●リプレイ本文
レオポール船長は引き続きあたふたしてばかりであるが、副船長兼事務長である番場論子(
gb4628)は、冷静に状況を把握していた。
ビシッとしたビジネススーツ、膝下10センチのタイトスカートという姿は、デキル女の証しである。
表面と中程まで浸透している無能さで、あるべき有能さを包み込んでいるこの船長が、普段責任者面していられるのは、全く彼女の功績なのだ。
「なあメリー、早く逃げようぜ。見ろ、向こうから変なのが来てるんだ」
「あら本当。ずいぶんたくさんのお客様ね。お茶の準備とかいるかしら」
「違う、あいつらは客じゃないんだって、そもそも呼んでもねえし。な、早く行こうよ。副船長に任せておけばなんとかなるからさ。安くすむからってこの危ねえ航路をとったのは彼女の提案からであってだな」
おやおやまたしてもそんなことを言い出すんですか。でもそうはさせませんよ。いざと言うとき責任取って詰め腹切るのはあなたなんですからね。そのために私は普段からあなたの立場を立てているんですからね。
心で思う論子は、望遠鏡で水平線の彼方を確かめた。今がちょうど巡視船の巡回時刻のはずだが、どこまで来ているだろうと。
こういうことまで予め予測しておく、彼女は誠に有能だ。
「船長そのとき提案にノリノリだったじゃありませんか。私聞いてましたよ」
「うるせえなあもお黙っててくれよ、ドクトルスタハノフ」
「そもそもパパが自分で航路を設定した試しってないよね。この船にしても、人生そのものにしても。風や海流に流されるばっかりでさ」
「生意気言うんじゃないレオン。その漂流のお陰でお前が今この世に生を受けていることを忘れたのかワンワン」
怒ったせいでレオポールは覚醒し、それを通り越し、体まで丸々コリーのお父さん犬となってしまった。
ふさふさした毛並みが魅力的なのか、まだ幼児である息子娘はお絵かきをやめ寄ってきて、先を争い撫で始める。
「パパ‥‥いくら夢でもせめて人間のままでいてくれないかな‥‥」
「男なら細かいことを言うなワン。そんなことより、さあ逃げるぞ。皆オレに続け」
「その格好にその台詞で威張らないでください船長。かなり情けないです」
「失礼だな副船長。この格好のどこが悪いんだ。なあメリー、おかしくないよな」
「ええ、かわいいわレオポール。よく似合ってるわ」
奥さんメリーに頭を撫で撫でされて、亭主はご満悦のようだ。長鳴きしている。
そんなのに付き合ってられないので、論子は彼を差し置き、部下たちにてきぱき指示を出した。
そこへ、折よく乗客の一人となっていたソウマ(
gc0505)がやってくる。
「なんだか紛糾していると聞きまして。僕に出来ることならなんでもお手伝いしますよ」
彼はただの少年ではない。七つの海を駆ける冒険家である。
お宝獲得、遺跡の発見、オーパーツの発掘など、これまでにあげた功績は数知れず。
すばしっこい身のこなしで戦利品をかっさらって行くことから、ついたあだ名が「黒猫」だ。
「西の大陸のどこかに僕の目的の、黄金の招き像があるという情報を掴んだんです。こんな所で足止めを食う訳にはいかないんですよ」
黄金の招き像。
それは全長20メートルに及ぶ古代建築物。片手を挙げた猫の姿をし、そのすべてが黄金で作られているとの噂だ。しかしてその実体は、滅び去った超古代文明アトランティスの遺産。その右手が動くとき、世界は震えるという。
「ナチの残党が世界征服のため、その強大な力を得ようと画策している‥‥僕はそれを許すわけにはいかないのです。ですから、ここをさくさく片付けて早く目的地へたどり着かなくては!」
冷たい眼差しだが、瞳の奥には闘志の炎を燃やす少年の話に、テロリスト一号ロープシンは、興味津々であるようだ。
「ちょうどいいからそれも探しに行くか? 世界をなにもかも一瞬で吹っ飛ばせそうじゃねえか」
二号ステファンはしかし、さほどでもなさそうだった。
「一瞬では意味がないよロープシン。血を流す苦しみあってこその浄化だよ。ねえ、そうだろうマリーヤ」
「え、ええ。そうなのかしらね。あの、ところでロープシン、ステファン、私がこの間貸した20万のことなんだけれど‥‥」
ロープシンはマリーヤの問いかけを黙殺した。
ステファンは柔和な笑みを浮かべて、手持ちの袋からゴソゴソ出してくる――何の変哲もないハンカチを一枚。
「そうそうマリーヤ、キミ誕生日だろう。はいプレゼント。ぼくとロープシンからの連名だよ」
それを渡された途端、彼女は貸したお金のことを忘却したらしい。こんな声を上げる。
「まあ、ありがとう二人とも。私大事にするわ!」
「待ちなさいマリーヤ、そんな安物貰ったからってお金の話をチャラにしちゃ駄目でしょう!?」
マリーヤの肩を揺さぶり言い聞かせるナデジダの姿に、論子は同情の眼差しを向ける。
とはいえ、このシージャックたちについては関与しないと決めていた。そっちくらいは船長に全面的に請け負ってもらおうと思って。
「とにかく協力してくれるなら有り難いです、ソウマさん。何しろバタバタしてますからねえ‥‥あら、経歴が華やかな方が他にも乗っておられるようですね」
連絡を取るため携帯電話をさっと取り出し、論子はメールを打ち始める。
「‥‥おい副船長、なんでこの世界に携帯電話があるんだ」
「男なら細かいこと言わないでください船長。それよりさっさとこの人達にお引き取り願ってください。海賊だけで手一杯ですからね、私」
慌ただくしていたので誰も気づかなかったが、その時商船の前方から、小さくて変なものが近づいてきた。
それはアヒルちゃんを無理矢理赤いウサちゃん形態に改造してある、足こぎボートだ。
中にいるのは、これまた赤いウサ耳をつけた通りすがりのウサ耳愛好家、最上 憐 (
gb0002)である。
「‥‥ん。食べ物の。気配。漁夫の利の。気配。鴨が葱を背負って来た。感じ」
南の海を気ままに往来していた彼女は、商船を狙っていた。ばかりでなく、海賊船も巡視艇も。理由は明快だ。
「‥‥ん。どさくさに。紛れて。食べ物は。頂いて。行く。ウサ」
というわけ。
ウサは船の横っ腹に近づくと、吸盤のついた銛をいくつか発射し、愛機を固定する。
ピョンと飛び出し、軽々船体をよじ登っていく。
「‥‥ん。ウサ。ウサ。今の内に。潜入。開始。ウサ」
そうしてふと途中で止まり、手を額に当てて周囲を見回した。
「‥‥ん。新しいの。発見。あっちも。こっちも。後で。襲おう。ウサ」
●
「んー、南国の海はいいねぇ」
豪華なプライベートシップが海をゆったりと進んでいる。
デッキにはビーチパラソルとビーチシート。傍らに小卓。その上に専門書そして冷やしたシャンパン。
頭上で鳴く白いカモメ。どこからともなく漂ってくるフルーティでトロピカルな香り。船に上がってきていそいそ給仕をする黒タイツ。
そんなリゾート気分を満喫しているのは、UNKNOWN(
ga4276)である。
「‥‥ん?」
銀と白蝶貝が台座の古美術品なカフとタイピンが、明るい太陽にキラリと光る。
ロイヤルブラックの艶無しウェストコートにズボンを身につけた彼は、コードバンの黒革手袋をはめた手で兎皮のつば広帽子を持ち上げ、南風にパールホワイトのカフスシャツの立襟とスカーレットのタイ、チーフを微かにそよがせ、黒革靴で甲板を優雅に踏み、双眼鏡を覗いた。
「夢の中なのに変なのが出てきたようだが‥‥」
骸骨旗を掲げた海賊船が、商船を追いかけている。実に分かりやすい構図。
「‥‥とにかく女子供は退避させんとな」
咥え煙草にダンディズムの彼は、操舵室に向かう。エネルギーキャノンを軽く肩に担いで。
その頃巡視船のカサトキン兄弟は、商船の論子からメールを受け取っていた。
「交渉して時間稼ぎしますので、なるべく早く来てください、だってさミーチャ」
「おお、既に全力出しとると答えろ‥‥おっと、無線が入ってきた。もしもーし、こちら巡視船ワーニカ。貴艦はいかなる所属の船か、どうぞ」
『当艦はロシア海軍所属小型艇マロース、海賊退治に海軍歩兵を連れて急行しているところである、どうぞ。先行している貴艦から、敵船、並びに状況についての子細情報を求む、どうぞ』
キリル・シューキン(
gb2765)からの声に、ミーチャは操舵室の窓から顔を出した。
と、水平線のかなたから鋼鉄製の船影がぐんぐん近づいてくる。
「目茶苦茶近代的だな‥‥まあ、あのUNKNOWNのレジャー船もそうなんだがな」
「気にした時点で負けだよね。さっきぼくらもメール受け取っちゃったし」
「そだな。あー、それでは同志、こちらから現況を報告する、どうぞ」
そんなふうにして救援部隊が駆けつけていることなど、憐に取っては差し当たり興味もなく、関知せざる処である。
「‥‥ん。ウサ。ウサ。今の内に。潜入。開始。ウサ」
こっそり甲板に上がってきて、耳をあちこち動かし、目当てのものを探し始める。
「‥‥ん。食べ物の。気配は。アッチだ。ウサ。コッソリ。密かに。大胆に。移動。ウサ」
彼女の五感は食べ物を見つけだすことにおいて、最上の能力を発揮する。
たちまち肉類穀類野菜果物乳製品まで揃った食糧庫に至った。
「‥‥ん。食料。発見。全て。頂いて行く。美味しく。頂いて。行く。ウサ」
目をキラリと光らせ、彼女はまず手近なローストチキン丸まる一匹の固まりに手を伸ばした。
「‥‥ん。全て。強奪。させて貰う。ウサ。私の。胃袋に。ウサ」
ガコンと鈍い音がして船全体が揺れたようであったが、そんなの気にしない気にしない。
大きくなるためモリモリと、彼女は全てを体内ブラックホールに注ぎ込んで行く。
●
拡声器を取り出した論子は、船体を接触させてきた海賊に向かって交渉を始めた。
「人命に危害を加えないというなら、我々もある程度応じる用意があります」
「ほう、物分かりがいいじゃないか。物事はそうでなくてはな。とはいえお前達に、言い値を飲む以外交渉の余地があるとは思えんがね」
「それはどうでしょうかね。こちらも全く武装していないというわけではありませんので」
ソウマ以下かき集めてきた戦闘員を後ろに控え、論子は睨みを聞かせる。
しかし、ロンは鼻で笑った。
「船長がそれじゃあな」
振り向くとレオポール船長が、テロリストたちを一応追い出そうと――吠えて周囲をうろうろし、ロープシンから足を踏み鳴らされては飛びのき、再度相手から手の届かない位置に陣取って吠えるという不毛な事を繰り返していた。
「がんばってー、あなたー」
妻のメリーが応援してくれ、幼い子供たちが喜んでいるのがせめてもだが、これでは単なる意気地なしの駄犬。
論子は顔をこわばらせ、ソウマを呼ぶ。
「すいませんソウマさん、あれをちょっと見えないところに排除してください」
ソウマは黙って懐から骨を取り出し、向こうへ投げた。
コリー犬はそれを追いかけ、船尾へと走って行った。
さて、仕切り直し。
「それで一体いくら要求されるんです」
「そうだな、まずは5億から始めるか」
「お話しになりませんね。この船を買いかぶり過ぎですよ。出せる限度はせいぜい1億です」
「そうでもねえはずだ。積んでいる荷の末端価格から考えても、4億は固い」
「それが関税や何やで5割ほど消えて行くんです。悲しいことに」
そこに予想外の邪魔が入ってきた。テロリストたちである。
「おい、勝手に話を進めるんじゃねえよ。この船はすでにおれたちの船だからな」
「何だ、吊るされたいのかドブネズミ」
「鼻の穴三つにされたいのか豚」
まさしく一触即発、今にも銃撃戦が始まりそう。
どういうわけだかこの両者、やっていることはほとんど変わらないくせに、思い切り反りが合わないらしい。
どうしたらいいのよと頭を抱える論子の耳に、ガタンと船が寄せられる音が聞こえた。
顔を上げれば真っ白な船体。
言わずと知れたUNKNOWNの私船である。
「女子供はこちらにどうぞー。危ないですから」
彼女は数秒考えてから指示に従うことにした。巡視艇も黙視で見えるところまで近づいてきたことであったし。
「おお、助かった。皆早く乗れ早く乗れ」
レオポールも喜んで、船内の女子供、なかんずく妻子らの後についていく。
だが彼の前でUNKNOWNは、さっと渡り板を引き上げてしまった。
「いや、男達と傭兵とは頑張りたまえ?」
「えっ、ええっ!? やだやだ、オレも乗る、オレも乗るう。うわーん、メリー、メリー」
悲しげに遠吠えをする夫を、妻は心配そうに見やる。
紳士は彼女にノンアルコールの冷たいカクテルをふるまい、元気づけた。
「大丈夫ですよ。あなたのご亭主はやれば出来る人ですから。まあ、頑張ってる姿を見守ってあげようじゃありませんか。食事でも準備しながら」
レオポールの方は、ソウマが元の場所まで連れ戻して行く。
「しっかりしてください、ここで格好いいところを家族に見せなくてどうするんですか! 死ぬ気になれば何でも出来ます!」
それを眺めながら、息子レオンは嘆息した。
「‥‥その死ぬ気になるまでが長いんだよなうちのパパは‥‥」
船上のプールのほとりでは、早くも水着姿になった論子とナデジダが、同じく水着姿のマリーヤに向けて言い聞かせていた。
「あのですね、そこでお金を貸してくれと言い出すこと自体がおかしいですから。もうあり得ませんから‥‥」
そこへドゴオンという音が響く。海賊船が大砲を発射したのである。
客船の甲板が一部すっ飛ぶとともに、直撃を受けたソウマとレオポールが放物線を描き、海へきれいに落下して行く。
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「‥‥ん。ちょっと。前を。失礼する。ウサ。ウサが通過する。ウサ」
食料をすべて回収したウサこと憐は、白兵戦が始まった中を、素知らぬ体で通過していく。海賊も船員も、彼女の姿を捉えることは出来ない。何しろ三倍の速度だから。
かくして次の獲物である海賊船に、まんまと入り込んで行く。
「‥‥ん。樽詰めリンゴに。干し肉。ソーセージ。プディング。ビスケット。いかにも。宝島な。感じ」
彼女の胃袋はまだまだ満たされるということがない。誰も知らない間に大事な食料をデリートしていく。
長い耳にパンパン乾いた銃声が聞こえてきたが、右から左に受け流す。
砲声も聞こえてきたが、左から右に受け流す。
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「チッ、敵性階級‥‥もとい海賊どもも、どうやらそれなりの備えをしてきているらしいな」
小型艇で海賊船に乗り込んだキリル率いる歩兵隊は、船上での銃撃戦を演じていた。
巡視船の人員もそこに加わっている
「まあ、ロンのことだからな。それにしてもさっきから犬の遠吠えが聞こえないか、キリル」
「いいや。気のせいじゃないか同志ミーチャ」
気のせいではなかった。実際海に投げ出されたレオポールが、犬掻きしながら必死に呼びかけていたのである。
「おおい、助けてえ、救命具くれ、救命具う」
でも皆忙しいのであんまり注目されなかった。
それをいいことに、彼は近くでぷかぷかしていたタイツの上にはい上がり体を奮う。そして座り込み丸くなる。
「あーあ、厄日だ今日は。もう寝よ」
直後タイツが爆発し、天高く吹っ飛ばされた。
「どうだね? 戦況は? サボっちゃいかんぞ。頑張れー」
船上からUNKNOWNがそれ目がけて、発砲したのである。
「ばかやろおおお‥‥」
一方ソウマはというと、浮かばずに沈んで行っていた。沈んでいるのに、何故か話せた。
「『黒猫』と言われた僕もここまでですか‥‥」
意識の薄らいだそこへ、仄暗い水の底から、厳かな声が響いた。
『ソウマよ〜、ソウマよ〜』
「‥‥はっ!? そ、その声はまさか」
顔を向けると、全身真っ白なタイツに包まれたモザイク顔のじいさまが、ヨガのポーズをとっている。
『そうとも〜、タイツの神様じゃ〜、今こそ汝、タイツの良さを再び世に示せ〜、いつも何度でも〜も〜も〜も〜も〜‥‥』
瞬間、まばゆいばかりの光が海中から上った。
輝きに導かれるように、海中を泳いでいた無数のタイツたちが一所に集まり、海面まで届く大きな塔を組体操で組み上げる。
その最上部にすっくと立つ一人のタイツ――それこそが、タイツ神の使徒と化したソウマ(顔もすっぽり隠れているので、ぱっと見誰だか分からないけど)だった!
「ん〜絶・好・調! 人類が生み出した至高の衣、その名はタイツ! みんなタイツしているか〜い!」
奇観に敵味方問わず時が止まった。
空中を舞っていたレオポールも一瞬停止する――その後やっぱり海に落ちて行ったけど。
「今こそ全地がタイツを褒め、称え、そしてひれ伏す時! とうっ!」
腰を切れよくクイックイッと動かたかと思うと、タイツは海賊船に飛び込んできた。
気を飲まれている敵を、蝶のように舞い、蜂のように刺し、バッタバッタと片端からなぎ倒し始める。
「ボサボサするな、その変態を撃て!」
ロンが命令を下すと、タイツに向けてドカンと一発大砲が撃たれた。
かくしてソウマは再び水中に没する。
しかしキリルの軍勢はこの機会を逃しはしなかった。混乱に乗じて攻勢に転じ、押して押して押しまくる。
ほどなく甲板に、頭の後ろへ手を組んだ海賊たちが並ぶことになってしまった。
部下に銃口を向けさせたその前を、キリルはゆっくり歩く。
「それでまあ、今からお前たちを撃滅する。うちは捕虜をとらない。そもそも海賊は捕虜にはできんが」
そうすると早速不平が上がった。
「おい赤、そんなことしたら後でどうなるか分かってるんだろうな」
「そもそもおれたちは海賊じゃねえんだがな。なんでいっしょくたにしてやがんだ」
「そうだよ。失敬なことだね」
主にロンとテロリストたちから。
「なにぃ〜? 聞こえんなァ! 我々は発見と確認と壊滅しか命令を与えられていないのだァ!」
こんな場面であるが、それともだからこそなのか、キリルはいつもの数倍生き生きしていた。滅多にないことだが、笑ってもいた。人を和ませるというより恐れさせる類いの笑いではあったが。
「従ってお前らはここで魚の餌‥‥」
言いかけ、彼は首だけ横に向ける。
そこに憐がいた。
口に入るもの全部を奪い尽くした彼女は、今まさに海賊船を後にしようとするところであったのである。
「‥‥ん。気にしないで。私は。ただの。通りすがりの。ウサだから。ウサ」
無言の発砲が返ってきたのでそれ以上説明せず、彼女は素早く海上へ逃げて行った。沈む前に足を出せさえすれば、人間水上も走れるのだ。
「‥‥ん。ウサ耳を。付けて。いない。人間に。捕まりはしない」
弾切れとなったのでキリルは軽く舌打ちしつ、再度海賊に向き直る。
するとどこからどうやってきたのか、グラスに入った赤ワインを手にしたUNKNOWNが、すまして立っていた。
「よーし、そこまで。とりあえずキリル、射殺は何かとまずかろう。いくら夢でも。別の処分を考えてみてはどうかね?」
身内からそんな意見も出たので、渋々キリルは処刑を取りやめた。
「よし、お前たちこの救命ボートに乗れ」
と言って海賊たちをボートに詰め込み、両脇にロケットをつけ、親切にもこう言った。
「全員釈放してやる。陸まで40kmはあるがなッ!」
「おいこらこの赤、お前絶対殺す気だろ!」
「誰も殺すとは言っとらん。海賊には妥当な漂流刑にするだけだ。我々ロシア海軍ではよくある話だ。干乾しになる前に誰かに見つけてもらえるといいな同志。ダスビダーニャ。点火!」
ロケットに火がつくや否や、ボートはすごい勢いで大海原の彼方へ消えて行った。罵りの叫びを残して。
「フッ‥‥かくしてクソブルジョワ‥‥じゃなくて海賊は全滅した‥‥めでたしめでたし‥‥。おい、爆弾の設置を怠るな! この船もこの場で処分だ!」
「徹底してるよね、キリルくんは」
「んむ‥‥実際筋金入りに軍人向きだとは思う」
カサトキン兄弟のコメントする中、海賊船はたちまちのうち火だるまとなり、海中に没したのであった。
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「はっ。僕は何を‥‥まるで果てしなく長い夢を見ていたような」
目を覚ますやそんな事を呟くソウマを、レオポールは背中に乗せ犬かきしていた。
「だからこれが夢だっての。起きたんなら自分で泳げよ。重いんだよ」
「ああ、これはすいません。で、どこに行くおつもりで」
「あのレジャー船に乗るんだよ。もう仕事はおしまいだ。おーいおーい、メリー、メリー。ハシゴ投げてくれえ」
脇を、食べ物の匂いにつられた憐がウサちゃんボートで通り過ぎて行く。レーシングボート並のスピードで。
「‥‥ん。コレが。ウサ耳の力。ウサ」
●
乗船してきた巡視船の船長、副船長に対し、論子はぬかりなく付け届けを行っている。
「今回はありがとうございました。ほんの気持ちですがこれを。また宜しくお願いしますね」
「いや、そんなん別にかまわ」
「そうですか、それはありがとうございます。いただけるものならいただいておきましょう」
「おいペーチャ、仕事上での個人的な金銭のやり取りは、収賄罪に当たるんだぞ」
「そうだよ。でもいいじゃない。賄賂なしに世の中何にも進まないよ。ああそうだ番場さん、あちらのキリルくんにも付け届けしておいた方がいいかもですよ。頼りになりますのでね」
キリルはウォッカを片手に、眼光でひたすらマリーヤをビビらせている。
憐は既に席について、大好きなカレーライスを食べ始めている。大きなフルーツポンチのボウルも丸まる一つ抱え込んで。
そこでやっとこレオポールとともに上がってきたソウマは、プールサイドで戯れる娘さんたちの大胆な水着と曲線美に、ちょっとドキドキしたりしなかったりするのであった。
まあ、そんなこんなしながらその後、目の覚めるまでの間一同は、楽しく船上パーティーに参加する夢を見続けられたのである。