●リプレイ本文
「いきなりパンクってなんだ!」
路肩で車を止め、ニコラス・福山(
gc4423)は吠える。
キメラ絡みのテロがあったというので、ロシアのど田舎までわざわざ足を運んでみれば、現場にも着かぬにこの始末。
「‥‥ここからどんな手段使ってみたとして、もう間に合わんだろうな」
幸いにも農村だから、野宿はしなくてよさそうなのだが。
思ったところで丘の上の小屋の脇、車が停めてあるのが目に入る。
「お、丁度いい。あれ借りよう」
近づいてみると小屋には、診療所の札がかけてあった。
入って行けばどう見ても医者ではない男が、煙草を吸っている。
「‥‥院長は在宅かな?」
「外」
「表の車は院長のかい?」
「おれのだ」
「そうか。じゃあ良かったら近くの駅まで乗せてってくれないか」
この図々しい申し出に対して、にべもない返事が返ってくる。
「おれは車に人を乗せん」
「へえ。助手席のシートに女物の帽子があったが」
この指摘がきいたのだろう。
嫌そうな顔をした男は、事情を話すと、乗せてやりはしないが、タイヤを見て直してやると言ってきた。
「そうか。いや簡単だと思うんだ」
彼らが話しているちょうどその時、最上 憐 (
gb0002)は、目下収穫の行われている馬鈴薯畑に入るところだった。
大きな農婦がその姿に気づき話しかける。
「これ、あんた。勝手に入ってきちゃいけないよ」
「‥‥ん。イモの。気配に。誘われた。呼ばれたので。私。参上」
おやおやと農婦は笑う。そこに汗を拭いながら、ナデジダがやってきた。マリーヤも。
「どうしたんです、パラゲーヤさん」
「いや、どこからかイモ目当てに紛れ込んだようだよ」
憐はこくりと頷いた。
「‥‥ん。大丈夫。意外と。結構。畑仕事とかは。依頼でこなして来た。‥‥動く植物とか。作物。相手だけど」
ナデジダは何のことやら分からなかったが、少しでも手伝いが増えるのは嬉しいと、彼女を自分の担当している区画に迎え入れることとした。
それを横目にしたマリーヤは、非常にそわそわし始める。
「どうしたの、マリーヤ」
「い、いえ。あの子、その、もしかして能力者じゃないかしら。どうしようかしら‥‥」
「どうしようって、どこの誰でも手伝ってくれるなら有り難いわ‥‥そんなことだけ期待して、私、なんのための医者かしらね」
一人ごちる女医に旧友はそれ以上続けられず、しかし落ち着きも出来ず土を掻く。不慣れな手つきで。
●
番場論子(
gb4628)と海原環(
gc3865)は、ともに農村を通りがかった。
二人とも、次に至急の任務があるわけではないので、双方急いではいない。
一番近くのバス停から小一時間かけ、駅まで歩いている。たまにはこんなのもいいものだ、と。
ここは、まだそんなに機械化が進んでいないのだろう。トラックもあるが、荷馬車も現役。古ぼけたトラクターと、大きな農耕馬が共存している。
そのうち環は、彼らのうちの幾人もが大変だるそうにしているのに気づく。
イモを積んだ猫車をひっくり返し、監督らしき人から叱責されている者がいた。
女が二人そこにやってきて、一人がその監督と言い合い始める。
「ドクトル。こいつにもっと熱さましをやってくれ、仕事にならん」
「書記長、薬をそんなに何度も打つわけにはいきません」
「いいからあんたは言うとおりにしてくれ。委員長からの指令書にはなんと書いてあった。風邪ごときで大騒ぎするのは愚かなことだ」
「風邪ではありません。インフルエンザです」
「同じじゃないかね。あんたはあんたの仕事をさっさとしたまえ。大体この期に及んでも数人休ませているだろう。実に不謹慎だよ」
顎が三重になった男に向けて、女は後一歩のところで叫び出しそうな様相を見せた。傍らにいたもう一人――おずおずとした女がその袖を引き、なだめている。
概ね事情は察せられたので、環は大きく手を振り呼びかけた。
「お忙しそうですねー」
部外者が近づいてきたことで、いったん話が打ち切られた。
「なんだね、あんたがたは」
「ああ、これは書記長さん、失礼致します。私たちはULTの者です。この度は仕事の都合で、ここを通りがかりまして‥‥出来れば収穫作業のお手伝いをいたしたいかと。人手が不足しておられるようですので」
そのことについて女医はすぐ反応した。表情を明るくして。
「まあ、本当ですか。ありがとうございます。それなら是非お願いしたいかと」
だけれど、男は特に有り難そうでもなかった。
「金は出せんよ」
「‥‥誰もそんなものくれと言ってやしないじゃないですか」
いきなりケチつけられた気分になり、環はやや不機嫌になる。
それが伝わっただろうか、肥満男が一層気難しくなってきた。要りもしないお役所風を吹かしてくる。
「とにかく見も知らないものを収穫作業に参加させるのは、好ましくないね」
ロシア軍に勤務経験がある論子は、ひとまずそれを懐柔するのが先決と見て、柔らかく言う。
「まあそうおっしゃらずに書記長さん。書類上のことでしたら記載しなくてもいいではありませんか。そうしたら報告に矛盾も出ませんし」
と、停車音。
振り向いてみると、路傍に新たな車が一台。
キリル・シューキン(
gb2765)と終夜・無月(
ga3084)が出てくる。
「‥‥同志海原、何をやっている。揉め事か?」
「ああ、キリルさん。丁度いいところに‥‥」
環からの説明でざっと事情を把握したキリルは、自ら書記に向かい話し始めた。
彼は論子より更に融通の利かせ方を知っている。丸め込みによる妥協はすぐ締結された。
女医は彼らからの申し出に感謝を述べ、少ないですが謝礼は私が用意しますのでと言った。
「いや、ちょっとイモの分け前をもらえればそれでいいですよ。なに俺たちの手にかかれば、芋掘りなぞ朝飯前ってことで」
無月が笑う。
女たちは先に行く。
彼女らに続こうとしたキリルは、女医の後ろにいた女を何の気無しに見た瞬間、いきなり腕を掴み、顔を覗き込んだ。
「なぁ‥‥あんた‥‥何処かで出会ったこと‥‥ない、だろうか‥‥?」
確証は持てない。だが伝わってくる脅えは本物だ。
「あの、マリーヤがなにか」
「どうしたんだ、キリル」
女医と無月からの言葉により、彼は女から手を離した。黙りこくって。
その先では環と論子が、いち早く来ていた憐の姿を見つけ、驚いている。
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環はナデジダ達を手伝いがてら、自分が遭遇したテロ事件の事を語る。
「あれもこれもキメラ絡みで、どこか手口が似てるんですよ。実際に関わった私の思い込みかもしれませんが、ね」
「許しがたいですね。そんなことをして何の得があるというのでしょう」
ナデジダは眉を顰めそう言ったが、共にいるマリーヤは終始無言でイモを取っていた。
しかし、聞いているのは明らかだ。環が喋り始めてからこっち、顔色が悪い。
ひどく怖がらせてしまったらしい。
「あぁ変な話をしてしまいましたね! お詫びに私が一つ御馳走しましょう。後で女史の家の台所を借りても?」
「ええ、かまいませんよ。私もお手伝いしましょう。ねえマリーヤ。あなたもついでだから、これが終わったら食べて行きなさいよ」
友達からの申し出に、マリーヤは取り繕うよう笑った。
「え、ええ、そうね。あの、ナデジダ、私、ロープシンのことが心配だから、見に戻ってもいいかしら」
「それはもちろんよ。悪かったわね、手伝わせて」
「いいのよ。私がしたかっただけだから」
マリーヤは持ち場から離れて行った。
それを見て環は――微かな不審を感じつつも――悪かったかなあという気持ちになる。
「いえ、気にしないでください。マリーヤは前に少しありまして、それで軍や警察の話が苦手なんでしょう」
「‥‥と、言われますと?」
「‥‥ええ、マリーヤと私は一緒の大学にいたんですが‥‥その在学中、彼女、ある文学サークルに入ってまして。特別意図はなかったと思います。当時付き合っていた男性がそこにいたというだけのことで。でも、そのサークルが反体制派と通じていたと一斉検挙されまして、彼女も連座したんです。それで結局大学を辞めてしまって‥‥音信不通になってしまって」
「そうだったんですか‥‥」
「‥‥とにかく再会出来てほっとはしてます。新しい人を見つけて、結婚したということですし」
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診療所に行こうとしていたマリーヤは、途中で止まった。
行く手にキリルがいたのである。
彼女はすぐ方向を変えようとした。
しかし相手から近づいてきたので、逃げられなかった。
「‥‥先程はすまない。疲れていたようだ」
「い、いえおかまいなく。気にしてませんから」
キリルは、どうかすると脇に避けようとする彼女の動きを、それに応じて移動することで封じている。
「なにしろこんな世の中だ。テロがあったのは知っているか?」
「いいえ‥‥」
「そうか。じゃあ教えておこう。あったんだ‥‥テロリストは今も昔も変わらんよ。眼を見れば怯えを含むところは特にな」
キリルの声は徐々に低くなっていく。獣が唸るように。
「対策も、変わらん。ロシアの敵は便所に追い詰めて狼の如くその喉元を噛み砕く。それだけだ‥‥!」
女は竦み上がった。怯え以外にない表情を見せて、診療所の方に逃げて行った。
キリルはあえて追いかける事なく、蛇の目で見送る。
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イモ掘りの極意掴めたり。
確信を覚えた憐は、回りのおっちゃんおばちゃんじいちゃんばあちゃんたちに注意を促した。
「‥‥ん。近づくと。危ないので。この辺りは。私に。任せて。うん。大トロに。乗った気分で。待ってて」
次の瞬間、憐の周囲から土が吹き上がる。芋もともに吹き上がる。天高く吹き上がる。
それを遠目にしつ、論子はおかみさんたちと話をしている。
「あんた、なかなか筋がいいね」
「ええ、逐次こういうことに駆り出される経験がありましたのでね。ここは自然が豊かでいいところですね」
「なんの、都会の方がいいよ」
彼女らの目の前には掘り返された黒い土の山。そこからイモを次々取り出しては、荷車の中に入れて行く。
無月も近くでさくさく大量の土を掘り返しては、収穫物を積み上げていた。広い畑の端々も、能力を使えば短時間で行き来出来る。
「おーい兄ちゃん、こっちにも来てくれや」
「はーい。待っててくださいよ」
そういった牧歌的な風景を窓から眺めつつ、人の家で勝手に茶を飲んでいたニコラスは、ロープシンが見つからずうろうろ入ってきたマリーヤと鉢合わせした。
彼女は見知らぬ人間の存在にびくっとしつつ、尋ねる。
「あの、どちらさまでしょう」
「ただの可愛いお医者さんだ」
ふざけた答えに一拍置いて、マリーヤは尋ねる。
「‥‥うちの人を見ませんでしたか。背が高くて、髭を生やしているのですけど」
「ああ、そんなら多分外にいる」
「そ、そうですか。どうも」
礼を言うと、女は急いで出て行った。
ニコラスも、そういえばいい加減任せた車も直っているだろうから退散した方がいいかと、裏口から出て行く。
しかしそこで運悪く、集積場から帰ってきた環とかちあった。
「あっ、博士!」
「ぐ。たまちゃん‥‥いいんだ、私の屍など顧みる事なく行ってくれ!」
「何格好よく逃げようとしてるんですか」
彼女はトラックから素早く降り、ニコラスの首根っこを捕まえ、荷台まで引きずっていく。
そこで、診療所に停めてある車の傍ら、男女が話し合っているのを見た。
一方はマリーヤ。もう一方のが恐らく、話に聞いた夫だろう。
見当つけて彼女は話しかける。
「初めまして。貴方がマリーヤさんのご主人のロープシンさんですね。私、海原環と言います」
男は終始無愛想だった。握手を求めれば拒まなかったものの。
(これは‥‥拳銃のタコ?)
傭兵をしていたというならそんなものもあっておかしくないのだが、何故だか環はひっかかった。相手から、うっすら血の匂いを感じて。
「もうそろそろ収穫も終わりますので、お食事などご一緒にどうぞ。たくさん食べて養生してくださいね」
「いらんよ。おれたちはこれからすぐ出るんでな」
男は相手の返事も待たず、運転席に乗り込む。
マリーヤがその後を引き受ける形で言う。身の置き所がないほどすまなそうに。
「あ、あの、本当にすいません。どうしても外せない用事があるものでして‥‥急がないと‥‥ナデジダによろしく言っておいてください」
ただの誘いなので、環もそれより強く言うわけにいかない。
こうして彼らの乗った車は、農場を後にしていった。
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「そうですか、マリーヤは帰ったんですか。残念ですね。出来ればもっと話をしたかったのですけれど」
ナデジダがボルシチの入った鍋をかき回しつつ嘆息する。
馬鈴薯の餡をピロシキの皮に包み、環が応える。
「また来られることもありますよ。今日は特別急ぎだったようですから。昔から、お友達なんでしょう?」
「ええ。どうも私は子供の頃から短気で、喧嘩ばかりで。そうするとマリーヤがよくとりなしてくれたものです‥‥私は今でもそのへんがうまくありませんね。言わでものことを言ってしまって」
「まあ、若い時はそのくらいのほうがいいのよナデジダさん。衝突しない人は、得るのものも少ないからね」
ペリメニ包みをしている論子は、先達としてそんな意見を述べた。
台所には彼女らだけでなく、無月も参加している。
彼は専用の石焼き鍋を用意してきており、どっさりもらった規格外れの馬鈴薯とともに、持参の甘薯も焼いていた。
他にも煮込んでみたり、スイートポテトにしてみたり。目下ピロシキの中に甘薯を包んでみるのはどうだろうと実験しているところだ。
しかし出来る側からひょいひょい憐が取っていくので、さすがに叱り付ける。
「こら、つまみ食いし過ぎだ。テーブルで待ってろ」
「‥‥ん。どっちも。うまい。おいもさん。ラブ」
彼女はホクホクの甘薯と馬鈴薯を両手一杯に持ち、両頬いっぱいにほおばり、席に戻る。
そこではキリルが、チーズとキノコを載せた馬鈴薯の包み焼きを食している。
「うわ、すっぱ」
黒パンにこう漏らしたニコラスに彼は、無言でスメタナの壷を押しやった。
「‥‥何でもスメタナかけりゃいいってもんでもないと思うが。ねー、ピロシキまだあ。ボルシチでもいいんだけどさあ。ビーフストロガノフないのお。キャビアの入ったブリヌイとかさー」
「うるさいですよ。黙って待ってるかペリメニ包み手伝うかしてください」
「なんだい、冷たいぞたまちゃん。私だって芋掘りちょっとしたのにさあ」
そこに誰も同意してくれなかったので、ニコラスはすねてしまう。すねたまま、塩漬けのキュウリをかじる。
憐はそれが好きではないのか、一切手を出さなかった。
食事が終わると、一同またそれぞれの途についた。
単なるいい旅の思い出と、あるいは疑いと――それから寸志と、規格外の馬鈴薯一袋を持って。