●リプレイ本文
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主に生活環境の変化に伴う金銭的理由から、百地・悠季(
ga8270)はその日も依頼所に足を運んでいた。報酬額と所要時間も考慮に入れつつ、じっくり眺めていた彼女の足が止まる。
「悪く無いわね、これ」
軍に入隊した家族を探し、実家に戻る様に説得して欲しい、と言うだけの内容だ。報酬は悪くない。悠季はとりあえず参加申請を出してから、中身を読み始めた。
「シュミッツ氏の妹で、エレーナ? エレンじゃない、これ」
どうみても、知り合いである。
「うん、間違いなくエレン君だね」
横の声に振り向けば、幾度か依頼で顔をあわせた国谷 真彼(
ga2331)の姿があった。世間は、どうやら随分狭いようだ。
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しばし後。渦中のエレンはといえば、LHにていつもの如く羽を伸ばしていた。傭兵との交流を深めるのは公務の一環、などと報告書には書いているが本人を含めて誰一人信用していないだろう。本日は兵舎を解放してのパーティ、であるらしい。
「エレンちゃん、遊びに来たよ! コレはお土産」
能力者の体力に物を言わせて、大泰司 慈海(
ga0173)は泡盛を甕ごと持ってきていた。それだけではなく、ごそごそと袋に手を突っ込むと出るわ出るわ。ミミガーや海ぶどうはそのまま提供で、他は調理用の材料らしい。
「わぁ、珍しい物ばかりねぇ」
沖縄の名産だよ、と言う慈海。
「慈海さんの故郷なのかしら。やっぱり、懐かしい味?」
そんな風に水を向けたエレンに、慈海は曖昧に頷く。
「まぁね。それよりもエレンちゃんの実家って、ドイツだったっけ?」
郷里の味は、等と尋ねるとエレンは嬉しそうに乗ってきた。どうやら、今日はハンバーグを焼いていたらしい。
「祖母に仕込まれたから、美味しいわよ。多分」
話題を逸らされた事に気がつくには、彼女はまだ若かった。と、玄関の方で来客を告げるベルが鳴る。
「どうぞー!」
「エレンさん、こんにちは。俺、おにぎりと、サンドイッチ作ってきました」
両手にバスケット、満面の笑みを携えて、柚井 ソラ(
ga0187)が立っていた。ちょうど兵舎前で一緒になったらしいラシード・アル・ラハル(
ga6190)が、その後ろで微笑を浮かべている。対称的な2人の少年を、エレンは笑顔で招き入れた。
「あと、チョコチーズケーキも、焼いてみました」
ソラが差し出した箱を受け取って、エレンの笑みが深くなる。
「僕も、クッキー‥‥作ってきた、よ。‥‥ちょっと、焦げちゃった、けど」
そう言って、ラシードも袋を手渡す。
「私もクッキーは焼いたんだけど‥‥」
等と言いつつ袋の中を覗き込んだエレンが、ホッと息をついた。どうやら、似たようなレベルだったらしい。お菓子作りで少年と張り合ってどうするんだろう。そんなエレンの袖を、くいくいと引くソラ。
「せっかく作ったなら、一緒に並べませんか?」
「‥‥僕も、食べてみたい、かも」
上目遣いでそんな事を言う2人に、エレンが抵抗できるはずも無かった。
「こんにちは。お招きどうもですよっ。これ、持ち込み分です」
玄関先でクッキーとケーキを並べていた3人に、不知火真琴(
ga7201)が手を振る。渡された手製のホワイトチョコケーキをみて、エレンが首をかしげた。
「‥‥作ってもらったの?」
そういうのが得意そうな共通の知り合いを脳裏に浮かべたエレンに、真琴が子供っぽく頬を膨らます。
「うちだって、ケーキ位作れますよっ」
「ご、ごめん。そうよね、あはは‥‥。ちょっと奥に皆の分を置いてくるから、そこで待っていて」
慌てたように立ち去るエレン。だが、彼女は気づいてはいなかった。今日のケーキを誰が作ったかについては、真琴が触れていなかった事を。
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慈海以外にも、料理を多めに持ち込んだり、当日になって調理するつもりの客は、直接裏口から入ってきていた。
「パーティ‥‥、か」
大皿を搬入していたブレイズ・S・イーグル(
ga7498)が、ふと顔を上げて呟く。エレンが通り過ぎざまにひょいっと手を伸ばして一口。
「‥‥あ、美味しい。これもリンさんが?」
「違うわよ。私は今日は、和風で行こうかと思って」
丁度、日本ではひな祭りの時期だ。リン=アスターナ(
ga4615)はちらし寿司を盛り付け、太巻きに包丁を入れていく。リンは親友のエレンの為に、腕を存分に振るう心積もりだった。
「じゃあ、一体誰が‥‥」
「お前の目は節穴か。目の前にいるだろうが。‥‥って、なんだ、その目は」
やれやれ、と肩を竦めるブレイズを、じーっと見つめるエレン。女性が苦手と言う赤毛の青年と料理の大皿を、エレンの視線が往復する。
「‥‥料理屋さんやってるって、本当だったんだ?」
どうやら信用していなかったらしい。早くも、本日二度目のやれやれである。
「‥‥同じ事を、考えていたよう、‥‥ですが。重ならなかった‥‥ようで、良かったですね」
搬入口から厨房へと入ってきた神無月 紫翠(
ga0243)が、丁度盛り付けの終わったリンの皿を見て微笑んだ。彼もひな祭りにあわせる形で、桜餅と草餅を持ってきていたらしい。
「それから、‥‥鮭と菜の花の炒飯、ですが‥‥」
料理の選択にも、季節が感じられる。
「わ。随分増えてきたわね。急いで場所の準備しないと」
「ったく、面倒なタイミングで行き合わせたもんだ」
わたわたと飛び出したエレンに、乗りかかった船のブレイズが続いた。
「あ、俺も手伝います」
「‥‥そうだね、まずは机、かな」
ラシードとソラも、中庭へと向かう。
「ふふふ、今度はどんな食べ物が集まるのでしょうね」
嬉しそうに見送る真琴は、集まった料理が残る心配だけはしていなかった。
「皆さん‥‥上手ですね‥‥美味しそうですが‥‥」
大騒ぎになりそうな嫌な予感もする、と呟く紫翠。真琴が何故か嬉しそうに笑った。
「いつもの事ですよ」
そう、いつもの事なのである。
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冒頭の2人同様、フランツの依頼を引き受けていたルーイ(
gb4716)は、エレンの所在を掴むべく兵舎へとやってきていた。
「‥‥『ホームパーティ開催中! どなたでもご自由にどうぞ』‥‥か」
ラシードが作っていた看板を読み、奥の様子を窺う。漂う匂いからすると、まだ準備中のようだ。
「そうと知っていれば、用意も出来たんだが‥‥、ね」
最近料理に凝っているらしい青年は、少し残念そうにそう呟く。しかし、隠し味だとかアレンジに三回転半位のひねりを加えてしまう彼の料理が並ばなかった事は、参加者にとっては幸運だったかもしれない。中に入って少し見回すとエレンはすぐに見つかった。ちょうど、別の若い女性と会話しているようだ。
「ごめんなさい、色々お願いしちゃって」
「何もしないのは落ち着かないんですよ。どうぞ、何なりと使ってくださいな」
くるくると立ち働きながらも、しとやかな仕草の櫻杜・眞耶(
ga8467)を、エレンは少し羨ましそうに見る。身についた上品さもさることながら、黒髪が羨ましいらしい。
「傭兵さんって、綺麗な髪の人が多くて羨ましいわ」
「エレーナはんの髪も綺麗ですよ」
京都の出の眞耶の社交辞令かもしれないが、単純なエレンにはそれでも十分なようだった。軽く会釈してから、眞耶は厨房へと戻っていく。ざっくばらんなバイキング形式とはいえ、汁物は温かくとか御飯物は後にとか、色々考える事があるようだ。
「そういえば、聞いていなかったが。お前は今の立場を、自分の意思で選んだのか?」
「え? どういう事?」
苦笑交じりにブレイズが補足する。軍人になった事と今も軍務を続けている事は、エレン自身の望みなのか、と。
「‥‥フフフ、軍人なんて危ない仕事、好きでやってるわけ無いじゃない。本当は、小さな町でお医者さんするのが夢なのよね」
「なるほどな‥‥」
早く戦争を終わらせる為に頑張っているだけだ、とエレンは笑う。言葉とは裏腹の楽しげな表情が、ブレイズの知りたかった事を教えてくれた。
厨房では、卓上を占拠している大皿が庭に出て行くまで、ひとまず作業中断。
「春野菜の胡麻和えはすぐに持って行って貰って構わないけれど。すまし汁は、少し落ち着いた頃の方がいいかしらね」
「そうですね。まだ庭は涼しいですし、その方がいいかもしれません」
眞耶とリンがそんな作戦会議をしている奥では、慈海が鼻歌交じりで麺を広げていた。
「あったかいといえばこれもあるよ。麺が伸びないように、作ったら早めに食べて欲しいな」
ソーキそばという、いわば沖縄風ラーメンである。
「やっぱり、色々集まってますね〜」
そんな様子を覗き込んでから、サンルームへ向かう真琴。広げ始めた大荷物に、ついてきた紫翠が小首をかしげる。
「カメラ、ですか‥‥」
「せっかくだから、記念に色々撮っておこうと思って」
元気ならば、お手伝いするのですがと蒼い顔で言う紫翠。
「わわ、お大事に、ですよっ」
私室と事務室以外は好きに使っていいらしいが、横になって休めそうなのは応接室位だろうか。本調子で無い紫翠を送り届けるついでに、真琴は準備中の面々をパチリ。
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一方、準備作業続行中の中庭では。
「エレンさん、ちょっといいですか?」
会話中のブレイズに軽く頭を下げてから、ソラが首を傾げる。その手には、通話中の表示灯がついたままの携帯電話が握られていた。
「‥‥ああ。そろそろ俺も行かなきゃならんしな」
「あ、そうなの?」
後でまた戻る、とブレイズは背中越しに片手を上げた。
「国谷さんからです。参加できなくてごめんなさい、って」
「え? あ、うん」
受け取った携帯電話の向こうから、見知った青年の声が聞こえてきた。
「ドイツ!? なんでそんな所から?」
『さて、何ででしょうね』
笑いを含んだ声。
「地元なのに、余り観光地とか知らないのよ。ごめんね?」
「今日は依頼ですから。名所はまたの機会に教えてください」
真彼は暖かくなってきたケルンの郊外、坂道をゆっくり歩いていた。行き止まりに見えてきた家の門に、何故か木の表札が掛かっている。『ヘンけル』と自信たっぷりの書体で記されたのを見て、真彼は苦笑を浮かべた。そういえば、エレンの祖父は日本かぶれだとか。
「それじゃあ、そろそろ切るよ。依頼が終わった後にもう一度電話する」
そう告げてから、真彼は携帯を閉じる。古風なベルで訪いを入れて待つ間、青年は自分が緊張している事に気がついた。
「エレンさん、次は何をしたらいいですか?」
電話を受け取ったソラの笑顔には、影があった。だが、少年が見せたくないと思う相手は上の空で、気づかなかったようだ。
「そうね、じゃあラシード君を手伝って貰おうかな?」
大き目の机を運ぶのに悪戦苦闘しているラシードの元へ、急ぎ足でソラは向かう。
「じゃあ‥‥、そっちを、持って」
「ん‥‥。よい、しょっ」
机を1つ、もう1つ。運ぶ合間に、ソラの微かな影にラシードは気がつく。気のせいならばいいと思いつつ、踏み込んで尋ねるほどの付き合いはない。幾度か、依頼を共にした。その時はいつも、エレンに関わる話だった気がする。
「‥‥エレンさん、いなくなっちゃうの、かな」
「‥‥え?」
ポロリとこぼれたソラの一言に、滑りかけた手を慌てて支えてから、ラシードは少し年上の少年の顔をじっと見つめた。
「エレンに、何かあるなら‥‥。僕も知りたい、な。大事な、友達だから」
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その頃、空港には依頼主を待つ傭兵たちの姿があった。到着口にはハンナ・ルーベンス(
ga5138)が迎えにいっており、残りの面々は手前で今回の件について話している。この場にいない者も含めて、依頼を引き受けた者の態度は概ね2つに分けられるようだ。
「彼女を引き抜かれると色々困るのよね」
何が色々かは分らないが、悠季はフランツをエレンに合わせるまでが依頼、と割り切る派だった。
「話を聞く限りでは、話し合いが必要なだけに思えるんですよね。だから、今日はそのつもりできました」
噂は何がしか聞いているのだろう。面識がない仮染 勇輝(
gb1239)も、エレンを無理に帰す事は望んでいない風だ。
「話し合い‥‥ねぇ?」
「電話か手紙でも、とも思ったんですが。お兄さんが直接LHにいらっしゃっているなら、エレーナさんの所へ連れて行きたいと思いまして」
家族が敵になった訳ではないのだから、話し合うことが出来るはず。そう呟いた勇輝の心中は、傍からは読めなかった。
――まずは、彼のような消極的反対派。そして、残りはと言えば。
「依頼は引き受けた!」
ずいっと胸を張る、白虎(
ga9191)。今日の出で立ちはセーラー服。中学生くらいの女の子に見えないことも無い、というかそうとしか見えないのだが、立派な男の子である。
「引き受けたが‥‥。今回、まだ、その時と場所の指定まではしていない」
濃い顔でそう言い切る白虎は、積極的反対派だった。隣でざわざわと合いの手を入れていた神崎・子虎(
ga0513)は、さほどでもないようだが反対派ではある。
「エレーナさんがいなくなるのもつまらなさそうだしね♪」
エレンを辞めさせようと言う意味での賛成派は、1人もいないようだ。
「どうも、フランツ・シュミッツです」
ハンナが連れてきたのは、スラッとしたスーツ姿の青年だった。到着手続きを、というフランツを制して、ハンナが受付へと戻っていく。青年の身なりは立派だったが、素振りに偉ぶった様子は無い。
「家庭の事情で、皆さんの貴重なお時間を割いて頂くのは、まことに心苦しいのですが」
むしろ、随分下手だった。気弱そうな様子になんとなく直接対決の結果は見えたような気がして、悠季が苦笑する。
「彼女を探すだけで3分の1、説得できたらもう3分の1で、連れ帰るところまでしたら全額、よね?」
「はい。そうさせて頂きたいと思います」
つまり、3割は手に入るのだ。それで手を打とう、と悠季は内心で思った。
「エレンは、兵舎で友達を迎えてパーティをしてるらしいわ」
手ぶらって訳にも行かないから、と軽く食べ物を買いに行く悠季に、勇輝も頷く。その背中を口を開けて見送るフランツ。
「‥‥パーティ? あいつに、友達なんていたのか?」
青年から飛び出したのは、悪意があるというわけでも無く純粋な驚きの言葉だった。その両手を、白虎と子虎が取る。
「お兄ちゃん、ボクらが案内してあげるよ」
「あ、ああ。ありがとう、お嬢ちゃん」
セーラー服の美少女2人に、気を許した様子で頷く青年。だが、彼は知らないのだ。この2人『とらりおん』が微笑む時、周囲には混沌しか残らない事を。
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再び、会場。始まった宴を、参加者は思い思いに楽しんでいた。
「遊びに来たよ」
「ふふ‥‥。リクスとお揃い‥‥」
挨拶するリュス・リクス・リニク(
ga6209)の隣で、はにかみ加減に微笑むルナフィリア・天剣(
ga8313)。
「お揃いですね? 良くお似合いです」
入り口辺りで迎えた眞耶に、2人は嬉しそうな表情を返した。小柄なリクスの洋服を借りたルナは、少しばかり丈が短めだ。
「あら、お姫様が2人‥‥、っていうよりも今日だとお雛様、かな」
桜餅を手渡しながら、エレンがウインクする。
「ルナがお揃いしてみよう、って‥‥あ」
見せ付けてやるつもりで、ルナはリクスを抱き寄せた。腕の中の少女は柔らかく、見上げる視線は甘い。
「リクス‥‥大好きだよ」
小鳥がついばむように、軽いキス。唇もやっぱり柔らかく、甘かった。
「フフフ、可愛いわね。そうしてると、本当の姉妹みたい」
「むぅ‥‥。姉妹、か?」
唇を尖らせたルナだが、彼女が望むような恋人同士には、なかなか見えないようだ。少なくともエレンには。
「今日は楽しもう。一緒に」
壁際に並んだお菓子に目を向けたリクスが、するりと腕の中から出て行く。楽しんで行ってね、と微笑んだエレンに頷くルナ。
「そういえば‥‥、依頼の件は、知ってるのか?」
「ん?」
首を傾げたエレン。ルナは説明しようと口を開きかけてから、思い直したように頭を振った。
「いや、何でもない」
自分が動かずとも、エレンには頼りになる友人も大勢いるだろう。
「ルナ、こっちだ」
手を振るリクスへと顔を向けて、ルナは微笑した。
「おや、御揃いですね?」
くつろいでいた美環 響(
gb2863)が、そう言って2人の為に手を伸ばす。彼が摘み上げたクッキーは、形こそ不恰好だが美味しそうだ。
「ありがとう。同じのを、リクスにも」
頷いた響が手をさっと握る。再び開いたときには、もう1つクッキーが増えていた。
「お、おお‥‥?」
「どうぞ。チョコクッキーも美味しかったですよ」
不思議そうに顔を近づけるリクスに逆の手を見せる響。空だったはずの手には、いつの間にかチョコクッキーが乗っている。
「そっちが‥‥僕が焼いたの、で。こっちのチョコはエレンの、だよ」
皆の為に紅茶を注いでいたラシードがそう説明した。
「人のお世話もいいですけれど、響さんも食べないといけませんよ」
ケーキをトレイ一杯に乗せてきた美環 玲(
gb5471)の姿に、少年少女達が目をぱちくりさせる。
「‥‥そっくりだな。兄妹か?」
驚いたように言うリクスに微笑みかけつつ、玲はそっと人差し指を口元に当てた。
「秘密、ですわ」
響にトレイを渡してから、今度はお揃い服の2人をしげしげと眺める玲。
「‥‥何?」
2人の仲を邪魔されるのではないか、とルナはリクスを背に身構えた。が。
「可愛い‥‥!」
がばっと抱きすくめられて、びっくりする2人。そんな姿を、響がニコニコと見つめていた。
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「いらっしゃいませ。会場はこちらですよ」
入り口の眞耶は女主人のエレンが遊んでしまっている分、さりげない如才なさを見せていた。今度の客は、空港から回ってきた依頼組だ。
「ありがとう。エレーナさんはどちらに?」
「中庭の方に、先ほど向かわれましたよ」
飲み物や食べ物の袋を両手に提げた勇輝の息は少しあがっていた。
「フランツさんはまだでしょうか。エレンさんのお兄さんなのですが」
困ったように、ハンナが眞耶に問いかける。彼女達が目を放した隙に、子虎と白虎が青年を連れ去っていたらしい。
「お兄さん、ですか? お見かけしていませんね。裏から入られたのなら、分かりませんけれど」
眞耶の返答に、悠季が肩を竦める。
「‥‥まぁ、取って食われる事も無いわよね」
彼女の言葉に、ハンナの憂いが増した。口の中で、フランツの無事を小さく祈る。
「じゃあ、俺はエレーナさんに事情をお話してきます。それと、お兄さんの事も」
差し入れも預けて来たいし、と勇輝は奥へ歩き出した。
「一応、裏口って事もあるだろうし、見てこない? ちょっと喉も渇いたしね」
「そうですね。確認しておきましょう」
悠季に促され、ハンナも後を追うように中庭へと向かう。が、入ってすぐ、悠季は知り合いに捕まった。
「おや、ゆー姉。兄者との事は聞いたぞ。おめでとう」
ルナからの祝辞に、悠季は頬を染めて礼を言う。
「何? どうかしたの? あ、いらっしゃい、2人とも」
寄ってきたエレンは、顔見知りの姿に笑顔を浮かべた。悠季が自身の交際が順調に進んでいる事を告げると、エレンの表情が羨ましげに変わる。
「内縁の妻? なんか文学青年と芸者さんの道ならぬ恋って感じでロマンチックね」
エレンの知識は、相変わらず偏った上にずれていた。
「ま、そういう事になったから。改めて彼の事を宜しくね」
「どっちかっていうと私がお世話になってばかり、なんだけど。フフフ、おめでとう」
エレンは嬉しげに笑う。グラナダ戦役の昔話に花が咲きかけた時に、後ろから声がかけられた。
「エレーナさんですか? はじめまして」
差し入れを厨房へ預けてきた勇輝が、まずは丁寧にパーティ開催の礼を。
「面識も無いのに、押しかけてしまいましたが‥‥」
「それなら、今出来たじゃない。フフフ、これからよろしく、ね」
エレンにもう一度頭を下げてから、勇輝は少し声を落とした。大事な話があるので、少し席を外せないか、と尋ねる少年に、エレンは驚いたようだったが。
「どうぞ、いってらっしゃい」
柔和に微笑むハンナに促されて、執務室へと向かう。他の場所と比べると、殺風景で寂しい感じの場所だ。
「何かしら? お姉さんに相談ごと?」
一目ぼれとか言われたらどうしよう、などと冗談めかすエレンに、少年は真摯な目を向けた。
「実は‥‥」
フランツの依頼の話と、自分がそれで彼女の事を知った事。そして、エレンは家族と対話するべきだと思った事を、勇輝は言う。
「兄さんが、ここに来てるの? ‥‥困ったな」
「直接話しにくければ、電話でも手紙でもいい。‥‥努力しなければ、何も伝わりませんよ」
そう付け足す間も、勇輝はエレンに強い意思を込めた視線を向けていた。
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その頃、フランツはと言えば。
「こ、これはどういう事ですか!?」
LH中央公園まで案内された所で、白虎達にいじめられていた。木の上から降ってくる金ダライとか、足元をすくうロープとか。
「とりあえず母親に好き勝手やられているようじゃまだまだだからね♪ トラリオンが調教してあげないと♪」
明るく言う子虎に、白虎が頷く。思春期のお子様としては、親には反抗しておきたいらしい。
「人に幸せを『与えられる』と思ってるのかにゃ? それはエゴだっ! 幸せは己の手で掴む物なのだっ!!」
それは家族の間だって同じ事。幸せは自分で探すもので、周りがするのは手伝いだけだ、とちょっぴり良い事を言いながら攻撃の手も休めない白虎。
「さぁ、これを手に取って戦うのだ!」
「え、ええ?」
ハリセンを投げ渡され、戸惑うフランツにやはりハリセンで殴りかかる白虎。一見すれば、無邪気な子供と遊んで上げる青年の図に見えないことも無い。
「盛り上がってきたなあ。でも、ボクはパーティにも行きたいんだけど」
どうしようか、と考え込む子虎。彼は相棒よりも少し年長で、その分少しだけ前後を考えているようだ。その視界に、依頼仲間のルーイとブレイズの姿が入った。
「あ、こっちこっち♪」
「ン? 君は、フランツ氏の依頼を一緒に受けていた‥‥」
近づいてきた2人に林の中を指し示す。白虎がフランツをハリセンでぽかぽか叩いている姿が眼に入った。
「‥‥何してるんだ、あいつは」
「えーと、ほら。エレーナさんの方の準備が出来るまで、時間稼ぎとか?」
苦笑しつつ、ブレイズが進み出て白虎のハリセンを後ろから掴む。
「にょわっ! 止めるな、武士の情けー!」
「それくらいにしとけ。あんたも災難だったな」
一応は加減をしていたのだろう。フランツは疲れたようだったが、怪我などはしていない。
「‥‥いえ。びっくりしましたけれど、ね。子供の悪戯に目くじら立てはしませんよ」
子供の悪戯、と言われてむっとした様子の白虎に、フランツが笑いかける。
「ですが、子供の言う事は時々胸に刺さりますね」
「ああ。未来は他人が決めるようなもんじゃない、自分で決めるものだ」
ブレイズが伝えたかった事も、白虎と同じだった。頭をかきながら、フランツは苦笑する。
「妹の為を思って、何かをしてくれる子がいるのは兄としては嬉しい事ですよ」
さほどエレンと親しいわけではない白虎にしてみれば、気に入らなかったから修正する、という感じだったのだが。何となくいい感じに誤解されたのをわざわざ訂正する必要も無い。
「母上に負けそうな時はこれを見て今の決闘を思い出すのだ」
ハリセンを返そうとするフランツに首を振り、そう言い返す白虎。
「じゃ、会場の方へ行こうか。話もまとまったみたいだし」
案内はよろしくね、と子虎が笑いかけた。一足先にルーイが知らせに走り、残る一行はエレンの待つ兵舎へとゆっくり歩き始める。
「俺にも妹がいる。だから、心配するのは分かるつもりだ」
「そうですか」
並んで前を向いたまま歩くブレイズの言葉に、短く答えるフランツ。
「だが、あいつが自分で選んだ道だ。後悔の無いように進ませてやって欲しい」
自分達も、戦争を終わらせるために努力している。彼女もそうだ、とブレイズは言う。
「だから、この戦争が終わるまで待って欲しい。俺やエレンの努力が実を結ぶまで、な」
「ありがとうございます。にしても、驚いた。妹は本当にいい友人を得たようですね」
嬉しそうで少し寂しそうなフランツの横顔をチラリと見て、ブレイズは笑みを浮かべた。
「その台詞は、まだ早いと思うぞ。会場についてから存分に驚くといい」
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会場にルーイがついたのは、ちょうど執務室で勇輝がエレンを説得しているときだった。
「‥‥手紙、書こうかしら」
「失礼、お邪魔しても構わないかな」
気乗りしない様子のエレンに、ルーイの声が掛かる。説得の様子が気になったのだろう。彼を案内してきたハンナも一緒に立っていた。
「はじめまして。今回の件は、もう伝わっているのかな?」
「あ、はい。兄の件でしたら、こちらの勇輝くんに‥‥」
それは良かった、と優雅に会釈した青年にエレンもお辞儀を返す。慣れた様子の自己紹介の後で、ルーイはエレンにフランツと会う事を勧めた。
「人の家の事情に口を出すのはよくないと思うけど、出来ればお母さんとも直接お会いする方がいいと思うよ」
「俺も、そう思います」
勇輝も深く頷く。
「いつか言っていましたね‥‥。ちゃんと話せなかったと」
上官や、同僚への自分の気持ちを伝えるためにエレンが起こしたドタバタは、ハンナにとって彼女との出会いでもあった。忘れる筈もない、初夏の記憶。
「今なら、話せる筈ですよ。どうして貴女が此処に在るのか‥‥。これからも、此処に在るのか」
「今の自分のあり方に自信がもてるなら、一回そのことを、お母さんに伝えたほうがいいかもねっ☆」
いつの間にか、扉にもたれるようにして立っていた慈海が、いつものような軽い調子で付け足した。エレンは眼を閉じて長い溜息をつく。ゆっくりと顔を上げてから、両手でぴしゃりと頬を張った。
「よし。私も去年までの私じゃないんだから。ガツンといって来ないと。なーんて、ね」
言い置いて、執務室から出て行く。少しばかり空回り気味の元気さを、4人は微笑ましげに見送った。
エレンの兄が来る、というのはいつの間にか会場の中にも伝わっていたらしい。
「エレーナはんのお兄さん、フランツはんがいらっしゃいましたよ」
眞耶の声に、中庭にいた一同の視線が入り口側へ向いた。
「エレンの、お兄さん‥‥? じゃあ、おもてなし、しなくちゃ‥‥ね」
近くにいたラシードが、紅茶とお菓子を持っていく。コーヒーや軽食もあるから、と言う少年の歓待の気持ちに、青年は丁寧に礼を言った。
「初めまして。エレンさんにはお世話になってます」
仲良く並んだルナとリクスをカメラに収めていた真琴が、振り返ってぺこりとお辞儀する。
「エレンさん女の子ですし、きっと色々心配なんですねっ」
「怪我や病気の心配もしていますが、ね。我々は案外不養生なもので」
はきはきした真琴に、頷くフランツ。妹がどんな人たちと、どんな風に過ごしているのかを見ていって欲しい、と彼女は中庭へ青年を導いた。
「写真、楽しみだな」
「‥‥ん」
肩を寄せたリクス達は、幸せそうに微笑んで2人を見送る。ふと、ルナの口元が小さく尖った。
「はじめまして。いつもエレンさんにはお世話になってます」
ソラの初対面の挨拶はきびきびと。しかし、真琴に連れられたフランツを追う少年の瞳は何処か心配げだ。それに気づいたルナが歩み寄り、肩口を突つく。
「ゆずぽん。気になるなら口に出せばいいと思うぞ」
そう一言だけ告げて、ルナはリクスの方へと戻っていく。玲がカードを広げて、彼女の為に何かを占ってくれているようだ。
「では、めくりますよ?」
一枚づつ並べながら丁寧に解説していく玲。どうやら、悪い結果ではないらしい。
「私はどうなのかな?」
余り信じる方ではないのだが、と言うルナの為に、玲はもう一度カードを混ぜ始めた。
「さて、する事がなくなったかな」
勇輝の声に、ルーイも口元に手を当てて考え込む。知人がいるという訳ではなく、フランツの依頼を見て関わっただけなのだ。
「でしたら、残りの時間は楽しく過ごしていきましょう?」
眞耶がそんな2人に微笑みかける。せっかくのパーティだ。新しく知り合いの輪を広げるのも、悪くは無い。話題なんて、探せばいくらでもあるものだ。
「そういえば、エレーナさんとは面識がなかったそうですが、どうしてこの件に? 実は、俺もなんです」
例えば、こんな風に。
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エレンとフランツの間に、余りぎこちなさはなかった。勇輝たちが拍子抜けするほどだ。
「今は、楽しいか?」
「ええ、とても、ね」
たったそれだけで、何かが伝わったようだった。お前が軍服を着ているのは想像できなかった、と笑う兄に、家族の中では一番似合うと思うと切り返すエレン。当たり障りも無い社交的な会話がしばらく続く。
「‥‥エレンさん、国谷さんからです」
意を決したように、ソラが2人へ歩み寄った。手にした携帯電話を差し出す。2人がホッとしたように見えたのは気のせいではなかっただろう。
「あ。ありがとう。また、後でね。兄さん」
「そうだな。‥‥また、後で」
笑みを向けてから、壁際へ下がるフランツの顔は疲れていた。
「なかなか、難しいもんですね。兄というのは」
何を言って良いのか判らない、と肩を竦める。電話を相手に妹の表情がころころ変わるのを、兄はじっと見つめていた。
「エレン君は、そっちに行っているお兄さんの事は、もう聞いていますね? ふむ、ならば話は早い」
電話をかける真彼は、何故か畳の上だった。正面からは、明らかにアーリア系の顔立ちの老人が、ニヤニヤと青年の様子を窺っている。
「ええ、翁にお会いしました。エレン君の助けになれば、と思ってね」
エレンの母親の事、彼女がどういった考えを持っているか。例えば父の死について、あるいは上の兄の死について。エレン自身についてや、フランツについて。それを一番知っていそうな相手として、老人に思い至ったのだと真彼は言う。
『祖父に、換わってもらえるかしら。ごめんね、貰った電話なのに』
目で伺ってから、目の前の老人へと手渡す。受話器の向こうから漏れる歯切れのいい声に、時折低く渋い老いた声が楽しげに被さった。いい若者だとか、好青年だとか言うのは、多分本人に聞こえるように言っているのだろう。
「翁も人が悪い」
苦笑しつつも、帰る訳にもいかない。電話が戻ってくるまでの数分間が、とても長く感じられた。
『‥‥もしもし? 真彼さん?』
「ああ。僕です」
居住まいを正す。言わなければならない事は1つだけだ。
「君の決断を見ている子がいる。一緒に戦おう」
何と、あるいは誰とは、彼にとって言うまでも無いのだろう。バグアとだ。
「僕も手を貸す」
もしも、僕の手でよければ、いつでも。そう告げる真彼に、
『ええと、つまり私の為に、ドイツまで行ってくれたの?』
「まぁ、そういう事になるのか‥‥な?」
微妙にニュアンスが違う気がしつつ、口ごもる青年。その耳を、笑い声がくすぐった。
『‥‥ありがとう。これからも頼りにしてるわよ。フフフ』
もう一度、楽しげなクスクス笑いが耳を撫でてから、通話が切れる。
「孫を、宜しく頼みますぞ」
真面目な面持ちの老人が口を開き、すぐにニヤッと笑った。
「あいや、そういう意味ではなくとも、友人として、じゃな」
長生きする楽しみが出来た、と笑う老人に、青年はどことはなしにエレンとの血のつながりを感じていた。
「少しくらいからかっても、いいわよね」
こっちもびっくりしたんだし、と笑うエレン。
「‥‥エレンさんがいなくなったら、俺は凄くさみしいです」
電話を手渡した途端、ソラがきゅっと抱きついてくる。不安そうな表情を見せない為に顔を服に押し着ける。
「暖かいものでも、いかがです?」
眞耶が差し出してきたカップには、暖かいお汁粉が入っていた。笑顔で受け取り、ソラにも勧める。ごしごしと目元をこすってから、少年は元気に頷いた。空元気でも、元気なのだ。
「結婚は、お互いに思い合い、尊敬と信頼が出来る相手とでなければ幸せにはなれないですよ?」
「‥‥結婚?」
目をぱちくりさせるエレンに、眞耶は優しげな視線を向ける。そして、横からは少し不安そうな目が。
「そういう相手が、いればいいわよね」
エレンは、そういって手元のカップに視線を落とす。その口元は微かに微笑んでいた。同じお汁粉をすすりながら、ブレイズが壁際で溜息をついた。
「‥‥家族‥‥か」
呟いた声は、誰の耳にも届かずに消える。
●
「妹のこと、可愛い?」
妹を見ていたフランツに、慈海が不意に問いかけた。肩を竦めてから同意したフランツに、彼は更に質問を投げる。親が煩いと思わないか、妹には好きなようにさせてあげたくはないか。自分は、幸せに結婚できたのか、など。
「参ったな。私に母とやりあえっていうことですか。‥‥まぁ、本人が望むなら、一度くらい兄らしい事をしてみてもいいですね」
慈海の意図は青年に伝わったようだ。
「もう、十分お兄さんらしいとは思うけどね」
うまそうに杯を干してから、慈海は明るくそう言う。
「隣、私もいいかしら」
リンが声をかけた。その手には、ワインボトルとグラスが2つ。
「私が知ってるのはLHでのエレンだけだから。実家での彼女がどんなだったのか知りたいの。‥‥大切な、私の友達のことを、ね」
学生時代、浮いた話どころか友人がいるとすら聞いた事が無かったと、フランツは懐かしげに語った。思えば、ずっと自分を追い詰めていたのだろう、とも。
「父と兄が死んで、母は死に物狂いで私達を育ててくれましたから。プレッシャーにならなかったと言えば、嘘になります」
立派な医者になって、病院を継ぐ。決して学業成績が良い方でなかったエレンには、それは随分重い荷物だったのだろう。
「お母様の言い分も分かるけど‥‥。エレンのあの幸せそうな顔を間近で見てきた者としては、すぐに故郷に戻れとは言えないわね」
グラナダでのエレンについては、フランツも概略は知っている様子だった。妹が何をしていたのか、多少は調べたのだと言う。
「あいつは、多分兄や父の別の遺志を継ぎたいんだと思います。だから、病院の方は私だけでもいい。潰さないように頑張りますよ」
戻ってくる場所がないと、エレンも困るだろう、とフランツは微笑した。
「まぁ、そう言えるのもこうして皆さんに出会えて、話を伺えたからですけれどね」
そう呟く青年の向かいに、青年をこの島へ迎えた修道女が静かに座る。
「私は‥‥、友人として、エレンさんには前線に行って欲しく有りません」
ハンナは言葉を続けた。それは、おそらくフランツやエレンの母と同じ様な気持ちだ、と。
「‥‥でも‥‥エレンさんにとってあの部隊は、もう一つの家族なのです‥‥。命令に背いてまで、共に在ろうとしたのですから‥‥」
自分は彼女を止める事はしないし、背を押そうとも思わない。だが、彼女の決断を隣で見守りたい。そう言うハンナに、フランツは頷いた。
「あいつはいい友達を大勢、見つけたらしいね。家を離れたのは良かったみたいだな」
酷い目にあったけど、と言う彼の視線の先で、白虎が可愛らしくくしゃみをしていた。
「皆、一杯食べてね〜♪ フランツさんも、どんどんどうぞ☆」
そろそろ寂しくなってきた卓上に、エプロン姿の子虎が物資を追加投入していく。厚揚げ卵を1つ摘んで、美味しいと言った青年に、子虎は眩しい笑顔でおかわりをくれた。
「美味しそうに食べてくれるのが、一番嬉しいんだよ♪」
「‥‥はは、それじゃあ、私も本腰を入れて頂くとしようかな」
スーツを脱ぎ、腕まくりをしたフランツ。どうやら、シュミッツ家には大食いの血が流れているらしい。
「受けて立つよ。パーティでたくさん作るのは久しぶりだけど♪」
厨房へ向かう子虎の後を、リンも追う。親友の兄の為に、何か一品作ってこようと言うのだろう。
「大騒ぎになってきましたね‥‥。いや楽しいんですが‥‥、誰がこれ、止めるんでしょうかね?」
紫翠の独り言に、フランツが視線を向ける。その視線をどう取ったのか、彼は首を振った。
「自分ですか? ‥‥無理ですね‥‥。そんな体力、ありませんので‥‥。大丈夫です。‥‥いつもの、事らしいですから」
いつもの事か、と微笑してから、フランツは溜息をつく。戻って母親に報告するときに思い至ったのだろう。
「お困りの際は、ULTに対策依頼を出しては如何かな?」
そんな冗談めかしたルーイの言葉に、フランツは大真面目な顔で頷いた。
「皆に愛されて‥‥、皆の希望で在り続ける。美味しい物が大好きで、ほんの少し意地っ張りさんな‥‥、困った聖女様ですよ、エレンさんは」
そういうハンナを、そしてルーイ達もエレンが手招きしている。
「集合写真、取りましょ? 真琴さんが撮ってくれるそうだから」
記念の為の写真。嬉しいこの日があったという事の記念、だ。
「そういえば、エレーナや母とは写真など撮った事が無かったな。‥‥ここで、楽しんでるんだな、エレーナ」
呟いたフランツも、輪の中へと引っ張られていく。後日、フレームの中に収まった笑顔は、少しだけ歪んでいて。
「一年前の、エレンさんみたいですね」
現像された写真を見た真琴が、懐かしそうにそう呟いた。