タイトル:花はなくとも 春は花見マスター:風華弓弦
シナリオ形態: イベント |
難易度: やや易 |
参加人数: 25 人 |
サポート人数: 0 人 |
リプレイ完成日時: 2009/05/20 03:39 |
●オープニング本文
●春の故郷は遠くとも
『ラスト・ホープ』は洋上を移動する人工島であり、バグアに位置を察知されないためにも存在する座標はしばしば変わる。
故に、明確な季節の変わり目も少なく。
赤道上にあれば常夏のようで、北か南のどちらかの半球寄りに位置していれば、そちら側の影響を受ける。
それでも『ラスト・ホープ』で暮らす人々は、遠い故郷を思いながら、暦にささやかな季節の変化を見出していた。
「春っつったら、やっぱ桜を見ながら一杯っすよね」
「ここだと、花見も難しいけどなー」
若い整備スタッフ達は、いつもの様にやいやいと賑やかに騒ぐ。
亜熱帯でも何とか桜を育てる事は可能だというが、必要があれば赤道まで移動する『ラスト・ホープ』では直植えの桜並木を目にする事など難しい。それでも、齢60を越える老チーフを筆頭に日本人が多いこの整備チームでは、話の折々に季節の話題が持ち上がった。
もっとも、若い者達は季節のうつろいを肴にして、単に飲んで騒ぐ口実としたいだけかもしれないが。
「でも花がないと、花見にならないかな。傭兵の人達も、気分が乗らないとか」
「そういや、チーフの奥さんが作っていた造花、本物によく似てるっすよね」
「あれは、ほんの手なぐさみだがな」
思い出した様に話を振ったスタッフへ、事務所のデスクで書類を片付ける老チーフが顔も上げずに答えた。
「折角だから、あの花を飾るのってどうでしょ?」
突然の提案に老チーフは手を止め、眉間に皺を寄せて部下を見やる。
「え? あの、ダメっすか?」
「‥‥好きにしろ。一応、あいつには言っといてやる」
渋面ながらもおりた『許可』に、整備スタッフ達は嬉しそうに顔を見合わせ。
「じーさん、こんちは」
「こんにちはー」
「おぉ、いいところに来たっすね。折角だから、お前らも日本の文化に触れるといいっすよ」
宴会モードで浮かれた事務所の空気に、スペインから来た五人の少年達は、奇妙な表情で互いに顔を見合わせた。
「楽しそうやねぇ。そんなんでよければ、幾らでも持って行って下さい。梅も桜も、ごっちゃやけど」
話を聞いた妻は小さな手鞠に刺す針の手を止め、たおやかな笑顔で快諾する。
「折角のお花見やったら、お弁当も用意した方がええやろか。お仕事のお仲間さん以外にも、また傭兵の人らとか、お爺さんが世話してる子らも来はるんやよね?」
「ああ。だがあまり、張り切り過ぎるなよ」
「なに言うてはるの。うちみたいなんが、こういうハレの時に気張らんと‥‥いつも頑張ってはる人らなんやから」
気遣う夫に、ころころと夫人が笑った。
「そういえば、あの子ら中で足を怪我してはる子、そろそろ手術しはるんやて?」
少年達の話で思い出したのか、夫人が話を変える。
「ああ。折れた骨を固定していた金具を、外す手術だそうだ」
「ほんなら、コールはんにも手術のお話、せんといかんねぇ。保護者の許可は、うちらやとあかんやろうし」
「そうだな‥‥あいつも忙しいとは思うが」
考え込む老チーフは、再び針を動かし始めた夫人の手元にある物に気付く。
「‥‥なんだ、それは?」
よく見れば、合間を見ては幾つもの鞠を作っていたようで、鮮やかな色彩で花を模った手鞠と一緒に、白と黒の刺繍糸で綴られた模様の手鞠が幾つか転がっていた。
「ほら。あの子ら、スペインから来たって言うてはったから。昔ながらの花模様より、こっちの柄の方が喜びはるかと思うて。傭兵の人らも、外国の人が多いしねぇ」
鞠の一つを手に取って振れば、ちりんと小さな鈴の音がする。
「ほやけど、もうすっかり春なんやねぇ。今頃は、どこの桜もそろそろ満開やろか」
ほんわりとした妻の呟きを聞きながら、老チーフは机の湯飲みへ手を伸ばした。
●リプレイ本文
●宴の気配に逸る心
「こっちは足りるかな?」
「延長コード、持って来たよー!」
『作業』に勤しむ声が、格納庫のそこここで交わされていた。
整備スタッフだけでなく、能力者も脚立やダンボールを抱え、忙しく立ち動く。
「造花かぁ。上手いものですね」
作り物の花を珍しそうに鏑木 硯が眺めれば、煉条トヲイも枝を観察した。
「ああ、器用だな。折角だから梅は梅、桜は桜で寄せて、飾った方がいいか」
桜や梅の枝を模し、紙で作った小さな花の下へ細い針金を刺し、茶色の紙を針金に巻いて枝に見せている。
「これ、ここの整備班にいるチーフの奥さんが作ったんですよね?」
一緒に足を運んだ国谷 真彼へ笑顔を向けた柚井 ソラは、細かい作りに感心していた。
「そのようだね」
「後で、教えてもらおうかな‥‥作り方」
花へ手を添えながら、ぽそりとソラが呟く。
「提灯用の乾電池、持ってきたわよー!」
箱を抱えたシャロン・エイヴァリーの声が、小さな言葉を隠した。
「準備がいいですね、シャロンさん」
「格納庫で火の気はマズイなら、電球でしょ。こないだ、電球式の提灯の支給があったものね」
駆け寄った硯へ乾電池の箱を渡したシャロンは、荷物から和装ファッションブランド『雅』の提灯を取り出す。
「こういう形で役に立つとは、思いませんでしたけど。でも造花でお花見なんて‥‥面白い事を、考えるものですね」
くすりと笑んで、箱を持つ硯から遠倉 雨音も乾電池を受け取った。
彼女ら以外にも、『雅』製の提灯を持っている者達が有志で持ち寄り、賑やかさに華を添える予定になっている。
「『ラスト・ホープ』では、花見の機会も少ないからな。普通の人なら、島から出る機会も限られているだろうし」
彼女を誘った藤村 瑠亥は、傍らで尻尾を振りながら主の手元を見つめるゴールデン・レトリーバーの頭を撫でた。
「折角、お誘い頂いた事ですし。楽しみたいですね」
「ああ、そうだな」
雨音が顔を上げれば、目があった瑠亥は笑顔で頷く。
「どうしました、ソレイユ?」
不意に格納庫の入り口へ興味を示した愛犬に、雨音も視線の先を追った。
「うわぁ、もう、準備を始めてるんだ」
移動用の小型ケージを抱えた宮武 征央がひょっこりと顔を出し、浮かれたような慌ただしさに思わず声を上げる。
「楽しげな事に関しては皆、任務以上に気合いが入るわよねっ」
明るい声に征央が振り返れば、ナレイン・フェルドは悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。
「かく言う私も、だけど」
「うん、判る。何となくこう、楽しくて」
ナレインの言葉に同意した征央は、大きく首を縦に振り。
「あら。もう皆、来ていたのね。私も早めに来たつもりなのに」
二種類のケースを提げたケイ・リヒャルトが『先客』に驚き、格納庫を覗き込む。
「お二人とも、今日はよろしく‥‥お手柔らかに」
「こちらこそ」
気付いた瑠亥が会釈をし、ナレインとケイは揃って笑みを返した。
事務所では興味深げに鼻を鳴らすソレイユに、征央の同居猫――キジトラ模様の虎太郎と、ケイの愛猫――白い長毛種のシュネーも、見知らぬ二匹の相手の様子を窺っていた。
その一方で、もう一匹のケイの愛猫――白い短毛種のヴァイスは我関せずと、事務所のソファを占拠して前脚で顔を拭う。
「可愛らしい子達ですね。それに、大人しいですし」
そんな四匹を、離れた位置で美環 玲が観察していた。
挨拶を交わすような三匹の邪魔をするのも、何だかはばかられ。かといってヴァイスへ手を伸ばそうとしても、ふぃと撫でられる距離を微妙に外される。
「どうやら、フラれたみたいですね」
持ってきた『差し入れ』を備え付けの冷蔵庫へ収めた美環 響が苦笑すると、残念そうに玲は肩を落とした。
「やっぱり、ご主人様がいいんでしょうか」
よく似た容貌の二人の会話も素知らぬ風に、白猫は前脚の間に顔をうずめる。
だが両耳はぴんと立ち、格納庫から聞こえてくる主のギターに耳を傾けていた。
「本格的で、凄いですよね」
入り口で足を止めた石動 小夜子が、『余興』の準備をする瑠亥とナレイン、そしてケイの姿を見つめる。
しばし音を聞く小夜子に、荷物で両手が塞がった新条 拓那も足を止めた。
「時間的に準備中かな?」
「はい。でも何だか、不思議なお花見ですよね‥‥子供達も来るそうですし、楽しんで貰えるよう頑張りましょう」
「そうだね」
顔を上げる小夜子に、彼女の傍らで拓那も笑顔で賛同する。
「あ‥‥ごめんなさい、つい足を止めてしまって。拓那さん、結構な荷物ですのに」
料理道具に、下準備を済ませた食材も加えて、荷物はかなりの量になっていた
「はは、張り切って買い込み過ぎたかもしれないね。その分、皆が満腹になってくれればいいさ。美味いもん作るよ〜」
「はい、頑張りましょうね。皆さんに、喜んでもらえるといいんですけど」
頼もしく笑い飛ばす拓那の隣で、そっと小夜子は彼に歩調をあわせる。
「叢雲君、叢雲君っ。もう大分、準備が進んでるみたいですよ!」
胸に黒猫を抱いた不知火真琴が、弾む声で幼馴染を呼ぶ。
身軽な彼女からやや遅れて、大き目の鞄を提げた叢雲が後をついてきていた。
「楽しそうですね、真琴さん」
「えーっ。楽しそうなのは、叢雲君の方ですよ?」
心外といった風に、真琴は「ですよね、シオン君」と愛猫へ同意を求める。
「叢雲君とはここしばらく、ちょっと一緒に遊んだ記憶がなかったですし。そろそろ構っておかないと、きっと寂しんぼになっているに違いないと思ったんですっ」
「‥‥いいですよ、そういう事で」
力説する真琴に、最初から反論する気もない叢雲は受け流し。
「あ、こんにちはー!」
見知った顔を見つけた真琴が声を上げ、大きく手を振った。
「どうも、今日はお疲れ様っす。まだ準備中っすけど、羽根を伸ばして下さいっす」
軽く帽子を取って整備スタッフが会釈をすれば、途端に真琴の青い瞳が輝く。
「そんな事言ったら、お言葉に甘えちゃいますよーっ」
嬉しそうな彼女を面白そうに眺めながら、叢雲は『猫用グッズ』が詰まった鞄の紐を肩に掛け直した。
●遠き島の春に誘われて
格納庫の一角へ飾られた梅や桜は、有志が持ち寄った提灯で照らされていた。
少し暗めに調節された格納庫の照明が、更に造花と電球の光で彩る『花見』の雰囲気を演出する。
夜を迎える頃には案内を聞いた者達も集まり始め、油と鋼の匂いが染み付いた格納庫は、いつもと違う賑やかな空気に満ちていた。
「うわぁ‥‥なっちゃん、京兄、見てほら! 本物みたい!」
両手の塞がった空閑 ハバキが、手を振る代わりにぴょんぴょん跳ねて同行者二人に知らせる。
ためらう様に彼を見上げるなつきの背を、緋沼 京夜はそっと押した。
「行ってやれ。あの調子じゃあ、勢い余って弁当の中身までひっくり返しかねん。でも、慌てて走るなよ? ケガしてんだからな」
子供へ言い含める様な京夜へなつきは頷き、ぎこちないながら歩調を早める。だがそれ以上に待ちきれなかったのか、ハバキの方が駆け戻り、彼女へ寄り添った。
「これ、凄いよね!」
「はい。本物の花、みたいですね‥‥」
「だよね。京兄も、こっち!」
やっぱり急かすハバキに京夜は苦笑し、二人へ歩み寄る。
「桜もいいが、腹も減らないか? 他の連中も、待ってるようだしな」
顎をしゃくって京夜が示せば、彼らに気付いた友人達が手を振っていた。
「そうだね。立ちっぱなしだと、なつきも疲れるだろうし」
「それより‥‥クガさんに、荷物を持たせっぱなしで‥‥」
気遣うハバキに首を横に振ったなつきが、申し訳なさそうな顔をして。
「とりあえず、俺は先に落ち着くからな。何なら、弁当も持って行ってやろうか」
放って置くと動きそうにない二人に追いついた京夜は、友人達へと足を向ける。
「いいよ、俺が持って行くから」
「そうか。じゃあ、なつきは俺が持って行こう」
「あの‥‥緋沼、さん‥‥?」
猫を掴む様に腕を回す京夜に、驚いてなつきがうろたえ。
うろたえながらも結局そのまま京夜に連れられ、ハバキと共に『連行』されていった。
「もう、人が沢山集まってるみたいだよ」
片松葉を支えにするリックと並ぶニコラが、伸び上がって声をあげた。
「ほうやねぇ。お友達が来てはるかもしれへんから、先に見ておいで」
やんわりと促す老婦人に、二人の少年は嬉しそうな顔をして。
「あ、僕も‥‥」
一拍出遅れたエリコは何かを言いたげに振り返り、『保護者』が頷くのを確認してから仲間の後を追う。
「お前達も、行っていいぞ」
「ううん。急いだって、逃げる訳じゃないし」
駆け出す年少組三人を見送るイブンの返事に、コール・ウォーロックが苦笑した。隣を歩くミシェルは返事もせず、夫人の荷物を持っている。
「お爺さんの話やと、傭兵の人らとも仲ええそうやし。楽しみやね」
「自分やリヌが傍にいてやれないので、有難い限りです」
「あら、コール達じゃない。なーに、神妙な顔で和んでるのよ」
彼らを見つけた鯨井昼寝が、妙にフランクな口調で手を振った。
「別に、そういう訳ではないんだが。そちらこそ‥‥」
いつもとは微妙に違う雰囲気にコールが言葉を濁せば、ふむと昼寝は腕を組んで考え込む。
「もう少し手を入れる必要アリ、かしら?」
「‥‥手?」
「コッチの話よ。それより、早く行かないと乗り遅れるわよ。花見といえば宴会、でしょ?」
怪訝そうなコールへ切り返した彼女は、何かを企む様に不敵な笑みを浮かべ。
「じゃあ、私は先に行くわね!」
話を切り上げるとピンクの髪を翻し、不思議顔の者達を残して格納庫へ駆けて行った。
「おぉ、旨そうだな」
持ち寄られた料理の数々に、マクシミリアンが目を輝かせた。
拓那と小夜子が用意したオードブルや、暖かいカレーにおでん、鍋といった大人数でつつける料理に、叢雲の持ってきた酒のつまみ系。そして堺・清四郎はオーソドックスに唐揚げや卵焼きなど、シンプルながらも定番をおさえている。
御飯物に目を移せば、響が買ってきたちらし寿司に、老チーフ夫人手製の手まり寿司にバラ寿司。そして鳥飼夕貴が風呂敷に包んだ重箱を、その列に加えた。
「実は、お米にはこだわりがあるんです」
本格的な日本髪を結い、場に合わせた桜色の着物をまとった夕貴は、はんなりとした笑顔と共に結び目を解き、三段の重箱を広げる。
興味深げに覗き込んだ者達は、現れた料理に一瞬目を瞬かせた。
三つの重箱全てを埋め尽くしているのは、おにぎりだ。
それもシンプルに海苔を巻いたものから、ふりかけで彩ったもの、炊き込みご飯まで、種類と趣向を凝らしたおにぎりが、綺麗に整列して並べられている。
「うわぁ‥‥おにぎりも沢山だと、凄いよね」
「本当に。ちゃんと女の子でも食べやすいサイズで、夕貴ちゃんの心遣いが伝わってくるわ」
横から見ていた幻堂 響太が純粋に感心し、更にナレインから褒められた夕貴は着物の袖で半分顔を隠した。
「まだ修行中の身なのに、そんなに持ち上げられると照れますよ」
「ふふ。私も、柿ピーチョコを持ってきたのよ。ぜひ食べてね」
他にも充実したデザート類に、甘い物好きが目を輝かせる一方で。
「ついでに、酒もないか?」
期待した目を向けるマクシミリアンへ、清四郎は持参した酒を並べた。日本酒や発泡酒、スブロフにワインと、一通り揃っている。
「一応は用意したが、子供らには飲ませるなよ」
「当たり前だろ。俺が飲む分が減るからな」
喜色満面でマクシミリアンが早速手を伸ばし、清四郎は未成年者にソフトドリンクを出してやる。
「酒が飲めない奴は、こっちでな」
「堺さん、ありがとう!」
「ありがとうございます」
響太や玲、響、そしてニコラ達が、礼と共に紙コップを受け取った。
「せっかくだから、乾杯する? 顔ぶれも、揃ったみたいだし」
既に箸を進める者もいる中、改めてシャロンが提案すれば、異を唱える者はなく。
「皆の健康と、勝利を祈って。それから、整備部の皆さんには日々の感謝を。綺麗な梅と桜に、乾杯!」
「乾杯!」
「かんぱーい!」
一斉に、沢山の紙コップが高々と掲げられた。
「随分と、賑やかだね」
いつにない格納庫の賑わいに、事務所へ足を運んだUNKNOWNがシフトで勤務に当たる整備スタッフ達へ声をかける。
「ちょうど日本では桜の時期なんで、皆で『花見』をやってるんですよ。ほら、うちのチーフは日本人でしょ。奥さんも日本人で、桜の造花なんか作るくらい器用なんですよ。それを飾って、雰囲気を出して」
「なるほど。この島では、季節を感じにくいしな。それで、どうかね? K−111の方は」
納得した風にUNKNOWNが聞けば、スタッフの一人が机の端末でデータを確認した。
「えーと‥‥定期チェックでは、特に異常はみられませんでした。何かあれば、いつでも出せますよ」
「ありがとう。いつもお疲れ様、だ」
労をねぎらうUNKNOWNへ会釈する整備スタッフが、賑やかな宴席の方を見やる。
「よければ、向こうにも顔を出してはどうです? チーフ達もいますし」
「いや。一緒に飲みたいところだが、私は用事があるからね。ああ、チーフの親父さんに、これを。皆で飲んで、楽しんでくれ」
手持ちの酒瓶を机に置くと、挨拶代わりにUNKNOWNは被った帽子を僅かに持ち上げ、事務所を辞去した。
●和やかな交流
「小夜ちゃん、少し味見してもらえる?」
複数の鍋を前に、すっかり火の回りを仕切っている拓那が紙皿に出汁を取り、小夜子へ味見を頼む。
「とても美味しいですよ。よければ、こちらの味もみてもらえます?」
「ありがと♪ こっちもいい味だよ、美味しい。皆が居ると、色々沢山作れるから楽しいね」
「はい。おでんや鍋料理は初めてかもしれないけど、沢山食べていって下さいね」
珍しそうに火にかかった鍋を覗き込む少年達に、小夜子は微笑んだ。
「ポトフとかシチューとか、そういうのとも違うんだよね」
「こっちのカレーは、さすがにイブンでも普通に知ってるだろ?」
質問するイブンをミシェルがからかい、残る三人はパエリアに挑戦する清四郎を面白そうに見物する。
彼らの後ろ姿を、やや複雑な表情でトヲイが眺めていた。
「イブン達がこっちに引っ越して来ていたとは、知らなかったな。しかも、ミシェルとエリコがエミタ適合者で‥‥コールが保護者とは」
「まぁ、色々あってな。ここは、あいつらでもちゃんと学校に行ける場所だから‥‥何も気にせず、という訳にはいかないだろうが」
トヲイと同様に少年達を見守るコールへ、シャロンがワインのグラスを差し出す。
「コールさんも世界を股にかけて大変ね。じゃあ乾杯、と」
苦笑しながら、コールはグラスを合わせた。
「さて、出来上がったぞ。といっても、初挑戦だから味の保障はしないがな」
「でも、とりあえず香りはそれっぽいよ」
火を止めた清四郎に匂いをかいだニコラが臆面もなく答え、リックはからからと笑う。
「まぁ、とにかくだ。食べてみてくれないか」
「僕も、一緒に食べていい?」
彼らと並んで清四郎の手際を見ていた響太が、隣のエリコに尋ねる。
「えっと‥‥」
エリコは困惑気味に清四郎を見上げ、彼が頷くのを待ってから「うん」と小さく答えた。
「ありがと! 作ってるの見てたら美味しそうで、食べてみたかったんだよね」
「こっちのも美味しいよ。トヲイが、いろいろ作ってきてくれたから」
「久し振りに故郷の味もいいかと、思ってな。口に合うかは、食べてもらわないと判らないが」
手招きするリックへトヲイは小さく肩を竦め、聞き慣れぬ言葉に響太が首を傾げる。
「ピンチョスって?」
「パンに生ハムやスモークサーモン、他にもチーズやトマトなんかを乗せた物だ。小さく切ったパンに串に刺したものと、バケットに乗せたものもある。あと『和風ピンチョス』にも挑戦してチーズとまぐろ、アボカドを、醤油や練りわさび、サラダ油で味付けしてみた。一応、試作の段階で兵舎のメンバーに軽く味見をしてもらったから、食べられないものじゃないぞ。あと、サングリアもあるからな」
トヲイが説明する間に、ピンチョスを並べた皿を運ぶ竜のきぐるみ約一体。
左右に身体を揺らし、のっしのっしと歩くきぐるみは、ちゃんとエプロンまで着けている。
「‥‥何? この面白物体」
ぱちぱちと何度か瞬きをしてから、珍妙なモノを見たという風に昼寝が緑色の竜をつっついた。
「変‥‥ですか? わりとかわいいと思うんですけど? でも動き回っていると、さすがに少し暑いですね」
うっすらと額に汗をかいた硯が、竜の口の部分から顔をのぞかせる。
と、急に彼の視界を青い布が覆った。
「手が足りないなら、手伝うわよ」
ハンカチで汗を拭うとシャロンが顔を覗き込み、鼻の頭をふにっと押す。
「えっ!? あの、えーっと‥‥」
「目を離すとすぐ大怪我してくるんだから、たまには静養しなさい?」
うろたえる硯へ真面目な顔で念を押してから、彼女は片目を瞑ってみせた。
「ひと段落したらぐるっと一巡して、どこか適当なトコで美味しいモノ頂きましょ」
「あ、はいっ!」
慌てて、ぐぃんと竜の頭が一つ揺れる。
「ところでさ。シャロンと硯って、ナニカ進展した?」
「ふふ〜ん。知りたい?」
「ちょっ‥‥ある事ない事、吹き込まないようにっ!」
少年達と昼寝の会話が耳に届いたのか、硯がうろたえ。友人達のやり取りに笑いながら、シャロンはリックの隣へ腰掛けた。
「リックの足、もうちょっとなのね。手術、ファイトよ」
「うん。シャロンも頑張って」
ガッツポーズで励ますシャロンにリックが応えれば、「もちろん」と彼女は即答する。
もっとも、肝心の『何を頑張るか』には触れないが。
「で、今日のこの集まりは‥‥ああ、ハナミね。OKOK、私はちゃあんと知ってるわよ」
どこからか用意した金髪のカツラを被り、春色ネクタイを頭にひと巻きした『謎の英国人』がシャロンの後ろで指を振った。
「満開のサクラの木の下で、頭にネクタイを巻いた集団が大合唱とかするのよっ!」
自信満々な笑顔で、ずびしっと親指を立て。
「ちょっと、昼寝ーーっ!?」
赤面しながらシャロンが声をあげれば、かつらを押さえながら慌てて昼寝は硯の背後へ逃げる。
「待ちなさいよ、昼寝。ドコでそれ‥‥もしかして!」
「可愛い私の弟から、洗いざらい聞いたわよ〜っ」
「ちょおおおおお!? 二人とも、落ち着いてーっ!」
竜な硯を挟んで、シャロンと昼寝はぐるぐると回り。
「ありゃ、いつかバターになるな」
面白そうに眺めるコールが、ぼそりと呟いた。
「ナチュラルなコントはさて置き‥‥あの時に大怪我をした子というのは、君だったんですね」
先の会話を聞いて得心した真彼を、リックが不思議そうに見上げた。
「えっと‥‥?」
「ああ、友人から話を聞いたんだよ。カメラマンの能力者‥‥と言えば、判るかな?」
「あ、うん! 教会の皆やオッサンと、写真撮ってくれた人だよね? あの時の写真、今も飾ってあるよっ」
「そうか。写真、大事にしてるんだね‥‥彼も、喜ぶよ」
目を輝かせて聞き返すリックへ、静かに真彼が頷く。
「足の手術は、きっと無事に終わるよ。もう少し我慢すれば、前の様に走ったり出来るから」
「だといいなぁ‥‥そしたら、硯やおじさんの友達に助けてもらったお陰だね。会えたらまた、お礼いっぱい言わなきゃ」
活き活きとした顔で先の事を考える少年の姿に、真彼はにっこりと微笑んだ。
「さて。君達の故郷の味は出せないけど、少しは思い出せたかな?」
パエリアの『味見』をする少年達へ清四郎が尋ねれば、最年長のイブンが頷く。
「はい、美味しいです」
「俺ら、こんな上手く作れなかったしな」
「そうか‥‥ほら、どんどん食べろ。喉に詰まらせるなよ?」
少年達の素朴な反応に、清四郎はほっとしておかわりを勧めた。
「こうやって皆でいろいろ食べるの、久し振りで‥‥えふんっ」
熱心に喋りながら料理を頬張っていたニコラが、当然の如くむせる。
「ああ、だから言ったんだ、ほらジュースだ」
目を白黒させて胸を叩くニコラへ、ジュースを渡す清四郎。
「喋りながら、食べるからだぞ」
「ホントだよ。どっちかにしなきゃ」
「えへへ。ありがと」
仲間にからかわれ、一息ついたニコラの髪を、清四郎は笑ってくしゃくしゃにした。
○
「やあやあ、飲んでますかい? ささっ、一献。ぐぐっとイきましょう!」
若い整備スタッフの間に腰を落ち着けたマクシミリアンが、手近な酒瓶を取って勧める。
子供達がいる席とは打って変わり、整備スタッフ達の周りは花見らしい酒席となっていた。
「せっかくの席ですし、酌ばかりじゃなくそちらも飲んで下さいよ」
「そりゃあ勿論、有難く」
酌を受けたスタッフの返礼に、快く応じるマクシミリアン。
「ああ、肴に何か食い物ない? 肉が良いな」
「えーっと、唐揚げとかあったかな」
若いスタッフ達は酒に続いてツマミの皿を回し、腰を落ち着けた彼はすっかり場に馴染んで飲み始める。
「いつも、お世話になっているお礼に。いかがです?」
また別の整備スタッフには、にっこり笑んだ夕貴がお銚子を傾けていた。
「それにしても、綺麗な花で風情のあるお花見になりましたね」
作り物の花に夕貴は目を細め、周りの整備スタッフも「うんうん」と頷く。
「俺らに酌ばかりじゃなく、そちらも楽しんで下さい。でないと、後で俺らがチーフに怒られます」
「でしたら、お言葉に甘えて」
遠慮がちに笑んで夕貴は着物の袖を押さえ、猪口を手に取る。
その仕草は、女性と見紛う程にしおらしく。
酒が入っているのもあってか、整備スタッフで夕貴が男性だと気付く者はいなかった。
「皆さん喜んでくれはって、よかったですね」
「飲んで騒ぐのが、好きな連中だからな」
微笑む妻に老チーフはいつものむっつり顔で酒の紙コップを傾け、老夫婦は宴を見守っていた。
「あの、桜や梅は奥さんが作られたんですよね。もしよかったら、俺に作り方を教えてもらってもいいですか?」
おずおずとソラが尋ねれば、やや驚いた様子で老夫人は苦笑する。
「人さまに教えるほど、上手なもんでもあらへんけど‥‥」
「でも、自分で作ってみたくて。ダメ、ですか?」
ややしょんぼりと、肩を落として問いを重ねるソラ。
「いいじゃないか。教えて減るような、大層なモンでもない」
明後日の方を見ながら老チーフが助け舟を出せば、困惑気味の夫人は表情を和らげた。
「ほやけど、うちは教え方が下手やさかい。そこは堪忍やで」
ふるふると、ソラは勢いよく首を左右に振り。
「こちらこそ。一生懸命、作ってみますっ」
改めてソラが頭を下げ、渋い顔つきを変えぬまま老チーフは酒をちびりと口へ運んだ。
○
「京兄、あーん♪」
乱暴に突き刺すのではなく、箸でつまんだ玉子焼きをハバキが京夜の口元へ運ぶ。
意外に器用な箸さばきで差し出された玉子焼きと無邪気な笑みを、見比べる事数秒。
「ほらほら、遠慮しなくていいからっ」
にじにじと玉子焼きが迫り、仕方ないという風に京夜は口を開けた。
そんな二人を、どこかぼーっとなつきが眺め。
「なっちゃんも。はい、あーん♪」
「はい‥‥?」
今度は自分に向けられた人参の煮物を、じっとなつきは凝視する。
「意外かな? でもやっぱり、日本食はお箸で食べないとって思ってね」
彼女の反応を別の意味に捉えたハバキが、得意げに胸を張った。
「京兄はまだ義手が馴染んでないだろうし、なっちゃんも怪我も治ってないんだから。こういう時くらい、甘えなきゃ」
彼は再び、箸で掴んだ人参を勧めるが。
「皆さん、飲んで食べて楽しんでますかーっ!?」
「ちょ、ちょっ‥‥うわっ!」
突然、背後から真琴にホールドされ、人参を落とすまいとハバキが慌てる。
「よかった、危なかった‥‥はい」
背中に真琴をくっつけたまま、彼は再び煮物を彼女へ運んだ。
僅かに迷った末、とりあえず小口切りの人参が落ちる前にぱくりと食べるなつき。
「美味しいです?」
何故かハバキの頭の上で真琴が感想を聞き、小さくなつきは首を縦に振った。
「よかったら、うちも貰っていいですか? 見てると、美味しそうでっ」
「いいよ。いま分けるね」
紙皿を取ったハバキは、弁当箱のおかずを順番にのせていく。
「‥‥なぁ、なつき」
談笑するハバキと真琴を眺めるなつきは、名を呼ばれて振り返った。
「ロスを守りに行く。そう自分で決めて、自分で成し遂げてきたんだ。これからも、思うとおりにやればいいさ」
ただな。と苦笑して京夜が酒を置き、彼女の頭をくしゃりと撫でる。
「無茶をするにも、限度と次元ってもんがあるだろ」
「‥‥」
言葉も返さずうな垂れるなつきだが、撫でる力の強さに少し眉を寄せた。
それでも京夜は力を緩めず、『妹』の頭を撫で続け。
「いきなりシェイドとか、考えなさ過ぎだ」
ぐいと、自分の方へ引き寄せる。
一瞬、驚いて身を硬くするなつきだが、そのまま京夜は両腕を回した。
傷ついた身体を労わるよう、特に義手の右手は力加減を誤らぬよう、そっと。
「よく頑張ったな‥‥生きて帰ってきてくれて、嬉しい」
「‥‥はい」
どう答えていいかわからず、小さくなつきは言葉を返す。
消えそうな返事に空虚さを覚え、彼はゆっくり柔らかな髪を梳く。
「血は繋がってなくても、俺はお前を本当の家族だと思っているから」
「‥‥はい」
二度目の返事は、戸惑いの色が混じっている。
『兄』としての本気の心配も、彼女には重い枷かもしれない。
だが、京夜は知っていて欲しかった。
無事を喜ぶという事は、裏返せば失う痛みや辛さを怖れている事なのだと――。
「騒がしくしたら、チーフさんに怒られないかな?」
「怖そうですが、実は結構気のいい人なんですよ」
砕けたところのない老チーフの雰囲気に少し征央が心配していると、真琴は人差し指を左右に振った。
「そうだね。コタを連れてくる事も、快く許可してもらえたし」
傍らの虎太郎に征央が減塩煮干をぶら下げれば、キジトラの猫は両前足で拝むように掴み、床に置いてから食べ始める。
「ですです! 今回はチーフの奥さんにもお会いできて、嬉しいんですよっ」
ハバキから得た『戦利品』に満足げな真琴は、「ね」とお気に入りのオヤツを齧るシオンへ話しかけた。
何だかんだとちょっかいを掛ける少年達に構われつつ、猫達は振舞われている食事に興味を示しながらも、自分の主人が用意した好物を大人しく食べている。
そんな猫達の様子に、表情を緩める約一名。
「‥‥やっぱり、猫は可愛いですね。可愛すぎますよ、うん」
酒に酔うのもソコソコに、叢雲はすっかり猫に魂を奪われ、壊れていた。
「本当に、猫が好きなのね」
くすりと笑むケイの傍では、ナレインが二匹の白猫の相手をしている。
相変わらず素っ気ないヴァイスに対し、シュネーはナレインの膝の上で撫でられ、ごろごろと喉を鳴らした。
「やはり猫こそ至高の動物でしょう。いや、他の動物も勿論、可愛いと思いますけど‥‥ああ、つまみはどうです? 手製でよければ」
いつになく熱く論じていた叢雲だが、皿の幾つかが空いてるのを見て、平静を取り戻す。
「あら。じゃあ、私も貰っていいかしら」
お酌をしていたナレインが、シュネーを抱きかかえたまま小首を傾げて尋ね。
「ええ、勿論。お口にあえばいいのですが‥‥何分にも、酒飲みの私が気に入ったものですから」
「それなら、楽しみね」
念のために断りを入れる叢雲へ、ナレインはウィンクした。
「美味しかったら、一曲披露するわよ」
「それは、責任重大ですね」
冗談めかしたケイへ返す言葉とは裏腹に、にこやかな表情で叢雲が持参したつまみを取り分ける。
「おつまみはやはり、お酒を飲みながらでないと美味しくないもの、なんでしょうか」
「そんな事ないと思うけど、どうかしらね。玲ちゃんも食べる?」
『大人のやり取り』に興味を示した玲をナレインが誘い、迷う表情の彼女は響が首肯するのを確めてから頷いた。
「他でもないナレインさんのお誘いですし、戴きますわ。響さんも、一緒にいただきます?」
「ええ、いいですよ」
「せっかくだから、瑠亥ちゃんと雨音ちゃんもどう?」
玲と響の話がまとまったところで、ナレインはレトリーバーと寛ぐ二人へ声をかける。
「いいのか? 貰っても」
「多めに作ってきましたから、大丈夫ですよ」
遠慮気味な瑠亥へ、皿につまみをよそう叢雲は少しだけ首を縦に動かして快諾した。オヤツに満足し、頭の上にくてんと乗っかった黒猫がずり落ちないよう、気を遣いながら。
その光景に、思わず雨音が微笑む。
「叢雲さん、本当に猫が好きなんですね」
「確かに。残念だな、ソレイユ」
瑠亥に頭を撫でられたソレイユは、嬉しそうに尻尾を振り。
「残念というか‥‥この子を頭に乗せたら、大変ですよ?」
その光景を想像したのか、ころころと鈴の様に雨音が笑う。
実年齢より大人びてみえる雨音だが、年頃の少女らしい仕草に瑠亥は僅かに表情を和らげた。
●花想う宴
尾を引く切なげな弦の音に、談笑がふと途切れた。
ステージもスポットライトもない格納庫で、宴に興じる者達が音の源を辿る。
流れる様な切ないバイオリンの旋律を紡ぐのは、瑠亥。
そして傍らに立ったケイが、静かに音へ声を重ねた。
僅かに物悲しさをまとい、透明感のある声が広がる。
談笑していた者達は、しばし口をつぐんで頬杖を付き。
動物達と遊んでいた少年少女達も手を止め、構われていたペット達も耳を傾けているようだった。
愁いを帯びた伸びやかな声は、しっとりと歌い上げ。
ゆるやかに、バイオリンが静寂を締めくくる。
一曲披露した二人が礼をすれば、じっと聞き入っていた『聴衆』達はぱちぱちと拍手を送った。
「いい声だな」
「お褒めにあずかり、光栄だわ」
バイオリンを下ろした瑠亥に褒められ、少し照れたケイがおどけてみせる。
ギターを取りに席へ戻れば、聞き惚れていたナレインが見事にガチガチに固まっていた。
「はぅ‥‥参加したいって言ったけど‥‥緊張でもう、心臓バクバク‥‥」
「大丈夫よ、ナレイン。メロディとかリズムとか考えないで、音にあわせて自然に身体を動かせばいいんだから」
椅子に座ったままの友人へケイは手を差し出し、思い切ってナレインが手を取る。
髪を左右に分けて束ね、アオザイを着たナレインが前に出ると、マクシミリアンが口笛を吹いた。
「アオザイってホント、素晴らしいですね〜。いやあこの前の依頼はお仕事なのに実にいい思いをさせて貰ったよ。うへへ」
「そこっ。思い出し笑いで、鼻の下を伸ばさないの!」
にやにや笑いで整備スタッフに話すマクシミリアンへ唇を尖らせてから、小さくナレインは付け加える。
「確かに、楽しかったけどね」
「綺麗な歌だよね‥‥って、京兄?」
拍手をするハバキが肩をつつかれ振り返ると、後ろには京夜が立っていた。
それから、傍らになつきがいない事に気付く。
「なっちゃんは?」
「席を外して、戻ってこない。行って来い」
言葉が終わるより先に、ハバキは席を立っていた。
格納庫を見て回るが、KVのハンガーや事務所に彼女の姿はなく。
少し考えてから、確信と共に走り出す。
案の定、飾られた桜の下――最初に来た時に足を止めた場所に、ぽつんと人影が立っていた。
儚げな姿は不安定な幻の如く、今にも消えそうな気がして。
「‥‥なつき‥‥っ」
思わず手を伸ばし、背中からぎゅっと抱きしめる。
息を飲んだなつきは、夢から醒めた様に何度も瞬きをし、それから相手を認識した。
「クガさん?」
「よかった。また、黙って一人で行っちゃったのかと」
安堵の声に、きしりとなつきの胸の奥が軋む。
兄代わりの京夜と、彼女の手を引くハバキが、何故なつきの為に気を揉むのか考えていたら、言葉にならない気持ちがぐるぐるとしてきて。
回された腕の意外な強さに、やっと気付いた。それは考えても考えても、分からないモノなんだと。
「‥‥ごめんなさい」
小さく、なつきが謝罪する。黙って席を離れた事に対して、ではなく。
「‥‥怖かったですよ。以前は、死ぬ事に対して何も思わなかった、のに。二人の事を考えたら‥‥」
死ぬ訳にはいかない、と。
心の内を露わにする彼女に、ハバキは細い肩へ頭を寄りかからせた。
「強迫かもしれないし、なっちゃんにとって重荷かもしれないけど‥‥俺には、なっちゃんが必要だって事。覚えていて欲しい」
明かすハバキになつきは目を細め、そっと彼の金髪を撫でる。
優しく柔らかな手の動きが、不意に止まった。
「緋沼、さん‥‥?」
かすれた声に顔を上げたハバキが、青ざめた表情の見つめる先を追う。
次の瞬間、弾かれたバネの様に彼は駆け出し、一瞬立ち尽くしたなつきも後に続いた。
近くの壁へ背を預けていた京夜がしゃがみ込み、更に身体が傾ぐ。
倒れきる前に、ハバキが手を伸ばし。
「京兄っ!」
力の入らない身体の重さを受け止め、支える。
そのまま固まる事、数秒。
「京‥‥兄?」
「‥‥んぐー」
呼びかけへの返事は、暢気な寝息だった。
大きくハバキは息を吐き、緊張を解く。
それから、息を殺して見守っていたなつきを手招きした。
恐る恐る近付いたなつきも、規則正しい呼吸に深く息を吐く。
「あ‥‥生きて、る‥‥」
「緊張が、一気に解けたのかな。おつかれ、兄」
「毛布か何か、借りてきます」
「なつき‥‥」
立ち上がろうとしたなつきだが、呼ぶ京夜に耳をすませ。
「‥‥よかった‥‥でも‥‥まだ結婚は許さな‥‥」
うにゃむにゃと、寝言を呟く京夜に二人は互いに顔を見合わせ、小さく笑った。
ほっとした二人の耳に、宴席から響く賑やかな演奏と手拍子が届き――。
ケイが奏でるギターの旋律に、瑠亥がベースを合わせる。
拍を取りやすい様、あえて瑠亥はリズムを強調するように弦を弾き。
緊張気味でナレインが振る鈴は、多少テンポがずれてもご愛嬌。
周りの手拍子に励まされ、やがてツーテールを揺らして鈴を打ち鳴らす。
「楽しいですね、国谷さん!」
明るい声と共に、ソラは真彼へ振り返った。
「食べ物は沢山で、どれもとっても美味しくて。歌とかも綺麗で、にゃんこもいっぱいでっ」
「そうだね」
はちきれんばかりの笑顔へ、眩しそうに真彼が応える。
響く、音と手拍子。
熱気と喧騒から距離を置くように、そっと真彼は席を離れた。
夜風が通る場所までくると、短く息を吐く。
「花見んと 群れつつ人の来るのみて あたら桜の咎にはありける、か」
能楽『西行桜』に登場する西行の言葉を呟いて、賑わう宴席を見やった。
演奏が終わると響が手品で鮮やかに花びらの紙吹雪を散らし、幕引きに文字通り花を添える。
楽しげに友人達と喋るソラは、やがて真彼の不在に気付いたのか。
左右に首を振り、席を立って周りを見、それからやっと彼の方へぱたぱたと駆けてきた。
「大丈夫、ですか?」
やや心配そうな声色に、意外そうな顔をしてから真彼が首を横に振る。
「もしかして、心配させたかな」
「いえ。そんな‥‥あ、これ。国谷さんに、春をおすそ分けです」
口篭ったソラは、はたと思い出した風に手を差し出した。
手の平には、少々いびつだが小さな桜が花を咲かせている。
「さっき、奥さんに作り方を教わって。これでも、一番マシなのですけど」
照れを隠すようにソラがはにかみ、真彼は花を手にした。
「俺のばあちゃんは和風が好きで、よくちりめんでコサージュとか作っていて‥‥確か、桜もあった気がします。枝に糸で留めて、床の間に飾ったりしてた、かな。
俺が凄いねって言う度に、ばあちゃんは笑ってくれて。それがとっても、嬉しかったんです。
父さんも母さんも共働きだったから、俺、ばあちゃんっ子だったんですよ‥‥ちょっと、懐かしいな」
懐かしげにソラが語る思い出を、手の平で花を転がしつつ真彼は聞き。
「‥‥ここに桜の精がいたら、『無心に咲く花に何の罪があろうか』って言うんだろうね」
「はい?」
こぼした呟きに、ソラが首を傾げる。
だが真彼は目を伏せるだけで、それ以上は何も言わなかった。
言葉の意味も、祖母の事を話すソラの語り口調が、全て過去形である事も。
「これが、コールさんの言ってたオレンジピールチョコね。あ、よければ柿ピーチョコもどう?」
『一仕事』終えたナレインが、屈託なく定番のおやつを振舞う。
テーブルには和洋を問わず、様々なデザートが並んでいた。
「久し振りに誰かと演奏したが、やはりいいものだな」
「とても楽しい演奏でした、藤村さん。もう少し、飲みます?」
寛ぐ瑠亥は、直に『ラスト・ホープ』を離れるという。
名残を惜しむ様に、雨音は次の杯を勧めた。
そんな中で、ふつふつと闘争心を駆り立てられている者が一人。
「Hey! スコーンをすこーんと作ってきたわよ!」
またぞろ金髪のかつらを被った昼寝が、シャロンの口調を真似る。
「昼寝ってばっ。もぅ、許さないわよーっ!」
怒られた昼寝はダッシュで逃げ出し、それを再びシャロンが追いかけて。
和やかな風景に笑う者達は、胸の内で思い、誓う‥‥この笑顔とひと時を、守る事を。
その日の格納庫は、遅くまで賑やかな声が絶えなかった。