●リプレイ本文
● なじむ
「ここが家?」
「はい、そうです。そして私たちはあなたのお世話をするロボットです。思い出していただけましたか?」
問答しても時間の無駄だなと後藤 浩介(
gc2631)は判断し、それ以上突っ込まなかった。
「‥‥ああ、なんとなくそんな気がしてきた」
「そうですか。それはようございました。では、朝食をお作り致します。本日は何をご所望でしょうか」
「チョコだチョコ! まずチョコをたらふく食う! うどんにチョコソース、焼きそばにチョコソースだな。で、ホットケーキミックスをベースに、チョコレートを練りこんで、お菓子だけでお好み焼き作る! で、それを白飯に‥‥出来るか?」
注文に対し、ロボットは忠実だった。
「はい。ではそのようにいたします。食堂にてお待ちくださいませ」
要求があっさり通ったので、浩介は大喜びする。一般家庭なら親に阻止されそうな食べ方を、この機会にやり尽くすとたった今決意する。
普段はチョコソースで我慢している分、ラーメンにバターの代わりに固形チョコレートを入れたり、ステーキにチョコレートを塗りつけたり‥‥夢が膨らむ。
「くーっ、楽しみだぜ! 誰にも何も言われねえって最高だよな!」
クローカ・ルイシコフ(
gc7747)の目に映るのは、庭。大きな花束とみまごうばかり、花盛りな林檎の木。その合間から覗く蒼穹。
「そっか、800年後か‥‥」
大空。それだけは一緒だった。生まれてからずっと見続けてきたものと。どこまでも、どこまでも。
「いつの時代も空だけは変わらないね。僕らは、時の流れに浮かんだ一瞬の泡沫か」
フフ、と彼は笑った。少し寂しそうに。
目の前に用意されているパンケーキを一口ほお張り、甘いミルクティーを飲む。それから椅子をひいて立ち上がる。
(行こう)
一番空に近い場所へ。同じ美しさを湛えた空を見に、同じ匂いの風を浴びに。
「お出掛けですか?」
皿を下げに来たロボットが聞く。
「うん。ちょっとそこまでね。ええと、この周辺で一番高い場所は、どこかな?」
サラダ、トースト、スクランブルエッグ等のモーニングセット。そして紅茶。
頼んだ通りの昼食をとりながら、シヴァ・サンサーラ(
gc7774)は、開け放った窓の向こうに耳を傾けた。入ってくるのは、飛び回る蜜蜂の羽音、小鳥の鳴き声、風にそよぐ若枝のざわめき。平穏をかき乱すものは何一つない。
「バグアやキメラがいない、争いのない世界は素晴らしいことですが‥‥」
確かに人類の大半はそう望んでいたし――自分も同様だった。バグアがいなくなり、人類同士の争いもなくなれば、どれだけ素晴らしいだろうと。
なのに、いざそれが目の前に現れると、何か物足りない。
「傭兵として、戦場にいたからでしょうか」
朝食を終えると、どこからともなくロボットが、実直な給仕みたいに近づいてくる。
「お下げ致します」
シヴァはなんとなく悪い気がした。甲斐甲斐しくされ過ぎるようで。
なので、散歩に出掛けてくると言ったとき、上着を持って参上してきた彼らに、断りを入れる。
「自分で出来ますから」
「そうですか。では、お車を‥‥」
「いえいえ、歩いて行きます。危険なこともないでしょうし」
エルレーン(
gc8086)は、焼きたてバターロールを齧る。
「‥‥あ、おいしい」
未来世界でも食べ物の味などに変化はないらしい。不思議なような当然なような。
スクリーンのニュースはすぐ終わり、またクラシックと風景が映し出される。どことも知れない森や草原やに続き、色鮮やかな魚が泳ぐ南の海‥‥。
体は温まるし、お腹は一杯。何処へ行くあてもないけれど、ドライブの一つもしてみたくなった――けれど車などあるのだろうか。
遠慮がちにその旨ロボットへ申し出てみると、幸先いい答えが戻ってきた。
「はい。それでしたら、ガレージにございます」
案内されたガレージに向かうと確かに、銀色の車があった。
「あ、車輪がないんだ」
近づくと車体がふわりと浮き上がり、自然に扉が開く。ものを言う。
「どうぞお乗りくださいませ」
目を白黒させて乗り込むと、ゆったりしたシートが前後にあるばかりで、後はハンドルも操作盤もなにもない。
「わぁ‥‥すごい、運転とかもしなくていいの?」
「その通りでございます。本日はどこまで行かれますか?」
はて。そこは決めていなかった。
しばし迷って彼女は、おずおずこう切り出す。
「トショカン‥‥は、あるかな?」
「トショカン‥‥行政総合センター内資料閲覧室のことでございましょうか?」
「あ、ああ、そう、多分そこよ、お願いしていい?」
● まよう
楊 雪花(
gc7252)は眉間に置いた指を外し、ぐっと拳を握った。
「ヤーヤー了解ネ。アメージングな奇跡がワタシを襲たコトだけは認めるヨ。ところデ」
そしてずずいとロボットに顔を近づける。
「今の人達はココロやカラダについての悩みとかないノ?」
「ほとんどございませんが、もし万一ある場合は、福祉病院にて治療致します」
雪花は残念そうな顔をした。肩を落として息を吐く。
「それじゃワタシの店のお客も居ないのだろナ‥‥アイヤー何だかつまらない世の中ダ」
こんな桃源郷で一体何をどうしたものかと部屋を歩き回る。そして、急に立ち止まった。
「一応聞くけド、統一政府てどうやて世界を統一して「理想社会」を築いたノ?」
人間がそこまで物分かりよく一致団結するだろうかというと、彼女には相当疑わしく思えた。
しかし、ロボットがこれについて返したのは、たった一言だけ。
「人道的手段を以てです」
予想に勝る面白くなさに雪花は辟易し、手を振った。
「アー分かたもう良いヨ、アリガトネ」
別に気を悪くする様子もなくロボットは、「そうですか」と応じる。そして、相手が何やら部屋のあちこちを開きごそごそしだしたのを見、首を傾ける。
「どうされましたか」
クローゼットからリュックサックを引っ張り出した雪花は、しかつめらしく言う。
「ワタシは暫く旅に出てくるから後ヨロシク。行き先ハ誰にも言うんじゃないヨ」
「お出掛けですか。それでは携帯食をお作りしましょうか」
「‥‥そうだネ。何か見繕てもらおかナ」
しばらくの後ガレージには、膨らんだ荷物を車に押し込む雪花の姿があった。
「ほんじゃAIサン、旧都市の廃墟巡りと行こうかネ」
ご飯とみそ汁と焼き魚。副菜幾つか。
それらを腹に入れ人心地ついた後も、西島 百白(
ga2123)にはまだ、信じかねる。
「‥‥戦争が‥‥昔の出来事‥‥?」
とはいえ周囲は明らかに、これまでいた場所ではない。
自分の生きていた場所は、たとえそこがどんなに穏やかでも、裏に必ず緊張感があった。いつ危険が訪れるかもしれないという。それがまるでない。混じり気なしの平穏とでもいうか、一度たりと味わったことがない空気だ。
「過去の情報が‥‥見れる所は‥‥有るか?」
この質問へロボットは、自信ありげに頷いた。
「はい、ございます。行政総合センター内資料閲覧室です」
「‥‥案内‥‥出来るか?」
「はい。もちろん」
● なじめぬ人
(キリル君ちのカウンターで、寝てたはずなんだけどな‥‥)
夢守 ルキア(
gb9436)は手元を見た。変わらず銀色に光る銃「カロン」がある。
だが世界は変わり果てている。この支給された覚えもない庭と、同質のものになってしまっているらしい。甘く優しく、誰をも傷つけない安全地帯。地上に舞い降りた天の国。完成された平和。
「‥‥平和って何?」
彼女はロボットに問いかけた。
「戦わないコト、それとも、望まないコト?」
質問の意味がいまいち掴めなかったか困惑している相手に、ゆっくり、一つ一つ区切って続ける。
「此れは‥‥私の理想じゃない。きみの、望みは?」
「わたしの望みですか? あなたの世話をすることです」
その答えを、彼女は笑って突き放した。
「そう。でも、私は世話されたくないんだ。朝ごはんだけでもうたくさん。そういう考えが邪魔だと言うなら、殺しにおいで」
きょとんとしているロボットを置いて、彼女は庭から出て行く。自分の足で歩いて。自分で準備したリュックサックをかついで。ヒトを見て回るために。
「まずは、周囲の探索だよね!」
一通りの認識を終えた後、マキナ・ベルヴェルク(
gc8468)はロボットに背を向け、無言で食卓を後にする。
玄関の戸を開けると、ツツジが門まで真っすぐ伸びる道を彩っていた。
深紅、桃色、緑ががった黄色、綿のような白。そのあいなかを彼女は、逃げる様に行く。
「此処は‥‥」
音のない雪のように後から後から降り積もってくる平穏に耐えられない。
門を出た先には、呆れるほど広い道があった。
間隔を置いて豪邸がぽつ、ぽつと建っている。家が隣接しているというよりも、公園が隣り合っていると表現した方が近い。庭から出たのに出ていない錯覚に陥る。
目を伏せ、走りだす。
「――――」
一刻も早くこの場から離れたくて。
「朝食が残っておられますが」
実際これこそ望んでいた世界なのだ。皆は平等であり誰も階級差で苦しまない。貧困に悩むこともない。
それなのにキリル・シューキン(
gb2765)は、説明不能な苛立ちを押さえられないでいる。
「いらん」
ロボットに言い付け引っ張り出してこさせた、時代遅れのボルトアクションライフルを手に、出て行く。戦争でもやる気かというほどの弾薬を背嚢に詰め込み、ポケットにスキットルを入れて。
春だ。花に溢れた広い街区では、所々にカフェがある。
誰一人声を荒らげない。穏やかな何をするでもない集まり。寝ているのもいる。
その上にロボットが毛布をかけて回っている。子供を相手にするように。滅多に笑わないキリルの口が、上向きに歪んだ。
「‥‥ハッ、ハハッ。生物の頂点に立ったと思った人間が、何て有様だ」
状況を把握すると同時に、夜刀神を持って外に出るレインウォーカー(
gc2524)の背に、ロボットが呼びかける。
「あの、朝食は‥‥」
無視する形で彼は階段を下りて行く。
ロボットが邪魔をするようなら叩き斬ってやろうと思っていたが、そこまでしつこくは追ってこなかった。どうやら人間の意志に反することはしようとしないらしい。
目に映る町は――町と呼んでいいのかどうか。生活臭というものがさっぱり感じられない。
人間はただぶらぶらしているだけだ。花を見たり芝生に横になったり、たあいなく話をしたりして。
「全てを機械に任せ人はただ一日を過ごすだけ。こんなつまらない場所が平和と秩序の行き着く先。理想の世界だって言うのかぁ?」
一人ごち、ふと気づく。
能力者になる前――対人傭兵になる前は、自分とて同じように平和と秩序の中で生きていた。生きていきたいと思っていた。それがどうだ。今ではそれらを拒絶しようとしている。
「戦い殺し続けてそれ以外の全てを忘れて、少しずつ思い出してきたと思ったけど‥‥こういう世界を受け入れるのは無理みたいだなぁ」
彼は喉を震わせた。自嘲も含めて。
「道化に相応しい場所は戦場かぁ。ははっ‥‥それを再確認できたって意味ではこの世界に感謝だなぁ。対比物があるからこそより一層分かりやすくなる」
● かわってしまったもの
資料閲覧室にあるのは、座り心地のよい、ふかふかした椅子の列。それから、宙に浮いた無数のスクリーン。
百白はひとまず座り、先に来ていたエルレーンに聞く。
「‥‥で、どうしたらいいんだろうか」
「えーっと、ええとですね。検索管理者に口頭で質問すればいいんだと、車さんは言っていました」
ひそひそやり合っているところ、眼前のスクリーンから声が響いてきた。
『おはようございます。私は行政総合センター検索管理AI・ミネルバです。どんな音楽、歌、詩をお探しでしょうか』
「え、あの、どれも違います。その、過去のニュースを知りたいんです私たち。800年ほど前の、バグアとの戦いについての記録とか‥‥ありますか?」
「‥‥俺もそれが知りたい。出せるか?」
『戦争ですか? これはまた珍しい。しかし、見ても面白いことなど何もありませんよ?』
「‥‥そこは十分分かっている。だが知りたいのだ」
「お願いします」
『了解しました。それでは』
目の前に文字が現れ、朗読される。
第三次世界大戦:1990〜2013?
人類史上初めての異星間戦争。バグアと名付けられた寄生型生命体により人類は、最終的に当時の人口の3分の1を失うこととなる。この戦いにおいてエミタと呼ばれる特殊エネルギー体が使用された。それを人間の体内に埋め込み、特殊戦闘員(能力者と呼ばれた)が作り上げられ、大型人型兵器KV、小型実装人型兵器AU−KVなども生産された。
それらの技術の総称をエミタロジーと呼ぶ。
この技術自体は勝利によるバグア消滅と共に衰退し、失われた。
『以上です』
「えっ。こ、これで終わりなんですか? その、もっと詳しくは‥‥武器とか、どういう経過だったとか‥‥」
『閲覧できる詳細資料はございません。そのようなものは人類にとって有害であると認定され、検索システムから完全削除されておりますので、はい』
エルレーンは絶句する。
「あの‥‥でもですよ、その‥‥その戦争に係わった、例えば傭兵などの個人名は‥‥」
『戦没者名簿ですか? それならば出せます。どうぞ哀悼の意を表してください。不幸な時代の犠牲者たちです』
自分の名前があるかどうか分からなかった。何故なら、生年月日と名前が完全に重なる人物が無数にいたからだ。そしてそれ以外の情報がなかったからだ。
途方に暮れる彼女の横で、百白はぼそりと呟いた。
「‥‥本当に‥‥未来なんだな‥‥ココは‥‥」
雪花は町から最も近い場所にある(それでも十分遠いが)廃墟に足を踏み入れる。
それは、柱と壁の一部しかなくなったビルだった。至るところから草が生えツタが絡み付き、もはや遺跡状態だ。
光るものが見えたのでしゃがみこむと、10C硬貨が落ちていた。月日の流れにより摩耗したおしているが、間違いない。むろん拝借し車に戻る。
続けて都市圏から最も遠い廃墟へ直行してくれるよう、車に申し付けた。
「ワタシの店のお客になりそうなへそ曲がりとアブノーマルな人はそういう所に居そウ」
というのが理由だ。
方向を変え、また幾つも丘を越え、ついた先は雑木林。
そこにあった廃墟は、先程とは桁違いに大きかった。
緑と花に侵食されているのは言うまでもないが、それでもざっと昔の様子を察する事は出来る。滑走路、兵舎、倉庫。
「どうも基地だたナ。もしかして知てる所だたリ」
好奇心を持って探りを入れてみようとしたところ、彼女は素早く身を翻した。銃声が聞こえてきたのだ。
物陰に隠れると銃声がまた聞こえ、頭上の枝が打ち落とされた。
明らかにこちらを狙っている。
「結構結構、平和でない人もやぱしいるのコトネ」
うそぶき、上下左右目を動かす。木苺の茂みがかすかに動いた。
ポケットから硬貨を取り、投げる。
「食らうがイイ、決め手の銭ヨ!」
カツーンといい音がし悲鳴が上がった。得たりとばかり彼女は拳骨ほどある石を引っつかみ、駆け出す。止め――もとい戦闘不能を狙っての攻撃を食わすつもりなのは言うまでもない。
それを察したか相手は分別よく、急いで白旗を上げた。
「参った参った! そろそろ、ちゃんばらごっこは終わりの時間かねぇ」
雪花は残念そうに石を捨て、聞く。
「お宅、どちらサン?」
「あ、オレ後藤浩介。いやね、子鹿を追ってる途中でこんなとこ見つけてさ‥‥」
あまり走り続けたので息を切らしたマキナは、ようやく止まった。
目の前には若葉に包まれた林がある。その中へよろめきながら入って行く。
茂みからウサギが出、特に怖がりもせず彼女を見、反対側の茂みに入って行く――すでに動物にとって人間は恐怖の対象ではないのだ。
マキナ自身はと言えば、蜂蜜の中に落ちた蟻になった気分だった――自分のみでなく人類全体が。甘美を味わいながらずぶずぶ沈み窒息していくのだ。蜜の名前は平穏、平和、安寧。誰も否定出来ない至上の価値。
血と狂気に塗れて戦ばかりの世界が地の獄ならば、此処は安寧に微睡み頽廃して腐り落ちる天の獄に他ならない。どちらにしても牢獄なのだ。無間の修羅道をも駆け抜ける英雄、その姿こそを渇望し地獄を肯定した彼女には。
「――私は、こんな結末が欲しかった訳じゃない‥‥!」
『英雄』の要らない世界。それは確かに素敵な物だけれど。けれど、けれど一切の苦しみから解放された無垢の浄土などいらない。それは単に、不実で不毛なだけだ。
「この世界の何処に、私は生きていると言う‥‥こんな世界で、誰が私を見てくれると言う‥‥」
安寧が欲しい。けれど、自身が“生きている”と実感出来る世界が欲しい。
相矛盾する渇望にあえぎながら行く彼女は、急に歩調を速めた。行く手に開けた明るい場所があるのに気づいて。
そこには、遺跡と化した基地があった。
爛漫と咲き誇る春の野花が目に痛い。華やいだ花葬としか見えない。
マキナは膝から崩れ落ち、地を殴りつけた。
「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ―――!」
「全く、どしてこんなことになたかね」
アルマイトのコップに茶を注ぎながら、雪花がぼやく。
それを受け取り、浩介が言う。
「さあなあ。でもこれが進歩ってものなのかも知れないぜ、ことによると。俺はとりあえず、そんなに悪くない世界だと思うけど。ロボットが毎日チョコ料理作ってくれるしな」
「この先糖尿必至だネ浩介サン。で、これからどうする気カ?」
「そうだなあ‥‥ボチボチ考えるでいいんじゃねえの? 時間はたっぷりあるだろ。働かなくていいみたいだし。お前はなにかしたいことでもあるのか?」
自分のコップに注いだ茶を飲み、雪花は答える。
「そうネ、ワタシはひとまず雪花軒再建してみたいヨ」
そこで二人とも、顔を上げた。すぐ近くで悲鳴じみた叫びが聞こえたのだ。
何ごとかと声がした方へ駆けつけてみると、マキナが地に伏し号泣していた。地面を殴りながら。
「おい、どうした。落ち着けよ! 手えずる剥けになんぞ!」
「ほっといてくれ! 私は、私は存在理由をなくしてしまったんだ‥‥!」
「アイヤ、なんだか追い詰められてるネ。まあお嬢さん気を取り直すヨ。心の落ち着く漢方茶処方してあげるからサ」
● かわらないもの
歩道に植わっているライラックは満開だ。町中というのになんという静けさだろう。時々車道を滑って行く、恐らく車と思われるものさえ、ほとんど音を立てない。
人々はゆったり過ごしている。
仕事はないが趣味を持つ人はいるもようで、道端でカンバスを立て絵を描いたり、バイオリンを弾いたりしている姿も見受けられた。ゆるやかな川にボートを浮かべ、釣りをしている者もいた。
シヴァは最初、それらを微笑ましく見ていた。だが徐々に、漠然とした疑問が生じてくる。
(‥‥これでいいのでしょうか)
誰も社会に対して何もしていない。この世界は機械が大から小まで代わりにやってくれるのが前提なのだから、これが自然な在り方なのだろうが。
思いながら進んで行き郊外に出る。
一面の野原だった。どこまでも続くゆるやかな丘の連なりに、クローバーが数限りなく咲き誇っている。
「見事ですね」
ひとまず一番手近な丘に登り、座り込む。
離れたところから改めて市街地を眺めると、来た方角の反対側にも広く人家が点在しているのが分かった。
中程には、段違いに大きなピラミッド型の建物が建っている。
あれはなんだろうか。考えかけるが大分疲れてきたので中断し、周囲の花を見回した。生のままの鮮烈な匂いがする。
「‥‥パールヴァティも連れてきたかったですね‥‥きっと、喜ぶでしょう」
亡き最愛の彼女を思い出しながら、クローバーの花冠を編み始める。
そこに、ふらりとルキアがやってきた。
「何してるのさ」
「ああ、ルキアさんですか。いえね、昔のことを思い出して‥‥手慰みですよ」
「ふうん‥‥ねえ、ここについてどう思う?」
「きれいな所ですね。私が知っている地球に、このような景色がどのくらいあるでしょうね」
「なるほど、そういう見方もあるんだ。でも、私は好みじゃないなあ」
言いながらルキアは去って行く。
出来あがった歪な花冠を頭に乗せ、シヴァは、誰にも邪魔されず思い出にふける。
「ここが一番高いところかあ」
ピラミッド型の建物――行政総合センター――の最上階にある小庭園から、クローカは町を見下ろした。
円形状に街区が広がっていて、建物よりはるかに緑が多い。全体が、花盛りの箱庭といった様子だ。
郊外の南側方面には草原が、北側方面には森が広がっている。
空気は限りなく澄んでいる。空は吸い込まれそうな青。
柵に寄りかかりそれらを眺めていると、どこからともなくコマドリが近づいてきた。どうやらここに巣をかけているらしい。興味津々な物腰で、手摺りの上をちょんちょん跳ねる。
「自然は変わらないんだね」
ここで、日没まで過ごそう。流れる雲を、飛ぶ鳥を、吹く風を感じていよう。太陽が沈むまで。
「僕の生きていた時代と同じままだ」
コマドリが鳴き、急に近くの枝まで飛び上がる。
クローカは振り向き、微笑した。
「なんだ、きみですか」
レインが近づいてきて、大仰に肩をすくめる。
「ああ。なんとかの高上がりでさぁ、とりあえず高いところに来てみたんだけど、なんもないのは一緒だったよぉ。つまんないとこだねぇ」
「そうでもありませんよ。あるじゃないですか、風も木も草も――全てが」
「‥‥たまにはお前みたいにのんびりするのも悪くないかもしれないけど、どうにもボクには合わないみたいでねぇ‥‥おっと、またお客さんだよぉ」
黙然と近づいてきたのは、百白とルキアだ。
百白はクローカと同じく手摺りに持たれ、下を見、軽く嘆息した。
「『争いの無い理想の世界』の答えが‥‥これか‥‥」
物思わしげな彼を置き、レインはルキアに話しかけた。
「ルキア、お前はこのセカイをどう思う? ボクには平和と言う名の檻に見えるよぉ」
彼女はちらりと視線を向け、彼に負けず劣らずの調子で言った。
「望みを全て叶えれば、望むコトも忘れて――ゆっくり死んでいく。私は、こんな虚ろなヒトは好きじゃない、目の光も消えて、でも此れが、ヒトの、世界の望みなら‥‥」
そこで言葉を切り、空を見上げる。独り言として口の中だけで呟く。
「養父のカロンは、いない‥‥殺したから当たり前か」
● 拒否
森は明るい若緑に覆われ、差しかかってくる木漏れ日さえ透明に見える。
エルレーンはひたすら奥へ奥へと向かう。
どれだけ歩いたかはっきりしないが、とにかくこの世界の人類から離れたかった。
不可思議さに慣れてしまった今、後にわいてくるのは、絶対的な孤独感。
戦いの歴史は顧みられる事なく消されてしまった。自分や仲間が生きていた証は葬られてしまった。
誰かを「守る」ために戦う術を身につけて、誰かを「守る」ためにともに戦場に向かい、そうやって戦って戦って生きてきたことが、すなわち幸福だったかと言われれば‥‥違う気がする。だが、そこには確かに己のなすべきことがあった。守るべき相手がいたし、戦うべき相手がいた。
けれども、この世界にはもう、戦う者の存在価値はない。むしろそんな者は必要ない。克服すべき敵などどこにもいないのだから。
ただ満ち足りて過ごすだけ。死が迎えに来るその日まで。
「はは‥‥もう守るべき人も、友達も、師匠もいないんですね‥‥私一人ですよ、一人‥‥」
彼女は歩くのを止める。
引きつった笑いはたちまち嗚咽に変わった。
膝を抱えてしゃがんだ上に、桜の花びらが散ってくる。彼女の流す涙と変わらず、後から後から。
ボルトハンドルを起こし、薬莢を捨てる。装填し直しまた撃つ。
硝煙のきつい匂いが春の森の甘い空気を汚し、銃声が静寂を破る。
足元には、すでに何羽もの山鳥と、鹿、猪が転がっていた。もう食べるのに十分だが、それでもキリルは止めない。
「殺しても殺しても、殺しきれないじゃないか」
スキットルのウイスキーで胃袋を燃やし、脳みそをかき回す。そうしないと正気が振り捨てられなかった。正気を保っていたが最後、正気でいられなくなりそうだった。
あんなに望んでいたものなのに、いざ現実になると何故こうも耐え難いのだろう。
「―――ッハア、ハア‥‥!」
酔いが回ったかそれとも別の原因があるのか、キリルは足をふらつかせ木の幹にずりかかった。それでも空薬莢を捨て、再度装填する。
「もう止めといたらぁ? どんだけ狩りたいのさぁ」
声がした方に据わった目を向ける。
「まあこの辺にいんじゃないかなと思って来てみたんだけど‥‥理想の世界でやる事が銃片手にハンティングかぁ。それじゃ今までとあまり変わらないんじゃないかぁ?」
皮肉るレインに彼は仏頂面を返し、体勢を立て直す。
「結局、お前も受け入れられないんじゃないか。この世界をさぁ」
地にツバを吐き、引き金に指をかける。
「‥‥そうだ、生きている実感だ‥‥私が生きているという実感が欲しい‥‥ッ!」
轟音が響く。だがこれもちっぽけな範囲に過ぎない。自分一人がどれだけ撃ったところで大勢にとってはなにほどのこともない。
それを忘れたくてキリルはまた飲む。
「ここから先へ入ってはいけません」
「どうして」
「総合センターの大事な中枢AIのある場所だからです」
ルキアは銃を取り出し、廊下の先へ進むのを制止してきたロボットを打ち砕いた。
そして行政総合センター中枢に向けて走りだした。
どれほど効果があるのか知らない。だが、この世界は変えなければいけないと思う。甘く優しい檻の一角でも、壊してしまわなければ。
世界を愛してる、ヒトの価値観であるセカイも、共有する世界も。だから彼女は、ロボットを――ヒトを壊しにいく。望むセカイを見るタメに。
繋ぎ目一つない廊下を駆け抜ける。追ってくるのはロボットだけだ。
当然だ。人はここに入れない。ただひたすら守られている。赤子のように。
(望むことを、忘れないで。死に抗って、生きたいと望んで)
蟻の巣のような道をかいくぐり、彼女は、堅く閉ざされた巨大な扉までたどり着く。弾はもう2発しか残っていない。
「あなたのしていることはよいことではありません。武器を捨ててください。あなたは何故そうむやみと暴れるのです。それはあなた自身にとって、とても不幸なことです。是非福祉病院に行かれるべきです。精神安定の治療を受けるべきです」
わらわら群れながらロボットたちは連呼してくる。
どうにか出来る数ではない。扉は頑として開こうとしない。
「なるほどね‥‥そうやって誰も彼も腑抜けにしちゃうんだ。だけどさ、私は私のものだからさ――精神安定させたくないワケ。でも分からないんだろうなあ、きみたちには」
彼女は1発撃った後、銃身そのものを武器にしてロボットに殴り掛かった。1体は倒れたが、壊れはしなかった。たちまち複数のロボットに押さえ込まれる。
「病院に。どうぞ病院に」
だが、彼女は力の限り銃を持つ手を動かし、自身の頭へ向ける。
「冗談。死んでもやだね。さっきも言っただろう、私は私だよ‥‥カロン、あんたの技術‥‥私で終わっちゃった」
引き金を引く。
● たそがれ
「これからどこに行かれますか」
「‥‥適当に‥‥走らせてくれ‥‥」
「では、草原を一巡りいたしましょう」
百白は車窓から外を眺めていた。答えのない問いかけをしながら。
「‥‥この世界に‥‥俺の居場所は‥‥有るのか?」
蕩けるような美しい斜陽だ。逆方向からは、藍色のとばりが降りてきている。
「仇のキメラを‥‥狩る為だけに‥‥生きている俺に‥‥居場所は‥‥有るのか?」
胸が痛くなるほどの静寂に満ちた日の終わり。
クローバーの草原が微風に揺れている。どこまでも。
ぼんやりそれを眺めていた百白は、次の瞬間唐突に声を発した。丘の斜面に奇妙な盛り上がりを見つけて。
「‥‥止めろ!」
車を止めさせた後、彼は急いで駆け寄る。
中から草が生え蔦が絡み自然と一体化しかけていたが、見間違えるはずもない。
「‥‥コイツは‥‥KV‥‥阿修羅か?」
とめどない懐かしさを感じ、人を相手にしているみたいに話しかける。
「‥‥誰の機体だ?」
蔦をはいでやると、機体の操縦席が大かた吹き飛んでいるのが確認出来た。
「‥‥撃墜‥‥されたのか?」
いたわりをこめて撫でてやる手が止まる。擦れ、薄れた白い虎のマーク、まごうかたなき愛機のしるしを目にして。
「お前‥‥虎白か‥‥」
そうするはずもないのだが、彼には、この老いさらばえた機体がこくりと頷いたと見えた。
「そうか‥‥」
両目を瞑り、額を機体に押し当てる。詫びを入れる。夕焼けに染められながら。
「‥‥悪いな‥‥待たせてしまったな‥‥」
「おかえりなさいませ」
シヴァが帰ってくるや、ロボットたちは待ち兼ねていた用に出迎えてきた。
「お食事とお風呂のご用意は出来ております、他にも何か御用があればなんなりと」
そんな必要はないと知りながらも、つい礼を言う。
「いいえ、もうなんにもありませんよ。ありがとうございます」
それに対してロボットは、やや困った様子だった。
「そのようなことはおっしゃられずとも結構でございます。私たちはあなたのお世話をするのが仕事であるのですから」
「そうです。あなたのお世話をさせていただくのが、非常に楽しいのです。ご遠慮なさらずなんでもご要望を」
シヴァは苦笑した。それから、ふと真面目に考え込んだ。昼間見てきた町の様子を鑑みて。
ここは確かに平和で、皆が優しく穏やかに暮らしている。だが、いくら平穏に暮らせても、働く側への感謝の気持ちが失われたり、他人――この場合ロボットだが――を思いやる心を忘れるようでは――いけないのではないか?
与えられて当然という態度は、自主性から程遠い――。
「これでは平和とは言えません!」
夜空に星が出た。
庭まで運んでもらったピアノの前で、クローカが恭しく礼をする。観客は花ばかりだったが。
「では、滅び行く人類に一曲‥‥過去の旅人から、僅かばかりの贈り物です」
理想を手にして瞬間から、運命は既に決してしまったらしい。多分人類は、この星での役目を終えたのだ。
避けがたい道、変わらない未来なら、せめて心安らかに受け入れよう。悲しみでもない、悔いでもない。なぜなら人類はここに至るまで、精一杯やったのだ。やり通したのだ。
「ショパン − ピアノソナタ第2番をお聞きください」
鍵盤から旋律が流れ出す。音の波紋は広がり、夜の静寂に漂っていく。
● 帰還
こたつでうたた寝していた雪花は、はたと目覚め欠伸をする。
「‥‥オヤ?」
そして不思議そうな顔をする。尻ポケットに覚えのない10C硬貨が入っていたので。
「‥‥夢?」
百白はぼりぼり頭をかく。仮眠を取っていた虎白のコクピット内で。なんだか変な夢を見たようだが、思い出せない。愛機が出てきたような、こないような。
「‥‥面倒だな」
「良い夢だったのか、嫌な夢だったのかわからないものでした」
紅茶を一杯飲み、シヴァが、寝起きの頭をすっきりさせる。
「本当の平和は、私達が取り戻さないといけませんね」
彼は気づかないがその足元に、しなびたクローバーが転がっている。
マキナはひどいしかめ面をしている。
「不快な夢だった」
内容はしかと覚えていないが確実にそうだったはずだ。知らずと泣いていたのだから。
寝起きの悪さを追い払うため彼女は、頭を振る。寝ている間にどこでぶつけたか、拳が痛い。
「らしくない、夢。でも、それも私なんだね――」
キッチンカウンターに突っ伏していたルキアは、こつこつ額を叩いて己に言い聞かせる。
「私が生きる限り、セカイは朽ちない。だって、私のセカイだから」
彼女はソファに転がっているキリルを起こしにかかる。朝食を作ってもらわなければならないのだ。
ついでにこの夢の話もしようと思いかけ、起き上がってきた相手に鼻をつまむ。
「うわくっさ! 酒くっさ! どこで飲んだのさキリル君!」
「‥‥知らん」
「んーむ」
浩介は腕組みをし、目の前の板チョコを見つめる。
「すごくお腹一杯で、起きぬけの一枚をやる気がしない‥‥何故だろう?」
エルレーンは顔を洗う。起きてみたら目が真っ赤でひどいことになっていたので。
「もう、こんなんじゃ師匠に笑われちゃう」
その頭から桜の花びらが一枚滑り落ちる。知られないままに。
「まあ‥‥そうだよねぇ。分かってたけどフツーのオチだなぁ」
病院の白い天井を眺めるレインは、退屈そのものだ。全くいつになったらベッドから出られるのやら。
「遊びに来ないかなぁ。ルキアとかキリルとかぁ。つまんないんだけどぉ」
「‥‥なんだか、寂しい気分だなあ‥‥どんな夢だったんだろ」
とりあえず花が一杯咲いていた、きれいだった、というところは覚えているけど‥‥後は何だったか。
首を傾げるクローカは、自然と思い浮かんだメロディを口ずさむ。ショパン − ピアノソナタ第2番を。