タイトル:【決戦】とある漁村でマスター:紀藤トキ

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/10/19 03:03

●オープニング本文


「おい、聞いたか? なんでも、宇宙でとんでもない事になっとるらしいぞ」
「まあ、軍人さんに要らん心配を掛けてもいかんしな」
 太平洋に面したさびれた漁港で、二人の男が心配げに話していた。チラチラと見上げた空に、赤い星がずいぶん大きくなっている。あの星がもうすぐ砕け散ると聞いても、実感が無い。その破片が地上に降り注ぐと聞けば、更に実感が湧かなかった。
「まあ、タテ坊を困らせてもいかんしなぁ。そういえばあいつ、明日にはワシらを迎えに来るらしいぞ」
「ほーう。一年ぶり、かのう?」
 体格の良い日焼けした初老の男性は、近頃は軍務に忙しいという篠畑 健郎の叔父だった。相槌を打つのは、もう老いて海に出ることも無い、公民館の館長だ。時刻は夕刻。明日の朝には近隣の町へ移動するとあって、船は全て港に揃っていた。

 守れる場所には限りがある為、破片が落ちてくる間だけ、都市に避難して欲しいというUPCからの通達は、このあたりでは冷静に受け止められていた。戦争中に、そのような話があったと聞いたことがあったからだろうか。とはいえ、高齢化が進むこの村でも、さすがに実際に経験した事のある者はほとんどいない。そもそも、昔とは避難する場所、受け入れる場所が逆だった。
「持って行っていいのは、位牌と通帳くらいですよ。はいはい、タンスは持っていけませんからね」
 館長が散歩に出た間、電話番に残っていた初老の婦人が慣れた様子で電話に答える。年代物の、薄緑のプッシュホンは村民からの電話が時々掛かってくる。本数は多くないのだが、どうも長電話になっていけない。
「あ。そろそろ晩の有線放送の時間だわね。それじゃあ、またね。お大事に」
 そう言って電話を切ってから、婦人は奥のスタジオへ向かった。

『こちらは公民館放送です。明日から三日の間、隣町までの避難命令が出ています。身の回りの大事な物だけ手荷物一つに纏めて、朝七時に港に集まってください。一人で動けない方は、公民館までご連絡下さい。隣同士声を掛け合って、聞き忘れの無いように気を付けてくださいね』

 住人が全員で集まっても、大型バス二台でお釣りがくる人数だ。道程は車で四時間ほど。大した距離ではないだけあって、土壇場でやはり村に残ろうとする老人も、いる。早朝にたどり着いた篠畑が旧知と挨拶を交わしていると、老館長とお手伝いの婦人の二人が声をかけてきた。
「鈴木の婆さんが、蔵が心配だから残るって急に言い出してなあ」
「鈴木さんのお店の先の角のお玉さん、足がお悪いから、まだ出てこれないのかもしれません、できたら、迎えに行ってあげてくださいな」
 まだ集まっていない人たちの名前を挙げる二人。そういえば、と首を傾げて老婆が会話に加わる。
「うちの爺様が、最後に裏の畑を見てくるって言って出て行ったが、まだ戻ってないなあ?」
 裏の畑というのは、往復で一時間くらいかかるちょっとした山の中だったりする、らしい。しかし、家を出たのは日の出前らしいので、さすがに戻っていないのはおかしい。そう言う老婆の顔は、よくあることさ、と別に心配げでは無かったが。
「わかった。俺も位牌位は持っていこうと思うし、ついでに手分けして回ってくるさ」
 手伝いを依頼した傭兵達が、幾人か来ている。この村にしては遅めの朝ご飯、とおにぎりを用意していた老人もいるあたり、集合してすぐに出発とはいかないのは皆わかっていたようだ。港に近い家で茶を飲んで待っているから出かける時間になったら声をかけてくれ、などという面々もいるあたりのんびりしたものである。
「ここで皆の世話をしてくれてもいいし、まだいない三人を探しに行ってくれてもいい。俺は実家によって位牌を取ってきてから、畑の山田さんを見に行くつもりだ」
 この休暇が明けた後、篠畑は軍学校の生徒と共に、この近隣の防空任務につく。宇宙と言う戦場に適応できなかった彼は、忸怩たる内心を抱えてはいるのだろうが、表にそれを出す事は無かった。
「いい天気だな。船を出せんのが残念だ」
 そんな事を言いながら、叔父が天を仰ぐ。つられて見上げた空は青く、高かった。

●参加者一覧

鏑木 硯(ga0280
21歳・♂・PN
セシリア・D・篠畑(ga0475
20歳・♀・ER
ケイ・リヒャルト(ga0598
20歳・♀・JG
シャロン・エイヴァリー(ga1843
23歳・♀・AA
東野 灯吾(ga4411
25歳・♂・PN
鐘依 透(ga6282
22歳・♂・PN
九条院つばめ(ga6530
16歳・♀・AA
エルレーン(gc8086
17歳・♀・EL

●リプレイ本文


「‥‥静かだねぇ」
 人の気配のしない道を歩きながら、エルレーン(gc8086)が言う。初めて見る村は、少しさびしく、それでいてどこか暖かい。
「静か、ですね‥‥」
 数歩後ろで相槌を打ったセシリア・D・篠畑(ga0475)は、前にこの村に来ているだけに、思うところがあるのかもしれない。その横顔に少し見とれていた夫の篠畑は、我に返って正面へ向き直った。
(別に誰もからかったりはしないわよ、ベア隊長)
 並ぶ二人を見つめながら、ケイ・リヒャルト(ga0598)は普段よりも嬉しそうな親友の様子に微笑を浮かべる。それが何よりも、嬉しい。

 篠畑の実家についた4人は、二手に分かれる事になった。位牌は帰りに取りに来る、と篠畑達は先に山へ向かう。
「それじゃ、座布団、適当に借りていくわよ。セシリアのエスコートを確りね」
 手を振って、奥にある物置へと。ケイは勝手知ったる足取りで向かう。座布団は道中、年寄りが辛くないようにと言う配慮だ。量が多いと聞いて手伝いについてきていたエルレーンが、困ったように玄関口で振り返った。
「お邪魔‥‥していいですか?」
「ああ。よろしく頼む。爺さん婆さんばかりだから、助かる」
「はぅ‥‥はい、頑張ります」
 家主にそう言われ、少しおどおどしつつも、エルレーンは確り頷いた。人を守るのが自分の本分と思う彼女にとって、戦う以外の方法でそれができるのは、嫌な事ではない。小走りに木の廊下を行けば、途中でケイが待っていた。
「ここの人達、素敵な御老人ばかりだから。‥‥手伝ってくれて私も嬉しいわ」
 そう、言葉に出せば、心得たと腕まくりする少女。素直さが、少しまぶしい。

「鈴木さん、お店をやってるのね」
 古びた看板を見たシャロン・エイヴァリー(ga1843)の声に、鏑木 硯(ga0280)は振り返る。硯へ茶を注ぐ手を止め、ほうなんよ、と返す言葉は少し柔らかく。店と言っても入ってすぐにタバコが置かれた棚がある程度。他の品は全部、問題の蔵にある。
「鈴木さんの大事な『クラ』、良かったら見せて頂けませんか」
 思っていた中身とは違うにしろ、本人にとって大事には違いない。そんなシャロンの気遣いが解ったのだろう。老婆はにかっと笑って立ち上がった。
「ほいほい、ちょっと待ちなよ?」
 腰に下がった束から、一際大きい鍵を手に奥へと。
「あ、俺もいいですか」
 湯飲みを持った硯へ、ええよ、と返し。老婆は段差に気をつけるようにと声をかけた。古い日本家屋だけに、油断すれば若者でも足を取られるような敷居があったりもする。時間に取り残されたような、昔ながらの場所。最後に訪れた2年前も今も、変わらず、ゆったりと。それはひょっとしたら、素敵な時間の重ね方なのかもしれない。
「何、硯。早く来ないと、置いてくわよ?」
 視線の先の彼女は、もう少し足早かもしれないけど、2人でこの先、一緒に時を過ごせれば、と。そんな願いを、少し濃いお茶と一緒に飲み込んで、硯も立ち上がる。


 既に集まっていた老人達は、当たり前だが皆顔見知りのようで、のんびりと言葉を交わす女性達もいれば、傍目には喧嘩でもしているような大声で怒鳴りあう男性もいた。お茶を出している女性に、手伝いますと申し出れば、恐縮しつつも感謝され。
(懐かしいな)
 九条院つばめ(ga6530)の脳裏に、実家の年寄りがふと浮かんだ。余り帰れていないが、元気にしているだろうか。そんな話を何となくすれば、好々爺がくしゃっと笑った。
「もうすぐ戦争も終わるんじゃろ? なら、顔も見せちゃりない」
 そうですね、と相槌を打って視線を動かせば、恋人の鐘依 透(ga6282)と目が合った。実家に帰ると言う事は、含んだ意味もある訳で。戦争が終わったらどうするのか、と水を向けてみる。
「戦争が終わったら‥‥皆が笑える世界に‥‥なっていくと、良いな‥‥」
 答える透の顔が、少し疲れているように見えた。
「‥‥そうですね。それは、この戦争に勝つことよりも難しいことかもしれませんけど‥‥」
 いつか、そんな日が来るといいですね、と言うつばめに、老人は何やら楽しそうに笑う。若いというのはいいですねえ、と微笑んだ女性に少し気恥ずかしさを覚えた。


 積み上げた座布団を、小さな荷車で運ぶ。周囲の気配の無さに、朝とは違う寂しさを感じた。普段ならば、そこの縁側で日向ぼっこしている人がいただろうか。小さな畑で汗をぬぐう人がいただろうか。
「‥‥いっつも、おばかさんのめーわくに苦しむのは‥‥普通の人たちばっか」
 ふと、呟いたエルレーンに、積荷がこぼれないようにと後ろに回っていたケイは視線を上げ、何も言えずにそのまま下ろした。バグアとの戦いで、壊れた小さな幸せはきっとたくさんある。

「すまないねえ。なんだか孫が出来たみたいで、甘えちまってさ」
「いやいや、他にもあったらやっとくからさ。遠慮せずに、な」
 迎えにいった先の、お玉婆さんの気がかりは、手の届かない神棚の世話だった。お安い御用、と引き受けた東野 灯吾(ga4411)に、顔をくしゃくしゃにして喜ぶ、老婆。若い衆にお礼をせにゃ、と札入れを取り出しかける彼女を慌てて推しとどめ、他に気がかりが無いかを確かめてから、集合場所へ誘う。
「あらまあ、負ぶって貰うなんて、なんか照れるねぇ」
 背を貸すと言う灯吾に、ほほほ、と笑って身を任せるお玉さん。重くないかい、と言う言葉に、軽い軽い、と返す。実際、老婆の小さな身体はとても軽かった。集合場所につき、下ろした後で家へと引き返す。杖と、小さな携帯式の腰掛を手に戻ってみれば、話が弾む老婆達の姿があった。
「いや、別にそんな大層な事をした訳じゃないですから‥‥。え、庭のスズメバチの巣? ああ、いいっすよ」
 などと、遠慮がちに頼まれる幾つかの雑用をこなしていると、公民館の館長が少し休むようにと声を掛けた。時計を見ればそろそろ10時。


「いやあ、見に行ったらついつい、仕事をはじめちまってなあ」
 帰るのを忘れていた、と大きな声で謝る山田老人を家まで送り届け、2人は篠畑の実家へと戻った。既にケイ達は帰ったのか、気配が無い。
「‥‥さて、と。じゃあ行こうか」
 少し長めに手を合わせていたセシリアが立ち上がると、篠畑は仏壇へ手を伸ばした。取り出された位牌を、セシリアは不思議そうに見る。この小さな板が、篠畑の両親や先祖を示しているらしい。背比べの傷のついた柱、小さくつぎのあたった襖、日の差す縁側、そして穏やかなこの村。
「‥‥この場所が、貴方の帰る場所‥‥」
 振り返った篠畑に、セシリアは小さく言う。戦いが終われば、この場所で、自分も貴方を待っていてもいいですか、と。
「いや、ここに引っ込むのはもっと年を取って、お互い皺くちゃになってからにしよう」
 篠畑は、笑う。戦争が終われば、これまで待たせた分、一緒に過せるようになるさ、という彼に、セシリアはほんの少しだけ微笑を浮かべた。
「そう、なるといいですね‥‥」
 多分、そうはならないのだろうけれど。こうして向けてくれる笑顔が、会えない辛さを埋めてくれるから。

 鈴木商店の蔵は、覗いてみれば意外と大きく。奥にはシャロンが思っていたような骨董品も眠っていた。これは何、と聞けば、それは売り物じゃないよ、と言いながら、老婆が答える。この場所に刻まれた老婆の人生の一片。耳を傾けるうちに、時は過ぎ。
「結局、昼近くになっちまったなあ」
 様子を見に来た篠畑の叔父は、どうせなら昼食を食べてから出かけよう、と言う。
「どうせ置いていくなら、足が速い食べ物はさっさと始末しちまわんと」
 御代は言い出しっぺにつけとくかね、などという老婆にシャロンと硯は苦笑した。
「昼食に使っても大分残っちゃうけど。大丈夫、きっと無事に戻れるわ」
 自信ありげに、言うシャロン。能力者の願いは力になるらしいのだから、自分にそう願わせて欲しい、と言う遠来の人に、老婆は目を細くして笑った。
「今更、町に出て助かっても、何も良い事なんざないから、止めようかと思ってたんだけどね」
 独り言のように、老婆は呟き。
「でもまあ、今の若い者の先も、もう少し見たくなったしねぇ。いいかい、あんたら、子供が出来たら手紙の一つも送りなよ」
 ぶっきらぼうに言う老婆へ、頬を染めてもごもごと俯く若い2人。店先に座り込んだ男が、遠慮なしに笑い声を上げた。

 何やら打ち合わせている篠畑を見かけ、透はぺこりと頭を下げた。気づいて片手を上げる様子は、昔と変わらない。彼を見て、願う事も。友人のセシリアを幸せにしてあげて欲しいし、彼にも幸せになって欲しい。
「Hi、ちゃんとした挨拶が遅れちゃったけど、久しぶり♪」
 その篠畑夫妻に、荷物を抱えたシャロンが声を掛ける。最近はどうなの、と問えば、隣のセシリアが、私に聞かれても判らないので本人に、と無表情に答えた。
「まあ、相変わらず地上勤務だ」
 空での篠畑は、独特の勘を持っている。それに頼っていた彼が宇宙で戦えば、いずれ紙一重が回避できずに撃墜されるだろう。そして、味方を巻き添えにする。その評価に、彼自身思うところがあった。
「‥‥命を懸ける覚悟が無いわけじゃないが、無駄に死ねる程、自分を安く思えなくなった。情けない話だが」
 自嘲する篠畑の手を、シャロンは取る。
「‥‥ありがとう。地上を守ってくれて」
 彼がやっていた事は、誰かがしなければいけない事で、あえてそれを選ぶ辛さを思えば、と。篠畑は驚いたような表情を見せたが、すぐに微笑を浮かべて、礼を返した。ありがとうございます、と一拍遅れてお辞儀するセシリアに、笑顔を向けて、シャロンは歩き去る。
「そういえば、言ってなかったな。俺が行けない宇宙で、戦ってくれてありがとう」
「‥‥はい。それは、いいです」
 セシリアの返事は少し硬い。知らぬ間に悩んで、知らぬ間に結論を出していた、夫。
「もう少し、色々話を、してください、です」
 ポツリ、と呟いた声に、篠畑が言葉を返すより早く、ちょっと黒い声が聞こえた。
「あら、何の話? 私にも聞かせて? ベア隊長」
 その後、篠畑がとてもとても大変な目にあったのだが自業自得である。


 手伝いはいらないから遊んでおいで、といわれて足を向けたのは、海。

「あれから2年、か」
 ケイが呟く。あの沖合いで、セシリアと篠畑が結婚したのだ。見慣れぬ風習だったが、その光景は不思議としっくりとしていた。船を渡ったセシリアと、迎えた篠畑が口をつけ、海へ溶けた酒の色。
「‥‥ケイさん、何時もありがとう‥‥」
 隣で、セシリアが不意にそう呟いた。私こそ、というケイの声は言葉にならず、それでも心が通う。共に会えない相手を想い、待つ時間の辛さを知っている。寂しい時間も、その後の喜びも。これからも、支えあっていこう、と言う決意を込めて、セシリアはケイの手を強く、握った。

 時間つぶしに、と頼めば釣竿は簡単に貸してもらえた。昔は誰かが使っていたもの、らしい。今でも使えるのは、暇を見て誰かが手入れしているからだろう。
「釣り、見るのは初めてなんです」
 じっと動きを見つめられて、少し照れくさい透。応援したほうがいいのか、気が散るから止めたほうが良いのか、と真顔で尋ねられて、透は思わず笑った。
「‥‥良かった」
 少し、疲れていたようだから、と言うつばめ。自分では気づかないうちに、心配を掛けていたのか、と透は思う。
「ごめんは、無しです」
 先回りをされて、照れくさそうに釣竿の先を見た。ぴくり、と動く浮き。
「‥‥あ!」
 そろって声をあげる2人。

 そこから少し離れた堤防では、シャロンと硯が水平線を眺めていた。
「ホント、絶景ね♪」
 小さな灯台の脇で見る空は、どこまでも青い。うねる海は、その名の如く黒い潮で。
「わぁー!」
 意味もなく、大きな声をあげてみる硯。その横顔をチラリと見て、シャロンも負けじと声をあげてみる。
「わー!」
 腹の底から声を出すのは爽快で、ふと気づけば顔が笑っていた。ひとしきり笑いながらも、硯は少し安堵している。もしも最初に思ったように、シャロンさん好きだ、などと絶叫していたら、どうなっていたか。負けじと、私も、などと声をあげてくれていたり、するかもしれない。空想に頬が緩みかけ、いやいや、と首を振った。
(随分、顔立ちも変わったわよね‥‥。出会ったばかりの頃は可愛かったのに)
 彼の内心までは見透かせず、シャロンは海へ向いた硯の横顔に、流れた月日を思う。それは、少年から青年へ変わる時間がもたらしただけではなく。少年が出会った出来事や人が、変えたのだろう。その中には、きっと自分も含まれていて。
「‥‥なるほど」
 こういう照れくさい思考に至ったときに、あの口癖は便利なのか、とシャロンは頷いた。どこか遠くで、UPCの中尉がくしゃみしたとか。

「綺麗だな‥‥」
 海岸のエルレーンは風に吹かれつつ、海を見ていた。いつも見上げる、青い空と異なる色。水平線の作るコントラスト。そこから上へ向かえば、見慣れた深さを増す蒼。下へ目を転じれば波頭と潮が作る、暗色と白の複雑な模様。この美しい空の上でも、そしてきっと海の下でも、戦いは続くのだろう。たとえ、この平穏を乱さないで欲しいと彼女が願ったとしても。
「それでも‥‥、ね」
 思わない道理は無い。願わない理由も無い。だから、少女は思う。この世界に、平穏を、と。

 少し上がった岩陰で、灯吾も同じ海を見ていた。
「キメラがいない、海っていいもんだな」
 そう声に出し、灯吾は大きく深呼吸する。潮の香りが心地よい。都市を守るのは、当然として、できれば、この海や山に落ちる破片も無くしたい。
「せっかく、こんなに綺麗なんだもん、な」
 ‥‥それはそれとして、青年は思うわけだ。カップル達が幸せそうなのはいいのだが、こうして一人、潮風に吹かれているとやるせない気分で胸が塞ぐ。
「‥‥誰も、いないよな」
 チラチラと周囲を見てから、灯吾は大きく息を吸い込んだ。
「青春の、バッカやろー!」
 海は、そんな叫びもおおらかに受け止めて、きらめく。
「はぅ? 何か、聞こえた‥‥」
 それは聞こえなかった事にするのが人の情けです、エルレーンさん。

「そろそろ、昼飯だぞー」
 遠くから聞こえる声に、透はそっとつばめの肩を揺すった。
「おはよう、つばめさん」
「‥‥あ、おはよう‥‥ございます」
 応えてから、我に返るつばめ。掛けられた上着は透のものだ。恋人にもたれて、眠ってしまっていたらしい。ありがとうございます、とつばめが言えば、こちらこそ、と返る。
「こちらこそ‥‥?」
 首を傾げたつばめに、笑顔を向けて。先に立ち上がった透は手を伸べる。のどかな一時は終わり、また慌しい喧騒へ戻る時間だった。