●リプレイ本文
●最終公演:幕前
情報と言うのは拡散するものだ。蠍座の発見の情報も、いずれはUPCやバグアの知る所になるだろう。だが、ファルル・キーリア(
ga4815)の危惧を受けた宗太郎の調査した範囲では、UPCにもバグアにもまだ大きな動きは無い様だった。
青年にとり、エルリッヒは愛する人を嘲弄した男。そして、必殺の自信を持っていた一撃を冷笑と共に捌いた憎むべき敵だった。――真実を知るまでは。
「‥‥蠍は、倒すべき相手じゃない。今は、私もそう思います」
少しの悔しさを胸に、宗太郎は欧州に向かった仲間を思う。地上から見上げた空は、いつものように苦い景色ではなかった。
『私達を信頼してくれた貴女に、私達からの信頼を込めて』
霞澄の短い要請に応えたエレンが、マドリードで用意していたのは、黎紀が手配しようとした幌つきのトラックそのものだ。ドライバーは彼女自身が務めるつもりらしい。
「何も言ってないし言われて無いから、命令違反とかじゃないわよ? 今回は、ね」
霞澄に片目をつぶる、旧知の女性士官の第一声はそんな言葉だった。そのエレンの冗談の意味がわかってしまうエミール・ゲイジ(
ga0181)が、共犯者のような苦笑を浮かべた。乗り込む列の中から、やはり微笑を浮かべてハンナ・ルーベンス(
ga5138)が軽く会釈する。
「道は険しく、辛いものとなるでしょう。だからこそ、主は私を使わされたのだと信じています」
「私には、ハンナさん達のしようとしている事が良い事かどうかはわからない。でも、皆が選んだ事なら、応援するわ」
激励するように手を一度、大きく振り回してから、彼女は運転席へと上がる。その背に、ハンナは微笑を送った。
「ありがとう。最善を尽くします‥‥」
傭兵達を乗せたトラックは、南を目指して走る。幌の外、青い空を見上げる空閑 ハバキ(
ga5172)の脳裏では、今までの記憶がグルグルと回っていた。守ると決めた、アーネストと言う青年の控えめな笑顔。その笑顔をハバキ達へ託して逝ったハミルが、最期に浮かべていたのも微笑だった。
「何を見て、何を守ってるつもりでいたのか‥‥」
力なく呟くハバキの脳裏に、別の男の笑みが浮かぶ。エルリッヒ・マウザーの自信と芝居っ気に満ちた嘲笑を、彼はその目で直に見た事があった。あの2人が同一人物だと言う考えが一瞬たりとも浮かばなかったのは、初めて会った時のアーネストの儚げな印象ゆえだろうか。あるいは、人を疑う事をしなかったハバキの落ち度だったのか。
「‥‥2人を守り、生かす。今は、それだけでいい」
青年の辿りついた結論はそれだった。そして、それは車内に居る傭兵達の思いでもある。エルリッヒとしての彼と、アーネストとしての彼。そのいずれかと接触のあった者が真相を知り、抱いた物。どこかやるせなくも感傷的な思いが車内に立ち込めていた。
「バグアとUPCと私達、下手をすれば三つ巴になるかと思ったけれど‥‥、その心配は外れたか」
手元には、宗太郎からの電文。自身の最悪の予想が外れた事に安堵しつつ、ファルルはやや冷めた目で車内の仲間を見る。彼女とハンナの両名は、エルリッヒともアーネストとも直接の接点が無かった。見知らぬ男の為にハンナが動いたのは、彼女の内なる善ゆえであろう。ならば、自分くらいは感情に流されず冷静でいなければならない、とファルルは思う。しがらみが無い自分だからこそ、見えることもあるはずだ、と。
「待ちなさい。そのままじゃルーシー、何もできないわ。したいことがあるのでしょう〜?」
「‥‥はい」
頷いたルクレツィア(
ga9000)は男性恐怖症だった。彼女の目を身ながら、黎紀は小さな暗示をかける。ほんの少しだけ彼女を縛る鎖をゆるめる為の、暗示。鎖が消えるわけではないが、今はこれで十分だった。短いドライブの後、トラックは速度を落とす。かの男風に言えば、最後の舞台の幕が上がろうとしていた。次回の公演があるかどうかは、これから決まる。
●第一幕
傭兵達は、2手に分かれて探索を開始した。戦乱で住む地を追われた割に、すれ違う人々の顔に暗さは無い。狭いコミュニティゆえか、エルリッヒと思しき男の情報はあっさりと揃った。
「あの兄さんじゃないか? リコが連れてきた」
行方不明の資産家の捜索に訪れた、と説明したエミールに、浅黒い肌の男が言う。良く似た感じのもう1人が相槌を打った。
「ああ、大怪我していた若いのだろう? 診療所にいるんじゃなかったかねぇ」
「診療所、か‥‥。ありがとうな」
踵を返すエミールに、幸運を、と言葉を投げる2人。
「こちらでも同じ情報を聞きました。おそらく、間違いないでしょう」
南部 祐希(
ga4390)がそう口にする。その手が白くなるほどに堅く握り締められているのを、ファルルは危うげに見つめていた。冷静なイメージのある祐希が、エルリッヒ・マウザーの話になると平静をやや欠いている。そう、彼女には思える。
「‥‥B班が当たりのようね。状況は?」
内心の危惧はそのままに、通信を担当する祐希へそう振るファルル。祐希の手元の無線が鳴ったのはその瞬間だった。
墜落時の様子からすれば、いかにゾディアックと言えど無傷とは思えない。その予測の元、ソード(
ga6675)達は難民達の間の診療所を訪れていた。
「強いですね、ここの人達は」
そんな事を呟いたソードに、リーゼロッテ・御剣(
ga5669)が頷く。
「‥‥あたしは弱くてちっぽけなたった1人の人間だけど‥‥。1人では無理でも、みんなとならエルリッヒとアーネストさんを救える気がする」
彼女は、その双方と縁があった。アーネストはその夢を知る者として、そしてエルリッヒはその撃墜に加わった者として。自分と同じく大空を愛していた青年と、同じ空を殺戮と破壊で汚していた憎むべき敵。その2人が同じ人間だったと知った時に、彼女もハバキ同様に悩んだ。結論は、同じ。
「私も救いたい。信じたいよ。人の心の光を‥‥!」
祈るように囁くリーゼの隣で、ハバキは下唇を噛んでいた。もうすぐ、会える。心中を過ぎるのは恐れと不安、それから彼が生きていた事への安堵と。不安と言えば、出かける前にカプロイア伯爵へ後処理を託してきたが、‥‥返事は結局来ていない。
「やはりここにいたようね。‥‥行きましょう」
ハンナと共に医者へと質問していたラウラ・ブレイク(
gb1395)が振り返り、柔和な笑みでそう告げた。リーゼが無線の向こう側に居る仲間へとその知らせを伝える。エルリッヒ、あるいはアーネストは保護されてからずっと、ここで過ごしているらしい。まるで、何かを待つように空を見上げながら。
ベッドが4つほど並ぶ部屋の中で、気配を察したらしい青年は身支度を整えて待っていた。仕立ての良さそうなスーツは左肩から先が無く、染みや裂け目が残りつつも不潔には見えない。誰かが洗い直してくれていた物を、たった今着直したのだろう。スーツが、と言うよりはそれがまとう雰囲気こそが、エルリッヒと言う男の戦装束だ。
「アーネスト‥‥?」
思わず、漏れた小さな声。ハバキの目に映るその姿は、良く知る友人の姿とはやはり異なっていた。片腕を失い、痩せこけたという外見的な差異よりも、むしろ内からにじみ出る物が、違う。戦いに敗れ、地に堕ちてもなお、そこにいるのは不遜なゾディアック蠍座、エルリッヒ・マウザーだった。
「‥‥その名で僕を呼ぶ君は、あの男を迎えに来たのですね。残念ですが、ここに居るのはこの僕だ」
静かな返答に、ハバキは首を振る。
「同じ事だ。俺が迎えに来たのは、お前だから」
「良かったな、兄ちゃん。こんな時代だが、生きてればいい事もあるもんじゃないか。なぁ?」
横からの声へと、エルリッヒは視線をめぐらせた。ベッドに横たわったままの老人が笑顔を向けている。
「此処の皆さんに救っていただいた事は、感謝していますよ。‥‥僕はね」
人々を苦しめる『こんな時代』。責任の一端は間違いなく彼も担っている。その事に何かを感じているとしても、エルリッヒの声や仕草からはそれは感じられなかった。その心の奥底を見透かすかのように、ハンナはじっと青年を見つめている。
「祈りましょう。貴方の為に祈りましょう、今はまだ、拭えぬ憎しみを抱えたままでも、貴方はそうして人を慈しむ事が出来るのですから」
ハンナがエルリッヒを導くように手を差し伸べ、エミタの力を解き放つ。ふわりと髪がなびき、薄いハローが彼女を輝かせた。心に響くは、聖歌の旋律。
「‥‥おお」
ベッドの老人が、驚きの声を上げる。
「エミタの力は、戦いだけにあらず。‥‥聖歌を貴方の心に聞かせる事も‥‥」
「下らない手品はやめるがいい。この僕を怒らせたいわけでなければ」
エルリッヒの鋭い言葉が、空を裂いた。激発の空気を感じてハンナが覚醒を解く。しかし、彼女は差し伸べた手を引こうとはしなかった。
「‥‥神など存在しませんよ。少なくとも、この世界にはね」
その手を一顧だにしない青年の、怒気を孕んだ返答にもハンナは動じない。更に言葉を続けかけたエルリッヒを、ラウラの声が遮った。
「蠍座を撃墜した傭兵と話したくはない?」
青年の唇の右端が、上を向く。
「そう。僕が今まで待っていたのは、まやかしの神の声を聞くためではありません」
●第二幕
革靴が砂を噛む音から、慎重に距離を置いて傭兵達が進む。コロニーの人々からはどのように見えるのだろうか。隻腕のやつれた青年の正体は、想像の外にあるのだろう。物々しい様子の傭兵達にこそ奇異な視線が向けられていたが、真の危険人物はさしたる注意を引いた様子が無かった。
「まさか、こんな形で会うことになるなんて想像もしてませんでしたよ」
「君は? ‥‥ああ、あの青い機体の搭乗者ですか」
僅かな間に、脳内の『記録』を引き出してくるエルリッヒ。
「最初は、僕と同じような趣向の持ち主だと思っていました。兵装の選び方と機体に女神の名を冠する美意識とで、ね。だからこそ、以前の僕は君に期待していた。見え透いた囮に引き回される様子に、あの時の僕は幻滅したようですが‥‥」
先日は悪くなかった、と。青年は正面を向いたまま、感情を見せぬ口調で告げる。
「貴方を待っている人達がいるんです。貴方を思う人達の所に戻ってはくれませんか?」
「この僕を? フフフ、待っているのはアーネストという男でしょう。僕ではない」
やはり、返る台詞は淡々としていた。続く言葉を口にする時に、青年は僅かに首を横に向け、ソードへ視線を向ける。
「ですが今、貴方の名を伺おうと思うのは、この僕です。聞かせて頂けますか? 君の名を」
「‥‥ソード、といいます」
告げられた名を繰り返してから、青年は再び正面を向く。
「女神の剣を名乗りますか。やはり貴方は僕と同類なのかもしれませんね」
しばし歩いて、辿りついた人気のない場所。離れた所に止まったトラックへチラリと目を向けるエルリッヒへ、ラウラが話しかける。
「人の温もりは知ってる?」
黙って視線だけを向ける青年に一歩近づきながら、彼女は自身が何も武装を所持していないことを示すように、手を軽く広げた。武装は、仲間に預けている。
「例え記憶を失おうとも感覚だけは忘れない。人の体温、触覚、匂いは体が覚えているわ」
「‥‥貴女は、アーネストの知り合いですね。その様子だと、僕の事を詳しく知っているようですが‥‥」
俯き、視線を外してそう返す青年は、拒絶の気配を漂わせていた。険しい殺気を、ラウラは踏み越えて距離を詰める。
「闇に囚われても、それを知っていれば人は挫けない。知りたいのなら優しい気持ちで抱き合えばいいだけよ」
向けられる殺気も含めて、彼女は青年を受け止めるつもりでいた。ラウラが示した無条件の受容は、ハンナの思う主の赦しとも似た愛情だ。
「戦いという名の闇にうずくまっていても、救いは訪れません。一歩を踏み出すのは、他ならぬ貴方でなければならないのですから‥‥」
再び、ハンナもその手を伸べる。撃墜された瞬間、自らのいる場所を闇と言い、運命に救いを求めた青年を救いたい、という意志がそこには込められていた。
「貴女達は、やはり僕の事を知っているようですね。ですが、理解はしていないようだ」
エルリッヒはゆっくりと首を振る。
「僕は、記憶を失ったわけではない。記憶はある。今、ここに。この僕の中に、この僕だけの記憶が」
例え、普通の人間が誕生の瞬間、あるいはその後に感じたであろう温もりの記憶が含まれていなかったとしても。そう語る青年の声は、さっきまでの芝居がかった素振りが薄れ、生々しい言葉になっていた。
「‥‥僕は、他人の記憶が欲しいわけではない。誰にでも向けられる無償の愛が欲しいわけでもない」
僅かに揺らいだ心の壁。しかし、再び口を開いた時には、青年は元の調子に戻っていた。
「どうやら、待ち人が来たようですね。‥‥失礼」
武道家の言葉で言えば無拍子という物だろう。身構える‥‥いや、心の準備をする間も与えずに2人の間を抜けて、エルリッヒは歩を進める。グラナダで干戈を交えた仇敵を迎える為に。
「声はお互い聞きましたが、直接会うのは初めてになりますね」
「貴女が、あのディアブロの。随分と乱暴な方だと思いましたが、見事な戦いぶりでした」
祐希の姿にエルリッヒは軽く頷く。
「‥‥袖の中に、武器を‥‥。それ以外は、判りません」
ルクレツィアが探査の目で見た限り、青年は爆薬の類は所持していなかった。しかし、体内に埋め込まれたものまでは判らない。
「俺も、直接会うのは初めてだな。ナイチンゲールのパイロットって言えば、分かって貰えるか?」
エミールが続いて口を開いた。
「来てくれると、思っていましたよ。僕にある鮮烈な記録は、思えば全て貴方達と刃を交えた事ばかりです。この僕の記憶も」
自らに直接止めを刺したエミールは、やはり青年にとっては特別な相手なのだろう。微笑を浮かべながら、エルリッヒは2人へと近づく。足を止めたのは、お互いの顔は見えるが一足では届かぬ距離だった。剣士の間合い、だ。
「ディスタンのパイロットもその辺りに伏せています。逃げられると、思わぬように」
「もう1人、隠れていますね。この気配、覚えがあります。あの時に私の正面に立った方は全員、来て下さったという事ですか」
狙撃位置についたアルヴァイムと、そして別方向に居る霞澄へ、青年は優雅に一礼しかけて、わずかにぐらついた。思わず、といったようにリーゼが手を伸ばす。
「‥‥失礼、お嬢さん」
体勢を崩したまま、エルリッヒは反射的に手刀を振るいかけ、それを止めていた。
「手を差し伸べてくれる人がいる限り貴方は一人じゃない。自分を、そして相手を信じて」
悲しげな目で、自分に向けられた手刀を見るリーゼにエルリッヒは微かに笑う。
「貴女とは空で会った事がありますね。ですが‥‥、貴女は戦士ではない。今の僕と同じ舞台に上がれるのは、彼らのような戦士だけです」
青年が、優しいとも言える手つきで肩を押すと、リーゼの細い身体は軽々と宙を舞った。吹き飛ばされた、というよりは子供を危ない場所から遠ざけるような、軽い一押し。以前に受けた任務でも、敵から相手にされなかった記憶を、彼女は思い出していた。イタリアの寂しい夕暮れを。
「貴方は何のために戦うの? まさか、人類の進化とかいう馬鹿なお題目を信じてる訳じゃないでしょ?」
「僕の戦う理由、ですか。戦いそのものが、理由であり報酬‥‥といった所でしょうか」
ファルルの鋭い声に、エルリッヒは薄く冷たい笑みで答えた。
「私にはゾディアックが何の為に戦ってるのかは分からない。でも、色々な話を聞く限り、貴方がバグアに忠誠を誓っているとは到底思えない」
「だから、君達に降れ、という事ですか? お察しの通りバグアへの忠誠心などはありませんが、僕には僕の美意識がある」
「テメェの美意識なんぞ、今までテメェが殺してきた人達にとっては、知ったことじゃないんだ」
エミールが、強い語調で言い放つ。
「だからこそ、こっち側に来て、できる限りの償いをしやがれ。1人で歩いて来れないなら、無理やりにでも引張りこんでやる」
「無理やり、ですか。貴方に、出来ますか?」
微笑を浮かべた青年に、祐希が手にした何かを投げ渡した。
「これは?」
「素顔も悪くありませんが、結末はこちらの方が相応しいでしょう」
戯曲の中の怪人が、醜い素顔を隠す為に使ったマスク。エルリッヒの元の所持品と同じく、顔の上半分を隠す形状のものだ。
「‥‥感謝します。剣翼使い」
自らの顔へあててから、エルリッヒは右腕を斜め下へと振り下ろす。その手には、まるで手品か何かのように、短い刃渡りの細剣が現れていた。
「敗れた以上、燃える機内で共に滅びるのが僕の美学だった。ですが、‥‥フフフ、君たちと一度言葉を交わしてみたかったのです。この場に来てくれた事を感謝しますよ、傭兵。あるいは、これが僕を導く運命の賜物なら、感謝してもいい」
「以前にも、運命が私を選んだら、と言いましたね。‥‥運命などではない。私は自分の意志と力であの空を抜けてきた。他ならぬ貴方が私を此処まで連れてきたのだ。エルリッヒ・マウザー!」
祐希の叫びに、仮面の青年は口元を微かに引き攣らせる。
「‥‥楽しい会話でしたよ。ですが、そろそろ終わりにしましょうか」
●第三幕
「彼の心はこんなに揺れているのに‥‥何故」
ルクレツィアが小さく呟く。何故、消えなければいけないのか、と。専門家の黎紀は、エルリッヒとアーネストの事を細かく分析していたが、今この場で必要なのは分析ではない。戦いに加わるつもりのないハンナと、手を出せないリーゼ、ハバキ。並んだ彼女も身動きが取れなかった。
「仕方が無いわね‥‥」
ラウラが一歩、間境を越える。仮面の男は細剣を正面に立ててから、微笑した。
「この僕を止められるというなら、止めてみるがいい」
ラウラの異名、砂漠に吹く魔の風の如く激しい一撃が彼女を襲った。辛うじて盾で受けるも、肩が軋む。シールドの影から脚を狙った剣は、空を突いた。彼女の意図した三連動作よりも、敵の突きがなお疾い。
「そんなになってまで、まだ戦うのか? お前を思ってくれる人がいるだけでは駄目なのか!?」
スパークマシンで攻撃をかけるソード。エルリッヒが一瞬だけ苦しげな表情を浮かべた。
「止まれないんだってなら俺が止めてやる!!」
「‥‥この程度で!」
仮面の青年の膝が落ちかける。しかし、落ちきる前に、細剣の軌跡が閃いた。衝撃波がソードの肩を割る。
「落ち着きなさい! 感情のままに行動すれば、残るのは後悔と無残な結果だけよ」
その声は、ソードとエルリッヒのどちらに向いた物だったか。仮面の下の視線がファルルへと向いた。銃弾は剣に遮られ、彼の身に届いてはいない。
「‥‥私の趣味じゃないけど、正々堂々と戦ってあげるわ」
ファルルの位置取りは、彼の腕が残る右。弾丸に込められた殺気もやや、甘い。何より、殺すつもりならば声などかけはしないはずだ。
「舐めないで頂きたい。君達と僕の戦いは、そういう物ではない筈だ!」
ラウラを吹き飛ばし、ファルルのリロードの隙へ駆け寄る仮面。
「‥‥くっ」
一撃を受け止めたイアリスを弾いた所で、エルリッヒはファルルから横飛びに離れた。エミールの二挺拳銃の弾幕が男を追う。
「俺はテメェが大嫌いだ。誰かの別人格じゃなく、エルリッヒ・マウザーって人間が大嫌いなんだ。よく覚えときやがれ」
「‥‥覚えておきましょう。貴方の事を。この僕に可能な限り」
万全であれば、それすら凌いだかもしれない。だが、動きの鈍った身体では全ての攻撃を防ぐ事は不可能だ。激しい動きのわりに、スーツを染める朱が少ないのはエルリッヒが深手を避けているのか、それとも何らかの手段で傷を塞いでいるのか。
「チッ‥‥柄にも無い事はするもんじゃねぇな」
浅手を構わぬエルリッヒの突進で間合いを詰められたエミールが、小さくぼやく。狙撃手の彼があえて手の届く範囲での撃ち合いに応じたのは、仮面の男への彼なりの気遣いだったろうか。エミールが後退するよりも早く、仮面が肉薄する。
「あの空の貴方はもっと鋭かった。そして輝いていた」
吐息すら掛かりそうな距離でそう呟いてから、エルリッヒはエミールの手にした銃を打ち落す。手負いであるという侮りがあった訳ではない。だが、大空で対峙した時のような彼を殺す為の布陣でも無かった。あの勝利は、味方の血と自ら負った傷の上にもぎ取ったものだったのに。
「興醒めです。‥‥というのは、皆さんに失礼ですね。この僕は既に一度敗れている。今一度、敗北を刻んで欲しいと言うのは贅沢な願いでした」
数箇所の傷から滲む血は、既に止まっている。青年はエミールを突き飛ばし、舞踏のように優雅にターンした。一閃した剣が鉛を弾く。
「また、素通りしようと言うのですか」
淡々と、感情の見えぬ目で祐希が銃を向けていた。得物は奇しくもエミールと同様の二挺拳銃。口を開きかけてから、エルリッヒは小さく苦笑する。
「貴女には、この死に装束を頂きました。ならば、お招きに答えない訳にはいきません」
再び、右腕の剣を掲げてから青年は地を蹴る。その足が、パッと血飛沫をあげた。銃弾が飛んできたのは、左側からだ。
「‥‥止めを刺さずに去るのはそちらの落ち度。卑怯だけど、その弱点、使わせてもらうわよ」
半身を起こしたファルルの拳銃から、僅かな白煙がなびいている。
「そう。それでこそ、です」
噴き出る血も構わずに、エルリッヒは最後の一足を踏み込み、突く。
「‥‥っ」
驚愕の吐息は、仮面の下から漏れた。利き手の武器を狙った彼の攻撃を、祐希は敢えてその腕で受け止めている。
「腕一本、代償としては悪くない」
一瞬、動きが止まった所に銃声が響いた。
「貴方に与える、これが幕引きです」
祐希の言葉と共に、カラン、と2つに割れた仮面が地に落ちる。動きを止めていたエルリッヒが、祐希の腕から勢いよく短剣を引き抜いた。祐希の血が地に落ちた仮面へとかかる。
「まだ、やる気か!? もういい、十分だ!」
ハバキが、喉の奥から叫びをあげた。仲間達の銃口からエルリッヒの背を庇うように、ルクレツィアが駆け寄る。
「ハミルが守った命、安くはないだろッ」
叫ぶ青年に、仮面を失ったエルリッヒがゆっくりと頭を巡らせる。
「彼が守ったのは、この僕ではない」
「お前は、お前だ。人格だとか、罪だとか、そんなのは関係ない。生きろ。生きてくれ」
無言で立ち尽くすエルリッヒの腕を、ルクレツィアがそっと取った。不思議と、震えは止まっている。
「貴方は、アーネストさんと向き合うべきです。そして、彼は、貴方と」
心は負担を感じているのか、息が上がった。しかし、これだけは言わねばならない、と少女は自らの心に鞭を打つ。
「‥‥怯えて、逃げているだけじゃ‥‥駄目。だから、行かないで」
彼女自身にも言えることだからこそ、重い言葉。青年が立ち尽くす間に、傭兵達は周囲を囲みなおしていた。まだ、戦える。しかし、青年の激情は嘘のように消えていた。
「‥‥フ。いいでしょう」
青年は、手にした短剣を取り落とす。そのまま、力なく崩れかけた身体を、祐希が支えた。
「彼に、アーネストに会うといい。ただ、この僕が自らの手で幕を引かなかったとしても、僕の身体はもう限界です」
長身の女性の腕の中でそう告白するエルリッヒに、ハバキがやるせない表情で唇を噛む。
「そんな顔を見せないで頂きたい。彼に、この僕からもよろしくと」
「‥‥ああ。言うよ。必ず」
枯れ木のように軽い青年が、祐希の顔を静かに見上げた。
「粋な計らいに、感謝します。‥‥何故、と伺ってもよいですか?」
「‥‥惚れて差し上げると、言った筈です」
何かを答えるように口を動かしてから、エルリッヒは静かに目を閉じる。彼の近くにいた者には聞こえたかもしれない。また、次の舞台で、と囁いた声が。
●終幕
「‥‥ここは、どこですか? というか、皆さんお揃いで、僕は酷い様相だ」
再び目を開けた青年は、弱々しい口調でそう告げた。『アーネスト』に事実をどう告げるか、前もって考えていたラウラが説明する間、他の仲間達は周囲へと注意を向けている。短いとはいえ、激しい戦いは誰かの注意を引いたやも知れない。それが人類側であれ人類の敵であれ、今の彼らにとっては等しく厄介な相手だった。
「なるほど。そうでしたか」
アーネストは、しっかりと頷く。不審の種は、幾度も感じていたのだ、と。
「蠍は、貴方が自分に気付かない事を妬み、周囲を苦しめて復讐していたわ。貴方が気付けなくとも、彼は‥‥、貴方の中に居る。だから」
相手への思いを、心に深く刻んで欲しい。相手を認めて欲しい、とラウラは告げた。
「‥‥もう1人のアーネストから、よろしく、と」
ハバキの言葉に、アーネストは戸惑ったように瞬きする。まだ、青年の手をとっていたルクレツィアが後押しするようにこくりと頷いた。
「あ、ごめんなさい、手が‥‥」
「平気‥‥です」
ふるふると首を振る少女に、青年は済まなさそうにもう一度謝罪する。手を離すべきなのだろうけれども、指一本動かせそうに無い、と。サイエンティストの慈海と一葉にも、身体機能がここまで低下していては打つ手が無かった。
「‥‥トラックで移動する間、何とか持ちこたえてくれれば‥‥」
エレンが唇を噛む。その時、静かに彼らを見守っていたリーゼの無線にアルヴァイムから通信が入った。
『北より、軍用ヘリが接近。数は1機』
はっと仰いだ空に、ブラックホーク改と呼ばれる機影が小さく見える。
「‥‥くっ。まだUPCはこの事を嗅ぎ付けてもいないはずなのに」
ファルルが言う間にも、ヘリは明らかに目標を知っている者の動きで、まっすぐにこちらに向かっていた。まさか、撃墜するわけにもいかない。傭兵達が見守る中でヘリは滑らかに降下し、ローターを低速に落とした。ハッチがスライドし、中から人影が降りてくる。
「‥‥まったく、昔から手のかかる後輩だったわよ、アーネスト君は」
「ソーニャさん‥‥! 連絡、間に合っていたんですね」
機体から降りてきた女に、一葉が驚いたような声を上げた。正副パイロット2名が、傭兵達へスマートな敬礼を送る。エミールをはじめ、グラナダの空を幾度も飛んだ傭兵達が、最初に支援した任務の護衛対象が彼らだった。
「ったく、勝手しやがって。何で俺の所に最初に話を持って来ない。下手打てば、俺の首だけじゃ済まなくなるだろうが」
「た、隊長!?」
続いて顔を見せたのは、エレンの上官であるベイツ大佐。何か言おうとするエレンと傭兵達を押し止めるように両手の平を向けてから、彼は顎をしゃくった。
「弁解も説明も後でいい。さっさとそいつを積み込め」
ストレッチャーと、白衣の男達が降りてくる。手際よく青年の身体に医療機器のコードをつけ、注射針を突き立てて行く彼らの胸元には、カプロイアの社章があった。
「そいつは重犯罪者だ。見逃すわけにはいかんし、易々とくたばらせる訳にもいかん。お前達から連絡を受けた時に、医療の専門家がたまたま集団でいた。‥‥という事だ」
最終的に、UPCに身柄が渡る事は間違いない。しかし、傭兵達が望んでいた僅かな猶予、アーネストがその知人と面会する時間は得られるだろう。
「‥‥酸素吸引を」
「心拍数が‥‥」
エルリッヒは覚醒してはいなかったが、戦闘中にエミタに何らかのショックが加わっていたらしい。能力者にとって、エミタの損傷は生命に関わる事態だ。それに、体力的にも青年は限界だったのだろう。それでも。
「私も頑張ります‥‥。男の方に触れるのも近づくのも何とか耐えます‥‥。だから」
静かに涙を流すルクレツィア。
「また、一緒に飛ぼうなっ」
ハバキは泣き笑いのような表情で、そう続ける。再会を信じて。その横に、同じ思いと願いをハバキに託した慈海がそっと立っていた。
「蠍の毒、か。この思いが私の償いね‥‥」
静かに見送るラウラの脇で、リーゼは自分の手をじっと見つめている。
(優しさを忘れないでくれ‥‥、パパはそう言ったけれど)
何が本当の優しさなのだろう。エルリッヒが最後に見せた表情を思い、彼女は目を伏せた。たとえ届かずとも、信じ続ける事。そして、その気持ちを伝え続ける事を、彼女は決意したのだから。
「‥‥ジンクス、ですか。ですが貴方はもう、運命に抗えるはずだ。今度は、待たせて頂きますよ」
砕けた仮面を手に、小さく呟く祐希。
「感情のままに。あの男にはそれが向いていたようね」
制止役を己に課していたファルルが、小声で自嘲する。
「いえ‥‥、少なくとも俺は、止めてもらって良かったですよ」
柄にも無い所を見せてしまいました、とソードが苦笑した。少し下がった一行の前で、ローターが回転速度をあげる。蠍座の男を機内に収めたヘリはすぐに青空の染みになり、視界から消えた。
その後、アーネスト・モルゲンまたはエルリッヒ・マウザーとして知られる青年は一命を取り留めたと言う。だが、その意識は戻る事が無かった。
「‥‥奇跡を信じるしかない、というのは辛い所だがね」
カプロイア伯はそう言ってから、欧州の地図へ目を向ける。ピエトロ中将は厳格な管理者だ。スペインの地の大佐は、この事件で何らかの責を問われるだろう。それを相殺するような功績があれば、別だが。例えば、グラナダで。
「なるほど。‥‥案外世渡りが巧みな方だったのかな」
伯爵はそう言って、書き掛けていた親書をひとまず脇に置いた。窓の外には、白鳥が焦がれた青空が広がっている。