タイトル:「騒乱」マスター:KINUTA

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/11/20 01:32

●オープニング本文



「頼みます、もう少し待っておくんなせえ。わっちら本当に行くところがねえんです。ここを追い出されたら、一家で路頭に迷うことになっちまうんです」

「虫のいいことばかり言うな。立ち退きはもう一カ月前に決まったことじゃないか。お前さんがたを辞めさせる際には、退職金だってやったじゃないか。それでどうして新しいところを探さなかったんだ、え」

「旦那、それはなんぼうでも無茶なこってす。あんな端金、酒場の足にしかなりゃしません」

「ふん、お前達はまたそれだ。何のかんの言って結局やった金をどぶに捨てやがる。いいか、なんもかんもてめえの責任じゃないか。身の程知らずにもストなぞしやがるからだ。あれで私がどれだけ損をしたと思うね。もっと素直で物分かりのいい雇い人は、世の中いくらでもいるんだからな。働きたくない奴は、働かないがいいさ。ただそんな奴らに場所を塞がせておくわけにいかん。分かったら、とっとと出て行け!」


 支配人との交渉が決裂した男たちは、肩を落としと狭苦しい共同住宅に帰ってきた。
 どの家もくたびれたおかみさんと、子供がうようよしていて、ひもじさに生気を奪われて座り込んでいる。
 旦那は血も涙もない。もとより雀の涙ほどの給金しか出しちゃいないのだ。家族で働ける者すべて動員して、ようやくかつかつで生きて行けるだけのものしか。
 今年はバグアの進攻がひどかったようで、生活品の値が何もかも上がった。それに耐えかねて少しばかり給金を上乗せしてくれるよう要求したら、このような仕打ちを受けた。
 蓄えもなし、出て行くあてがあるでもなし。それでも退去しなくてはなるまい。
 明日になったらごろつき連中が押しかけてくるだろう。旦那はそんな連中ともよく付き合うし、警察にも顔が利くのだ。どう見ても勝ち目はない。
 皆絶望的な心境に陥りながら、よろよろとまだ残っている力で荷造りを始めようとした。
 そんな暗く沈んだ界隈に、見慣れぬ元気のいい男がやってきたのはその時だった。

「不当な扱いを受けているのに、大人しく引き下がっている法もありません」

 彼は革命とか富の再分配とか、歴史の発展による必然とか、彼らにとって難しいことを口にし、彼らを勇気づけた。

 「泣き寝入りするなんて馬鹿げています。よろしい、私が力をお貸し致しましょう。何も臆する必要はない。奴らは労働者の血を吸う寄生虫なのです。支配人の家のものをすべて取り上げて平等に分ければ、たちまちひと財産が作れるのですよ」

 この理屈なら皆にもよく分かった。
 なるほど旦那はしこたま溜め込んでいるから、それを吐き出させれば自分たちが金持ちになれるだろう。
 男はどこからかたくさんの用心棒を連れてきて、武器も渡してくれた。
 絶望と諦めが皆の心から消え、怒りと欲とに取って代わる。



 とある東欧の一地方にある屋敷。
 贅をこらした応接間にて、二人の男が握手を交わしていた。
 一方は金髪の青年ピョートル・カサトキン。もう一方は黒髪の壮年男ロン・アダムズ。
 どちらも実業家で金持ちだ。

「やあ、遠い日本からよくいらしてくれた。カサトキンさん」

「いや、お久しぶりです。アダムズさん。この度はうちの資本協力を受けたいとのことで」

「ええ、採掘だけでなく、製鉄もうちでやろうと思うのですよ。そのほうが儲けが出ますからな」

「ふむ、確かに一貫した操業体制を確立した方が割がいいですな。ところでその工場はどこに建てるおつもりで? 新しく土地を購入するのですか?」

「ええ、少しは。それと宿舎部分も大部分撤去しましてな、そこに作るつもりですよ」

「おや、そうすると従業員は」

「ああ、あらかた首にしましたよ。しかし、新規の募集をすでにかけ、新たな人員は確保しています。今後の経営になんら問題はありません」

「そうですか。このあたりは仕事が少ないし、人件費も格安ですからなあ」

「なあに、安いだけが取り柄の仕事しか出来ない奴らですよ。そんな連中が身の程知らずにも取り分を増やせと言ってくるのだから、全く笑止千万ですな。ところで資本協力についてですが、私としては共同で新しく子会社を設立するという形をとりたいかと‥‥」

 細かな商談に入り出したところで、外から大きなどよめきが聞こえてきた。

「なんでしょうかな」

 ピョートルが言ったときである、開いた窓から銃弾が一発飛び込んできて、二人の間を横切り、奥に掲げてあったルノワールの絵に穴を空けた。
 ロンが急ぎ窓を閉める。銃弾がまた当たったが、今度は中に入ってこない。放射状のひびが入るだけだ。

「恨まれてますなあ」

「ふん、有名税みたいなもんですよ。しかし臭い。連中にこんなことする知恵と度胸があるとも思えないが。とにかく防衛せねばならん」

 ロンが部屋の隅にあるロッカーを開くと、銃器がわんさと出てきた。
 そのうちからライフルを借り受け、ピョートルが一人ごちる。窓を少しだけ開け、身を隠しながら外目掛けて撃つ。

「扇動役がいますな、どこかに。電話は通じますか?」

 同じく銃を手にしたロンは、忌々しそうに受話器を置いた。

「いや、切られている。まあいい。無線があるからな。治安部隊を要請することにしよう。来るまでは私とあなたと、使用人総勢で籠城だ」

「仕方ありませんな。しかしそれはそれとして、一応UPCにも連絡を取った方がよいのではないかと」

「何かバグアらしき兆候がありますか」

「ええ、一発撃ち返したら赤いフォースフィールドに阻まれましたのでね。どうやらキメラがいるらしいです」

●参加者一覧

月城 紗夜(gb6417
19歳・♀・HD
ムーグ・リード(gc0402
21歳・♂・AA
アリス・レクシュア(gc3163
16歳・♀・FC
海原環(gc3865
25歳・♀・JG
國盛(gc4513
46歳・♂・GP
麻姫・B・九道(gc4661
21歳・♀・FT
リズレット・B・九道(gc4816
16歳・♀・JG
黒木 敬介(gc5024
20歳・♂・PN

●リプレイ本文

 屋敷の周りには暴徒だけではなく、やじ馬も多く集まってきている。とはいえやじ馬といっても、潜在的には暴徒とあんまり変わらない心情の人間たちばかり。
 ムーグ・リード(gc0402)は胸が塞いだ。
 暴徒と呼ばれる彼らはなんと貧しげか。
 彼の中では群衆が、故郷の人々と重なって見える。未だ圧制に苦しめられるアフリカの人民に。

「‥‥イタタマレ、ナイ、DEATH、ネ」

 海原環(gc3865)も、暴動側をただ排除すべき対象として見られなかった。
 この事件のあらましを聞けば、非は経営者側にあるとしか思えない。人間らしい暮らしもさせず、なおかつその暮らしすら無造作に踏み躙ろうとした。

「いつもの通りさ‥‥いつも通りの依頼さ。何も変わらねぇよ‥‥」

 九道 麻姫(gc4661)が指を鳴らし、リズレット・ベイヤール(gc4816)へ語りかける。少女は大人しくそれを聞き、拳銃にペイント弾を詰めた。
 アリス・レクシュア(gc3163)は無線で、籠城している依頼主に確認を取っていた。

「はい、そうしたら三階の向かって右端の扉で間違いないのですね」

 彼女は少し、苛々しているような空気を漂わせていた。
 ので、黒木 敬介(gc5024)は話しかけるのを止める。
 不快な音が聞こえてきた。スピーカーのヒス音。加えて間断ない喚き声。

「同志、資本家とその仲間こそ、我々が打倒すべき、憎悪すべき、唯一の敵なのであります!」

 腕組みしていた國盛(gc4513)が、眉をぴくりと動かす。

「‥‥雇用主にも問題がありそうだが‥‥とりあえずキメラは即刻処分しなければなるまい‥‥」

 AU−KVを装着している月城 紗夜(gb6417)は唇を嘗めた。自分たちの呼びかけが、はたしてうまくいくだろうかと。所詮人間の行動の大部分が、己の利害によって決められると知り尽くしているとしても。



 現場についた時点から、アリスは覚醒し耳と尻尾を生やしていた。
 三階には、中段の屋根と樋を伝って行けばよさそうだ。
 パッと判断した彼女は、いの一番に飛び込んだ。能力者の脚力である。たとえ仲間では無さそうだと認識したとしても、常人がついて行けるはずがない。
 難無く中段の屋根に飛び移り、そこに上がろうとしていた数人の暴徒と対峙する。
 彼らは銃口を向け敵対の姿勢を取っている。
 脊髄反射に等しい早さで、彼女は刀に手をかける。

「なぜ止めるのです、ムーグさん」

 直後斬撃を傘で遮られ、憮然とした。

「明確な殺意を持ち武装し乗り込んでくる。これは単なる強奪です。他の手立てがいくらでもある中、彼らは自分でそれを選んでいるのです。殺されても文句は言えません」

 割って入ったムーグは彼女の意見に賛同ではないが、否定も出来ない。自分と同じように、強い信念あってのことと感じるからだ。
 ではあれど、殺させたくない。

「‥‥彼ら、ハ、貴方、ガ、殺ス、ベキ、相手、ナノ、デス、カ?」

 たどたどしい言葉に、アリスはむっとして答えた。

「甘すぎます」

 そして先を急いだ。
 アリスを追うように麻姫も、窓から内部潜入して行く。

「おいこら俺たち撃ってどうすんだボケ、殺すぞハゲエ!」

 群衆に罵声を浴びせつ乗り込んで行く愛しの姿を、リズレットははらはらしつつ見送る。

「同志、彼らを追放せよ。しからば、我々の労働の所産は全て我々の手に帰するであろう。ほとんど一夜にして、我々は富裕の身となることが出来るのであります!」

 変わらぬアジに対抗して、紗夜も演説を始める。

「労働者諸君、立ち上がった貴公達の勇気は称賛に値する――だが、我々が敵対するべき相手は下劣な侵略者。そして侵略者に寄生する寄生虫」

 彼女は放水車の上からあたりを見回し、アジっている相手を見つけた。
 まだ若い男。服装は周囲のものと大差ない。だが、血色がよすぎる。

「我々はULT傭兵、この崇高な集まりの中、下劣なキメラが混じっていると聞き本部から来た」

 彼女はそいつから目を離さぬようにしながら、声を一層張り上げた。

「奴らを打倒した時、貴公達は勇敢な人間としてUPCに迎えられるだろう。苦難は終わる。だが、此処で我々に協力せねば人類の敵、末路は死。諸君、我々に力を貸してほしい!」

 「キメラ」の単語で、さすがに暴徒側も多少動揺したらしかった。本物の能力者が来ているのならばあるいは、と。
 そんな迷いを断ち切るように、男が反論する。

「同志、騙されてはいけない! でっちあげだ!」



 庭は荒らされている。
 金になると思ったものか、ポーチの飾り金具が引っ剥がされている。
 もともと意識として上流側にある敬介には、そういう類いの浅ましさがうとましい。
 群衆は飛び交う演説に沸き立っているため、似たなりをした敬介に注意を払っていない。
 彼は人垣の間を縫って動き回り、標的を見つけた。
 狙い定め、そいつに向けて石をぶつける。
 FFが発動し弾かれる。
 向こうが反応する前に一瞬で間合いを詰め、隠し持っていたダガーで突きかかる。
 人間ではあり得ない声を上げ、相手は飛びすさった。脇腹を赤くにじませて。

「ちぇっ。当たりが浅いや」

 口の中で毒づいてから、彼は大声を上げる。周囲の暴徒が、仲間がやられたと勘違いしないうちに。

「キメラだ、本当にキメラがいるぞ!」

 國盛はその声を耳にしつ、己もまた群衆に立ち交じりキメラを探していた。目まぐるしく動いている人々の中、異相を感じ取り、外さぬようペイント弾を撃ち込んでいく。

「お前、なにしてるんだ!」

 作業に気づいて銃を向けてきたものの鳩尾に膝蹴りをくれ沈黙させ、脇に捨て置いた。
 身軽な人影が、屋敷の壁に張り付いて上って行こうとしているのが目に入る。
 敬介に刺された奴である。
 國盛はそれ目がけ銃を撃った。
 後頭部を噴き飛ばされ落ちて行く体は、暴動側に激しい動揺を与えた。



 窓から入り込んだアリスと麻姫は、大急ぎでロンたちと合流した。
 ロンは額に血のついたハンカチを巻いていたし、他の者も多少なりと銃瘡を受けていたが、とりあえず皆生きている。

「ああ、これはまた随分かわいい子たちが来てくれたもので」

 ピョートルは軽口を叩いて弾込めし、ロンも負傷してなお階下へ罵っている。

「労務者風情が調子にのりやがって。そんなに風穴空けられるのが好きならそうしてやろうじゃないか!」

 弾が飛んでくる中これ。
 どうもこいつら堅気で無さそうだなと、麻姫は思った。
 暴徒は階段の下方から、固まって銃撃している。分散すれば良さそうなものだが、どうやらそこまで扱いに慣れていないらしい。

「外の暴徒の鎮圧がすむまで、もっと籠城に適した所に移動した方がいいかと。最も防備の厚い部屋はどこですか」

「そいつは私の執務室だな。あそこは丈夫に作ってある」

 この答えを受け、アリスは彼らに前衛後衛と分かれてもらい、即刻場から撤退させることにした。依頼人の生命安全を確保するのが第一である。
 彼らが移動し始めたのを見て、押していると感じたのか、階下にいた暴徒たちが勢いをつけ駆け上がってきた。
 麻姫が当て身を食らわせる。突き飛ばされた一人に巻き込まれて何人かが転げ落ちた。
 前方にふっと人影が出てくる。
 アリスは迷わず切りかかった。
 腕を片方切り落とされたそいつは横っとびして、壁に張り付く。
 彼女から一拍遅れた麻姫が次を受け持ち、二刀流でそいつを切り裂いた。転がった死体を蹴飛ばし、一同なお先を急ぐ。

「なあアリス、あんた今FFの確認したっけか?」

「しましたよ。多分」




 リズレットは赤くなった髪を撫で、紗夜のいる放水車の上まで駆け上がり、マイクを借りた。

「‥‥貴方達には選択をしてもらいます‥‥我々と事を構えて命を散らすか‥‥扇動した者を捕まえ我々に投降するか‥‥貴方達の中にはキメラが紛れ込んでいます‥‥」

 嘘だとの声が上がった。暴徒たちの間から。
 火炎瓶が飛んできた。リズレットは避け、紗夜は払いのける。
 そこへすさまじい俊敏さで、群衆の頭上を飛び越え、キメラが飛びかかってきた。
 少女の銃が轟音を立てる。
 側頭部を削られた同時に、覆面が外れた。
 身を翻そうとするキメラを紗夜が取り押さえ、ねじ切る勢いで首を曲げ、猿顔を衆目に晒す。
 リズレットは言った。

「‥‥これが証拠です‥‥如何ですか?‥‥」
 
 アジっていた男は説明がつけられなくなったので、「陰謀だ」とわめき始めた。
 完全に理屈を放棄した格好だが、そんなのでも集団を踏みとどまらせるだけの役には立つらしい。
 だが確実に旗色が悪くなってきた。
 治安部隊が機を逃さず、反転して攻撃を加え始める。
 そこから数センチ単位先の地面が、ごっそりえぐれる。ムーグの乱射により。

「‥‥ミンチ‥‥に、ナリタイ、ナラ、止めま、セン‥‥」

 示威攻撃の巻き添えを食ってはつまらぬので、治安部隊はやや後方に下がる。
 環の照明弾が閃いた。
 一瞬だが、両陣営とも目がくらむ。ここが切所と彼女は、大声で語りかけた。

「皆さん、落ち着いてください。皆さんの望みはあくまでも、不当な扱いを是正させることにあるのでしょう。どうか待ってください。私どもから社長にかけあってみますから、それが終わるまでは‥‥」

 そんなこと言っちゃって大丈夫なのか。
 敬介は軽く危惧しつつ、本来の武器を取りに人垣を抜け出していく。
 それを横目にしつつ、國盛は近くにいた一匹のキメラを打ち抜いた。ここまで来たら、隠れる必要もない。
 銃声に驚き振り向いた人々に、言う。

「皆、騙されているぞ‥‥こんなことでは何の解決にもならん‥‥気づいている‥‥だろう?」

 彼らは否も応もなかった。ただ、不信そうに彼を見て緊張を崩さない。ヒス音を背景に。




 紗夜と環である。彼女らは屋内にいた暴徒たちを気絶させあるいは受け流し、また紛れ込んでいたキメラの二匹も殺し、執務室前まで入ってきた。
 銃を暴徒には向けないと決めていた環は、その為よれよれになっていたが、執務室の前で息を弾ませ叫んだ。

「社長。お話があるんです」

 あれは仲間ですとのアリスの説明を受け、ロンはバリケードの後ろから答えた。

「何だね」

「はい、あの人たちに改めて正当な額の転居費用と、出来れば再就職支援の資金も出すようにしていただきたいんです」

「断る。それは法外な要求だ」

「それは、確かに社長の立場からしたらそうかも知れませんが、しかし、考えてみてください。彼らをバグアなんかに付け込ませたのは、苛酷な労働環境ではないですか」

「あんたは社会改革家かなんかなのかね」

「いえ、そういうわけではありませんが‥‥しかし、ここで多数の犠牲者が出れば、あなたの世間に対する評判が悪くなり、今後の経営に多少なりと差し支えると思いませんか。従業員の扱いを変えなければ、結果として同じことが起きる可能性がありますでしょう」

「それは違う。下手に出ることこそ、経営の後々の禍根になる。暴動を起こせば何でも通ると思わせるわけにはいかん。そもそもよい待遇が欲しいならそれだけ価値のある仕事をすればいい。しかるに彼らがどんな努力をしているね。計算も読み書きもろくに出来ないまま食って飲んで寝るだけだ。それでもっと金をよこせとはどういう料簡なのか言ってみたまえ」

 ぎらついた資本家の論理に、環は詰まった。
 それを受ける形で、紗夜が口を挟む。

「努力というのは余裕があるところに生まれるものではないのか」

「逆だ。余裕は努力から生まれるのだ」

「‥‥ともかく、この暴動を少ない労力で納めるために、退くポーズだけでも欲しいのだ。貴公という目標がなくなれば連帯も崩れよう」

 ロンは銃を手に、砂を噛むような笑いを浮かべた。

「‥‥よし。それなら奴らに私から直接話させろ」

 部屋の奥から鞄を引きずり出してくる彼に、ピョートルが肩をすくめる。

「なるほど、あの手を使いますか」



「皆さん、社長が交渉に応じてくれました、もう誰かを殺す必要はないんですよ!」

 環に続いてロンが玄関まで顔を出し、怒鳴り上げた。

「よっく聞け! 貴様らの要求は法外だ、していることも犯罪行為だ!」

 ここに及んでの傲慢な物言いに、護衛している能力者たちは緊張する。

「だが私も鬼ではない。貴様らがそそのかされたということは承知している。だから、武器を捨てろ。そうしたら褒賞をやるぞ!」

 ロンはここで鞄を逆さにし、中身を足元にぶちまけた。
 それは小山程の札束だった。
 皆は――能力者含め――息を呑んで固まる。
 恐ろしい沈黙の後、軽率な暴徒数人がそちらに行きかけ、たちまち身内で言い争いが始まる。

「よく考えろ、貴様らの鼻面を引き回している奴がこれ程の金を出せるのかを!」

 とどめとしてロンは自分で札束を取り、勢いつけて彼らに投げた。
 金が足元まで来たらもう駄目だ。拾ってしまう。
 それをきっかけに小競り合いが起きる。
 不幸だったのは、彼らが集団としての本格的訓練を受けてなかったという点にある。こんな事だけでもう統率が崩れてしまったのだ。
 ムーグは、環は、痛々しい思いでそれを眺めた。
 
「この馬鹿共‥‥」

 扇動者は途中で言葉が出なくなった。背後から近づいてきた國盛が、頭に冷たい銃口を押し当ててきたので。
 差し当たってキメラの兆候は、どこにも見えなくなった。全て殺し尽くしたようだ。
 血刀を下げた敬介は、ロンの呼びかけを嘆息しながら聞いた。

「治安部隊! 全員連行しろ!」



「あなたがたよくやったと思いますよ。先だって暴徒を多数無力化してくれましたから、連行の際もさほど流血ざたにならずにすみましたし」

 ガランとなった庭で、ピョートルが環に言った。

「彼らも殺されはしませんよ。もう死んじゃったものはしょうがないですけど。刑務所に入るだけです。公に逮捕させたからには、アダムズさんだってこれ以上強く出る必要ないですし」

「でも、家族とかはどうなりますか」

「死亡者の家には弔慰金が出ます。負傷した逮捕者のところにもね、ある程度のお見舞い金がいくと思います。ただ、それ以上のことはないですね」

 麻姫は壁に寄りかかり、タバコをくゆらしている。リズレットに言い訳しながら。

「悪いなリゼ‥‥今回だけは許してくれ‥‥」

 紗夜は物憂げに独り言を呟いていた。

「隣の飢餓より、自分の家族か」

 ムーグは黙してその言葉を胸に刻み込んだ。
 あーあ、と敬介が肩を鳴らしながら漏らした。本音のところを。

「結局さ、金持ちは努力してるんだよ。バカから搾取する方法を毎日ね、考えてるんだ。努力してるんだから、清貧を免罪符にしてる連中よりは真っ当だよ」

 環はその言葉に口元をこわばらせ、つかつか彼に歩み寄り殴った。

「‥‥俺がなにしたんだよ」

 ぶつぶつこぼす敬介に、國盛は言った。

「わざわざ口に出さんでもいい、今のは」

 傍らでアリスは空を見ている。北の国の、遠く硬い青を。