●リプレイ本文
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現地警察の検問は、依頼主の一筆であっさり通過できた。職務に忠実な若い警官がそこからの短い道のりを先導する。どこか澱んだ雰囲気を感じる一角に、その邸宅はあった。周囲の住人は全て避難済みで、ルートは全て封鎖されているらしい。
「で、では、能力者さん。自分はこれで!」
警官は邸宅から目を背けるようにして走り去る。正門前の路上には、どす黒い汚れがまだ残っていた。
「勘弁してくれ‥‥」
依頼主から見せられた凄惨な遺体写真を思い出してしまった草壁 賢之(
ga7033)は天を仰ぐ。前回の依頼もろくでなしの相手だったが、今回はそれに輪をかけて酷い。彼の隣に立つフォビア(
ga6553)も、やり切れなさに唇を噛んだ。この世界は人を悪魔に変える。子供を私欲の為に騙して殺すような。あるいは、警官達を楽しみの為に殺すような悪魔へと。
「私は許さない。‥‥この世界を。そんな世界に流されて、ここまで落ちた、あの人たちを」
彼らを再び人の心を持つ者に戻す事。それが、彼女が自らへと課した、世界へと挑む方法だった。
「分からせてあげないといけないわね。命の大切さを」
そう言う黒崎 美珠姫(
ga7248)は、前回の闇医師事件の解決に加わってはいない。それでも、彼女はこれ以上の悲劇を起こさせない為に、この任務に志願した。
「昔パパが言ってたわ。たとえ相手に何百回裏切られても、優しさだけは忘れてはいけないって」
どうして、人は傷つけあうのだろう。そう呟くリーゼロッテ・御剣(
ga5669)のような優しい人間には、悪党の心は理解できないのかもしれない。ただやりきれない、その想いが胸にわだかまる。
「今回は‥‥容赦‥‥しない、よ‥‥」
リーゼの隣で、先の事件で妹分になったリュス・リクス・リニク(
ga6209)は、小さな胸を怒りに焦がしていた。
「ま、一度始めた掃除だ、キッチリと綺麗にしようじゃないの」
アッシュ・リーゲン(
ga3804)の冷たい笑みは、内に秘めた物を思わせるような凄みを帯びている。
「そうね〜。きっちり片をつけないとね? 災いは、根元から狩るべきだわ」
普段は柔らかい神森 静(
ga5165)の表情も、冷たい色に染まっていた。彼女も、美珠姫同様に今回からの参加になる。だが、戦いへ挑む決意は他の仲間と変わりはしない。
「さて、ではいきましょうか」
暁・N・リトヴァク(
ga6931)の声に、一同は大きく頷いた。
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屋敷の全景を視野に納めた暁の目は、朝焼けの色に変じている。透視が出来るわけではないが、建物の輪郭や庭の配置は正確に頭に入った。覚醒に伴う付帯効果だ。脳裏のそれを、他人にわかる形にすべく描き出す暁。彼の隣では、静が周囲を警戒していた。
「うーん、便利ね?」
暁の手元をみた美珠姫が感心したように言う。邸宅は、やや縦に引き伸ばされたコの字形をしているようだ。入り口に当たる部分はコの字の右側中央になる。しばし眺めてから、彼女は小さく頷いた。
「この造りだと、入ってすぐのホールは恐らく吹き抜けね。正面に2Fへの階段もあると思う」
イタリア在住、民謡の歌い手でもある美珠姫は、現地の屋敷に招かれた機会もあるのだろう。
「この茂みと、それからこことここに嫌な気配を感じたな」
情報収集から戻ってきた賢之が暁の手元の地図を指差した。おそらくは罠が仕掛けてあるのだろう。こういった時の彼の勘は鋭い。これも覚醒による変化の一種だった。
同刻。側面へと回っていたリニクは探していた物を発見していた。いざと言う時の離脱に使うのであろう、黒塗りの高級車。邸宅からやや離れた車庫は、かつて厩が建っていた場所にあるようだ。リニクがスキルを使えば、気配を隠してそこまでたどり着ける可能性はある。
「無理は‥‥できない、けど」
発見される事は避けたい。だが、退路は断っておきたい。悪党を逃がすわけには行かないのだから。逡巡する少女を見て、リーゼはそっと小さな肩に手をかける。
「私ね。前の仕事であなたって妹が出来て嬉しかったの。お姉さんが守ってあげるから頑張りましょ♪」
姉代わりのリーゼの言葉に、リニクは強く頷いた。リーゼが手にした機関銃は、制圧射撃には最適だ。万が一の場合でも、リニクの退路は確保できる。意を決したリニクが音もなく移動をはじめた。歩き出せば、車庫まではすぐだ。
「‥‥これ‥‥だね‥‥」
小柄な体で車の下へ潜り込んだリニクが呟く。手にしたナイフでタイヤの裏側を抉ると、小さな火花が散った。
「お疲れ、リニクちゃん」
戻ってきたリニクを笑顔で迎えるリーゼ。2人の側に、弓を手にしたアッシュがいつの間にか立っていた。
「お疲れさん。さ、戻るかね」
何気なくそういうアッシュの矢筒からは、いつの間にか2本の矢が消えている。少女の匂いをかぎつけた猟犬は誰に気付かれる間も無く、そして躊躇いも無く始末されていた。
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「窓は、小さい。突入ルートは‥‥、正面、ね」
情報を吟味したフォビアの案に、異論は出ない。警察部隊の突入で破壊されたままの正門は、動きの妨げにはならないだろう。
「待ち伏せポイントは、入ってすぐか」
咥え煙草のまま、アッシュが呟いた。美珠姫の見立てだと2Fの廊下はエントランスホールを囲むように伸びているはずだという。踏み込んだ先に待っているのは映画さながらの大歓迎だろう。しかし、上から撃たれると分かっていれば、能力者の力を持ってすれば避ける事も可能だ。
「全ては、我が愛しき女王陛下の名の下に」
小銃「S−01」を額にあて、祈るように呟いてから、先導役の暁が地を蹴る。正門から、邸宅の扉までは15mほどだった。邸内から慌しい気配が感じられた時には、既に暁が扉を開け放っている。
「撃て、撃ち殺せ!」
一歩遅れて、マフィアの構成員が叫んだ。10人分の拳銃が階下の侵入者へと鉛の雨を降らせる。頭上を取った有利さを加味してもなお、不意を打てなかった彼らでは能力者に痛撃を与える事は不可能だった。能力者のある者は手にした得物で銃弾を防ぎ、ある者はヒラリと回避する。避けきれずにその身で受けた傷も、皮一枚程度だ。キメラを相手に受ける物と比べれば掠り傷のような物である。
「ちょっと黙っててね?」
敵に倍する火力でリーゼが応射した。軽快なスタッカートと共にばら撒かれる弾幕が、浮き足立つ敵の腕や足を撃ち抜いていく。アッシュやリニク、静も攻撃に加わると、残る敵は時を経ずに制圧された。
「もうっ、あんまりしつこいと嫌われるよ?」
最後尾、猟犬の牙をダガーで受け流していた美珠姫がホールへと滑り込む。けたたましく吠える犬達の眼前で、賢之が扉をしっかりと閉めなおした。
「おそらく、この間取りなら主人の居室は2階よ。急ぎましょう」
美珠姫に言われるよりも早く、暁は階段を上っていた。まだ動ける敵を用意してきたロープで縛り上げようかとも考えた静だが、その時間が惜しい。
「急いで! 皆の尻は俺が守るッ! ‥‥ぁ、さり気セクハラ?」
ワンピース姿の静を見あげつつそんな事を言う賢之へ、やはり殿軍を買って出た美珠姫が目を向けた。
「後ろは私が固めるから平気です。賢之が先に行って下さい」
「な、何が平気なのかな」
含みのある笑みをかわしてから、2人は並んで階段を駆け上る。
右側通路の先、曲がり角の先にバリケードを作っていた敵も、待ち伏せを見破られた時点で敗北は決まっていた。短いが激しい銃撃戦の後には、血の匂い。その全てが敵のものだ。
「ゆっくり寝てろ‥‥好きなだけ、永遠に、な‥‥」
もはや動く事の無い男に、アッシュが言葉を投げる。リーゼは静かに目を閉じ、短い祈りの言葉を呟いた。息のある敵も、銃を握る力はもうないだろう。途中、後方で聞こえた銃声もいつの間にか途絶えていた。
「後ろの敵も、終わりました」
合流してきた2人に頷き返してから、一同は先を進む。もう、一般人の敵は残っていないはずだ。
「備えがあるって事は本命がここってことでしょう? わかりやすいわね」
静が微笑み、廊下の突き当りへと目を向けた。重そうな扉が放つ存在感は、他のものとは明らかに違う。チラリと視線を交わしてから扉へと向き直った。
チェックメイトだ。
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「よう、邪魔すんぜ。ゴミの回収に来たんだ、『人間のクズ』ってクッセぇ生ゴミをな?」
扉を蹴り開けたアッシュ。無防備になる瞬間だが、それだけに彼は十分に注意を払っている。その瞬間を狙って横合いから伸びてきたナイフをアッシュは身を捻って避けた。
「アハ、やるわねぇ。ゾクゾクするわ」
ナイフの主、リーは黄色人種にしては白い肌に、血のような唇が笑みを浮かべている。そのまま、手だけが目にも留まらぬ速さで動いた。リニクの放った銃弾が刃に阻まれて天井へ弾痕を穿つ。
「お前達に‥‥贖罪は‥‥必要、ない‥‥。あるのは‥‥断罪‥‥だけ‥‥」
殺意を込めてリーを睨むリニク。3丁の銃口を前に、女は笑みを更に深くした。
「2対1、それでも‥‥、この距離じゃあナイフの勝ち。フフ、2人ともたーっぷりと刻んで泣かせてあげる」
リーを2人が食い止める中、残りの仲間が一気に部屋の奥へと駆ける。だが、その瞬間にズシン、と地響きを立てて視界が揺れた。
「おっと、潰れちまったかァ? チビども」
重そうな机が部屋の中央でひしゃげている。それを投げつけたらしい巨漢は徒手空拳だった。さすがに、能力者達はサッと散開してよけている。まだ埃の静まらぬ中、まずは細いハイヒールが石の床を蹴った。
「相手をしてやろう。今まで、たくさんの命をもて遊んだから、そろそろお前の命で償え、覚悟は、いいか?」
「ケッ、女か」
胴回りからすれば半分にもならぬような細い身体の静を、ジェドは退屈そうに見下ろす。その上半身が揺れた。
「ども、保健所のものでーす。上官殺して尻尾巻いて逃げたワンちゃんは確保しまーす‥‥っと」
近距離からのライフルの狙い済ました1射。だが、賢之が浮かべていた会心の笑みはすぐにうんざりとした表情に取って代わられた。
「今のはなんだ? 蚊に刺されたかぁ?」
肩口から流れる血は少ない。銃弾を筋肉で止めたと言うことだろう。さすがに、ここまでに相手をしてきた一般人とは違うようだった。ジェドが静と賢之に注意を向けたところで、部屋の隅にいるブルーノへと残りの4人が向かう。いや、既にフォビアは瞬天足で一気に駆け寄っていた。椅子から身を浮かせかけた所を、細い足が蹴り上げた。
「げはっ」
肺の中の空気を全て吐き出すような声をあげてブルーノはうずくまる。苦しそうに咳き込む間に、残りの3人が彼を包囲していた。
「‥‥抵抗する気などなかったのだがね? 彼らと違ってしがない一般人の私は」
薄笑いを浮かべながら告げるブルーノへ、フォビアが悲しみを込めた視線を向ける。
「‥‥あなたは、何も感じないの? 人を、あんなに傷つけておいて‥‥」
「ああ、悲しい事だとは思うよ? かわいそうだともね」
表情を変えぬまま喋るブルーノの四肢を、手錠を用意していた美珠姫が素早く拘束していく。
「だったら‥‥」
言葉を続けかけたリーゼを遮るように、ブルーノは笑みをやや深くした。
「だが、ファミリーを守る為に必要ならば、どこのガキがどうやって野垂れ死のうが知ったことではない。それが我々の生き方だ」
リーゼがはっと息を呑む。それを見ながら、ブルーノは言葉を続けた。
「君達も同じだろう? 自分達の信じる倫理を守るためなら、その埒外の我々を力で排除する」
同じではない。同じでなどあるはずもない。だが、その言葉はきっと届かないのだろう。それでも。
「何度だって言う、あなたは、何も、感じないの?」
繰り返されるフォビアの語調に、ブルーノの笑顔が僅かに強張った。その瞬間、美珠姫がブルーノのアゴを手で押さえる。
「貴方達にとって死ぬより屈辱的だとしても、この行いの責任は、生きて果たしてもらうわ」
自殺する事など許さない、と告げる美珠姫に拘束されたまま、ブルーノは肩をすくめて見せた。
アッシュとリニクの2人は、間合いの詰まった状態でもリーを相手に引けを取っていなかった。戦い慣れしたアッシュは、リニクと息を合わせ、隙を見せぬように戦いを進めていく。
「どうした、ナイフ使い」
余裕が失せた女の顔を見ながら、アッシュは小さく笑った。右手に2発、左手に1発の残弾を一気に撃ちきる。ガチリ、と撃鉄が噛む音が聞こえたのは、彼の計算どおりに左右同時だった。
「‥‥弾切れかしら? 最後に勝つのはアタシだったようね!」
リーが素早く側面に回り、両手のナイフで切りかかる。右手は回避したが、左手が肩口をかすっていった。だが、そこで女の動きは止まる。
「な‥‥」
「こんな単純なフェイクに引っかかるとはな‥‥、ハッ」
一瞬でリロードを終えたアッシュの銃弾が、リーの両脚を撃ち抜いていた。呆然とした隙に、リニクの銃弾がリーの腕を貫く。ナイフを落としてしまえば、女を取り押さえるのは難しくなかった。アッシュが右腕をねじあげる。悪女の手の甲には、仲間達と同じようにエミタ機関が埋め込まれていた。
「え、嘘‥‥、冗談よね? もう抵抗しないわよ、だから‥‥」
「刻んで、泣かしてくれるんだったっけな?」
アッシュが獰猛な笑みを浮かべながら、エミタを抉り出す。言葉にならぬ悲鳴をあげて、女はのたうちまわった。
静と賢之の2人を相手に優勢に戦いを進めていたジェドは、リーの悲鳴に片眉をあげる。
「チッ‥‥、これからだってのによ」
言葉と共に唾を吐き捨て、巨漢は目の前の静をギロリと睨んだ。
「来るか? こちらも引けない意地があるのでね!」
刀を手に身構えた静の脇を、ジェドは巨体に似合わぬ速度ですり抜ける。グラップラーのスキル、瞬天足だった。護衛役の逃走を予期していなかった能力者達は、あっけにとられたように後姿を見送る。銃口を向けなおした時には、敵の姿は視界の外へと消えていた。
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「終わってみれば、あの男は捕まる事を期待していたようにも思えるな。用心棒の2人も、当人が雇い入れたわけではなかったらしい」
捕えられてからは、極めて協力的にさえずっている。黒髪の女はそう言ってから煙を吐いた。根元を押さえた事で、先に捕えた闇医師のような末端の連中を逆に辿って叩く事も可能になったと言う。
「今後の調査は、地味で、暗くて、長期に渡る嫌な仕事になるだろうな。もう君達の手を煩わせるような事は無い、‥‥と願いたい所だな」
灰皿を叩きながら、女はもう一度細長く煙を吐く。正面を向かないのがせめてもの気配りらしい。
「そういえば、誰か奴に尋ねた事でもあったのか? 『奴に聞け』という伝言を預かっている」
確かに伝えたからな、と女は言った。その手が胸ポケットへと伸びる。どうやら、しばらく禁煙とは縁が無さそうだ、と女はため息混じりに笑った。