●リプレイ本文
霧に没する海の上、舵も取れない船は波間にゆらゆら。
物音はしない。
湿めついた甲板に動く幾つかの光と、人影。
「まったく、よく見えないね〜」
ランタンをかざしたドクター・ウェスト(
ga0241)はぼやいた。
潮臭い濃霧は深く、前甲板からは船尾もかすんでしまう。
覚醒している彼の眼差しは赤く光り、周囲に目の形をした紋章が浮き上がっているのだが、それもまた滲んで見え、白い闇を貫き通せていない。
「ハンサムズアイ!」
鐘依 飛鳥(
gb5018)――ただ今マスク着用中なのでハンサム仮面――はギラと目を凝らしそれに対抗しようとする。
しかし現実に何が変わるわけでもないので、Eキットの懐中電灯をつけることにした。
足元を照らすと、釣り具が散乱している。
「‥‥釣りがしたくなるな」
彼らはさほど焦っていない。
報告によれば、既に事件は終わってしまっている状態なのだ。
船員は全員行方不明であり――まず間違いなく1人のこさず死亡している。これから先犠牲者が出ることもない。
サンショウウオ形態のキメラは船底の倉庫で、自ら二度と外界に出られない状況に陥っている。
「まな板の上の鯉成らぬ‥‥船底の山椒魚‥‥」
終夜・無月(
ga3084)の呟きに、ソウマ(
gc0505)が合いの手を打った。キメラへの冷笑を交えて。
「学校で習った事のある井伏鱒二の『山椒魚』と同じ状況ですが‥‥なんともマヌケな姿ですね」
沖田 護(
gc0208)もまた同じことを思った。
とは言え、文学的感性に浸っている暇はない。
彼が気になるのは、キメラのいる倉庫の状況である。
送電線が切れて、もう冷房が効いてはいないということだった。
もしかしてキメラの食べ残しがあるとすれば、腐敗現象が起こっているかも知れない。
「異臭がするときは、無理に前進しないでください。AU−KVの僕が、まず前に出ます」
前以て、かく周囲に伝えておく。
「まあ、場所柄今の時点で、すでに生臭えけどな」
この中にキメラの体臭など隠れてはいまいかと須佐 武流(
ga1461)は鼻を鳴らす。
本物ならば、山椒に似た匂いがするはずだが。
どちらにしても視界は不良。それ以外の感覚を研ぎ澄ませるほか無い。
相手はいる場所から動かないわけだから、やり損ないはしないだろうが‥‥。
ところで鈴木庚一(
gc7077)は、先程から飛鳥の営業に悩まされている。
別に彼へ何をした覚えもないのだが、一方的に「静かなるナイスガイ」認定をされてしまっているのだ。
「美の探求者、ハンサム仮面だ。宜しく頼もう」
と親しく肩を叩かれ、名刺を渡される。
その名刺たるや。
『くっしのはんさむかめん かねより あすか』
幼稚園児が書いたのかというような代物。
「ふ、子供でも読み易いようにとひらがなのサービスだ。ハンサムに抜け目は無い」
(せめてカタカナ交じりにした方が読みやすくないか‥‥)
しかし庚一は面倒臭いので、そうと口で指摘しなかった。
「‥‥あー‥‥生憎俺は名刺は持ち合わせてないが、鈴木庚一だ‥‥。‥‥まあ、よろしく‥‥うん」
弟とよく似た相手のテンションの高さに、早少し頭が痛くなりかけて来ていたので。
ウェストはあちこち指の背で叩いたり、足で踏んだりし、大体の強度を調べる。
「船は曳航できれば良いのだろう〜」
船の上部からキメラのいる倉庫の天井までぶち抜く算段なのだ。瓶詰状態の相手に正面からだけだと、手間取りそうなので。
船体構造についての詳細は、すでに保安員からとっている。
「あ、僕もお手伝いしますよウェストさん。その前にひとまず直せるところがないか、見てきます」
言い残し、ソウマは機械室へ向かう。照明のまだ生きているところがあれば、復旧させておきたいと。
飛鳥と無月はウェストと協力し、上からの攻撃役を買って出た。
かくして護、庚一、武流が倉庫に降りて行く。
船底は霧に加えて暗さも増し、甲板以上の視界の悪さ。
庚一がところどころ懐中電灯で確かめてみれば、壁がへこんだりしている箇所がある。キメラが暴れた跡らしい。
先頭を行く護は、AU−KVの胸部ライトで前方を照らす。
幸い人体に危害を加えるほどの腐敗は起きていないらしいが、なにかこう、生物に根差す悪臭はしてくる。
掃除しないで放置された緑亀の水槽といった具合の。
暗い倉庫の入り口まで来て、3人ははっと身構えた。
パンパンに肉の付いた顔で入り口を塞いでいるサンショウウオの他に、何ともう1匹両生類いや爬虫類がいたのだ。
丸っこくて角をつけてサングラスといかしたビキニパンツをつけた竜の守護神「な〜が君」――中身はUNKNOWN(
ga4276)が。
彼はサンショウウオが飽かず繰り出してくる幅広な舌を避けながら、それと(一方通行な)会話をしていた。身振りで。
うんうん。判るよ。大変だな。頑張れ。
そして3人に気づき、驚いたようにじたばたする。鳴き声を出して。
「みぎゃ?!」
これは誰なのか、というか何やってんのか。
かなり不審に思う3者でありはしたのだが、目下キメラが最優先なので、謎の解明は後回しにするとした。
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「構造上、ココがキメラの真上だね〜」
ウェストが指さしたのは船室の床だった。
彼らの上には細々とではあるが、蛍光灯がついている。
照明が、ソウマの手により復旧したのだ。
といってもその数は少ない。
キメラと船員との死に物狂いだったろう戦闘の際、多くが壊されていたので。
「で、コッチが前だよね〜?」
ウェストは機械剣αの刃先で床をつつく。
彼の周囲には、炎剣「ゼフォン」を手にしたソウマ、「明鏡止水」を携えた無月、「血桜」を持った飛鳥がいる。
「まぁ‥‥犠牲者が出ていますので情けは無用にて‥‥」
無月が言い、第一刀を加えにかかる。
●
「‥‥あー‥‥何とも間抜けっていやあ、間抜けなキメラだわな‥‥。と言っても犠牲者も居る訳だし、早々に消えて貰うかね」
扉に収まり切れないくらいの顔に言い、庚一は洋弓「アルファル」を撃った。相手の舌が届かない位置から。
的が大きいので目を瞑っても当たりそうだったが、まずは攻撃手段となっている舌を狙う。
当たった。
舌は一瞬びくっとなり、口へ戻される。
続けて目も狙おうとしたのだが、ぶつぶつのいっぱいついた顔面にある目はとびきり小さく、捜し当てるのが容易でない。
そこに武流が、「スコル」による蹴りを見舞う。
ハイ・ミドル・ロー、回し蹴り、飛び蹴りを組み合わせ、立て続けの連続攻撃だ。
たまらないとばかりサンショウウオは、顔を奥に引き込め、体を曲げたまま動かし、入り口に尻尾側を持ってくる。
「あ、このヤロ、セコイ真似すんじゃねえ!」
武流の罵倒もなんのその、そのままの姿勢を維持しようと務める。
だが体の位置を変えたからと言って、非物理攻撃される際には、今一つ効果があるようでもなかった。
「超機械出力上昇、一点集中で表皮の抵抗を貫きます」
護は「ヘスペリデス」をかざし、キメラの心臓部に向かうよう、電磁砲撃を行った。
巨体が跳ね上がったのあろうか、中でドタンと大きな音がした。
倉庫の壁が軋む。
サンショウウオは黙ってやり過ごせる相手でも無さそうだと悟ったか、再度位置を変えた。
顔は出さないが、前足を1本どうにか狭い穴から突き出し、外にいるものを引きずり込もうと試みる。
「おっと、そう来ねえとな!」
武流はその攻撃を甲で叩き払い、手の付け根に忍刀「颯颯」を深々突き刺した。
ちなみにな〜が君は、反復横飛びで攻撃を受け流しているばかりで、特に戦ってはいない。
太い指に付いた爪が、護のプロテクトシールドを引っ掻く。
そこに無線が入った。ソウマから。
「今から打ち抜きますから、気をつけてください!」
一同さっと後方に飛びのく。
ややして天井が崩れ落ちた。
人工照明の光が、暗い倉庫内をぼんやり照らす。
サンショウウオは驚いたのか、巨大な頭をそちらに向けた。
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破れた天井から見下ろす。
はち切れそうに膨れ上がった体を丸め、空間を占有しているサンショウウオの輪郭が、飛び込んで来る。
「成長したというより、食べた分だけ大きくなったのだろうね〜」
ウェストが分析する間にも、悪臭がむっと立ちのぼる。
腐臭というより、排泄臭だ。
外へ出られなくて、何日も閉じ込められた状態だったのだから、当然の帰結。
キメラ自体は別にそんなことどうだってよかろう。
「食い意地の末路‥‥醜い! 美の探究者としてその性根を討たねばなるまい」
しかし飛鳥はその光景に憤激した。無線機で下に呼びかける。
「これより本官は突入する! 行くぞ、紅姫」
「血桜」を自分が与えた名で呼び、床を蹴ってぽっかり空いた空間に飛び込んだ。気合満満で。
「その脂肪に喝ぁあつ! 紅姫フルパワぁああ!」
サンショウウオの頭は上向いたままだ。
閉じ込められていた空間が破られたということは、理解したらしい。
壁に手をかけ、敗れた天井向けて身を持ち上げかけている。
その鼻先をかすめる形で一撃が入った。
キメラの上顎と下顎が切れた。青黒い血がポタポタ落ちる。
だが致命傷とはなり得なかった。
べろりと傷口を拭った後、舌は自分の顔の先へ落ちてきた相手に向けて延ばされる。
汚物でぬるぬるした床に足を取られそうになっていた飛鳥は反応が遅れた。
その上半身に舌が絡み付き――次の瞬間、ずばりと切れる。
「みぎゃ!」
な〜が君が、着ぐるみの中に仕込んでいたライトニングクロウで一撃を加えたのだ。
切れた分の舌は、床の上でのたうちまわる。
それを踏み付けにして、無月が参戦してきた。
彼は太刀でキメラの脇腹を狙い、突く。
敵の体勢上、どうしても急所が狙いにくいが、そこは勢いでカバーする。
一度開いた傷口をなお深くえぐる。
サンショウウオは全身で暴れ、彼を体から離そうとした。
後足で立ち上がり、自由になった上方向へなお逃避を試みる。
立ち上がると巨躯は甲板まで届きそうだ。
前足が縁にかかる。
出てきた手目がけ、ウェストがエネルギーガンを撃った。
キメラは一旦手を退けたが、切られた舌を、短いながら延ばしかけてきた。
「‥‥その攻撃はもう見切ったよ」
ソウマはそれを炎剣「ゼフォン」で焼く。
舌も急いでひいた。
彼は剣と超機械「扇嵐」を使い、舞を始める。
風と炎で霧を吹き払うため。
呪いで敵を縛るため。
「‥‥死へと誘う歌と踊り、抵抗するのは無駄ですよ」
両生類の手が縁からずり落ちる。
だが壁に体重をかけ、寄りかかる形は変えようとしない。
上から光が来るようになったので、先程と比べたら、格段に状態が見えやすくなった。
武流は壁を跳躍の足場にし、回転を加えた蹴りを入れた。肉が抉れるほどの。
続いて「雷遁」で、先に突き刺した刀目がけ電流を流す。
護も傷口目がけ電磁波を送り込む。
サンショウウオは反動でもんどりうち、あおのけざまに体を傾ける。
傭兵たちは巻き添えを食わぬよう、おのおの素早く避ける。
倒れても体を延ばせる空間はないから、反対側の壁に背中を持たせ尻餅をつく形になった。
手足の短い構造上、サンショウウオは素早く体勢を立て直せない。
援護をしていた庚一は、ここぞとばかりその顔、特に目付近を射る。
無月が露になった急所目がけ、矢継ぎ早に切り込んで行く。
飛鳥が吼えた。
「この船の船員は貴様の余分な脂肪になる為に生まれてきたわけではないのだ! 断て紅姫!」
彼は愛刀を、ぬんめりした黒い喉元に叩きつけた。
錆び臭い血液が脈打って吹き出す。
そうさせている心臓目がけ、武流が最後の一撃を加える。
「The End!」
脚甲は分厚い皮膚を貫き、その下に蠢く内蔵器官を潰した。
サンショウウオは痙攣し、そのままの姿勢でゴロゴロ言い出した。
死ぬ前のいびきだ。
しかしそれは、待っても待ってもなかなか終わりそうにない。
細胞回収を急ぎたいウェストが、止めをさすこととした。
サンショウウオの頭目がけエネルギーガンを何発も放つ。
頭部がすっかりえぐれてから、完全な沈黙が訪れた。
「しぶとかったなあ」
思わず漏らされた飛鳥の言葉に、彼は笑う。
「いやいや、サンショウウオは別名ハンザキとも言ってねえ〜半分に裂いてもまだ生きているっていう意味でさ〜生命力には定評があるんだ〜。まあ、ゴキブリには負けるだろうがね〜」
武流は幾らか残念そうだ。
「本物のサンショウウオは絶滅危惧種‥‥キメラじゃなければ‥‥見逃せたのにな」
そこから間を置いて、庚一が言う。
「‥‥あー‥‥そういや山椒魚、食べれるんだっけか? まあ、俺は食べんがね‥‥」
な〜が君が勝利宣言のつもりなのか、みぎゃーおと吠えて火を吹いた。
事ここに至って余裕も出来たため、護はちょっと聞いてみる。
「あのー、ところでアナタは誰ですか? 能力者だというのは分かるんですけれど」
な〜が君はそれに対し、聞いてくれるなと首を振った。
「みぎゃみぎゃ」
コミカルな動きで場を離れ、甲板に行き、いつの間にか漁船に横付けされていたクルーザーに飛び乗り、エンジンをかける。
空に向かって炎を吐き消えて行く。霧の彼方へ。
「ぎゃお〜!」
叫び声を残して。
皆が無言で見送る中、ソウマの指摘。
「傭兵でクルーザー持ってる人って、決まった人を除いたらそうそう居ませんよね‥‥」
再び訪れる微妙な静けさ。
気を取り直し、護が言う。
「船とキメラの死骸は、港まで曳航するんですよね。ウェスト博士」
「ああ、そういうことになってるみたいだよ〜」
「それじゃ、僕が警察やULTなどに連絡しておきましょうか。犠牲者への追悼もありますし」
「そうだね。頼もうか。我輩これから細胞収集やらなにやら忙しいからね。海の両生類は浸透圧の関係で珍しいのだよね〜。最近新種のカエルが見つかったくらいかね〜‥‥ああ、キメラは別だよ〜。戦ったこともあるしね〜」
飛鳥はそんな会話をよそに、一人海に向かって船員の冥福を祈る。
庚一も海を向いているが、彼のはただ面倒臭そうにしてるだけ。
無月は甲板にあいた大穴をちらりと眺め、物憂げな表情をした。
「何がしたかったんでしょうね‥‥」
武流は肩をすくめる。愚問だと言いたげに。
「何って、別にないんじゃないか。キメラなんだからよ」
そこにソウマが一人ごちる。
「キメラでも孤独を感じる事はあるのか‥‥?」
振り向いた2人に、悪戯っぽく笑って返す。
「‥‥戯言ですね」