●リプレイ本文
●課題と疑問、そして余波
「ティランさん、お迎えに来たよー♪」
冬ながら麦わら帽子を被り、月詠を可愛らしい図柄の柄袋にしまって、シャツワンピース の上にピーコートを羽織った潮彩 ろまん(
ga3425)が大きく手を振った。
「ろまん君、やけにカジュアルな格好であるが!?」
「え? だって、手紙の女の子の家に行くんだよね? 物々しい格好で行くのも、変かなーって」
くるりと回って自分の格好を確かめ、ろまんが小首を傾げる。
「いや、まぁ‥‥確かに、そうであるのだが」
しばらく戦地へ向かう姿ばかりを見ていたせいか、ラフな格好が無防備に思えたらしいティラン・フリーデンが心配顔をした。
「確かに、コルシカもとりあえず一段落‥‥かな。とはいえお呼びがかかったんだし、最後にやれるだけやらせて貰うよ。機会、作ってくれてありがとね」
礼を告げる赤崎羽矢子(
gb2140)に、ただティランは首を左右に振った。
「こちらこそ、感謝なのだよ。本来なら当方のような一般民間人を連れて行く事など、特大のお荷物以外の何者でもないであろうからな」
「本当にいいんですか?」
髪を掻いて苦笑する玩具職人へ、心配そうにフォル=アヴィン(
ga6258)が声をかけた。
「現地を見てしまったら、さらに引けなくなりますよ?」
駄目で元々と念を押すように問いを重ねれば、神妙な表情でティランは頷く。
「何も知らず、のうのうと椅子に座ったままで援助とか支援とかは‥‥性に合わぬのであるよ。フリーデン社として支援を引き出すのであれば、ちゃんとした裏付けも必要であるしな」
「そうですか、なら良いんです。気をつけて下さいね」
「こちらこそ、気遣い感謝なのだよ」
予想していた答えにフォルが苦笑すれば、相手は申し訳なさそうに応えた。
「でも、ティランさん‥‥その手紙‥‥」
じっと手元を見つめていたアグレアーブル(
ga0095)は、微かに眉をひそめる。
「一体誰に、何を目的として‥‥届けるのですか‥‥?」
改めて問われ、きょとんとしたティランが目を瞬かせ。
それから、手にした物へ視線を落とす。
薄いプラスチックのケースに入れられたそれは、ティランの手元で保管されていた、『発端の手紙』だった。
封筒の染みは変色したが、少女の文字はまだ読み取る事が出来る。
――私達を助けて。
その声なき呼びかけに応えたのが、コルシカ島攻略のきっかけ。
結果、島はバグアの勢力下から解放され、地球側の勢力に戻ったが‥‥手紙を書いた少女は、もうこの世にはいない。
丸めてしょげた風に思える背中を、羽矢子はぽんと叩いた。
「行こうか。ジゼル・チベリが護った島へ」
だが、ティランはゆっくりと首を横に振る。
「おそらく、彼女はそう呼ばれる事を望まないのであるよ。きっと彼女が望んでいたのは、家族のささやかな幸せだったと思うのだ‥‥憶測するのも、傲慢であるかもしれないが」
「家族の、ささやかな幸せ‥‥」
呟いてソーニャ(
gb5824)は金色の瞳を伏せ、交わされる話を聞いていた。
○
「いずれにしても、無事に復興してもらいたいからな。動ける間に軍が気付かなかったり、動かなさそうな所を、できるだけ調査したいところだよ」
明確に霧島 亜夜(
ga3511)は口にしなかったが、コルシカへは彼なりの思い入れがあるらしい。
「お遊びで行く訳じゃないし、ある程度は打ち合わせをしっかりして、無駄なく動けるようにしておきたいな」
‥‥積んできたものを、この先へ繋げて続けるために。
「そうですな。いま出来る事と言えば、調査が行き届いていない箇所の情報を集める事くらいでしょうかね」
数え切れないほど、繰り返し眺めたコルシカの地図へ飯島 修司(
ga7951)が目をやれば、腕を組んだソード(
ga6675)もまた考え込んだ。
「それならやはり、島の南部と東岸一帯を回る事になりますか。特に南端はサルディニアが目の前で、今もHWが頻繁に飛んでくるようですから」
出来る事を検討する光景は、これまでと変わらず。
そのやりとりを、新たに加わった者達が聞いていた。
「南部がそういう状態で‥‥北部の状況は、落ち着いているのですか?」
「そうですな」
小さく片手を挙げてから真上銀斗(
gb8516)が尋ね、修司は顎鬚へ手をやりながら答える。
「おそらく北部におけるバグアの拠点であったカルヴィも、施設や要所自体は破壊されています。ただ未だに洗脳の影響が残っている可能性が高いため、島民と接触する場合は注意が必要、でしょうかね」
確認するように彼が目をやれば、ソードも首肯した。
「洗脳装置自体は、カルヴィのものもアジャクシオのものも既に破壊済みですが」
「それって、本当に‥‥破壊されて、止まってるのか?」
眉を寄せて疑わしげな言葉を口にしてから、自分の言った意味に気付いて蒼矢(
gb9779)は軽く両手の平をみせた。
「いや、破壊した事を疑ってる訳じゃあなく。誰かが修理した可能性とかを、な」
「どちらも再び使えない程度に破壊はしましたが、心配なら念のために蒼矢さん自身の目で確認するのもいいでしょう。その方が、俺も安心できますし」
特に気分を害した風もなく、逆にソードは明るく蒼矢を促す。
「では、せっかく誘っていただきましたし、自分も北部を見てきますか」
ややこしそうな状況はさて置いて、ひとまず銀斗は方針を確認した。
「北部の戦況が安定しているといっても、油断はできませんので‥‥私は銀斗さんの護衛に」
おずおずとロゼア・ヴァラナウト(
gb1055)が申し出れば、高甄 奈乃葉(
gc0133)もまた手を挙げる。
「私も、そっちへ行きます〜。宜しくね〜」
片側に束ねた髪を揺らし、奈乃葉は同行者達へ改めて挨拶をした。
「空港施設は、どうなっています?」
地図を見ながら迷っていた麓みゆり(
ga2049)が心配そうに質問すれば、フォルは首を左右に振る。
「決して、順調とは言えないようですね。港湾施設も破壊されていますし、大量に物資を送り込む手段が制限されていますから」
「それなら、私は空港の整備を手伝おうかな‥‥KVなら瓦礫の撤去や運搬みたいな事も、手伝えますよね。北部に人が多く残っているなら、カルヴィの空港がいいでしょうか」
幸い、空港はカルヴィの町より少し離れた内陸にあり、KVが目立った活動をしても島民を刺激する危険も少なそうに思えた。
バグアの勢力下から解放されてなお、窮地に置かれたままのコルシカを救うために、自分なりに出来る手助けがあれば、と。その一心で、みゆりはこの場へ加わっていた。
島民を変に刺激して状態を悪化させるのは、彼女にとしても何より避けたい事態だ。
「僕も、手伝うよ」
大きくこくりと頷いて、水理 和奏(
ga1500)がみゆりへ笑顔をみせる。
「一人より二人の方が、出来る事も多いよね。それに、僕もみゆりさんの力になりたいし!」
「はい。頼りにしてるね」
意気込む少女へ、みゆりはにっこりと微笑んで。
頬をやや朱に染めながら、和奏も笑顔を返した。
「北部は十分な人が集まりそうだが‥‥南部は、どうするんだ?」
一連の話を追っていた綾河 零音(
gb9784)が、何度も島へ飛んだ者達へ切り出す。
重要ではあるが、それだけHWと交戦になる確率も高く。
だからといって、放置する訳にもいかない。
「俺は、南部に飛ぶつもりです」
「最低限の状況は、見ておきたいですしな」
明かすソードに、修司もまたそのつもりらしく。
それならと、零音は二人へ身を乗り出した。
「お二人に同行しても、構わないか? KV戦には、慣れていると言えないが‥‥」
「問題ないでしょう。『目』は少しでもあった方が、気付く事も多いでしょうから」
「そうですね」
修司とソードが即答し、僅かに零音はほっと息を吐く。
場所が場所なだけに油断は出来ないが、あの海の上を飛ぶ事が出来るなら‥‥。
「そういえば一度、聞いてみたかったのですが」
「むむ?」
不思議そうなティランへ、修司は右手を突き出して見せた。
甲には、青い二本のラインが交差する紋様が浮かび上がっている。
「これを、何と見ます?」
能力者の覚醒を見慣れぬティランはややビックリしてから、じっと観察し。
「加算記号、もしくは乗算記号‥‥とか?」
おっかなびっくりな相手に、思わず修司は小さく吹き出した。
「な、なななな、笑い事であるのかー!?」
「いえ。断罪の剣と見る方や、贖罪の十字架と見る方もいらっしゃいますが‥‥」
「先に言ってくれれば、格好よく答えたものであるのに。で、修司君としては、どうであるのだ?」
「私ですか? ‥‥そうですな」
ティランが頬を膨らませれば、消えた紋様を修司は見やった。
「単なる手術痕がエミタで光っているだけ、という執刀医の意見が真っ当だとは思いますな。何かを裁ける程の公正さも、何かで贖える程度の罪業も持ち合わせておりませんので」
「しかし皆が思うところを加算し、乗算する事は出来るのであるよ」
口惜しいのか反論するティランに、彼はまたくつくつと笑う。
「ティランさん。少しいいです?」
二人の会話を聞いていたフォルが、考え込んだ末に尋ねた。
「ちょっと気になっている事があるんですが‥‥洗脳に関して、洗脳電波、という事ですが、逆は無理なんでしょうか?」
「逆、であるか?」
首を傾けるティランへ、表現を迷いながらもフォルは言葉をまとめる。
「音というか、電波により洗脳できたなら、それを解く鍵も電波にあるのかもしれない、と思って」
「ふむ‥‥そもそも、洗脳がどういう過程で行われていたか、であるよな。島内の苛酷な環境と、何らかの音に由来する様な事は聞いているのであるが‥‥原因と方法が判らねば、例えば音楽療法が有効であるか違う形とするかも、難しいのであるよ」
「良ければ、検討してみて下さい。俺は詳しくないんで」
思案するティランへ託すように、フォルは小さく肩を竦めた。
○
「バグアを追い出しただけじゃ、島を取り返したとは言えない。そこに生きる人々の、かつての生活を取り戻してこそ、真にバグアの支配を脱したと言えるんじゃないか?」
問いかける亜夜へ、真剣な表情でシャロン・エイヴァリー(
ga1843)が頷く。
「亜夜の意見に、異論ないわ。スピード重視なら空輸が手っ取り早いでしょうけど、最終的に人と物を運ぼうと思ったら海を開かないとね」
「それに、島民の生活を支える漁業もだ。いかにして、人々の生活を取り戻すか。これから先をどうするかが、重要だと思う‥‥軍だけじゃなく、皆で考えていかないとな」
「そういえば、漁船も壊されてたんだっけ‥‥硯?」
考え込むシャロンが、傍らの鏑木 硯(
ga0280)へ声をかけた。
だが呼びかけに硯は答えず、塞ぎ込んだ表情で思案にふけっていて。
「硯!」
「あ、はい、うわぁっ!?」
ガシャドシャンッ! と、賑やかな音に、仲間が何事かと視線を向ける。
耳元でシャロンがもう一度呼べば、驚き慌てた硯がバランスを崩し、椅子ごとひっくり返っていた。
「す、すみませんっ」
赤くなってぺこぺこと周囲へ頭を下げながら、硯は椅子を起こし。
「‥‥硯、大丈夫か?」
煙草を片手にアンドレアス・ラーセン(
ga6523)が問えば、「はい」と申し訳なさそうな返事をする。
「ちょっと、考え事をしていて」
「落ち着けよ。焦ったって、何も変わらねぇからな」
苦笑混じりで応えてから、アンドレアスはちらと離れた場所で座る男を見やった。
置かれた状況に薄々気付いているだろうが、何も言わずコール・ウォーロックは煙草をふかしている。
少し考えてからシャロンは席を立ち、男の傍らへ移動した。
「コールさん。公現祭の事、聞いたわ」
どう話すかを少し悩んでから、ストレートに踏み込む。
「ゴメンなさい。リヌさんを招こうって第一声は、私だったから‥‥。いったい何があったのって聞きたいけど‥‥聞いた通り、なのよね」
口唇を噛んでシャロンが俯くと、大きな手がぽんと肩を叩き、それから頭を撫でた。
「気にするな、お前達には感謝している。子供達もリヌも、それは同じだ」
首を縦に振ってから彼女は顔をあげ、引っかかっていた事を切り出した。
「コールさんがフランスの外人部隊としてコルシカに駐留していた話は、報告書の履歴で知ったわ‥‥ねえ、ひょっとして、リヌさんも過去にコルシカに居た事がある?」
「いや。あいつも軍にはいたが、聞いた覚えはないな。それが、何かの参考になるのか?」
問いを返す相手に、意識してシャロンは明るい笑顔を浮かべる。
「それなら良いわ。参考っていうか、うーん‥‥二人の出会いへの興味半分、かな」
苦笑したコールは大きく紫煙を吐いてから、鋭い目をシャロンの後ろへ向けた。
「‥‥で?」
「事情は聞いた。ティランのお守りは引き受けるから、子供のとこに行ったげなよ」
むすっとした表情の羽矢子が、不機嫌そうに告げる。
「あんたは手遅れにならない内にリヌと子供を探すか、子供と一緒に居るべきだ。リヌって人と子供達は仲良かったんでしょ? きっと心細い思いしてるから」
「ああ、てめぇは留守番だ。ティランは赤崎が乗せてくらしいから、同行は要らないよな!」
視線を合わさず、投げるように続けたアンドレアスだが、膝上で組んだ指には知らずと力がこもっていた。
「ガキどもの世話は他の人がやるとか、そういう問題じゃねぇ。‥‥居てやってくれよ、頼む」
多少の事情を知っている者、知らない者。面識がある者、ない者。
その誰もが、何も言わず。
沈黙に眉根を寄せ、険しい表情で視線を泳がせる相手へ、羽矢子が更にたたみ掛ける。
「納得いかないなら、スポンサー側の傭兵と問題起こして強制送還される?」
「どうやら、お前も頭に血が上ったら考えナシの‥‥」
「ちょあぎゃぁぁーっ、やめ、やめるのだよーっ!」
張り詰めた空気へ、おろおろしていた『依頼人』が割って入った。
「時間は限られているが故に有効に使わねばならないのであるので喧嘩などして無為に浪費する前に速やかにあづがあばばばば」
「ティランさん‥‥噛んでるよ?」
ひと息にまくし立てた末、噛んだティランにろまんが突っ込む。
「ま、噛んだのはともかく、時間を無駄にしないってのは賛成だな」
亜夜が促し、まだ睨みつける羽矢子へ、力なくコールはひらと手を振った。
「そんなに置いていきたいなら、置いていけ。ただ今度から下手な喧嘩を売る前に、それをやると誰の立場が一番悪くなるか、考える事だ」
「‥‥申し訳なくありますが、自分は残ります」
気まずい空気が漂うブリーフィングルームを出る仲間達へ、ずっと静観していた稲葉 徹二(
ga0163)が口を開く。
「それは、構わないと思いますが‥‥」
一人、椅子に座ったまま煙草をふかす男をフォルがちらと見れば、真剣な表情で徹二は頷いた。
「どうしても、外せない用件でして。コルシカを頼みます」
「判りました。そちらも、お願いします」
やがて静かになった部屋には、徹二とコールだけが残る。
「それで、拳で語ろうとか言うなよ?」
「‥‥言わねェよ。撃たれたのはお前で、撃ったのはあのおっさんだ。筋が違うだろうが。ただな。隠してる事があるンなら今の内に吐いとけ。あんまりもったいつけてっと、『俺が』何するか分からねぇぞ」
憮然とした徹二に何故かコールは目を細め、それから重い嘆息と共に煙草を灰皿へ押し付けた。
「隠している事はないが、『いま』判った事はある。気になるなら、来るか?」
席を立つコールに、表情を変えぬまま徹二は首を縦に振る。
「それから、礼を言うよ。さっきの存外に響いたか、少し‥‥」
数歩歩いたところで、不意に言葉が切れてぐらりと身体が傾ぎ。
「コール、おい!?」
そのまま倒れた男に、急いで徹二は内線電話へ飛びつき、医務室を呼び出した。
●Landscape of Corsica
放送施設のような問題の『装置』は、完膚なきまでに破壊されていた。
「‥‥これが、洗脳装置‥‥」
既に沈黙した機械を前に、蒼矢は呟き、刀を抜く。
これはもう、動いていないただのガラクタ。
頭のどこかで判っていても、それを止める事、また止める必要も感じなかった。
覚醒し、SESで威力を増した刃を、ただ真っ直ぐに突き刺す。
何かの音を出す事もなく、沈黙した壊れた機械に変化はなく。
刀を納めると、蒼矢は部屋を後にした。
窓から見える城砦には、側面に黒々とした穴が開いている。
それにちらと目をやってから、蒼矢はカルヴィの市庁舎を後にした。
『私、故郷がトゥーロンだから‥‥コルシカは身近な島なの。‥‥何度も、遊びに来た事あるの』
どこか哀しげなみゆりの声に、アンジェリカの操縦桿を握る和奏の手へぎゅっと力がこもる。
地中海に面したフランス南東部の街トゥーロンは、かつてコルシカへの定期便も出ていた。
夏は避暑、冬はウィンタースポーツを楽しめるリゾート地として、トゥーロンからコルシカへ遊びに訪れた者も少なくない。
‥‥バグアが攻めてくるまでは。そして地中海一帯の戦況が悪化し、コルシカがバグアの勢力下に飲まれるまでは。
だから記憶から変わり果てた島の光景を目にして、みゆりは無性に胸が苦しくなった。
記憶にある島は、海も山も街もとても綺麗だったのに、と。
カルヴィから南東にある空港は、滑走路のあちこちに穴が開き、散乱した大きなコンクリート片が方々に転がり、満足に使える状態ではなかった。
重機類を島へ持ち込む事も難しい状況で、みゆり機シラヌイと和奏機アンジェリカは手作業では進まない部分を手伝う。
『島の人達は、作業に加わっていないんだね‥‥』
コクピットから周囲を見回し、ぽつりと和奏が呟いた。
島民を刺激しないようにと一般的なツナギや作業着を着用しているが、周りで作業しているのは皆UPC仏軍の工兵達だ。
どうやら、洗脳された者達の行動範疇に『空港の再建』は含まれていないらしい。
『島の人達が逃げるのを防ぐ事を目的に、港と空港を破壊したなら‥‥再建しようとしないのは、当然かもね』
和奏を気遣うように、島民がいない理由をみゆりが彼女なりに説明する。
『うん。島の人みんなと、歌って作業できたらなって、思ったんだけど』
残念そうに応えてから、何故か少しだけ和奏は安堵した。
(「島の人がいないなら、頑張っているみゆりさんの姿を見て、惹かれる人もいないよね。あ、でも、もしかすると軍人の人が声をかけてくるかも? みゆりさん、綺麗だから‥‥どうしよう。僕の‥‥世界でたった一人の大事な人だから、取っちゃヤダ‥‥っ!」)
『‥‥なちゃん。わかなちゃん?』
あまり真剣にぐるぐると悩んでいたせいか、何度かみゆりに名を呼ばれてから、はたと和奏は我に返る。
『えっと、はい!』
『わかなちゃん、疲れた‥‥?』
『ううん、まだまだ頑張れるよ! みゆりさんと一緒だし!』
勢い込んで和奏が答えれば、くすりと小さく笑う気配が感じ取れた。
『早く空港が直って、また飛行機が沢山着陸出来るようになると、いいわね』
『そうだね。いつか、みゆりさんと‥‥遊びに来たいな』
意識せず、和奏は束ねた髪を飾る紺色のリボンへ手をやる。
それは、正しくはリボンではなく大き目のハンカチで。
みゆりが刺繍を施した、二人お揃いの品だった。
『ええ。島の人達が元気になったら‥‥いつか皆で、遊びに来ましょう』
『じゃあ、早く実現できるよう、頑張らなきゃ!』
気合を入れる健気な少女に、みゆりは微笑む。
彼女と仲間達に、この美しい島、本来の姿を見せる事が出来たなら――。
きっとその日は彼女にとって、本当の意味で『コルシカが還ってきた日』になるだろう。
『ひと段落したら‥‥後で、街へ行ってみる? お店の様子や、街の人も気になるの』
『うん!』
すぐさま、元気のいい和奏の答えが返ってくる。
そして再び二機のKVは、めくれたアスファルト除去や、陥没した箇所に土を入れて踏み固める作業など、滑走路修復の手伝いに取り掛かった。
○
『ポイント確認。コンテナ、投下します』
仲間へ告げて、銀斗は搭載したコンテナのホールドを解除した。
点滅する画面が、無事にそれが行われた事を示し。
銀斗機ワイバーンから切り離されたコンテナから、ぽんと白いパラシュートが二つ開く。
『パラシュート、正常に動作確認‥‥異常なし‥‥』
後続のロゼア機シュテルンがそれを目視で確認し、問題のない事を知らせた。
『ちゃんと、拾ってくれるといいね〜』
奈乃葉機ナイチンゲールもまた、少しスピードを落として落ちてゆくコンテナを見送ってから、仲間へ追いつくために高度を上げる。
『そうですね‥‥ラーセンさんには誘っていただき、感謝です』
『大した事でもねぇよ。逆に、来てくれて助かるっつーか?』
銀斗から礼を言われたアンドレアスは、苦笑混じりで応えた。
限られた時間内に出来る限り援助の手を伸ばすなら、空から物資を積んだコンテナを投下するのが早い。
以前と違い、今度は知らせておいた現地の仏軍が回収し、ちゃんと物資を島民の手へ届けてくれるだろう。
そう思うと、フォルはほっと安堵の息を吐いた。
『感慨深い、か?』
フォル機雷電にアンドレアス機ディアブロが機首を並べ、友人が声をかける。
『まだ、手放しで喜べる状態ではないですけどね』
相手へ見えるように軽く手を挙げてから、フォルは前方を見据えて答えた。
カルヴィから北部を回って、進路は東海岸のバスティアへ。
本位ではなかったが、救助半ばで見捨てる形となってしまった街の様子は気がかりで。
また『手土産』、すなわち持って行ける情報も、芳(かんば)しいものではなかった。
――島民の避難は、必要ない。
それが「避難の船をもう一度出してほしい」というアンドレアスの要請に対する、仏軍の回答だ。
島がバグアの影響下から解放されたなら、急いで『避難』をする必要はない。他の地域と同じく、UPCである事を伏せながら支援と復興を行う‥‥という事だろう。
更に勘ぐれば、国内に抱えた1500人近い『洗脳患者』を増やしたくないのかもしれない。
『どう説明してやれば、いいんだか』
『港が解放されれば、いくらか状況は好転します。それまでは‥‥待ってもらうしか』
その為に、海へ潜っている者達もいる。
託すしかないもどかしさを覚え、アンドレアスは小さく嘆息した。
やがて高度を下げた五機のKVは、バスティア郊外の開けた場所で次々と着陸する。
「直接、KVで市内へ行かないんですか?」
雷電のキャノピーを開いたフォルへ、シュテルンから銀斗が声をかけた。
「出来るだけ、無用な被害を増やしたくないので‥‥構いませんか?」
「はい、自分は問題ありませんよ」
どこか張り詰めたフォルの言葉に銀斗は快諾し、ロゼアや奈乃葉からも異論はなく。
「そういう理由なら、仕方ねぇよな。洗脳の程度がマシって言っても、皆無じゃあねぇだろうし」
「すみません、アスさん。俺の我が侭で」
「バスティアの状況を一番知ってるのは、お前だろ?」
真摯に謝るフォルへ、アンドレアスはひらひらと手を振る。
「その代わり、物資運びなんかは期待するなよ。俺、生身は非力だしな」
がくりと脱力気味でうな垂れる友人に、フォルもさすがに困った顔をして。
「ともあれ、この辺りに展開している仏軍へ、連絡を取った方がよさそうですね」
潮の香りがする風を受けつつ、コクピットから打上式の無線中継局を引っ張り出した。
○
「これは‥‥酷いわね」
モニターへ映った光景に、シャロンは眉をひそめた。
バスティアの港には大型船舶が停泊する桟橋と、その南側にヨットハーバーが並んでいる。どちらの港も入り口付近には数個の係維機雷が漂い、海底には破壊された小型船舶の残骸が沈んでいた。
下手に機雷を爆発させれば、桟橋そのものが損傷を受ける可能性が高い。
「大型船を停泊させるには‥‥海の掃除が必要、か」
機雷を爆破するなら、港から離れた位置まで移動させる必要があった。
接触型、センサー探知のいずれにしても、歩行形態の方が安全だろうと、十分に距離を取ってからシャロンはリヴァイアサンを変形させる
「さあ、リヴァイアサン頼んだわ。貴方のパワーが活きるわよ」
ちらと口唇を舐めて湿らせたシャロンは操縦桿を握り直し、注意深く『目標』へ接近した。
潜行する機体に驚いた魚の群れが急に向きを変え、モニタの外へと泳ぎ去る。
コルシカ東部沿岸の海は、静かだった。
目にする魚影が少なく思えるのは冬のせいなのか、海に生息するキメラに食われているのか、それともまた別の理由があるのか‥‥そこまでは、流石に亜夜にも判らない。
判らないが、完全な『死の海』と化した訳でもない事を自分の目で確認できて、少しだけ安堵していた。
「やっぱり島での生活で、漁業は重要だよなー」
魚がいるならば、少しは漁をして食べていく事が出来るだろう。
ただ船が出せなければ、漁も沿岸付近に限られてしまう。
港の解放と、近海に潜んでいる危険要素の排除。
コルシカを立て直す軸の一つを確かなものとするために、アルバトロスは静かに海中を進む。
「他の海域と併せて、どこの沖合いにどんな種類の障害が存在するかが明らかになれば、今後の復興プランを立てる助けになるよな‥‥」
機雷のような、単独および短時間で除去可能な障害には、時間の許す限り対応し。
出来るだけ広範囲を調べるべく、亜夜は海を進み続けた。
海中を進むリヴァイアサンと同じく、硯は思考の海に沈んでいた。
仲がいいと思っていた二人が、あんな事になって。
撃たれたイヴンとニコラに、ミシェルとリックは付き添っているのか、リヌと共にエリコはどこへ行ってしまったのか。
‥‥自分に、何か出来る事はあるのか。
様々な事が頭の中でぐるぐると回り、身が入らない。
ともすれば散漫になる注意力を、時おり鳴る警報が呼び戻し。
「あーっ、もう。ダメだ俺、しっかりしないと!」
左右に頭を振った硯は、気持ちを切り替えようと何度も頬を両手で叩いた。
○
「少し時間をかけてコルテ、次いでアレリアを見てきましたが、僅かながら状況は好転しているようですな。ただ活気があるかと言えば、まだまだ‥‥と言った感がありますが。交通の方も、未だ往来には車の一台もありませんでした」
コルシカ中部を経由してから合流した修司が、自分の目で確認してきた事を伝える。
仲間へソードはコーヒーを出しながら、「う〜ん」と小さく唸った。
「交通面が死んでいるのは、ガソリンが十分に行き渡っていない事と、車自体が駄目になっている可能性が考えられますね」
「でしょうな。かといって馬や牛に頼るとしても、キメラと出くわすリスクを考えれば、村や町の間の行き来自体を控えてしまう可能性があります」
「島内で、キメラが野放しになっているのか」
二人の話に耳を傾けていた零音が眉をひそめれば、暖かいコーヒーを一口含んでから修司は頷く。
「島民がすぐに全滅するような数ではありませんが、おそらく各地との連携阻害が目的なのでしょう。山間部での目撃情報や、主要な街の近辺で襲撃された例もあります」
「それらも、いずれは何とかしなければならないのか」
腕組みをして、零音は考え込み。
その思考を、スクランブルのアナウンスが遮った。
「サルディニアからの偵察ですか」
「おそらくは」
コーヒーを置く修司へ、真っ先に立ち上がったソードが答える。
「島を解放したのはいいですが‥‥まだまだ、油断は出来なさそうですね‥‥」
急ぎ足で三人は休憩室を出て、愛機の待つ駐機場へ向かった。
ポニファシオに程近いフィガリ空港も復旧作業の途上で、空港機能は十分に回復していないが、KVにとっては離着陸に十分な広さがある。
程なくソード機シュテルン、修司機ディアブロに続いて、零音機ナイチンゲールが大空へ飛び立った。
地上の風景はあっという間に遠くなり、青い空と海が広がり、遠くにサルディニア島が見える。
「また、間近でこの海が見れるとはな‥‥」
海の青さへ、零音は感慨深げに呟き。
『さて、ここがもうバグアの空ではない事を、念入りに教えてやりますか』
『異論ありませんな。そちらも、しっかり着いてきて下さい』
『了解』
そして侵入してきたHW編隊の機影へ、三機のKVは飛んだ。
○
小さな墓標には、花束や手回しオルゴールが備えられていた。
それだけで、この場に誰が来たかがほぼ判る。
それらとは別に、手にした小さな花束を彼は手向けた。
銘だけの空っぽの墓を見つめた後、つばに手をかけて帽子を目深にし、踵を返す。
『作戦』への参加は、傭兵の自由意志だ。
だから合わせる顔がない、という訳ではないが。
あくまで単独行動で、UNKNOWN(
ga4276)機K−111改はヴィヴァリオに近い村を後にした。
●慰霊
記憶にあるのは、必死な表情。
そして彼女らが気付いたと知った時の、一瞬の笑顔。
邂逅はおそらく、1〜2分の短い時間。
様々な出来事や過ぎていく時間に、やがて記憶は押し流されて薄れていく。
それでも記憶を頼りに、幾らかの花を買った‥‥ただ、赤い色は避けて。
正確な場所は、判らない。
ほぼ一年に近い時間が過ぎて、何もかも新しい雪が覆い尽くしてしまっていた。
微かな記憶を頼りにそれと思しき場所へ辿り着くと、アグレアーブルはウーフーを降りて、足跡一つない雪を踏んだ。
雪深い山の中での、戦闘。
おそらく遺体は発見されず、あるべき形での埋葬は、されなかったのではないかと思う。
KVから幾らか歩いた先で、彼女はそっと花束を雪の上へ置いた。
「‥‥ごめんなさい」
小さく、謝罪の言葉を口にする。
コルシカは、解放された。
不透明な部分は残り、復興にも時間はかかるだろうが、状況は回復へ向かう筈。
ただ‥‥自分のした事を、あの光景をジゼル・チベリが見たら‥‥と、思うと気は晴れない。
能力者だから、ではなく。自身の望みの為に、武器を持ち戦う役を自ら選んだ――。
(「私、は‥‥どれだけ、あなたの願いに沿えたのか‥‥」)
未だ、答えは出ない。もしかすると、永遠に出ないのかもしれない。
白い雪に咲いた、黄色やオレンジといった明るい色の花々は、時おり吹く風に花びらを小さく震わせる。
その前に膝をつき、長い髪を垂らして俯いたアグレアーブルは、指を組んでじっと瞑目した。
「兄さんと来たの、遺跡の調査」
「なのだよー」
出会った村の子供達に、ぎゅっと腕を引いてソーニャが説明し、ティランが調子を合わせる。
その反対側、もう片方の腕には、ろまんがぶら下がっていた。
「子供、いたんだ‥‥」
ごく普通の光景を少し離れて見ながら、何故か羽矢子は新鮮さを覚えた。
カルヴィもアジャクシオも、街で見かけるのは物々しい島民兵ばかりで、子供の姿など見た記憶がない。戦闘に直面する場所で、子供が外へ出る機会はなかったろうが、ありきたりの光景が妙に新鮮に思えた。
羽矢子が思いにふける間もソーニャは、子供達から上手く話を聞き出している。
ついでにティランが鞄からキャンディやチョコを取り出せば、子供達は家族や兄弟の分もねだりながら、痩せた細い腕を伸ばし。受け取った『戦利品』を嬉しそうにポケットへ詰めて、駆けて行った。
「いやはや、見事な手腕であるなぁ。年が近いせいであるか?」
「失礼ね、これでも大人なのよ。年齢自体は、ティランさんより下かもしれないけど」
「ちょえぇっ!?」
上目遣いで答えるソーニャに驚いたティランがわたふたと慌て、ろまんがころころ笑う。
「まぁ、いいけど。コルシカ、地理的に当然なのでしょうけど、大国に翻弄された歴史ね」
改めて、彼女は周囲を囲む白い山々へ目を向けた。
村に、大人の姿は少ない。また出会った子供達も、酷く痩せこけている。
まだ、元気そうな笑顔が救いだった。
「コルシカの人って団結が強いって聞いたけど、コルシカ島が一致団結したって記録なくて。不思議に感じたけど、納得したわ。ここでは、集落一つ一つが独立した国家なのね。ナポレオンもバグアもUPCも関係ない。家族と仲間を守って生きてゆく。好ましいわ」
だからこそ、心の自由を奪う洗脳は許せない‥‥と、ソーニャは目を伏せる。
「ナポレオンみたくコルシカ解放なんて言うと、押し付けがましい気がするけど。洗脳装置の破壊については、素直に尊敬するわ」
見やるソーニャへ、ふるりとろまんは左右に髪を振って。
「ティランさんが、依頼を出してくれたお陰だよ‥‥本当にありがとうね!」
「のぎゃーっ!」
ぎゅっとろまんが抱きつけば、勢いに負けたティランがひっくり返りそうになる。
「時間、忘れないようにしなよ?」
非力な玩具職人を支えながら、羽矢子は同行者達を促した。
小さな村の店々は、生活必需品を売るショップや人々が集う飲食店を問わず、軒並み硬く扉を閉ざしていた。
歌声の一つも聞こえない村で、人目を避けながら子供達に聞いた道を歩けば、一軒のごく普通な家へと辿り着く。
その少し手前で、四人は足を止めた。
煙突からは煙が立ち、羊達の声が聞こえてくる。
ろまんから見ても、そこには人の暮らす気配があった。だが本当は、少し恐い。自分達の事を、あの子の家族はどう思うだろう‥‥。
そんな弱気を振り払うように、ふるふると彼女は頭を振り。
「ボクがそんなんじゃ、駄目だよね。いこっ、ティランさん♪」
手を握って誘ってみるが、迷った表情のティランは大きく息を吐いた。
「ここまでで、感謝なのだよ。我が侭に付き合ってもらった諸氏には大変申し訳ないが、尋ねるのは止めとしよう」
「え? でも、折角ここまで来たんだよ?」
「うむ、十分なのだ。アグレアーブル君が言ったとおり、この手紙を誰に渡すのか。家族に渡したところで、悲しみを拭い去る事は出来ぬであろう。渡したがために、その‥‥酷い状態に陥って、揉め事となるのも本意ではない。単なる個人の自己満足ならば、彼女らの家族が無事と判れば十分と思ったのだよ」
そんな訳でと180度向きを変えるティランへ、ソーニャが外見に似合わぬ溜め息をついた。
「心配しなくても、万が一があればAU−KVでティランさんを抱えて逃げるのに。でもお姫様抱っこは、女の子の夢なのよ? 帰ったら貴方がしてね」
「むむっ?」
ソーニャの言葉に何やら考え込んだティランは、おもむろに彼女を抱き上げた。
「か、帰ったらって、言ったでしょっ」
「いや、こう、先行投資と言うべきであるか?」
「バカ、冗談だったのにっ。それになに、これ。お姫様抱っこじゃなくて、お子ちゃま抱っこじゃない!」
気恥ずかしさからか真っ赤になりながらも、ぎゅっとソーニャはしがみつき。
「ティランさん、ボクもー!」
ぶんぶんと手を振って、ろまんが順番を訴える。
「じゅ、重量制限付なのだよ!」
「えーっ‥‥いいなぁ、ボクもティランさんと一緒にKV乗ってみたかったのに、乗れなかったし」
「そ、それは申し訳ないのであるがっ」
よたよたと怪しいティランの足取りに苦笑しながら、羽矢子は後ろからついていき。
「‥‥何を、してるんですか」
合流したアグレアーブルは妙にほのぼのした光景を目にして、当然の如く怪訝な表情で短く尋ねた。
この状況でも荒れ果てず、綺麗に整えられた墓地に賛美歌のオルゴールが流れる。
少女の墓は比較的新しく、小さなものだった。
作られた時期は判らないが、『あの夜』から帰ってこない少女の死を、ようやく家族が受け入れたという事だろう。
一回りすると、音は静かに止み。
ハートを抱いた小さな天使がモチーフのオルゴールを、ティランは墓標の前に置いた。
続いて花を供え、誰もが目を伏せて、それぞれの祈りの形で少女の安らかな眠りを願う。
未だ、武装した島民兵が機械的な『定期巡回』を繰り返す、カルヴィやアジャクシオ。
真新しい破壊の痕跡もそのままな、無気力状態のバスティア。
日々、HWが飛来するポニファシオ。
そして、餓えていくコルテやヴィヴァリオ。
傷跡は深く、やるべき事は多い。
「ティランがやらなきゃ、きっともっと酷い事になってたんだ。少なくとも、あたしはティランを尊敬するよ」
結局、渡せなかった手紙を見つめるティランを励ますように、羽矢子は肩を叩く。
「感謝するのは、こちらなのだよ。そうそう、羽矢子君にもコレを渡すつもりであったのだ」
ポケットからティランが取り出したのは、リンデンバウムの葉を模った、小さな木のブローチだった。
「アジャクシオ攻略より戻った諸氏へは渡したのであるが、羽矢子君達には残念ながら渡せなかった故に」
「ありがと」
短く礼を告げて、羽矢子はブローチを受け取る。
「この島に人が現れて9000年。今はまだ洗脳の影響が残っているかも知れないけど、こんなことでコルシカ魂は変わらないね。変わらず、ありのままに生きてゆくのでしょうね」
願わくば‥‥といった思いも込めて、風に乱される髪をおさえながらソーニャが呟き。
呟きをのせた冷たい風は、山間の村を吹き渡っていった。
明日がどんな日になるか。
それは、誰にも判りはしないが。
それでも‥‥明日へ向かって、風は吹く――。