タイトル:【VD】伝説の樹攻防戦2マスター:紀藤トキ
シナリオ形態: イベント |
難易度: やや易 |
参加人数: 24 人 |
サポート人数: 0 人 |
リプレイ完成日時: 2009/02/16 20:50 |
●オープニング本文
あまたのロクでも無い事件を、短時間のうちに巻き起こしたカンパネラ学園体育館裏の伝説の樹。その辺りは、周囲の迷惑も顧みずにいまだ柏木先輩とその仲間達が溜まり場にしていた。
「バレンタインデー、か。また今年も2月が来たんじゃのう」
フッ、とニヒルにタバコを吹かす柏木。ちなみに、法律上問題は無い年齢である。
「落ち着いてるじゃネェか。柏木さん」
樹に吊るした古タイヤを叩く手を休め、佐藤が笑った。どういう心境の変化か、年が明けてから彼はタバコをやめている。彼だけではなく、周りに座る柏木の舎弟達も、年末と比べればどこか余裕のある表情だった。
「で、今年はどうするッスか?」
いわゆる不良座りの田中に、柏木は腕を組んで考える様子を見せる。だが、彼の心中はほぼ定まっていた。
「この樹は、幸せな連中が使えばいい。ワシらは余計な邪魔が入らんように、ここを護ってればそれでええ」
ちょうど、間垣と沙織が仲良く並んで歩いてくるのが見え、柏木は微かに口元を歪める。
「嫉妬するよりも、男を磨くんじゃ。そうすれば来年にはワシらもあちら側の住人になれるかもしれんし、の」
胡散くらい位に爽やかに笑う不良集団たち。根が単純なだけに、クリスマスに受けた様々な指導やら発破やらの影響を如実に受けてしまったらしい。
「間垣の奴はこのワシを倒して四天王になったけん。空気を読まん連中が仕掛けて来んとも限らんのう」
「そうッスね。ちょっくら調べておきます」
不良の中では微妙に役に立つかもしれない四天王の称号を狙う者も、まだいるはずだ。
「佐藤さん、一緒に手伝ってくれないッスか?」
田中の声に、佐藤は小さく首を振った。
「いや。俺は悪いけど喧嘩は‥‥、そろそろ卒業だ。部活、入るか作るかしようと思ってな」
ボクシング部は学内に既にあるかもしれないが、不良の佐藤を受け入れてくれるかどうかは定かではない。そう思って試す前から諦めていた彼は、いつの間にか再び前を向いていた。
「そりゃあいい。じゃあ、ワシらは応援団でもやるかの?」
「いいッスね。援団は不良の華ッスよ」
夢を取り戻した仲間を、祝福する柏木たち。
「何の話ですか? 先輩達、楽しそう」
そんな不良達に、ニコニコと沙織が話しかけてくる。
「なんか、すっかり丸くなったなぁ、柏木さん」
「ヘッ、言うようになったノウ、間垣クン」
そんな事を言う間垣を、柏木は拳骨でぐりぐり。伝説の樹の周辺は、実に平和だった。
――本当にそうなのか。
彼らの明るさや連帯は上辺だけの物ではないのか。実はカップルをねたんでるけど口にしたらかっこ悪いと思って笑ってごまかしていないか。そもそも、お前らギャグ畑の住人じゃなかったのか。簡単に綺麗になれると思ったら大間違いだぞこんちくしょう。
「フン。仲良しごっことは、反吐が出るわね、柏木‥‥」
体育館の壁際で、胡桃を手の中で転がしていた男が呟く。脱色した長髪に白ランからは香水の匂い、そして特徴的な高い鼻と筋肉質な体格。身を翻した男に付き従う学生達も、全員白の改造学生服だった。カンパネラ学園四天王(自称)、疾風のルイとその仲間達である。ちなみに、れっきとした日本人で男だ。
「アタシ達は不良よ? それが健全な男女交際なんて汚らわしいわ。‥‥今度は手加減せずに全部ボロボロにしてあげる。アンタの可愛い坊やもまとめて、ね」
手の中の胡桃が、バキッと音を立てて割れた。
柏木一派と、ついでに間垣が試される審判の日、聖バレンタインデーは、近い。
●リプレイ本文
●決戦前日・前
体育館裏にある、通称『伝説の樹』の周辺はずいぶん賑やかになっていた。無論、翌日のバレンタインデーに向けての事だ。
「なんか、クリスマスを思い出すよな」
机を運び出す間垣に、柏木や不良達の一部も手を貸す。
「その机はこっちに、鉢植えはあちらの机との間くらいにお願いします」
「あ、はい!」
クラークの指示に、沙織が鉢の場所をずらした。完全武装で歩き回るクラークは異様だったが、暫くすると慣れてしまったらしい。クラークが意図していたのがバリケードに転用できるような場所と配置だと気づいたのは、丸机を並べなおしている響位であったろうか。
「クラウさん、そっちお願いしますね」
「わかりましたっ」
少なくとも、ソラとクラウは、気づいてなどいなかった。クラーク達の戦闘準備にも、そして自分達に迫る闇の気配にも。
「‥‥」
仲の良い2人を、ハイライト無しの瞳で眺める音夢。
「ソラ君、これ何処にかざろうかっ」
「あそこが少し、寂しい雰囲気ですね」
2人は単に飾りの置き場所を探しているだけなのだが、音夢にはこう聞こえるのだ。
『あそこが少し、寂しい(から2人きりになれる素敵な)雰囲気ですね』
ググッ、と血が滲む程に握り締めた拳。その肩へ、斜め後ろからそっと細い手が添えられる。
「わかる。わかるよ。その気持ち。‥‥行き場の無いその想い、僕らと一緒に発散しよう♪」
カップルっぽいと噂のソラ達の様子を伺いに潜入していた子虎の笑顔がそこにあった。音夢の唇が微かに歪み、呪詛の気を吐く。新たな嫉妬の戦士の誕生だった。
「ほわっ?」
ふと、足を止めてクラウが振り返る。
「どうかしましたか、クラウさん?」
「ううん、何でも‥‥」
気のせいか、と呟きながらも木陰の様子を伺うクラウ。しかし、音夢は既に立ち去った後だった。暗い、暗い場所へと。
「あの、少し高い所があるんですけど、どうしたらいいかな?」
手伝いに呼ばれてきた加奈が首を傾げる。他の面々よりも少し慣れた相手なのか、クラウ相手には敬語が抜けているようだった。
「俺、やりますよ」
ソラの気概はしっかり男の子。脚立を支えてもらって手を伸ばせば、Xmasの時と同じ様に枝へと手が届いた。
「ん? 何だ?」
「わわっ!? す、すみません」
太い枝の上でのんびり昼寝していたヤナギの少し眠そうな顔が、ソラの前にひょこっと現れる。
「何か騒々しい雰囲気だけど、何かあったのか?」
問いかけてくるヤナギに、ソラが説明を始めた。しばしの会話で、状況を理解したヤナギの目が悪戯っぽく輝く。
「そりゃ、せっかくだから楽しまねーとな」
するすると、滑り降りるヤナギと入れ替わるように、もう一本の脚立がどすんと据えられた。
「何やら戦争でも起きそうなので、うちはここに腰を据えるのですよ」
樹の上に機材を引っ張りあげるハルトマンに、暇そうだった設営班の幾人かが手を貸す。マイクや拡声器など、どうやら実況中継用の道具だったらしい。
「何だ、これ? えらい大荷物だけど」
「無害ですよ〜、ただの実況解説者なだけですよ〜」
寄って来た間垣に、ぱたぱたと手を振るハルトマン。ミニスカートだがスパッツ着用で下側からの視線にも安心だ。まだ心配げに見上げる間垣だが、伝説の樹はハルトマンの手持ち機材程度の重さで折れるほどやわではないらしい。
「おう、それよりももっと他の方でさー。何か大変なことになりそーな予感、しねーか?」
「ん? 誰? いつの間に‥‥」
ニッと笑ったヤナギに、間垣が怪訝そうな顔をする。まさか樹の上から増えたとは思わなかったようだ。
「こちら、終わりましたよ。間垣さん」
「あ、ありがと。助かったぜ」
お疲れ様、と周囲に声を掛けていた響が、ヤナギの姿を見て考え込むように口元に手を当てる。
「お、サンクス。‥‥どうかしたか?」
「いえ。そちらの方は、演奏ができるのですか?」
間垣の礼に頷き返してから、響はヤナギへと向き直った。ヤナギの背負っているギターケースが気になったのだろう。
「ん? ああ。前はバンドで弾いてたから、そこそこいけるゼ?」
その返事に、響の笑顔が深くなった。
「そうですか。突然で申し訳ありませんが、できれば‥‥」
バレンタインデーに、ここを訪れるカップルたちの為、何かムーディな音楽を掛けようと思っていたと言う響。実の所、LHに来たばかりのヤナギにはまだ友人も少ない。自分の特技が皆の役に立つのならば、とヤナギは軽い調子で快諾した。
「んじゃ、そっちは明日だな。今日のところは‥‥っと」
周りを見回していたヤナギが、ニッと笑う。その視線の先には、見る人が見れば明らかに不良、というか昭和の不良と判る外見の柏木がいた。
「よう、兄さん。俺も何かしらやらかしてたけどさー。アンタ今の状態で良いの?」
ピンクに染まる雰囲気を見ながら、囁きかけるヤナギ。柏木は腕組みしたまま重々しく頷く。
「ワシらは、生まれ変わったんじゃ。ワシらのような日陰者が、人様の為に生きるっていうのも悪かない」
「‥‥そうか」
どうやら、Xmasに受けた洗脳、もとい教化から彼を解き放つには、エネルギーが足りなかったらしい。つまらなそうに首を振ったヤナギが、不意に手を伸ばす。風切り音と共に飛んできた一条の矢が、その手には捕らえられていた。
「む!?」
「矢‥‥? いや、こいつは」
矢文だ、と言うヤナギ。その宛名は柏木になっている。ばっと広げた内側には、神経質そうな文字でこう書かれていた。
『伝説の樹を守りたくば深夜2時に図書館脇へ一人で来い。P』
「教授か‥‥。因果じゃのう」
差出人の祐介の事を思い、静かに笑う柏木。Xmasでは肩を並べて闘った同志と、僅かな日時で敵となる。これも、戦乱の世の習いと言うべきか。この際、世界広しと言えど、バレンタインが争闘の日となっているのはLH位だと言う事は置いておこう。
●決戦前日・後
一方、伝説の樹からは随分はなれた某所。草むらから、微かな音が漏れる。慈海は、枯葉の下や倒木の中で逞しく生きていたゴキブリを採集していた。
「いたいた。お休みのところ悪いけど、ちょっと手伝ってもらうね〜」
彼の手にした虫篭には、既にカメムシだのカマドウマだのといった人に嫌がられる昆虫類が詰まっている。しかし、慈海はフィールドワークの為だけに地べたを這い回っていた訳ではなかった。
『こちらJIKKAI。目標に動きはないよ、オーヴァ』
彼が監視していたのは、カンパネラ学園四天王(自称)疾風のルイと仲間達だ。敵の敵は味方という理論で、慈海達しっと団は対柏木への共闘を持ちかける腹積もりである。
『了解‥‥です。今から、向かいますので‥‥』
無線機に頷き返した紫翠が隣を見る。しっと団結成のあの日から、実に半年以上のブランクを経て再び現れたセーラー服女装ユニット「とらりおん」こと子虎と白虎がステキな営業スマイルで頷いた。
「トラリオン再び♪ さて、今回は暴れちゃうぞ〜♪」
「今回は‥‥、ですか。今回も、ではなく‥‥」
子虎に突込みを入れつつ、先導する紫翠。剣の手入れをしていたカルマがチラリと目を上げて彼らを見送った。落ち着き払った普段からは想像できない闇が、青年の中には巣食っているようだ。
(‥‥カップルなんぞヴォクメツしてしまえ。纏めてこてつーの錆にしてくれる‥‥!)
薄く笑いながら、カルマは再び今日だけの愛剣へと口付ける。ビニールの内側に空気を入れておかないと役に立たないからね!
慈海の指示する通り、冬薔薇の香りが漂う道を行く一行を、睫の長い白ラン達が呼び止める。
「お前たちの親玉の、疾風のルイに話があってきたのだっ。案内してくれないかにゃー?」
ずいっと押し出す白虎の後ろから、子虎がじーっと白ラン達の様子を伺っていた。
「うーん。筋肉はいいんだけど‥‥ね」
どうやら、好みのタイプがいるかどうか品定め中のようだが、今ひとつお眼鏡にかなう男はいなかったらしい。
「あら、こんな時間に何か御用かしら? 可愛いボウヤ達」
蛇の道は蛇と言う事か、ルイは、とらりおんの正体を一目で看破した。
「さすがに出来る。さすがはカンパネラ学園四天王‥‥!」
一筋縄ではいかないようだ、と呟く白虎に代わり、協力者の紫翠が口を開いた。
「えと‥‥ヒマそうですね? ‥‥どうです? 体、動かして見ませんか?」
喧嘩売ってるのか、と前に出かけた舎弟を片手で止めて、ルイは続きを促すようにあごをしゃくる。
「‥‥不良は硬派が‥‥カッコイイですから‥‥。今の柏木さん達は、情けないですから‥‥、あなたの力で‥‥鍛え直して、あげませんか?」
「フフン、おだてて上手に利用しようって訳ね? いいわよ。アタシは可愛い子には甘いからねぇ」
用向きを聞いたルイは、案外あっさりと首を縦に振った。交渉に出たメンバーによっては、こうもウマくは行かなかったかもしれない。その辺は当たりを引いたようである。
「お互いに手は出さない。‥‥って事にしておきましょうかしら? フフフ」
大勢でよってたかって叩きのめしてあげるのもいいわね、等とうっとりした口調で呟くルイは見るからに駄目な人だ。類は友を呼ぶと言う諺を、この上なく体現した同盟がここに成立したのであった。
一方、期待の新人、音夢は、独自の不良勧誘作戦で兵力の増強を果たしている。
「‥‥ンだぁ? このガキ‥‥」
その辺の不良を捕まえて、その前に無遠慮にチョコの包みを突きつける音夢。その笑顔は限りなく黒い。
「ツッパリ通して受け取らないも良し、自分に素直になって受け取るも良し。‥‥それはお任せしますが、女の子からチョコを貰えるご予定はあるのですか?」
自分につけば少なくともチョコをもらえる。自分で隠れてこそこそ買わなくとも良い。あまつさえさりげなく自慢出来てしまう。見栄っ張りの多い不良は、最後の1つに取り分け弱い生き物だった。
「‥‥では、こちらにサインを。まずは落とし穴と罠をこっそり設置する手伝いからお願いします」
チョコ1つで魂を売り渡す名も無き不良に、多分明日は無い。
夕方、そろそろ日も沈もうかと言う頃に、準備はほぼ完了した。
「小奇麗になったもんじゃのう」
「ッスね」
綺麗な柏木とその一党は実に満足げである。配置はクラーク達の戦略眼によるとはいえ、飾りつけはクラウやソラ、加奈達考案の可愛らしい方向性だ。白とピンクの背景で爽やかに親指を立てあう不良たちは、何かが間違っている気がした。
「不良さんって聞いてたけれど、みんな良い人でよかったです」
「‥‥ぁ、うん。そうですね」
ほんわりしたクラウの笑みに、何故か表情を暗くするソラ。以前、不良からの手助けに怖がった素振りを見せてしまった事を、少年は後悔していた。いや、男の娘への下心満載の手助けは、怖れて良いと思うんだ。
「皆、来てくれてありがたかったぜ。結構、いい感じに仕上がったぽいよな」
「良かった‥‥」
嬉しそうに笑う間垣を見て、やはり嬉しそうに微笑む沙織。
「‥‥そういえば、チョコレートはもう用意しているんですか?」
「あ、はい。皆さんの分も、作りました」
皆さんの分『も』、という辺りで聞きたかったことが確認できたソラは、嬉しそうに頷く。少年には、まだその感覚はわからないけれど、特別な相手に贈り物を用意するのは、素敵な事なのだろうか。渡せて、喜んでもらえたら、もっと素敵なのかもしれない。
「明日が楽しみです」
間垣と沙織の仲を秋口から見守ってきたリゼットも、小さく微笑んでいた。その視線が、ふと横を向く。
「応。間垣の奴も、幸せ者じゃのう」
柏木が、似たような暖かい視線で2人を見つめていた。すっかり綺麗になってしまった柏木を、リゼットが見上げるように覗き込む。
「そういえば、応援団になられるとか?」
「んむ。ワシらも、何かやってみようかと思ったんじゃ」
恰幅があり、どっしりした四角いイメージの柏木が、団旗を持っている所をリゼットは少し想像してみた。
「いいんじゃないでしょうか。学ランもいいですが、袴姿も漢らしくて素敵かと思います」
「袴‥‥。そいつは、思いつかんかった」
腕組みをし、考え込む柏木。何だかますます高校生らしくなくなっていく気もするが、それはこの際どうでもいい。
「‥‥柏木センパイ」
掛けられた声に、柏木の背筋が伸びる。準備の手伝いには顔を出していなかったエリザだが、何かの合間に様子見がてら立ち寄ったらしい。
「お、応。何か用かのう?」
ぎくしゃくと向きを変える柏木に、エリザがこくりと頷いた。
「樹を守るのは良い事ですわ。ですけれど、人の恋路を邪魔しないよう当日は樹の近くには居ない方がいいですわね」
「そ、そうか‥‥。そりゃあそうじゃのう‥‥」
前半で胸を張った柏木が、後半で肩を落とす。自分のような強面がいては、ムードも何も無いと思ったらしい。その横を、通り過ぎていく武装兵が許容範囲な時点で大丈夫な気もするが。
「‥‥それに、他人が近くに居ると気になってしまうものですわ」
横を向いて、そんな言葉を付け足すエリザ。
「ん? 何か‥‥」
「何でもありませんわ。明日は、また来ますから」
慌てたように背を向けて、大急ぎで駆け出すエリザの手には傷の跡が幾つもあったりしたのだが、それはそれとして。
●夜
「ほう、我々と手を組みたい、と?」
眼鏡越しに、かつての敵を睨め付ける祐介、もとい教授。Xmasとは立場を異にしようという者が、ここにもいた。あの日、智弥に予期せぬ告白を受けた菫は、彼女なりに真面目に返事を考えていたらしい、が。
「バレンタインなど来なければいいのです! そうすれば色々と有耶無耶に出来‥‥」
「なるほど。だが、敵だったあなたをただ受け入れては、同志達に示しがつかない」
相手の言葉を最後まで聞かず、条件を早口でまくし立てた教授に、菫は言葉を失った。
「‥‥呑めるかね? この条件が」
明日の朝までに智弥を捕縛、伝説の樹に吊るす事。自分に想いを寄せた相手を、その手で処断してこそ仲間に相応しいと語る教授の話術に呑まれたのか、気がつけば菫はコクリと頷いていた。
「いいだろう。ならばあなたの覚悟、試させてもらおうか」
戦況は、常に振り子の如く揺れ動く。
「奴らの溜まり場はこの辺りッス」
「‥‥ありがとう。この一撃で、出来れば終わらせたいものです」
不良・田中から敵対しそうな不良の情報を聞いたクラークは、『狩猟』作戦を立案していた。おそらく最大の敵に成るだろうしっと団本隊ではなく、その協力勢力から削る。寡兵の防衛戦に於ける攻勢としては妥当なものである。
「指揮はハインさんにお願いします。自分は、この場で。待ち人がいますからね」
クラークは、宿敵たる白虎達が夜間の襲撃を行ってくると踏んでいた。それが夜更けになるか、払暁を期すのかまでは読めないが。
「心得ました」
ハインが重々しく頷いた。深夜であるにも拘らず、2人の檄に応じてこの場に集まった柏木派不良の数は多い。ルイの配下も多いようだが、不意打ちの有利も加味すれば互角以上に持ち込めるだろう。
「俺も、最後の一暴れと行こうかね」
「‥‥ッスね。佐藤さんの引退に相応しく、盛り上げましょう。にしても、柏木さん‥‥、どこにいったんすかね?」
不良達が首を傾げる。
「‥‥今は、この面々だけで挑むしかありません。正面攻勢は0200。タイミングを合わせて、私が背後から強襲しましょう」
隠密潜行を駆使して裏側に回るハインの狙いが当たれば、敵は混乱するはずだ。久しぶりの大喧嘩の予感に、柏木一派の表情も引き締まる。
一方その頃、寒風が吹きすさぶ、百葉箱の近く。
「時間よりも随分早いな。‥‥柏木、すっかり真人間気取りか」
箱の陰から俯き加減で現れた教授は、下がりかけた眼鏡を指で押し上げた。向き直った柏木の足下で、砂利が嫌な音を立てる。
「カップルは許せぬと言ったじゃないか。意地も張れぬ恋愛など断ると言うたじゃないか」
「わ、ワシはそんな事言っ‥‥」
柏木の抗弁を鋭い手の一振りでさえぎり、声を高める教授。
「孤独な姿のお前はァ! その様の何兆倍も何京倍も気高かったというのに」
「‥‥くっ」
柏木が口で対抗できるような相手ではない。実力行使ならば、勝ち目もあったのかもしれないが。ビールジョッキ投擲とか。
「なんて醜い様だ。身も心も敗北主義者になったか」
「そ、それでもワシは‥‥」
言い返そうとした柏木の耳に、別の誰かが砂を踏む音が聞こえた。向き直った先には小柄な影が、2つ。
「良いしっ闘士になれると思ったのになー」
白虎は残念そうに首を振る。
「裏切り者は許さないのさ☆」
子虎が身の丈より長大なハリセンを軽々と構えた。ハリセンだから軽いのは当たり前だが、愛らしいセーラー服少年が振るうハリセンは、当たるとめちゃくちゃ痛そうだ。むしろ、イタそうだ。
「罠‥‥、だったのか、教授」
むしろ罠以外の可能性を考慮できる柏木の頭は精密検査が必要な気がする。
「お前などただの裏切り者だ。そんなものに行儀良く一対一で戦うと思うか」
教授の合図で、柏木の背後に慈海がぬっと姿を現した。
「イッパンピーポーの振りしたって、全然イケてないよ、柏木くん」
不良の道に立ち返らないと、と清々しい笑顔で言う慈海。柏木を囲む笑顔はどれも危険な気配を孕んでいた。退路は多分、無い。
「ちょっと待ちなぁ! ‥‥騙し討ちとは頂けねえぜ?」
「誰だ!」
「聴講生四天王、烈火の灯吾、推参! 袖振り合うも他生の縁って奴だ。この俺が来たからには大ぶ‥‥っ!?」
振り返った白虎の前に、樹の上から振ってきた灯吾が勢い良く担架を切る。切っている最中に、フルスイングの巨大ハリセンがその横っ面を捉えていた。
「面倒くさいから、まとめてやっちゃおう☆」
無様に転がった灯吾を見下ろしながら、子虎が笑う。だが、その耳に今度は鋭い風切り音が入った。
「千客万来だな。今度はどなたかな?」
足元に突き立った矢を一瞥してから、教授が誰何する。矢の軌跡を眼で追えば、そこに新手が現れていた。
「闇討ちとは、見下げ果てた根性ですね。その性根、我が剣で叩きなおしてあげましょう」
愛剣のラジエルを掲げた春奈が昂然と言い放つ。
「どうせなら正々堂々と勝負したらどうかな?」」
堂々と宣戦布告する姪の後ろで、湧輝は二の矢を番えていた。2人は狙われている気配のある柏木を、影ながら護衛に入っていたのだ。しかし、暗い闇をフラッシュの閃光が切り裂いた。
「‥‥カメラ!?」
「あれ〜。人を傷つける武器、使っていいのかなぁ?」
学生さんだと退学だよ、などと言う慈海に、慌ててエアーソフト剣に持ちかえる春奈。その隙を、闘士が見逃すはずも無い。
「隙ありだにゃー!」
「ふふふ、このハリセンにかけて負けないよ!」
とらりおんの絶妙な同時攻撃に、春奈防戦に追い込まれた。湧輝が舌打ちして地を蹴る。
「ささ、不良の皆さん、出番だよっ」
陽気に言う慈海の言葉に合わせて、音夢確保の雑魚不良がわらわらと姿を現した。
「所詮、熱血スポコンなんぞ時代遅れ。今宵は思う存分暴れまわるぞ!」
「相手は時代遅れの元四天王、びびるこたぁねぇ!」
先頭に立つカルマの声に、気合の声が返る。
「ぬぅ! お前ら、教授の口車に乗せられたか!」
教授に冤罪を押し付けつつ、それなりに頑張る柏木。と、ボコられモードの灯吾。
「何だ、こいつ弱えぞ! 畳んじまえ!」
「チッ‥‥」
踵を返し、柏木は再び乱戦に飛び込む。
「ククク、そうだ。綺麗になったおまえは見知らぬ相手を見捨てる事が出来ない‥‥。計画通りだ」
教授が眼鏡を輝かせた時、とうとう柏木の膝が崩れた。既に地に伏せていた灯吾が目を上げる。
「俺がやられてる間に‥‥、行けば良かったんじゃ」
「灯吾クンだったかのう。助けに来たお主の男気、見事だったけぇ。‥‥見捨てたら、笑われちまうわい」
どさりと倒れる柏木。どう見ても最初とはキャラが正反対です。本当にありがとうございました。
「よし、運べ。‥‥見せしめに吊るしてやる」
「隣のヒトはどーする? 面倒だし一緒でいいかな」
教授と慈海の指示で、不良どもが2人を連れ去りに掛かる。
「よし、足止め終了! ここは引かせてもらうのだっ」
白虎と子虎も、本隊に続いて下がりかけた。
「‥‥お待ちなさいっ!」
「待て、さすがに多勢に無勢だ。‥‥隙を伺い、奪還するしかあるまい」
春奈が切り込みかけるのを、湧輝が大人の判断で静止する。というか、あいつらに捕まると女の子でも吊るされてしまうから始末に終えない。せめて、あと1人仲間がいれば、と湧輝は言いかけてから言い直した。役に立つ仲間が、あと1人いれば‥‥と。
「‥‥なあ、柏木君よ。一体何でこんなマジパネェ皆さんと因縁できちゃったわけ?」
役に立たない仲間こと灯吾は、丸焼きの豚のように運ばれながら溜息をついていた。
●払暁
明け方近く。待ち合わせには非常識な時間だが、相手は菫である。呼び出された智弥の足取りは軽かった。伝説の樹の前に、戦闘装備で立つ菫を見るまでは。
「‥‥どうしたの、その格好」
「う、ううう、煩いのです。今の私は撲滅派の菫、上意によりお命を頂戴する!」
こんな時間まで迷っていた彼女だが、結局そのルートを選んでしまったらしい。
「ど、どうして?」
一歩近づくと、じりっと下がる菫。そんな様子を体育館の屋根上から見下ろしていたクラークは、少し考えてから構えていた銃を下ろした。上から推移を見守る青年には気づかず、菫はグングニラを構えたまま後ずさる。
「バレンタインなんか来なければ平和なのです。そう、ここは1つ世界の為に」
「うそだっ! 其れは違うよ! 教授の屁理屈だ!」
教授ですらそんな訳の分からんことは言わないと思う。不在の人に罪を押し付けつつ、智弥はまっすぐに菫に近づいた。反射的に振られた槍をあえて避けずに、菫の小さな身体を引き寄せる。
「わ、私に力で勝てると思わんことで‥‥、うぎ!?」
奇声をあげて暴れかけた菫は、少年のぎこちない腕にぎゅっと抱きすくめられた。意を決したように言う智弥。
「如月さんが暴れる理由はどうあれ‥‥、僕は‥‥菫さんのことが好きなんです!」
身悶えしていた菫が硬直し、耳がみるみる赤くなる。逃げ場を失った耳元に、智弥はそっと囁いた。
「ずっと守りたい。教授の言葉はまやかしだよ。僕を見て‥‥」
腕の中、俯き加減のままで少女が少年へと視線を上げる。
「‥‥わ、私は」
言いかけた声を、空気を読まない拍手が遮った。
「素晴らしい茶番劇だ。上演が終わったなら、役者はさっさと退場してもらおうか」
振り向いた智弥の視界に、教授としっと団の愉快な仲間達の姿が入った。
「裏切り者は許さないのさ☆」
「裏切らなくてもやるけどねー♪」
子虎の宣言に、白虎が嬉しそうに付け足す。その後ろには十字架っぽいものにくくられた褌1つの柏木と灯吾の姿も見えた。行間で粛清されてしまったらしく、胸には緑の塗料で『私は敗北主義者です』と書かれている。ちなみに、書いたのは慈海だ。
「敗北主義者はあなたの方だ!」
菫を背に庇った少年の顔面に、慈海の下僕1号ことイボガエルが命中した。
「くっ、見せ付けてくれるじゃないか‥‥、カップルめ」
2対多数。形勢は明らかに撲滅派有利だ。
「さて、さっさとやっつけて占領してしまおうか☆ ジ〜ク嫉妬♪」
「まとめて吊るせ! Hung them all!」
子虎と教授の声で、進撃に移ろうとした一団の足元を、ゴム弾が抉る。
「この銃撃は!?」
「やあ宿敵、準備はよろしいですか?」
ざしゃっと音を立てて、1人の男が頭上から降ってきた。ようやく姿を見せた朝日に照らされ、深緑が紅く燃える。
「ラウンドナイツ、クラーク・エアハルト‥‥、ここに闘争の開始を告げる」
「ちょこざいなっ。飛んで火にいる何とかだ! 疾風の皆さん、出番ですにゃー」
こんな時に備えて伏せているはずの同盟者に呼びかける白虎に、紫翠が溜息を返した。
「どうも、やられてしまった‥‥、ようで。連絡が、取れませんね」
「にゃんですとっ!? ではこの周りの気配はまーさーかー」
体育館を回りこむように、現れた新手は柏木一派の面々だった。
「ハインさん。引き続き指揮をお願いします」
「了解。一人も逃してはなりません。各員包囲次第殲滅に移行せよ!」
斯くなる上は、柏木を前面に押し出して突貫だ、と息巻く白虎に背後からの冷たい声が飛ぶ。
「残念だが、柏木は確保させてもらった」
柏木の十字架を運んでいた不良は、湧輝に排除されていた。
「ありがたい。助かったワイ」
救出された柏木が、首を鳴らしながらゆっくりと立ち上がる。
「どうやら、第二ラウンドのようじゃのう‥‥」
「良かったな! 頑張れよ!」
地べたからの灯吾の声援に無骨な笑いを返して、柏木は浮き足立つ敵不良に向き直った。まるでカッコいいかのような錯覚に陥るが、褌スタイルな上に胸には恥ずかしい落書きがあるのを忘れてはいけない。
「ふふ、ここでチョコも貰えずに朽ち果ててしまいなさい。そして、自らの愚かな行動を悔い改めなさい」
「援護射撃は任せてもらおうか。他には能が無いとも言うがな」
春奈が脇を固め、後ろへは湧輝が弓を手に歩を進めた。
「‥‥あれ、俺は‥‥?」
縛られたまま放置された灯吾は今、泣いていい。
『おはようございますです〜。ええと、状況は‥‥』
「生物兵器を投入するよー! 逃げてね!」
マイク片手に眠い目をこすりながら樹へと上るハルトマンに、慈海の投げた黒くて油っぽい昆虫や足の多い何かが飛ぶ。
『う〜、少しは自重してくださいなのですぅ』
のんびりした口調とは裏腹の鋭すぎる射撃が慈海を捉えた。
「うわっ、こ、これは厳しいねぇ‥‥。総帥、お先に失礼っ」
こうして、靴下とか腐った魚などの最終兵器は慈海の武器庫に眠ったまま終戦を迎え、勝者が敗戦処理に苦しむ事になるのだが、それはまた別の話だ。
「今回は負けないのだー!」
「行きますよ、白虎さん」
いつもの2人がいつものように火花を散らし、余人の介在を許さぬ決闘空間を形成する。
「ふっふー。伝説の樹は渡さないのさ♪ 皆、頑張るよ☆」
そんな事を言いつつも、ココが潮時と見定めたのだろう。子虎は不良どもを督戦しつつ、自らはこっそり一歩下がってフェードアウトの機会を探っていた。
「うわ、こりゃすげぇな。ムード音楽って感じじゃねーけど」
苦笑しつつ、樹の上ではヤナギがギターケースを開ける。もともと旋律向けではないベースギターで、右手と左手を別の生き物のように動かし、巧みに音を操るヤナギ。見る人が見れば賛嘆するだろうテクニックだ。
『包囲されてるしっと団が不利っぽいのです。でも、まだまだ勝負はわかりません〜』
●当日の朝
「なんでまたこんな死屍累々、と言うか戦場の様な有様になっているんでしょう‥‥」
真琴が覗きに来た時点から2時間ほどが経過してもなお、勝負はついていなかった。
「はい、これで大丈夫ですよ」
「ありがてぇ‥‥これでもう一暴れできる」
戦いが生き甲斐のような連中は、真琴の治療で再び戦いへと戻っていく。
「ああ、まるで天使のような‥‥。はっ、でもXmasでは男がいたよな‥‥。くそう、世界なんか大嫌いだー!」
別に好きで闘っている訳ではない奴も、やっぱり戦いへと戻っていった。終わらない理由の一端は、実は真琴な気もする。
真剣な戦闘ならば、ケリがつくのは早いのだろう。しかし、お互いに得物がおもちゃであるだけに、終幕はどちらかの心が折れる事でしか迎える事が出来ない。前日に張られていた罠をヤナギがこっそり解除してしまっていたのも、中止派の勢いを削いでいた。そんなこんなで長期戦になっていた殴り合いの一角が、唐突に崩れる。
「な、なんだ!?」
閃光手榴弾の輝きに目を押さえて叫ぶ不良達。
「仔猫ちゃん達‥‥、そんなに遊びたいってんなら‥‥」
遠くから聞こえた楽の音から、穏やかな雰囲気を期待してやってきたケイ。弾けそうな苛立ちを秘めた静かな声は、平等に届く死の宣告だ。
「あたしが遊んであ・げ・る」
静かな学園の空気を取り戻すべく、というのを建前に、ケイは虐めっ子の性分全開で不良に襲い掛かった。
「待て、ワシは‥‥」
「問答無用よっ」
すぱこーん、とぴこはんが一閃し、深夜から戦い詰めだった柏木が真っ先に沈む。早めに現地にやってきたソラの悲鳴が響いた。
「柏木さん!?」
「はわっ、大変っ!いま治療しますねっ」
連れ立って来ていたクラウが慌てて治療にかかる。
「おお、すまんのう。‥‥そういえば、あいつは大丈夫じゃろうか」
「誰のこと、ですか?」
放置されて数時間、心が脱水症状を起こしかけた灯吾は半分位あちら側に向かいかけていた。
「何事さ、これ!?」
「大変‥‥!」
のんびりと歩いてきていた間垣と沙織も、戦乱渦巻く光景に慌てて走りよる。
「カップルだ‥‥」
「カップルがいるぞっ」
「カップルだにゃー」
まだ闘志衰えぬ戦士たちが、ぎぎぎーっと首を回した。
『戦いに、新たな要素が加わったようですぅ』
実況はノリノリで事態を周知していく。
「ほわっ!な、なんで私達が狙われるのでしょうっ」
「わ、わからない。けど‥‥!」
ばっとクラウの前に立ち、バトルモップを構えるソラ。少し小さな少年の背が、今日は少しだけ大きく見える。
「クラウさんを傷つけさせたりはしませんっ。‥‥女の子を守れない男になんて、俺はなりたくない!」
「へっ、決めるときは決めるじゃねぇか、ソラ」
女の子を庇い、戦う男の子の構図×2にしっとの炎は天を突かんばかりに燃え上がったりするが、燃え広がるには勢いが既に不足していた。やるせなくなって座り込んだりする者も現れ始める。
「この世界にヴァレンタインなんぞなくなってしまえばいいのさ!」
まだ意気盛んなカルマが間垣を睨み、突撃を開始した。横薙ぎにこてつーを振りぬこうとした刹那、ふわりと金色が割って入る。
「2人の邪魔をする人はチョコレシピの角でお星様になれ、です」
ニッコリ微笑んだリゼットは、本の角でビニール剣と激しい鍔迫り合いを始めた。連戦の疲れから、カルマがじりじりと押し込まれていく。
「くそう‥‥! 正義はこの世に無いのか!」
額に本の角をぶつけてカルマも倒れた。戦局は、徐々にお約束どおり滅びるべきものが滅びる方向へと収束していく。
「柚井さんッ!」
ソラの前に立ちはだかったのは、額に『見敵必殺』の鉢巻、服装はたすき掛けの着物と袴姿という凛々しい出で立ちの音夢だった。
「‥‥真田さん」
その格好は、と問いかけたソラの正面へ、音夢は滑るように回り込んだ。その手から、ポロリと得物が落ちる。そして、一筋の涙も。
「ずっと、ずっと、自分を抑えて我慢して‥‥でも、もう限界です‥‥!」
「え、あ‥‥」
女の子を泣かしてしまった。その一事に慌てるソラに、抱きつく音夢。周囲の空気がざわりと音を立てた。
「柚井さんが、クラウディアさんと楽しそうにしているのを見る度に、苦しくて、辛くて‥‥!!」
「ほわっ。私‥‥?」
自分の名前を聞いたクラウが、思わず目をぱちくりさせる。
「‥‥好きです。‥‥大好きです、ソラさん‥‥」
潤んだ目で見上げる少女に、少年は少し困ったような目を向けた。
「‥‥音夢さんもクラウさんと同じ、友達です。‥‥それじゃあ、駄目、ですか」
ざわり、とまた何かが音を立てた気がして、クラウは胸元へ手を伸ばす。
「ごめん、なさい‥‥!」
真っ赤になった音夢が、逃げるように身を翻した。驚きに胸がまだ高く音を立てている少年少女と、毒気を抜かれた不良達を残して。
「く、ロケット花火はどうした。トリモチ弾は‥‥!」
教授が手元のスイッチを何度押しても、周囲に仕掛けたはずの罠は動作しなかった。
「あ、昨日の晩、全部片付けちまった」
悪ぃな、という声が樹上から降ってくる。
「教授、あなたに僕は負けない! 守りたい物があるから、何も無いあなたには絶対に負けない!」
どさまぎで片腕を菫に回したまま、言葉の槍で教授を突き刺し、抉る智弥。教授の耳に、何かが砕ける音が聞こえた。それはバレンタインを粉砕する計画の崩れた音か、あるいは自身の最後の人間性にヒビの入った音か。多分、彼を縛る深淵からの鎖が砕けた音ではないに違いない。
「今日の所は、ここまでと言う事か‥‥」
「前回は逃げられましたが、今回は逃がしません。捕らえて木に吊るしてあげます!」
冷静さを取り戻した教授に、春奈がビニール剣を向けた。しかし、その瞬間。教授を中心に爆煙があがる。
「逃げるのか、教授!」
「左様。では、次の闘争で会おう」
智弥の叫びに、教授の低い声だけが返った。春奈が悔しげに歯噛みする。
「‥‥また、ですか‥‥。彼を捕まえない限り、この騒動は終わらないのでしょうか‥‥」
その言葉が、戦いの終結の合図であった。
●そして、祝祭の日
「あー、演出です、と言ってもこれは難しいですよね‥‥」
響がやってきた時には、全ては終わっていた。苦笑しながら、片付けに精を出す響。歌でムードを作りましょうか、と言う彼に、ケイが照れくさそうにギターで加わった。
「少し、やりすぎたかな、とか‥‥」
過少については後世の歴史家の裁定に委ねる事としよう。
「‥‥お、助かったぜ。やっぱソロよりセッションの方が、イイな」
樹上から降りてきたヤナギはさすがに疲れているようだったが、LHに来て初めての機会に嬉しそうにベースを抱えなおす。
「それじゃあ、コーヒーでも淹れてからにしましょうか。ね?」
「あ、手伝いますよ」
笑うケイに、真琴が駆け寄った。闘い終わり、伝説の樹には再び穏やかな時間が戻っていく。
「‥‥無益な戦いであったな。行く方向さえ間違わなければ、彼らもよいバレンタインを迎えられたであろうに‥‥」
戦いの跡を見ながら、呟く湧輝。その向こうで、引き際を心得ぬ好敵手同士はまだ戦っていたりした。
「相変わらず、仲良しさんですねー。‥‥ん?」
そう挨拶した時にクラウが浮かべた曖昧な微笑に、真琴は気がついたが何も言わなかった。ただ、少しだけ笑みを深くして、手を振る。今日はバレンタイン。いつもより、少しだけ異性を意識してもいい日だ。
「何があったかは想像がつきますけれど、後片付けはしっかりしないと駄目ですよ」
貴方まで撲滅派なのは予想外でしたけど、と言う黎紀に、カルマは返す言葉も無く作業に勤しむ。歴史は敗者に語る術を与えないのである。
「さて、皆さんにせっかくだからお裾分け、です」
何か良い事でもあったように弾んだ雰囲気で、懐からチョコレートを取り出して配りだす黎紀。ついさっき訪れた理事室で、目当ての人に会えた事。
『貴女の配慮は、ありがたく受け取っておくよ』
その後には、多分逆接の接続詞が続いたのだろう。それでも、言葉を交わせた事は彼女にとってささやかな喜びだった。ゆっくりした音楽を背景に、ようやくバレンタインっぽい光景が見られ始めている。
「チョコ? どうして持って? いえ、ありがとう、菫さん」
もぞもぞしながら、半分潰れたチョコを差し出す菫は、相変わらず落ち着きが無い。というか、何で持ってるとか聞いちゃ駄目。
「ええと、これ。この間のお詫び‥‥です」
何の、と言わずにソラが差し出したチョコを受け取った不良Aは、周囲から物凄い勢いで背中紅葉の刑を受けていた。
「皆さんに。義理って言う言い方は好きじゃないので、友チョコです」
「みんな、仲良く、ね」
リゼットとクラウからのチョコに、柏木一派がお互いの頬をつねる。
「俺達にも? サンキュ」
「ありがとうございます。私からも、どうぞ」
沙織も、用意していたチョコを配っていた。多分、袋の底に見える大き目の物が間垣宛なのだろう。
「女性から告白するような状況作っちゃダメですよ?」
「お、おう。っていうか、何で知ってるんだ!?」
何ともいえぬ表情で黎紀の言葉を聞く間垣。彼が思うよりも沙織との事は有名らしい。
「‥‥義理ですが、あなたたちの行動に感謝を」
春奈も、珍しく柔らかい微笑と共に手製のチョコを手渡していく。そんな輪から少し離れて、柏木は空を眺めていた。
「柏木センパイ、聞きましたわよ。奮闘されたそうですわね」
背中から掛けられた声に、振り返る柏木。もじもじしたエリザが、俯き加減に立っていた。その手には、不恰好なチョコが握られている。
「こ、これは義理チョコですわよ!」
等と断ったエリザの目が、丸くなった。そう、今の柏木はかなり斬新なスタイルである。エリザの声が上ずったのを誰が責められようか。
「‥‥本命チョコとかいうのが欲しければ、もっとかっこよくなる事ですわ‥‥」
「ん、なんじゃと?」
聞き返した柏木に、背を向けかけたエリザが顔だけを向ける。
「そ、そうすればもしかしたら、来年は本命チョコをあげられるかもしれませんわよ!」
皆のいる方へと走り去るエリザを見送る、柏木の顔が赤い。というかキモイ。
『‥‥という組み合わせでチョコが手渡されていたようなのです〜』
さりげなく、ハルトマンの周知は徹底している。そして、スルーされ続ける灯吾には、そろそろしっとの神が降臨しようとしていた。