●リプレイ本文
●氷点下の世界
夜明け前の空は青味を帯びて暗く、風景は雪と氷に覆われている。
「寒くて、静かだな」
町の住民から借りた防寒具を着込んだ山崎・恵太郎(
gb1902)の呟きは、静寂の空間に飲み込まれた。
「これしきの寒さ。心頭滅却すれば火もまた涼し、です」
白い息を吐きながら戸隠 いづな(
gb4131)が指を組み、精神統一をする。それでもやっぱり、鋭い針の様な寒さは迷彩服を貫くが。
「冷えた体には、ヒトの心の温かさが沁みる‥‥かも。色が黒なら、もっと良かったけど」
借り物のフード付コートの襟にあしらわれた白いボアを撫でたレディオガール(
ga5200)は、ふわふわな感触に少しだけ目を細めた。淡白な表情からは判り辛いが、貸してくれた住人に感謝しているらしい。
路肩に寄せたリンドヴルムを降り、アレックス(
gb3735)は軽く身体を動かす。
「AU−KVなら氷点下10度までは平気だから、手伝える事が多そうだな」
「むしろ、ドラグーン二人には本番で頑張ってもらわねぇと。水の中で長時間は、さすがにもたねぇからな」
運転席のドアを閉めた須佐 武流(
ga1461)が、大きく一つ伸びをした。冷たい空気を深く吸い込めば、微妙に喉の奥がチリチリ痛む。
「このネットで、何とかなればいいんですけど‥‥目撃者の情報では背ビレが刃の様だったそうですし、糸や網くらい簡単に切り裂かれるかな」
「少しでも動きを止める事が出来れば、何とかなるかもしれないけど」
車の後部に回った鏑木 硯(
ga0280)と協力して、新条 拓那(
ga1294)がトランクからネットを下ろす。出来る事なら漁に使う投網がベストなのだが、近くの町は漁を生計にしておらず、代用品としてサッカー用ゴールネットを借りる事となった。
「丈夫な、メトロニウム釣り具一式とかあればいいのに‥‥」
「うん。ワカサギよろしく、大人しく一本釣りされないかなぁ」
「あれ、一本釣りって言うんですか?」
「例えだよ、例え」
「あの、拓那さん」
硯と冗談めいた会話を交わす拓那に、そっと石動 小夜子(
ga0121)が声を駆ける。
「そちらのロープ、私が持ちましょうか」
「ありがとう。でもこれくらい平気だよ」
気遣いに礼を言いながら、拓那は束ねた太いロープへ手を伸ばす。が、その前に小夜子はトランクからロープを取り上げ、両手を抱えるとにっこり微笑んだ。
「日の出ている時間が短いのですし、あまり長々と時間は掛けられませんから‥‥」
一行がいる場所は北極圏に近く、地平線から太陽が顔を出している時間は4時間程しかない。
「分担すれば、準備も早く終わるからね」
恵太郎も頷きながら、ネットを運ぶ二人に手を貸した。
「できれば、1時間で全て終わらせたいところだな」
『仕掛け』を運ぶ者達の少し前を歩く武流は雪を繰り返し踏み、隠れた足元の安全を確認する。
「綺麗に張っていますね、氷。融けた跡も割れた様子も、ありません」
「下流も見て、どの辺にキメラがいるか確認した方がいいかも」
先に岸へ着いたいづなが注意深く氷の表面を観察し、靴の踵で氷を蹴ってみたレディオガールは川下を窺う。
「きっとヤツは、氷のあるところとないところの境目付近にいるんだと思う‥‥たぶん」
「じゃあ、バイクで下流を見てくるかな」
リンドヴルムへ戻る為、アレックスは来た道を引き返した。
●待ち伏せ
ようやく差し込んだ冬の陽光が、白い世界を弱々しく照らす頃。
静寂の中で、ギシリと氷の軋む音がした。
「きたかな」
「氷、まだ融けてないぞ?」
息を潜めるレディオガールに、アレックスが首を伸ばして下流方向の氷を確かめる。
川岸より少し離れた位置では、待機する者達が小夜子の熾した焚き火を囲み、暖を取っていた。
無線機を介してアレックスが伝える下流の様子を聞きながら、作戦の準備を終えたのは日が昇った辺り。その後アレックスも合流し、交代で氷の張った川を見張ってキメラの出現に備えていた。
「話を聞いた感じだとなんか好戦的な雰囲気だし、レディ達が川に近付いたら、向こうから顔を出してくれるとか」
ほんの少しだけ眉根を寄せて、レディオガールは変化のない氷を見つめる。
「じゃあ、調べてみるかな」
身を屈め、足元を確かめながらアレックスが川縁に近付く。その間にレディオガールはちょいちょいと手招きをして、後ろの仲間達へ『異常』を知らせた。
「氷が、軋んでるんですか?」
尋ねた硯に、少女は黒いリボンで束ねた銀髪を揺らして頷いた。
「自然に鳴るものかどうかレディには判らないから、アレックスが確かめに行った」
「確かにここから見てるだけじゃ、キメラが来たかどうか判らないな」
腕組みをして、ふむと恵太郎が考え込む。
「一人じゃ危ないし、俺も様子を見てくるよ。氷を割って、反応も見たいしね」
おもむろに拓那は柄にロープが結ばれたツーハンドソードを担ぎ、傍らの小夜子が心配そうに彼を見上げた。
「あの‥‥怪我が治ったばかりなのですから、無理しないで下さいね。今度無茶をされたら、私、泣いてしまいますから‥‥」
案じる小夜子の言葉は、だんだんと尻すぼみに小さくなる。寒さのせいか、それとも別に原因があるのか。朱に頬を染めた彼女の艶やかな黒髪を、拓那はさらりと撫でた。
「うん。キメラの退路は任せたから、そっちも怪我をしないようにね」
人懐っこい笑顔を拓那が返せば、小夜子はこっくりと首を縦に振る。
「こっちは水中戦の準備をしつつ、火の番でもしておくか。気がはやって、一足先に飛び込むなよ〜」
焚き火に枯れ枝をくべ、炎に手をかざしながら武流が茶化した。
「ネット、川岸に運んでおきますね」
「拙者も手伝います」
火の傍へ戻った硯の後を追い、いづなも細工したネットを取り上げる。
キメラを待つ間に細工した複数のネットは、長く四角い状態の網と、扱いやすい適当なサイズに切った網に姿を変えていた。一部の網の端には、小夜子が重しに結んだ石がぶら下がる。
「重くないですか?」
「準備運動に、ちょうどいいです」
気遣う硯に、余裕の笑顔で答えるいづな。
「傍から見てると、どっちも華奢な事に変わりないけどなぁ」
ポニーテールの少年とツーテールの少女の後姿を眺めつつ、ぼそりと武流が呟いた。
●極寒の根競べ
最初は軽く、切っ先で硬い表面を突き。
変化がないのを確認して、一つ呼吸を置いてから拓那はエミタの活性化させる。
「手加減しないと、いきなり割れても困るからな」
上で立っても、氷の厚さの変化はよく判らない。
川岸に目をやれば、AU−KVを装着した恵太郎とアレックスが身構えた。
下流の位置では、レディオガールと小夜子が網を渡している。
刀身を下にして持ったツーハンドソードを、拓那は真直に引き上げ。
適度に力を抜いて、真っ直ぐ氷へ突き立てた。
鈍い音と感触が、柄を握る手に伝わる。
衝撃を受けた氷はミシミシと鳴るが、すぐ割れる気配はない。
だが直後、突き上げる衝撃に足元が揺らいだ。
「うわっ‥‥と」
膝を曲げ、重心を下げて転倒を逃れた拓那は、氷から大剣を抜く。
氷には、次々と亀裂が走り。
持ち上がって割れた氷の裂け目から、鈍く光を反射する硬質のナニカが見えた。
「拓那さんっ!」
岸から名を呼ぶ、小夜子の声が聞こえ。
彼は咄嗟に、不安定な足場を全力で蹴る。
川の流れに逆らえない氷塊は、互いにぶつかり、傾いて沈み。
『瞬天速』でそれらを飛び越え、雪を散らして着地した拓那の姿に、ほっと小夜子は胸を撫で下ろす。
『襲撃』をじっと見ていたレディオガールは、踊る火炎がペイントされた濃紺のAU−KVをコツコツとノックした。
「魚キメラ、とっとと陸にぶち上げられそう?」
「今やっても、たぶん氷が吹っ飛ぶだけだぜ」
「だね」
機会を窺うアレックスの言葉を、背を丸めた恵太郎が肯定する。
いつでも網を投げられるよう待機するいづなは、隣の硯へちらと目を向けた。
「どうやら、水中戦になりそうですか。拙者は準備運動も完璧ですし、行きましょう硯さん」
「そうだね」
答えた硯は、準備していた潜水用エアタンクを背負う。
「じゃあ、さっさと終わらせて、サウナに入ろう。で、あったかい食べ物とあったかい飲み物を、あったかい部屋でいただく‥‥ってな」
既に準備万端で待機していた武流が、刃のない直刀――試作型水中剣『アロンダイト』を手にした。
「格闘武器じゃねぇから、二連撃が使えないのは想定外ってヤツだが」
逆の手に握るのは、試作型水中用拳銃『SPP−1P』のグリップだ。ごく初歩的な『作戦ミス』に小さく舌打ちするが、キメラを地上に引きずり出した後で兵装を変えてから、喰らわせればいい。
「お先にな」
「すぐに追いつくから」
潜水用エアタンクを担ぐ背中へ武流が声をかければ拓那は頷き、彼は硯といづなに続いて氷の上へ飛び移った。
水面に薄く水蒸気の漂う川の中は、氷点下の地上より温度が高い。
深いが透明度のある水中を、長い影がうねった。
水を刃とするアロンダイトを構えた硯が、キメラへ迫る。
だが奪われる体力は地上の比ではなく、能力者でも流れに抗って自在に動き回るのは難しい。
身をくねらせて硯の死角へ回り込むキメラを、水を裂いて飛んだ弾丸が遮った。
試作型水陸両用アサルトライフルの引き金から指を離し、いづなは相手の出方を窺う。
滑るように距離を取るキメラの動きをはかって、武流が身を投じた。
新手にキメラはたたんだ背ビレを広げ、実体のない刃で武流はそれを受け流す。
動きの鈍ったところへ、足を曲げ、勢いよく水を蹴って硯が直刀で斬り上げた。
硯の動きに合わせ、いづなは更に水面へ追い立てるようにアサルトライフルを発砲し。
エアタンクのない彼女はそこで息が苦しくなって、自身も氷のない箇所を目指す。
凍てつく水上へ顔を出したいづなと入れ替わりで、拓那が川へ飛び込んだ。
遅れて戦線に加わった拓那へ、武流が身振りで硯へ向かう魚を示す。
身体から赤い靄を引きつつ、キメラは鋭い牙の並んだ口を大きく開いた。
長い胴体で巻きつこうとする相手を、水面を背にした硯がアロンダイトで受け流しながら、身をかわし。
その隙に、武流と拓那が揃ってSPP−1Pより水圧の弾丸を撃つ。
彼らの攻撃の勢いで、キメラは水面へ押し上げられ。
「今です!」
好機と見たいづなが網を投げ、合図をした。
「手筈通りだ。行くぜ、山崎!」
『竜の翼』を使用したアレックスが、氷の上を一気に駆けて間合いを詰め。
「とぉッ! これが本当の『バイク乗りの蹴り』だっ」
一瞬、リンドヴルムにスパークが走り。
網に絡まって水面を跳ねたキメラが、鋭く重い蹴りで吹き飛ばされる。
「‥‥バイク乗りって、蹴るもの?」
吼えるアレックスに、素朴な疑問のレディオガール。
その間にも『竜の咆哮』で吹き飛ばされたキメラへ、恵太郎が迫った。
「大人しく、陸へ上がってもらいますよっ」
やはり『竜の咆哮』を使って、ゲイルナイフですくい上げる様に、岸へキメラを弾き飛ばす。
「攻撃手段がヒレだけとは限りません。気をつけて!」
小銃「S−01」を構えた小夜子が注意を促すと同時に、魚型キメラは口から火炎を吐いた。
赤く踊る炎は、瞬く間に周囲の雪を溶かし。
距離を取ったレディオガールが、フォルトゥナ・マヨールーの照準を合わせる。
「どうせなら、焼き魚になって。食べられるかどうか、気になるの」
淡々とした好奇心で、レディオガールは引き金を引き。
合わせて、小夜子も銃弾を撃ち込む。
「そろそろ、寒さも限界ですので」
長い胴体を跳ね上げて振り回すキメラを、恵太郎はゲイルナイフと蛇剋で切り裂く。
「これで終わりだ、極炎の一撃!」
アレックスが持ち替えたランスを突き立てれば、槍の先から炎が迸る。
「‥‥上手に焼けました?」
辺りへ漂う香ばしい匂いに、レディオガールは銃の先端で動かぬキメラをつついた。
●戦士の休息
川面に、人々の歓声が戻る。
北極圏が近いとはいえ、川はすぐに凍らない。
その為、能力者達から安全を知らされた街の人々は『戦場』となった位置より上流で、冬の遊びを楽しんでいた。
「よかったですね。大きな被害にならなくて」
慣れた風に氷上を滑るいづなが、岸辺の焚き火で暖を取る恵太郎へ声をかける。
「そうですね。にしても、天然氷はスケートリンクと一味違って‥‥こう、暖かいものも欲しくなります」
手を擦り、白い息を吐く恵太郎を、レディオガールがじーっと凝視した。
「あの、謎な魚キメラ」
「‥‥はい?」
「食べられるか、結構気になるから‥‥ヒトバシラ募集中」
じーっと見つめる銀色の瞳に、いづなと恵太郎は明後日の方向へ目をそらす。
自在に氷を滑る人々から少し離れ、拓那と小夜子はおぼつかない足元に苦戦していた。
「拓那さんも一緒で、よかったです。私はスケートをやった事がなくて‥‥結構、難しいですね」
「うん。慌てなくていいから、ゆっくり」
手を貸す拓那も、技術的には彼女と大して変わらない。
必然的に互いを助け合うよう手を取り合って、二人は少しずつ氷を滑っていた。
「でも、あのまま冷凍されなくてよかったよ‥‥っくしょん!」
「大丈夫ですか?」
くしゃみをした拓那の顔を、心配そうに小夜子が覗き込む。
任務が終わった後に身体を暖めたとはいえ、拓那は冷たい川へ飛び込んだ身だ。
「後で、風邪にきく暖かい飲み物でも作りますね」
気遣う小夜子は、拓那が返す微笑みの近さに改めて気付き。
「どうかした?」
「いいえ、何でも‥‥」
赤くなって俯いた小夜子は、さっきよりもずっとぎこちなく足を動かした。
寒い中で五人がスケートを楽しんでいる頃、残る三人は熱い湯気に包まれていた。
「ちょっ、痛いっ。痛いんだよ、それ!」
バシバシと葉っぱ付きの枝で叩かれたアレックスが唸ると、ヴァスタを手にした硯は小首を傾げる。
「でも、こうするのがフィンランド式だそうですよ」
地元では、ヴァスタ‥‥束ねた白樺の若枝で、身体が赤くなるくらい力を入れて、身体を叩くのがサウナでのセオリーだ。
「どうせなら、須佐にもやってやれ」
「いや、ソッチの趣味はないから。コレだけで、俺は十分満足だ」
アレックスが話を振れば、おもむろに武流も辞退しながら焼けたサウナストーンに柄杓で水をかけた。
熱せられた石に触れた水は一気に蒸気となり、小さな部屋に立ち込める。
「サウナの本場に来てるんですから、本場流に楽しむのもいいと思ったんですけどね。ちなみにサウナで暖まった後は、火照った身体で湖に飛び込んだり、積もった雪の上を転がったりもするそうですよ」
チャレンジ精神にあふれた硯の笑顔に、アレックスと武流は顔を見合せ。
「せっかく暖まって、極楽気分なのに‥‥」
「また、あの冷たい川に入るのか」
熱気で吹き出すものとは違う汗をかきながら、彼らは揃って首を横に振った。