、全長は42.195kmとなる。
 スタートは、朝の8時。
 前半は、緑の多い地帯を抜ける、直線的でフラット(平坦)なコース。
 中盤のコースは居住地区の間を抜け、緩やかなカーブが多い。
 終盤には賑やかな商業地区に入り、小さなアップダウンを経た後、ゴールの近く35km付近で長い緩やかな3kmの上り坂が待っている。

「厳密なスピード競技ではなく、市民マラソンのようなものと考えて下さい。もちろん、記録を目指すのも問題ありませんし、逆に時間を気にせず、ご友人とのんびり走っていただいても構いません。
 また、運営をお手伝いしている人も募っていますので、走る方に興味のない方はこちらに協力していただけると助かります」
 お気軽にご参加下さいねと、オペレーターはにっこり微笑んだ。

●参加者一覧

/ 鏑木 硯(ga0280) / 鯨井昼寝(ga0488) / 黒川丈一朗(ga0776) / 鯨井起太(ga0984) / 篠原 悠(ga1826) / シャロン・エイヴァリー(ga1843) / 終夜・無月(ga3084) / キョーコ・クルック(ga4770) / 緋沼 京夜(ga6138) / ラシード・アル・ラハル(ga6190) / シャレム・グラン(ga6298) / ハルトマン(ga6603) / 砕牙 九郎(ga7366) / レティ・クリムゾン(ga8679) / ユーリ・ヴェルトライゼン(ga8751) / キド・レンカ(ga8863) / 最上 憐 (gb0002) / 武藤 煉(gb1042) / 文月(gb2039) / ドッグ・ラブラード(gb2486) / 刃武・龍雲(gb2654) / 羅条 零(gb2670

●リプレイ本文

●スタート前風景
 頭上高くに広がる抜けるような青に、ぽっかり白い雲が浮かんでいる。
『いいお天気になって、よかったのです。いよいよ、第一回ラスト・ホープ マラソンの開催なのです〜!』
 朗々たる空に、マイクを通してレポーター役を務めるハルトマンの声が響いた。
 居住地区にある競技場のトラックでは、ランナー達がウォーミングアップを始めている。トラックを見下ろすスタンドは、スタートの瞬間を見に来た観客が座席を埋めていた。
 そもそも「人類にとって希望の砦」である『ラスト・ホープ』では、一般向けな娯楽やスポーツ観戦に興じる機会は少ない。その為か、未来科学研究所の所員達が企画した『能力者達の身体能力に関する最新データ収集』を目的としたマラソンは、未来科学研究所副理事が目を通したプランから微妙にナナメ上にスナップしたスポーツ・イベントと化していて。
 馴染みのある鈍い痛みが胃の底で疼き、ジョン・ブレストはピルケースから幾つか錠剤を手の平へ転がすと、水と一緒にあおった。

   ○

 そんな胃痛持ちの憂鬱は、さておき。
 徐々に迫るスタート時間に、参加者達はトラックのスタートラインへ集まり始める。
「42.195km‥‥長いな〜。依頼で強行軍する訓練だと思って、頑張るか〜」
 いつものユニフォームであるメイド服をまとったキョーコ・クルックが、両手を組んで一つ大きな伸びをした。
「訓練、か。覚醒せずに全力で‥‥というケースは、あまりないからな‥‥」
 運動靴の爪先でトンとコースを叩き、上半身を軽く左右に捻って、身体の動きを終夜・無月が確かめる。
「コンディションは万全、準備も完璧。 これならそこそこいけるはず‥‥」
 カンパネラ学園の校章が入ったジャージを着た文月は、上着の裾を引っ張って整えた。
「ところで‥‥走り辛そうですが、大丈夫です?」
 顔を上げた文月は、エプロンドレス姿のキョーコを見やる。服装だけでなく、彼女は両腰に蛍火を帯びていた。ただし、あくまでも『ハンデ』としての帯刀であり、抜刀や別目的で使用しなよう念を押されている。
「ん。着慣れているから、平気だよ〜。そういう訳で、皆お手柔らかによろしく〜」
「は、はい。よろしく、お願いしますっ」
 ひらりと手を振るキョーコに、目が合ったキド・レンカは慌てて勢いよくぺこりと頭を下げた。
 集団の出来るだけ端っこである外側で、おっかなびっくり状態中の彼女だったが。
「よぅ、レンカ」
「ひょぁえぇぇぇぇ〜!? ご、ごめんなさぁぁぁぁぁぁいっ」
 不意に背中をぽんと軽く叩かれ、何故か謝りながらレンカは脱兎の如く逃げ出す。
 100mほど距離を取ってようやく振り返れば、残された緋沼 京夜が背を叩いたやり場のない手をひらひら振った。
「あの、すみません‥‥っ」
 恐縮しながら急いで謝る彼女に、気にするなという風に京夜は笑顔を返す。
「途中で困った事があったら、いつでも声をかけろよ♪ ラスと一緒に、走ってるからさ」
「ちょ‥‥京夜、苦しぃ」
 長身の京夜が、隣のラシード・アル・ラハルの首に腕を回せば、『高低差』で微妙にヘッドロック状態になった小柄な少年は、猫の様にじたじたもがく。
「お二人で‥‥参加されていたんですね‥‥」
 見知った顔に、ちょっとだけレンカは安堵の表情を浮かべた。
「ああ。せっかく、ラスから誘われたしな」
「僕は‥‥最近、もやもやしてるから、身体を動かして、すっきりしようと思って」
 京夜から解放されたラシードは、ランニングの襟を引っ張って正し、それからトラックへ視線を投げる。
「でも‥‥僕に、走りきれる、かなぁ‥‥?」
「頑張って、完走目指そうな」
「‥‥うん」
 励ます京夜を見上げ、ラシードはこくりと頷き。
(「わ、私も、頑張らないとです‥‥っ」)
 大きく深呼吸をしてから、レンカはおっかなびっくりで列へ加わった。

   ○

「割と知った顔同士で参加してる人、多いんかな? たまには、健康的に汗をかくのもええやんねっ♪」
 嬉しそうに振り返った篠原 悠へ、ポニーテールを揺らしてレティ・クリムゾンが頷く。
「競技ではなく、能力測定のようなものらしいからな。とはいえ、競争意識で『上』を目指す者もいるだろうが、悠は気にせず自分のペースで走ればいい」
「うん、そうする。それから‥‥」
 こくりと頷いた悠は言葉を切り、少し小首を傾げてはにかむ。
「レティさん、誘ってくれてありがとう。うち、凄く嬉しいよ♪」
「悠‥‥」
 最近、微妙に元気のない様子を密かに気にかけていたレティは、彼女の仕草に目を細め。
「あ、いたいた。レティさーん、約束通り勝‥‥」
 どげしっ。
「ぶあーーっ!」
 レティの後ろから駆け寄った砕牙 九郎が、華麗な放物線を描いて吹っ飛んだ。
「すまない、クロウ君だったのか。スタート前で、気が張っていたようだ」
 帽子のつばを引き下げ、レティは起き上がる九郎へ手を貸す。
「よかったね、今日のレティさんは丸腰やから」
「丸腰じゃなかったら、どうなって‥‥っ」
 体操着の土を払いつつ、にこやかな悠へ微妙に戦慄する九郎。そんな彼へ、改めてレティは右手を差し出した。
「クロウ君。今日はお互い、ベストを尽くそう」
「勿論! 今日の為の下見と走り込みの成果、見せてやるぜ」
 にっと白い歯をのぞかせ、九郎も力強く握手を返す。
「頑張って、レティさん。うちも応援してるしから!」
 ぎゅっと両手を握った悠へ、彼女はサムアップサインをしてみせた。

   ○

「は〜い、ここで豆知識〜。どうしてマラソンが42.195kmなんて半端な距離なのか、知ってる?」
 ぱんぱんと両手を打ったシャロン・エイヴァリーが、イギリス国旗をプリントしたシャツの胸を張る。
「マラソンで初めて42.195kmが採用されたのは、1908年のロンドンオリンピック、何でこんな半端な距離になったかは逸話があって、当時ウィンザー城からシェファードブッシュ競技場までの40kmに決まっていたコースを、時の女王アレクサンドラが『スタートは城の庭で、ゴールは競技場のボックス席の前に』なんて注文をつけちゃって、やむなく半端な距離になっちゃらしいわ」
 負けじとシャツに描かれた胸の桃色クジラを強調し、鯨井昼寝が三つ編を背へ跳ねやった。
「つまり40kmから先がキツい時は、その女王様へ文句をつけながら走ればいい訳ね」
「でも手前で辛くなったら、本人の力量不足かもしれないわね」
 不敵な笑みの昼寝へ微笑しつつ、シャロンの瞳は勝気に見返す。
「もっとも、自分の意思で参加する以上、いくら40kmを越えて苦しくなろうがナンだろうが、誰のせいにするつもりもないけど。私は」
「誰に限らず当然よね、それは」
「‥‥大丈夫かなぁ」
 スタート前から微妙に対戦モードな女友達二人を、心配顔で鏑木 硯が見比べた。だが昼寝の兄である鯨井起太は、前髪をかき上げて肩を竦める。
「数字の上での優劣を競うなんて、まだまだ。スポーツというのは、がむしゃらになればいいってモノでもないさ」
「じゃあ、何で競うの?」
 素朴な疑問と共に首を傾げる硯へ、ちっちと彼は立てた人差し指を振り。
「決まってるじゃないか。重要なのは、美しいフォームと正しいリズム! これに尽きるね」
 微妙な表情で、硯は力説する友人に疑問の視線を向けた。
「‥‥そういうモノ、なのかな」
「当然。スポーツの究極的な根源は、洗練され研ぎ澄まされた完璧なフォーム。それを極めた先に、結果がついてくる訳さ!」
 某伯爵並のキラキラしたオーラを背負って、明後日の方向へ断言する起太。
「‥‥まぁ、あながち間違ってはいないと思うが」
「えぇっ!?」
 頭上からの意外な肯定意見に、呆れていた硯が振り仰げば、面白そうに眺めていた黒川丈一朗と目が合った。
「基本や基礎をおろそかにしないという点で、な」
「ああ、なるほど。言われてみれば、確かにそうですね」
 言い換えた丈一朗の言葉で納得した風に、硯は手をぽむと打つ。
「甘いわねっ。固定概念を打ち破った先に、掴み取れる勝利もあるのよ!」
 彼らの会話が聞こえていたのか、脇からビッと昼寝の人差し指が突きつけられ。
「そうとも‥‥手前には負けねぇからなッ! 今回だけは、絶対ぇ!」
 更に彼女と同じポーズな武藤 煉が、ビシッと丈一朗へ宣戦布告する。
「武藤か‥‥いつの間に」
「甘いな。さっきから、ずっといたんだぜ!」
 驚いた様に――あるいは呆れた風に――丈一朗が向き直れば、彼は不敵にニッと口角を上げた。
「そうか。まぁ、勝負を挑まれて断る理由もないが‥‥」
「応よ! 手前に勝って、ついでに優勝してやらぁ!」
 気炎をあげた煉は勢いよく踵を返し、肩で風を切りながら、他の参加者の間を縫ってずんずん歩いていく。
 その背中が人の向こうへ見えなくなると、丈一朗は筋肉をほぐすように軽く肩を上下させ、身体を動かして温め始めた。

 ‥‥一方。
「い、勢いで、『勝つ』のを通り過ぎて、『優勝』とか言っちまった‥‥」
 ばっくんばっくん煩い鼓動を押さえるように胸へ手をやった煉の額には、汗が滲んでいる。
 多少は暑さもあるが、どちらかといえば冷や汗だ。
 だが丈一朗へ『宣戦布告』した以上、もはや後には引けなかった‥‥男としても、彼の心情的にも。
「うおっし‥‥やるぞ、俺ッ!」
 まとわりつく弱気を払うように、彼は自分の頬をパンッと両手で叩いた。

   ○

『それでは、スターター役でもあるブレスト博士から、一言激励をどうぞ〜』
 ハルトマンからふられたブレスト博士は、不承不承に一つ咳払いをした。
『あー‥‥今回のマラソンは、あくまで覚醒をしないという状況下でのデータ収集だ。くれぐれも無理をして、後に差し支えのないようにな』
『えっと、スポーツマン精神で頑張って下さいとの事なのですね。ありがとうございました〜』
 渋面なブレスト博士の代わりに、ハルトマンが適当に良い方へと言葉を補足する。もっともスタートへ集中している者達の耳に、ちゃんと届いているかは謎だが。
『では、博士。スタートをお願いするのです〜』
 促されたブレスト博士は眼鏡のフレームを指で押し上げ、細いコードのついた専用銃の銃口を天へ向ける。

 そして僅かな静寂の後、号砲が青空へと響いた。

●尖兵伏兵波乱模様
 号砲に反応し、ライン沿いに並んだ者達が地を蹴る。
『いま、一斉にスタート‥‥あっ、いきなりダッシュをかけたランナーがいます〜!』
「いきなり、Bダッシュッ!」
 集団から真っ先に、ピンクの弾丸が飛び出した。
「ちょっ、鯨井っ!?」
「無謀な‥‥いや、スタミナのある序盤で距離を稼ぐ作戦か‥‥?」
 飛び出した昼寝に硯が驚き、眉根を寄せた無月は訝しみつつも自身のペースを保つ。
「いつもながら、アクアリウムの人達は面白いですね」
 スタートからの『ハプニング』を眺めるシャレム・グランは、先頭集団よりやや引いた後続に混じり、適度に歩を進めていた。
「若いうちは、多少の無茶をした方がいいもんだ。もっとも、ワシらもまだまだ先を譲るつもりはないが」
 還暦を越えてなお、血気盛んな刃武・龍雲の隣で、妻の羅条 零は視線で天を仰ぐ。
「ワシら‥‥ねぇ。ともあれ、あたしは完走できればいいさね」
 控え目な目標を口にしながらも、零は紫の瞳で先頭集団の背を見据えた。
「それにしても、随分と重装備だな」
 後ろから追ってくるガシャガシャと騒がしい音に、龍雲は後ろを見やる。集団より一拍置いた位置では黒いスーツ姿のドッグ・ラブラードが、何故か大荷物を背負って走っていた。
「はい。ちゃぁんと荷物だってバッチリっすよ! 持てるだけ、持ちましたからね」
 肩のベルトを軽く叩き、自信たっぷりにドッグは笑うが。
「そんなに沢山の荷物で、大丈夫ですか?」
「ぅわあぁぁっ!?」
 背を反らすようにシャレムが振り仰げば、思いっきり後ろへダッシュする。
「どうやら、大丈夫ね。若いし、元気なもんさね」
 ドッグの反応とその速さに零は笑いながら、年齢を感じさせない足取りで、競技場の外へと出るコーナーを曲がった。

   ○

 緑の木立に挟まれた一般道を、ランナー達が競っている頃。
 路上の給水ポイントもまた、慌ただしくなっていた。
「これがラシードで、こっちがレティ。それから、悠とレンカのと‥‥」
 道端に置かれたテーブルへ、ユーリ・ヴェルトライゼンが小ぶりのプラスチック容器を順番に並べていく。ストロー付の白い給水ボトルには、ランナーが走りながら取りやすいように長いワイヤーの持ち手がつけられ、更に自分のものと判別しやすいように、個々のパーソナルエンブレムが印刷されたちいさなタグが付けられていた。
「‥‥ん。それなに?」
 興味を持ったのか、最上 憐は頭の天辺で結んだ大きな赤いリボンを傾け、ボトルとユーリを交互に見比べる。
「ああ、中身は特製『梅蜂蜜』ドリンクだ。丸ごと放り込んだ梅干入りの水を五分沸騰させて、それから梅干を取り出して蜂蜜を入れて、粗熱を取ってから冷蔵庫で更に冷やす。梅干の酸味と適度な塩分、そして蜂蜜のほのかな甘さで疲れを取って、更に走る元気とエネルギーになるだろう」
「‥‥ん。もしかして。カレー味?」
「カレー味はしないよ。というか、何故どこからカレー味‥‥」
 残念そうにボトルを見つめる憐に苦笑いを浮かべるユーリだが、そこはかとなく給水所の周辺で漂う『異変』に気付いた。
「この匂い‥‥まさかカレー!?」
「‥‥ん。カレーも元気出る。カレーは飲み物。喉も潤い。お腹も潤う。凄く便利」
 微妙な表情のユーリへ、自信たっぷりに憐が持論を展開する。
 確かに潤うかもしれないが、余計に水が欲しくなったり、のちのち腹に溜まって影響を及ぼす気もする可能性は、あまり気にしていないらしい。
 むしろ戸惑うユーリの反応に彼女はボトルの一つを取り、腰に手を当て一気に煽った。
「‥‥ん。大丈夫。カレー。ちゃんと。飲める」
 ぷは。と、満足げな笑顔で『立証』してみせる憐。
「他にはスポーツジュース。お茶。ジュース。その他モロモロ。用意してる」
「それなら、いいが‥‥」
 まだ選択の余地がある事に心の内で安堵の息を吐きつつ、彼は『梅蜂蜜』のボトルをカレーの群れから少し離して置いた。

 ――その他モロモロの中身もまた、蕎麦つゆやナニが混ざっているか得体の知れないミックスジュース、濃厚ジュースの原液などなど、ある種の地雷が含まれていた事など知らぬまま。

 そして、数十分後。
「おぶぁ、何だこりゃぁぁぁー!!」
「ぐはっ‥‥辛っ!?」
「あっま〜い‥‥水、水はドコ〜っ!」
 運悪くアタリを引いたランナー達により、給水所が阿鼻叫喚の様相となったのは、言うまでもない‥‥。

   ○

『えっと、一部でアクシデントもあったのですが、おおむね皆さん順調に走っているのです〜』
 自転車で併走しながら、インカム越しにハルトマンが『現場』に密着した中継を提供している。
 序盤のコースは平坦で走りやすくなっているが、給水所でのハプニングもあって、早くも消耗しているランナーもちらほらしていた。だが『能力者』としての責任か、それとも別種の意地なのか。リタイヤだけは避けようと、ダメージを引きずりながらも走っている。
『コースはそろそろ、緑地ゾーンから居住地区の中心へ、差しかかってきました。緩やかなカーブが多い、中盤ですけど、皆さん頑張って下さいなのです〜!』
 自身もペダルをきゅこきゅこ漕ぎながら、ハルトマンは手を振って走る仲間を応援した。

●まったりフェアプレイ
 競技場周辺の緑地帯から居住用高層ビルの林に入ると、沿道だけでなく窓からも見物人が増え、走る者達の頭上から声援が降ってくる。
 その頃には、団子状態だった走者は、ほぼ三つの塊にばらけていた。
 先頭集団のトップは、あくまで先を譲らない昼寝だ。いきなりのダッシュである程度後ろを引き離すと、ペースを落とす。そして丈一朗達が近付けば、また猛ダッシュで距離を開くという無謀を繰り返していた。
 彼女を筆頭にして、競うように前へ出たシャロン、シャロンに遅れまいとする硯。堅実に速度を保って走る丈一朗と、彼へ勝利宣言をした煉が続く。
 そこから少し遅れて、あくまで『完璧なフォーム』を崩さない起太と、不運にも給水所で『アタリ』を引いた無月。そしてトップを狙える位置をキープしながら、レティと九郎が先頭を追っていた。

   ○

(「さすが、レティさんや。どんどん、背中が遠ぉなってく‥‥」)
 規則正しい呼吸を心がけつつ、カーブへ差しかかるたびに悠は見慣れたポニーテールを探していた。九郎との『勝負』は今のところ五分で、レティが負けていない事を確認する度に安堵の息を吐く。
「レティさん、ゴールで待ってて。うち、頑張るからっ! レティさん大好きー!」
 先頭集団のスピードに合わせる事を断念し、自分のペースを保つ事に専念する悠は一人、謎っぽい気合いを入れた。
 第二集団は悠の後ろを文月が走る他、京夜とラシード、龍雲と零が肩を並べる。
(「そろそろ、身体も暖まる頃ですか」)
 徐々にペースを押さえる悠とは逆に、文月は第二集団から抜け出す機会を窺っていた。
 無謀な昼寝の走りと先頭集団の競い合いに揺さぶられず、あくまで体力を温存していたが、距離が開き過ぎると後が辛い。
 赤い瞳で文月はキッと前を見据え、まず無月と起太を捉える為、歩幅の狭いピッチ走法で追い上げを開始した。
「‥‥っ」
 同じ位の身長の少女がピッチを上げれば、後ろを走っていたラシードも自然と歩幅を広げ。
「慌てるな。急にペースを上げると、後でバテる」
 隣の京夜がつられそうになる『弟分』へ助言し、先を行く若人達のやり取りを人生の先達二人が微笑ましげに眺める。
「零、ワシが前を走ってやろうか。人の後ろを走る方が、体力をセーブ出来るからな」
「なに言ってんだい。あんたに気遣われるほど、ヤワな鍛え方はしてないね」
 体力的に妻より苦戦しているにも関わらず、龍雲が切り出した提案を、笑いながら零はあっさり却下した。

   ○

 第三集団はレンカとキョーコ、シャレムの三人に距離を取ってドッグがついていく。事実上、一番『ビリ』な位置だ。
 とはいえ、決して体力的に先のランナー達から後れを取っている訳ではない。
「どうしよう。上からも、見ている人がいっぱい‥‥」
 頬を染めたレンカは、どうしても小さな背中を丸めて俯きがちになり、足運びも重くなっていく。
「大丈夫、皆ジャガイモだと思えばいいよ。でももし、どうしても走れなくなったら、遠慮なく言えばいい。それまでは、一緒に頑張ろう」
 並んだキョーコは引っ込み思案なレンカを励ましながら、少女とペースを合わせていた。
「ええ、気にする事はありませんわ。見ている人達は、後ろのお姉さんに注目してるんだって考えればいいのですわ」
 更なるアドバイスにおどおどとレンカが後ろを振り返れば、シャレムが冗談めかしたウインクで答える。
 タイムも勝負も関係なく、ほのぼのと走る女性陣。その三人から数mの距離を保った位置に、最後尾のランナーとなったドッグがいた。
(「は、離れて走らないと、心臓がパンクする‥‥!」)
 前を走る三人の一挙一動にハラハラドキマギしつつ、それでも追い抜いて前に出ないのは、彼が極力女性への接近を避けている為だ。その結果として最後という位置に落ち着いているのだが、ソレはソレで特に気にしてはいない。
「完走、できるといいけどな」
 ささやかな目標を呟きながら背中の荷物を揺らし、時おり沿道より飛んでくる声援に応えるドッグだったが。
「あ。犬だーっ! 散歩ついでかな? かわいいなぁ!」
 飼い主にリードを引かれ、尻尾を振って見上げる犬に、思わず心奪われて。
「‥‥はっ。そうだ、マラソン‥‥!」
 しばし和んだ後、我に返ったドッグは慌ててダッシュでコースへ戻る。
 何気に、ロードレースは彼にとっての誘惑も多かったようだ。

   ○

 さて、再び先頭集団。
 日頃から様々な任務へ身を投じ、あるいはオフでも体力作りを欠かさない者が多い傭兵達だが、25km付近から徐々に疲労の色がにじみ始めていた。
「ぜぇ、は‥‥っ、やべぇ、俺、こんな体力なかったっけ‥‥」
 苦しい息を吐きながら、煉がアスファルトを踏む一方で、タンカを切った相手の元ボクサーは、辛そうな様子など微塵も感じさせない。それがまた煉の闘争心を煽り、辛いながらも足を動かす原動力となっていた。
「最後の方は、坂があるんですよね。上ったり、下ったりの」
 長いコースの先にある『障害』を硯は思い出し、低く呻く。
「体力的に厳しくなるのは、だいたい35km辺り‥‥と思っていたけど、割ときついわね」
「当然よ。例えプロのスポーツ選手をしのぐ身体能力があっても、私達自身は選手じゃないもの」
 額ににじんだ汗を拭うシャロンへ、先頭で粘り続ける昼寝が疲労しながらも不敵に笑った。
「それに、測定データの数値が全てじゃないわ。真に最強となるには、更にプラスアルファが必要なのよっ!」
 闘争心に燃える妹に、ナンセンスと言わんばかりに後ろの方で起太が首を横に振る。
「まったく、まるでなっていないね。精巧緻密に作られた時計の様に正確なリズムを刻む事こそが美しい、そう思わないかい」
 だが、一番距離の近い無月から返事はない。
 トップを窺う駆け引きの中で彼は寡黙に足を動かし、走る事へ意識を集中していた。
 やがて、唯一の無月が『動揺』を見せる場所が近付く。
「‥‥ん。応援する人も。意外とお腹空くかも。カレー食べる? チキンカレー。ビーフカレー。キーマカレー。スープカレー。色々ある」
 ランナーが近付く給水所では、沿道の人々に憐が持参したカレーを勧めていた。
 長距離である事を踏まえ、給水所には飲み物の他にバナナやオレンジ、あんパンにチョコレートなど、手軽にカロリーを補給できる物も揃っているのだが。
「‥‥普通の水は、どれかな?」
「えっと、ミネラルウォーターはこれだな。はい」
 不本意ながらも足を止め、念を入れて尋ねる無月へユーリがボトルを差し出した。
「‥‥ん。本当に。カレー持って行かなくても。大丈夫?」
 残念そうにテーブル越しで憐がじーっと見上げてくるものの、黙って無月は首を横に振り。
「‥‥ん。そっちも。カレーどうぞ。いっぱいある」
 あえなくスルーされた憐は屈する事なく、自転車で接近する新たな『標的』に狙いを切り換える。
 給水所ごとに漂うカレーの香りは、まだまだ絶える気配がなかった。

 不意に高層ビル群が途切れ、人々が賑やかに行きかう街並みが視界に飛び込んでくる。
 走る距離も30kmを越えて、先頭集団は緩やかな高低差のある商業地区のコースへ突入した。

●負けず嫌い達のストラテジー
『競技場のスタートから、2時間半を越えました。走り続けてきたランナー達は、いよいよ最後の追い上げに、入るのです。はひ〜っ!』
 上り坂で息を切らしながらも、自転車で併走するハルトマンは中継を切らさない。
 途中のカレーでいくらか元気を補給したが、やはりママチャリで30km以上の走行は、それなりに疲れる。
『そろそろ、先頭の皆さんは、35kmに差しかかろうと、しているのです。この先は難関の、長く緩やかな約3kmの上り坂が、あるのです。うちも頑張って、漕ぐのですよ〜っ』
 片手でハンドルのバランスを取りながら手を振り、ハルトマンは自分の足で一緒に走る仲間を応援した。

「ハルトマンさんも、頑張りますね」
 苦しい息を吐きながら、文月はレポートをしながら自転車を漕ぐハルトマンを見送る。
「私も、頑張らないと」
 懸命に登る坂は、ここへきて壁の如くランナー達の前で立ち塞がった。序盤ならともかく、終盤にきての長い坂は確実に体力を削る。
 文月も一時は先頭集団に食い込んだものの、アップダウンのあるコースに再び距離は開いていた。だが彼女だけでなく先頭集団自体も徐々にバラけ、次第に塊りは長い列へと変わり始める。
「くっそ‥‥負けねぇかんなっ!」
 懸命に腕を振る煉だが、丈一朗との間には既に数人のランナーを挟んでいた。
(「これを登り終えた時点で、残り4kmちょっとか。スパートをかけるにしても、少し長い距離だが‥‥」)
 背中越しに吼える煉の声を聞きながら、冷静に丈一朗は周りの状況を観察する。自分のペースを第一に心がけたつもりだが、闘争心をぶつける煉と、ダッシュを繰り返す昼寝の揺さぶりで、スタミナの消耗具合は予想より多い。
(「とにかく今は、この坂を越える事が先だな」)
 目の前に立ち塞がる『障害』に、丈一朗は両の拳を軽く握り直す。
「煉君も、頑張るな。皆、ここが正念場か」
 九郎と勝負を賭けたレティも、足を動かす事に専心していた。元々は勝敗よりも、身体がスピードにのるまま足を動かしてきたが、さすがに苦しい局面では足に疲れがまとわりつく。
 ここまで集団を引っ張っていた昼寝、さすがにスタミナが尽きてきたのか今は彼女と肩を並べ。
 後ろからは、規則正しい足音が複数聞こえてくるが、振り返って相手を確認する事もない。
(「くっ、スピードが上がらねぇ‥‥っ」)
 歯を食いしばり、九郎が懸命にレティを追っていた。
 残り10kmでスパートする作戦で挑んだが、やはり3kmの上り坂が彼を阻み。
 彼はひたすら、目標のポニーテールへ意識を集中する。
 己と戦いながら坂を上る者達を、沿道の声援や拍手が励ました。
『せ、先頭のランナーが、やっと、坂を越えたのです‥‥っ。ここからゴールまで、残り5kmありません。いよいよ、ラストスパート、なのですーっ』

   ○

「トップは、どこまで進んでいるのやら」
 梅蜂蜜でラストへのエネルギーを補給しながら、零は既に見えない背中へ目を細める。
 日頃から鍛えていたつもりだが、さすがに若い連中は元気があるさね‥‥と感心する零の耳に、声援と混じって何故か泣き声が届いた。
 しかも、ランナーが続く後方からである。
「ふえぇぇぇぇぇーーーーーーっ!」
「ちょっとレンカ、あんまり飛ばしちゃダメだよ!」
 猛ダッシュで、小柄な影が零を追い抜き。
 それをずっと追いかけてきたキョーコが、スピードを緩めて大きく息を吐く。
「あの子、どうかしたのかい?」
「ああ。商業地区に入って見物人が増えたせいか、ビックリしちゃったみたいでな」
 声をかけた零へ、足を止めないままキョーコは答えた。
「心配だから、様子をみてくるよ。それにこんな所でへこたれてちゃ、大切な人を守るなんて出来ないよね〜。そっちも、頑張って!」
 明るい笑顔を返し、二本の蛍火を腰に差したまま、キョーコは再びレンカを追いかける。
「元気なメイドさんだな」
 束ねた金髪を揺らして、どんどん遠くなる彼女の背中を、感心しながら龍雲が見送った。
「ふ〜ん?」
 生返事っぽく答える零の反応に、にっと龍雲は笑い。
「何だ、妬いたのか? ワシはずっと、お前しか見とらんぞ?」
「なに、恥ずかしい事を言ってんだい」
 ついと前方へ視線を戻した零が、ぐいぐいとペースを上げる。
 その横顔を嬉しそうに見る龍雲は、きついながらも妻のペースに置いていかれまいと速度を早めた。

   ○

『いよいよ、ゴール前の長い直線に、トップが入ってきたのです〜!』
 息を切らすハルトマンの実況に、商業地区の中心に設けられたゴール地点から、拍手が起きた。
 最後の角を曲がって見えた人影は、一歩ずつ路面を踏みしめ、確実にゴールへ向かってくる。
『ここへきて、状況はまだ、トップの『一人旅』になってないのです。一番最初にゴールテープを切るのは、いったい誰でしょうか〜!』
 息を整えながら、トップを争ってラストスパートをかける者達を追うハルトマン。
 約3時間、約42kmを駆けて来たランナー達が、持ち前の意地や勝負強さをぶつけ合った末。
『現在の順位は、え〜っと‥‥黒川、クリムゾン、エイヴァリー、終夜となっていて‥‥あ〜っ! ここで、エイヴァリーがブレーキなのでしょうか〜!』
 スタミナが切れたのか、丈一朗をマークするようについていたシャロンが、急激にスピードを落とした。
 苦しげな表情で懸命に足を動かすシャロンを、後ろから無月が追い抜いていく。
 だが、彼の前方ではまだ二人が最後のデッドヒートを演じていた。
 先を競う丈一朗とレティは、互いの気配を感じながらも残った力を振り絞って地を蹴り、無心で腕を振る。

 ――そして。

『テープを切って、いま、一着がゴール! なのですっ』
 高らかに、ハルトマンが宣言した。
 なだれ込む様に最初にテープを切ったのは、丈一朗。
 そこから一分も遅れずに、レティが白いラインを越える。
 力を出し切って地面へ腰を下ろす二人に続き、無月が三番目にゴールした。

   ○

「先頭は、もうゴール、したかな‥‥」
 疲労の中で足を動かしながらもラシードは時間が気になり、目に付いた街路に立つ時計を仰ぐ。
 何気ない動作だったが、蓄積した疲労が足にきていたのか。
「あ‥‥っ」
「ラス!?」
 急に足がもつれてバランスを崩したラシードを、咄嗟に京夜が支えようとするが。
「っ‥‥!!」
 結果、二人は揃って路肩へ倒れ込んだ。
「お二人とも、大丈夫ですか!?」
 前方のアクシデントに、後続のシャレムが急いで駆け寄った。
「ああ、何とか‥‥大した怪我はない。すり傷程度だ」
「念のため、救護班の人を呼んできますわ」
 前屈みになって、京夜の膝に出来た擦傷を見て取ったシャレムは、背筋を伸ばすと銀髪を左右に揺らし、スタッフを探す。
「少し、待っていて下さい」
 言葉をかけて、彼女は見つけたスタッフへと手を振って走っていった。
「ど、どうしよう‥‥っ。とりあえず、じっと、して‥‥?」
 膝から滲む血に動揺するラシードは、慌てて傷に口を寄せ。
「や、舐めるとか汚ねえっつーか、くすぐったいって‥‥ぅくっ」
 傷を舐める舌の感触がくすぐったくて、別の意味でアスファルトを掻いて身悶える京夜。
 と、指先が柔らかい生地に触れた。
「はぁ‥‥ラスに穢された‥‥って、なんだコレ?」
「お待たせしましたわ! ‥‥あら、それはレンカちゃんの」
 京夜が掴んだリボンのついた髪飾りに、戻ってきたシャレムが持ち主の名を口にする。
「これ、レンカのか。落としたんだな」
 仕方ないなぁという風に苦笑する京夜は、ふと思い出したように顔を上げた。
「わざわざ救護班を呼んでくれて、ありがとう。先に行ってくれて、構わないから」
「そうですの? それなら、レンカちゃんの髪飾りを預かりますわ。追いかけて、届けてきます」
 にっこりと微笑むシャレムに、少し悩んでから京夜は髪飾りを差し出す。
「きっと、失くしてしょんぼりしているだろうからな。頼んだ」
「はい。お大事にですわ」
 頷いて髪飾りを預かると、シャレムは軽く身体を動かしてから再び走り始め。彼女と入れ替わりで、救護班がやってきた。
「ま、ラスは大した怪我がないみたいで、よかった‥‥けど、なにじっと見てるんだ」
 首を傾げて尋ねる京夜に、何故か不機嫌そうな顔をしているラシードが口を開く。
「京夜‥‥ちょっと、見とれてた?」
「馬鹿いってんじゃねぇっ」
 がしがしと京夜に黒髪をかき混ぜられたラシードは、驚いたように身を竦め。
 表情に、僅かな痛みが一瞬過ぎった。
「どうした。どこか、痛いか?」
 その反応を見逃さず、京夜が改めて心配そうにラシードの顔を覗き込む。
「京夜が大丈夫で安心したから、かな。急に、足がちょっと‥‥」
 痛む足首を手でさすり、ラシードが少し困ったような顔をした。

「‥‥で、庇っていて、遅れたんですか」
 ドッグの言葉を、京夜が首を縦に振って肯定する。
「救護班の手を借りたら、リタイア扱いになるからな。せっかくだから、一緒に完走したくてさ」
 京夜から声をかけられ、彼の背中で負ぶわれているラシードは、不本意そうに頬を膨らませた。
「転んだのは俺のせいだから、京夜は先に行っていいのに」
「放っていけないだろ。それにこれくらい、軽い軽い♪」
 二人のやり取りを聞いていたドッグは、心得たという風にうんうんと何度も頷く。
「そうですね。いざとなれば、エマージェンシーキットを持ってきていますし、急いで連絡をつけたければ無線機もありますから。それに、喉が渇いたら飲み物も。遠慮なく、言って下さい」
 重い荷物を背負ってきた甲斐があると、胸を張るドッグに京夜は笑い、ラシードは気恥ずかしさからか明後日の方向を向いた。

●戦い済んで
「やっと、着いた‥‥っ」
 四番手で到着した昼寝が、地面に座り込む。
 序盤からずっと無茶ペースを繰り返した為、完全にスタミナ切れを起こしていたが、意地で高い順位をキープしきったのだ。
 そんな彼女の隣へ、五位のシャロンがへたり込む。
「最後とか、エミタが勝手に覚醒するかと思ったわ‥‥」
「鯨井もシャロンも、頑張ったね。起太はまだだけど」
 傍らで豪快に大の字に寝そべり、呼吸を整える硯は七位だ。シャロンと硯の間には、何とか九郎が食い込んでいた。
「結局、勝負はレティさんの勝ちかぁ。じゃあ、負けたから俺は‥‥って、勝負する事で頭いっぱいで後の事を 全然決めてねぇ!?」
 ひたすら『勝負』に夢中だった九郎が、今頃になって焦る。が、次々とゴールする仲間を見守るレティは、逆に首を傾げた。
「勝負? すまない。途中から気にしなくなってしまっていた。やはり、走る、というのは気持ちが良いな」
 晴れ晴れとした彼女の表情に、それ以上九郎は後の事を言わず。
 レティと同じように、友人を待つ事にした。

 ゴール地点では、あくまで完璧なフォームへこだわり続けた起太が、ちょうど白テープを切り。
 ほぼ同時に、文月がラインを踏む。
「君のフォーム、なかなか完璧に近いものがあったな」
「一応、ありがとうございます‥‥でしょうか」
 清々しく賛辞する起太へ文月は前髪をかき上げ、ひとまず礼を告げた。
「もっと上位に入れれば、良かったんですけど」
「不屈の向上心も、また素晴らしい。度を過ぎると、愚妹のように無様になってしまうが。あ。ボクの事は、気軽にオッキーと呼んで構わないからね」
「呼びません」
 あっさり一蹴した文月へ、起太は頬を膨らませてぶーぶー抗議した。

「うはは。やっぱ凄ぇな、黒川‥‥敵わねぇや」
 キリよく十位で到着した煉へ、丈一朗がスポーツドリンクのボトルを差し出す。
「よく、ついてきたと思うぞ。完走もしたしな」
「にひひっ。落ちこぼれだって、やりゃあ出来るんだなっ」
 ボトルを受け取った煉は白い歯を見せて笑うと、一息ついてボトルをあおった。
「だが‥‥機会があればまた、別の形で挑戦してやるからなっ!」
 ビシッと丈一朗へ人差し指を突きつけ、彼は新たな挑戦を叩きつける。
「‥‥好きにしろ」
 煉の闘争心に、やれやれと丈一朗は苦笑した。

「レティさーんっ!」
 長い道程の終着点に姿を見つけた悠は、思わず相手の名前を呼んだ。
 既に足はふらふらだが、待っているレティの元へ辿り着く為、懸命に前へ進む。
 やっとの思いで悠はゴールのラインを越えると、レティが広げた腕の中へ倒れ込んだ。
「悠。完走おめでとう。よく頑張ったな」
「うん、愛の力で頑張ったっ!」
 その肩にタオルケットをかけながらレティが抱きしめれば、悠は嬉しそうに彼女を抱き返す。
「レティさん、大好き。今日はありがとう。しんどかったけど楽しかった〜」
「悠が完走できて、私も嬉しいよ」
 満面の笑みの悠に、レティはぽむぽむと頭を撫でる。そして足元もおぼつかない程に疲れた悠を支えながら、疲労回復を早める携帯用酸素を吸引させた。

「どうしよう‥‥髪飾り‥‥」
「あたしが後で探してあげるから、もう泣かない。いいね?」
 二つにくくった髪の片方が解け、泣きながらゴールしたレンカをキョーコが慰める。
 その二人へ、十四番目に完走を遂げたシャレムが駆け寄った。
「はい、落し物ですわ。途中で京夜さんが、見つけてくれましたわ」
 シャレムが差し出した髪飾りに、レンカは茶色の瞳を丸くして。
「ありがとぅ〜」
 嬉しさでまた泣き出す少女に、キョーコとシャレムは安堵の笑みを交わす。
「じゃあ、あたしが結んであげよう」
 どこからともなくキョーコが櫛を取り出し、乱れたレンカの髪を梳いてやった。

「十五位か。もう歳かねぇ」
「二人揃って完走できたのが、何よりではないかっ!」
 愛妻へ両手を広げた龍雲だが、あえなく零の華麗なるアッパーで迎撃される。
「人前ではおあずけだよ」
「相変わらずの、照れ屋だな」
「‥‥もう一発、欲しいみたいだね」
 犬も食わない、夫婦喧嘩(?)が繰り広げられる一方で。
 ラシードを庇う京夜と付き添っていたドッグが、見物人と仲間の拍手に包まれて、ゆっくりとゴールした。

「皆さん、お疲れ様でした! まだ梅蜂蜜があるから、よければどうぞ。多めに作ってあるので、遠慮なく」
 走り終えた仲間へ、声を上げてユーリがドリンクを勧めて回る。
「ありがとう、ユーリさん」
「助かるよ」
 走り終えた者達は、礼を言いながら梅蜂蜜を受け取り。
「‥‥ん。カレーも。疲労回復」
 彼の後ろから憐もまた、カレーのボトルを手に付け加えた――。