●リプレイ本文
ペーチャとスーザンが出て行った後、改めてミーチャは吠えた。
「えいくそ、なんてざまだ!」
彼がそうしていた所、開け放していた出入り口から2名の客が入ってくる。
ミーチャはフード付きコートを着た方に、じろりと視線を向けた。
「何だ、滝沢か。何か用か」
目深に被ったフードの下で、滝沢タキトゥス(
gc4659)は苦笑する。
「いや、用事ってほどでないけど‥‥とりあえず片付けのお手伝いでもしようかと。何しろ中からスリッパが片方飛んでくるほどだったし」
「そんなら頼もうか。全く台風でも通った後みてえだからな。で、そっちのお前は? おれは初めて顔を見るが」
「ああ、俺は赤木・総一郎(
gc0803)だ。任務でこの近辺に来ていてな。偶然この彼が入り口から中を覗き込んでいるところに出くわして」
格好からして不審者にも見えたので声をかけに近づいた。
そうしたら同じく内部の騒ぎの一部始終を目撃することになったと、こういうわけだ。
「何だ、そんならその時入って来て手伝やよさそうなもんだ」
「いや、俺たちは一応部外者だからな‥‥迷いはしたんだが、生きる死ぬの騒ぎではないんだろう。話を聞いた限りでは」
「‥‥まあな、死んだ後の騒ぎだ。本人抜きのな。こういうのを空騒ぎという」
下駄箱にスリッパを戻して行くタキトゥスは、うっすらした苦みを覚える。聞きかじった事情について。
「大変だな‥‥彼女はそれどころではなさそうだったけど。死別は一番辛い別れだ、それが親しい相手なら尚更、だが‥‥」
塵取りと箒を隅から引っ張り出し、ミーチャは鉢から落ちた土をかき集める。総一郎が観葉植物を起こす脇で。
「しかし、人は死ぬ。いつどうなるか選びは出来ないぜ。平等に神の手の内だ」
「随分信心深いんだな、ミーチャさん」
「そうでもねえさ。ただこれまで見てきた限り、善人も悪人も死亡率に差はねえと思うだけでな」
彼が肩をすくめたところで、もう1人お客がやってきた。
若い娘。
リゼット・ランドルフ(
ga5171)である。
「あ、失礼します。営業時間でしたか、カサトキン先生」
「いや、一応非営業だ。で、お前は何しに来た、リゼット」
「はい、その‥‥パトリシアさんのお墓参りに。この近くにあると聞きましたので。事故現場に居合わせたものとして、お花の一つも手向けられればと」
「そりゃいい心掛けだ。ついでに手伝え」
「あ、はい」
整理班に編入させられたリゼットは、本棚の整理を任せられた。
週刊誌の号を揃えて並べながら、ミーチャに聞く。
パトリシアというのはどんな人だったのか、また、どんな花が好きだったのかと。
「出来ればお好きな花を供えてあげたいですし」
「そうか。ええとな、確かスーザンと同じだったぞ。白ツメクサの花だ。幸運の印だからってよ」
それなら付近にいくらでも見かけた。あれを摘んで行こう。
考えながら彼女は、ここに至るまでに付きまとっていた思い出を振り払う。
数多くの戦場、そして、3年たってまだ遺体が回収できない知人についての思い出を。
●
ウルリケ・鹿内(
gc0174)は、スーザンを訪ね片田舎までやってきていた。同じ依頼を請け負っていた、仲間達とともに。
スーザンは現在ここにいるということだった。
風の便りによると、航空機墜落の任務からこっち、彼女は精神的に参ってしまっているらしい。
あの時、踏ん切りがつくまで探させてやればよかっただろうか。
ないものはないのだと分かっていたろうけれど、それでも区切りはつけられたんじゃないだろうか。
少なくともこれほどにはならなかったんじゃないだろうか。
悔恨で胸がチクリと痛む。
ふと立ち止まった。
道の傍らに、ロシア十字をつけたタマネギ頭の教会。
物珍しさを覚え見ていた彼女は、はっとした。前方からスーザンが歩いてきたので。
「あ、あの‥‥」
軽く手を挙げ呼びかけた。
だがスーザンは何も見えてないかのように、脇を素通りしてしまう。
「あら? もし、もしっ」
あわてて声をかけ直すと、流石に気づいたらしく振り向いた。
「あ、みなさん‥‥どうしたんです?」
隈の出来た顔を前にウルリケは、曖昧な固い笑みを浮かべる。
「‥‥あの後、気になって‥‥来てしまいました‥‥」
杉田 伊周(
gc5580)が、続かなくなった彼女の後を継ぐ。
少女のやつれた様子が、心配でならなくて。
「久しぶりだね‥‥顔色が悪いね。ちゃんと寝てるかい?」
「‥‥あんまり‥‥」
言葉少なく答えるスーザンの後ろから、背の高い男が歩いてきた。
刺激するのを避けようとでもいうように、微妙な距離を彼女との間に保ちながら。
「おや、皆さんスーザンさんのお知り合いで?」
時枝・悠(
ga8810)は見知らぬ相手へ、ぶっきらぼうな疑問を投げ付ける。
「あんた誰」
「これは失敬お嬢さん。ぼくはピョートル・カサトキンと言います。お見知りおきを」
カサトキン。
その姓を聞き紅苑(
gc7057)は、疑わしげな顔をする。
彼女の思っているところを察したか、男がにこやかに目尻を下げた。
「ああ、ドミトリイならぼくの兄弟です。双子でね。似てないでしょう」
言うが早いか紅苑の手を持ち上げ、甲に唇をつける。
女傭兵は反射的に別の手で相手の頬を打ち、腕を引っ込めた。
「‥‥いや、ひどいな」
そう言いながらペーチャは、ちっともこたえてない様子だった。
ウルリケの目から見ても、これがあのミーチャと血縁関係があるなどと信じられない。
そんな視線にまたも微笑みで返す彼は、教会の扉を指し言った。
「ま、とりあえずお話するなら道端より中でされてはどうですかね。かわいいお人」
「入れるんですか? 私たちはここの信徒ではありませんけれど」
「でしょうね。でもいいと思いますよ、別に。うるさくさえしなければ。ミーチャが先に神父さんに断り入れてるはずですし」
言われて皆が中に入ってみると、がらんとしていた。
教会に付き物と思われる長椅子がないからだ。隅の方に1人掛けのが数点置かれているだけで。
奥は聖画で飾られた大きな衝立で仕切られていた。左右に旗が掲げられ、真ん中が門の形になっている。
普通よくあるプロテスタント、カトリック系統の作りとは、かなり趣が異なる。
「あれはイコノスタスですよ。左右のは凱旋旗、真ん中のが王門。あそこから奥は至聖所といって、聖職者とその補佐の方々以外入ったらいけません」
「誰が決めたんだ」
悠の問いかけに、彼は口笛を一つ。
「当然聖職者です。さあさ、お座りください。正教ではお祈りは通常立って行うんですが、何事にも例外ってありますからね」
勧めに伊周はまず、スーザンを座らせた。
本人は別にそうしたいとも言ってなかったのだが、とにかく相当こたえていると診断出来ていたので。
紅苑が近づき、まず詫びる。
「任務とはいえ、先日は失礼しましたスーザンさん。乱暴なことを言いまして」
「‥‥いいえ、いいわ。当然だものね‥‥任務だったし‥‥」
さえない顔色をした彼女を何とか元気づけようと、ウルリケは水を向ける。
「あの、最近はどんなことがありましたか?」
しかし話題の転換先は、相手にとりあんまり好ましくなかったもようだ。
「‥‥最近‥‥最近は‥‥なにがあったかしら‥‥パトリシアの夢のことばっかり‥‥他に何かあったかしらね‥‥」
ぶつぶつ呟いていたスーザンが、急に泣き始めた。
●
ミーチャと共に教会までやってきた人々がまず聞いたのは、悠の言葉だった。
「デカい宗教だと億単位で信者が居るらしいし、頼られた程度でイチイチ助けてる暇は無いだろ、神様にも。だから神頼みなんか、正直あてにならない。そもそも、死んでから顔なんざ使やしねーよ」
「‥‥そっ、そんなことないわ‥‥使いはしないかもしれないけど、あったほうがいいじゃない!」
スーザンは先程ペーチャにそうしたのと変わらず、血を上らせて抗弁している。
誰から見てもそれは、かなりの興奮状態であった
「あ、総一郎さん、来られていたんですか」
「ああ、紅苑もいたのか。それにしても――どうしたんだ、彼女は」
小隊仲間からあらましをざっと聞かされ、彼は、やっとおおよその所を理解した。
「葬式は生者が死者に別れを告げるためのものだが‥‥彼女の葬式は、まだ終わっていないのだな‥‥」
その間、伊周はミーチャと言葉を交わしている。
「Dr、彼らの経過聞いているかい?」
「ああ。危険な状態は脱したが、精神的な面がまだ落ち着かねえんだと。ガキが二人いただろう。家族旅行で来てて、どっちもいっぺんに身寄りがなくなってな‥‥」
それぞれの話を小耳に挟むリゼットは、シロツメ草の花を手に、スーザンへ近づく。
「‥‥スーザンさん。これ」
過呼吸になりかけ胸を抑えていたスーザンは、ふわりと出された花に目を丸くし、少し力を抜いた――勝手に抜けたという方が正しいかもしれない。己の意志で興奮を止められない状態であったので。
「‥‥どこにあったの」
「そこいら中に咲いてますよ。もう春はとうにやってきてますから。パトリシアさんもこのお花、好きだったそうですね」
気が抜けたような沈黙。
ウルリケがスーザンの心を、なおほぐそうと試みる。
「スーザンさん、パトリシアさんが他に好きだったものって、なんですか? 一緒に過ごした時間のことまで塗り潰してしまったら‥‥パトリシアさんがかわいそうですよ。私は幼いときに両親を亡くしましたから、ほとんど具体的な記憶はないんだけれど、でもね、楽しかったっていう印象は残っているの‥‥」
スーザンは手元の白い花を見つめていた。
聞いているかそうでないかはっきりしないが、タキトゥスも話しかける。
「‥‥いくら嘆いてもその子は戻ってこない‥‥気持ちは分からんでもないが‥‥だからこそ、悲しむためだけに思い出すのはよしたほうがいい」
顔を上げたスーザンは、当惑した表情でいる。投げかけられた言葉の意味を咀嚼しかねているように。
元来他人への励ましなど得意でないだけに、どうしようか考えあぐねていた悠は、次の紅苑の言葉にヒントを得た。
「貴女の知っているパトリシアさんは、貴女が今のような状態になる事を強いるような人でしたか?」
「――そうだ、そこだ。彼女は相手に出来ない頼み事をする性質だったろうか、スーザン」
悠は強く言う。相手の鼻先に指を突き付けて。
「実の所私も、あんたみたいな経験をしたことがある‥‥死んだ人間がしょっちゅう夢に出てくるんだ。そこで私は考えた。こいつは人の安眠を奪うようなヤツだったか。なら友人じゃない。殴る。逆にそんな友人でなかった確信が持てるとすれば、出てきてるのは私の勝手な脳内イメージだ。平静を保てない程度で友人の人格を捻じ曲げるようなら、私こそが真に友人とは言えない人間だ。従って、殴る」
それらを繰り返してたら1週間程で出なくなった。毎夜起きたらベッドから落ちてたが。
そう彼女は締めくくった。結局どっちを殴り続けていたのかはノーコメントのままで。
訪れた会話の途切れを縫って、総一郎は短く聞く。
相手の負担にならないように。
「良かったら、その亡くなった彼女のことを聞かせてくれないか」
死を乗り越えるには、死者と向き合うしかない。
故人の生きざまを周囲に伝えれば、記憶は共有される。
一人でも多くに記憶されることで、死者はより確かに生き続ける。
勿論それですぐに気持ちが整理され、片付くのではないが、少なくとも割り切れなさを消化していく手掛かりになる。
彼はこれまで無数の死に対してそうしてきた。仲間とともに。
「‥‥パトリシアとは‥‥小学校のとき‥‥知り合って‥‥」
スーザンが、ぽつぽつと話し始めた。
始めは五月雨のテンポだったが、すぐ豪雨になった。
喋って喋って喋り倒した。
自分が転校した学校にどうも馴染めなかったこと、
パトリシアがそんな時にクラブに誘ってくれたこと、
占いという趣味が共通していたこと、
その内容について度々意見が割れて喧嘩したこと、
自分が能力者になってまた学校を変わることになってからも、よく連絡を取り合い遊びに行ったこと、
パトリシアは旅行が好きだったこと、よくおみやげをくれたこと、
イラストがうまかったこと、
好きな俳優さん、
飼っていた犬の名前、
それらを全部。
ぶっ通しで口を動かしつづける彼女の息が切れ、自然と収まるまで皆聞いていた。
ペーチャは経済誌を読んでいたからどうだか知らないけど。
一区切りついたとき、ミーチャが言う。
「診療所に帰るぞ。そろそろ神父のお勤めの時間だ」
先に立って出て行く彼に、一人、また一人ついて行く。
最後に出て行く紅苑は、扉を閉める前に振り向いた。
イコノスタスの上で鈍色に輝く十字架。
手を伸ばす。届かない御国の象徴に。
「神の国も、黄泉も‥‥死は近くて遠い‥‥ですね。」
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テーブルの真ん中では、大きなサモワールが沸いている。
紅茶、コーヒー、とりどりの香りが交ざりあう。
スーザンは砂糖をたくさん入れたシレットティーを飲んでいた。口数少なく。
彼女の前に、伊周がメダルを差し出す。総一郎と同じく、コーヒーを片手にして。
「高橋君‥‥もし良かったらこれを。支給品なんだけど、ボクが持ってるより君に似合うかと思って、幸せを呼んでくれるそうだよ?」
幸運を呼ぶお守りを見つめる少女に続ける。
「ボクは無神論者なんだけどね‥‥でも願掛けはキライじゃない。何かに縋りたくなる時もあるよね。」
「‥‥ありがとう‥‥」
全員に紅茶とコーヒーを淹れ終わった紅苑は最後に席につき、少しは落ち着いた様子のスーザンに意見した。
今なら大丈夫かと思えたので。
「先程杉田さんも仰ったように、あなたが今のままいては、彼女はずっと迷ってしまいますよ‥‥パトリシアさんを安らかに眠らせてあげましょう。もう十分です」
タキトゥスも半分独り言のような口調で、スーザンに語りかける。
「生きていく事は欠けていく事、だが欠けていくだけではないのさ」
彼女は黙って聞いていた。それから、少しだけ頷いたようだった。
ウルリケはその様子にほっとする。
そこにミーチャが入ってきた。クッキー山盛りの大きな皿を持って。
テーブルにどんと置き、彼は言う。
「食え。大体食わずに考えてるから頭に血が上るんだ」
「食べてもミーチャは腹立ててるよね」
「黙ってろ。ペーチャ」
悠を筆頭に一同それをいただいた。
「後でお墓参り、一緒に行きましょう。お花をもっとたくさん積んで」
スーザンも。
リゼットの誘いに、大きく頷きながら。