●リプレイ本文
●ハムの為に
しばらく車の絶えていた道路を5両の車列が行く。最後尾を行くトラックでは、エレンが鼻歌交じりでハンドルを握っていた。
「どんなハムなんだろう。楽しみね」
そんな声をかけられた柚井 ソラ(
ga0187)は、周囲を警戒しながらもニコニコと笑っている。
「エレンさんにはいっぱいお世話になったから‥‥。俺は、俺の出来ることで恩返しするのです」
これから向かう先にある絶品のハムよりもエレンの笑顔の為に、などと照れずに思えるのはソラがまだ少年だからだろうか。
『そろそろ、キメラのいるらしい場所に差し掛かりますよ』
エレンの車の前を行く初老のハム職人の声が、無線機から飛んだ。隊列の前方を走るジーザリオ2台がやや速度を上げる。後続のトラック2台に先行してキメラをひきつけ、殲滅しようと言う作戦だ。
『しばらく心細いかもしれませんが、俺が先導します』
トラックの護衛役に残った3台目のジーザリオから福居 昭貴(
gb0461)の声がする。やや経験が浅いのを気にした彼はフォロー役のポジションを選んでいた。
「フフフ、エスコート、しっかりお願いね?」
『感謝祭の為にもハムの為にも頑張りましょう』
自分が少しでも役に立てればいい、と昭貴は言うが、彼の買って出たのは重要かつ危険な役回りだ。
「昭貴君とソラ君がいてくれるから、こっちも安心して前に出れるわ。よろしく頼むわね」
先行車でドライバーを務めるリン=アスターナ(
ga4615)が無線へ向けて口にしたのは、正直な気分だろう。彼女の車にはエレンが時折見せる危なっかしさを知る面々が固まっていた。
「エレンさんと任務で一緒になるのはマドリード以来ですね。約束した通り、今度は渋い所を見せてサクッと終わらせましょうか」
風向きを確認する為に周囲の木々を細目で見ていた紫藤 文(
ga9763)が人好きのする笑顔で言う。今回の傭兵達の中では、彼が最年長だった。
「エレンと‥‥約束、か‥‥」
言葉を追うごとに沈んだ表情になるラシード・アル・ラハル(
ga6190)だったが、落ち込む気分を振り払うように一つ首を振る。思い浮かぶのはグラナダの空。呪縛に囚われたバイパーを解放するというエレンとの約束は果たせず、それが少年の重荷になっていた。
「そういえば、大丈夫かしら。つーさん」
エレンがトラックの中で首を傾げる。出没するという獣型キメラをおびき寄せるために、2台目のドライバーの鬼非鬼 つー(
gb0847)は生き血を使おうと申し出たのだ。500mlくらい採って欲しいと本人は言ったが、注射器を握っていたエレンは一応軍医の卵。適当に加減している。
「さて、うまく釣れるといいけどな」
噂の当人は、サイドミラーへ結びつけたバンダナへチラリと目を走らせていた。つーの血で赤黒く染まったバンダナは走る車の風圧でハタハタとなびいている。その後席ではセシリア・ディールス(
ga0475)が双眼鏡を左右に向けていた。その度に薄い茶色の髪が風に踊る。ソラの提言で、ジーザリオのホロは外されていた。
「誘ってくれてありがと」
隣に座っていた鐘依 透(
ga6282)が静かな微笑を少女へ見せる。
「‥‥ハム、しっかりたっぷり、‥‥持ち帰りましょう」
風の中でも声が聞こえたのか、セシリアが頷き返した。表情にこそ出ないが、少女の思いは食通の伯爵御用達のハムへと飛んでいるようだ。
「うん。そうだね」
食べるだけではなく、お土産も。どっさり持ち込んだタッパー類を思い、透も小さく笑う。
●食欲の敵
敵を最初に視認したのは、セシリアだった。
「‥‥右側、丘の向こう。敵、です」
彼女が報告し終えるのを待っていたように、獣の吼え声が響いた。
「少し揺れるよ。気をつけて」
つーが大きくハンドルを右に切る。道をそれて不整地に入ったジーザリオは、その踏破能力を存分に発揮していた。その車外で更に濃く血のにおいが渦を巻く。透が自分の腕にアーミーナイフを突き立てたのだ。
「あ、痛みは感じないから、平気だよ」
じっとその様子を見つめるセシリアに、そう答える透。覚醒は少年の痛覚を変質させている。
「必要なら、はい。‥‥仕方がない、ですが」
赤く変色した目を自分の腕に落とし、セシリアは無線機を取った。他の車両へ手短に状況を報告する。その間にも、周囲から感じる敵の気配は徐々に強くなっていた。
「鬼非鬼君の車へ目掛けてまっしぐら、ね」
リンが苦笑する。血の匂いに興奮しているのか、リンのジーザリオが数十mのオーダーに近づくまで、キメラは気づく様子もない。囮が固定された事で、彼女達は有利に移動する事が出来ていた。
「反応が、ちょっと遅かったな」
射程ギリギリでターンした所で、弓を構えていた文が弾頭矢を放つ。背後からの爆発は目標となったキメラだけでなく、周りの敵も慌てさせた。
「近づかせ‥‥ない、よ」
振り返ったキメラの眼前を遮るように、ラシードのサブマシンガンが弾幕を張る。当てるというよりも妨害を主とした射撃は相手の出足を奪っていた。
「左前2匹‥‥と、右後ろ」
1号車のラシード同様、弾幕防御を念頭に置いたセシリアが攻撃の合間に敵の動きを告げる。
「なんの、まだまだ!」
走りにくい森林へ突っ込まないようにルート取りをしていた為、つーの運転には多少の余裕があった。しかし、徐々に取れる道筋が制限されている。
「追い込んで、きてる?」
飛び掛り、そのまま車に乗り込まんとしたキメラへ銃弾を送り込みながら、透が呟いた。SES武器の射程は決して長くは無く、攻撃を行おうとすれば追いつかれるリスクも負わねばならない。さすがにシートベルト着用では動きが制限されすぎるので2人とも外していたが、キメラを避わしながら蛇行する車の上で安定して射撃するのは難しいようだ。
「うっ。畜生め!」
不意に、つーが呻いた。
「正面‥‥大きい、です」
淡々とセシリアが言うように、ジーザリオの正面に立ちふさがったキメラはこれまでの物よりも2回りほど大きかった。ぶつかった瞬間、赤いフィールドが輝く。運動エネルギーだけならばジーザリオに分があっただろうが、足を止められたのは自動車側だった。
「わっ‥‥」
衝撃で振り落とされた透が体勢を立て直した時には、キメラの群れが周りを取り囲んでいた。
「傷の手当て、を‥‥」
セシリアが、超機械に持ち替える。運転席から転がり出たつーが、敵の牙を皮一枚で回避した所に、2匹目の爪が襲い掛かった。
『2号車が、捕まった。‥‥敵は15匹位』
銃声を背景にしたラシードの声は、少し緊迫していた。
「多分、それで全部、ね」
エレンが呟く。
『大丈夫でしょうか』
トラックの周辺警戒を行っていた3号車の昭貴も心配げに言うが、無闇に持ち場を離れるわけにもいかない。万に一つでもトラック側に敵が現れた時には彼とソラが食い止めねばならないのだから。
敵に追い込まれたつー達だが、治療を行えるセシリアがメンバーにいたのが幸いしていた。車を止めた大物は、防御の硬い透が相手をする。少年が複数を相手取る事が無いよう、素早いつーは雑魚の気を引いていた。
「火は、使えないな」
車に積んでいたスブロフを即席の火炎瓶にするアイデアは、この距離では延焼してこちらが追い立てられる可能性もある。地道に、銃と剣で敵を一匹づつ始末するしかない。敵からの圧力を3人で受け止め、流していたのは数十秒程だったろうか。
「‥‥お待たせ、だよ」
ラシードのサブマシンガンが、つーの側面へ回ろうとしていたキメラを打ち据える。1号車の面々が敵の後背を破って合流したのだ。
「良く頑張ったわね。一気に押し切りましょう」
ハンドルを離れたリンは瞬天速を使い、透が抑えていた首領格のキメラの側面を取っている。彼女の背後へ向かうキメラの行く手を、二挺拳銃の文が遮った。振り返ったキメラの牙を左手の銃身で受け、突き出した右の銃口から鉛弾を送り込む。
「あの時もコレが助けてくれたっけな‥‥」
呟きながらも、文の目は次の敵を探して動いていた。応援を得て攻めに転じたつーの赤鬼の如き影が彼の視界を過ぎる。まだ数は敵の方が上だったが、勢いは逆転していた。
「‥‥隙あり、です」
透とリンに攻め立てられ、いらただしげに吼え声をあげたキメラを、白い輝きが貫く。吼え声がそのまま悲鳴に変わった。飛び跳ねて逃げる先へも、セシリアの超機械の放つ光の帯が正確に追随する。
『グル‥‥ガ‥‥』
悲鳴を上げていた口からは、いつしか赤い湯気のような物があがっていた。
「逃がさない、よ」
ボスを失った残るキメラの退路を塞ぐ様にラシードが銃弾をばらまく。キメラの抵抗が無くなったのは、それから程なくしてだった。
「牽引しなくても平気なようですね」
昭貴がほっとしたように言う。2号車の損傷は何とか自力走行が可能な程度に留まっていた。
「依頼人がお金持ちだし、修理代金はつけときましょ」
エレンが笑う。車の小破を代償にキメラが往路で殲滅できたのだから、必要経費と言っても嘘ではない。
●そして御褒美タイム
「わぁ。豚さんいっぱいだ」
倉庫区画に足を踏み入れて、ソラが感嘆の声を上げた。
「伯爵ご所望のハム‥‥高級ハム、ですよね‥‥」
ぶら下がった豚をじーっと見ながら、セシリアが言う。倉庫の中はひんやりと涼しく、そして濃厚な匂いで一杯だった。
「おっきいですね‥‥」
それ以上の言葉も無い様子の透。その向こうで、一匹に刃を入れていた初老の男が嬉しそうな声をあげた。どうやら、放置されていた割に出来は上々らしい。
「うー、やっぱり電気は来てないわね」
自動装置っぽいものを見ていたエレンが首を振る。ということはつまり、積み出しは人力。
「‥‥豚を詰め込むなんて生まれて初めての経験です」
苦笑と言うより楽しげに笑い、昭貴が担いだ豚をトラックへと上げる。
「よし、いい子だ」
つーは、トラック側で受け取り、フックへと吊るしていく担当だった。ハム好きの血が騒ぐのか、豚を受け取るたびに表面を撫でて一言かけていく。
「よ、い‥‥しょ」
力は十分でも、身長が不十分なソラがよたよたと歩いてきた。
「‥‥手伝う、よ」
同じく小柄なラシードが横から支える。
「最初に聞いていた敵は倒したみたいだし、見張りに大勢はいらないわよね。念は入れておきたいけれど」
「じゃ、ここはお願いしようかな。働いた後のビールはうまいしね」
リンの言葉に頷いて、文がさっと歩き出した。
「エレンさん、ヘッドライトお願いします」
奥から積み出してきた透に言われて、エレンがヘッドライトをつける。小さいが、周囲を照らすくらいは十分な光だ。
「これで足元、大丈夫?」
すぐ横から囁く年上の女性の横顔に、少年は夏の1コマをふと思い出す。
「あ、今更ですがジャンヌさん綺麗でしたよ」
「‥‥うぅっ!?」
不意を打たれたエレンの、なんとも言いがたい声が倉庫に響いた。
積み込み中も帰路も、新手の敵の姿は無かった。
「何というか、臭いがすごいですね‥‥」
昭貴の3号車には人の代わりに豚が鎮座している。運転者は変わらないが、同乗者については往路と違う配分だった。何とか走る2号車はつーがだましだまし走らせる。リンの1号車にセシリアと透、文が。ソラは業者のおじさんの隣に座り、ラシードがエレンの横だ。
「伯爵へ送るのはトラックの冷蔵保存した物を使いますので、あっちの車の分は皆さんでどうぞ」
「たくさん、食べてお土産も出来そうです」
業者の言葉に、ソラが嬉しそうに笑った。
「‥‥ほんとは、会い辛かった。でも、今日、会えて‥‥よかった、な」
ポツリと呟いた助手席のラシードの頭に、エレンがそっと手を載せる。
「私もね、ラシード君に会えて嬉しいわ。‥‥無事で、良かった」
返事の間も、視線は正面。その理由は安全運転だけでは無い。
「フフ、そんな事言われて顔見たら、泣いちゃいそうだから、ね」
「‥‥次、頑張る」
短い決意の言葉に込められた想いは強く。少年は、頭をくしゃくしゃと撫でる手の感触に目を細めた。
マドリードに戻ってから、予定通り祝杯を挙げる一同。
「厨房、借りれるかしら?」
「もちろん!」
リンの申し出に、彼女の料理の腕前を良く知っているエレンは満面の笑みを浮かべる。
「何だ、いい匂いだなあ?」
覗きに来たエレンの上官や空軍の面々にお裾分けしても、豚はまだまだあった。
「角煮と、スープを作ってみたわ」
大きな鍋にキャベツが丸ごと浮いている。ことこと煮たベーコンのスープは芳しい匂いを漂わせていた。
「うん‥‥いいハム、だね」
厚く切ったハムにたっぷりと持参の香辛料をまぶし、中東風に焼くラシードの周囲には刺激的な香りが立ち上る。
「火吹き芸で丸焼きでも作ろうかと思ったんだけど」
「何時間もそんな事してたら、身体悪くするわよ?」
冗談とも本気ともつかないつーの言葉に、エレンがクスクス笑う。奥では、昭貴が職人真っ青な薄切りで生ハムを捌いていた。
「何せ俺は『男前の板前』なので、調理はお手の物です」
煮物焼き物が出来るまで、サラダやマリネを手早く作っていく昭貴に育ち盛りの少年少女が嬉しそうな視線を送る。
「フフ、皆、お疲れ様。乾杯!」
エレンの声に、グラスやジョッキが掲げられた。飲めない面々はリンゴジュースだ。
「ロッタの特製ジュースも、栄養ドリンクもありますから」
透が笑顔で提供したそれは、怖い物知らずが一口飲んだ後は、何かの罰ゲームに使われていた。
「いただきます。ん‥‥おいし」
一口食べてから、嬉しそうにソラが笑う。
「‥‥皆で試食会‥‥素敵です」
グラスを片手にほんのりと頬を染めて呟くセシリア。
「お疲れ様‥‥美味しいね」
サラダの皿を手に透が頷く。
「ウマしっ、仕事終わりの一杯とか最高!」
いける口の文は、一息でビールを飲み干していた。
「極上の肴に極上の酒、あとは極上の女性がいれば言うことなしなんだがな」
「私はともかく、リンさんやセシリアちゃんに失礼よ?」
そんな事を言うつーのグラスに注ぎつつエレンが笑う。
「あ、俺にもお願いします」
「何かいつも通りの文さんって感じねー」
まだ笑いながらのエレンの声に、ふと怪訝そうに首を傾げる文。
「‥‥なんか忘れてるような」
青年の渋い所を見せる約束は、まだ果たされていないようだった。
「料理も出来上がってるから、取り分けてね」
厨房から出てきたリンもグラスを手に大人の部へ。ラシードはノンアルコール組へ。
「ちょっと辛い、かも。気をつけて‥‥」
はふはふ言いながら中東風ハムステーキを頬張る者、スープに目を細める者、角煮に舌鼓を打つ者。
「一応、デザートも作っておいたんだけど」
「‥‥うん。美味しい」
エレンが用意していたパインタルトにラシードがにっこり笑う。
「フフ、その笑顔が見れたなら、頑張った甲斐があったわ」
そんな言葉を残して酒飲み席へ戻るエレン。宴は、盛況だった。